「」 に対する検索結果 : 26351

前の50件 (8551-8600/26351)    次の50件

FORTNIGHTLY PASSENGER SERVICE ポスター

旭日と富士山を背に画面外に飛び出すよう走るのは、欧州航路強化のため建造された8,500トン級の賀茂丸である。画面右上に、2週1回の運航予定、下部には、ロンドン街のシルエットをバックに寄港地と船会社、日本郵船ロンドン支店の住所が書かれている。簡潔に画面配置された文字とモチーフから想起される欧州航路イメージは、瞬間的に人目を惹き内容がすぐさま把握できるポスターの機能を十分に備え、日本海運の発展の喧伝に申し分ない、イギリスの荷主と旅客に向けた大型の英語版ポスター。 リトグラフ サイズ:152.3cm×102cm 年代:1908年頃

情報所有館 : 日本郵船歴史博物館 


TOYO KISEN KAISHA THREE SISTER SHIPS 原画

浅野総一郎により1896年6月2日に創立された東洋汽船は、1898年12月15日サンフランシスコ航路を開設する。この英語版ポスターは、東洋汽船の社旗である富士を逆さにした扇型を髣髴させる画面であり、鉛筆での下書きのうえ彩色されるが塗り残しも多く未完成であることが伺える。黄色に着彩されたファンネル、船体が一部白に塗られていることから画面中央に航行するのは日本丸。画面右側に日本丸・香港丸・亜米利加丸の三姉妹船が見立てとして描かれ、それぞれ手には東洋汽船の社旗も持っている。サンフランシスコ航路開設にかける東洋汽船の意気込みが感じられるポスターである。年代:1897~1898年頃

情報所有館 : 日本郵船歴史博物館 


孟買綿花積取契約書

日本郵船と紡績業者の連合団体である大日本紡績連合が、インドから輸入する綿花運送について1905(明治38)年1月25日に締結した契約書。日露戦争に伴い、日本郵船はほとんどの社船を政府に徴用され、船腹不足のため孟買(ボンベイ)航路を一時休止せざるを得ない状態であった。このため綿花の安定輸送を目的とし、海運同盟間にあったイギリスP&O汽船、オーストリア・ロイド社、イタリア航運会社三社の船を利用すること、綿花の輸送量が多い場合、外国船社に交渉し傭船をできる旨などが記されている。 年代:1905年

情報所有館 : 日本郵船歴史博物館 


六分儀

氷川丸で使用されていた六分儀。2つの物標の角度や天体の角度などを測る光学機器。全円を六分割した円弧の枠をもっているのでこの名が付いている。 製造:株式会社玉屋商店  年代:1946年

情報所有館 : 日本郵船歴史博物館 


14-A

世界初の純電気式小型計算機です。341個のリレー素子を用いて計算をおこないました。今日の電卓と同じ10キー式を採用。 発売時の価格は485、000円でした。年代:1957年    *樫尾俊雄発明記念館の見学は要予約。

情報所有館 : 樫尾俊雄発明記念館 


AL-1

リレー(継電器)式で最初のプログラム機能付き計算機です。6ビット58ステップの命令を6枚の歯車(歯数60、入れ替え可能)であらかじめプログラムしておくことが可能でした。歯車の歯の有無で0又は1の判断をさせてプログラムを組む仕様で、官庁・大学の研究室に多く採用されました。年代:1962年

情報所有館 : 樫尾俊雄発明記念館 


001

リレー計算機でわが国の計算機市場を牽引していた当社が最初に発売した電卓です。電卓では初となるメモリー機能を装備していました。年代:1965年

情報所有館 : 樫尾俊雄発明記念館 


AL-1000

初めてソフトウェア方式によるプログラム機能を備えた電卓です。演算・記憶素子にはトランジスタと磁気コアを使用。プログラムは30ステップ。置数以外の12個のキーにそれぞれ数字をプログラム命令として対応させているほか、2ステップの命令を加え、計14種類の命令を使って計算手順を覚えさせることができました。年代:1967年

情報所有館 : 樫尾俊雄発明記念館 


fx-7000G

大画面ドット表示で任意の関数グラフや統計グラフを表示することが可能なプログラム関数電卓。米国では、数学教育界で学生の数学能力を高めるために、関数電卓を学校に採用する制度を制定するきっかけとなった製品です。年代:1985年

情報所有館 : 樫尾俊雄発明記念館 


SL-800

厚さわずか0.8mmという薄型化技術の結晶といえるカード電卓です。1チップLSI、液晶、ソーラーバッテリーなどをすべてフィルム化することで、薄型化を実現。その革新性とスタイリッシュなフォルムから、米国のニューヨーク近代美術館に永久保管されています。年代:1983年

情報所有館 : 樫尾俊雄発明記念館 


デルビル磁石式壁掛電話機(大)

1896年(明治29年)から、これまでのガワーベル電話機に変わり、より高感度のデルビル送話機を用いた電話機で、1965年(昭和40年)ごろまで使用された。製造年:1905年。製造会社等:NIPPON ERECTRIC CO,LTD TOKYO JAPPN。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


デルビル磁石式壁掛電話機(小)

機能等はデルビル磁石式壁掛電話機(大)と同様。製造年:1954年。製造会社等:熊本電気通信工作工場。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


デルビル磁石式甲号卓上電話機

1897年(明治30年)初めての卓上電話機(机の上などに置ける)として登場。甲号の特徴は、日本で最初に「送受話」(話すところと聞くところ)が一体となり、実用価値が増した。同時に装飾品としてのデザイン面にも配慮がされている。製造年:1952年。製造会社等:九州電気通信資材部工作工場。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


デルビル磁石式乙号卓上電話機

1897年(明治30年)甲号と同時に登場。送受話器が別になっているだけで、他の部品は甲号と同様。製造年:不明。製造会社等:熊本電気通信工作工場。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


ソリッドバック磁石式壁掛電話機(大)

1899年(明治32年)2月、東京ー大阪間の長距離電話回線の完成により、長距離通話用として ソリッドバック電話機が採用された。当時、長距離通話の利用者は、年額6円の付加使用料を支払い長距離通話加入者(お客様)となることが必要であった。製造年:不明。製造会社等:不明。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


ソリッドバック磁石式壁掛電話機(小)

同上。展示品製造年:不明。製造会社等:不明。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


グースネック共電式壁掛電話機

1903年(明治36年)京都の共電式交換機導入に伴い採用された。腕金の先端に送話器をつけた格好が“ガチョウの首”に似ていることから“グースネック”と呼ばれた。展示品製造年:1906年。製造会社等:NIPPON ERECTRIC CO,LTD TOKYO JAPPN。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


SP号磁石式卓上電話機

1907年(明治40年)に登場。主に構内交換機(PBX)の内線用(構内の中での電話機どおしの通話)として普及した。製造年:不明。製造会社等:不明。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


2号共電式卓上電話機

東京・大阪・名古屋の一部で1909年(明治42年)に登場。本格的な共電式時代迎え国産化した最初の電話機。製造年:1932年。製造会社等:東郷電機株式会社

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


2号共電式壁掛電話機

2号共電式壁掛電話機は、京都についで東京、大阪、名古屋で利用された。製造年:1954年。製造会社等:熊本電気通信工作工場。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


3号共電式卓上電話機

1933年(昭和8年)から3号シリーズの機種で親子電話の子電話や共電式PBXの内線電話としも使用された。製造年:不明。製造会社等:NEC。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


3号磁石式卓上電話機

1933年(昭和8年)に登場。日本の代表的な磁石式電話機。製造年:1965年。製造会社等:日本電信電話公社

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


3号共電式壁掛電話機

1933年(昭和8年)から3号シリーズの機種で親子電話の子電話や共電式PBXの内線電話としも使用された。製造年:不明。製造会社等:沖電気株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


3号自動式卓上電話機

1933年(昭和8年)に登場。国産初の送受話器を連結した斬新なスタイルので、その後、いろいろな電話機の原形となり、代表的な電話機として、30年間活躍した。きょう体に初めて、合成樹脂の一種であるベークライトが使用された。製造年:1950年。製造会社等:NEC。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


92式電話機

戦時中に戦場で使用された電話機。製造年:不明。製造会社等:OKI ERECTRIC CO,LTD。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


8263-B共電式卓上電話機

1940年(昭和15年)から親子電話の子電話や共電式PBXの内線電話としても使用された。製造年:不明。製造会社等:不明。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


23号自働式壁掛電話機

1950年(昭和25年)頃は自動改式当初の2号自動式壁掛電話機が旧式のまま、20万台弱、利用されていた。 しかし、この電話機は伝送特性が悪く、部品材料も旧形のままであった為、1953年(昭和28年)、3号自動式電話機と同一の伝送特性及び品質に改善し23号自動電話機として利用された。製造年:1955年。製造会社等:熊本電気通信工作工場。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


4号自動式卓上電話機

第2次世界大戦直後から開発され、1950年(昭和25年)に登場。戦後の復興をとげ高度成長を目指した時期に徐々に家庭のシンボルとなっていった4号電話機。交換手を通さず直接目的の電話に発信操作できる「自動式」はこの電話機から本格的に普及・拡大した。また、機能・デザインともに優れ、その後の電話機を象徴する形として引き継がれた。製造年:1957年。製造会社等:日本電気株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


4号自動式卓上電話機・わかくさ

1950年(昭和25年)に登場。 はじめて、黒以外の塗装が採用され、「若草」、「うすねず」、「象牙」、「えんじ」「ふじ」、「あおたけ」、「桃」、の7色がラインフップされた。製造年:1961年。製造会社等:岩崎通信機械株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


4号磁石式卓上電話機

4号自動式卓上電話機は1950年に採用されたが、全国に自動交換機をすべて取り付けるには大変な時間がかかることから、自動交換機未設置地域と地域として団体で使用する制度含め、4号磁石式卓上電話機の製造も続いた。本機はハンドル式で交換手を呼び出しつなぐ方式であった。製造年1960年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


4号共電式卓上電話機

1950年(昭和25年)から4号シリーズの機種で親子電話の子電話や共電式PBXの内線電話としても使用された。製造年:1965年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


ボーズホン電話機

電電公社のサービスでなく、民間電機メーカーが販売した。4号電話機を2台背中合わせに連結し、受話器をひとつにまとめたデザインになっている。ダイヤルは2基有り、前後どちらのダイヤルからでも操作できた。机を向かい合わせに置き、その間に本電話機を設置すれば、1台の電話機と回線をそれぞれの机で共用できる。1985年(昭和60年)ころまで小倉の新聞社デスクで使用されていた。製造年:1957(S32)年。製造会社等:岩崎通信機株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


600-A1卓上電話機

1963年から4号電話機に代わって登場したのがこの600形電話機。4号電話機に比べ3倍の感度を誇り、従来よりも細い電話線でも同等以上の通話品質を保つことができた。施設設置のコストダウンを図ることができ日本中の電話網の整備に一層の弾みがついた。また、初めてプリント基板が採用された。製造年:1964年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


600-A2卓上電話機・グリーン

600形電話機は、10パルス/秒のダイヤルのモデルを600-A1形、20パルス/秒ダイヤルのモデルを600-A2とした。1971年(昭和46年)からグリーン・ウオームグレー・アイボリーが追加された。製造年:1972年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


600-A2卓上電話機・ウォームグレー

製造年:1974年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


600-A2壁掛電話機

600形電話機はその用途に合わせ卓上型と壁掛型が製造された。電話機を乗せておく机などが設置できない商店や工場などの要望により開発された。製造年:1982年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


600-P卓上電話機・ウォームグレー

600P形は、1969年にダイヤルパルス信号とちがい周波数を組み合わせたプッシュボタン信号(プッシュトーン)の電話機が登場した。当初は「押しボタン式電話機」と呼ばれたが、1970年に公募により「プッシュホン」と命名。DTMF(プッシュトーン)はのちに、電話回線を通じて機器を操作するという、「通話」以外の使用方法を実現させた。製造年:1977年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


600-P卓上電話機・グリーン

サービス開始、機能は600-P卓上電話機・ウォームグレーと同様。製造年:1980年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


601-A2卓上電話機・アイボリー

600形のコストダウンを主な目的として1971年(昭和46年)からサービスが開始された。特徴としては、600形とくらべ小型化し、重量は3分の2、部品の数も約半分になっている。また、送話器・受話器も改良され、感度も向上している。 さらに、ベルの音が樹脂製の棒で鳴動するので600形とは、音色が違ったが、着信固定音、最後の電話機であった。色は、「黒」「アイボリー」「グリーン」「グレー」の4色。製造年:1984年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


601-A2卓上電話機・グリーン

同上。製造年:1989年。製造会社等:日本電信電話株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


601-P卓上電話機・ブラック

1972年(昭和47年)に600-P形の後継としてサービスが開始された。特徴としては、600形の弱点であったプッシュボタンを押すときの劣化防止と回路を変更しました。 色は、「ブラック」「アイボリーホワイト」「グレー」「クリーム」「グリーン」「ライトグリーン」「ブルー」「ライトブルー」「ワインレッド」「コーラル」 10色でカラフルなラインナップとなった。本電話機はNTT発足以前に製造されており、電電公社マークの上からNTTマークのシールが貼られている。製造年:1983年。製造会社等:日本電信電話株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


601-P卓上電話機・アイボリーホワイト

同上。本電話機はNTTになってから製造されたもの。製造年:1985年。製造会社等:日本電信電話株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


601-P卓上電話機・ワインレッド

同上。本電話機は電電公社時代に製造されたもの。製造年:1984年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


601-P壁掛電話機

601-PW形壁掛電話機は、ベル装置を電子音にし、601形とは異なる薄型の形態となった。これが現在の電話機のデザインへの布石ともなり、3号電話機以来40年以上続いた「黒電話」の時代から大きく舵を切った。製造年:1982年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


800-2P「タテ」(黒漆・鶴)

1981年(昭和56年)に小型化、経済性、デザインの多様化機能の向上と電話機の回路にLSIを用いたことから電子電話機とも言われた。特徴的な機能は、①相手の音声をスピーカーから聞く機能。②受話機を取らずに電話番号を押せる機能。③再ダイヤル機能であった。機種は、タテ、カベ、スリム、ピラミッド、ミニ、ウォールなどの機種が誕生した。製造年:1985年。製造会社等:日本電信電話株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


800-2P「カベ」(白)

機能は800-2P「タテ」と同様。本電話機は電電公社時代に製造されたもの。製造年:1983年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


800-2P「サンカク」(茶)

機能は800-2P「タテ」と同様。本電話機はNTTになってから製造されたもの。製造年:1985年。製造会社等:日本電信電話株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


T-104A2(ホームテレホン)

1971年(昭和46年)ダイヤル式がサービス開始。プッシュ式は翌年1972年(昭和47年)に当時の住まいのインテリアに合うようにスマートなデザインとして、サービス開始。1つの電話回線で4台まで取り付けられ、内線電話など機能・操作にも優れていた。製造年:1977年。製造会社等:岩崎通信機株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


ET-104P-2(ホームテレホン)

1982年(昭和57年)モデルチェンジし登場。製造年:1985年。製造会社等:日本通信工業株式会社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


BC-A2電話機(シルバーホン「ひびき」)

1978年(昭和53年)、聴覚障害の方(難聴の方)で、受話音量の増加だけで聞こえにくい方に知覚(刺激)する受話器を装備した。製造年:1981年。製造会社等:日本電信電話公社。

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 


前の50件 (8551-8600/26351)    次の50件