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7100形1705号機 蒸気機関車

北海道の幌内鉄道が1880(明治13)年より8両をアメリカから輸入した蒸気機関車。6両には「義経」「弁慶」「比羅夫」「光圀」「しづか」と歴史上の人物の名がつけられた。導入時は形式の区分はなく、1906(明治39)年の国有化時に7100形となった。当館保存の「義経」は1925(大正14)年に払い下げられ、サドルタンク式機関車に改造されましたが、1952(昭和27)年に鷹取工場で復元され、1991(平成3)年に、当館の前身である交通科学博物館に動態保存された。

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1800形1801号機 蒸気機関車

1881(明治14)年にイギリスから8両輸入されたタンク機関車。先軸、従輪のない動軸3軸のみで、京都ー大津、長浜ー敦賀・関ヶ原の勾配区間で活躍した。1801号機は1930(昭和5)年に高知鉄道(現・土佐電気鉄道)に払い下げられた後、東洋レーヨン滋賀工場を経て1964(昭和39)年に復元され、当館の前身である交通科学博物館に保存された。

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1070形1080号機 蒸気機関車

幹線旅客用としてイギリスから輸入された6200形・6270形を、大正末期から昭和初期にかけて支線や入換用としてタンク式に改造して誕生した蒸気機関車。美濃太田機関区で活躍後、1939(昭和14)年には日鉄鉱業に払い下げられ、1979(昭和54)年まで鉱石輸送に使用された後に同所で保存されていたが、2009(平成21)年、当館の前身である梅小路蒸気機関車館に譲渡された。

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230形233号機 蒸気機関車

230形は1902(明治35)年から41量が製造されたタンク式蒸気機関車。1930年代から順次廃車が進んだが、233号機は奇跡的に入選機として1959(昭和34)年まで現役で使用され、1962(昭和37)年、当館の前身である交通科学博物館に復元保存された。2016(平成28)年には国の重要文化財に指定された。

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8620形8630号機 蒸気機関車

8620形は、旅客用として1914(大正3)年から687両製造された。当初は幹線の急行列車を中心に使用された。後継機が登場すると、地方へ転出して全国各地で活躍するようになり、「ハチロク」の愛称で親しまれ、1975(昭和50)年に最後の1量が廃車となるまで、長期に渡って活躍した。8630号機は東北地方で運用され、1972(昭和47)年に動態保存された。

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C53形45号機 蒸気機関車

C53形は1928(昭和3)年に登場した幹線旅客用の蒸気機関車。外国ではすでに実用化されていた3気筒式を採用し、97両が製造された。97両が製造されたが、新機軸ということで設計上の問題と複雑な機構により保守が困難なため故障が頻発し、さらには戦時中の酷使と整備不足も重なっって、1950(昭和25)年までに全車が廃車となった。

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C55形1号機 蒸気機関車

C55形は1935(昭和10)年に登場した亜幹線旅客用の蒸気機関車。C11形での技術を活かして電気溶接を多用し、蒸気溜めと砂箱を一体のカバーにするなど、シャープで近代的な外観となった。C57形の登場まで62両が製造され、四国を除く全国各地で1975(昭和50)年まで活躍した。

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C11形64号機 蒸気機関車

C11形は支線や区間運転用として1932(昭和7)年に登場。C10形を基本に、重軸制限の厳しい地方線区にも使用できるよう、薄銅版と電気溶接を用いて軽量化を図ることによって、使用可能な線区が大幅に拡大した。またコンパクトで使いやすいため、1947(昭和22)年までに381両が製造された。西日本を中心に都市近郊やローカル線で旅客、貨物。入換用と多様に活躍し、現在も動態保存機としては最も多くの両数が各地で活躍している。

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C57形1号機 蒸気機関車

C57形は1937(昭和12)年に登場した亜幹線旅客用の蒸気機関車。1947(昭和22)年までに201両が製造され、四国を除く全国各地で活躍し、「シゴナナ」または細身のボディーから「貴婦人」の愛称で親しまれた。1号機は東北本線や羽越本線などで活躍後、1972(昭和47)年からは当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。1979(昭和54)年には「SLやまぐち号」の牽引機となった。

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C58形1号機 蒸気機関車

C58形ローカル線の旅客兼貨物用として1938(昭和13)年に登場した蒸気機関車。旅客用8620形・貨物用9600形と同等の性能を兼ね備え、汎用性も高く、1947(昭和22)年までに431量が製造された。主に千葉、和歌山、四国全域で活躍し、「シゴハチ」の愛称で親しまれた。

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C56形160号機 蒸気機関車

C56形は1935(昭和10)年に登場した蒸気機関車。ローカル線に向けて小型軽量で、ある程度の長距離運転も可能にすつため、タンク式のC12形をベースにテンダー式として燃料の搭載量を拡大させた。160号機は1939(昭和14)年製造の最終号機で、日高本線、津山線、小梅線、七尾線などで活躍し、当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。

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9600形9633号機 蒸気機関車

9600形は、国産で初めて本格的に量産された貨物用のテンダー式蒸気機関車。火室を台枠の上に載せることで大出力ボイラーの実現が可能になったが、重心が高いため高速運転には向かなかった。しかし、使い勝手の良さから1913(大正2)~1926(大正15)年に770両が製造され、全国各地で長く活躍した。最後は北海道の追分機関区で入換機として3両が1976(昭和51)年まで現役を続け、国鉄蒸気機関車の最後を飾った。

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D51形1号機 蒸気機関車

D51形は1936(昭和11)年に亜幹線貨物用として登場した蒸気機関車。C11形やC55形と同様に電気溶接の多様と全長の短縮など軸重の軽量化を図ったことで入換可能線区が拡大し、戦時の貨物需要の増大もあって、国内最多の1,115両が製造されて国内のほぼ全域で使用され「デゴイチ」の愛称で親しまれた。1号機をはじめとする初期形は、給水温め器が煙突後部に設置されカバーで覆われており、「半流線形」「ナメクジ」などと呼ばれた。

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D51形200号機 蒸気機関車

D51形200号機は、1938(昭和13)年に浜松工場で製造された。給水温め器を煙突前に設置して軸重の配分を変更しており、初期形に対し「標準形」と呼ばれる。主に東海道本線や中央本線で活躍し、1972(昭和47)年に当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。一旦は車籍が抹殺されたものの、1987(昭和62)年に復活、2015(平成27)には本線への復帰が決定した。

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D50形140号機 蒸気機関車

D50形は9600形の後継機として、1923(大正12)年から380両が製造された幹線貨物用の蒸気機関車。登場時の形式は9900形でしたが、1928(昭和3)年の称号規定改正でD50形に改められた。戦後、一部は従台車を2軸に増やして軸重を軽減したD60形に改造されている。140号機は、D50形最後の一両として1971(昭和46)年まで九州で活躍した。

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D52形468号機 蒸気機関車

D52形は、1943(昭和18)年に登場した幹線貨物用の蒸気機関車。D51形をベースにボイラーを可能な限り大型化する一方、戦時設計による工程の簡素化が図られた。このため、木材など代用資材が多用されたことなどから十分に性能が発揮できず、1946(昭和21)年に285両で製造が打ち切られた。

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C62形2号機 蒸気機関車

1948(昭和23)年製造のC62形2号機は、1951(昭和26)年に特急「つばめ」の牽引にあたりステンレス製のつばめマーク「スワローエンゼル」が取り付けられた。1957(昭和32)年に軸重軽減や旋回窓などの改造が施され、北海道に渡った後は急行「ニセコ」などで活躍した。1972(昭和47)年に廃車された後に、当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。

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C62形1号機 蒸気機関車

C62形は1948(昭和23)年に登場した幹線旅客用の蒸気機関車。足回りはC59形の設計がベースだが、D52形の巨大ボイラーを流用したため、C61形同様ハドソン形(2-C-2)の軸配置にして軸重を上限内に抑えられた、1号機は、試作機として山陽本線で試験が繰り返され、自動給炭装置も後に装備された。1967(昭和42)年に廃車され、1994(平成6)年に、当館の前身である梅小路蒸気機関車館に移設された。

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C62形26号機 蒸気機関車

1948(昭和23)年にD52形46号機のボイラーを転用して誕生したC62形26号機は、現存するC62形では唯一の川崎車輌(現・川崎重工)製。稲沢機関区に新製配置され、東海道・山陽本線を離れることなく活躍を続けた。1966(昭和41)年に糸崎機関区で廃車となった後は、当館の前身である交通科学博物館で保存・展示された。

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C61形2号機 蒸気機関車

C61形はD51形のボイラーを流用し、改造の名目で1947(昭和22)年より33両が製造された、亜幹線旅客用の蒸気機関車。足回りはC57形がベースで、ボイラーが大きいため従台車を1軸増やして日本初のハドソン形(2-C-2)の軸配置とし、軸重を減らした。自動給炭装置を初めて搭載した蒸気機関車で、主に東北や九州の地方幹線で活躍した。

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0系新幹線21形1号車

21形は1964(昭和39)年に製造された0系新幹線電車の制御電動車で、運転台を備えた下り側の先頭車。開業当初は視認性をよくするため、ボンネットの先端にアクリル製で電照式の「光前照灯」が設置されていたが、後に耐久性の高いFRP製に交換された。

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0系新幹線16形1号車

0系新幹線電車の中間電動車で、車内客室は1等車(現在のグリーン車)。両側2列の回転式リクライニングシートが採用され、シートピッチは1,160mm。出入口扉の押縁には金メッキが施されている。

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0系新幹線35形1号車

0系新幹線電車の中間電動車で、半室が2等車(現在の普通車)、もう半室がビュッフェの合造車。東海道新幹線の開業時から食堂車36形の導入まで35形は、編成中2量連結されていた。

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0系新幹線22形1号車

22形は1964(昭和39)年に製造された0系新幹線電車の制御電動車で、運転台を備えた上り側の先頭車。同じ先頭車の21形とは、集電装置・主変圧器・主整流器などを備えている点が異なる。

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100系新幹線122形5003号車

100系は0系の後継者として、1985(昭和60)年に、2階建て車両を2両連結し、アコモデーションの改善を図った車両。1989(平成元)年には、先頭車を付随車から電動車に変更して2階建て車両を4両とし、高速化の装備を搭載した100系3000番代が登場し、100N系とも呼ばれた。100N系は「グランドひかり」の愛称で東京~博多間の「ひかり」で活躍後、短編成化に伴い改造されて5000番代となり、2012(平成24)年まで山陽新幹線「こだま」に使用された。122形は制御電動車で、上り側の先頭車である。

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500系新幹線521形

521形は1996(平成8)年に登場し.た500系の制御電動車で、下り側の先頭車。500系は0系以来の全電動車方式となり、車体断面も航空機のように円形に近づけた。またトンネル微気圧波による衝撃を抑える目的で、先頭形状を鋭角に絞り込むなど高速化を図っているため、運転室が戦闘機のキャノピーのように張り出しているのが特徴である。1997(平成9)年から「のぞみ」として運転を開始。山陽新幹線内で国内最高(当時)の300㎞/h運転を行って、JR西日本のフラッグシップとして活躍した。

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クハ103形1号車 電車

クハ103形は、1964(昭和39)年に登場した103系通勤形直流電車の先頭車。高度成長期に車両の近代化と量産化を目的として、101系電車をベースに付随車の比率を上げるなど、より経済性を追求した車両で、通勤電車の標準形として1984(昭和59)年までに3,447両が製造さた。クハ103形1号車は1963(昭和38)年に山手線でデビューし、京浜東北線を経て1976(昭和51)年に関西へ転属。大阪環状線や阪和線などで活躍し、2011(平成22)年に引退しました。

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クハ86形1号車 電車

クハ86形は80系の先頭車で、それまでの電車と異なり、運転台付きの車両にモーターを装備していない。展示車両は1次車で3枚窓だが、運転士の視認性向上のため、2次車から大型の2枚窓に変更された。それまでは茶色1色だった塗装からオレンジと緑に塗り分けられ、塗色の多様化のきっかけとなった80系電車は、改良を加えながら600両以上製造され、大都市圏で活躍した後、地方線区へ転出し、1983(昭和57)年に全車が引退となった。

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モハ80形1号車 電車

モハ80形は、1950(昭和25)年に登場した日本初の長距離用直流電車80系電車の中間電動車。80系電車は、電車方式を主体とする動力方式の基礎となった系列で、それまで電動車は運転台付きが原則であったが、長大編成が前提の80系では先頭車は制御装置のみを搭載し、電動車は中間車という区分けを初めて行った。80系はモーター出力の向上や台車を鋳鋼製とし、軸受にベアリングを採用するなど、新技術を採り入れることで、長距離・高速運転に対応し、最大16編成が可能となった。

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クハ489形1号車 電車

クハ489形は、485系に信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠における補助機関車との協調運転装置を搭載した489系特急形交直流電車の先頭車。1号車は1971(昭和46)年に製造された初期形で、485系100番代をベースとしているためボンネットスタイルで、タイフォンはスカート部に搭載しているのが特徴である。「白山」「あさま」などで長く活躍したが、横川~軽井沢間の廃止によって用途を失い、晩年は急行「能登」として2010(平成22)まで活躍、2012(平成24)年に廃車となった。

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クハネ581形35号車 電車

1967(昭和42)年に登場した特急形交直流電車581系は、運用効率を高めるため、昼は座席車、夜は寝台車になる世界初の昼夜両用として481系をベースに開発され、先頭車は分割・併合できるよう貫通式とされた。1968(昭和43)年には交流50Hzにも対応した583系が誕生。ただし、制御車や付随車は581系列を踏襲した。クハネ581形35号車は1968(昭和43)年に製造され、「月光」「みどり」などの特急列車で活躍後、最後の定期急行列車「きたぐに」で2013(平成25)年まで運用された。

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キハ81形3号車 気動車

キハ81形は、日本初の特急用ディーゼルカーとして1960(昭和35)年に登場した。151系特急用電車の成功を受けて開発された非電化幹線における気動車特急用車両で、151系の影響を受けたボンネットスタイルとなり、車内も151系に準じている。当初は特急「はつかり」で活躍し、1968(昭和43)年の「はつかり」電車化で「つばさ」「いなほ」「ひたち」に転用された。その後、1972(昭和47)年には、紀勢本線の特急「くろしお」に投入され、展示しているキハ81形3号車は、1979(昭和54)年に廃車となった。

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DD51形756号機 ディーゼル機関車

DD51形は、1962(昭和37)年に非電化幹線用として登場した液体式ディーゼル機関車。中央に運転室、前後に1基ずつエンジンを配した凸形で、空気ばねの圧力を調整することで軸重を変更でき、亜幹線まで入線が可能である。1978(昭和53)年まで649両が製造され、「トワイライトエクスプレス」などの特急から貨物まで非電化区間の主力機として活躍した。後継機の登場もあり、両数は減少しているが現在も貨物列車を中心に現役を続けている。(2020年現在)

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DD54形33号機 ディーゼル機関車

DD54形は、1966(昭和41)年に登場した亜幹線旅客用の液体式ディーゼル機関車です。西ドイツ(当時)のライセンス供与によって開発された高出力エンジンと液体変速機を搭載し、1971(昭和46)年までに40両が製造された。性能面は優れていたものの、推進軸の強度不足や独特な機構の液体変速機のため保守が困難であり、また西ドイツ側との連携の不備も重なって故障が頻発したこともあり、1978(昭和53)年までに全車が引退した。

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EF52形1号機 電気機関車

EF52形は、国産化の推進と規格の統一を図るため、鉄道省とメーカーが共同で開発して1928(昭和3)年に登場した幹線旅客用直流電気機関車である。9両が製造され、うち2両は後に高速化を図って歯車比を変更したためEF54形に改番された。試作的要素が強いが、国産電気機関車の量産化に向けた礎となった。

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EF65形1号車 電気機関車

EF65形は、安定した走行とけん引力で長距離運転が可能な機関車として1965(昭和40)年に登場した直流電気機関車。けん引力を確保しつつ高速走行が可能で、当初の貨物用から、ブルートレインけん引用の500番代(P形)、重連運転が可能な高速貨物用500番代(F形)、汎用形の1000番代(PF形)と派生し、1979(昭和54)年までに電気機関車では最多の308両が製造された。両数は減少したものの、貨物列車を中心に現役で活躍している。(2020年現在)

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EF58形150号機 電気機関車

EF58形は、1948(昭和23)年に登場した旅客用直流電気機関車。特急や急行のけん引機として活躍したほか、お召し列車の専用機に指定されるなど直流区間全般で使用され、「ゴハチ」の愛称で親しまれた。150号機は1958(昭和33)年に製造され、東海道・山陽本線で長年活躍した後に1985(昭和60)年に廃車となった。しかし翌年に復活してイベント列車を中心に活躍し、2011(平成23)年に引退した。

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EF66形35号機 電気機関車

EF66形は、1966(昭和41)年に試作されたEF90形(後のEF66形900番代)をもとに1968(昭和43)年に登場した高速貨物用直流電気機関車。搭載された電動機の定各出力3900kWは、当時狭軌では世界最大を誇った。1974(昭和49)までに55両が製造され、生鮮品などをはじめとした東海道・山陽本線の高速貨物輸送に従事したほか、1985(昭和60)年から2009(平成19)年の「はやぶさ」「富士」廃止までブルートレインのけん引機としても活躍した。

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ナシ20形24号車 食堂車

ナシ20形は、1958(昭和33)年の特急「あさかぜ」登場にあわせて誕生した初代ブルートレイン20系特急用客車の食堂車。左右4人掛けテーブルが10セットのほか、電気レンジや電気冷蔵庫などが設置されたことにより、厨房設備が初めて完全電化となった。車両の内装が製造会社ごとに異なり、寝台特急の増発もあり36両が製造された。24号車は最終増備車で、1978(昭和53)年には引退し、1980(昭和55)年から旧交通科学博物館の館内食堂として使用された。

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オロネ24形4号車 寝台客車

オロネ24形は、24系客車のA寝台車で、1973(昭和48)年に9両製造された。開放形の2段式(プルマン式)寝台が特徴で、九州方面のブルートレインで活躍した。晩年には「日本海」で使用され、2012(平成24)年に同列車の廃止に伴い廃車となった。ほかには14系オロネ14形を24系に改造した100番代、「北斗星」の2人用個室寝台「ツインDX」用としてオハネ24形から改造した500番代などがあった。

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スシ28形301号車 食堂車

スシ28形は、1933(昭和8)年に食堂と2等座席の合造車スロシ38000形として登場し、1941(昭和16)年の称号改正でスロシ38形に改番された。戦争で食堂車が廃止となり、調理室を残したまま3等座席車に改造され、マハシ49形となったが、戦後にスハシ38形として復活した。展示車両は1962(昭和37)年、交通科学博物館の館内食堂として利用するため、前年に廃車されたスハシ38形102号車を全室食堂として改造したもので車両番号のスシ28形301号は、廃車後につけられた。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


マロネフ59形1号車 寝台客車

マロネフ59形1号車は、皇族・貴賓客用として1938(昭和13)年に1・2等寝台緩急車マイロネフ37290形として製造された3両のうちの1両で、1人用個室寝台と初のプルマン式開放形寝台が採用された。1941(昭和16)年にスイロネフ38形に改番され、戦後は進駐軍が接収し、緩急装置を撤去して冷房改造が施されたスイロネ37形となった。返還後は2等寝台緩急車に改造されマロネフ38形、さらに等級改正でマロネフ59形となった。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


ワム3500形7055号 貨車

ワム3500形は、1917(大正6)年~1925(大正14)年に11,873両製造された大正時代の代表的な15t積み有蓋貨車。登場時の形式はワム32000形で1928(昭和3)年、称号規程の改正によりワム3500形となった。車軸が長軸であったことから戦時中には2,500両が標準軸に改造され、中国に送られた。戦後も引き続き全国で活躍し、晩年は北海道に集約され1970(昭和45)年まで現役を続けた。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


ヨ5000形5008号車 車掌車

ヨ5000形は、1959(昭和34)年、日本初のコンテナ専用特急貨物列車「たから」のため、ヨ3500形の軸箱支持装置を2段リンク式に改造して最高速度85km/hでの営業運転を可能にした高速貨物用の車掌車。当初は12両が改造されたが、1962(昭和37)年からは新造車も加わり、区分するため5050番代となった。このほかにも、1967(昭和42)年以降にヨ3500形から追加改造された13500番代などがあり、最終的には1,000両を超えた。しかし1986(昭和61)年に貨物列車の緩急車・車掌車の廃止により用途を失い、全車が引退となった。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


EF81形103号機 電気機関車

EF81形は、幹線の電化が進む中、交流50Hz・60Hz、直流の電化区間を直通走行できる電気機関車として1968(昭和43)年に登場した。貨物から旅客まで、汎用性の高い標準形機関車として1979(昭和54)年までに関門トンネル用のステンレス製300番代を含む156両が製造された。その後、JR貨物が450番代・500番代を新製している。103号機は、僚機5両とともに塗色が変更され、連結器の交換や強化型緩衝装置の装備などを行い、「トワイライトエクスプレス」のけん引機として活躍した。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


スロネフ25形501号車 寝台客車

スロネフ25形は、「トワイライトエクスプレス」専用24系客車のA寝台車。1889(平成元)年、運転開始に際してオハネ25形2両を、後にオハネフ25形1両を改造して合計3両が誕生した。大阪寄り最後尾に連結され、展望室を備えたスイートルーム1室とロイヤルルーム4室で構成された最も豪華な寝台車で、個室には、ベッドのほかソファーやトイレ、シャワー室があり、定員は6名である。2015(平成27)年の同列車廃止まで活躍しました。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


スシ24形1号車 食堂車

スシ24形は、1988(昭和63)年、食堂車の廃止で余剰となっていた489系電車のサシ489形を改造して誕生した24系客車の食堂車。車内は豪華な内装に一新されたが、車体や台車は流用したために編成中では異彩を放っていた。当初は、青色のブルートレイン塗装でイベント列車などに使用されていたが、1989(平成元)年、「トワイライトエクスプレス」の運転に際し、塗装や内装など再度改造を受け組み込まれ、「ダイナープレヤデス」の愛称で、2015(平成27)年の同列車廃止まで活躍した。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


オハ25形551号車 客車

オハ25形は、「トワイライトエクスプレス」のサロンカー。1989(平成元)年の運転開始に際し、14系のオハネ15形2両を改造して合計3両が誕生した。屋根まで達する大型窓と日本海の眺望が楽しめるソファーが特徴で、フランス語で「北のサロン」を意味する「サロン・デュ・ノール」の愛称で呼ばれた。またシャワー室、電話室、洗面所、自動販売機などのサービス設備も備わっていた。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


カニ24形12号車 電源車

カニ24形は、24系客車の電源車。発電機を搭載し照明、冷房、放送などのための電力を供給した。また、新聞輸送用の荷物室が設けられている。0番代の車掌室は非貫通で左右に傾斜が付けられているのが特徴で、「トワイライトエクスプレス」用には4両が充当された。

情報所有館 : 京都鉄道博物館 


ラットに発生した吉田肉腫

吉田肉腫はしろねずみ(ラット)の腹水がんである。1943(昭和18)年に長崎医科大学で腹水がんを発見した。腹腔内にたまっているネズミの腹水をみるとがん細胞が浮遊して増殖していた。画像左のラットが腹水肝がんAH-130であり、画像右のラットが移植した腹水肝がんAH108である。

情報所有館 : 吉田富三記念館 


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