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色絵ラスター彩モールド蜂付掛花生 02

モールド技法で花柄が陽刻された小サイズの掛花生。2匹の蜂のフギュアが付いている。フチの花モチーフや蜂は上絵で彩色、胴部は青色のラスター彩で加飾されている。H:13.0cm、W:5.8cm、D:3.7cm。年代:1920~1931年。方面:輸出用。素材:白磁。 

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色絵花文鳥付掛花生

大サイズの掛花生、鋳込みで作られた鳥のフィギュアが付いている。図案化された青いバラが描かれ、背景はオレンジ色で塗り込んである。鳥のフィギュアは茶色のラスタ-で彩色され、眼や羽根が黒で描き起こされている。H:23.6cm、W:12.3cm、D:6.7cm。年代:1920~1931年。方面:輸出用。素材:白磁。 

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ラスター彩モールド鳥文掛花生 02

モールド技法で向き合う二羽の鳥が陽刻された大サイズの掛花生。鳥は茶のラスターと金彩で彩色されている。 H:18.0cm、W:9.8cm、D:5.7cm。年代:1920~1931年。方面:輸出用。素材:白磁。 

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色絵幾何学花文シュガーシェーカー・クリーマー

三角形の面で構成された胴部を持つ砂糖振りとミルク入れ。緑色でボカシの彩色が施され幾何学的な構成が強調されている。帯状に花柄が描かれている。シュガーシェーカーH:18.0cm、W:7.6cm、D:7.6cm。クリーマーH:14.5cm、W:10.5cm、D:7.5cm。年代:1920~1931年。方面:輸出用。素材:白磁。 

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岩下式製七島藺織機

杵築市魚町にあった岩下農具製作所で製作された足踏み式の織機。国東(くにさき)、安岐(あき)、杵築(きつき)などの七島藺(しちとうい)栽培が盛んな地域の中で足踏み式の織機を供給し、七島藺の加工工程には欠かせない存在として重宝されました。年代:昭和初期

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ワキダイ

七島藺の茎を分割するために用いられた道具。七島藺の茎は太く、断面が三角状になっている特徴があります。現状の状態では畳表などに織ることができないため、手作業による加工が必要とされました。このワキダイは長い台の先に斜めの柱とその手前に低い柱を立て、その間に細い針金を張り渡した構造になっています。ワキダイには三味線のような針金の張り具合を調節できる仕様になっており、繰り返し使用できる工夫が施されています。年代:20世紀前半頃

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七島表

製品加工された七島表(莚)(むしろ)。七島表には豊後青表の墨書書きが記されています。買い付けされた莚は、品質によって分類され、10枚一束にまとめられます。七島表には小印(こじるし)や印銘(いんめい)という問屋ごとの商標などが記され、これをもとに取引が行われていました。年代:平成

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莚問屋小印版(毛判)

小印は莚問屋の屋号や商号を表すもので、品質によって分類された七島表に小印を打つことで、一目でどこの問屋の莚製品であるかを区別していました。年代:昭和初期

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印銘用の太筆

印銘は問屋と取引先の間のみで共通する莚の価格を表したものです。取引先をした当人同士しか解らないものなので、仕入値や売値などの商品取引きの秘密を守るためや誤送を防ぐために用いられました。この太筆は杵築七島藺の問屋であった門実(かどみ)商店が用いていたものです。年代:昭和30年代

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印銘板(銅板)

杵築の七島表の問屋として昭和47年まで営業していた河野宝策商店で使用されていた銅板型の印銘板です。主に出荷前の七島表に用いられ、墨のついた束子(たわし)を使って表面をこすることで、印字されました。年代:20世紀前半頃

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イチビ

七島表の縦糸の繊維として用いられていたのが「イチビ」でした。イチビはアオイ科の一年草で、春に種まきを行い、夏には高さ2メートルほどに成長します。これを秋に刈り取り、束ねたものを数日間水に漬け置きすることで、繊維をほぐします。その後、表面の外皮が腐るのを待ってから茎の皮を剥(は)いでいました。年代:昭和

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タニカロン

七島表の縦糸として用いられたイチビは加工工程を手作業に頼っていたため、手間が多い作業の一つでした。そのため、イチビに代わるナイロン製の合成繊維が戦後、爆発的に普及しました。七島表の縦糸用の合成繊維はタニカロンと呼ばれ、糸巻状になっています。写真のタニカロンは記銘から三井化学が生産した合成繊維であることがわかっています。年代:昭和20年以降

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イチビワキダイ

イチビの皮を剥ぐ専用の道具。台となる板が手前に長く突き出した形状になっており、座布団を上から被せて乗ることで、道具全体が固定されるようになっています。前方に突出した柱部の上には鉄製の針が櫛状になっており、この部分にイチビを通すことで、繊維を細かく剥ぐことができました。年代:20世紀前半頃

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電動イチビ縒(よ)り機

縒(よ)り機は、細かく裂いたイチビを数本集めて縒糸(よりいと)にする道具で、手動のタイプのものから足踏み式、電動式のものがあります。縒りの入ったイチビの糸は中央の巻軸に巻き取られる仕組みとなっており、莚製作に欠かせない縦糸として利用されていました。年代:1960年代

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チェンバロ

1765年 F.E.ブランシェ2世作 パリ。 フランス、ブルボン王朝の王室楽器製作者、フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世作のチェンバロ(フランスではクラヴサンと呼ぶ)。ブランシェ2世は一族最後の製作者で、父の1世作のチェンバロは、今もヴェルサイユ宮殿に残っている。フランス、ロココ文化を代表する繊細で優雅な音色を持つチェンバロの名器である。

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ジェゴグ

1994年頃製作 インドネシア、バリ島。 世界最大級の竹筒のシロフォン。大小15台が一組。個々の楽器にはそれぞれ名前があるが、中央奥の最大のものがジェゴグ。楽器全体もジェゴグと呼び、演奏する音楽の総称もジェゴグと呼ぶ。バリ島の西部ヌガラ地方に伝わる農民の楽器で、収穫のお祝いや、踊りの伴奏、娯楽としての演奏や、グループ対応の競技演奏に使われる。

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楽太鼓(がくだいこ)

1995年、大笹屋作 京都。日本の雅楽で使う低音太鼓。鼓面の直径約54cm、胴の深さ約23cm。音楽の流れの節目や高揚する部分で、撥で打ち鳴らす。金地を背景に3匹の唐獅子が、赤い天衣(てんね)と戯れる華やかで目出度い図柄。縁の青い文様は海の波。鳴り響く太鼓の音は、音楽を包み込む、波の音である。

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鞨鼓(鞨鼓)

1995年 大笹屋作 京都。日本の雅楽で使う太鼓。小鼓より一回りほど大きい。両手に細長い撥を持ち、太鼓の両面を細かく打ち鳴らす。奈良時代に雅楽とともに中国から伝来した。雅楽では指揮者の役割を担う重要な楽器である。中国、唐の玄宗皇帝は音楽をこよなく愛し、自身も鞨鼓の名手であった。

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サウン・ガウ(ビルマの竪琴)

20世紀 ミャンマー。竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」で、同名の楽器として年配の日本人にはよく知られるミャンマー(旧ビルマ)の弓型ハープ。曲がった(ガウ)琴(サウン)の意味。小説では僧になった水島上等兵が演奏するが、実際は宮廷楽器なので俗人が演奏することはない。弓型ハープはインド起源で、現在に残るのはサウン・ガウのみ。数多ある世界の楽器の中でも、最も美しいもののひとつだろう。

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ハープ・リュート

1825年頃 A.ヴェントゥーラ作 ロンドン。古くからある楽器のハープと、当時イギリスで流行していたイングリッシュ・ギターとを合体させて19世紀初頭に考案された楽器がハープリュート類。中産階級の婦女子のステイタスシンボルとして1830年頃まで人気があった。見た目の豪華さ、演奏の容易さ、携帯の便利さ、そして廉価であったことなどが人気を支えた。この楽器は発達の最終段階のもので、「インペリアル・ハープ・リュート」という商品名で有名。

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フォルテピアノ

フォルテピアノとはおよそ19世紀中頃までのピアノを現代のピアノ(モダンピアノ)と区別する時のピアノの呼称。このフォルテピアノは、1808年~1810年、A.ワルター&サン(ウィーン)の作で、跳ね上げ式(ウィーン式)アクション。ワルターは「帝室・王室宮廷のオルガン製作家及び楽器製作家」の称号を持つ当時の最も優れた楽器製作者。ウィーン時代のモーツァルトもワルターのピアノを使用。ワルターのピアノは40台ほどしか現存せず、貴重な一台である。

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フォルテピアノ

1802年頃 J.ブロードウッド&サン作 ロンドン。突き上げ式(イギリス式)アクション。ブロードウッド社はジョン・ブロードウッドにより1782年に創設。当代きってのピアノメーカーで、20世紀におけるスタインウェイのような存在であった。産業革命による工業化を楽器製作に取り入れ、物理学者の意見を設計に取り入れた。豊かな響き、残響の長さが特徴である。ベートーヴェンも使用し、彼のピアノ作品の作曲に大きな影響を与えたとされる。

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スクエアピアノ

1805年頃 トーマス・ラウド作 クレメンティ社販売 ロンドン。製作者については詳しくは知られていない。スクエアピアノは18世紀後半初期にドイツ人ツンぺがロンドンで製作した。小型で軽量だが、愛らしく優雅な響きはたとえようもなく美しい。チェンバロやグランド型ピアノに比べると、約半分ほどの価格であったこともあり、19世紀後半から20世紀にかけてイギリス中産階級の間に広く普及し、家庭の団欒に大きな役割を果たした。

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スピネット

18世紀初期、ステファン・キーン(ロンドン)作。チェンバロと同じく弦をはじいて発音する鍵盤楽器。小型で、本体が3角形であることが標準。起源は不詳だ。16世紀にイタリアで流行した。18世紀にはヨーロッパ全域に普及した。大型で華やかなチェンバロとは違い、この小さな楽器は、演奏会をして他人に聴かせるためのものではなく、自身が音楽と向き合い楽しむためのものである。慎ましやかで典雅な音楽がこの楽器にはよく似合う。

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ダブルベル・ユーフォニアム

19世紀後期 W.J.グロウナート販売 アメリカ。吹奏楽で中音域を担当する楽器がユーフォニアムで、19世紀の中頃にドイツで生まれたとされる説が最も有力。オーケストラで採用されることはめったにない。柔らかで豊かな響きは全体のサウンドを包み込む。19世紀には2つの楽器を合体させた「複合楽器」がたくさん作られたが、これもそのひとつ。バルブで瞬時に切り替えることによって、大きなベルではユーフォニアムの本来の柔らかな音、小さなベルでは、やや硬質のトロンボーン的な音を出し、演奏に彩を与える。

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7ベル・サクソルン

1860年頃 アドルフ・サックス作 パリ。木管楽器「サクソフォーン」の開発者として有名なアドルフ・サックス(1814~1894)が作った金管楽器。金管楽器(ラッパ)は7本の異なる長さの管があれば、組み合わせて1オクターブ12音が簡単に出せるので、異なる7つの長さの管を束にして吹き口をひとつにしたものである。見た目は面白く、7つもベルがあるので、同時に2つ以上の音が出せると思われてしまうが、実は音は一度に1つしか出ない。吹いた時、7本のうちどの管に息を通して鳴らすかを、バルブで選択する仕組み。大きさの割には重く、操作もやりにくかったので、普及はしなかった。

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サックバット

1608年 ヤコブ・バウアー作 ニュルンベルク。初期の形態のトロンボーンを、現代のトロンボーンと区別してサックバットと呼ぶ。フランス語でサック=引くブット=押すの意味。トロンボーンは15世紀に管の一部を伸縮させて演奏するスライドトランペットから生まれたとされ、長い間、教会で歌と一緒に演奏されたり、器楽曲に使用されてきた。教会を出てオーケストラに使用されるのは18世紀後期からである。サックバットは現代トロンボーンに比べて細身でベルの広がりが小さく、音の指向性が強い。コルネットを交えた多声部のアンサンブルでは、絶妙の音程調整ができるため、ハーモニーは極めて美しい。サクバットと表記することも多い。

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セルパン

0829~1840年頃 F.プリティ作 ロンドン。セルパンはフランス語で蛇の意味。英語ではサーペント。唇を振動させて音をだす。。今日のチューバにつながる低音金管楽器である。16世紀にフランスの僧エドメ・ギョームが考案したとされる。音色が人の声によくなじむので、19世紀になるまではフランスの教会で合唱の補強に使われた。18世紀末には器楽合奏や軍楽隊でも使われた。本体は木製で、くり抜いた2つのン部材を合わせて皮で巻いてある。S字状の形状のため、指で孔を抑えることが可能になった。

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パッタラー

20世紀 ミャンマー。パッタラーは普通は舟形の胴に竹製音板を並べたシロフォンを指す。この楽器の音板は金属製で胴体のデザインも豪華な高級品。本体デザインの動物はピンサッユーパという想像上の吉祥の動物。パーリ語でピンサッは「5」、ユーパは「外見」の意味。象、鳥、馬、鯉、ホー(伝説上の有角獣)、または獅子、象、水牛、鯉、アヒルの5つの各部分が合成されている。本楽器は前者の5つ。象の鼻と牙、鳥の翼、馬の脚、鯉の尾びれ、ホーの角である。鹿や龍も含まれるという他説もあるようだ。

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ササンド

20世紀 ロテ島 インドネシア。現地に生息するロンタルヤシの葉と竹筒、金属弦からなるはじく弦楽器。竹筒琴(ちくとうきん)の一種である。竹筒琴は東南アジアに数多く見られる。元来は竹筒の表面を縦方向にナイフで切り出して駒を入れ弦にしていたが、後に金属弦に替わった。両手で竹筒を左右から握るようにして指ではじく。娯楽や祝い事等で演奏される。ヤシの葉を碗状にして竹筒を配置したデザインは、楽器のデザインの中でも最も美しいもののひとつだろう。現代にも伝承しているが、蛇腹型ではない、折り畳みのできる椀型が主流。本楽器は古いタイプの貴重品である。

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サイン・ワイン

20世紀 ミャンマー。調律された複数の太鼓を環状に配置しメロディを演奏する楽器パッ・ワイン(サイン・ワインともいう)を中心にした打楽器群の総称。サインは吊るす、結ぶ、ワインは環状の意味。パ・ワインのほかに、同じく調律され環状に配置されたこぶ付ゴングのチー・ワイン、オーボエ系管楽器のフネー、太鼓チャウ・ロン・パツなどから構成される宮廷楽器である。ゴングや太鼓を配置する台座やフレームは金色で小さな鏡をたくさんはめ込んであり、豪華で美しい。大きな太鼓を吊るしているフレームの動物は、ピンサッ・ユーパである。

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セタール

1995年頃 イラン。イラン伝統のはじく弦楽器。古典音楽で使用する。ペルシア語でセは3、タールは弦の意味。従って「三弦」という楽器である。その名の通り元来は3弦であったが、19世紀に一本追加されたため、現在は4弦。ただし付加された4本目の弦はドローン(メロディではなく持続して鳴り響く低音)担当のため、演奏機能としては3弦のままと言ってよい。胴は胡桃または桑材。弦は金属。ネックに付いているフレットはガット(羊腸弦)を巻いているだけなので移動可能であり、ペルシア音楽の特徴である細かな微分音が出せる。

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タール

1995年頃 イラン。アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア、イランなどに見られる弦楽器。タールはペルシア語で弦の意味。古典音楽や民族音楽で使用される。イランでは、このタールは花形の弦楽器と言える。ピックではじいて演奏する。特徴は見ての通りの8の字型の胴体で、桑の木を掘って作る。弦は金属で復弦3コース。ネックにあるフレットはガット(羊腸弦)を巻いただけのもので位置を移動できるため、微分音が出せる。

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サントゥール

1995年頃 イラン。台形の箱に金属弦を張り、両手に持ったバチで打奏する。サントゥールは100の弦という意味だが、実際はもう少し少ない。本楽器は18コース54弦。10世紀以前には存在していたとされる。弦を打ち鳴らすということからピアノの祖先ではあると言われることもあるが、この楽器がピアノへと変化していったわけではない。ヨーロッパのダルシマーやハンガリーのツィンバロム、中国のヤンチンはこの仲間。インドにも伝わり同名で呼ばれる。

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トンバク

1955年頃 イラン。ペルシア古典音楽に欠かせない太鼓。ザルブとも言う。鼓面の中央を叩いて出る低音がトン、鼓面の縁を叩いて出る高温がバク。奏者は椅子に座り、トンバクを横にして窪みの部分をj片方の膝にのせて、両手の10本の指や手のひらを使い分けて叩く。低音から高音までを駆使し、トレモロ奏法も加わって生み出される多彩な音色は、目を閉じて聴くと1つの楽器とは思えないほどである。本楽器は象嵌が施された一級の美術工芸品でもある。

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地無し尺八(じなししゃくはち)

明治時代 三代俣野真龍(またのしんりょう・1886-1936)作 京都。 銘「露堂々」(ろどうどう)。地(砥の粉、石膏、漆、水を調合した塗料)を管内に塗り凸凹を無くしたものを地塗り尺八と呼ぶ。地無し尺八は、管内に地を塗らず自然のままの凸凹を残している尺八で、江戸時代より虚無僧が使用した独奏用の尺八である。吹奏は非常に難しい。俣野真龍は代々京都に住み明暗流の地無し尺八を製作。「露堂々」は、明暗37世・谷北無竹の依頼で製作された名器である。一般的な尺八に比べてかなり太く、外観、管内の形状共に個性が強いので、その吹奏には長期の修練が求められる。

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ジラフ・ピアノ

19世紀、ニューヨーク製。作者不明。外観がキリン(英語でジラフ)に似ていることからこの名がある。ピアノの種類としてはアップライト・ピアノである。アップライト・ピアノは、グランド・ピアノをそのまま立てた姿が起源。ジラフ・ピアノはそのような初期のアップライト・ピアノから、ケースを取り除いて弦を張っている部分が直接見えるようにしたものである。このピアノは特に豪華な仕様で、大邸宅のリビングルームで演奏を楽しむ人々の姿が目に浮かぶようだ。

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アップライト・ピアノ

1880年頃、エラール社(パリ)作。1870~80年代のフランス美術界は、ルノアールら印象派の最盛期であった。彼の名画「ピアノに寄る娘たち」には、アップライト・ピアノを弾き、楽譜を見る二人の少女が、息を飲むほどに美しく流麗なタッチで描かれている。このピアノもまさにその時代のピアノで、外側は丁寧な寄木細工による花々や楽器、幾何学文様で覆われ、いかにも両家の子女が好みそうな、優雅な雰囲気を醸し出している。

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クラヴィコード

1788年 P.リンドホルム作 ストックホルム。クラヴィコードはマイナスドライバーの先端のような形状の金属片「タンジェント」で下方から弦を突き上げて鳴らす鍵盤楽器。タンジェントは弦を支える駒の役目もするので、鍵を押してタンジェントが弦に接している時だけ音が持続する。音量は大変小さく、ダイナミクスレンジも狭いが、タッチにより多彩な音色が出る。16~19世紀にスペイン、ドイツなどで流行。特にオルガン奏者が自宅での練習に使用した。C.P.E.バッハはクラヴィコードを愛奏し音楽作品も残している。本楽器は大型のもので、名工リンドホルムによる名器である。

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リードオルガン(足踏み式)

明治~大正時代 日本楽器製造株式会社 浜松。モデル名「大和オルガン」。下部を布で囲った和風のリードオルガン。黒漆塗に金泥の模様が美しい。スカート状の布は、着物を着ている人が演奏する時に、裾がはだけて素足が見えるのを隠すためと言われるが、野外で演奏する時に足を保温する役割を果たしていたのかもしれない。このようなデザインのオルガンは当然ながら欧米には見当たらず、日本独自のもの。西洋文化と日本文化が融合した、美しい調度品的オルガンと言えよう。

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一絃琴(いちげんきん)

昭和時代 作者不明 日本。一絃琴には複数の流派があるが、本楽器は須磨(兵庫県)の須磨寺に伝承されるタイプ。須磨琴(すまごと)とも言う。「琴」の字は正式には「きん」と読み、琴柱(ことじ)が無い楽器を指す。七絃琴が代表例である。いわゆる13弦の琴(こと)は正式には箏(そう)と呼び琴柱がある。一絃琴は、右手の人差し指に義甲、左手の中指に芦管(ろかん)をはめ、芦管で弦をおさえて音高を決め義甲ではじき鳴らす。平安初期に須磨に流された在原行平が考案したという伝説が残る。実際には江戸中期以降に誕生し、自己修養のために高僧、武士、貴族、良家の子女が嗜んだ。明治以降次第に廃れたが、戦後に各地で復興した。

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東流二絃琴(あずまりゅうんげんきん)

昭和時代 作者不明 日本。二絃琴(にげんきん)の八雲琴(やくもごと)を祖として考案された楽器。八雲琴を嗜んでいた歌舞伎囃子方の初代藤舎蘆船(とうしゃろせん)が、歌舞伎の黒御簾音楽や長唄、清元、常磐津康太などの俗曲の伴奏に適するように八雲琴を改造して、明治初期に生まれた。八雲琴は西日本で生まれたが、この楽器は東日本の東京浅草で誕生したので、東流と冠する。明治中期までは東京を中心に良家の婦人の洒落た遊芸として大いに流行した。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」で雌猫三毛子の飼い主が奏でるのは、この楽器である。

情報所有館 : 浜松市楽器博物館 


クリストフォリのピアノ(復元品)

1995年 河合楽器製作所 浜松。現存する最古のピアノである1720年製クリストフォリ・ピアノの復元品。オリジナルはミューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵。ピアノは1700年頃、イタリア、ヴェネツィアのメディチ家の楽器コレクション管理担当兼鍵盤楽器製作者であったバルトロメオ・クリストフォリが、チェンバロのアクション機構を打弦式に改良して考案したとされる。現存する彼のピアノはニューヨーク(1720年製)、ローマ楽器博物館(1722年製)、ライプツィヒ楽器博物館(1726年製)の3台。復元品は日本を含め世界に数台存在する。

情報所有館 : 浜松市楽器博物館 


イリンバ(親指ピアノ)

200年頃 フクエ・ザウォセ作 タンザニア。細長い板状の金属片を木の板や箱に取り付け、親指で弾いて鳴らす楽器はアフリカ各地に分布する。それぞれ形や名前が異なるので、総称してヨーロッパの研究者が付けた名前が「親指ピアノ」。しかし、ピアノとは一切関係はない。写真の楽器はタンザニアのゴゴ族が使用するもので、製作者のザウォセはタンザニアで最高の奏者であった。リンバは金属または木製の板、イは大きいという意味。白く見える部分は、蜘蛛の卵嚢を胴の孔に張りつけたもので、共鳴してビリビリと鳴る。

情報所有館 : 浜松市楽器博物館 


米穀標本

戦時経済下、食糧管理法により統制物資となっていた米は、終戦後も引き続き統制の対象であり続けた。食管法自体はその後も長らく存続するが、1955年の豊作によって米不足が解消し、実質的な統制解消となったと言われる。その前後の時期に、国内各地のものをはじめ、貿易商品研究の一環として収集されたようで、タイ、ベトナム、トルコ、ギリシャ、イタリア、アルゼンチンといった外国産の米が含まれる。1952~1962年頃の収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


茶葉標本

日本茶以外に、中国茶、紅茶が貿易商品研究の一環として収集されている。瓶詰標本の体裁をとる。1952~1954年頃の収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


コーヒー豆標本

貿易商品研究の一環として収集され、ジャマイカ、メキシコ、ブラジル、インドネシア、米国、ドミニカ、グアテマラなどで産出されたものが集められている。麻袋に詰められて税関を通る性格のものなので瓶詰標本の体裁をとる。1952~1954年頃の収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


ビニロン 綿/撚糸

ビニロンは1939年(昭和14)に日本で開発された化学繊維。第2次大戦後、本格的に生産を開始した。館蔵の多様なコレクションからは、注目の新素材として多方面での活用が期待されていたことがわかる。綿:倉敷レイヨン株式会社(現クラレ) 撚糸:平田紡績株式会社 1952~54年頃の収集 

情報所有館 : 明治大学博物館 


ビニロン 毛混紡毛糸

ビニロンは1939年(昭和14)に日本で開発された化学繊維。第2次大戦後、本格的に生産を開始した。館蔵の多様なコレクションからは、注目の新素材として多方面での活用が期待されていたことがわかる。倉敷レイヨン株式会社(現クラレ) 1952~54年頃の収集 

情報所有館 : 明治大学博物館 


ビニロン 全巾

洋服用の広幅生地。ビニロンは1939年(昭和14)に日本で開発された化学繊維。第2次大戦後、本格的に生産を開始した。木綿に似た風合いの繊維ができたが、染色性が悪く柔軟性に欠けるため、衣料生地としてはナイロン、ポリエステル程には普及しなかった。 倉敷レイヨン株式会社(現クラレ) 1952~54年頃の収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


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