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昭和元年(1926年)北海道製酪販売組合連合会時代、昭和16年(1941年)北海道興農公社時代、昭和25年(1950年)北海道バター株式会社、雪印乳業株式会社時代の牛乳やフルーツ牛乳などの「びん飲料」の懐かしいキャップ。
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Hand Milk Filler小規模なミルクプラントで使われていた牛乳の手動式充てん機で、1時間に約600本(1本 180cc)の充てんが可能であった。昭和43年(1968年)製。
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Automatic Milk Filling Machine牛乳のびん詰や打栓を連続的に行うことができる機械で、1時間に2,500本から最大4,000本の充てんが可能。昭和43年(1968年)製。
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Hooding Machine打栓後、びん口の汚れを防ぐためにフィルムでカバーする機械。1時間に約4,500本の牛乳びんのフィルムカバーができた。昭和34年(1959年)製。
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Homogenizerアイスクリームの原料混合液を均一にする機械で牛乳製造にも使用された。能力は1時間900リットルで昭和37年(1962年)製。
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Freezer(Batch Type)アイスクリームの原料混合液をかきまぜながら凍結させソフトクリーム状にする機械。能力は1回40リットルで昭和36年(1961年)製。
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Filling Machine(For Ice Cream:Rotary Type)充てん台が1回転する間にカップ詰が行なわれ打栓される。能力は1時間2,000個で昭和37年(1962年)製。
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Weighing Vat(With Reduction Scale)牛乳の目方を計るための容器で、小規模な集乳工場では昭和40年(1965年)代中頃まで使われていた。
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Separator(Titan)生乳をクリームと脱脂乳に分離するための遠心分離機で昭和35年(1960年)頃まで使われていた。能力は1時間2,000リットルでデンマーク製。
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Evaporator(Double Effect:Calandria Type)&Coil2つの同型の缶は、熱の消費を節約するために濃縮機で発生した蒸気を再度利用できるようになっている。写真左側のコイルは銅製、錫(すず)メッキのパイプで牛乳を加熱濃縮するために蒸気を通すようになっている。昭和29年(1954年)デンマーク製。
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Dryer(Anhydro Type)濃縮した牛乳を乾燥機内の上部に設置されているアトマイザーという装置から噴霧し、更に180℃の熱風で乾燥させ粉状にする装置。1時間で2.8t~3.0tの脱脂粉乳などが製造できる。昭和28年(1953年)デンマーク製。
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引き札とは明治時代に群馬県や千葉県などで、牛乳搾取販売店がお正月などの時期に牛乳宣伝用として配ったポスター・ちらしである。明治33年(1900年)から34年(1901年)頃の新田郡世良田村「牛乳搾取販売所 盛乳舎」の引き札。世良田村は群馬県東部に位置し現在の太田市。
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直径1.8mの海底地球儀。山脈や海嶺、海溝を表現し、世界の地勢を立体的に表しています。また、自転によって各国のリアルタイムを伝えています。(1987年制作)
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「塩の用途」「体の中の塩の働き」「塩の正体」「塩の道」「製塩の歴史」「現在の製塩」「世界の塩資源」「岩塩標本21点」「巨大岩塩(直径90cm、高さ101cm、重さ1.42トン)」を展示解説しています。(1987年制作)
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日本海沿岸や太平洋沿岸の干満の差の小さいところで行われた形態で、天然の砂浜を塩田としてかん水(濃い塩水)を得る方法です。 この方法では、海水を汲み上げて塩浜にまくのに厳しい肉体労働が必要でしたが、古代以降に各地で行われていました。 塩の国で復元している揚浜は、自然揚浜に土留めの堤防を作った汲塩浜といわれるさらに進歩したもので、海水干満の時間に影響を受けないで操業ができる揚浜系塩田です。この方法は日本海沿岸で明治末期まで残っていました。(1987年復元設置)
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入浜式塩田は、揚浜式塩田を発展させたもので、江戸時代になって瀬戸内海沿岸を中心に大きく発展した。塩田は、デルタや入江に大規模な防潮堤を築いてその内側につくり、地盤面を干満差の中間位にして、そのまわりに溝(浜溝)をつくり、この溝に満潮時の海水を導入しておきます。溝の海水は、毛管現象によって砂(散砂)に上昇し、太陽熱と風力によって水分を蒸発させ、さらに何回かのひきかえす作業によってさらに蒸発させます。できたかん砂を塩田30坪(10m四方)に1台の割合で設置された沼井に入れ、浜溝から海水を汲み入れて塩分を溶出させ、かん水をつくります。このかん水を煮つめて結晶塩をつくります。(1987年復元設置)
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流下式塩田は、粘土を張った流下盤と枝条架と呼ばれる竹の小枝(孟宗竹)で編んだ立体濃縮装置とが併用されたもので、昭和27年頃から採用されました。海から取水した海水を流下盤に流し、太陽熱によって水分を蒸発させます。さらにこの海水を枝条架の最上段の戸井から流し、風力(乾燥空気)により水分を蒸発させ濃縮海水をつくり、せんごう工場へ送ります。この方法は、入浜式塩田にくらべて生産能力が高く労力も少なくてすみ、しかも年間を通して平均的に塩を生産することが可能になり、農業的な製塩法が工場的な製塩法に変わったもので、この工場的な製塩法は、さらにイオン製塩法に発展しました。(1987年復元設置)
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塩づくりは、かん水槽とつながっている「内あな」から、かん水を「刎ね釣瓶」で桶に汲みあげて、余熱を利用した「湯め鍋」に移してから釜に入れ、沸騰させることで結晶塩ができます。結晶塩を居出し場に移して苦汁を垂れさせ、塩が作られていました。現在は釜屋内にある鍋(2.4m×3m)に、流下式塩田(枝条架)で作られたかん水を入れて煮詰め、結晶塩をつくり、居出し場に移し余分な苦汁を抜いて塩(粗塩)をつくります。ここで作った塩は、入館記念として来館者に配付しております。また。毎週日曜日の午後1時30分頃には、釜焚きの実演をしています。(1987年復元設置)
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中国の想像上の神獣。6本の角と9つの眼を持ち、 人語を解するという。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と同様、徳のある治政者の時に出現し、病魔を防ぐ力があると信じられていた。こうしたことから、白沢の絵を持っていれば道中の災難や病気をまぬがれると、江戸時代の旅には欠かせない "お守り”となっていた。コレラ流行の時なども白沢の絵が売りに出され、人々はこれを身につけたという。 (江戸後期製作) 48×115cm
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中国医学は薬物療法と針灸医学の2本立てである。 「経絡」 という一種の循環路をエネルギーが流れているという考え方があり、その流れの滞ったところを 「経穴(ツボ)」 として、その点を刺激する一種の物理療法である。これはその経路が描かれた人形である。(江戸時代製作) 50cm
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文政6年(1823)に、長崎のオランダ商館付医師として来日したドイツ人・シーボルトの持ち物といわれる薬箱である。残念ながら薬品はないが、外科道具が残されている。(江戸時代製作)
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これは江戸時代に考案されたもので、大きな輪の中に人が2人入って足踏みをし輪を廻すと、歯車が連動し、石臼が廻り、薬草を粉にする仕組みの装置である。この装置は、大坂・江戸・京都・梅ノ木(滋賀県・栗東町) の薬屋にあり、評判であった。これは、その等倍のレプリカである。 ( 昭和時代製作)
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1819年フランスのラエンネックが紙を筒状に丸めて糸で縛り、膠(にかわ)で固めた聴診器を作った。これは片耳で聴くタイプのもので、後に木製のものが作られるようになった。(製作年不詳) 17cm
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体温計は17世紀に開発されたとされるが、普及したのは19世紀にドイツのウンデルリッヒが病気の診断に体温測定が役立つことを発見してからである。この体温計は、普通は42℃まである目盛が44℃までつけられている。23×1.5cm
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古代中国の伝説上の帝王・神農が、草木をなめ、その効能を調べ、教えたという故事から、中国では、医薬の神様としてまつられている。わが国でも、古くからの医家ら薬屋を訪ねると、神農像がまつられているのを見ることができる。 (昭和時代製作) 35cm
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この風呂は蘭方医・江馬蘭斉が考案したもので、大きな樽を2つ重ね、下の桶で湯を沸かすとその蒸気が樽の中にこもる仕組みとなっている。梅毒、リウマチ、神経痛などの治療に用いたという。この風呂は、薬草風呂屋で実際に使われていたもので、蘭斉の時代から数えて3台目のものといわれている。(昭和時代製作) 249×76cm
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日本最初の液体目薬である。コルク栓のはまったガラス瓶には「精錡水」の文字が浮き彫りになっていて、このタイプはラベルが貼られる以前の古い形である。(明治時代製作) 7cm
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消化の仕組みを説く錦絵。「貴人も下賎も、賢も愚も、腹の中はこの如し」 と、体内を解説している。胃は倉で、飲み食いの品を納めるところ。臍のあたりからは金が出るが、これを臍くりと言う、等と書かれている。 (江戸後期製作) 50×37cm
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播州三木の鋸鍛冶、宮野平次郎(明治34年~昭和47年)。明治の鋸三名人(中や平治郎、中や助左衛門、宮野平次郎)の系譜を引く三代目。本品は、挽切鋸(横挽き片刃)の刃渡一尺(305mm)柄付と、両刃鋸の刃渡九寸(265mm)柄付である。
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播州三木の鋸鍛冶、宮野鉄之助(明治34年~平成8年)。宮野平次郎家からの分家で二代目、遠藤四方斎朝也の号で「秋の志らべ」、「里の暁」、「若葉の薫」などの作銘を切った昭和の名工。玉鋼を扱う刀匠でもある。本品は、挽切鋸(横挽き片刃)の刃渡一尺(298mm)柄付と両刃鋸の刃渡八寸(240mm)柄付である。
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三代目宮野平次郎は、大阪陸軍造兵厰造刀最初の刀匠でもある。本品は、全長960mm、刃長666mm、反り15mmを測り、柄には「宮野平次郎 國吉」と「昭和弐拾年六月日」の銘がある。初代から玉鋼を使用する鋸刃物を製造していたので、この鍛錬の技が受け継がれてきたのであろう。
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播州三木の鉋鍛冶、初代千代鶴貞秀(明治41年~平成11年)。本品は、福岡県の山本幸寛氏に贈られた「黒蜥蜴」と銘を刻む小刀(切出し)である。全長207mm。昭和53年11月製作。
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初代千代鶴貞秀。一世を風靡した「乱菊」、「比良の夕映」、「古都の夕霧」などの作銘を切った昭和の名工。本品は、「淡路の夕凪」と銘する鉋刃と同押之刃である。刃幅は65mm。昭和60年3月製作。
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1933年(昭和8年)12月23日ヤンマーが世界で初めて小型実用化に成功した小型横型水冷ディーゼルエンジン。当時、大型で扱いの難しかったディーゼルエンジンを人力で運べるまで小型軽量化し、始動も容易な構造としたことで、農業の籾摺り機や、かんがい用ポンプ駆動用などに幅広く普及が進みました。
■一般社団法人日本機械学会「機械遺産」(2007年)■経済産業省「近代化産業遺産」(2009年)■ 国立科学博物館「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」(2012年)
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香箪笥は貴重な沈香木を収めておくための箪笥で、香元が香の組み合わせを考える際に必要な道具。上段は懸子になっており、中段には3つの箱、下段には6つの箱が収められている。藤棚から藤が咲き乱れ、牡丹を正面に春秋の草花を配した細緻な蒔絵技法によって装飾がなされている。片手で持てるほどの小さな箪笥だが、前面には鍵をかけるための錠がはめられ、箪笥の下には台座までも用意されていることから、いかに香木を大切に扱ってきたかが分かる。年代:江戸時代/品質形状等:蒔絵/寸法:12.0x18.0xH16.5
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香木の香りを楽しみながら和歌などの文学と組み合わせた芸道、香道に使用される道具が納められている箱。懸子(箱の縁にかけて内側にはめ込むように作った箱)は香盆の役割も果たしたようである。箱自体は桜樹を縦位置に、懸子は横位置にデザインし、意匠に趣向を凝らしている。道具箱全体には菊の家紋が散らされ、皇室に関わる品と考えられる。(菊花紋は後鳥羽上皇の頃より皇室の紋章として始まったとされている。)年代:江戸時代/品質形状等:蒔絵/寸法:22.0x28.0xH20.5
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十種香箱は、十種の組香を行うのに必要な道具一式を揃えたものである。公家や武家、後には豪商の婚礼調度の代表的なもののひとつとして挙げられ、蒔絵を施した家紋入りの豪華なものが多い。この作品は、徳川家の葵と毛利家の沢瀉(水辺の植物)の紋が散らされていることから、両家の婚礼の際に誂えられたものであると考えられ、喜佐姫(二代目将軍秀忠の養女で毛利秀就婦人:龍昌院)所有のものと思われる。年代:江戸時代(中期)/品質形状等:蒔絵・紫檀・象牙・和紙/寸法:17.5x24.5xH18.0
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香棚は香道に必要な道具を乗せて飾る小さな棚。天板には十種香箱、棚の上には乱箱、硯箱などを飾るが、取りおろして香手前をするためにも用いる。阿古陀香炉、重香合、火道具が一式となっているが、七つ道具とも言われる火道具のうち、他香筋と羽箒が欠けており、それに加えて八つ目の道具「火味」がある。松と藤の組み合わせは、松を男性、松に寄り添う藤を女性に見立てられている。藤の自然の美しさを尊び喜ぶ風潮は古くから盛んで、十世紀半ば頃には既に松と藤の組み合わせが一つのパターンとして愛用され始めていた。年代:江戸時代(中期)/品質形状等:蒔絵/寸法:37.5x22.7xH34.2
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香木や薫物を入れる箱。中には6つの小箱が納められている。小箱の蓋表に『源氏物語』の「桐壺」「若紫」「帚木」「紅葉賀」「葵」「花宴」の各帖に因む図柄が描かれている。年代:江戸時代/品質形状等:蒔絵/寸法:12.0x14.3xH11.0
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