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昭和時代中期に住宅の洗面所用として機能性をアップした洗面化粧台が誕生したが、その頃の代表的な脚付きの洗面化粧台。洗面化粧台は備品を収納でき、壁強度が不要なため、またたく間に普及し、いつしか日本の洗面所に定着した。 年代:1970年
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世界的に有名なデザイナーであるピエールカルダンがデザインした洗面化粧台。斬新なデザインと色調が市場で大きな話題となった。化粧がゆったりできるように洗面器を右に寄せ、左側のカウンター面が広くなっていることが特長。年代:1975年
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肌触りがよく、お風呂の王様とも呼ばれた陶器でできた角型の和風浴槽。寸法が大きいことから成形時の仕上げが大変であった。また、焼成時に曲がりやすく製造は困難を極めた。年代:1934年
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肌触りがよく、お風呂の王様とも呼ばれた陶器でできた船形の洋風浴槽。寸法が大きいこともあり、焼成時に曲がりやすいだけでなく、焼成前の成形品は折れやすいことから移動させる際は注意が必要で製造は困難を極めた。年代:1934年
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東京オリンピックがきっかけで世界で初めて日本で生まれたユニットバスルーム。短時間に浴室を完成させることができるという特長があるが、当該品は1968年に設置し、長年使用された初期の製品である。年代:1968年
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産院で生まれたばかりの赤ちゃんを洗うために設置される一層式の乳児バス。寸法が大きいため、特別な陶器の素地で製造した昭和時代を代表する大型衛生陶器である。年代:1955年
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電気洗濯機がなかった時代に利用された洗濯流し。当初は流しの中に洗濯板を横たえ、その上に洗面おけを置いて洗面台としても使用した。昭和時代初期の質素な住宅設備を象徴する器具の一つである。年代:1930年
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病院に設置され、排泄物・おう吐物の処理、汚れたオムツの洗濯、おまる・しびんの洗浄など、多用途に使用できる便利な流し。大便器並みの機能を有し、これらの作業が楽に行えるようにボウルが大きくなっている。年代:1933年
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1つのハンドルで温度調節ができるように改良された混合栓。ハンドルを表示に合わせて回すだけで、水を止めたり、吐水温度を水から高温水まで簡単に変更できるようになっている。年代:1952年
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2つのハンドルを使って吐水温度と吐水量を調節していた湯水混合栓の操作性を高めるため、1つのレバーハンドルを上下・左右に操作するだけで吐水温度と吐水量を変えられるようにした混合栓。当該品は国産初の洗面器用シングルレバー混合栓である。年代:1968年
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水圧などが変わっても常に希望の温度のお湯が吐出するようにサーモスタットを内蔵したバス水栓。設定したお湯の量だけ吐出すると自動的に止水し、お湯をあふれさせることのないように工夫された機能も備えている。年代:1984年
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明治22年竣工の第五高等学校化学実験場の実験室に備えられたもので、有毒ガスなどが発生する実験などを、この中で行なった。背後の排気筒の中には裏の準備室からアルコールランプが置かれ、その熱により排気筒にドラフト(気流)を起こし、さらにはチャンバー内にもドラフト(対流)を起こし、ガスを建物外に誘導するようになっている。現在では、モータなどで強制換気している。おそらく、日本で最も古く、唯一残っているドラフトチャンバーではないかと思われる。
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明治22年竣工の第五高等学校化学実験場の実験室に備えられたもので、有毒ガスなどが発生する実験などを、この中で行なった。背後の排気筒の中には裏の準備室からアルコールランプが置かれ、その熱により排気筒にドラフト(気流)を起こし、さらにはチャンバー内にもドラフト(対流)を起こし、ガスを建物外に誘導するようになっている。現在では、モータなどで強制換気している。おそらく、日本で最も古く、唯一残っているドラフトチャンバーではないかと思われる。その設計図面である。
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国指定重要文化財(平成6年12月),据付年代:明治39年(1906年),米国セリッグソン・ネルタール社製、(床長:4,572mm、振り:700mm),国内の工作機械メーカーがようやく発足を見た時代に、本学にすでに大容量の旋盤が設置されていたことは驚くべきことである。昭和47年頃まで長大物加工並びに正面旋盤の代用として活用された。
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国指定重要文化財(平成6年12月),据付年代:明治39年(1906年),米国テンプスタームアー社製、(床長:3,048mm、振り:450mm),15尺旋盤につぐ長尺物の工作旋盤として、昭和45年頃まで活用されたものである。
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国指定重要文化財(平成6年12月)、,据付年代:明治39年(1906年)、製造会社(ロックフォード社)米国 仕様(主軸:モールス No.3、テーブル径:460mm)、当時の強力形ボール盤である.機械加工では穴あけ作業が多く、また使いやすい設計であるために、便利に間断なく使用された.
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:明治39年(1906年)、製造会社(アメリカンツールワークス社)米国 仕様(テーブル:1,825×600mm)、一本の刃物で主として広い平面、その他長溝、山すじ等を正しく削り出すものである.機械類の基礎となるベッド等の加工に不可欠で、実習旋盤の製作等に大いに活用された.
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:明治40年(1907年)、米国ノルトン社、(床長:1,828mm、振り:160mm)、手頃な使いやすい旋盤として、長年活用されたものである。ノルトン社が開発した独自の送り換歯車箱を持つ。また、段車駆動ではあるがベルトシフターに独特の装置をつけ、1動作で簡単に掛け替えを行うことができた。
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:大正2年(1913年)、独シッカルト・シュッテ社製、(床長:1,260mm、振り:180mm、バイト数:16個)、加工順序に応じたバイトをセットしておき、バイトの取替えの不便さをさけた旋盤である。ドイツの工作機械が米英を凌駕した時代に輸入されたもので、すでに主軸はコレット・チャックを採用している。通例のターレットと異なり横軸ドラム形であることが興味深い。
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:大正3年(1914年)、米国アメリカンツールワークス社製、(床長:2,438mm、振り:230mm)、当時としては高速、高精度の性能の優れた旋盤で、二番とり装置、テーパー削り装置を持つ。精密部品の加工には、もっぱらこの旋盤が使われ、信頼性が高く、当初より永年にわたって最も活用された機械である。単独駆動装置は、昭和14年に能率向上のため特に設置された。
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:大正15年(1926年)、製造会社(グリーソン社)米国、仕様(最大外径:15インチ、最大歯幅:1.75インチ)、グリーソン社で、曲がり歯かさ歯車の歯切盤として一応の完成を見た時代のもので、現在の歯切盤も基本的にはこれと変わりない.現在、この種の機械は自動車業界で最も多く使用されているが、当時の自動車業界は微々たるものであったので、本機の他はほとんど輸入されたものは無く貴重な存在であった.
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:昭和5年(1930年)、製造会社(Maag社)独 仕様(最大外径:400mm、 最大歯幅:200mm)、世界最高精度の歯車の研削仕上げが可能として、高い評価を誇ったドイツのマーグ社の歯車研削盤である.旧小倉陸軍造兵廠で活用されていたが、終戦後、本学に移管を受けたものである.
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国指定重要文化財(平成6年12月)、据付年代:昭和6年(1931年)、製造会社(足立製作所)日本、仕様(ストローク:300mm、テーブル直径:700mm)、刃物が上下運動をするもので、基本的な機能は形削盤と同じである.テーブルの位置や加工物の方向が自由にとれるので、溝削りの他、色々な加工に応用される.我国の工作機械の第二次発展期における中企業の製品である.
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国指定重要文化財(平成6年12月)、製造年代:昭和10年(1935年)から昭和14年(1939年)熊本高等工業学校製作、昭和10年に学生の実習用旋盤として、川井教授(大正14年~昭和21年在任)の指導の下に本学実験工場で製作されたものである.木型の製作から鋳造、機械加工、組立、調整まですべて当実験工場で行われた.昭和14年までの4年間に10台が製作されている.ちなみに当実験工場は広島高等工業学校(現広島大学工学部)の創設(大正9年)に際しては、かなりの工作機械の製作を担当し、同校の設備の充実に協力した.
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日本郵船の横浜支店として1936年に竣工。設計は和田順顕建築事務所。建物正面には16本のコリント式大円柱が立ち並び、内装は当時流行のアール・デコ様式を取り入れている。当時、三階には船の司厨員(コック)養成所も設けられた。戦後は米軍により接収されたが、接収解除の後は再び日本郵船の横浜支店として復活した。2003年に一階部分が改装され、現在、日本郵船歴史博物館となっている。 年代:1936年
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防火用に雨水を溜めておく桶。郵便汽船三菱会社の前身である九十九商会が1870年東京・深川の釜屋六右衛門に鋳造させたもので、1885年の日本郵船設立時にそのまま引き継がれた。前面に彫られた三菱マークは数少ない初期のスリーダイヤである。蓋にある”天水桶ノ賛”は、1940年に当時日本郵船の嘱託であった作家・内田百閒が執筆したもの。戦時中は横浜市の博物館に託され、金属類回収令による供出を免れた。 年代:1870年
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1929年に建造された浅間丸は、昭和初期の日本を代表する豪華客船。姉妹船の龍田丸・秩父丸とともにサンフランシスコ航路に就航し、「太平洋の女王」と称された。戦時中は日米交換船としても活躍するが、1944年南支那海にて雷撃を受け沈没。模型は「籾山艦船模型製作所」によるもので、艤装品の細部まで丁寧に作りこまれており、製作者の籾山作次郎をして「恐らく世界一精巧なる模型たる可し」と言わしめた。 模型サイズ縦420cm×横96cm×高さ200cm 縮尺:1/48 浅間丸総トン数:16,947トン 建造:三菱重工㈱長崎造船所 年代:1929年
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諏訪丸は1914年、三菱重工㈱長崎造船所にて欧州航路用に建造された貨客船。のちに日本郵船の社旗「二引」のマークがファンネルにつけられた第一船でもある。1943年にマーシャル諸島ウェーク島付近で雷撃を受け擱座、船体放棄。この窓枠は米国兵のパイロットが記念に取り外し、大切に保管していたもので、1994年に日本郵船へ寄贈された。 総トン数:11,758トン 年代:1914年
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1901年東陽堂発行の「風俗画報」239号臨時増刊。日本郵船の貨客船、春日丸と加賀丸に記者が乗船し、船内の様子や当時まだあまり知られていなかった西洋式の習慣やマナーを、カラーイラストを交え日本人向けに紹介している。船室の内装から乗客の服装にいたるまで、明治中期の船旅の様子を窺い知ることができる貴重な書である。 年代:1901年
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天洋丸は、東洋汽船のサンフランシスコ航路用に1909年4月22日竣工し、1926年に第二東洋汽船へ移籍、同年、同社と日本郵船の合併により継承された、わが国初の1万トン超(総トン数13,402)の大型船。タイムベルは通常30分ごとに鳴らして時刻を知らせ、4時間後には8つ鳴らしこれを8点鐘と呼び、船員の当直の交代を知らせる時や非常時に使われた。 年代:1909年
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旭日と富士山を背に画面外に飛び出すよう走るのは、欧州航路強化のため建造された8,500トン級の賀茂丸である。画面右上に、2週1回の運航予定、下部には、ロンドン街のシルエットをバックに寄港地と船会社、日本郵船ロンドン支店の住所が書かれている。簡潔に画面配置された文字とモチーフから想起される欧州航路イメージは、瞬間的に人目を惹き内容がすぐさま把握できるポスターの機能を十分に備え、日本海運の発展の喧伝に申し分ない、イギリスの荷主と旅客に向けた大型の英語版ポスター。 リトグラフ サイズ:152.3cm×102cm 年代:1908年頃
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浅野総一郎により1896年6月2日に創立された東洋汽船は、1898年12月15日サンフランシスコ航路を開設する。この英語版ポスターは、東洋汽船の社旗である富士を逆さにした扇型を髣髴させる画面であり、鉛筆での下書きのうえ彩色されるが塗り残しも多く未完成であることが伺える。黄色に着彩されたファンネル、船体が一部白に塗られていることから画面中央に航行するのは日本丸。画面右側に日本丸・香港丸・亜米利加丸の三姉妹船が見立てとして描かれ、それぞれ手には東洋汽船の社旗も持っている。サンフランシスコ航路開設にかける東洋汽船の意気込みが感じられるポスターである。年代:1897~1898年頃
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日本郵船と紡績業者の連合団体である大日本紡績連合が、インドから輸入する綿花運送について1905(明治38)年1月25日に締結した契約書。日露戦争に伴い、日本郵船はほとんどの社船を政府に徴用され、船腹不足のため孟買(ボンベイ)航路を一時休止せざるを得ない状態であった。このため綿花の安定輸送を目的とし、海運同盟間にあったイギリスP&O汽船、オーストリア・ロイド社、イタリア航運会社三社の船を利用すること、綿花の輸送量が多い場合、外国船社に交渉し傭船をできる旨などが記されている。 年代:1905年
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氷川丸で使用されていた六分儀。2つの物標の角度や天体の角度などを測る光学機器。全円を六分割した円弧の枠をもっているのでこの名が付いている。 製造:株式会社玉屋商店 年代:1946年
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世界初の純電気式小型計算機です。341個のリレー素子を用いて計算をおこないました。今日の電卓と同じ10キー式を採用。 発売時の価格は485、000円でした。年代:1957年 *樫尾俊雄発明記念館の見学は要予約。
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リレー(継電器)式で最初のプログラム機能付き計算機です。6ビット58ステップの命令を6枚の歯車(歯数60、入れ替え可能)であらかじめプログラムしておくことが可能でした。歯車の歯の有無で0又は1の判断をさせてプログラムを組む仕様で、官庁・大学の研究室に多く採用されました。年代:1962年
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初めてソフトウェア方式によるプログラム機能を備えた電卓です。演算・記憶素子にはトランジスタと磁気コアを使用。プログラムは30ステップ。置数以外の12個のキーにそれぞれ数字をプログラム命令として対応させているほか、2ステップの命令を加え、計14種類の命令を使って計算手順を覚えさせることができました。年代:1967年
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大画面ドット表示で任意の関数グラフや統計グラフを表示することが可能なプログラム関数電卓。米国では、数学教育界で学生の数学能力を高めるために、関数電卓を学校に採用する制度を制定するきっかけとなった製品です。年代:1985年
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厚さわずか0.8mmという薄型化技術の結晶といえるカード電卓です。1チップLSI、液晶、ソーラーバッテリーなどをすべてフィルム化することで、薄型化を実現。その革新性とスタイリッシュなフォルムから、米国のニューヨーク近代美術館に永久保管されています。年代:1983年
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1896年(明治29年)から、これまでのガワーベル電話機に変わり、より高感度のデルビル送話機を用いた電話機で、1965年(昭和40年)ごろまで使用された。製造年:1905年。製造会社等:NIPPON ERECTRIC CO,LTD TOKYO JAPPN。
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1897年(明治30年)初めての卓上電話機(机の上などに置ける)として登場。甲号の特徴は、日本で最初に「送受話」(話すところと聞くところ)が一体となり、実用価値が増した。同時に装飾品としてのデザイン面にも配慮がされている。製造年:1952年。製造会社等:九州電気通信資材部工作工場。
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1897年(明治30年)甲号と同時に登場。送受話器が別になっているだけで、他の部品は甲号と同様。製造年:不明。製造会社等:熊本電気通信工作工場。
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1899年(明治32年)2月、東京ー大阪間の長距離電話回線の完成により、長距離通話用として ソリッドバック電話機が採用された。当時、長距離通話の利用者は、年額6円の付加使用料を支払い長距離通話加入者(お客様)となることが必要であった。製造年:不明。製造会社等:不明。
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1903年(明治36年)京都の共電式交換機導入に伴い採用された。腕金の先端に送話器をつけた格好が“ガチョウの首”に似ていることから“グースネック”と呼ばれた。展示品製造年:1906年。製造会社等:NIPPON ERECTRIC CO,LTD TOKYO JAPPN。
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1907年(明治40年)に登場。主に構内交換機(PBX)の内線用(構内の中での電話機どおしの通話)として普及した。製造年:不明。製造会社等:不明。
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東京・大阪・名古屋の一部で1909年(明治42年)に登場。本格的な共電式時代迎え国産化した最初の電話機。製造年:1932年。製造会社等:東郷電機株式会社
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