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100年前の鉄骨柱(再現)

リベット接合で組み立てられた明治期の鉄骨柱および梁とのの接合部分を、当時と同様の工法で復元したもの。参考としたのは旧三井本館(1902年竣工)の鉄骨柱。鉄骨回りには煉瓦をはめ込んだ形式となっている。年代:2004年

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現代の接合方法を用いた鉄骨柱

リベット接合で組み立てられた明治期の鉄骨柱と梁の接合部分を、現在の接合法で製作した同サイズの鉄骨柱。年代:2004年

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三河屋ビル煉瓦躯体と外装タイル

三河屋総本店(墨田区緑)ビルの煉瓦躯体と外装タイル。1991年に解体された際に採取したもの。年代:1922年

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旧菅島燈台付属官舎主屋で使われた煉瓦

旧菅島燈台付属官舎主屋(三重県鳥羽市菅島町)に用いられたもの。お雇い外国人リチャード・ヘンリー・ブラントン(イギリス人)の設計。年代:1873年頃

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江の島サムエル・コッキング苑の温室に使われた煉瓦

江の島サムエル・コッキング苑(コッキング植物園温室遺構)から出土したもの。横濱煉化製造会社製造とされている。年代:1888年頃

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旧唐津銀行本店で使われた化粧煉瓦(外装タイル)

旧唐津銀行のオレンジがかった施釉の化粧煉瓦(外装タイル)、タイルを煉瓦造に張った初期の事例。田中 実設計。年代:1912年

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日本工業倶楽部会館で使われた外装タイル(複製)

日本工業倶楽部会館 大正9(1920)年に用いられた化粧煉瓦(竪筋小口タイル)の複製。 当初の製造は鳥井製陶所。横河工務所 設計。年代:2004年

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旧帝国ホテルで使われたスダレ煉瓦

旧帝国ホテル本館に用いられたスダレ模様の表積煉瓦(スダレ煉瓦)。帝国ホテル直営の煉瓦製作所で製造された。このうちスダレ煉瓦はスクラッチ煉瓦と呼ばれ、以後、無釉外装タイルの代表的なものとして、大正末期から昭和10年代初頭にかけて多くの建物に用いられた。年代:1923年

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古代コンクリート

イタリア ポンペイの遺跡から採取されたローマ時代のコンクリートの一部。住居の床として使用されていたコンクリートと推察される。年代:紀元10年代

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七尾港桟橋のコンクリート

七尾港桟橋は昭和14(1939)年に建設、改修工事のため撤去された桟橋より採取されたもの。約65年間にわたり、北陸地方海岸という極めて厳しい環境下に耐えてきたコンクリート。採取したコンクリート塊から測定された最大粗骨材寸法は43mmと比較的大きなものが使用されていた。年代:1939年

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東京湾口第三海堡のコンクリート

第三海堡は明治政府が敵艦の東京湾侵入を阻止する目的で東京湾入り口の海中に建造した砲台を有する人工島。大正10(1921)年までに第二・第三海堡が完成した。第三海堡は竣工からわずか2年後に起こった関東大震災により水没状態となった。2000年からはじまった撤去作業により、陸上に引き上げられた第三海堡から採取されたもの。約80年間海中にあったと推測される。年代:1920年代

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蛸(たこ)

コンクリートを締固める道具。硬練りのコンクリート打込みの際、層の上面に水がしみでるまで表面に叩きつけ突き固めた。年代:昭和初期

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カーンシステム配筋

アメリカで開発されたカーン・バーとリブ・バー(異形鉄筋)を組み合わせた梁の配筋法。アメリカの土木技師カーンによって1903年に特許が取得されている。ひし形の異形鉄筋にウイング(翼骨、ひげ筋)が取り付けられ、せん断補強筋の役目を果たすとも言われた。大正期から昭和初期にかけて多く用いられた。1923年関東大震災でこの配筋に被害が多かったとも言われ、採用されなくなった。旧第一銀行函館支店の梁に使用されたもの。年代:1921年

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ディニエ印字電信機

フランスのディニエ社により1860年頃に製作された印字式モールス電信機です。インクのついた円盤にテープを軽く押し付けるとテープ上に符号が印字される仕組みで、ゼンマイ駆動の時計仕掛けが使われています。榎本武揚が1862年に幕府によりオランダへ派遣された際に入手し、1868年に榎本が戊辰戦争へ参戦する際に函館の運上所に預けられた後、所在不明となっていました。その後、愛宕山下の古道具屋で明工舎の沖牙太郎に買い取られ、1881年に榎本が会長を務めていた電気学会の第3回電気学会講演会で、逓信省技術官僚の吉田正秀によってこの電信機が紹介されことをきっかけに逓信省に寄贈され、現在に至っています。

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自働郵便切手葉書売下機

この機械は、1904年、山口県赤間関(現在の下関市)の発明家俵谷高七により考案された「自働郵便切手葉書売下機」というもので、日本に現存する最も古い自動販売機です。写真向かって右側に3銭切手の発売口、左側に1銭5厘のはがきの発売口があり、中央下部には硬貨の返却口とポストが付いています。はがきは、1銭5厘入れると1枚、3銭入れると2枚出てくるようになっています。また、在庫が無くなると、売切れの表示もできる仕組みになっています。しかし、この販売機は、装置作動の正確さにやや難点があり、実用化されませんでした。

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デルビル磁石式壁掛電話機

1869年、ガワーベル電話機に代わり、デルビル磁石式電話機が登場しました。加入者は磁石発電機のハンドルを回して電話局へ信号を送り、電話局からは自動変極器からの交流を加入者に送り、加入者電話機のベルを鳴らしました。この磁石発電機をもつ電話機のことを磁石式電話機と呼んでいます。木箱の中に磁石発電機、磁石電鈴、誘導線輪などの附属品が入っており、一次電池はそのすぐ下にテーブルのように取り付けた別の木箱の中にレクランシー電池2個が入っています。デルビル電話機は壁掛型の他、卓上型も作られました。その後、共電式、自動式と並行して小規模局で1965年頃までの長期にわたって使用されました。

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ドイツ製足踏式押印機

これはドイツ製足踏式押印機で、1884年当時駅逓総官であった野村靖が欧州に出張した際に公的に購入したものと伝えられています。19世紀後半には、各国とも近代郵便制度が社会に浸透したため差し出される郵便物が増加し、手作業による押印作業は困難を極めるようになりました。そのため、各国とも押印機の研究開発に努め、ドイツで開発されたのがこの足踏式押印機でした。このドイツ製足踏式押印機は東京郵便局で試用されましたが、1分間に100通前後しか押印できなかったようです。これは日本の封筒の紙質がこの機械の性能に合わなかったためで、残念ながらこの押印機の導入は幻となりました。

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人車(じんしゃ)

郵便が創業して間もない頃は、郵便物の輸送には専ら「人車」(じんしゃ)が用いられていました。人車は人力で荷物を運ぶ車で、郵便物運搬用の人車には枠車と函車の2種があり、赤い躯体と大きな車輪が特徴的でした。現在の郵便局のバイクや郵便自動車は赤い色ですが、郵便物運搬用の人車にはすでに赤い色が使われていたことが分かります。当時、赤い人車は大変珍しく、町なかでは非常に目立っていたため、「東京中の多くの人々に郵便のことを知らせる広告となった。」と、後に前島密が『郵便創業談』の中で語っています。1892年に小包郵便の取扱いが開始されてからは、人車は小包の輸送のみならず、配達にも利用されました。

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竜文(りゅうもん)切手

日本で最初に発行された郵便切手は、郵便創業の明治4年3月1日(新暦では1871年4月20日)に発行された4種類(四十八文・百文・二百文・五百文)です。この切手の意匠には、当時の政府発行の紙幣(太政官札)に使用されているのと同じ「竜(りゅう)」が描かれ、料額の単位が「文(もん)」であることから「竜文(りゅうもん)切手」(竜文切手4種)と呼ばれています。

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八角時計

郵便物を時間どおりに取りあつめたり運送したりするため、1874年から全国の郵便役所や取扱所に配備されました。当時は時計がめずらしかったので、郵便局に置かれた時計を見るために局を訪れる人もいたといいます。

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報時器

からくり儀右衛門こと、田中久重が開発した日本最古の報時器です。この報時器による正午の正午報(時報)は、1878年から開始されました。

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ガワーベル電話機

前島密が日本に電話事業を導入した創業当時の電話機で、これは日本初の実用機でした。1879年、イギリス人のガワーが発明した送話器とアメリカ人のベルが発明したベル電話機を組み合わせて作られたもので、「ガワーベル電話機」と呼ばれています。

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郵便行李

郵便創業時の郵便行李。この中に郵便物をあて先別に小袋に入れ格納し、郵便逓送人が肩に担いで、宿駅間をリレー式に継ぎ送りました。郵便を格納するものの名称は、郵便行李から郵便行嚢となり、その後は郵袋となりました。現在はプラスティックケースとなり、パレットに積まれて搬送されています。

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エジソン・スプリングモーター

福井県立こども歴史文化館内で一番古いタイプの蓄音機です。残念ながら写真でわかるようにリプロデューサーとホーンが欠如してます。1895年製でエジソンが蓄音機を発明して18年後の製品です。(以前にも述べましたが、電球及び発電システムの開発で10年程蓄音機開発の空白期間があります。)すでに3モデル程製品化した後のモデルで、エジソンとしては初めてゼンマイを使用したモデルです。トライトンと呼ばれる3重のゼンマイがつけられ、2分ロウ管レコード用です。価格は、40ドル。このデザインは後の“コンサート”型の初期タイプにも使用されています。

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エジソン・ホームA(スーツケース型) 

トライアンフ型の機構を簡略化して家庭用として売り出したモデルです。動力源はゼンマイがシングルで、2分ロウ管レコード用です。この“ホーム”シリーズの最終モデルは、Fタイプです。特長はオークのシグネットホーンが付けられたことと、4分ロウ管レコード専用になったことであります。ホーンが本体外部に有るタイプでは、最終の部類です。

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エジソン・ジェムD

ボディの色が赤になり、朝顔型のホーンが今までの製品より大きめの物が取り付けられました。2分、4分レコード共用で、レッドジェムの愛称で親しまれました。1912年まで製造されました。

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エジソン・コンサート

ロウ管蓄音機が発売されると、少しでも良い音で再生できないか考えられました。ロウ管の外径を大きくし(5インチ、127ミリ)、回転速度がスタンダード品と同じであれば、単位時間当たりの針先走行距離が多くなり、音が良くなる原理に基いています。(後のアナログステレオレコードで、33回転から45回転にしてハイグレードレコードを作製したのと考えは同じです。)このモデルは、1899年から1901年まで製造されましたが、その間にキャビネットが3回も変わっています。エジソン唯一の5インチ円筒レコード用でありますが、標準円筒レコードも使用出来る様になっています。

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エジソン・アイデリアD-2

シリンダー型後期の高級モデルで1911年まで製造されました。ケースはマホガニーでユニット部は模様入りの塗装がほどこされています。ホーンは合板のシグネットホーンが取り付けられています。2分、4分レコード両用です。このモデルの後継モデルで、最後の外部ホーン付となった傑作機は“オペラ”という名称のモデルです。オペラ以後のモデルはすべてホーン内蔵型となりました。

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エジソン・トライアンフE

エジソンの蓄音機も新型が出るに従い、デラックスなモデルと変化していったが、シリンダータイプの末期に近いこのモデルも合板シグネットホーン、新型大型リプロデューサー、3重のゼンマイ、2分、4分レコード両用と多彩な機能を持っています。しかし、市場の大勢は円盤レコードに移行しており、1913年にはエジソンもついにロウ管型蓄音機の生産をすべて中止することになりました。(エジソン・トライアンフAも所有しています)

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エジソン・ファイアサイドB

セルロイド製のブルーアンベロールレコード(4分再生)を演奏するための普及型プレーヤーとして発売されました。このB型は、改良型ゼンマイを使用し、2分、4分レコード両用になっています。2分、4分の切替えはプレーヤー左側のボタンを押したり、引いたりすることにより行ないます。黒ワンス塗装をした朝顔型シグネットホーン付きで1913年まで製造されました。

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エジソン・アンベローラ1A

ホーンを本体内キャビネットに内蔵した、エジソン社の1号機。アンベロールレコード用として開発されました。アンベローラ蓄音機は4台保有していますが、その後に発売されたアンベローラ・シリーズも含めて最も大型で豪華な造りになっています。M型のリプロデューサー再生P.U付で2分ロウ管、4分ロウ管のレコード両用です。当蓄音機は、他のモデルと大きく異なる点があります。それは、リプロデューサーが固定されており、その代りにシリンダーが右から左へ移動するようになっています。

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エジソン・アンベローラ6

ホーン内蔵型で一つのシリーズを形作ったモデルです。アンベロールレコード専用として、このモデル以外にも数機種発売されました。機能的にはロウ管型蓄音機として、エジソン社の技術が十分注ぎ込まれており、完成度の高いレベルに達しておりました。

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エジソン・アンベローラ50

駆動はギア式が採用されて、安定した性能を有し当時50$で売られていました。

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エジソン・ベル・エラ

1907年製造のモデルですが、この頃はすでにシリンダー型蓄音機の売上げは急激に低下しており、1908年にはエジソンもディスク型蓄音機を発売することになります。尚、エジソン・ベルはシリンダーの製造を1912年まで続けました。エジソン・ベル社は、エジソンやベルなどの特許を使用することを目的として1898年に英国に設立された会社です。このエラモデルは、エジソンスタンダードと同等の仕様になっています。

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エジソン・ベル・ジェム

このジェム型はアルミニュームホーン付で捲き上げはチョウネジではなくクランクによって行なっています。光沢仕上げのオークケース入りの製品が2ポンド5シリングで売られました。

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エジソンA-100

標準的なモデルです。円盤再生用蓄音機のシリーズ中の機能は同程度でした。ユニークな構造のトーンアームとリプロデューサーにダイヤ針を使用しています。(ダイヤモンドディスクの命名の由来です)アームと連動しているホーンなど、他には見られない多くの特長を持っています。福井県立こども歴史文化館にあるA-100は初期のモデルです。

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エジソンC-150

機能的には、円盤再生用エジソン蓄音機の他機種と全く同一です。ちなみに、エジソンは蓄音機とレコードの製造を1929年まで続け、以後完全に業界から撤退しました。

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エジソンC-250

エジソンの代表的な高級モデルで、ダイヤモンドディスクチッペンデールと呼ばれました。チッペンデールとは、18世紀イギリスの家具デザイナー、トーマスチッペンデールの名前を取り上げて命名されています。デザイン、大きさ、再生音などいずれを取っても他を寄せ付けぬ性能を持っています。機能的にはリニア、トラッキング的なアームとサウンドボックス、リモコン操作によるアームリフター、トランペットのミュートみたいな音量調節機構が付いています。C-250には有名なオペラ歌手との声のすりかえ実験が何度も行なわれています。C-250の名称の由来は、当時250$で販売されたためです。

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ビクトロラIV

ビクター社が最初に発表したホーン内蔵型蓄音機です。このタイプはビクトロラと名付けられました。このことは、従来からの蓄音機のイメージをすっかり変えてしまい、他社メーカーに大きな影響を与えました。この製品が発売される以前の1903年にはトーンアームが発明され、ビクター社により実用化が計られ、サウンドボックスと分離したホーンは大型化されています。以後ホーン内蔵型が主流となり、大きさとは無関係に音質の向上が計られました。このモデルは、外部ホーン付のD型と同じ部品が使用されています。

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ビクトロラ11

11型は、フロア型としては標準的な大きさと性能を持ち、当時よく売れた蓄音機となりました。本体はマホガニー材で12インチのターンテーブル、グースネックのトーンアームにNo.2のサウンドボックスが取り付けられており価格は当時110ドルで売られていました。

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ビクトロラ16

4本ゼンマイモーターで12インチのターンテーブルを駆動しています。金属部分は、金メッキされており、オートストップ機構、スピードインジケーターも取り付けられています。ホーン開口部は他と比較すると小さめです。この一連のビクトロラは随時各部の変更が行なわれながら、長期間生産されました。

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ビクトロラ210

1919年にRCA社が設立されました。 翌年よりラジオ放送が開始されると人々の関心は急速にレコードより離れていきました。RCAの業績が急進していく反面、レコードの生産量は急激に減少しました。その様なタイミングで発売されたのが210型です。フロア型で天面が初めてのフラットデッキスタイルです。左側がレコード棚になっていましたが、1924年になると、ラジオが収納できるように変更されました。ラジオによる音響機器のショックは、ラジオよりレコードの方が音響的に優れていたためまもなくおさまり、再びレコードの売上げが回復し上昇に転じました。

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ビクトロラ410

アコースティック録音最後期のモデルです。かなり豪華なコンソール型で向って右側がホーン部、左側がレコード棚になっています。トーンアームなどはすべて金メッキが施され、4重ゼンマイモーターが使用されています。サウンドボックスはNo.2です。

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ビクトロラ コンソレット

1925年になると電気録音の時代に入りました。蓄音機も多くのモデルが紹介されるようになりました。この蓄音機は、クレデンザ(ビクトロラVV8-30)、グラナダと同時期に発売されました。サウンドボックスは新型になりコンソレット型にはストレートホーンが採用されました。このモデルは後にクレデンザに対してセミ・クレデンザとも呼ばれたモデルに発展しました。

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ビクトロラ VV8-12

コンソレット型より発展したセミ・クレデンザと呼ばれるモデルです。クレデンザより一回り小型なので、このように呼ばれます。レコードプレーヤー部は金メッキされ、重厚さはクレデンザに遜色ありません。こちらのほうを好む人も多いです。

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ビクトロラ グラナダ

クレデンザ、コンソレットが縦型に対して当グラナダは横型になっています。サウンドボックス、トーンアームなどは他のモデルと共通ですが、ホーンはコンソレットと同様のストレートホーンです。音質はストレートホーンらしく、クリアで上品です。ホーンはグリルがなくその両サイドにレコード入れがあります。キャビネットはマホガニー製で他のモデルと同様に気品ある仕上がりになっています。

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コロムビア グラフォフォンQ

この頃はシリンダーレコードの全盛期で、エジソン社のフォノグラフレコードと激しい競争が行なわれていました。このQ型は必要最小限の機能としコストダウンを図ったモデルで、5ドルで発売され、大きな話題になりました。シリンダーの寸法はエジソンタイプと異なり細身の形状でした。ベルにより開発された製品で、エジソンタイプより先行していましたが、商品ではエジソンタイプのほうが優位に立ち、シリンダーレコードとしてはコロムビアは勝ち残れませんでした。

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コロムビア グラフォフォンAT

他にAO型がありましたがそれより外観内容が簡略化されています。アルミニウムのホーンが取り付き、オーク材キャビネットに入って20ドルで売られました。このモデルは1900年のパリ万国博覧会で大賞を受賞したことで知られています。

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コロムビア グラフォフォンBO

コロムビアはすでに1902年にシリンダレコードの製造を中止していましたが、蓄音機は造り続けました。このBO型はコロムビアのシリンダレコード用としては最終モデルと思われます。2分間、4分間レコードの両用で当時流行の朝顔型ホーンがついています。

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コロムビア グラフォノラ

ホーン内蔵型蓄音機でグラフォノラと呼びます。丁度ビクターがこのタイプの蓄音機をビクトロラと呼ぶのと同様です。このホーン内蔵型蓄音機でコロムビアはビクターに大幅な遅れを生じました。それはビクターがトーンアームの特許権を持っていたからです。今も昔も特許権の重要性は変わらないのです。当モデルより先行したモデルが1911年になってやっと発売されましたが、当モデルでサウンドボックスは新型になりましたが、他の機構は旧モデルと変わりません。前面のホーン開口部の可変ルーバーはコロムビアだけのもので、長期間に渡って採用されました。

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