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Butter Churn明治41年(1908年)オランダ製でバター取出機と組になったバター製造機。1回で300ポンド(約135kg)の製造能力があり北海道トラピスト修道院で実際に使用されていた。
情報所有館 : 雪印メグミルク酪農と乳の歴史館
Butter Churn昭和10年(1935年)代はじめにデンマークから輸入したバター製造機。2,000ポンド(約900kg)の大型チャーンで当時は東洋一と言われた。
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Butter Churn(Metal Churn)昭和30年(1955年)デンマーク製のバター製造機で1回の製造能力は約500kg。ステンレス製の四角い箱を回転させることでバターの落下衝撃を利用し練り上げ製造する仕組みになっている。
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Continuous Butter Making Machineクリームを高速でかくはんすることにより脂肪粒を瞬間的に作る装置と、食塩を加えて練る装置が一体となって連続的にバターを作る。わが国における連続バター製造機の輸入第1号機で製造能力は1時間に1トン。昭和35年(1960年)フランス・シモン社製。
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Cheese Vatチーズの元となるカード(牛乳が酵素の働きによって豆腐状になったもの)を作るために使用する器。内容量は約360リットルで昭和8年(1933年)から昭和27年(1952年)頃まで使用。内部は鋼板の上に錫(すず)メッキがされている。
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Cheese Mould(For Gouda Cheese)ゴウダーチーズ用として使われた木製のモールド。チーズの元となるカードを詰めた後に蓋をし、更に蓋を押し込み圧搾することでゴウダーチーズ独特の厚みのある円盤型の形にすることができた。この木製モールドは昭和37年(1962年)頃まで使われていた。
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Cheese Mould(For Edam Cheese)エダムチーズは「赤玉」の愛称で親しまれ表面をワックスコーティングしてから赤いセロハンで包んでいた。その球体の形を作るためのステンレス製のモールドで、小さな穴は圧搾の際に出る水分「ホエー(乳清)」を排出するためのもである。昭和48年(1973年)頃まで使われていた。
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Cheese Mould(For Cheddar Cheese)チェダーチーズ用としてブロック型のチーズ成型の際に使用された鉄製のモールドで、昭和48年(1973年)まで使われていた。
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Cheese Mould(For Camembert Cheese)カマンベールチーズ用として使われたモールド。円筒の中へ豆腐のように柔らかくなったカードを入れ、そのカードの自重により円柱状の形にした。このモールドは昭和30年後半から使われた。
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Cheese Mould(For Cheddar Cheese in Australia)1850年頃にオーストラリアでチェダーチーズ用として使われたモールド。ゴウダーチーズと同様に円筒状の形をしたモールドでオーストラリア酪農庁より寄贈されたもの。
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Curd Breakerチーズバットの中のカードをまぜあわせるために使用された木製の攪拌器。この攪拌方法は昭和に入りナチュラルチーズが作られはじめた頃から昭和35年頃まで行なわれており、比較的小規模のチーズ工場で使用されていた。
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Cutter(For Blue Cheese)ピアノ線を用い一度に8個の扇型に切断する器械で、ブルーチーズを製品として箱詰めするときに使われていた。昭和30年(1955年)デンマーク製。
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Cheese Scraperゴウダーチーズなどコーティングされたナチュラルチーズ(原料チーズ)の表面を削り取る機械として使用されていた。昭和36年(1961年)製。
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Melting Kettleプロセスチーズを製造するときに使用する機械。細かくすりつぶした数種類のナチュラルチーズに乳化剤を加えて混合・加熱・溶解する釜で製造能力は1回に40kg。昭和31年(1956年)スイス・クストナー社製
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Filling Wrapping and Packaging Machine(For Portion Type)プロセスチーズ(6ポーションならびにベビータイプ)の充てん包装に使われた機械。回転式テーブルに型枠が10個セットできるようになっており、その型へ順次チーズを流し込みながら一つひとつ包装していく。1分間に60個を充てん包装する能力がある。昭和36年(1961年)スイス・クストナー社製
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Bottle Washer(Jet Type)洗浄液を下から吹き上げながら「びん」を洗う装置で本機は80本立てとなっている。昭和28年(1953年)製。
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Hand Capper(For Small Size Bottle)駅売り細口用牛乳びんの打栓器で昭和30年(1955年)頃まで使用されていた。
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Pasteurizer(Pfaudler Type)タンクの底部や外周のジャケットに熱水や蒸気を通してタンク内の牛乳を加熱・殺菌する機械。牛乳に熱がいきわたるようにタンク内にはプロペラ型の攪拌(かくはん)器がついている。昭和32年(1957年)製。
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Milk Filler「牛乳」や北海道限定発売の乳酸菌飲料「カツゲン」をびんへ充てんするために使われた足踏み式の機械で、昭和42年(1967年)まで使用された。
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昭和元年(1926年)北海道製酪販売組合連合会時代、昭和16年(1941年)北海道興農公社時代、昭和25年(1950年)北海道バター株式会社、雪印乳業株式会社時代の牛乳やフルーツ牛乳などの「びん飲料」の懐かしいキャップ。
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Hand Milk Filler小規模なミルクプラントで使われていた牛乳の手動式充てん機で、1時間に約600本(1本 180cc)の充てんが可能であった。昭和43年(1968年)製。
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Automatic Milk Filling Machine牛乳のびん詰や打栓を連続的に行うことができる機械で、1時間に2,500本から最大4,000本の充てんが可能。昭和43年(1968年)製。
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Hooding Machine打栓後、びん口の汚れを防ぐためにフィルムでカバーする機械。1時間に約4,500本の牛乳びんのフィルムカバーができた。昭和34年(1959年)製。
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Homogenizerアイスクリームの原料混合液を均一にする機械で牛乳製造にも使用された。能力は1時間900リットルで昭和37年(1962年)製。
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Freezer(Batch Type)アイスクリームの原料混合液をかきまぜながら凍結させソフトクリーム状にする機械。能力は1回40リットルで昭和36年(1961年)製。
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Filling Machine(For Ice Cream:Rotary Type)充てん台が1回転する間にカップ詰が行なわれ打栓される。能力は1時間2,000個で昭和37年(1962年)製。
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Weighing Vat(With Reduction Scale)牛乳の目方を計るための容器で、小規模な集乳工場では昭和40年(1965年)代中頃まで使われていた。
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Separator(Titan)生乳をクリームと脱脂乳に分離するための遠心分離機で昭和35年(1960年)頃まで使われていた。能力は1時間2,000リットルでデンマーク製。
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Evaporator(Double Effect:Calandria Type)&Coil2つの同型の缶は、熱の消費を節約するために濃縮機で発生した蒸気を再度利用できるようになっている。写真左側のコイルは銅製、錫(すず)メッキのパイプで牛乳を加熱濃縮するために蒸気を通すようになっている。昭和29年(1954年)デンマーク製。
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Dryer(Anhydro Type)濃縮した牛乳を乾燥機内の上部に設置されているアトマイザーという装置から噴霧し、更に180℃の熱風で乾燥させ粉状にする装置。1時間で2.8t~3.0tの脱脂粉乳などが製造できる。昭和28年(1953年)デンマーク製。
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引き札とは明治時代に群馬県や千葉県などで、牛乳搾取販売店がお正月などの時期に牛乳宣伝用として配ったポスター・ちらしである。明治33年(1900年)から34年(1901年)頃の新田郡世良田村「牛乳搾取販売所 盛乳舎」の引き札。世良田村は群馬県東部に位置し現在の太田市。
情報所有館 : 雪印メグミルク酪農と乳の歴史館
直径1.8mの海底地球儀。山脈や海嶺、海溝を表現し、世界の地勢を立体的に表しています。また、自転によって各国のリアルタイムを伝えています。(1987年制作)
情報所有館 : 赤穂市立海洋科学館・塩の国
「塩の用途」「体の中の塩の働き」「塩の正体」「塩の道」「製塩の歴史」「現在の製塩」「世界の塩資源」「岩塩標本21点」「巨大岩塩(直径90cm、高さ101cm、重さ1.42トン)」を展示解説しています。(1987年制作)
情報所有館 : 赤穂市立海洋科学館・塩の国
日本海沿岸や太平洋沿岸の干満の差の小さいところで行われた形態で、天然の砂浜を塩田としてかん水(濃い塩水)を得る方法です。 この方法では、海水を汲み上げて塩浜にまくのに厳しい肉体労働が必要でしたが、古代以降に各地で行われていました。 塩の国で復元している揚浜は、自然揚浜に土留めの堤防を作った汲塩浜といわれるさらに進歩したもので、海水干満の時間に影響を受けないで操業ができる揚浜系塩田です。この方法は日本海沿岸で明治末期まで残っていました。(1987年復元設置)
情報所有館 : 赤穂市立海洋科学館・塩の国
入浜式塩田は、揚浜式塩田を発展させたもので、江戸時代になって瀬戸内海沿岸を中心に大きく発展した。塩田は、デルタや入江に大規模な防潮堤を築いてその内側につくり、地盤面を干満差の中間位にして、そのまわりに溝(浜溝)をつくり、この溝に満潮時の海水を導入しておきます。溝の海水は、毛管現象によって砂(散砂)に上昇し、太陽熱と風力によって水分を蒸発させ、さらに何回かのひきかえす作業によってさらに蒸発させます。できたかん砂を塩田30坪(10m四方)に1台の割合で設置された沼井に入れ、浜溝から海水を汲み入れて塩分を溶出させ、かん水をつくります。このかん水を煮つめて結晶塩をつくります。(1987年復元設置)
情報所有館 : 赤穂市立海洋科学館・塩の国
流下式塩田は、粘土を張った流下盤と枝条架と呼ばれる竹の小枝(孟宗竹)で編んだ立体濃縮装置とが併用されたもので、昭和27年頃から採用されました。海から取水した海水を流下盤に流し、太陽熱によって水分を蒸発させます。さらにこの海水を枝条架の最上段の戸井から流し、風力(乾燥空気)により水分を蒸発させ濃縮海水をつくり、せんごう工場へ送ります。この方法は、入浜式塩田にくらべて生産能力が高く労力も少なくてすみ、しかも年間を通して平均的に塩を生産することが可能になり、農業的な製塩法が工場的な製塩法に変わったもので、この工場的な製塩法は、さらにイオン製塩法に発展しました。(1987年復元設置)
情報所有館 : 赤穂市立海洋科学館・塩の国
塩づくりは、かん水槽とつながっている「内あな」から、かん水を「刎ね釣瓶」で桶に汲みあげて、余熱を利用した「湯め鍋」に移してから釜に入れ、沸騰させることで結晶塩ができます。結晶塩を居出し場に移して苦汁を垂れさせ、塩が作られていました。現在は釜屋内にある鍋(2.4m×3m)に、流下式塩田(枝条架)で作られたかん水を入れて煮詰め、結晶塩をつくり、居出し場に移し余分な苦汁を抜いて塩(粗塩)をつくります。ここで作った塩は、入館記念として来館者に配付しております。また。毎週日曜日の午後1時30分頃には、釜焚きの実演をしています。(1987年復元設置)
情報所有館 : 赤穂市立海洋科学館・塩の国
中国の想像上の神獣。6本の角と9つの眼を持ち、 人語を解するという。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と同様、徳のある治政者の時に出現し、病魔を防ぐ力があると信じられていた。こうしたことから、白沢の絵を持っていれば道中の災難や病気をまぬがれると、江戸時代の旅には欠かせない "お守り”となっていた。コレラ流行の時なども白沢の絵が売りに出され、人々はこれを身につけたという。 (江戸後期製作) 48×115cm
情報所有館 : 内藤記念くすり博物館