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深崇寺鐘楼堂

深崇寺は、元和元(1615)年に創立されたという浄土真宗本願寺派の寺院である。右手の建物は山門の右側、庫裏に面して建つ鼓楼で、これの創建年代は不詳だが、写真に写るのは文化5(1808)年に再建されたというものであろう。他方、画面左手は単層、切り妻造の鐘楼である。この建物は、元禄の頃に創建され、寛政12(1800)年と安政6(1859)年、さらに下って大正6(1917)年に改築されたという。しかし現在は、鐘楼はずっと左へ移築され、鼓楼とのあいだには4区画の墓地が形成されている。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.8×28.0cm)

情報所有館 : 長崎大学附属図書館 


清水寺と市街地周辺

高島秋帆宅跡付近から清水寺を望んだもの。寛文8(1668)年に再建された清水寺本堂の右には、かっての鐘楼が見え、石門の右手には明治10(1877)年に隣の八坂神社から購入移築した現存の鐘楼がないので、撮影はそれ以前である。本堂の前には現在もある3基の石灯籠が見え、その下は聖天堂や庫裏に通じる中門で、その右側には長い石段が見え隠れしている。中央上が風頭山の頂で、現在ならば、そこにホテル矢太楼が望まれる。                                  (上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.8cm)

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本蓮寺

筑後町にある本蓮寺とその墓地。撮影地点は現在の日本26聖人記念聖堂に近い墓地の外れに当たる。本蓮寺はもとサン・ラザロ病院やサン・ジョアン・バプチスタ教会があった場所で、それが破却された後、大村本経寺の僧日恵が元和6(1620)年に開創した日蓮宗の寺院である。中央上の重層入母屋造の建物が本堂で、その左下は位牌堂である。本堂への石段脇にみえる流造の建物は清正公堂(番神堂とも)の神殿である。本蓮寺は原爆で全壊したが、戦後、再建された。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.8×28.4cm)

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梁川

明治初期の撮影。現在の長崎市の浦上川下流。浦上川の河口は、当時浦上山里村で、浦上川の下流は、梁川と呼ばれていた。写真は、下流から上流を撮影したもの。写真右側は左岸で浦上新田である。左側は右岸で竹の久保付近である。明治30(1897)年以降に埋立てられる前の、浦上川下流の風景。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.7×27.6cm)

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長崎稲佐海岸

明治初期の撮影。長崎市街地の対岸、当時の渕村稲佐郷平戸小屋・船津付近の入り江。右の崖の下の建物は、上陸するロシア人を管理するために、元治元(1864)年に建てられた勤番所。入り江に浮かぶ船に人物を3人配して、背後の純日本風な風景を背景にした演出写真である。岬の対岸は西坂の丘。明治20(1887)年代には、長崎市街地の北の端は、西坂の丘付近であった。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.8×27.6cm)

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飽の浦船着場と長崎港

飽の浦の恵美須神社横の高台から、長崎港越しに、古河町、浪の平町、南山手を遠望した写真である。明治初期の撮影。右下の街灯のある桟橋は、長崎製鉄所のものである。その向こうに見えている建物が、製鉄所の建物である。対岸に目を移すと、写真左に外輪船が停泊している。その向こうの山腹が、南山手外国人居留地とその南限である。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.4cm)

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飽の浦恵美須神社

飽の浦の恵美須神社。同じアングルで、明治5(1872)年、天皇巡幸に随行した内田九一が撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がなくなっており、また、神社横の民家の屋根が剥がれている。岬の背後の丸尾海岸に明治6(1873)年頃に建設される海軍埋立地の建物はまだ見えない。
(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×28.0cm)

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悟真寺

稲佐山の麓にある悟真寺は、長崎郊外におけるキリシタン禁制後に復興された最初の仏教寺院として知られ、江戸時代を通じて中国人やオランダ人、幕末以降はロシア人らの墓所に当てられた。浄土宗の寺院だが、背後にそういう国際墓地があることで著名である。画面中央には、右に山門、左に本堂が写っている。山門はいわゆる竜宮門形式の重層門である。現在は、山門前の石段等も向きを変えて大幅に改造されている。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ22.5×28.1cm)

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稲佐悟真寺墓地

悟真寺は稲佐山の麓に位置し、慶長3(1598)年の創建という、長崎近郊では最初に再興された浄土宗の寺院である。裏山に広がるその墓地は、早くから長崎で客死した中国人やオランダ人の埋葬に当てられており、幕末以降には来航したロシア人なども加えられて、それぞれに区画された墓域をなす国際墓地を形成していた。画面左手の松林の向こうにロシア正教の礼拝堂があり、中央下に蓮池に架かる石橋が見えることからして、現在の「悟真寺国際墓地」入り口に当たる。(上野彦馬撮影 明治初期  印画紙サイズ21.0×27.4cm)

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長崎製鉄所

日本が開港する前の安政4(1857)年に、幕府は長崎港の西側、飽の浦地区で、オランダ人ハルデスの指導のもとに、大型船の建造を目的とした長崎製鉄所の建設を始め、文久2(1862)年に完成させた。この長崎製鉄所は、主に機械施設が中心の工場であった。二本の煙突のある鍛冶場はボイラー室で煉瓦造の建物である。その右の建物は、日本で最初に鉄製のトラスの小屋組を採用した轆轤(ろくろ)盤細工所で、多くの工作機械が据え付けられていた。明治4(1871)年に工部省所管「長崎造船局」と改称。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.4×26.9cm)

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野母の観音寺

撮影は明治6(1873)年頃。写されているのは野母崎の御崎円通山観音禅寺である。観音堂には、弘化3(1846)年、川原慶賀の描いた4枚の絵や石崎融思の作品を含む150枚の天井絵が、長崎町民などから寄進されている。写真に写されている半円アーチ型の第一石門は、寛政10(1798)年、長崎町民と御崎村の人々が寄進した。石工は彦兵衛。長崎から七里(約28キロ)と離れているが、彦馬は長崎の代表的古刹としてこれを撮影したようである。
(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ22.3×28.3cm)

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樺島湊

明治初期頃の樺島湊。湾奥の金比羅神社から脇岬方向の、湊内の船の輻輳する状況を撮影したもの。樺島湊は、江戸時代以前から長崎港に出入りする船の、風待ち、潮待ちの湊として繁栄してきた。明治時代になっても、遠くから多くの物資を運搬するための主要運搬手段は、沿岸を航行する船であった。湊内に停泊する廻船の数から、明治初頭の繁栄した樺島村の状況が分かる貴重な写真である。写真前方の島は、現在樺島大橋が架設されている中島、後方の山は左が遠見山、中央が殿隠山である。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.7×28.0cm)

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120フィルムカメラ フジカシックス1A

富士フイルムが発売した初めてのカメラ。120フィルムを使用する6×6センチ判のスプリングカメラで、レンズは75ミリF4.5を装着。その後レンズをF3.5付としたフジカシックス1Bを発売し、シャッター速度を高速化した機種やフラッシュシンクロ端子を付加したフジカシックス1AS,フジカシックス1BSなどシリーズ化して発売された。年代1948年

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120フィルムカメラ スーパーフジカシックス

本体をダイカスト製にして丸味を帯びたデザインとし、連動距離計を装備した6×6センチ判のスプリングカメラ。スタートマークによるフィルム自動巻止め機構を採用したモデル。年代1955年

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120フィルムカメラ フジカフレックスオートマット

120フイルムを使用する6×6センチ判の二眼レフカメラ。レンズ前板繰り出しと前玉回転を併用して最短70センチまでの接写が可能なほか、ひとつのノブで焦点調節とフィルム巻き上げを兼用している。また、シャッターボタンの位置が左右に変更できるなど、独創的機構を有して話題を呼んだ。レンズはフジナー83ミリF2.8を装着。年代1954年

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120フィルムカメラ フジペット

絞りを絵表示としたほか、シャッターチャージとレリーズの順番を数字で表示するなど扱い易さに徹し、児童や写真初心者向けの「芽生えカメラ」として計画された画面サイズ6×6センチ判のボックスカメラ。レンズフードは鏡胴部から引き出す方式を採用している。シャッター速度は開放(B)と1/50秒単速度を備える。年代1957年

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120フィルムカメラ フジペットEE

「フジペット」を基本に一枚羽根の絞りを使用した自動露出(AE)機構を付加したモデル。受光体にはセレン光電池を採用していた。レンズは固定焦点式の70ミリF11を装着し、シャッター速度は1/60秒単速度のみとなっている。年代1961年

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35ミリカメラ フジカ35M

富士フイルム初めての35ミリカメラ。焦点調節機構に通常多く用いられるヘリコイドではなく直進スライド式シリンダーを採用してる。また、フィルム巻き戻しクランクをボディ側面に設けた独特の構造となっている。レンズは45ミリF2.8を装着。年代1957年

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35ミリカメラ フジペット35

「フジペット」の上位機種として企画された機種。シャッターセットとレリーズは「フジペット」と同様にレンズ左右の大型レバーで行う。レンズはフジナーK45ミリF3.5を装着。シャッター速度は開放(B)と1/25~1/200秒までの4速。黒、赤、緑と3色のボディカラーが用意されてた。年代1959年

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35ミリカメラ フジカ35オートM

基本的にはシャッター速度優先式のAE機構であるが、撮影状況によっては自動的にシャッター速度が変化して適正露光となる複式プログラムシャッター「コパルマジック」を採用したモデル。レンズはフジノンR47ミリF2.8を装着。年代1962年

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35ミリカメラ フジカミニ

コンパクトで優美なボディデザインを持つハーフサイズカメラ。フィルム感度設定は数字ではなく宝石を模した色表示を採用するなど、判り易い操作方法を試みている。フィルム巻き上げはボディをスイングさせるラチェット式を採用。年代1964年

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35ミリカメラ フジカコンパクト35

35ミリフルサイズカメラであるが大幅な小型、軽量化を図った機種。露出制御はプログラムAE。発売後もさらなるボディの軽量化やカラーバリエーションモデルの追加、アクセサリーシューがホットシューへと変更されるなど随時改良が行われた。年代1967年

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35ミリカメラ フラッシュフジカAFデート

富士フイルムが発売した電気接点付きパトローネを持つフィルムを使用することで、ASA(ISO)感度100と400の感度自動設定が可能なフラッシュフジカデートにパッシブ式オートフォーカス機構を採用したモデル。半押しによるフォーカスロック機構も付与し、内蔵ストロボ使用にも距離測定を可能とする補助光「ビームセンサー」を備えている。年代1978年

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35ミリカメラ HD-1フジカ

ボディ素材には衝撃に強い強化ポリカーボネートを採用。生活防水構造を持つ機種で全天候型カメラとして発売。外付け専用ストロボ同調には水滴による感電防止のため、赤外線LEDを使用した光学リレー方式を採用している。焦点調節は目測式。後にストロボを一体としてセルフタイマーを付与した「HD-Sフジカ」も発売された。年代1979年

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35ミリカメラ フジカDL-100デート

フィルム装てんの失敗を防止するため、カメラを逆さにして裏ぶたを開き、フィルムを落とし込むだけで装てんが可能なドロップインローディング(DIL)機構を採用した初めてのモデル。ボディデザインはイタリア人デザイナーのマリオ・ベリーニが担当した。年代1983年

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35ミリカメラ フジ カルディア トラベルミニ デュアルP

コンパクトなボディでありながら28ミリと45ミリの2焦点式カメラ。広角レンズ28ミリ搭載により大きな建物、雄大な景色の撮影に便利であるため、「旅カメラ」として発売して大ヒットした。画面サイズ13×36ミリ(パノラマサイズ)での撮影にも対応していた他、45センチまで自動焦点での接写も可能であった。年代1990年

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35ミリカメラ フジフイルム カルディアミニ ティアラ

ボディ外装にアルミ合金を採用した超小型カメラ。被写体の明るさや撮影距離によって光量調節を行いながら自動発光するマルチプログラムストロボを搭載した機種。また、ストロボ指掛り警告センサーも備える。レンズは広角28ミリF3.5。年代1994年

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35ミリカメラ フジフイルム TX―1

135フィルムを使用し、24×36ミリのほか24×65ミリ(フルパノラマ)の画面サイズも撮影可能な距離計連動式透視ファインダーカメラ。ボディ外装にはチタン材を使用してレンズ交換も可能。2003年にはファインダー内にシャッタースピードを表示するなど、細部の改良を行ったTX―2にモデルチェンジした。年代1998年

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35ミリカメラ フジフイルム クラッセ

ボディ外装にアルミ・マグネシウム合金を採用した高級コンパクトカメラ。AF撮影のほかカメラ正面右下のダイヤルを使用してマニュアルフォーカスの撮影も可能。また、オートブラケッティング(段階露光)機構を持つ。レンズは高性能スーパーEBCフジノン38ミリF2.6を装備。年代2001年

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35ミリカメラ フジフイルム ナチュラS

24ミリF1.9の明るい広角レンズを装着したモデル。ISO感度1600以上の高感度フィルムを使用すると自動的にストロボを使用しないで被写体の明るさに応じて最適な露光制御を行う「NPモード」に設定されて、自然な雰囲気の撮影が可能となる。翌年には露出補正機構を備えた「ナチュラブラックF1.9」が限定生産品として発売された。年代2004年

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35ミリカメラ フジフイルム ナチュラ クラシカ

28~54ミリのズームレンズを持つ機種。ISO感度800のフィルム使用時にも「NPモード」が選択できる他、ISO感度1600以上のフィルム使用時に「NPモード」が解除可能となった。露出補正機構も備え、一部、機能を省略した姉妹モデル「ナチュラNS」も発売された。年代2006年

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35ミリ一眼レフカメラ フジカST701

TTL内蔵露出計の受光素子に初めてSPD(シリコンフォトダイオード)を使用したレンズ交換式フォーカルプレーンシャッター一眼レフカメラ。レンズマウントはM42スクリューマウント(プラクチカマウント)を採用し、絞り込み式の平均測光を行う。年代1970年

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35ミリ一眼レフカメラ フジカST801

内蔵露出計のファインダー内表示について、カメラでは初めて7個のLED(発光ダイオード)を採用した。レンズマウントはM42スクリューマウントを踏襲しているが、開放測光式に変更したため、レンズ定位置ロック機構が追加された。シャッターは、最速1/2000秒の機械式布幕横走行型を採用。年代1972年

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35ミリ一眼レフカメラ フジカAX―5

それまでのスクリューマウントからバヨネット式の「フジカXマウント」に変更した機種。絞り優先、シャッター速度優先、プログラムAEおよびマニュアル露出が可能である。特にシャッター速度優先AE機構は連動範囲外の撮影条件では自動的に速度を変化させるマルチプログラム方式を採用している。本機を基本機種として絞り優先AEとマニュアルでのみ使用可能とした「フジカAX―3」も同時に発売された。年代1980年

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中判カメラ フジカG690

画面サイズ6×9センチ判の連動距離計内蔵透視ファインダーカメラ。レンズシャッター内蔵のレンズ交換式で、標準100ミリ、広角65ミリ、望遠150ミリと180ミリが用意されていた。翌年には内蔵された遮光幕を引かないとレンズ交換ができないようにするなどの改良を加えた「G690BL」となった。年代1968年

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中判カメラ フジカGW690

主に学校、観光の集合写真用に開発された機種で、レンズ非交換式の90ミリレンズを装着。ファインダーの視野率、パララックスやレンズ性能を改良。カメラ正面左側にグリップが付けられたほか、底部にはメンテナンスの目安となるシャッター使用回数積算計が設けられた。1980年には本機を基本に65ミリレンズを装着した「フジカGSW690」が発売されている。年代1978年

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中判カメラ フジカGS645

画面サイズ6×4.5センチ(通称セミ判)の距離計連動スプリングカメラ。スプリングカメラでは珍しいセルフコッキング式の巻き上げ機構で、ファインダー内露出表示にLED(発光ダイオード)を使用するなど近代的な仕様を持つスプリングカメラとして人気を呼んだ。レンズはEBCフジノンS75ミリF3.4を装着。年代1983年

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中判カメラ フジGX680

印刷物の原稿サイズに適した画面サイズである6×8センチ判を初めて採用したモータードライブの一眼レフカメラ。焦点調節機構には蛇腹を使用し、レンズ面での各種アオリ操作ができる。フィルム給走機構は電動で1コマ目の自動セットや、ブザーによる最終コマの通知など充実した機能を持つ。また、ファインダー交換により絞り優先AEでの使用も可能であった。年代1986年

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中判カメラ フジフイルムGA645i 

645判で初めてオートフォーカスを実現した「GA645」をベースに富士フイルムが開発したISO感度の自動セットと120・220フィルムの自動識別を可能とする「バーコードシステム」に対応させたモデル。パルス制御によりフィルムの給走性能が向上、安定したため、120フィルム使用時は16枚、220フィルムでは32枚の撮影が可能となっている。また、シャッターレリーズボタンがボディ前面に追加されるなど各部の改良が行われている。年代1997年

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中判カメラ フジフイルムGX645AF

スウェーデンのビクター・ハッセルブラド社と共同開発を行った画面サイズ6×4.5センチ判のレンズシャッター式一眼レフカメラ。シャッター速度は18時間~1/800秒でストロボは全速度で同調する。また、ストロボはファインダーに内蔵している。装着したレンズに合わせてプログラムAEのパターンが変化する「プログラムバリアブルAE」モードを持つほか、ズームレンズなど豊富な交換レンズもあるシステムカメラである。年代2003年

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インスタントカメラ フォトラマF―50S 

富士フイルム初めてのインスタント写真システム「フォトラマ」の誕生と共に発売された機種。画面サイズは68×91ミリの自己現像方式(モノシートタイプ)のインスタントフィルムを使用。ゴム製の蛇腹を使用し携帯時にはレンズ部を収納することができる。年代1981年

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インスタントカメラ フォトラマ800AF

ISO感度800のインスタントフィルム「フォトラマ800システム」に対応した機種。ストロ内蔵で自動焦点。年代1984年

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インスタントカメラ FP―1

前カバーが折り畳み可能で、蛇腹の焦点調節で連動距離計を備えた業務用途向けの機種。最速1/500秒の機械式レンズシャッターを備えレンズはフジノン105ミリF5.6を装着。フィルムは剥離方式(ピールアパートタイプ)の「フォトラマFPシステム」を使用する。年代1987年

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インスタントカメラ インスタックス ミニ10(チェキ)

小型のインスタントカメラを目的とした新システムの機種。画面サイズ46×62ミリ、プリントサイズ54×86ミリの「インスタックスミニ(チェキ)」シリーズ用モデル。レンズは60ミリF12.3を装備し、鏡胴は2段沈胴式となっている。また、縦横の撮影位置に対応するためレリーズボタンが2ケ所に設けられている。年代1998年

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インスタントカメラ インスタックス ミニ90(チェキ)

コンセプトは「NEO CLASSIC」。スタイリッシュデザインにしたチェキ。高性能フラッシュと二重撮影モード、接写など各種撮影モードの装備で撮影の楽しみを広げ、写真品質も向上した。年代2013年

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シングル8カメラ フジカシングル8P1

誰でも手軽に扱えることを重視した同社独自のマガジン入り8ミリフィルム「シングル8」システムの誕生とともに発売された機種。固定焦点式で露出制御は自動露出(AE)、撮影コマ速度は毎秒18コマ固定とシンプルな機能に徹して簡単操作を目指した。レンズは11.5ミリF1.8を装着。望遠コンバージョンレンズも用意された。年代1965年

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シングル8カメラ フジカシングル8 AX100

シャッター開角度を230度とし、13ミリF1.1の明るいレンズを装備したモデル。同時に発売した高感度フィルム「フジクロームRT200」と組み合わせることで低輝度下での撮影を可能とした。撮影コマ速度は毎秒18コマのみ、水深40メートルまでの撮影が可能な専用水中ハウジングも用意された。年代1973年

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シングル8カメラ フジカシングル8 ZC1000

16ミリムービーカメラで広く採用されている「Cマウント」を採用したレンズ交換が可能な高級機種。プロや映画製作をする学生に人気があった。全領域でマクロ撮影が可能な7.5~75ミリの10倍ズームレンズが付属していた。撮影コマは秒12,18,24,36,72コマおよび1コマ撮影が選択可能で逆転撮影もできた。1979年には細部が改良された「ニューZC1000」となった。年代1975年

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シングル8カメラ フジカシングル8 サウンドAXM100

磁気式同時録音が可能な「シングル8サウンドシステム」に対応した機種。固定焦点式、コマ速度は毎秒18コマ固定、外部測光AEなどシンプルな機能で同時録音撮影が楽しめるモデル。年代1976年

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APSカメラ フジフイルム エピオン300Z

1996年、フィルム、カメラメーカー5社が制定した新写真システム「APS」誕生時に発売されたカメラ。APSフィルムは幅24ミリのフィルムをカートリッジに装てんされ、カメラの底部に落とし込むだけで失敗無くフィルム装てんできることが特長である。画面サイズは17×30ミリのHサイズが基本でCサイズ、Pサイズの選択も可能。エピオン300Zは30~90ミリの3倍ズームを装着した薄型デザインのモデルである。年代1996年

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