「」 に対する検索結果 : 26836件

前の50件 (8551-8600/26836)    次の50件

梅染付香爐

香をたくのに使う器である。磁器の白い素地に呉須と呼ばれる青い顔料で下絵付けする染付の技法で文様が表現されている。作品正面には梅文が、その背面には竹文が描かれている。底部には「悠」と銘が記されている。付属品として銀製の火屋が付いている。火屋には透かし彫りにより松の文様が施されており、香炉の梅・竹とあわせて「松竹梅」のモチーフが表現されている。箱のふた表面に「梅染付香爐 悠」と墨書されている。近藤悠三(1902~1985)は京都市清水生まれの陶芸家。1977年に国指定重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定されている。【近藤悠三作】

情報所有館 : 那覇市立壺屋焼物博物館 


鉄砂抜絵巡礼者模様皿

口縁がつば状の皿である。器の内面には白濁色の釉薬をかけ、模様にする部分にロウを置いて、その上から鉄砂釉を掛けている。蝋抜絵により山と托鉢の巡礼者の図柄が表現されている。この図柄は作者が陶器の文様としてよく用いたものである。縁は無釉。外面には褐色の釉を掛け、その上から鉄砂釉を掛けている。高台内には白濁色の釉薬が施されており、また「BL」の文字が褐色の釉で記されている。「BL」は作者バーナード・リーチのイニシャル。バーナード・リーチはイギリスの陶芸家。富本憲吉、柳宗悦、濱田庄司らと親交を深め、沖縄・壺屋では濱田庄司とともに何度か滞在し、陶芸制作を行った。【バーナード・リーチ作/1950年】

情報所有館 : 那覇市立壺屋焼物博物館 


香合

香を一時的に貯えておくための器。ふたの表面は中心から3方向にかけて液状の白色粘土が刷毛で波状にぬられている。ふた、身ともに全体に釉薬が掛けられている。ふたの表面と身の内側と外面胴部は黄土色に発色しており、ふたの裏面と身の腰部および底部は灰濁色に発色している。箱のふた裏面に「19BL53」と墨書されている。「BL」は作者バーナード・リーチ(1887~1979)のイニシャルである。【バーナード・リーチ作/1953年】

情報所有館 : 那覇市立壺屋焼物博物館 


畜力原動機:傘型式

牛馬の歩行を回転動力に変換する装置。岡山県邑久郡豊村の奥山鹿吉による1902(明治35)年の発明。太い木製主軸を垂直に立て、これを中心に上部に16~24本の腕木を傘型に張り出し、その先端をY字型とし、これに動力伝達用のロープをかける。傘の直径は3m内外で、大型では6mに及ぶ。主軸のやや下方に、長さ1.5~2.1mの曳木をつけ、これを牛馬にひかせて回行させ、傘からのロープで脱穀機や籾摺機を運転する。明治末期から普及し、1921(大正10)年には岡山県下だけでも12,000台の普及をみた。年代:1902年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


揮発油発動機:アンドロー式

熱効率の高い輸入発動機。農林省農産課が、国産石油発動機改良上の参考品として1928(昭和3)年ころパリのシトロエン工場から購入。本機は特殊なリンク機構によって、吸込・圧縮・爆発・排気のピストン行程長が異なる差動を行なう珍しい発動機で、熱効率を試算すると約35%となり、当時の揮発油発動機としては記録破りの値。回転数1,300rpm、正味馬力4.0(3kW)、燃料消費量(毎時毎馬力)173gとされている。年代:1928年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


単用犁

利用末期の日本式改良型畜力用犁。1920(大正9)年ころ、農林省農事試験場技師が考案改良した。農業の基本である大地の掘り起こしに畜力を用いる起源については諸説多いが、我が国でも2000年に近い。農林省農産課は赤羽飛行機製作工場に委託して100台製作し、全国各府県に2台ずつ送った。この犁に模して製作された犁も用いられた。年代:1920年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


動力耕耘機:ロータリ式

国産初期の歩行動力耕耘機。1952~53(昭和27~28)年ころの久保田鉄工所(現:クボタ)製。発動機はクボタ式 CHC型5~6馬力(3.75~4.5kW)、回転数1,000~1,200rpm。試験用のために、ハンドルの下に力量測定装置が付いている。輸入・国産を問わない歩行型動力耕耘機の普及が、順次、畜力に取って代わった。耕耘作業部機構は現在、歩行用・乗用を問わず大半がロータリ式であり、その最も初期の形式である。年代:1952年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


動力耕耘機:スクリュ式

縦2軸のスクリュが同期回転し、土を切削耕耘する方式の歩行動力耕耘機。古川農機具工業株式会社(石川県金沢市)製。1955~1965(昭和30)年代に全国的に利用された。本機は軽量小型、低重心で安定性が良い。畦際耕うんの際にはスクリュ刃軸を移動することができ、その前後方向傾斜角も調節できる。スクリュ式耕耘機構は、高速作業には不適であるが砕土性能が高く、根菜類の栽培に適しているとされ、現在も一部で用いられている。年代:1960年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


乗用トラクタ

純国産、初の乗用可能なトラクタ。1951(昭和26)年、石川島芝浦機械が開発・生産した。リヤエンジンの三輪タイプで旋回性に優れ、作業機はミッドマウント(腹装式)で視認性が良い。特に水田車輪装着による高速代掻き作業や腹装モーアによる牧草刈取り作業、また左右に装着した左反転と右反転プラウによる往復耕耘作業に威力を発揮した。さらに本体前部を取り外し、ハンドルと耕耘ロータリを装着して歩行型耕耘機としても使えるユニークな機構である。北海道・東北、特に酪農地帯で使用され、生産台数は1951(昭和26)年から1958(昭和33)年まで477台を数えた。年代:1951年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


人力田植機

実用にも供された人力田植機。二反田春三(広島県)の考案による1955(昭和30)年ころの試作品。成苗用2条植で、把手を押せば中央にある径60cmの走行車輪が回転して前進し、この車輪軸に付いている苗送り機が運動して、成苗が前方に出てくる。そのとき、同じく車輪軸に付いている植付爪が動いて成苗を植えつける。田植機開発の先駆。年代:1955年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


人力田植機:帯苗式

我が国最初の市販人力田植機。カンリウ工業(長野県塩尻市)が1965(昭和40)年に発売し、各地で使用された。手押しにより走行車輪から動力を得て帯苗を連続的に送り出し、6枚の切断刃を持つ「植爪車」で帯苗の切断・植え込みを行う。ポリシート折込み育苗の土付き帯苗(短冊苗とも言う) を用いる方式。1968(昭和43)年には動力式が発売された。作業能率10a当たり2.5~3時間。年代:1965年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


動力田植機:ひも苗式

エンジン搭載型初期田植機。ヤンマー農機(現:ヤンマー)、1970(昭和45)年製。最初の実用田植機に用いられた帯苗から、現在のマット苗に移行する中間形式と言える「ひも苗」田植機。1株分の苗は苗ひもを適切な長さに切断して得られる。ひも苗の育苗は、短冊苗より省力的であるものの、マット苗に比較してなお複雑であり、次第にマット苗に転換した。価格171,000円。作業能率10a当たり1~1.5時間。年代:1970年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


水田中耕除草器

利用末期の手押し式水稲中耕除草器。昭和初期、農林省農事試験場技師が鴻巣試験地の工場で製作。「除草」は、田植え・稲刈りほど期間集中せず、加重ではないものの最も長期間にわたり必須な作業であった。本機は稲株の根際までも中耕・除草しうるように、従来の爪車の幅を半分にし、稲株をまたいで使用するようにした。昭和40年代の除草剤の普及により、除草作業は格段に省力化された。年代:1930年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


刈取機

普及型人力手押し刈り取り機。関農具商会(岡山県津山町)製。1925(大正14)年の農林省委託大日本農会の稲麦刈取機の設計図面の懸賞募集に入選、つづいて大正15年の刈取機懸賞募集に入選した。前部の搬送部から送り込まれてくる稲稈は、1枚の鎌状固定刃で刈り取られ、後部の収納箱に収容され、レバー操作により放出される。人力用刈取機は、多くの篤農家・野鍛冶により、様々な形式が開発・利用され、我が国における本格的な圃場農作業機械化の嚆矢となった。年代:1925年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


結束機

刈り取った稲束をハンドリング単位に束ねる人力結束作業機。大正末~昭和初期、五光技研工業株式会社(愛媛県)製。作物の収穫、具体的には稲の刈り取りとハンドリングは最も重労働であり、人力に依存する時代にも多くの工夫が行われた。誘導アームにより刈り倒し集束した稲稈を抱きかかえ込むようにハンドルを閉じると、縄捻鉤(なわねじりかぎ)と嵌込軸が作用して縄を捻り、嵌め込んで直径5~15cmに結束する。昭和中期のバインダ(稲刈り取り結束作業機)のメカに採用されたが、コンバインの普及により、結束作業行程そのものが消滅した。年代:1925年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


連枷(れんが)

一説によれば数千年に渡り利用された脱穀用具。古く中国より伝来。「からさお」、「めぐり棒」、「くるり捧」などとも呼ばれ、竹の柄の先端に横木をわたし、この横木に回転できるようにした堅木(または竹を編んだもの)を取り付け、筵(むしろ)に麦類・豆類・菜種、脱粒性の良い品種の稲などを敷き広げ、これを上からたたいて脱穀・脱莢(だっきょう)する。脱穀は収穫・刈取りに次ぐ重要にして加重な作業である。なお脱粒性の良くない一般的な稲には扱箸が用いられた。

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


千歯稲扱

普及末期モデルの千歯稲扱。窪添之助(大阪府堺市)が1902(明治35)年に扱歯の並びを彎曲させ、作業効率を上げて特許を得た。千歯は元禄期に竹製の扱歯で考案されたと伝えられ、漸時扱箸を駆逐し、明治中期から鉄製扱歯が普及した。日本農具製造株式会社(神戸市)で量産、当時の価格は3円で、1911(明治44)年の年産5万挺。朝鮮、南アメリカ、フィリピンにも販売し、同年、帝国農会主催の全国農具展覧会で4等賞受賞。千歯は神事等、少量の脱穀機として現在も一部で用いられている。年代:1902年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


脱穀機:西谷・福永式

現存する最古の足踏み回転脱穀機。福永章一(山口県佐波郡牟礼村)によって考案され1911(明治44)年に特許第19621号を得ている。その後、1913(大正2)年に山口県を除く地での製作販売の権利を西谷繁雄(東京)に譲渡し、西谷が改良を加え、西谷・福永式として販売した。脱穀機の登場によって千歯は消滅に向かう。年代:1911年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


脱穀機:岡市式

広く普及した中期の足踏み回転脱穀機。岡市農具製作所(大阪府北河内郡川越村)の岡市半兵衛が開発製造。1924(大正13)年に実用新案80539号を得ている。架台は鉄製、三角型扱歯は遊動式で、遠心力により扱歯が伸出する機構は独特であり、国内に止まらず満州・台湾・朝鮮などでも販売された。さらに改良が加えられた脱穀機構は、足踏み式から動力脱穀機に発展し昭和末期には自脱型コンバインの心臓部に組み込まれた。年代:1924年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


製縄機

世界初と推定される人力用製縄機。開発した宮崎林三郎は盲人でありながら1905(明治38)年に特許を取得、製縄機の開祖といわれる。1911(明治44)年の帝国農会主催全国農具展覧会に出品し、5等賞受賞。人力用として開発された製縄機は、その後動力に電動機を用いるようになり、昭和中期まで主要な農機具として広く用いられた。年代:1905年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


牽引動力計

牛馬の牽引力または被牽引作業機の抵抗力を測定する計器。昭和初期、国立の農業試験研究組織であった農事試験場の技師が試作し、改良を加え用いられた。耕鞍の左右に円筒形コイルバネの牽引動力計を取りつけ、上部の糸巻車によって記録紙を巻き取りながら牽引力を記録する。年代:1935年

情報所有館 : 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 


腰掛式洗落し便器 C14

それまで使用されてきた洗落し式便器(C15)の高さを日本人の体格に合わせて低くしたもの。座面が小さく、水たまり面が狭いため汚れやすい欠点があったが、昭和時代中期のトイレの水洗化工事の際の代表的な製品として多く採用された。     年代:1957年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


腰掛式洗落し便器 C15

ヨーロッパの影響を受けて廉価品として開発された腰掛便器。便器の高さが日本人には高すぎるため、後に高さの低い便器(C14)にモデルチェンジされた昭和初期の代表的な水洗便器である。年代:1929年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


腰掛式サイホン便器 C21

サイホン作用を利用して洗浄する水洗便器。座面が大きく、水たまり面が洗落し便器よりも広いため、中級クラスの便器として多く採用された。年代:1955年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


腰掛式サイホンゼット便器 C38

昭和時代初期に開発されたサイホンゼット式の国産初の高級便器。サイホン作用とゼット噴流による強力な洗浄方式の採用で、座面が大きいためゆったり座れ、水たまり面が広くて汚れにくい大型の水洗便器の商品化が実現。帝国議会議事堂を始めとした昭和時代初期の賓客が使用する著名な建物に採用された。年代:1927年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


腰掛式サイホンゼット便器 C710&S710B

最初の節水便器として開発されたサイホンゼット式の便器。それまでのサイホンゼット便器は洗浄に20Lの水を消費していたが、この便器の登場により洗浄水量は13Lになった。年代:1976年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


ウォシュレットクイーン TCF950

便器とウォシュレットを一体化し、両者をトータルデザインした初代機種。従来のウォシュレットが有していた「おしり洗浄」「ビデ洗浄」「温風乾燥」「暖房便座」の機能に加え、「洗浄ノズル位置調節」や「ムーブ洗浄機能」、手元でらくらく操作できる「ワイヤレスリモコン」など12の特長を備えた豪華な多機能便器である。年代:1987年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


ネオレストEX1 CES990B

ローシルエットタイプのタンクレス便器で、洗浄用のタンクがないため、トイレ空間を広く見せることができるのが特長。水道直圧式で、洗浄はシーケンシャルバルブで行い、便器洗浄に最適な水量を自動制御するしくみになっている。年代:1993年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


幼児用便器 C40

保育園児用の高さの低い国産初の腰掛便器。保育園のトイレに設置され、そこで園児が使用する。排泄行為が自分でできるようになることは子どもの成長過程においてとても重要なことで、大人の手を借りることなく使用できる大きさの便器の存在は大きな意味がある。年代:1959年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


力士用便器 CZ432

日本相撲協会からの要請を受けて、大相撲の力士のために開発した便器。力士の体格に合わせて、座面の大きさを幅5cm、奥行き7cm大きくしている。座ったときに破損しないように便座の厚みを厚くした便座を組み合わせて使用する。年代:1985年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


和風洗出し便器 C1

トラップのない和風洗出し便器で、昭和初期に多くの建物で使用された。トラップは別に製作した陶器製のものを組み合わせて使用する必要があり施工に手間がかかった。年代:1931年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


和風サイホンゼット便器 C202

水たまり面を大きく確保した最高級和風便器。汚れにくく、使用中のにおいの発散も抑えられる特長を持っていたが、用便時に水の跳ね返りがあるため使用者から敬遠された。年代:1955年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


和風腰掛便器 C103

お年寄りや妊婦が用をたす際に足腰が疲れないように、腰掛便器のように便座をセットして座って使用することもできるようになった和風便器。年代:1936年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


掃除口付和風便器 C74

和風便器は床に埋め込んで設置するため万一異物が詰まったときは処置が大変で、最悪の場合は便器を壊さないといけない事態が発生する。そこで、便器はそのままで処置できるように、本体に陶器製の掃除口部を設けた便器。ふたも陶器製で、ねじを切ってねじ込むようになっているのが珍しい。年代:1932年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


駅舎用便器 C69

旧国鉄からの要請で製作した駅舎用の便器。床を洗った水を便器に流し込めるように「きんかくし」と呼ばれる前立てをなくすとともに、床と面一に仕上げられるように直線状の形状になっている。また、万一便器が詰まったときに汚水が外にあふれないようにオーバーフローがついているのも特長の一つである。年代:1959年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


東南アジア向け便器 CE6

ビルマ(現:ミャンマー)で使用される便器で、ビルマ便器と呼ばれた。本体を床に埋め込んで和風便器のようにしゃがんで使用するが、「きんかくし」と呼ばれる前立てがない。日本と異なり入口側に向いてしゃがんで使用するのが正しい使い方になるので注意を要する。年代:1954年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


手洗付ロータンク S161

手を洗った水を便器の洗浄用に再利用するようにした国産初の手洗付ロータンク。節水効果が得られるだけではなく、トイレ内に手洗器を設置しなくても済むため、トイレを広く使用することができ、しかも工事代も安く抑えることができる。年代:1960年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


ビデ B5

大便器の横に設置し、用便後のおしり洗浄、女性の小用後や生理時の局部洗浄に使用する。足洗い、足湯などにも使用でき、とても便利な器具であるが、日本ではトイレが狭く設置することが困難なことが多かったこともあり、あまり普及しなかった。年代:1952年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


ウォッシュエアシート Y9524

1964年よりアメリカから輸入販売していた温水洗浄便座「ウォッシュエアシート」を日本の使用環境に合わせて使いやすくするために一部仕様変更し、国産化を図った製品。当該品は「ウォシュレット」開発時に現存する製品として参考にされた。     年代:1969年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


ウォシュレットG TCF401

「おしりだって、洗ってほしい」という鮮烈なコマーシャルで一躍有名となり、日本に新しいトイレ文化を創造した初代ウォシユレツト。お湯の温度は何℃なら快適に感じるか、どこに当てればよいかなど、多くの人からのデータをもとに商品開発が行われた。年代:1980年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


携帯ウォシュレット YEW300

旅行や出張など外出先で気軽に使える携帯用ウォシュレット。電池仕様のため海外へ出かけたときでも使用できる優れものである。年代:1997年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


音姫 YES100D

フラッシュバルブの流水音と同じ音が流れ、女性の小用時の排泄音をかき消してプライバシーを守るトイレ用擬音装置。消音のための水のムダ使いをカットすることができる。乾電池式もあり、既設のトイレにも簡単に取り付けることができる。      年代:1988年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


壁掛小便器 U23

ごく一般的な朝顔形の普通小便器。価格が安価なため、中小の建物で多く採用された昭和時代の代表的な小形小便器である。年代:1951年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


壁掛ストール小便器 U37

壁掛式の大型ストール小便器。両袖があるため、小便器を連立して設置する場合に仕切板を設けなくてもよいという特長を持っている。高級な建物のパブリック小便器として多く採用された昭和時代の代表的な小便器である。年代:1931年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


ストール小便器 U25

子どもから大人まで年齢に関係なく使用できる大型のストール小便器。高さが1,230mmもあり、陶器でこのような大きな製品を製造することはとても難しく、高度な技術を要した。昔は大きいものほど高級品とのイメージが強かったため、当該品はグレードの高い建物に設置された。年代:1927年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


サニスタンド U110

1964年に東京オリンピックが開催された国立競技場の地下の女子トイレに設置され、女性も立って小便が出来ると評判になった小便器。立ったまま楽に用が足せるという特長を持っていたが、ターゲットである女性から敬遠されたこともあり、まもなく製造中止となった。しかし、今でも珍しい小便器として話題になることが多い。年代:1951年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


筒型小便器 U100

料亭など、和風建築と調和するようにデザインされた小便器。水と電気は相性が悪いため、人が小便器の前に立つと体重を検知して自動的に小便器を洗浄する仕組みが採用された。とても便利で、自動洗浄機能付小便器の原形でもある。       年代:1934年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


そで付手洗器 L5

使用中に水が周囲に飛び出すのを防ぐために、ボウルの上部の後と左右の3ヵ所に「ついたて状」の低い壁を設けた中型の手洗器。家庭から中小の飲食店まで幅広く設置された昭和時代を代表する手洗器である。年代:1951年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


そで付洗面器 L70

使用中に水が周囲に飛び出すのを防ぐために、ボウル上部の後と左右の3ヵ所に「ついたて状」の低い壁を設けた高級大型洗面器。排水栓はポップアップ式で、賓客が利用する建物の洗面所に設置された。年代:1925年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


そで付洗面器 L91

使用中に水が周囲に飛び出すのを防ぐために、ボウル上部の後と左右の3ヵ所に「ついたて状」の低い壁を設けた小型洗面器。排水栓はゴム栓式で、昭和時代の代表的洗面器である。年代:1930年

情報所有館 : TOTOミュージアム 


前の50件 (8551-8600/26836)    次の50件