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家庭用ミシン HA1-B2

戦後復興第1号モデル。丸型アーム開閉式カマ、ドロップフィード付。1947年

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家庭用編機 KH1-B3

ミシン部品製造でのプレス加工技術の応用で、多角化経営の一番手となった編機の初期モデル。160目・針ミゾピッチ4.23。8,800円。1955年

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欧文ポータブルタイプライター JP1-111

米国販売会社からの要請を受け、製造販売に踏み切った当社初のタイプライター。活字製造設備を自社開発し、高性能かつ低コストで好評を博した。1961年

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タッピングマシン ハイタップ BT1-203

創業以来、主要部品の製造設備は自社で設計・製作しており、その蓄積された技術を製品化したもののひとつ。高精度のネジ切削を可能にし、製品の合格率向上に貢献した。現在のブラザーマシニングセンタの原点。1962年

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電卓 キャルサー130

2年間の研究・開発を経て生産された電子式卓上計算機。ゲルマニウムトランジスタ使用・表示方式ニキシー管・加算方式4則・13桁。当社本格的エレクトロニクス製品1号機。36万円。1966年

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電動ミシン ペースセッター ZZ2-B701

家庭用電動ジグザグミシン。ジグザグ発生機構に従来の三角カム方式を改め、ディスクカム方式を採用。それによりさまざまな模様縫いが可能となった。軽合金製ミシンの幕開けとなったモデル。53,700円。1968年

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電動オルガン GO-311

既存のモーター技術・ミシンテーブルの木工技術を活かし、楽器部門に進出した初期のモデル。61鍵・総2列笛・トレモロ装置付。46,800円。1969年

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洗濯機 新珠 WF-331

業界初・外装部材がすべて樹脂製のさびない洗濯機。ウール製品が安心して洗える「IWS国際羊毛事務局選定」製品。あらゆる電気系統に二重安全機構を施す。44,800円。1970年

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高速ドットプリンター M101

米国ベンチャー企業のセントロニクス社との共同開発製品。印字速度 165字/秒、ライン60行/分(132文字) ショートライン200行/分 ドット数7×5 重量69kg 約150万円。1971年

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家庭用電子ミシン コンパルDX

国内初の電子ミシン。手元レバーによりスタート・ストップ・返し縫い操作が1本の指で行える。正面全回転カマ、プッシュボタンでの電子制御三速切替、ジグザグ幅・送りピッチ自動選定、針上停止機能付、コードリール内蔵。128,000円。1976年

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ボール活字電動タイプライター ZORONGO203

電子駆動化直前の電動タイプライター。ボール形エレメントの交換で、異なる書体でのタイピングが容易。ボール活字にナイロン系の熱可塑性樹脂・誤字修正機構にリフトアップリボン方式・コレクタブル1カーボンリボンをそれぞれ採用。103,000円。1978年

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家庭用コンピュータミシン オーパス8

業界初コンピュータミシン。コンピュータ制御、電子音警告、ボタン式自動模様選択、サイドカッター付、スーパーセミオートジグザグ。188,000円。1979年

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電子編機 トピカル KH-910

当社初電子編機。模様カード方式。200目・針ミゾピッチ4.5。大柄模様が編め、模様の向きや倍率の変更、編み直しが簡単にできる。158,000円。1980年

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電子オフィスタイプライター EM-1

当社初のビジネスモデルとなる電子タイプライター。花弁型活字ホイール搭載。リニアモータ方式のため低騒音化を実現。1984年ロサンゼルスオリンピック公式タイプライター認定モデル。341,000円。1980年

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デイジーホイールプリンター HR-1

電子タイプライター・EM-1のプリンター版(出力専用)。花弁型活字ホイール搭載。印字速度:16文字/秒 アメリカを中心に出荷され、1,000ドル以下のデイジーホイールプリンタとしてはアメリカ市場の72%を占めるに至った。1982年

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電子パーソナルプリンター EP-20

世界最小のキーボード付電子プリンター。電池駆動で当社初の熱転写印字方式。12桁までの四則演算も可能。重量2.3kg・A4サイズと持ち運びが容易で場所を選ばず印字・印刷ができるため、欧米を中心に人気を博した。1982年

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日本語ワープロ ピコワード

国内初10万円以下パーソナルワープロ。ただ当初は「ワープロ」というカテゴリではなく、「日本語タイプライター」としていた。その後のパーソナルワープロ市場の火付け役となった製品。電池駆動、2.7kg、熱転写印字方式、50音順キー配列、12桁液晶ディスプレイ。88,000円。1984年

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CNCタッピングセンター TC-211

業界初の主軸1回転につき1ピッチの完全シンクロ送りを実現した、小型NC工作機。高速タッピング可能(2,000r.p.m)、幅1,690mm・奥行2,370mmの機電一体省スペース機。1985年

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ソフト自動販売機 ソフトベンダーTAKERU

当社における通信ネットワークを活用した事業のスタートモデルとなったパソコンソフト自動販売機。「パソコンソフトのかさばる在庫無し・品切れ無し」をうたい文句とした画期的な製品。本体画面上で欲しいソフトを検索し、お金を投入するとISDN回線を利用してソフトがフロッピーディスクに書き込まれ、同時に使用マニュアルも本体横プリンターから印字されるというもの。不正コピー防止技術も併せ持っていた。1986年

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ラベルライター ピータッチ PT-6

日本語ワープロでの熱転写印字や、かな漢字変換の技術などを応用した、国内初のラベルライター。印字テープにラミネート加工を施し、擦れや水、薬品等にも強いさまざまな場面に使えるテープが標準仕様。なお国内では当初OEM製品として出荷していた。1988年

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通信カラオケ JOYSOUND JS-1

ソフト自販機TAKERUで培った通信ネットワーク技術を使用した、それまで無かった通信カラオケという新しいシステムを築き上げたモデル。当時の主流・レーザーディスクカラオケの課題であった配信スピード、スペースの問題をクリアした。最大10,000曲収容、30×24.5×38.5㎝。1992年

情報所有館 : ブラザーミュージアム 


モノクロレーザーデジタル複合機 MFCー4500ML

SOHO等のユ-ザ-のPC普及率が急速に高まり、FAXとPCを接続したいというニーズに応えた小型複合機。1台でファクス・コピー・プリンター・スキャナー・PCファクスが可能。既に製品技術として単独で持っていたレーザープリンターエンジン、FAX、スキャナー等、自社技術要素の融合により実現。小型でありながら多機能の製品で海外市場から高く評価された。1995年

情報所有館 : ブラザーミュージアム 


秋草蒔絵入子薫香盒子

ヤンポ型の香箱は、小器の蓋にそれぞれ「ちよくさく(勅作)」「上のちん(沈香)」「中のちん」「たきもの(薫物)」「徒希本之(つけほし・付干)」と蒔絵で記されているため、香を入れるための器と知ることができる。勅作の薫物を手元に置くことの許された貴人の日常にあった道具と判明する。(江戸時代初期)

情報所有館 : 松栄堂 薫習館 


潜水具

人間が水中に入って行なわれる漁や作業では、特別な器具をつけずに潜る素潜りのほか、ボンベや潜水具を身につけて潜る方法がある。潜水具を使用した方法では、潜水士は潜水服を着て、水圧に耐えるヘルメットを被り、鉛の靴などで装備を整え水中に入った。ヘルメットは船上のポンプとホースで結ばれ、ポンプから送り込まれる空気で呼吸を確保し浮力も得た。潜水具は、港で防波堤の基礎を作る際の潜水作業で欠くことのできないものだった。現在、紋別のホタテ漁では桁網が使用されるが、潜水具を使用してホタテを漁獲していたこともあった。この「潜水具」は紋別漁業協同組合より寄贈されたもので、昭和初期(戦前)か大正時代の製作と推定される。

情報所有館 : 紋別市立博物館 


肥料播き器

かつての農業において施肥(肥料播き作業)は、腰を屈めて行なわなければならない大変な重労働であった。身体的負担を軽減し、正確な施肥を行なうために考案されたのが、「ラッパ」(紋別では別名「つっぽ」)と呼ばれるブリキ製で筒状の農具である。肥料を入れた箱や袋を肩や首からぶら下げ、ラッパに肥料を流し込んで播くことで、肥料が風に飛ばされることもなく、立った姿勢での施肥が実現した。その後、ブリキ製で肩掛けタンク型の肥料播き器(中央の穴に首を通し、ラッパと組み合わせて使用)が開発され、疲労を抑え、効率的な施肥ができるようになった。紋別では肩掛けタンク型の肥料播き器は昭和初期に使用された。

情報所有館 : 紋別市立博物館 


榎本武揚筆「学後知不足」の扁額

この額の言葉の出典は『礼記』であり,これによると「学後知不足」の後に「教然後知困」が続く。 「学問をしてみて初めて自分の知識不足がわかり,教えてみて初めて勉強の難しさを知る」という内容の言葉である。常に学ぶことの大切さを感じて人生を送った榎本の謙虚で真摯な姿勢がよく表われ,榎本ゆかりの北海道に新たに興った本キャンパスの学生への言葉として意味深く相応のものである。 ※本学は1891年に榎本武揚が創立した「徳川育英会育英黌農業科」を原点としています。

情報所有館 : 東京農業大学 生物産業学部図書館 


機関車転車台

蒸気機関車の進行方向を転換させるために造られたもので、鉄製で直径約18m。建設当時は手動により回転させていたが、現在は電動で回転する。蒸気機関車が走っていたころは4箇所で使用されていたが、現在では天竜二俣駅のみに残されている。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


機関車扇形車庫

木造平屋建、波形ストレート鉄板葺で建築面積は686㎡。現在は右側2両分が切り縮められ、4線分の格納が可能。総木造で庫内に下る柱を少なくするために力強い架構を持つ。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


運転区高架貯水槽

鉄筋コンクリート造の高架貯水槽。蒸気機関車へ大量の水を補給するため、高い位置に貯水槽が置かれ、水の重力によって補給を行っていた。6本の脚の上に、内容量70トンの貯水槽が載る。脚の内側に揚水施設のポンプや配管の一部が残存する。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


運転区揚水機室

木造平屋建の大きく窓のついた簡易な建築。室内に揚水ポンプの一部が残存し、隣接して外径3.6m・高さ1.1mの鉄筋コンクリート造りの井戸を付設。水を井戸から汲み上げ貯水槽へ送る。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


運転区事務室

木造平屋建で、一部が二階建てとなっている。外壁は杉板縦張り、ガラス窓は格子桟付の木製が特徴。現在も事務室・会議室として使用している。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


運転区休憩所

事務室棟の背面に並んで建ち、事務室等との間に屋根を渡してつないでいる。内部に休憩室、湯沸所、青写真室、便所を配している。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


運転区浴場

木造平屋建、日本瓦葺で事務室棟に沿って並ぶ。現在は使われていないが、内部には浴槽が当時のまま残存している。事務室棟・休憩所とは屋根だけの渡り廊下で結ばれている。年代:1940

情報所有館 : 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館 


オルガン(製造番号3064)

現在のヤマハ株式会社の創業は、1887年(明治20年)に山葉寅楠が浜松の小学校にあった壊れたオルガンの修理に成功し、オルガン製作を決意したのがきっかけ。このオルガンは、山葉寅楠によって製作された現存する最古のものの一つと考えられる。鍵盤の上のプレートには、「山葉製造」「MANUFACTURED BY YAMABA」の文字が見られる。創業当時は「YAMAHA」ではなく、「YAMABA」と記されていた。年代:1880年代後半

情報所有館 : ヤマハ株式会社イノベーションロード 


箱根越えレリーフ

現在のヤマハ株式会社の創業者である山葉寅楠は、1887年(明治20年)に浜松で、飾り職人をしていた河合喜三郎と協力しオルガンを完成させた。そして、その出来栄えの評価を受けるため東京の音楽取調所(東京芸術大学音楽部の前身)へ持ち込んだ。 当時はまだ浜松から東京まで鉄道が通じておらず、箱根山を越える際には天秤棒で担いだとも伝わる。このレリーフは、会社創立30周年記念行事のひとつとして本社内に建立された寅楠銅像の台座に埋め込まれていたもの。銅像は第二次世界大戦中に供出され現存しない。年代:1929年

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自働演奏ピアノ

空気式の自働演奏ピアノ。自動ではなく、自働の字が当てられている。演奏で発音させるタイミングに穴を開けたロール紙を取り付け、ペダルを踏むと、ロール紙を巻いていくのと同時にふいごで空気が送られ、鍵盤機構に繋がっているバーの穴とロール紙の穴が一致したところで空気が流れることによって鍵盤機構を動かし、発音する仕組みだった。後年はモーターが取り付けられて完全な機械式の自動演奏ピアノとなる。個人宅や学校、教会、店舗などに普及した。年代:1913年

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航空機用木製プロペラ

日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)は、木工技術と合板技術が注目され、航空機用木製プロペラを受注、1921年に製造を開始した。プロペラ開発で培った製造技術や工作機械が、後のオートバイ製造への礎となった。本体横に「大正14年11月 日本楽器會社製作」の刻印がある。製番/155 木製・胡桃材 年代:1925年

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オートバイYA-1

日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)が開発したオートバイ。1954年8月に試作車を完成させ、1955年2月にYA1型ヤマハ125ccとして発売、えんじ色のスリムな車体から、“赤トンボ”の愛称で呼ばれた。1955年7月の第3回富士登山オートレースや同年11月の第1回浅間高原全日本耐久ロードレースで上位を独占し、高い走行性能を実証。 同年7月、オートバイ部門を独立し、ヤマハ発動機株式会社を設立した。年代:1955年

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エレクトーンD-1

日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)の電子オルガン「エレクトーン」1号機。Electoronicとtoneを合わせて命名された。当時の電子回路は真空管が主流だったのに対し、メインアンプ以外を全てトランジスタで構成。上鍵盤、下鍵盤、足鍵盤という3段構成の鍵盤に、エクスプレッションペダル、膝で操作するニーレバーを装備。トーンレバーでさまざまな音をミックスして音色を作成するという画期的な電子楽器である。2019年、未来技術遺産に登録。年代:1959年

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エレクトーンGX-1

「電気的な冷たい音ではなく、楽器に近い自然で生きた音をつくる」というテーマを研究し完成したエレクトーン(電子オルガン)。 音程・音色・音量の時間的な変化を可能にする集団電圧制御によるシンセサイザー36台分の音源が入っており、ヤマハのシンセサイザー開発の第一歩とも言える。GX-1はキースエマーソンやスティービーワンダーの使用でも有名で、ドリームマシンと称賛された。年代:1975年

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ウィンナホルンYHR801

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からの依頼により開発されたウィンナホルン。ウィーンフィルは現代の楽器とは構造が異なる管楽器を演奏しており、伝統的な独特の音色を響かせることで知られている。しかし、それらを製作していた欧州の工房が後継者不足などによって次々と廃業してしまったため、日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)が、ウィーン式ロータリー・トランペット、トロンボーン、ウィンナオーボエ、ウィンナホルンを製作・供給することになった。これらの楽器の開発により、「ウィーンフィルの伝統的な音を救った」として1992年にウィーンフィルからヤマハに感謝状が贈られた。年代:1978年

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スピーカーシステムNS-1000M

硬度と軽さ、剛性のすべてにおいて理想の素材とされながら、加工の難しさから幻と言われたピュアベリリウム振動板を採用した最初のスピーカーシステム。ワイドレンジで正確な音調、輝くような中高音の開放感とクリアネスは発売と同時に世界中で大きな反響を呼ぶ。1976年にはスウェーデン国営放送がヤマハNS-1000Mを公式モニタースピーカーに選定するなどプロモニターとしても信頼を集めた。1997年まで23年間にわたり20万台以上を販売するロングセラーモデルだった。年代:1974年

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エレクトリックギターSG-2000

ヤマハのソリッドギターSGシリーズを、カルロス・サンタナのアドバイスを元に進化させたエレキギター。弦の振動をより効果的にダイレクトにボディへ伝達するワンピース構造とボディーに直接組み込まれたサドル下のサスティーンプレートの組み合わせによりロングサスティーンを実現。オリジナルオープンハムバッカーピックアップは3点支持方式で高さ・角度が調整容易、甘く艶やかなサウンドが特徴。年代:1976年

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デジタルシンセサイザーDX7

世界の音楽シーンを激変させたFM音源のデジタルシンセサイザー。 現在の音楽シーンでも引き継がれているエレピサウンドやシンセベースサウンドなど、アナログシンセでは聞かれなかった多彩なサウンドに加え、カートリッジによる音色管理やMIDI端子の装備、液晶パネルによるディスプレイなど、当時の最先端技術をすべてつぎ込んだとも言えるヤマハDX7は、プロ、アマチュアの壁を越えて世界的な大ヒット商品となった。2019年、未来技術遺産に登録。年代:1983年

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デジタルサウンドフィールドプロセッサーDSP-1

デジタルサウンドフィールドプロセッサーの第1号機。ドルビープロロジック登場に先駆けること1年、世界で初めてデジタル信号処理による音場創生技術DSPを搭載。既存のステレオスピーカーに前後4台の専用プロセシングスピーカーを追加することで臨場感あふれる音場再現を実現した。ヤマハが実在のホールなどで計測・収集した音楽用プログラム13種類、映画用プログラム3種、さらに楽器演奏向けエフェクター16種類を加えた全32プログラムを内蔵。年代:1986年

情報所有館 : ヤマハ株式会社イノベーションロード 


コンサートグランドピアノCFIIIS(製造番号5021000)

卓越した演奏技術から20世紀最大のピアニストとも称されたスヴャトスラフ・リヒテル。1969年のイタリア公演でヤマハのフルコンサートグランドピアノCFを初めて演奏して以来、ヤマハのピアノを愛用した。このピアノは、最後となった来日公演で使用したもの。年代:1994年

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下駄備中鍬

整地用具。愛知県で使用。1975年収集。春日井市、西春日井市、稲沢市、海部市の一部において、早春から初夏にかけて、水田の全面耕起に用いた。主として沖積層地帯の深耕用として考案され婦人労働でも容易である。昭和28年頃まで、水田の平起こしに使用した。

情報所有館 : 東京農業大学「食と農」の博物館 


ハネウチワ(羽根団扇)

穀物調整用具。神奈川県にて使用。1974年収集。風起こしとして、大正時代の末頃まで使用した。

情報所有館 : 東京農業大学「食と農」の博物館 


エンボリ

穀物調整用具。福島県にて使用。1969年収集。籾を天日乾燥する場合に筵等に広げ、さらにかき集めるのに使用する。

情報所有館 : 東京農業大学「食と農」の博物館 


繭毛羽取機

養蚕用具。和歌山県にて使用。1973年収集。傾斜したスノコに繭を置き、スノコ上の鉄棒を回転させ、繭綿を巻きつかせ除去し、整繭を行う。

情報所有館 : 東京農業大学「食と農」の博物館 


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