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極超短波(300MHz~3GHz帯)通信用の送信機に使用されていた真空管。主に、国内の電話やテレビの長距離通信用として幅広く活躍していた。製造年:不明。製造会社等:日立。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
長波(30KHz~300KHz帯)・中波(300KHz~3MHz帯)・短波(3MHz~30MHz帯)通信用の送信機に使用されていた真空管。 標準電波や日本近海・外国航路の船舶通信等に幅広く活躍していた。製造年:不明。製造会社等:JRC。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
極超短波(300MHz~3GHz帯)通信用の送信機に使用されていたクライストロン。主に、国内の電話やテレビの長距離通信用として幅広く活躍していた。製造年:1964年(昭和39年)。製造会社等:日本電気㈱。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
極超短波(300MHz~3GHz帯)通信用の送信機に使用されていた進行波管。主に、国内の電話やテレビの長距離通信用として幅広く活躍していた。製造年:1974年(昭和49年)。製造会社等:日本電気。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
短波(3MHz~30MHz帯)通信用の送信機に使用されていた真空管。主に、南氷洋での捕鯨船との遠距離通信に活躍していた。製造年:1973年(昭和48年)。製造会社等:JRC。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
中波(300KHz~3MHz帯)・短波(3MHz~30MHz帯)通信用の送信機に使用されていた真空管。主に、日本近海の船舶との中距離通信等に活躍していた。製造年:不明。製造会社等:JRC。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
短波(3MHz~30MHz帯)通信用の送信機に使用されていた真空管。外国航路の船舶や南氷洋での捕鯨船との遠距離通信に活躍していた。製造年:1970年(昭和45年)。製造会社等:東芝。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
長波(30KHz~300KHz帯)・短波(3MHz~30MHz帯)通信用の送信機に使用されていた真空管。標準電波や外国航路の船舶との遠距離通信等に活躍していた。製造年:不明。製造会社等:JRC。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
極超短波(300MHz~3GHz帯)通信用の送信機に使用されていたクライストロン。主に、国内の電話やテレビの長距離通信用として幅広く活躍していた。製造年:1990年(平成2年)。製造会社等:日本電気。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
鹿児島(大浦)~奄美大島(朝戸)~沖縄(多野)間の見通し外通信(2GHz帯)用の送信機に使用されていた真空管。主に、離島間の電話・テレビ用として活躍していた。製造年:1968年(昭和43年)。製造会社等:日本電気。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
鹿児島(大浦)~奄美大島(朝戸)~沖縄(多野)間の見通し外通信(2GHz帯)用の送信機に使用されていた真空管。主に、離島間の電話・テレビ用として活躍していた。製造年:1967年(昭和42年)。製造会社等:日本電気。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
鹿児島(大浦)~奄美大島(朝戸)~沖縄(多野)間の見通し外通信(2GHz帯)用の送信機に使用されていた真空管。主に、離島間の電話・テレビ用として活躍していた。製造年:1965年(昭和40年)。製造会社等:日本電気。※見学要予約。
情報所有館 : 門司電気通信レトロ館
棉の木から摘み取られた採綿の中には、6個から8個ほどの種があります。その種を取り除く道具で、別名『実取り』とも呼ばれています。取っ手を回し、真ん中のローラーに綿を入れると種が取れます。この種を除いた綿を『繰り綿』といいます。
情報所有館 : 観音寺市郷土資料館分館 豊浜郷土資料館
繰り綿は、繊維が不ぞろいで固くなっています。その繊維をほぐし、整える作業を製綿といいます。その製綿をする道具が唐弓で、弓の弦ではじくと繰り綿がほぐされふわふわの状態になってきます。この、ほぐされた綿を『打ち綿』といいます。
情報所有館 : 観音寺市郷土資料館分館 豊浜郷土資料館
打ち綿を細い筒状の『篠巻き』にして、糸車にかけると木綿糸が出来ます。糸車の回転と篠巻きの引き具合で糸の太さが変わってきます。この、糸車で紡がれた糸は、小管に巻かれた状態になっています。
情報所有館 : 観音寺市郷土資料館分館 豊浜郷土資料館
糸車で紡いだ糸を綛かけに巻き取る作業を『綛上げ』といいます。綛かけに巻き取られた糸を外すと『綛糸』になります。漢字の糸の文字は、この綛糸から生まれました。
情報所有館 : 観音寺市郷土資料館分館 豊浜郷土資料館
箱根丸は日本郵船株式会社が1963(昭和43)年に北米西航路に日本初のフルコンテナ船として就航。総トン数16240トン:1968年竣工
情報所有館 : 琴平海洋博物館(海の科学館)
御座船は西国大名が参勤交代に使った御召船である。飛龍丸は讃岐高松藩の御座船で大櫂52梃・18反帆・500石積という当時としては建造を許される最大級の船であった。
情報所有館 : 琴平海洋博物館(海の科学館)
1845年にイギリス人により作られた世界地図をもとに、1858年に沼津の医師武田簡吾らが翻訳・発刊した世界航海図。日本は「日本諸島」として地図右側に描かれ「四国・大坂港」等の記載がみられる。
情報所有館 : 琴平海洋博物館(海の科学館)
徳川幕府のオランダ通詞(訳官)本木庄左衛門が文化年間に作成したもので、元治元年(1864年)坂本龍馬の手に渡り、慶応三年(1867年)伊予大洲藩西洋流兵学者武田斐三郎の手に渡ったと伝えられるもの。
情報所有館 : 琴平海洋博物館(海の科学館)
1863年に14代将軍徳川家茂は京都に上洛し、復路はイギリスから購入した順動丸に乗船して江戸に帰っている。この絵は神仏に守られながら船で江戸に戻る家茂を描いたといわれている。
情報所有館 : 琴平海洋博物館(海の科学館)
福井県に眼鏡産業を広めた増永 五左ェ門の銅像。福井県が眼鏡作りを始めたのは、1905年。農閑期の収入源として、大阪や東京から職人を招き入れ、眼鏡の作り方を学んだ。新聞や雑誌が次々と発行され、眼鏡の需要が高まっていることを見越しての判断であった。
情報所有館 : めがねミュージアム
ハンドルを前後に動かし、パイプを通して風を送る道具。火力を強める際に使用される。当時の眼鏡の原材料である赤銅(銅・金・スズの合金)を溶かす為には、1100度以上の熱が必要で、燃料には松炭とコークスが使われていた。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
冷えて固まった合金をハンマーで叩いて伸ばす台。当時の工場(こうば)からは、ハンマーを打つ「カーン、カーン」という音が響いていたそう。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
叩いて伸ばした合金を更に細く伸ばすための器械。金型によっては、レンズを入れる為の溝も、同時に掘ることができる。二人組で、「ちょい、ちょい、ずー」の掛け声と共に動かす。これを使う事で赤銅線は太さ4mm程度にまで細くなる。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
シャチに取り付けられた金型。大小様ざまな穴を使い分けて、段々と細く伸ばしていく。カギ状に尖らせてある穴を使えば、レンズ溝が掘れる。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
通常のシャチでは伸ばし切れない細い金属線(1.5mm~0.3mm)を作る際に使用される小型のシャチ。縄手の材料を作る際などに使われていた。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
形が出来上がった眼鏡を、棒平(ぼうびら)と呼ばれる目のないヤスリのようなものを使って、磨きあげる。棒平は鉄製のものの他、竹製のものもあった。磨く事でキズを落とし、また材料が押し固められ、硬度が増す。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
パーツとパーツを接合する作業。銀・銅・亜鉛が主原料の銀ローを溶かすため、石油ランプの芯に、ゴム管を付けたパイプが通してあり、それを口にくわえ息を吹きかけることで、火力を強めて行った。ススで真っ黒になるため、作業台はトタン板で仕切っていた。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
縄手(別名:巻きツル、ケープルテンプル)と呼ばれるスプリング上の弾力性に優れたテンプルを作成する際に用いられた道具。3本の金属線を芯材に巻き付け、縒り合せて作っていく。 年代:昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
仕上げの色付けには、「緑青(ろくしょう)」や「胆ぱん(たんぱん)」といった染料が使用されていた。染料を入れた容器を加熱しながら行われ、この作業で、合金に深い色合いが生まれる。 年代:大正~昭和初期
情報所有館 : めがねミュージアム
竹の穂を細く割(さ)くために穂先5㎝程度のところに切り込みを入れる。その後残りの穂は揉み下ろしという作業をし柄の元まで細く割き穂を作る。大正時代丸亀市塩屋町の脇竹次郎氏が考案。うちわ作りの作業がしやすくなり大量生産が可能となった。
情報所有館 : 丸亀うちわミュージアム
穂の厚みを通常より半分にし、デザイン性としなやかさを出す為に一手間加える。ナタで行う職人もいるが細く薄く割いた穂は均等な厚さにすることが難しい為この機械が作られた。ローラーの間に穂をはさみ、押していくと途中にある刃物が穂を半分の厚さにしていく。
情報所有館 : 丸亀うちわミュージアム