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APSカメラ フジフイルム エピオン3500MRC

操作パネル、カメラ前面カバー、多機能リモコンを兼ねた着脱式の「マルチファンクションカード」を採用したモデル。愛称「カードマン」として人気があった。フィルムが途中で交換できる「MRC」機能も装備していた。レンズは21~58ミリの3倍ズームレンズを装着。年代1997年

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APSカメラ フジフイルム エピオン1000MRC ティアラixチタン

フィルムサイズが小さいAPSの特長を活かした、超小型のモデル。外装はチタン合金を採用し、ボディカバーをスライドさせるとフィルム巻上げが完了して撮影可能な状態となる。レンズは24ミリの単焦点で、フィルムの途中交換も可能であった。年代1998年

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APSカメラ フジフイルム ネクシアQ1

カメラらしくないデザインを目指し、円形の斬新なボディスタイルを持つモデル。レンズは22ミリ単焦点を備え画面サイズはCとHが選択可能であった。2004年には22~44ミリのズームレンズ付き「ネクシアQ1ズーム」が発売されている。年代2001年

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デジタルカメラ フジックス デジタルスチルビデオカメラDS―1P

世界初のメディアカードによるデジタル記録方式を採用した電子スチルカメラ(デジタルカメラ)の試作機。1988年ドイツの世界最大のカメラショウ「フォトキナ」で開発発表し、大きな話題を呼んだ。記録媒体には半導体メモリーカードを採用して、記録画素数は40万画素。ストロボも内蔵していた。年代1988年

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デジタルカメラ フジックス デジタルスチルビデオカメラDS―X

CCDで受光したアナログ信号をデジタル変換してメモリーカードに画像を記録する最先端のデジタルカメラを初めて量産品を試験販売した。ストロボを内蔵し透視ファインダー。本体価格は130万円であった。年代1889年

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デジタルカメラ フジックス メモリーカードカメラ DS―100

世界で初めて市販されたデジタルカメラ。記録媒体にはメモリーカードを採用し3段階の画像圧縮率が選択可能であった。8~24ミリの3倍ズームレンズを装着しファインダーは一眼レフ式を採用。記録画素は39万画素で本体価格は68万円。年代1991年

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デジタルカメラ フジフイルム クリップ・イット DS―7

世界で初めて記録媒体に小型の「スマートメディア」を採用した機種。ボディ背面には1.8型の液晶モニターを備え、記録画素数は35万画素。年代1996年

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デジタルカメラ フジフイルム ファインピックス700

アルミ合金製で初めて縦型ボディのデザインを採用した機種。記録画素数は150万画素で、100万画素を超える「メガピクセル」機でありながら当時としては普及価格で発売され人気を博した。記録媒体はスマートメディア。年代1998年

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デジタルカメラ フジフイルム ファインピックス6800Z

ポルシェデザインチームによる印象的なボデイを持ち、充電とパソコン接続が簡単にできる「ピクチャークレードル」を採用した機種。沈胴式3倍ズームレンズを装着。撮像素子は「スーパーCCDハニカム」の採用により有効画素数は310万画素であるが613万画素相当の画像出力を達成した高画質デジタルカメラ。年代2001年

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デジタルカメラ フジフイルム ファインピックスF700

センサーサイズが大きく感度が高い「S画素」とセンサーサイズが小さく感度が低い「R画素」を組み合わせて、当時のデジタルカメラの欠点であったダイナミックレンジの拡大を実現した、ダブル画素構造のCCD「スーパーCCDハニカムSR」を採用した機種。35ミリ判換算で35~105ミリ相当の3倍ズームレンズを装着し、有効画素数は603万画素。年代2003年

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デジタルカメラ フジフイルム X100

初のハイブリッドビューファインダー(OVF&EVF)を搭載したAPS-Cサイズセンサーの高級デジタルカメラ。1230万画素でクラシカルなデザイン、大口径23ミリF2の高解像力レンズもプロの絶賛を得た。年代2011年

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デジタルカメラ フジフイルム X-Pro1

光学ファインダーを搭載したレンズ交換式(Xマウント)のAPS-Cサイズセンサー高級ミラーレスカメラ。ローパスフィルターレスでもモアレが発生しにくい、画期的な1670万画素の画像センサー「X-Trans CMOS」を搭載。年代2012年

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デジタルカメラ フジフイルム X-T1

236万ドット、高精細有機ELの電子ビューファインダーを搭載したレンズ交換式(X-マウント)のAPS-Cサイズ高級ミラーレスカメラ。ローパスフィルターレスでもモアレが発生しにくい、画期的な1670万画素の画像センサー「X-Trans CMOS」を搭載。防塵、防滴、耐低温(-10℃)のタフネス性能。年代2014年

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レンズ付フィルム フジカラー写ルンです

「いつでも、どこでも、だれにでも、簡単にキレイな写真が撮れる。」ことをコンセプトに開発した、レンズ付フィルム初のモデル。使用フィルムは巻き戻しが不要な110(ポケット)フィルムを使用し、シャッター速度は1/100秒でレンズはF11の固定焦点として、晴天の日中屋外専用とした。撮影後はそのまま現像に出すという、それまでにないシステムを採用して「写ルンです」と命名され、1986年に発売し大ヒット商品となると共に、新しい撮影スタイルや需要を誕生させて写真市場に大きな影響をあたえることになる。年代1986年

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レンズ付フィルム フジカラー写ルンですHi

使用フィルムを110から135(35ミリ判)へ変更すると共に「フジカラーSuper HR400」を採用して高画質化と高感度化を図った機種。撮影後の巻き戻しを省くために、製造時に予めフィルム巻き上げて装てんし、撮影しながらパトローネに戻していく「プレワインド方式」を採用している。レンズは35ミリF11。年代1987年

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レンズ付フィルム フジカラー写ルンですFlash

撮影用途、領域の拡大を目指してストロボを組み込んだモデルで、室内や夜間の撮影も可能となった。カメラ本体は「写ルンですHi」をベースにしているが、ファインダーにプラスチック製レンズを組み込むなど各種の改良が加えられている。年代1987年

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レンズ付フィルム フジカラー写ルンですスーパー800Flash

「写ルンです」の使用特性に合わせて開発されたISO感度800のネガカラーフィルムを採用した機種。ストロボの到達距離が伸び、室内での露出不足も軽減されて失敗写真が減少した。このフィルムは後に「フジカラーSuper G800」として発売された。レンズは非球面レンズ2枚を採用した32ミリを装着。年代1993年

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レンズ付フィルム 写ルンですスーパースリムFlash

新写真システム「APS」用フィルムを採用した初めてのレンズ付フィルム。APSフィルムの特性を活かし、さらなる小型、薄型となり携帯性が一層アップした。画面サイズはCサイズに固定され、レンズは24ミリF9.5を装着。年代1996年

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レンズ付フィルム フジカラー写ルンですエクセレントFlash

レンズ付フィルムでは初めてのAE(自動露出)機構によるF8とF18の自動絞り機構を採用。フィルムは135のISO感度1600フィルム「フジカラーSUPERIA 1600」を使用することで、室内、夜間のフラッシュ撮影時に背景も明るく写る描写性が向上した。レンズは33ミリF8を装着。年代2001年

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レンズ付フィルム フジカラー写ルンですNight&Day Flash

昼も夜もキレイに写ることを目指して、シャッター速度、絞りが変更される機構を有している。通常のシャッター速度は1/120秒であるが「夜景モード」にするとシャッター速度が1/45秒になり、絞りもF14からF6.2に変更される。フィルムはISO感度1600の「フジカラーSUPERIA Venus 1600」を採用している。年代2003年

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B/Wフィルム ネオパンSS

当時のフィルム感度はASA(ISO)40程度が主流だった。B/Wフィルムが一挙にASA(ISO)100となり、舞台や夜景の写真が気軽に写せたらという念願がネオパンSSによって実現された。1956年にはASA(ISO)200のネオパンSSSがラインアップされた。年代1952年

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ネガカラーフィルム フジカラーN100

カラードカプラーを採用し、フィルムベースがオレンジ色マスクになることで、美しいカラープリントができるASA感度100のフジカラーN100。撮影がし易く、カラー写真の色が一段ときれいになった。この年は東京オリンピックが開催され、日本は高度成長期に入りカラーフィルムの普及が一挙に伸長していった。年代1965年

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ネガラーフィルム フジカラーFⅡ

IRG(現像抑制物質放出型粒子)技術によって、カラーフィルムの粒状性を飛躍的に向上させたASA(ISO)100のネガカラーフィルム。粒状性の向上でなめらかなカラープリントが得られ、現像処理もCN-16処理として新しくなった。年代1974年

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ネガラーフィルム フジカラーFⅡ400

世界で初めて実現した高感度ASA(ISO)400のネガカラーフィルムを発売。優れた粒状性を保ちながら高感度化を達成し、写真市場に大きなインパクトを与えた。手ぶれとピンボケの失敗を軽減し、カラーフィルムが高感度、高画質化へ向かう幕開けとなった。年代1976年

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ネガカラーフィルム フジカラーHR1600

1983年に発売したISO100,200,400のフジカラーHRシリーズの登場で、ネガカラーフィルムは高解像、高画質化の時代になっていった。翌年の1984年には世界で初の最高感度を実現したフジカラーHR1600を発売。同年に開催されたロサンゼルス オリンピックの公式記録フィルムに認定され、室内競技など、撮影領域の拡大が可能になった。年代1984年

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ネガカラーフィルム フジカラーREALA(リアラ)

人間の眼に感じる色に近い色再現をするネガカラーフィルム。鮮やかな色再現とコントラストがやや高めな一般用カラーフィルムに対して、特に人物の肌色、草花の繊細な階調再現に優れた、軟調描写を特長としている。2012年にはフジカラーREALA ACEにモデルチェンジした。年代1989年

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カラーリバーサルフィルム フジクロームVelvia(ベルビア) 略称RVP

カラーリバーサルフィルムの傑作と言われ、世界中のプロ写真家や写真愛好家から圧倒的な評価を得て、フジクロームのブランドを確立した。色相再現は高彩度で赤緑色を強調するイメージカラー。朝日や夕日の風景、新緑の描写性に際立つ特長を有している。内型でISO50。一時、生産を中止したが、2007年に同等性能のフジクロームVelvia50にモデルチェンジした。年代1990年

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カラーリバーサルフィルム フジクロームPROVIA100(プロビア) 略称RDPⅡ

色相は高彩度であるが、自然な色調を忠実に再現するナチュラルカラーが特長。階調は標準的で有り、人物、商品、風景写真等、幅広い分野で愛用された。内型でISO100。2000年にはフジクロームPROVIA100Fにモデルチェンジした。年代1994年

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カラーリバーサルフィルム フジクロームASTIA100(アスティア) 略称RAP

フジクロームVelvia,PROVIAに比べて色相は標準的な彩度で、滑らかなで豊かな階調が特長。究極の肌色再現性を目指し、女性ポートレートには最適である。また、軟調な階調再現を活かした、しっとりした自然風景の撮影にも愛用された。2003年にはフジクロームASTIA100Fにモデルチェンジした。年代1997年

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クイックロード システム

遮光性のある封筒状の紙パック内に封入した4×5インチのフィルムを専用のホルダーに装てんして撮影するシステム。従来の暗室内でシートフィルムホルダーにフィルム装てんする必要が無く、日中でフィルム装てんし撮影が可能となる。撮影後はそのまま、現像所に現像を依頼することができる。1992年にフジクロームVelviaを発売し、以後PROVIA,ASTIA,プロネガNS160等シリーズを拡充した。専用ホルダー一つで何枚も撮影ができ、しかも日中装てんが可能な便利性で風景写真家から圧倒的な評価を得た。年代1992年

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アンティーク・カメラ等 乾板カメラ・チャレンジ(CHALLENGE) 

英国、J・リザーズ社製のポータブル木製乾板写真用カメラ。艶出しされたマホガニー材の本体からベローズ(蛇腹)を引っ張り出す形式で、ラック&ピニオンのフォーカシング機構。カメラフロントはライズ・シフトのアオリが可能で、空気作用によるボシュロム製のシャッターにF7.7のレンズが装着されている。年代1895年頃

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アンティーク・カメラ等 乾板カメラ・サンダーソン・デラックス(SANDERSON・DELUXE) 

英国、サンダーソン・カメラワークス製のポータブル木製乾板写真用カメラ。本体からベローズ(蛇腹)を引っ張り出す形式で、ラック&ピニオンのフォーカシング機構。カメラフロントはティルト、ライズ、シフトのアオリが可能で、独のC・P・GOERZ社のシャッターが装着されている。蓋部にはファインダーが装備され目測での距離合わせも可能。年代1909年頃

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アンティーク・カメラ等 ロールフィルムカメラ ザ・キングス オウン(The KING’s OWN)

英国、ロンドン・ステレオ スコーピック社製の木製ロールフィルムカメラ。精密機械と言うより、工芸品の様に美しい形のカメラである。100年以上の前のカメラだが、120ロールフィルムを使用する6×9センチ判のカメラで、現在も撮影が可能である。KOILOS社の空気作用によるシャッターは最高速1/300秒。Zeissの110ミリ、F8レンズが装着されている。年代1907年

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アンティーク・カメラ等 特殊小型カメラ シュタインネックABC(Steinneck A-B-C)

独、シュタインネック・カメラワークス社製の腕時計カメラ。レンズはf=12.5ミリ、F2.5が装着されて、5.5ミリ径の丸い写真が8コマ撮影できる、当時の珍しいスパイカメラである。年代1949年

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アンティーク・カメラ等 特殊小型カメラ スチロフォト・カラー(Stylo photo color)

仏、セカム社製の万年筆型カメラ。万年筆型のクリップがついているので、胸のポケットに納めて持ち歩ける。専用のカートリッジに16ミリフィルムを使用して、10×10ミリの画面を18枚撮影することが可能。ファインダー部分にあたる金属板を操作することで、フィルム送りとシャッターチャージを行う。レンズはF6.3、シャッター速度は約1/30秒の単速。年代1955年

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アンティーク・カメラ等 写真鏡(カメラ・オブスキュラ)

写真鏡は写真が発明される以前に、写った画像をトレースし、絵を描く道具として活用された光学機器である。カメラ・オブスキュラ(写真鏡)はラテン語で「暗い部屋」の意味で、現在の写真機(カメラ)の語源となっている。本写真鏡は日本最古のものと推察され、本体外装は赤褐色の漆を塗った一閑張りで、雲龍模様が描かれている。大きさは縦40×横26×高さ21.5センチの長方形の箱とレンズの部分で構成されている。レンズを通った像は箱の後半分に45度の傾斜で装着された鏡に反射して、上部の焦点面に像を結び、その焦点面に薄い紙を置いてトレースできる構造である。年代 江戸時代後期

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アンティーク・カメラ等 横浜写真アルバム(YOKOHAMA Photography Album)

「横浜写真」とは外国人の土産用として幕末から明治20年代頃までに、主に横浜で販売されていた彩色写真帳である。写真帳には日光、鎌倉、富士山、京都等の名所、風景や芸者、人力車等の日本独特の風俗が一冊約50枚程度の写真が台紙に貼られている。横浜以外にも開港された長崎や神戸でも販売されていたが、当時、最も大きな港である横浜に多くの写真店、写真館が存在していたため、外国人は横浜で購入する写真を「横浜写真」と呼んでいた。現在では約150年前の日本の風景、風俗が観賞することができ、写真の持つ記録性、保存性の価値が評価されている。年代 幕末から明治20年代

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アンティーク・カメラ等 マジック・ランターン(幻燈機) 「Magic Lantern」

スライドフィルム(ガラス乾板)を暗くした室内で大きく投影する光学機器。多くの人々に一度に同じ画像を見せることができる特性は、映画を始めとする後の映像文化に発展して行くことになる。構造的にはスライドフィルム(ガラス乾板)を投影レンズによって拡大映写する装置で、光源にはろうそくや灯油が使用された。その為、熱を逃がす通風口(煙突)が上部に設けられている。本品は英国のカルティン・ランターンで本体は艶出しされたマホガニー材。鋼板のはまった二つの側面にガラス窓の付いた扉が付いている。年代1880年頃

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アンティーク・カメラ等 ゾートロープ(ZOTOROPE)

1833年に英国のウィリアム・ジョージ・ホーナーが発明した動く絵の玩具で、世界中に広がり大流行した。円筒に縦のスリットを設け、円筒内に動きが連続した静止画を貼り付ける。円筒を回転させるとスリットから見る静止画は人間の眼の残像現象で、動画として見ることができる。円筒を大きくすれば、動画の数を増やすことができ、後に発明される映画の基礎となった。年代1840年頃

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アンティーク・カメラ等 キノ-ラ(Kinora)

カードを重ねて閉じた本を親指ではじくと、中に描かれたアニメーションが動きだすフリップ・ブックと呼ばれる、いわゆるパラパラ漫画は、幼い頃に誰でも体験したことであろう。この原理をもう少し装置化し、営業用娯楽機として「キノーラ」と呼んで販売した。動きが連続した100枚程度の静止画カードの端面を円柱に貼り付ける。クランクで円柱を回転させると静止画カードが連続した動きに見える。この装置も後の映画へと発展することになる。年代1900年頃迄

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アンティーク・カメラ等 ステレオ・テーブル・ビュアーズ(STEREO TABLE VIEWERS)

ステレオ・スコープの原理は、初期の写真術であるダゲレオタイプやカロタイプを使って実験が繰り返されたが、思うような立体感を得るには至らなかった。1849年、スコットランドのダニエル・ブリュースターによって発明された「ステレオ・スコープ」は湿板写真以降、ようやく「立体」に見合う写真を見ることができた。1860年代には世界各地の風景や建物を撮影したステレオ写真が販売され、爆発的なブームを呼んだ。本ステレオ・テーブル・ビュアーはクルミ材の台付きビュアーで高さが51センチ。ビュアー内部には50枚のステレオグラムが収納され、取っ手の回転によって連続してステレオ写真を観賞することができる。年代1865年

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アンティーク・カメラ等 チャドウィク・ステレオカメラ

英国はマンチェスターのW・I・チャドウィツク社製のステレオカメラで、本体は艶出しされたマホガニー材。携帯性を考慮して、折り畳みができる持ち運びに便利な構造である。感光板のサイズは10.8×16.5センチで、J・H・ダルメイヤによって発明された風景写真用レンズはロータリー式の絞りが付いている。年代1885年

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ニッスイの創業船建造契約書

1910年、国司浩助は当時最も進歩したトロール船建造のため渡英した。1911年、ニッスイ(田村汽船漁業部)は英国で建造し日本に回航した新式のトロール船湊丸で事業を開始した。(契約書作成年1910年)

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イチゴの冷凍方法の特許取得

ニッスイ(共同漁業株式会社)のグループ企業である戸畑冷蔵で食品の冷凍技術の開発を進め、1930年にイチゴの冷凍方法の特許を取得し、現在の冷凍食品の端緒となった。

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トロール船に無線電信装置を装備

1921年、民間トロール船として日本で初めて、ニッスイ(共同漁業株式会社)の宇品丸、武蔵丸に無線電信装置が装備された。主・副装置ともに1,364 キロサイクルと500 キロサイクルの2種類の電波を発信することができ、火花式でかつ空中線電力は0.3キロワットだった。その後、数年を経ずしてトロール船全船に無線電信装置を装備した。

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戸畑漁業無線局の設置

1933年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は戸畑に無線基地局を開設した。出漁中に絶えず連絡を取り合えるため、海陸間の気象・海象などの情報交信により海難の予防に役立つとともに、沖からは漁獲状況、基地からは各地の魚価を交信して、生産と価格との調整ができるようになった。無線の活用により漁業の合理的経営が著しく進展した。

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ディーゼルトロール船の建造

1927年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は民間初のディーゼルトロール船釧路丸を建造した。

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船内急速冷凍装置の開発

1930年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は船内急速冷凍装置を開発し、八代丸ならびに5隻のディーゼルトロール船に設置した。これにより漁獲物の鮮度保持が画期的に高まり、商品として規格化が可能となり、市場へ計画的な供給が可能となった。

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日本水産魚譜の刊行

1920年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は早鞆(はやとも)水産研究会を設置し、海洋生物、漁場調査の責任者であった熊田頭四郎がトロール漁船に乗船し、現場で種々の魚類の色彩・形態の精密な描写をし、天然のままの姿を記録した。これらの魚類の原図「魚譜」は1千余点を数え、戦前には『南洋食用水産図説』『南洋有毒魚種調査報告』などが発行された。さらに戦後の1961年に『日本水産魚譜』が出版された。2011年には『日本水産魚譜 Nippon Suisan Gyofu, Scientific Illustration of Food Fish of the World』が刊行された。

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クルマエビの養殖研究

早鞆水産研究会は1933年にクルマエビの養殖研究を開始し、同年7月世界初の人工産卵に成功、1939年に完全養殖に成功した。

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