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わが国の稲作への電動機の利用は、1902(明治35)年に、ドイツのシ−メンス社の電動機による水田潅漑とされている。当初は他の原動機と同様に、わが国の電動機の生産は欧米諸国の模倣生産に始まったが、明治の終わりごろには、国産化できるようになった。この機械は、1910(明治43)年に生産された日立製作所の三相誘導電動機で、国産第1号機である。
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鍬は数百種あるとされる。これは室町時代以降、全国各地の野鍛冶によって、作業の目的や土の硬さなどに応じ、刃の形や大きさを変えたり、刃と柄の角度を変えたためである。耕すことを主たる目的とした「打ち鍬」は、刃と柄の角度は70゜以上。土さらいや畦塗りを目的とする「平鍬」は同角度が40°ぐらい。刃の形状も、一枚の板になっているもの、2-4本の刃で作られているものなど種々である。明治、大正、昭和年代に使用。
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水田の畦塗り作業用に用いる鍬で、刃の部分の構造によつて、風呂鍬(1)と金鍬(2)がある。風呂鍬は、木製の台に刃と柄を取り付けたもので、金鍬は刃部のすべてが鉄製である。風呂鍬は刃を修理するとき、刃の部分を着脱すればよく、金鍬に比べ軽量で使いやすい。金鍬は重いが、頑丈でこわれにくい。鍬は、現在もなお補助農具として、全国各地で使われている。1700年代に堺の農人と野鍛冶屋により開発。1960(昭和35)年頃まで使用。
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明治に入ったころでも、水田耕起の多くは鍬による人力作業であった。しかし西日本では犂を用いての牛馬による耕起が行われ、とくに北部九州ではさかんに牛馬耕が行われていた。このころ使われていた犂は、長床犂、無床犂と呼ばれる犂であった。長床犂は長い犂床をもっていて、安定が良く使いやすい。しかし、牽引に大きな力が必要で、深耕や畦立ての作業がしにくい。1935~1945(昭和10~20)年に使用。
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この犂は、佐賀県で使われていた無床犂で、抱持立犂と呼ばれた。無床犂は長床犂と共に、当時を代表する犂である。無床犂は犂床が全く無いので、使用中の安定が悪く操作には熟練を必要とする。しかし、長床犂に比べ深耕ができ、狭い水田で使いやすいという利点を持っている。使うときにだき抱えるように持つのでこの名前がある。使われていた地域は九州の北部。後に短床犂に発展する原形となった。1945(昭和20)年頃まで使用。
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長床犂と無床犂の長所をとり、短所を補ったのが短床犂である。北部九州で明治中期以降改良が加えられ、短床犂の出現を見た。短床犂は短小な犂床を持ち、牽引抵抗が小さく土の反転・破砕が良好で、安定した操作ができるなど使いやすい。この短床牽ができたことで、以降、全国的に牛馬耕が行われるようになった。この犂は宮崎県で使われていた短床犂(単用犂)で、東洋社製。1960(昭和35)年ころまで、広く全国で用いられた。
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犂の改良のなかで工夫が重ねられたものの一つに、犂底の形状がある。稲作では、水田の漏水防止が不可欠である。犂耕時に犂床で土を固めて耕盤を作って漏水防止を図るが、その良否は犂底の形状に左右される。単用犂は進行方向に対し常に一定方向にしか土を反転することができないが、双用犂はレバーの操作で、往耕も復耕も土を同じ方向に反転することができ、水田の平面耕や小区画の田の耕起に適している。1961年頃まで使用。
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二段耕犂は短床犂の犂体前方に小さな犂体(前犂)を取り付けたもので、まず前犂で土を浅く耕起し、ついで本犂でその下を耕起する。これにより単用犂の土の反転作用の不足を補い、後作業の砕土を容易にする。戦後に入って双用二段耕犂の改良はさらに進められ、犂身を含めてすべて金属製となり、歩行牽引型トラクターの作業機として使われることになる。
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この機械は、スイスのシマーモートキュルトア社の耕耘機である。1921(大正10)年に輸入された。本機は、機体の後部に回転式カルチベーター(所謂ロータリー)を取り付け、土の耕起と砕土を同時に行うことができる。昭和に入って製作された動力耕耘機は、これをモデルにしたもので、日本のロータリー式耕耘機の元祖の一つである。
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大正の中頃、欧米から畑作用の数種類の耕耘機が輸入され、これらを参考に水田用耕耘機への改良が試みられた。そして大正の末ころには、板野式・藤井式などのロータリ型、続いて広瀬式(クランク型)、古川式(スクリュー型)などの耕耘機が開発・市販された。その後、耐水性などにより湛水田での作業に耐える機構へと改良が重ねられ、1960年ころには牛馬耕に代わってロータリ-型耕耘機が水田耕耘の主役となった。
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