「」 に対する検索結果 : 26836件

『福島県之蚕糸業』(福島県蚕業取締所、大正元年九月)、 『福島県之蚕糸業』(福島県蚕業取締所、大正二年九月)、『蚕糸業法規』を合本したもの。製作年代:大正~明治時代
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

養蚕における一連の過程をすごろくにして表したもの。作者の中井閑民は伊達郡梁川村(現在の伊達市梁川町)の人物で、梁川養蚕の祖とも呼ばれ、『養蚕精義』のような技術書も著した。字の読めない農民にも判りやすいよう、挿絵の多いすごろくを考案したといわれる。製作年代:不明
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

雌蛾に卵を産み付けさせる紙を種紙という、この時、複数の蛾の混入を防ぐために産卵範囲を制限する目的で使用する道具。 普通1枚の種紙には28の枠が用意されており、1つ1つの枠に合うように蛾輪を置く。 そこに交尾した雌の蛾を入れて産卵させた。 製作年代:不明
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:不明
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

蚕を飼育する蚕室の温度管理に使われた道具。現在の福島県伊達市の養蚕農家、中村善右衛門が体温計に着想を得て嘉永2年(1894)に考案したとされる。従来は農家の勘に頼ってきた温度管理を改め、科学的な養蚕を可能にした。製作年代:不明
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

蚕種紙とは、蚕の卵が産みつけられた紙のことで、蚕種製造業者によって製造された。幕末にはヨーロッパで蚕の伝染病が蔓延したこともあり、盛んに輸出されるようになった。しかし、ケシの種などを貼り付けて販売するような悪徳業者も現れたため、これを取り締まり品質維持に努めるために、明治5年には蚕種原紙規則が制定されて免許制となった。この折、福島県福島市にも売捌所が設立されている。蚕種紙には製造業者の商標や蚕品種名、馬や養蚕神の像が描かれることが多い。資料はそうした製造業者の印の一つ。
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

蔟(まぶし)とは、成長して熟蚕となった蚕が繭をつくるための巣のようなもの。改良蔟は大正年間に考案されたものの総称で、竹ひごに藁縄を糸でとめたものである。それまでの蔟は使い捨てであったが、これは丈夫で繰り返しの使用にも耐えられたため、養蚕農家の労力も軽減された。各県も補助金を出すなどして普及に努めた他、昭和初期には藁を針金で編む蔟折機が発明されたこともあり、第二次世界大戦末期に回転蔟が普及するまで蔟の主力となった。製作年代:不明
情報所有館 : 福島県立博物館 ![]()

明治期に流行したやや大型の信玄袋。藁の煙によって燻べた鹿革に染色で蜻蛉の模様が施されている。蜻蛉は写実的に表され、袋の表面を上下左右に飛んでいる。蜻蛉の羽は青緑と赤褐色とがあるが、赤褐色は退色し薄く残る程度である。コキは鹿角が用いられ、内部は紐と同色の紫色の布地が縫い合わせられている。寸法27.5×32.5×21.5
情報所有館 : 印傳博物館 ![]()

帯に挟み、上部の円筒型の部分と下部の袋に銭や薬を分けて入れることが出来る袋物の一種。『艶道通鑑』や『嬉遊笑覧』にあるように主に江戸時代に用いられた。鹿革の全面を漆で塗ったものが多く「地割れ印傳」「松皮印傳」とも呼ばれ、表面の割れゆく様子は粋な模様として好まれた。銅製の蘭の飾金具が付いている。寸法22.0×11.0
情報所有館 : 印傳博物館 ![]()

巾着は古くから小銭や薬などの身の回り品を携行する袋として愛用されている。藁の煙によって鹿革を染めると茶褐色となるが、紐などを用いて部分を防染することによって縞模様が表される。材は不明だが、灰落とし型の根付が付属している。寸法13.5×11.0
情報所有館 : 印傳博物館 ![]()

かます部分に刻み莨を入れ、煙管と共に腰帯に提げて携行した。鹿革の表面全体に漆を塗り、内容物を護ったとされている。漆を全面に塗った模様は「地割れ印傳」「松皮(まつかわ)印傳」と呼ばれ、漆の割れた様子が粋な模様としてもてはやされた。前金具は銅製で弁天風神腕相撲の金銀象嵌になっている。付属の根付は長方形の象牙、緒締は銅製。寸法8.0×15.0 きせる袋4.5×25.0
情報所有館 : 印傳博物館 ![]()

鹿革の三ツ巻財布は丈夫とされ、無地のものも多く遺されている。こちらは全体をまず藁の煙によって茶褐色に染め、次に表側に型紙を用いた漆付けの技法によって黒漆の爪唐草模様が施されている。様々な技法が組み合わされて出来た貴重な資料である。財布の内側には墨絵・吹き絵と呼ばれる手法により山水図が描かれている。
寸法26.0×16.0
情報所有館 : 印傳博物館 ![]()

紐で口を締める縦長の提げ袋。こちらは全体を藁の煙によって茶褐色に染め、次に表側に型紙を用いた漆付けの技法によって黒漆の菖蒲模様が施されている。様々な技法が組み合わされて出来た貴重な資料である。コキは象牙が用いられている。 寸法23.0×17.5
情報所有館 : 印傳博物館 ![]()

日本の物理学の基礎をつくった田中舘博士が晩年に使用したメガネとケースを二戸市の田中舘愛橘記念科学館に展示しています。博士が愛用してタイプライターを打つ姿の写真と共に展示されています。ケースなどから推測してドイツのベルリンで誂えたと言われています。(制作年:不明)
情報所有館 : 二戸市シビックセンター 田中舘愛橘記念科学館 ![]()

田中舘博士が、好んで国際会議などに持ち歩いていたタイプライターです。博士は日本の科学技術発展のために精力的に多分野の仕事に従事し多忙であったのですが、いつもタイプライターを持参し会議の内容などを文章にして残したと言われています。約5.5kgもありとても重いのですが、かばんに入れて持ち歩いたとのことです。コロナ製 (制作年:不明)
情報所有館 : 二戸市シビックセンター 田中舘愛橘記念科学館 ![]()

明治26年以降、田中舘博士が中心となって行ったのが、夏休みを利用して4年にわたって実施された全国の地磁気調査でした。当時、人力車や馬をつらねた4名からなる一行は、テントの中に観測機器を組んで、昼も夜も通して観測を行ったのですが、この時活躍したのが、博士考案の電磁方位計でした。(制作年:1980年代制作)
情報所有館 : 二戸市シビックセンター 田中舘愛橘記念科学館 ![]()

民族:エスキモー 地域:アメリカ/アラスカ/コディアク島収集 19世紀初期 43cm 投槍器(とうそうき)は、銛や槍を遠くに正確に投げるための道具で、木やセイウチの牙で作られる。陸獣、海獣、鳥類などさまざまな獲物を狩猟するために使用されていた。「てこ」の原理を利用して獲物をめがけて銛を投げる。投槍器後端には手指をかける穴や溝がついており、握りやすく工夫されていて、力が入りやすい。本資料にはセイウチ牙製のアザラシ彫刻がついている。投槍器を用いると銛の威力は倍増される。
情報所有館 : 北海道立北方民族博物館 ![]()

民族:北西海岸インディアン 地域:カナダ 27.1cm オヒョウ用釣り針には、2種類ある。これは二つの木材を上下に組み合わせ、材の一方に骨製や鉄製の「かえり」がつけられたV字型の釣り針である。主に、トリンギット、ツィムシャン、ハイダが使用した。長い釣り糸に、餌をつけた釣り針と石の錘を結びつけて海底に沈め、釣り針を海中に浮かび上がらせておく。オヒョウ漁がうまくいくようにと、釣り針にはしばしば象徴的な動物や人物像が彫刻される。1990年代収集。
情報所有館 : 北海道立北方民族博物館 ![]()

カード読取穿孔装置(90桁カードの穿孔処理スピード150枚/分)と演算装置で構成されており.記憶装置には冷陰極放電管を使用し,120桁・60行のデータを記録することができた。プログラムは電子管式パッチパネルによるアドレス方式。演算速度は加減算が10ミリ秒,乗除算が50ミリ秒。 UNIVAC社1963年製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

世界初の純小型化電気計算機。従来の歯車をモータで動かすなどの電動式の計算機とは異なり、演算素子にリレー(継電器)を採用し、演算処理すべて電気回路でおこなった計算機。カシオ計算機(株)1962年発売。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

従来のエンジン(レシプロエンジン)がピストンの往復運動によってエネルギーを生み出すのに対し、ロータリーエンジンはローターの回転運動によってエネルギーを生み出す。国内では、マツダのみによって量産された。1973年製。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

1950年代から1960年代にかけてコンピュータの主記憶装置として使用された。ドラム内側は、強磁性体物質でコーティングされており、ドラムに付属している一列の磁気ヘッドで読み書きをおこなった。1960年代製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

平歯車(写真)やワットガバナー、D型スライドヴァルブ機構など教育用に考案された模型約10種。製作は島津製作所及び帝國発明協会研究。1940年頃製作。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

14インチ遠距離用。受信方式はインターキャリアー方式を採用。使用真空管は、6CB6など19種類。販売当初価格113,500円。早川電気工業1954年製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

高速変化する電流を振動子(Vibrator)と呼ばれる固有振動数の高い可動コイル型ガルバノメータで捕捉し、これに連動する光の波を回転ミラーで反射させながら目視観測したり、写真用印画紙に焼き付けたりして波形観測を行う。横河電機製作所㈱1950年製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

それまで輸入に頼っていた顕微鏡の国産化、普及に大きく貢献したエムカテラ製の顕微鏡。対物レンズ●●倍、接眼レンズ●●倍。M.KateraⅢ。1910年代製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

40×33×23。高さ 43cm 扇の径 34cm。12inch A.C. Electric Fan。Cat. No. 7002。Volts 100/110。Cycle 50/60首振り機能、風力4段階調整機能付。芝浦製作所1920~1930頃製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

磁気記録のはじまりとなったワイヤーレコーダー。本機はワイヤーレコーダーとしては後発。ポケットサイズの15.5×29.3×44.7。電池駆動で約1時間の録音が可能。Made in W.Germany。購入価格20,000円。1960年代製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

現在のFAXの原型にあたるもので、わが国で初めてのトランジスタ使用の軽量小形のドラム交換式携帯型写真電送送信装置。東方電機株式会社製。201G形 No.315。1963年7月製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

1967年に発売された世界初のプログラム機能付き電卓。記憶装置にマトリックスコアを使用して、小型化に成功。数字表示部には、ニキシー管を用いている。カシオ計算機(株)1969年製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

5球ニュートロンダイン。大正末から昭和2~3年頃まで使われた。ニュートロダイン方式は当時のストレート方式に比べ受信感度が高くラジオの普及に大きく貢献したが、後にスーパーヘテロダイン方式にとって代わられた。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

世界で初めて距離計連動機能を備えたカメラ。撮影サイズ:100 ×140mm、使用フィルム:122フィルム [A122]。フィルム製造時期:1903~1971年、撮影枚数:8コマ。必要露光時間:晴天戸外2~5秒、曇天戸外5~10秒。1916~1934年製造。
情報所有館 : 山口県立山口博物館 ![]()

「羊毛様合成一号(ビニロン)」は、国内技術で作られたポリビニルアルコールを原料として、櫻田一郎教授(当時京都大学工学部、化学研究所員兼任)らが1939年に発明した日本初の合成繊維。世界で見ても、2番目に発明された合成繊維である。紡糸実験装置(写真)は、 ビニロンの工業化に向けた実験のため1943年頃に作製されたもの。京都大学化学研究所では実験装置の他、新工場を建設する際に作成された計画書(設備費、原価計算等を試算)なども所蔵している。
情報所有館 : 京都大学化学研究所 碧水舎 ![]()

京都大学化学研究所が高槻に立地していた時期に試験生産された合成ゴム(NBR)試料。1937年から京都大学工学部の古川淳二教授(研究開始時は工学部学生、後に化学研究所員)が合成ゴム研究を開始して画期的なモノビニルアセチレン法を開発し、1942年7月から日産200kgの工業化試験を行い成功した。その後、この設備は住友化学工業新居浜工場に移され、NBRの生産に使われた。試料は長らく古川教授の手許にあったが、1982年に京都大学化学研究所と東京農工大学繊維博物館(現在の科学博物館)に寄贈された。
情報所有館 : 京都大学化学研究所 碧水舎 ![]()

京都大学の喜多源逸研究室で、1927(昭和2)年から、フィッシャートロプシュ法(FT法)触媒の基礎的研究が開始され、入手容易で安価な鉄系触媒を開発。戦前・戦中の日本の石油不足を解消するため国策として工業化が進められた。児玉信次郎教授らが中心となり、京都大学化学研究所で中間工業試験、北海道人造石油の留萌研究所での加圧式による工業試験の成功(1942年)を経て、1944(昭和19)年8月北海道滝川市で鉄触媒本格炉の試運転が始まったが、まもなく終戦となった。化学研究所には人造石油試料(試薬瓶 6 本)と、合成用触媒(試薬瓶 4 本)のほか、実験ノートや実験装置の写真集などが残っている。
情報所有館 : 京都大学化学研究所 碧水舎 ![]()

高圧法ポリエチレンの国産化が重要課題とされていたことから、1944年1月に京都大学の児玉信次郎教授らが研究を開始し、3月に少量の試料を得て終戦を迎えた。戦後、電電公社から研究委託を受け、研究を再開している。保存されている資料は1951(昭和26)~1953(昭和28)年に京都大学化学研究所で行われた高圧法低密度ポリエチレン連続工業化パイロット試験の設計図及び関連資料。実験ノート、設備写真とガラス乾板、1954年のものと推定される内部報告書などが残されている。
情報所有館 : 京都大学化学研究所 碧水舎 ![]()

「大正十二年九月一日 関東地方大震火災による建物の被害調査」清水組(現 清水建設)設計部によりまとめられたもの。清水組が設計・施工に携わった建物についての調査結果が記されている。第一編から第六編の構成となっており、第一編には190棟の建物(鉄骨造、鉄筋コンクリート造、煉瓦造、木骨造、日本家に分類)について被害状況が整理されており、第二編から第四編にかけて、特に49棟の建物について、より詳細な被害分析が記されている。第四編と第五編は作成中として未完で、第六編は付録となっている。年代:1924年
情報所有館 : 清水建設 技術研究所 建設技術歴史展示室 ![]()

「大正十二年九月一日 関東地方大震火災による建物の被害調査」附図は、第一編~第三編に関わる調査図(青焼き図面に彩色)。表紙、凡例を含め71枚。年代:1924年
情報所有館 : 清水建設 技術研究所 建設技術歴史展示室 ![]()

リベット接合は孔をあけた複数の鋼板に片側から赤熱したリベットを挿入し、ハンマーで反対側の頭部をかしめて(叩き潰す)鋼板どうしを緊締する工法。その施工前のリベット。年代:1950年代
情報所有館 : 清水建設 技術研究所 建設技術歴史展示室 ![]()