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B/Wフィルム ネオパンSS

当時のフィルム感度はASA(ISO)40程度が主流だった。B/Wフィルムが一挙にASA(ISO)100となり、舞台や夜景の写真が気軽に写せたらという念願がネオパンSSによって実現された。1956年にはASA(ISO)200のネオパンSSSがラインアップされた。年代1952年

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ネガカラーフィルム フジカラーN100

カラードカプラーを採用し、フィルムベースがオレンジ色マスクになることで、美しいカラープリントができるASA感度100のフジカラーN100。撮影がし易く、カラー写真の色が一段ときれいになった。この年は東京オリンピックが開催され、日本は高度成長期に入りカラーフィルムの普及が一挙に伸長していった。年代1965年

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ネガラーフィルム フジカラーFⅡ

IRG(現像抑制物質放出型粒子)技術によって、カラーフィルムの粒状性を飛躍的に向上させたASA(ISO)100のネガカラーフィルム。粒状性の向上でなめらかなカラープリントが得られ、現像処理もCN-16処理として新しくなった。年代1974年

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ネガラーフィルム フジカラーFⅡ400

世界で初めて実現した高感度ASA(ISO)400のネガカラーフィルムを発売。優れた粒状性を保ちながら高感度化を達成し、写真市場に大きなインパクトを与えた。手ぶれとピンボケの失敗を軽減し、カラーフィルムが高感度、高画質化へ向かう幕開けとなった。年代1976年

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ネガカラーフィルム フジカラーHR1600

1983年に発売したISO100,200,400のフジカラーHRシリーズの登場で、ネガカラーフィルムは高解像、高画質化の時代になっていった。翌年の1984年には世界で初の最高感度を実現したフジカラーHR1600を発売。同年に開催されたロサンゼルス オリンピックの公式記録フィルムに認定され、室内競技など、撮影領域の拡大が可能になった。年代1984年

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ネガカラーフィルム フジカラーREALA(リアラ)

人間の眼に感じる色に近い色再現をするネガカラーフィルム。鮮やかな色再現とコントラストがやや高めな一般用カラーフィルムに対して、特に人物の肌色、草花の繊細な階調再現に優れた、軟調描写を特長としている。2012年にはフジカラーREALA ACEにモデルチェンジした。年代1989年

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カラーリバーサルフィルム フジクロームVelvia(ベルビア) 略称RVP

カラーリバーサルフィルムの傑作と言われ、世界中のプロ写真家や写真愛好家から圧倒的な評価を得て、フジクロームのブランドを確立した。色相再現は高彩度で赤緑色を強調するイメージカラー。朝日や夕日の風景、新緑の描写性に際立つ特長を有している。内型でISO50。一時、生産を中止したが、2007年に同等性能のフジクロームVelvia50にモデルチェンジした。年代1990年

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カラーリバーサルフィルム フジクロームPROVIA100(プロビア) 略称RDPⅡ

色相は高彩度であるが、自然な色調を忠実に再現するナチュラルカラーが特長。階調は標準的で有り、人物、商品、風景写真等、幅広い分野で愛用された。内型でISO100。2000年にはフジクロームPROVIA100Fにモデルチェンジした。年代1994年

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カラーリバーサルフィルム フジクロームASTIA100(アスティア) 略称RAP

フジクロームVelvia,PROVIAに比べて色相は標準的な彩度で、滑らかなで豊かな階調が特長。究極の肌色再現性を目指し、女性ポートレートには最適である。また、軟調な階調再現を活かした、しっとりした自然風景の撮影にも愛用された。2003年にはフジクロームASTIA100Fにモデルチェンジした。年代1997年

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クイックロード システム

遮光性のある封筒状の紙パック内に封入した4×5インチのフィルムを専用のホルダーに装てんして撮影するシステム。従来の暗室内でシートフィルムホルダーにフィルム装てんする必要が無く、日中でフィルム装てんし撮影が可能となる。撮影後はそのまま、現像所に現像を依頼することができる。1992年にフジクロームVelviaを発売し、以後PROVIA,ASTIA,プロネガNS160等シリーズを拡充した。専用ホルダー一つで何枚も撮影ができ、しかも日中装てんが可能な便利性で風景写真家から圧倒的な評価を得た。年代1992年

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アンティーク・カメラ等 乾板カメラ・チャレンジ(CHALLENGE) 

英国、J・リザーズ社製のポータブル木製乾板写真用カメラ。艶出しされたマホガニー材の本体からベローズ(蛇腹)を引っ張り出す形式で、ラック&ピニオンのフォーカシング機構。カメラフロントはライズ・シフトのアオリが可能で、空気作用によるボシュロム製のシャッターにF7.7のレンズが装着されている。年代1895年頃

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アンティーク・カメラ等 乾板カメラ・サンダーソン・デラックス(SANDERSON・DELUXE) 

英国、サンダーソン・カメラワークス製のポータブル木製乾板写真用カメラ。本体からベローズ(蛇腹)を引っ張り出す形式で、ラック&ピニオンのフォーカシング機構。カメラフロントはティルト、ライズ、シフトのアオリが可能で、独のC・P・GOERZ社のシャッターが装着されている。蓋部にはファインダーが装備され目測での距離合わせも可能。年代1909年頃

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アンティーク・カメラ等 ロールフィルムカメラ ザ・キングス オウン(The KING’s OWN)

英国、ロンドン・ステレオ スコーピック社製の木製ロールフィルムカメラ。精密機械と言うより、工芸品の様に美しい形のカメラである。100年以上の前のカメラだが、120ロールフィルムを使用する6×9センチ判のカメラで、現在も撮影が可能である。KOILOS社の空気作用によるシャッターは最高速1/300秒。Zeissの110ミリ、F8レンズが装着されている。年代1907年

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アンティーク・カメラ等 特殊小型カメラ シュタインネックABC(Steinneck A-B-C)

独、シュタインネック・カメラワークス社製の腕時計カメラ。レンズはf=12.5ミリ、F2.5が装着されて、5.5ミリ径の丸い写真が8コマ撮影できる、当時の珍しいスパイカメラである。年代1949年

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アンティーク・カメラ等 特殊小型カメラ スチロフォト・カラー(Stylo photo color)

仏、セカム社製の万年筆型カメラ。万年筆型のクリップがついているので、胸のポケットに納めて持ち歩ける。専用のカートリッジに16ミリフィルムを使用して、10×10ミリの画面を18枚撮影することが可能。ファインダー部分にあたる金属板を操作することで、フィルム送りとシャッターチャージを行う。レンズはF6.3、シャッター速度は約1/30秒の単速。年代1955年

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アンティーク・カメラ等 写真鏡(カメラ・オブスキュラ)

写真鏡は写真が発明される以前に、写った画像をトレースし、絵を描く道具として活用された光学機器である。カメラ・オブスキュラ(写真鏡)はラテン語で「暗い部屋」の意味で、現在の写真機(カメラ)の語源となっている。本写真鏡は日本最古のものと推察され、本体外装は赤褐色の漆を塗った一閑張りで、雲龍模様が描かれている。大きさは縦40×横26×高さ21.5センチの長方形の箱とレンズの部分で構成されている。レンズを通った像は箱の後半分に45度の傾斜で装着された鏡に反射して、上部の焦点面に像を結び、その焦点面に薄い紙を置いてトレースできる構造である。年代 江戸時代後期

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アンティーク・カメラ等 横浜写真アルバム(YOKOHAMA Photography Album)

「横浜写真」とは外国人の土産用として幕末から明治20年代頃までに、主に横浜で販売されていた彩色写真帳である。写真帳には日光、鎌倉、富士山、京都等の名所、風景や芸者、人力車等の日本独特の風俗が一冊約50枚程度の写真が台紙に貼られている。横浜以外にも開港された長崎や神戸でも販売されていたが、当時、最も大きな港である横浜に多くの写真店、写真館が存在していたため、外国人は横浜で購入する写真を「横浜写真」と呼んでいた。現在では約150年前の日本の風景、風俗が観賞することができ、写真の持つ記録性、保存性の価値が評価されている。年代 幕末から明治20年代

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アンティーク・カメラ等 マジック・ランターン(幻燈機) 「Magic Lantern」

スライドフィルム(ガラス乾板)を暗くした室内で大きく投影する光学機器。多くの人々に一度に同じ画像を見せることができる特性は、映画を始めとする後の映像文化に発展して行くことになる。構造的にはスライドフィルム(ガラス乾板)を投影レンズによって拡大映写する装置で、光源にはろうそくや灯油が使用された。その為、熱を逃がす通風口(煙突)が上部に設けられている。本品は英国のカルティン・ランターンで本体は艶出しされたマホガニー材。鋼板のはまった二つの側面にガラス窓の付いた扉が付いている。年代1880年頃

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アンティーク・カメラ等 ゾートロープ(ZOTOROPE)

1833年に英国のウィリアム・ジョージ・ホーナーが発明した動く絵の玩具で、世界中に広がり大流行した。円筒に縦のスリットを設け、円筒内に動きが連続した静止画を貼り付ける。円筒を回転させるとスリットから見る静止画は人間の眼の残像現象で、動画として見ることができる。円筒を大きくすれば、動画の数を増やすことができ、後に発明される映画の基礎となった。年代1840年頃

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アンティーク・カメラ等 キノ-ラ(Kinora)

カードを重ねて閉じた本を親指ではじくと、中に描かれたアニメーションが動きだすフリップ・ブックと呼ばれる、いわゆるパラパラ漫画は、幼い頃に誰でも体験したことであろう。この原理をもう少し装置化し、営業用娯楽機として「キノーラ」と呼んで販売した。動きが連続した100枚程度の静止画カードの端面を円柱に貼り付ける。クランクで円柱を回転させると静止画カードが連続した動きに見える。この装置も後の映画へと発展することになる。年代1900年頃迄

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アンティーク・カメラ等 ステレオ・テーブル・ビュアーズ(STEREO TABLE VIEWERS)

ステレオ・スコープの原理は、初期の写真術であるダゲレオタイプやカロタイプを使って実験が繰り返されたが、思うような立体感を得るには至らなかった。1849年、スコットランドのダニエル・ブリュースターによって発明された「ステレオ・スコープ」は湿板写真以降、ようやく「立体」に見合う写真を見ることができた。1860年代には世界各地の風景や建物を撮影したステレオ写真が販売され、爆発的なブームを呼んだ。本ステレオ・テーブル・ビュアーはクルミ材の台付きビュアーで高さが51センチ。ビュアー内部には50枚のステレオグラムが収納され、取っ手の回転によって連続してステレオ写真を観賞することができる。年代1865年

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アンティーク・カメラ等 チャドウィク・ステレオカメラ

英国はマンチェスターのW・I・チャドウィツク社製のステレオカメラで、本体は艶出しされたマホガニー材。携帯性を考慮して、折り畳みができる持ち運びに便利な構造である。感光板のサイズは10.8×16.5センチで、J・H・ダルメイヤによって発明された風景写真用レンズはロータリー式の絞りが付いている。年代1885年

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ニッスイの創業船建造契約書

1910年、国司浩助は当時最も進歩したトロール船建造のため渡英した。1911年、ニッスイ(田村汽船漁業部)は英国で建造し日本に回航した新式のトロール船湊丸で事業を開始した。(契約書作成年1910年)

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


イチゴの冷凍方法の特許取得

ニッスイ(共同漁業株式会社)のグループ企業である戸畑冷蔵で食品の冷凍技術の開発を進め、1930年にイチゴの冷凍方法の特許を取得し、現在の冷凍食品の端緒となった。

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トロール船に無線電信装置を装備

1921年、民間トロール船として日本で初めて、ニッスイ(共同漁業株式会社)の宇品丸、武蔵丸に無線電信装置が装備された。主・副装置ともに1,364 キロサイクルと500 キロサイクルの2種類の電波を発信することができ、火花式でかつ空中線電力は0.3キロワットだった。その後、数年を経ずしてトロール船全船に無線電信装置を装備した。

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戸畑漁業無線局の設置

1933年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は戸畑に無線基地局を開設した。出漁中に絶えず連絡を取り合えるため、海陸間の気象・海象などの情報交信により海難の予防に役立つとともに、沖からは漁獲状況、基地からは各地の魚価を交信して、生産と価格との調整ができるようになった。無線の活用により漁業の合理的経営が著しく進展した。

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ディーゼルトロール船の建造

1927年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は民間初のディーゼルトロール船釧路丸を建造した。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


船内急速冷凍装置の開発

1930年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は船内急速冷凍装置を開発し、八代丸ならびに5隻のディーゼルトロール船に設置した。これにより漁獲物の鮮度保持が画期的に高まり、商品として規格化が可能となり、市場へ計画的な供給が可能となった。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


日本水産魚譜の刊行

1920年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は早鞆(はやとも)水産研究会を設置し、海洋生物、漁場調査の責任者であった熊田頭四郎がトロール漁船に乗船し、現場で種々の魚類の色彩・形態の精密な描写をし、天然のままの姿を記録した。これらの魚類の原図「魚譜」は1千余点を数え、戦前には『南洋食用水産図説』『南洋有毒魚種調査報告』などが発行された。さらに戦後の1961年に『日本水産魚譜』が出版された。2011年には『日本水産魚譜 Nippon Suisan Gyofu, Scientific Illustration of Food Fish of the World』が刊行された。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


クルマエビの養殖研究

早鞆水産研究会は1933年にクルマエビの養殖研究を開始し、同年7月世界初の人工産卵に成功、1939年に完全養殖に成功した。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


フィッシュソーセージの開発

1946年、ニッスイ戸畑工場で開発が始まったフィッシュソーセージは、1952年に本格的生産を開始した。同業他社の参入もあり、市場はまたたく間に全国に拡大した。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


洋上すり身の開発

1960年、スケソウダラの豊富な資源量に着目し、北海道水産試験場が冷凍すり身を開発した。ニッスイはこの冷凍すり身の共同研究の成果を踏まえ、北海道水産試験場の技術者の協力を得て、1964年に洋上すり身の事業化に成功した。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


5t試験転炉

1954年(昭和29年)、当時の新日本製鐵㈱八幡製鐵所が製作したもの。製錬過程においてドロドロに溶けた溶銑(溶融銑鉄)は、転炉の中で炭素や不純物が取り除かれ溶鋼(溶融鋼鉄)へと転換される。転炉とは、銑鉄(せんてつ)を鋼(はがね)に転換する「転換炉」に由来するもの。(敷地内屋外展示)

情報所有館 : 北九州イノベーションギャラリー (KIGS) 


アジア新図

地図の収集・出版者として知られるA.オルテリウス(1527-1598)が、1570年に出版した大地図帳「世界の舞台」の中の1図。地図に見る日本の北端には「BANDOVMIA」(坂東)とあって、それ以北はない。なお、「世界の舞台」は、天正遣欧使節の帰国(1590年)にあたって豊臣秀吉への献上品に含まれていたことが記録に残っている。  製作年1570年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


日本島図

オルテリウスの地図帳「世界の舞台」の1595年版に載せられた地図。原制作者は、スペイン王室の地図製作者でポルトガル人のテイセラである。この地図における日本の概形は、それまで西欧で知られていたものからは一新して半島や島々の形が描かれている。地図には、城の絵をかき国名を記している。九州島を「BVNGO」(豊後)と表記しているのは、キリシタンが盛んであった土地によるものであろう。 製作年1595年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


日本図1

地図帳(アトラス)の歴史においてオルテリウスと双璧をなすのはヘルハルト・メルカトール(1512-1594)である。本図はメルカトールの「アトラス」の最新版のために彫られた地図の1つで、1606年ホンディウスによってはじめて出版された。1595年に刊行されたオルテリウス/テイセラの日本図を克明に踏襲している。 製作年1606年。

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アジア図

本図の製作者ファン・ロフォムは、銅板彫刻師でパレ・カルディナル(宮殿)の大広間やパレ・ロワイヤルの第一室の銅板刷りなどが残されている。本図は、オルテリウスの「アジア新図」と比べると中国部分が寸詰まりの感があるが、朝鮮は半島として明示されている。日本の形状はテイセラ型である。日本の南に続く諸島が詳しいのが本図の特色である。 製作年1640年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


日本諸島図・長崎から江戸まで

本図は、ダヴェルニエの日本図と呼ばれる。彼は旅行記「6つの旅行」を著し、その中に本図を収録している。本図は、1679年のパリ初版の旅行記集に登場した。長崎出島のオランダ商館長が江戸に参府したときのルートに沿って、土地土地の情報が書き込まれている珍しい地図である。 製作年1679年。

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日本帝国図1

本図は六十余州の国名が漢字で書かれている。本図の原典は「流宣日本図」と推定されている。流宣日本図とは、江戸中期の浮世絵師石川流宣(本命俊之)が、浮世絵の木版技術を利用して作成した日本図である。日本の形は歪んでおり、特に東北地方が圧縮されている。蝦夷(IEDS)は、本州から切り離され松前の名が見てとれる。 製作年1719年。

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日本帝国新図

本図の手本となったのは、長崎のオランダ商館の医師として来日したケンペルの著作「日本誌」(1727年)に掲載された地図といわれる。ケンペルの日本図には本州島と蝦夷の間に松前が島として描かれ、ティリオンの1728年の日本図にもそれが見えるが、1735年ごろ出版されたとされる本図からは島は削除されていることから、他の図の影響を受けているのであろう。 製作年1735年頃。

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日本および朝鮮図

本図の製作者ル=ルージュは、ルイ15世王室の技師・地図学者であった。本図は1748年パリで発刊された「携帯新地図帳」の1葉である。九州島の歪んだ形は流宣図の流れをくむが、シャトラン図のようなレランド型の日本図のずんぐりとした日本の形状と違って、南西-東北にすらりと伸びている。朝鮮半島は異様に大きく誇張されている。 製作年1748年。

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朝鮮および日本王国図

本図の大陸部分については、中国清朝の康熙図が使われている。最北方にある「く」の字型の「SAGHALIEN」(サハリン:樺太)は康熙図そのものである。その南で、北部が描かれていない大きな島には「ESO」(エゾ)とあるが、「Prom.Aniwa」(アニワ岬)などからサハリン南部と判る。従って、エゾ北海道とサハリンとが未分化の状態で、2つのサハリンが描かれた地図となっている。なお、当時の日本では、サハリンは「北蝦夷」とされていた。 製作年1749年。

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日本帝国図2

このボリューム感ある日本図は、イタリア人地図製作者アントニオ・ザッタの記念碑的な作品4巻本の「世界地図帳」の中の1枚である。東北地方が垂直に伸びているのは、ケンペル・ショイヒツァーの日本図の特徴であるが、それよりも重量感があり「流宣図」の特徴をなお残している。国名と国境、さらに七道の地域区分がされている。イタリア製の珍しい日本図である。 製作年1785年。

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日本図2

本図は、1700年代の西欧の地図と比べると、日本の形状が近畿以東とくに東北の形が現実に近いすらっとした形に改善されている。それに対して、西日本の形は、中国地方の島根県の膨らみと山口県の極端な細さ、九州北部の東西への張り具合は、少し異様な感じを与える。この形は、イギリスの出版業者ジョン・トムスンが1815年にエジンバラから発行した「新一般地図帳」に収録した「朝鮮および日本」図の日本図部分にみられる形である。 製作年1817年。

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日本および朝鮮

本図は、イギリスの地図出版者ジョン・タリスによる「日本および韓国」図である。日本については、長久保赤水図の翻刻版である。タリスの地図は、装飾が施されていることが特徴で、装飾的な縁取りと、3つの挿絵が彫られている。中央上部に江戸(YEDO)と書かれ、武士と思しき一団とその背後に江戸らしき遠景が描かれている。右下は、将軍用の装飾屋形船が描かれている。 製作年1851年。

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日本帝国図3

本図の特徴は、アムール川流域の調査が進み、中国清朝とロシアの新しい国境となったことを示している点にある。一方、サハリン(樺太)島には国境線はひかれていないが、その南部の海岸線は日本のそれと同じ色で引かれ、北部のロシアの海岸線の色とは区別されている。なお、日本の形体については、九州や四国の特異な形など、伊能図やシーボルト図よりも以前の地図の影響が残っている。 製作年1863年。

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月桂冠大倉記念館

月桂冠(株)は1637(寛永14)年創業の老舗であり、月桂冠大倉記念館は創業350年を迎えた1987(昭和62)年から一般公開をしている。現在の記念館展示室とされている建物は月桂冠の最初の瓶詰作業が行われた酒蔵である。経済産業省指定の産業近代化遺産の一つ。(1909(明治42)年建造)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


月桂冠酒香房

月桂冠酒香房は大倉記念館に隣接した酒蔵内にある酒作り工房である。明治39年建造の木造蔵の内部を改装して、1年を通して高級な清酒の醸造を見学できるようになった。(1906(明治39)年建造)(見学は前日までに要予約)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


月桂冠の酒蔵群

月桂冠酒造群は豊臣秀吉が築城した伏見城の外堀に当たる宇治川派流に面して並んでいる。昔の酒醸造に使用した酒造用具などが保存されており、今も一部分を改装し、酒香房と名付けられて酒造りが続けられている。(1906(明治39)年建造)

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名水「さかみづ」

清酒月桂冠の仕込みに使われる水は名水「さかみづ」として大倉記念館構内で汲み出された。水質は、まろやかで適度にミネラルを含む中硬水である。(井戸は1961(昭和36)年に掘り直された)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


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