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金彩色で女羊飼いと田園風景が美しく描かれたクリスタルグラス製香水瓶。高:10.3cm 径:7.6cm フランス ウビガン社 年代:1913年
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すりガラスの特殊加工が施された瓶にトカゲが蓋部分に刻まれたハエをねらっている姿の装飾がなされている。アールヌーヴォーの作家モリス・デピノーのデザインによる。 高:22.0cm 径:11.2cm フランス リュバン社 年代:1909年
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彩色部分はポール・ポアレの手書きによる金・銀・黄色のデザイン装飾となっている。 高:16.7cm 径:8.5cm スプレー付き 高:14.3cm 径:5.6cm フランス ロジーヌ社 年代:1922年
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ボトルデザインはアルマン・ラトウ、ロゴのデザインはポール・イルヴュ。 高:16.0cm 径:12.5cm フランス ブロス社 年代:1924年
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1925年のアールデコ博覧会に出展されたルネ・ラリックの作品。 高:21.5cm 径:10.3cm フランス ルネ・ラリック工房 年代:1925年
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ウォルト社が5連作として1924年から1933年にかけ製作した香水の瓶のデザインをルネ・ラリックが手がけた。‘ダン・ラ・ニュイ:夜に’は最初の作品。群青のすりガラスにカットで星をあしらったまるいボトルが夜の天空を想わせ、蓋には三日月がくっきりと現れている。 高:26.0cm 径:16.0cm フランス ルネ・ラリック工房 年代:1924年
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ウォルト社の5連作のうちの4作目として1929年に‘ジュルヴィアン:再会’が製作されたが当時のデザインは摩天楼型。1932年に‘ダン・ラ・ニュイ’と同じデザインで白のすりガラスの瓶に変更された。 高:26.0cm 径:16.0cm フランス ルネ・ラリック工房 年代:1932年
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発売初期の蓋部分は現在とは異なり、1羽の鳩のデザインであった。ルネ・ラリックの息子であるマルク・ラリックが、ジョアン・レバルのデザインしたクリスタルボトル(ボディ)にマットな風合いの鳩を王冠(栓)に仕立てて 1948年に完成させた。そののち、1951年に2羽のデザインに変更された。フランス ニナリッチ社 年代:1948年
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サルバトーレ・ダリ(スペイン)のデザインによる太陽王をかたどった香水瓶。貝殻の形をしたケースがついてる。
香水瓶 高:23.5cm 幅:20.0cm 奥行:11.0cm フランス スキャバレリー社 年代:1937年
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緑色の彩色陶器で、この色はアフガニスタンのバーミヤン地方独特のもの。部分的に銀化した部分は、使用された釉薬が硝子質であったため、長く土中に埋もれている間に化学変化を起こし銀色に変化したと推測される。 高:11.4cm 径:14.7cm
アフガニスタン バーミヤン地方 年代:12世紀頃
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八弁花形の托に十二弁花形の盞(さかずき)が上に置かれた高麗青磁を代表する品。菊の花を白象嵌し、枝葉は黒象嵌、回りを陰刻文で飾った高麗青磁のなかでも上手の作。日本の煎茶席では香炉として使用し、盞に灰を入れ線香を立てる。
高:11.4cm 径:14.7cm 韓国 高麗 年代:12世紀
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牡丹の花を白象嵌し、さらに上から陰刻文を施し、枝葉は黒象嵌し、周りを陰刻の唐草文で飾った高麗青磁の中でも上手の作。底、畳付きにまで青磁釉をかけ、三点のハリ支えで焼成した優品。 高:4.7cm 径:10.5cm 韓国 高麗 年代:高麗時代(10~14世紀)
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共蓋で残っているのが珍しい白磁の肌の具合もよい香炉。面取りの施された蓋のつまみや煙出の穴の形が李朝時代独特の特徴を示しており、耳の形にも李朝らしさが現れている。 高:18cm 径:15cm 文院里(ぶんいんり)窯 韓国 李朝時代
年代:18世紀末~19世紀
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肩にギリシャ風のアーカンサスの葉をかたどった双耳をつけ、葡萄唐草文で取り巻いたなかに胡の舞姫と思われる人物文を浮き彫りであらわしている。豊穣の女神アナヒスターナに由来する文様を想像させ、盛唐の異国情緒あふれる風景が偲ばれる小壷。 高:13.7cm 径:10.7cm 中国 年代:唐時代
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大香炉または薫炉として作られたものであるが、日本では瓶掛けとして使用された。染付け発色の美しい品。景徳鎮窯産。 高:19.3cm 径:23.9cm 中国 明 年代:16~17世紀
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貴族が愛用していた嗅ぎたばこを入れる容器で、蓋の内側にたばこを掬うスプーン状のものが付いている。桃花文鼻煙壷 高:7.4cm(蓋付き)、花鳥文鼻煙壷 高:7.7cm(蓋付き)、蝶文鼻煙壷 高:7.4cm(蓋付き)、人物文鼻煙壷 高:7.8cm(蓋付き)、植物文鼻煙壷 高:7.7cm(蓋付き)、動物文鼻煙壷 高:8.0cm(蓋付き) 中国 清 年代:18世紀後半~19世紀初
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黒漆塗りに、竹を銀粉で、雀を金箔で表現した蒔絵の火取香炉。火取香炉は中で香を焚き室内を燻らす道具で、上に金網がかけられている。木製漆器の部分を火取母(ひとりも)と呼び、この中に銀製の薫炉があり、灰を入れて火を入れ、香を焚く。古くは香木の粉を練り合わせた練香が用いられた。 高:35.0cm 径:21.0cm 日本 年代:明治時代
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伏籠は衣装に香りを移すための道具で、籠の上に衣装を伏せる。籠の中に火取香炉を入れ、香を焚き留気を衣装に吸収させる。かっては竹で作られたが、のちに木の棒を紐でつないだものが用いられるようになった。展示品は黒漆塗り木棒を紐で結び籠状の形に組み立ててある。中に置かれた香炉は北鎌倉松岡山東慶寺に伝わる初音蒔絵火取母(室町時代作 重要文化財)の複製品。 高:60.0cm 幅:50.0cm 奥行:30.0cm 日本 年代:不詳
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表面に金蒔絵で花筏があしらわれた香箱に、通常の香道に用いる香道具一式が納められている。聞香炉1対、本香盤、札箱、札筒、重香合、香盆、香筋建、折居、組香総包み、地敷、火道具一式がセットになっている。日本 年代:江戸時代中期
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火拵(ひごしらえ)や香を焚くときに使う小道具一式。普通は畳紙(たとうし)に納められている。火筋(こじ:火箸)、香掬(こうすくい:香匙)、銀葉挟(ぎんようばさみ)、鶯(うぐいす:)、香筋(教示:香箸)、羽箒(はぼうき)、灰押(はいおし)の7点がセットになっている。日本 年代:江戸時代中期
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金銀の梨地粉を筒に入れ、漆を塗った上に蒔き、乾燥後に梨地漆を塗り、金粉が露出しない程度に研いだものを梨地というが、枕の側面には山水鳥文の扇面を蒔絵で表し、四菱の香煙の穴をあけた香枕。内側の引出しに、黒漆地に金蒔絵で梅、竹、菖蒲、菊の扇面が表現された香炉が納まっている。 高:12.4cm 幅:20.5cm 日本 年代:江戸時代中期
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香炉が蓮弁型で、蓋は香煙の穴が6個ついた蓮の実を表している。取っ手の柄は蓮の茎の形をしており、柄から延びた蓮の花の蕾は練香などの入れものとなっている。全体を蓮で表したバランスのとれたデザイン。仏前で香を焚くときや儀式に用いた。高:12.0cm 幅:23.5cm 奥行:12.0cm 日本 年代:江戸時代中期
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香時計(火時計)は一定量の線香や香粉を焚いて時間を測る道具。上の箱底には灰が入っており、仕切られた部分の香が燃え尽きる長さで時間を測った。引き出しには灰をならしたり、灰に型をつける道具類が入っている。
高:48.5cm 径:31.0cm 日本 年代:江戸時代末期
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環状織機は、豊田佐吉が自動織機と共に究極の目標に定め、「動力を空費することなく、超幅広の布を、静かに製織する」ように、1906年に発明した、理想的な機構のです。「運動の理想は往復よりも回転の円運動である」との確証に基づき、よこ糸を挿入する杼を回転の円運動で、糸の打込みを上下揺動運動で行い、円筒状に製織する、画期的な発明で世界19カ国で特許を取得しています。展示機は1924年に製造された第4次試作機で、長時間テストを行った唯一の環状織機です。
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G型自動織機は、豊田佐吉が、環状織機とともに究極の発明目標に定め、1924年に世界で最高性能の完全なる自動織機として完成させた記念的第1号機で、日本の貴重な産業技術遺産です。このG型自動織機には、「高速運転中に少しもスピードを落とすことなく、杼を交換してよこ糸を自動的に補給する」自働杼換装置をはじめ、50余件の発明、考案にもとづく各種の自働化、保護、安全および衛生等の機構、装置を備え、世界一の性能を発揮しました。年代:1925年
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最も古い方式の手織機で、たて糸や綜絖を取り付ける骨組みがなく、手と腰など体を使って布を織りました。展示機は旭川でアイヌ民族がアッシ織と呼ばれる織物を織っていた道具です。年代:江戸時代
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織り手が腰帯でたて糸を張る方式の織機で、骨組みを持っています。織り手の位置は地面に近く、足の先に結んだ紐を引いて一枚の綜絖を引き上げて、たて糸を開口します。展示機は新潟県で江戸時代から越後上布を織っていた貴重なものです。年代:江戸時代
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糸繰返機は、織機にかけるたて糸を準備するための機械で、かせ糸を1本1本糸枠に巻き取ります。従来は手回しで、1本ずつに巻いていましたが、豊田佐吉は多数の糸枠を各個自在に掛け外しできるように発明し、動力で運転するようにしました。1人で同時に10数本巻き取り、生産性を画期的に向上させ、日本の織布業の発展に貢献しました。展示機は、特許明細書と写真を基に複製したものです。年代:1894年発明
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絹機として中国で始まり、後に日本へ伝わりました。木綿の需要が増えた1800年ころから綿織物用に改良され、木綿の産地に普及しました。地機に比べて高い位置で操作するためこの名称があります。展示機は愛知県内で使用されていたものです。
年代:江戸時代
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1873年に西陣からの伝習生が持ち帰ったバッタン装置は、翌年の京都博覧会で紹介されると急速に普及して、1880年代には知多や三河をはじめ全国の綿産地で広く用いられるようになりました。理由は、在来の高機にフライシャットル機構を付加することによって、紐を引くだけで杼投げができるようになり生産性が格段に向上したことと、熟練が不要になったこと、また広幅の織物が容易に織れるようになったためです。展示機は愛知県内で使われていたものです。年代:明治初期
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1892年三重県の松田繁次郎が足踏織機の特許を取得し、手を使わず足で踏木を踏む操作により、開口、よこ入れ、筬打ちの三つの運動を行わせる織機です。これは動力織機に通じるもので、特筆される発明でした。また第二次世界大戦後まで、遠州地方をはじめとする機業地の中小織布工場などで、運転費用の安い織機として使われていました。展示機は、1940年代まで遠州の浜北地方で使われていたものです。
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1873年に信濃(現在の長野県)の臥雲辰致によって発明されました。綿の塊から直接糸を紡ぐ独特のしくみを持つ紡績機で、操作中に機械が“ガラガラ”と音を出すことから、ガラ紡と呼ばれました。発明当初は手回しでした。その後、下流では舟を浮かべて川の水流で水車を回す舟紡績が、上流では谷川の水流を使って水車を回すガラ紡績が始まりました。展示機は1931年に製作され、1993年まで豊田市のガラ紡績工場で使われていたものを復元、整備したものです。
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紡錘は最も古い糸紡ぎの道具で、紡錘を回転させて、繊維を引出しながら撚りをかけ、出来上がった糸を紡錘に巻き取ります。紡錘による糸紡ぎは世界のほとんどの地域で行われており、様々な形や材料の物があります。展示品はペルーで発見された木製綿用紡錘を複製したものです。年代:紀元前数世紀
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綿織物はインダス文明で生まれました。インドでは、当初は糸を紡錘で紡いでいましたが、やがて紡車チャルカが発明されました。チャルカがヨーロッパに伝えられたのは、14世紀ごろと言われています。年代:13世紀頃
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14世紀にインドからヨーロッパに伝わった紡車は、主に羊毛を紡ぐために使われました。繊維長の長い羊毛を効率よく紡ぐために、全体に大型で「グレートホイール」と呼ばれました。年代:14世紀頃
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以前の紡車は撚りかけと巻取りは別々の作業でしたが、サクソニー紡車はフライヤー機構によりこの2つの作業を同時に行えるようになりました。この機構は現在の紡機にも引き継がれています。15世紀末ごろ、ドイツのザクセン地方で亜麻用に普及したためにこの呼び名があります。年代:15世紀頃
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1764年、イギリスのハーグリーブスが発明。一人で複数の紡錘を操作できるようにした機械です。ジェニー精紡機は人間が手加減しながら動かす機械で、従来の手紡ぎと同様に農家の家内工業用に普及し、多錘化により大いに生産性が上がりました。しかし、これを改良したミュールに取って代られました。また、日本には輸入されませんでした。展示機は大英科学博物館所蔵の1770年製ジェニー精紡機をイギリスで複製したものです。
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1769年イギリスのアークライトが発明。初めから水車の動力で動かす工場用の機械として設計されました。その原理は、順に回転が速くなる3組のローラによって粗糸を連続的に引き伸ばし、それをフライヤーで撚りをかけながら巻き取るものです。世界で最初に成功した連続多軸紡機です。ローラドラフトの原理と紡錘の駆動装置は、現在の精紡機に受け継がれています。展示機はイギリスマンチェスター科学産業博物館に保存されているものをベースにイギリスで複製したものです。
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1775年イギリスのアークライトは、混打綿から精紡工程までの機械化に成功しました。その中で、綿の塊をほぐし繊維の方向をそろえる工程を梳綿といい、回転するシリンダの表面に針金を植えつけ、繊維の塊から連続的に繊維をくしけずるように動力で動かすしくみになっています。展示機はイギリス大英科学博物館に保存されている1775年製のカードをイギリスで複製したものです。
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1779年イギリスのクロンプトンが発明。ミュールというのは馬とロバの合いの子という意味で、ジェニー精紡機とウォータフレーム精紡機の両方の特徴を取り入れたのでこの名があります。ごく細い糸でも紡ぐことができるようになり、19世紀初めの英国の綿紡績業で爆発的に普及しました。展示機はイギリスのブラックバーンミュージアムに保存されてるものをイギリスで複製したものです。
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絹紡紬糸紡績工程で、繊維を解きほぐし、繊維の方向をそろえて篠(太いひも状の繊維束)を作る機械で、精紡機や粗紡機の前工程の機械です。展示機は1896年イギリス、グリーンウッド社製で、1877年に絹糸を紡績する官営新町紡績所が開設され、その後民営化された三井新町紡績所に導入以降、2002年までカネボウ戸出(株)で稼動していたものです。
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1830年、ロバーツが発明。加撚と巻取りを交互に行い、品質の良い糸を紡出できる精紡機です。日本には1867年に初めて鹿児島紡績所に輸入されました。熟練と体力を要し、リング精紡機に比べ能率が劣るので、綿紡績には1890年代以降リング精紡機に移行していきました。展示機は、1925年のドイツ、ハルトマン社製の紡毛用で、起工業高校で教材としていたものです。
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機械後方のケンスより数本のスライバー(繊維篠)をドラフトローラによって引き伸し1本のスライバーにすることによって、スライバーの太さムラを少なくし、かつ、繊維の平行度を高めます。その後、スライバーはコイラーチューブを経てケンスへ収められます。展示機は1910年のイギリス、プラット社製です。
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機械後方のケンスから取り出されたスライバーは、ドラフトローラへ供給され、引き伸ばされて細くなります。細くされた繊維束は、フライヤーの回転で撚りがかけられ、粗糸になり木管に巻きとられます。展示機は1899年のイギリス、プラット社製です。
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リング精紡機は1828年アメリカで発明されました。粗糸をドラフトローラへ供給し、細く引き伸ばし、リングとトラベラによって撚りをかけ、完成した糸をボビンに巻き取ります。当初、ミュール精紡機やスロッスル精紡機が輸入されましたが、1890年代になると能率の良いリング精紡機に移行していきます。展示機は1896年のイギリス、プラット社製です。
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混打綿工程の最初の機械として使用され、大きな綿の塊を解きほぐすとともに、混綿、除塵を行う機械です。ボトムラチス上に投入された原綿は、傾斜のあるスパイクドラチス上の銅製の針で順次かき上げられ、シリンダーによって解きほぐされた後、グリッドによって夾雑が取り除かれて、次の機械に送られます。展示機は1956年株式会社豊田自動織機製作所製のものです。
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