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競技用紙雷管一貫製造装置

競技用紙雷管は手作業での生産(点薬→乾燥→上張り→乾燥→防水塗装→乾燥→仕上げ)を行っていたが競技用紙雷管一貫製造機械の導入により作業の安全化(工程中の仕掛品等の中間製品の停滞を生じないで完成となる)を図るとともに、製品品質の均一安定化が得られ、又、大幅に生産性の向上が計られた。

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山本五十六と由良浅次郎(写真)

当社設立者の由良浅次郎は、大正3年11月ベンゼン、アニリン、フェノールの開発に日本で最初に成功し、本邦染料業界へ合成染料製造の国産化の端緒を開いた。YSK(当時由良染料)は、フェノールを原料とした主力爆薬であるピクリン酸(下瀬火薬)を海軍艦政本部の要請により全能力で供給した。写真は、大正14年1月、海軍次官室にて由良浅次郎(右)が山本五十六海軍次官へ艦上戦闘機21機の献納録を渡し顕彰を受けた時のものである。

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ペンシルロケット

戦後、我が国独自の宇宙用ロケット開発の原点と言えるペンシルロケットの実物。

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粒状酸化触媒

国産初の自動車排気ガス浄化用粒状酸化触媒。粒状のアルミナ担体とそこに付着した微細な貴金属で構成される。活性成分である貴金属が、排気ガス中の炭化水素や一酸化炭素の酸化反応を促進させ、無害な二酸化炭素や水に変換する。

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モノリス3way触媒

1978年(昭和53年)日本で窒素酸化物(NOx)の規制を強化した新たな排出ガス規制に対応するため、これまでの酸化触媒から未燃炭化水素、一酸化炭素、窒素酸化物を同時に酸化・還元処理する3way触媒が必要となった。また、排出ガスの圧力損失を低減させるため、触媒形状の主流が粒状アルミナからコージェライト製モノリス(一体成形)型へ移行した。

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金属製モノリス担体

これまで自動車排出ガス浄化用触媒にはコージェライト製モノリス(一体成形)担体が使用されていたが、高出力自動車での低圧損化や搭載性向上、また担体の熱容量を下げることで触媒を早期に暖め、活性化させる狙いで金属製のモノリス担体が実用化された。この技術は二輪車にも展開された。

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煉瓦造建築

堺には、明治期に煉瓦工場があったため煉瓦造建築が数多く建設された。その後戦災でいくつかは焼け残り戦後も使用されていたが、南海本線堺駅周辺で現存するのは、弊社の建物だけである。この建物内では、現在も弊社の製品が製造されており、大阪府内に現存する最大規模の煉瓦造として文化的にも価値が高い近代建築と評価されている。

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高圧法メタノール合成触媒

本触媒は東京工業試験所(当時)で開発され、昭和8年(1933年)に、高圧法メタノール合成触媒として当時のクロード式窒素工業株式会社彦島工場にて日本で初めて工業的に製造された。高圧法メタノール合成プロセスは消滅したが、この触媒(亜鉛クロム系、当社名称KMA)は現在もメタノール分解触媒、或いはメタノール改質触媒として製造され、ガス製造用に使用されている。

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FCC触媒遠心分離機

FCC触媒を国産化する際のFCC触媒製造工程で使用した遠心分離機。当時国産で信頼できる製作者がいなかったため、米U.O.P社の推薦により、スウェーデンドラバル社製遠心分離機を導入した。当時、海外既存FCC触媒メーカーは調合槽スラリーを回転ろ過機で濃縮洗浄していたが、米U.O.P社は遠心分離機を採用した。これは、他社特許に抵触しない、建設費を節約可能な方法であった。

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FCC製造用スプレードライヤー 第一号機

昭和33年(1958年)全く輸入に頼っていたFCC触媒を国産化するために、日本揮発油株式会社(現日揮株式会社)と旭硝子株式会社の合弁企業として発足した、触媒化成工業株式会社(現日揮触媒化成株式会社)のスプレードライヤー第一号機。Bowen型で、設置時本邦最大と言われた大型スプレードライヤー。

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