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フィッシュソーセージの開発

1946年、ニッスイ戸畑工場で開発が始まったフィッシュソーセージは、1952年に本格的生産を開始した。同業他社の参入もあり、市場はまたたく間に全国に拡大した。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


洋上すり身の開発

1960年、スケソウダラの豊富な資源量に着目し、北海道水産試験場が冷凍すり身を開発した。ニッスイはこの冷凍すり身の共同研究の成果を踏まえ、北海道水産試験場の技術者の協力を得て、1964年に洋上すり身の事業化に成功した。

情報所有館 : ニッスイパイオニア館 


5t試験転炉

1954年(昭和29年)、当時の新日本製鐵㈱八幡製鐵所が製作したもの。製錬過程においてドロドロに溶けた溶銑(溶融銑鉄)は、転炉の中で炭素や不純物が取り除かれ溶鋼(溶融鋼鉄)へと転換される。転炉とは、銑鉄(せんてつ)を鋼(はがね)に転換する「転換炉」に由来するもの。(敷地内屋外展示)

情報所有館 : 北九州イノベーションギャラリー (KIGS) 


アジア新図

地図の収集・出版者として知られるA.オルテリウス(1527-1598)が、1570年に出版した大地図帳「世界の舞台」の中の1図。地図に見る日本の北端には「BANDOVMIA」(坂東)とあって、それ以北はない。なお、「世界の舞台」は、天正遣欧使節の帰国(1590年)にあたって豊臣秀吉への献上品に含まれていたことが記録に残っている。  製作年1570年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


日本島図

オルテリウスの地図帳「世界の舞台」の1595年版に載せられた地図。原制作者は、スペイン王室の地図製作者でポルトガル人のテイセラである。この地図における日本の概形は、それまで西欧で知られていたものからは一新して半島や島々の形が描かれている。地図には、城の絵をかき国名を記している。九州島を「BVNGO」(豊後)と表記しているのは、キリシタンが盛んであった土地によるものであろう。 製作年1595年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


日本図1

地図帳(アトラス)の歴史においてオルテリウスと双璧をなすのはヘルハルト・メルカトール(1512-1594)である。本図はメルカトールの「アトラス」の最新版のために彫られた地図の1つで、1606年ホンディウスによってはじめて出版された。1595年に刊行されたオルテリウス/テイセラの日本図を克明に踏襲している。 製作年1606年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


アジア図

本図の製作者ファン・ロフォムは、銅板彫刻師でパレ・カルディナル(宮殿)の大広間やパレ・ロワイヤルの第一室の銅板刷りなどが残されている。本図は、オルテリウスの「アジア新図」と比べると中国部分が寸詰まりの感があるが、朝鮮は半島として明示されている。日本の形状はテイセラ型である。日本の南に続く諸島が詳しいのが本図の特色である。 製作年1640年。

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日本諸島図・長崎から江戸まで

本図は、ダヴェルニエの日本図と呼ばれる。彼は旅行記「6つの旅行」を著し、その中に本図を収録している。本図は、1679年のパリ初版の旅行記集に登場した。長崎出島のオランダ商館長が江戸に参府したときのルートに沿って、土地土地の情報が書き込まれている珍しい地図である。 製作年1679年。

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日本帝国図1

本図は六十余州の国名が漢字で書かれている。本図の原典は「流宣日本図」と推定されている。流宣日本図とは、江戸中期の浮世絵師石川流宣(本命俊之)が、浮世絵の木版技術を利用して作成した日本図である。日本の形は歪んでおり、特に東北地方が圧縮されている。蝦夷(IEDS)は、本州から切り離され松前の名が見てとれる。 製作年1719年。

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日本帝国新図

本図の手本となったのは、長崎のオランダ商館の医師として来日したケンペルの著作「日本誌」(1727年)に掲載された地図といわれる。ケンペルの日本図には本州島と蝦夷の間に松前が島として描かれ、ティリオンの1728年の日本図にもそれが見えるが、1735年ごろ出版されたとされる本図からは島は削除されていることから、他の図の影響を受けているのであろう。 製作年1735年頃。

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日本および朝鮮図

本図の製作者ル=ルージュは、ルイ15世王室の技師・地図学者であった。本図は1748年パリで発刊された「携帯新地図帳」の1葉である。九州島の歪んだ形は流宣図の流れをくむが、シャトラン図のようなレランド型の日本図のずんぐりとした日本の形状と違って、南西-東北にすらりと伸びている。朝鮮半島は異様に大きく誇張されている。 製作年1748年。

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朝鮮および日本王国図

本図の大陸部分については、中国清朝の康熙図が使われている。最北方にある「く」の字型の「SAGHALIEN」(サハリン:樺太)は康熙図そのものである。その南で、北部が描かれていない大きな島には「ESO」(エゾ)とあるが、「Prom.Aniwa」(アニワ岬)などからサハリン南部と判る。従って、エゾ北海道とサハリンとが未分化の状態で、2つのサハリンが描かれた地図となっている。なお、当時の日本では、サハリンは「北蝦夷」とされていた。 製作年1749年。

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日本帝国図2

このボリューム感ある日本図は、イタリア人地図製作者アントニオ・ザッタの記念碑的な作品4巻本の「世界地図帳」の中の1枚である。東北地方が垂直に伸びているのは、ケンペル・ショイヒツァーの日本図の特徴であるが、それよりも重量感があり「流宣図」の特徴をなお残している。国名と国境、さらに七道の地域区分がされている。イタリア製の珍しい日本図である。 製作年1785年。

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日本図2

本図は、1700年代の西欧の地図と比べると、日本の形状が近畿以東とくに東北の形が現実に近いすらっとした形に改善されている。それに対して、西日本の形は、中国地方の島根県の膨らみと山口県の極端な細さ、九州北部の東西への張り具合は、少し異様な感じを与える。この形は、イギリスの出版業者ジョン・トムスンが1815年にエジンバラから発行した「新一般地図帳」に収録した「朝鮮および日本」図の日本図部分にみられる形である。 製作年1817年。

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日本および朝鮮

本図は、イギリスの地図出版者ジョン・タリスによる「日本および韓国」図である。日本については、長久保赤水図の翻刻版である。タリスの地図は、装飾が施されていることが特徴で、装飾的な縁取りと、3つの挿絵が彫られている。中央上部に江戸(YEDO)と書かれ、武士と思しき一団とその背後に江戸らしき遠景が描かれている。右下は、将軍用の装飾屋形船が描かれている。 製作年1851年。

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日本帝国図3

本図の特徴は、アムール川流域の調査が進み、中国清朝とロシアの新しい国境となったことを示している点にある。一方、サハリン(樺太)島には国境線はひかれていないが、その南部の海岸線は日本のそれと同じ色で引かれ、北部のロシアの海岸線の色とは区別されている。なお、日本の形体については、九州や四国の特異な形など、伊能図やシーボルト図よりも以前の地図の影響が残っている。 製作年1863年。

情報所有館 : ゼンリン地図の資料館 


月桂冠大倉記念館

月桂冠(株)は1637(寛永14)年創業の老舗であり、月桂冠大倉記念館は創業350年を迎えた1987(昭和62)年から一般公開をしている。現在の記念館展示室とされている建物は月桂冠の最初の瓶詰作業が行われた酒蔵である。経済産業省指定の産業近代化遺産の一つ。(1909(明治42)年建造)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


月桂冠酒香房

月桂冠酒香房は大倉記念館に隣接した酒蔵内にある酒作り工房である。明治39年建造の木造蔵の内部を改装して、1年を通して高級な清酒の醸造を見学できるようになった。(1906(明治39)年建造)(見学は前日までに要予約)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


月桂冠の酒蔵群

月桂冠酒造群は豊臣秀吉が築城した伏見城の外堀に当たる宇治川派流に面して並んでいる。昔の酒醸造に使用した酒造用具などが保存されており、今も一部分を改装し、酒香房と名付けられて酒造りが続けられている。(1906(明治39)年建造)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


名水「さかみづ」

清酒月桂冠の仕込みに使われる水は名水「さかみづ」として大倉記念館構内で汲み出された。水質は、まろやかで適度にミネラルを含む中硬水である。(井戸は1961(昭和36)年に掘り直された)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


酒林(さかばやし)

酒屋のシンボルである酒林は杉玉ともいい、その年の新米を仕込んだ新酒の初搾りの際に、新しい緑色のものと取り換えられた。現在は酒の神である奈良県の大神神社で毎年11月14日に行われる醸造安全祈願祭に参拝して授与されるものを掛けることが多い。

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


伏見の酒造用具類

月桂冠株式会社が所有する京都市指定有形民俗文化財「伏見の酒造用具」6120点のうち、もろみ樽など400点ほどを大倉記念館内に展示公開している。(明治時代から昭和初期)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


甑(こしき)

中世に羽釜が発明される以前は、米は炊くのではなく蒸して食べられていた。今でも清酒の製造工程では、米は蒸して使われる。米を蒸す道具の甑は、大きな蒸籠のようなものだが、補強と保温のために縄を巻いてある。この縄の結び目が、杜氏の流派によって違い、これはかつて伏見で活躍した越前杜氏の結び方である。(大正中期頃製作)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


狐と狸という名の手桶

醗酵させたもろみを搾るために酒袋に移すのに使う小型の桶。杜氏の流派により、狸という名の桶(右側写真)や狐という名の桶(左側写真)を使用した。(昭和初期頃製作)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


大倉式猪口付き壜(鉄道駅売りボトル第一号)

かつて清酒は樽詰であり、焼物の徳利を使用して量り売りで販売されていた。現在のような衛生的な容器入りの清酒を促進したのが月桂冠である。これは、発売当初馴染みがなく、販売が困難だった壜詰清酒を広めるために考案されたコップ付き容器である。鉄道の駅をターゲットとした容器で、これに実用新案登録をして、明治末期には全国約300の駅売店で月桂冠が瓶詰清酒として独占販売された。(1911(明治44)年ごろ)

情報所有館 : 月桂冠大倉記念館 


剪台(かんな刻み機)

阿波池田の中村武右衛門が北海道の昆布切り機を葉たばこの刻みに利用できないかと考え、苦心の末発明したといわれる。積み重ねた葉たばこを圧搾し固形化したものを片端から鉋で削り、細さを自由に加減できることや量産が可能(1人1日3~5貫目(約11~19㎏))なことで当時の刻み業者がかかえていた課題を解決し、たちまち各地に広がり関東にまで普及した。年代:寛政12(1800)年頃 (ひもなど一部は修繕のため交換)

情報所有館 : 阿波池田たばこ資料館 


ぜんまい刻み機

俗にゼンマイと呼ばれた『ぜんまい刻み機』は江戸で開発されたといわれる。葉たばこを刻む機械で刃が手刻みのように上下運動し、同時に送り出しを行うようになっている。剪台にくらべると製品の質が高く、上級製品の製造に使われた。(1人1日1貫目(3.75㎏))また、明治以降の刻み機械の基本的な機構とされた。年代:文化年間(1804)年頃

情報所有館 : 阿波池田たばこ資料館 


摩周丸

津軽丸型(全7隻)の第5番船として三菱重工業神戸造船所で建造された国鉄連絡船(客載車両渡船)。当時の造船技術の粋を集めた高速自動化船で1965年6月15日竣工、8327.71総トン、全長132m、搭載貨車48両(ワム換算)。同年6月30日国鉄青函航路に就航、1988年3月13日青函トンネル開業に伴う同航路廃止により終航。現在、博物館船として函館港で保存・公開。前部グリーン船室、甲板部士官居住区等は展示室に改装されたが、その他の部分はほぼ原型を残している。そのうち操舵室、無線通信室は直接、車両甲板、総括制御室、主機室はネットワークカメラを通じて見学可能。年代:1965年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


函館第二岸壁と可動橋

青函航路で最初にできた岸壁と可動橋。函館第二岸壁(当初の第一岸壁)は1924年10月1日から供用開始、同可動橋は1925年5月20日の竣工で翌日から試験使用、同年8月1日から正式に車両航送を開始した。函館岸壁の完成は第二岸壁(のちの第一岸壁)、同可動橋、その他諸施設も整備された1925年10月14日。可動橋は1924年に就航した翔鳳丸型連絡船に合わせ3本の線路を備えていたが橋門構(クレーン部)のみ残り、橋桁は現存しない。戦後、補助桁、補助鉄塔が加えられる等の改良が行われている。年代:1925年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


可変ピッチプロペラ

摩周丸に備えられていたスクリュープロペラ。4枚羽根で直径3.23m。2基備え、操舵室からの操作で羽根の角度を調節して、回転数は一定のままで前後進、進行方向を変えることができた。エンジン(主機)は8基あり、左右4基ずつ流体減速装置で結合されたマルチプルタイプで、各1本、計2本のプロペラ軸を駆動する。1基1600馬力で全1万2800馬力を出力するが、通常航海では6基でじゅうぶん定時運航が確保されるため、2基を停止して走りながら整備や修理を行っていた。年代:1965年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


救命筏

津軽丸型連絡船の救命筏。この中にゴムボート(膨張式救命筏)を格納して両舷に計52個搭載していた。ゴムボートは25人乗りで、緊急の際は操舵室から遠隔操作でいっせい、あるいは片舷ずつ海面に落とすことができ、自動的に膨張してゴムボートになる。年代:1965年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


松前丸号鐘

松前丸(初代)の号鐘。松前丸は青函航路初の自航式車両航送船、翔鳳丸型(全4隻)の第3番船で、三菱造船長崎造船所で建造され1924年11月11日に就航。1945年7月14日にアメリカ海軍機動部隊の空襲により七重浜に座礁して炎上・沈没した。青函連絡船は翌15日にも空襲を受け、あわせて10隻が沈没、2隻が中破して全滅した。年代:1924年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


運航実績表

青函連絡船の1949年1月から1988年3月まで(一部欠落)の運航実績表。各船がその日、実際にどのように運航したかを天候などとともに1枚の紙に記録している。B3判程度の大きさで、鉄道と同じようなダイヤグラム形式になっている。全葉をデジタルスキャンしてデータベース化、パソコンのタッチパネルディスプレイから日付を選んで閲覧できる。年代:1949年~1988年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


風洞実験模型(1/100)

明石海峡大橋の1/100の模型で、全長が40mあります。この模型を使い「風洞実験」という強風の時に橋がどのように動くのかを調査しました。実験結果では、毎秒80mの風が吹いても橋が安定していることが確認されています。なお、真横から毎秒80mの風を当てると桁は風下側へ約30mたわみます。

情報所有館 : 橋の科学館 


海底掘削模型(1/250)

明石海峡大橋の主塔基礎は、主塔にかかる約12万トンの下向きの力を支持地盤に伝えます。支持地盤の深さは水深約60m、海底掘削には、ひとつかみでダンプトラック8台分にもなるグラブ掘削船を使用して行われました。

情報所有館 : 橋の科学館 


鋼ケーソン沈設模型(1/150)

明石海峡は潮流が速いので、潮流が止まるわずかな時間に、決められた位置に鋼ケーソンを据え付けなければなりません。その作業を正確に行うためケーソンには、シンカーに繋ぎ止め係留・位置決めするための係留システム及び沈めるための沈設システムが取り付けられています。

情報所有館 : 橋の科学館 


ケーソンコンクリート打設模型(1/250)

ケーソンの両側に、コンクリートプラント船(25,000トン級)と、資材台船(12,000トン級)が係留され、鋼ケーソン内部には、24本の打設管により、水中コンクリートが施工されています。

情報所有館 : 橋の科学館 


舞子作業基地全景模型(1/300)

神戸側1Aアンカレイジの作業基地で、コンクリートの材料などを陸揚げする岸壁を東西に配置しており、主塔工事など上部工への資機材の輸送基地にもなっています。模型は1Aアンカレイジの基礎の内部に中詰コンクリート(RCC)を施工している状況です。

情報所有館 : 橋の科学館 


制振装置模型

主塔の風によって生じる振動を抑制するため、「時計の振子」に似た特殊な装置(制振装置)を主塔内及びタワークレーン昇降台(架設時)に設置しています。

情報所有館 : 橋の科学館 


主塔水平断面模型(底板+1段+2段)(1/20)

明石海峡大橋の塔柱第1段は14.8m×6.6m。主塔の内部には階段・通路の他、フロアごとの照明設備や高速エレベータなど維持管理のための色々な設備が備わっています。鋼材は板厚65mm~38mmの高張力鋼で、最下部は板厚180mmの底板が使用され基礎にしっかり固定されています。

情報所有館 : 橋の科学館 


主塔模型(1/86)

風洞試験のために制作した主塔完成時の模型です。実際と同じ架設状態で風洞試験が行われました。

情報所有館 : 橋の科学館 


ケーブル断面模型(実物大)

ケーブルの架設は、工場で製作し、リールに巻き取ったストランドを1A側(神戸側アンカレイジ)に配置した巻き戻し機械にセットし、ホーリングシステムにより、キャットウォーク(空中作業足場)上に並べたローラーの上を、4A(淡路島側アンカレイジ)に向かって引き出します。この作業を繰り返して290本のストランドを架け、これを機械で束ねて直径1,122mmの円形断面のケーブルに仕上げます。ケーブル1本の重さは25,230トンです。

情報所有館 : 橋の科学館 


明石海峡大橋ケーブル&ケーブルバンド(実物大)

明石海峡大橋の架設は、直径5.23mmの高強度亜鉛めっき鋼線(素線)127本を工場で6角形に束ね(ストランド)、これを1架設単位として架設していくプレハブストランド工法(PS工法)が採用されました。素線の強度は、従来の吊橋では160 kgf/mm2でしたが、明石海峡大橋では180 kgf/mm2の高強度鋼線が開発されました。これにより片側2本必要であったケーブルが1本となり重量の軽減・作業の単純化が図られました。使用された素線の総延長は約30万km、地球7周り半にもなります。

情報所有館 : 橋の科学館 


アンカーフレーム模型(1/50)

ケーブルストランドを定着させ、ケーブル水平張力約6万5千トンをアンカレイジにスムーズに伝えるための鋼構造物です。1基の重量(片側ケーブル当たり)は約1,900トンです。

情報所有館 : 橋の科学館 


1A(神戸側)アンカレイジ模型(1/250)

1Aのアンカレイジの基礎部分の深さは63.5m。ビルの地下15階に相当し、世界最大級の橋梁基礎です。躯体部分も高さ 47.5m、長さ84.5m、幅63mの規模を誇ります。躯体と基礎で使用されたコンクリートの総量は約38万m3にも及びます。この巨大なアンカレイジが、ケーブルからの約12万トンの水平張力を受け、長大吊橋を支えています。

情報所有館 : 橋の科学館 


補剛トラス架設模型(1/100)

明石海峡大橋の補剛トラスの架設は、まず塔に取り付けるブロック(6パネル)とアンカレイジに取り付けるブロック(8パネル)をFC船により一括架設します。その後、トラス部分を工場でパネルに組み立てたものを現地で架設する「面材架設工法」により、中央径間では双方の塔から中央に向かって面材の張り出し架設を行いました。

情報所有館 : 橋の科学館 


アンカーボルト部分模型(実物大)

本アンカーボルトは、ボルト先端部のネジ部分を取り出した実物大模型です。材料は、高強度の特殊合金鋼材を使用しています。塔基部の外周に60本/柱、配置されており、1本当たり530t、1塔柱では約32,000tの軸力でコンクリート基礎に締め付け「木の根っこ」と同様に塔をしっかり固定しています。なお、このボルト諸元は、現在の日本のボルト製造能力の限界に近い大きさです。

情報所有館 : 橋の科学館 


主塔基礎上面コンクリート研磨刃(実物大)

工場において、高精度で製作された塔部材を正確に架設していくために、そのベースとなる基礎上面のコンクリートを塔製作と同じ精度で研磨する必要があります。研磨は、粗仕上げ、中仕上げ(グリーンの刃)、精密仕上げ(レッドの刃)の三段階で行われました。

情報所有館 : 橋の科学館 


主塔外面塗装工程塗色板

この塗装板は、外面塗装を工程順に示したものです。下から第1層、第2層と塗装して全部で6層になっています。この総塗装膜厚は250μです。明石海峡大橋は、海峡部という厳しい自然環境であることから、上塗り(第6層)には耐候性及び光沢保持率に優れている「ふっ素樹脂塗料」を採用しています。塗装色は周辺環境との調和に配慮して、マンセル記号5GY7.5/1.5(グリーングレー)が採用されました。

情報所有館 : 橋の科学館 


主塔内面塗装工程塗色板

主塔内面は太陽光や風雨の影響を直接受けませんが、内面と外面の温度差によって壁面が結露したり乾燥する乾湿交番の環境条件となります。主塔を腐食から守るため耐水性に優れた変性エポキシ樹脂系の塗料を3回塗装(合計膜厚270μm)しています。また、主塔内には点検等で人が入りますので、最終塗装の色合いは照明光が効率良く全体に反射し明るくなる明度の高い色合い(淡いクリーム)にしています。

情報所有館 : 橋の科学館 


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