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昭和10年ホクレン薄荷工場の研究室として建てられ、昭和58年、工場解体時に北見市に寄付され、昭和61年北見ハッカ記念館として現在に至る。平成19年「近代化産業遺産」に認定される。
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シリアルNO.30963(1925年から1931年頃まで67,000台余り製造された中期のもの)、本体外寸:高さ118 横800 奥行き560mm。1925年(大正14年)11月発売。蓄音器の黄金時代を作った名器。金属部分は、すべて金メッキ。サウンドボックス、12インチターンテーブル、オートストッパー、スピードインジケーター、4本ゼンマイ、蓋についた2本のステーはポンプで空気を押し出すエアーサポート式。ホーンは金属と木製で2分され水平、上下に2度折り曲げられて4分割され開口部へいたる典型的なリエントラント(折り曲げ)型で、9フィート(2.7m)あるといわれる。
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本体外寸:高さ1130 横615 奥行き550mm。英国製。1927~30年(昭和2~5年)に製作された。H.M.V.の上級機。1930年の価格は、52ポンド10シリング。金属部は金メッキ。サウンドボックスはNO,5(金沢蓄音器館はNO.5 A)12インチターンテーブルに4本ゼンマイの34型モーター。ラッパ全体が亜鉛板のリエントラントホーンで、形状はHMV193A型と同一。キャビネットはマホガニー材。
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シリアルNO.149454。製造は大正末期。米国製。本体外寸:高さ970、横910、奥行き540mm。ブランズウイック社は当時からビリヤード台、ボーリング場の製造と設備の最大メーカー。アイオア州ビュークにおいて1916年(大正5年)より蓄音器を製造。そのためかホーンは木製で、スプルス材の合板で正目の綺麗なものである。スタイルも優雅で安定感がある。自社レコード製造販売は1920年頃から開始。クロームメッキの新型トーンアームは独特のS字型であり、ビクター、HMVとは逆の曲がりになっている。ジュラルミン振動板のサウンドボックス、12インチターンテーブル、2本ゼンマイ。
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シリアルNO.460。英国製。製造は昭和10年頃。ラッパの口径は横500、縦600mmの縦長である。本体の外寸:高さ275、横475、奥行き560mm。紙製ラッパで、ロンドンの電話帳という説、日本の和紙を貼った説もある。音が大きいこと、歌手は手前に演奏は奥の方にと立体的に聞こえること、さらに針のスクラッチノイズが少ないという特長がある。さらに、サウンドボックスは真鍮製のボデ―にアルミの振動板が張られ、一つ一つが手作りである。サウンドボックスは4本バネのナイフエッジ型。ラッパはニス仕上げ、スロート部分は垂直に立ち上げている。コロラ社製12インチターンテーブル、電気モーターを使用。
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シリアルNO.3993。製造は昭和9年。昭和12年カタログより、価格は85円。ホーンはリエントラント(折り曲げ方式)になっており、長くすることで卓上型でありながら低音再生、音量も大きくさせた。胡桃色仕上げ、オルソフォニックラッパ、褐色フェルトテーブル、金属部分は古赤銅色。オルソフォニックとは、振動盤(ダイアフラム)がジュラルミンの場合使用した。以前はマイカ(雲母板)だった。当時の蓄音器は、普及品は2~30円、電蓄は200~300円が標準的な値段だった。外寸:高さ365、横490、奥行き440mm。
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シリアルNO.SM127933。アンべロールは明治41年から製造、アンべロール30は大正初期。外寸:縦320、横315、奥行き405、ラッパの口径は縦165、横215mmの横長。ゼンマイの動きは、皮のベルトではなく歯車で伝達される。歯車の回転ノイズは極めて少ない。ろう管レコードは色が青いことから「ブルー・アンベロール」と呼ばれ、1912~29年まで販売。材質はセルロイドかプラスチック管で内部は石膏。
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昭和4年発売、日本ビクター製、価格は150円。ホーンとキャビネットは日本製の半国産だった。(すべてアメリカ製のものは295円)ホーンはリエントラント(折り曲げ方式)になっており、長くすることで卓上型でありながら低音再生、音量も大きくさせた。ビクトローラとは、朝顔型のラッパをキャビネットの中に収めた蓄音器のこと。(ビクター50年誌より)オルソフォニックとは、振動盤(ダイアフラム)がジュラルミンの場合使用した名称。 蓄音器の国産普通品は2~30円、電器蓄音器(電蓄)は200~300円くらいの値段だった。外寸:高さ360 横500 奥行き460mm シリアルNO,8504。
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外寸:高さ990 横510 奥行き530mm。昭和5年製造。Aはオートストップ(自動停止機構)付きを表す。当時のコロムビア大型蓄音器では、一番高いもの(NO,925で550円、NO,133Eで310円、NO,200で300円)から4番目だった。高級機に入る。ラッパは金属製でメリハリのある音色が特長。
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この機種は、日本の日本航空機製造が1962年(昭和37年)から生産した66人乗りプロペラ旅客機です。この機体は試作第1号機で、日本航空機製造の社有機として各種の試験飛行に使用されていました。この展示物は、試験飛行時の機内の状況を再現しています。∥NAMC YS-11 PROTOTYPE(寄贈 日本航空機製造) 年代:1962年初飛行
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この機種は、日本の三菱重工が1963年(昭和38年)から762機生産した7人乗りビジネス飛行機です。この機体は、三菱重工の社有機として各種の試験飛行に使用され、B型からF型に改造されました。この展示物は、成田国際空港展望デッキに展示されていたことがあります。∥MITSUBISHI MU-2B/F(寄贈 三菱重工) 年代:1963年初飛行
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この機種は、日本の富士重工が1975年(昭和50年)から46機生産した6人乗りビジネス飛行機です。この機体は試作1号機で、富士重工の社有機として各種の試験飛行や、デモ飛行などに使用されていました。∥FUJI FA-300/ROCKWELL COMMANDER 700(寄贈 富士重工) 年代:1975年初飛行
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この機種は、1952年(昭和27年)にスイスで開発開始、アメリカで1963年(昭和38年)から2,000機近く生産した、ビジネスジェット機というカテゴリーを確立した航空機です。この機体は、アメリカ企業が社有機として使用していたもので、展示にあたり成田空港まで最終フライトしました。この展示物は、ジェット機エンジン運転体験機として搭乗可能です。∥LEAR JET 25B(寄贈 成田空港美整社) 年代:1952年初飛行
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この機種は、アメリカのビーチクラフト社が1959年(昭和34年)から生産した5人乗り軽飛行機です。この機体は、宮崎県にある運輸省航空局の航空大学校で、学生の事業用免許の訓練に使用されていました。この展示物は、エンジン運転体験機として搭乗可能です。∥BEECHCRAFT C35/E33 BONANZA 年代:1959年初飛行
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この機種は、アメリカのムーニー社が1955年(昭和30年)から1万機以上生産した、高速性能に優れた4人乗りの軽飛行機です。この機体は、個人所有の高級機で、レジャー、訓練飛行などに使用され、展示にあたり成田空港まで最終フライトしました。この展示物は、エンジン運転体験機として搭乗可能です。∥MOONEY M20M TLS(寄贈 個人) 年代:1955年初飛行
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この機種は、アメリカのセスナ社が1947年(昭和22年)から生産した5人乗り軽飛行機です。この機体は、航空再開直後に導入され、朝日新聞社の取材機「朝風」号として活躍していました。この展示物は、大阪伊丹国際空港展望デッキに展示されていたもので、当館のボランティアの手により原型に近い状態に復元されました。∥CESSNA MODEL 195 ASAHI NEWS "ASAKAZE" (寄贈 関西空港ビルディング) 年代:1947年初飛行
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この機種は、富士重工がアクロバット飛行に適するように設計し、1965年(昭和40年)生産を開始した4人乗りで、日本の軽飛行機の代表です。この機体は、MASフライング・クラブの所有機で、レジャー、訓練飛行などに使用されていました。∥FUJI FA-200 AEROSUBARU(寄贈 MASフライング・クラブ) 年代:1965年生産開始
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この機種は、富士重工がアクロバット飛行に適するように設計し、1965年(昭和40年)生産を開始した4人乗りで、日本の軽飛行機の代表です。この機体は、富士重工の社有機で、デモンストレーション飛行などに使用されていました。この展示物は、胴体及び主翼左側の外板を取り外してあり、機体の構造を理解できます。(収蔵中のため見学できません)∥FUJI FA-200 AEROSUBARU(寄贈富士重工) 年代:1965生産開始
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この機種は、アメリカのビード社の設計、原型は1963年(昭和38年)に初飛行、456機生産された2人乗りの軽飛行機です。この機体は、千葉県茂原市にあった真名飛行場をベースとする京葉航空の所有機で、日本への輸入は1機のみです。この展示物は、当館のボランティアの手により原型に近い状態に復元されました。∥AMERICAN AVIATION AA-1 YANKEE 年代:1963年初飛行
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この機種は、アメリカのセスナ社が1956年(昭和31年)から生産した4人乗り軽飛行機です。この機体は、大西飛行場にあった大洋航空の所有機で操縦訓練、空中からの放送飛行、写真撮影などに使用、その後新中央航空で活躍しました。この展示物は、エンジンをモーターに換装してあり、有料で機内に搭乗できるプロペラ作動体験機です。∥CESSNA MODEL 172P SKYHAWK 年代:1956年初飛行
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この機種は、アメリカのセスナ社が1956年(昭和31年)から生産した4人乗り軽飛行機で、性能を向上させるためにエンジンを交換しています。この機体は、新中央航空の所有機で、操縦訓練、遊覧飛行、写真撮影などに使用されていました。この展示物は、胴体部分のみで、機内に着席できるものです。(収蔵中のため見学できません)∥CESSNA MODEL 172G RAM 年代:1956年初飛行
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この機種は、アメリカのセスナ社が1959年(昭和34年)から生産した4人乗り軽飛行機です。この機体は、減速ギア付きのエンジンを搭載していることが特長で、操縦訓練、遊覧飛行、写真撮影などに使用されていました。この展示物は、プロペラ作動体験機として使用していました。(収蔵中のため見学できません)∥CESSNA MODEL 175A(寄贈 個人) 年代:1959年初飛行
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この機種は、アメリカのセスナ社が1962年(昭和37年)から生産した8人乗りビジネス飛行機です。この機体は、中日新聞社で取材に使用されていたもので、「おおたか」号と呼ばれていました。この展示物は、双発エンジン運転体験機として使用していました。∥CESSNA MODEL 411A(寄贈 中日新聞社) 年代:1962年初飛行
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この機種は、アメリカのセスナ社が1965年(昭和40年)から生産した10人乗りビジネス飛行機です。この機体は、毎日新聞社で取材に使用されていたもので、「金星Ⅱ」号と呼ばれていました。∥CESSNA 421 MAINICHI NEWS the "KINSEI Ⅱ"(寄贈 毎日新聞社) 年代:1965年生産開始
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この機種は、アメリカのセスナ社が1957年(昭和32年)から生産した2人乗り軽飛行機です。この機体は、操縦訓練や遊覧飛行などに使用されていたものです。この展示物は、胴体後部を切り離し、操縦席に着席できるものです。(収蔵中のため見学できません)∥CESSNA MODEL 150H 年代:1957年生産開始
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この機種は、アメリカのビーチ社が1967年(昭和42年)から生産した6人乗りビジネス飛行機です。この機体は、毎日新聞社で取材に使用されていたもので、「明星」号と呼ばれていました。この展示物は、双発エンジン運転機として使用していました。∥BEECHCRAFT TURBO BARON MAINICHI NEWS "MYOJO"(寄贈 毎日新聞社) 年代:1967年生産開始
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この機種は、アメリカのアエロ社が1952年(昭和27年)から生産した7人乗りビジネス飛行機です。この機体は、地図を作るため地上の写真を撮影する航空測量に使用され、無事故で活躍しました。この展示物は、エンジンをモーターに換装してあり、有料で機内に搭乗できる双発プロペラ作動体験機です。∥AERO COMMANDER 680E ASIA AIR SURVE(寄贈 アジア航測) 年代:1952年生産開始
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この機種は、アメリカのパイパー社が1949年(昭和24年)から生産した2人乗り軽飛行機です。この機体は、日本学生航空連盟でグライダーの曳航などに使用され、北九州市交通科学館に展示されていました。この展示物は、オープンハウスの際にエンジン運転体験機として使用しており、常設展示物ではありません。∥PIPER PA-18 SUPER CUB(寄贈 北九州市) 年代:1949年生産開始
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この機種は、アメリカのエアロンカ社が1946年(昭和21年)から生産した2人乗り軽飛行機です。この機体は、個人の社有機で、訓練飛行やグライダーの曳航などに使用されていました。(収蔵中のため見学できません)∥AERONCA MODEL 7 CHAMPION(寄贈 個人) 年代:1946年生産開始
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この機種は、フランスのアエロスパシアル社が1965年(昭和40年)から生産した21人乗りヘリです。この機体は、東京消防庁で消防活動や、急患輸送などに使用されており、愛称は「ゆりかもめ」でした。この展示物は、展示にあたり博物館近くに最終フライトで着陸しました。∥AEROSPATIALE SA330F PUMA HELICOPTER(寄贈 東京消防庁)
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この機種は、旧ソ連のカモフ設計局が1965年(昭和40年)から生産した9人乗りヘリコプターです。この機体は、日本に3機輸入されたうちの1機で農薬散布など使用されていました。∥KAMOV Ka-26 HELICOPTER
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この機種は、アメリカのシコルスキー社が1958年(昭和33年)から生産した12人乗りヘリです。この機体は、三菱重工でライセンス生産されたもので、海上保安庁で捜索、救難に活躍しました。この展示物は、成田国際空港展望デッキに展示されていたことがあります。∥SIKORSKY S-62A MARITIME SAFETY AGENCY(寄贈 海上保安庁)
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この機種は、アメリカのヒューズ社が1963年(昭和38年)から生産した7人乗りヘリコプターです。この機体は、新日本ヘリコプターで、農薬散布などに使用されていました。この展示物は、ローターを電動で回転させることができ、取り外したガスタービン・エンジンをオープンハウス航空実験教室で運転しています。∥HUGHES MODEL500C HELICOPTER(寄贈 新日本ヘリコプター)
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この機種は、アメリカのヒューズ社が1963年(昭和38年)から生産した7人乗りヘリコプターです。この機体は、海上保安庁で海難救助などに活躍し、その後海上保安学校で学生の構造教習に使用されました。この展示物は、教材として外板を一部取り外してあり、オープンハウス航空実験教室などでヘリコプターの構造解説に使用しています。∥HUGHES MODEL500C HELICOPTER(寄贈 海上保安学校 仙台分校)
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この機種は、アメリカのロビンソン社が1975年(昭和55年)から生産した2人乗りヘリコプターです。この機体は、本田航空で操縦訓練用に使用されていたものです。この展示物は、エンジンをモーターに換装してあり、有料で機内に搭乗できるローター作動体験機です。∥ROBINSON R-22 BETA HELICOPTER
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この機種は、アメリカのベル社が1946年(昭和21年)から生産した3人乗りヘリコプターです。この機体は、エース・ヘリコプター社(旧日本農林ヘリコプター)で農薬散布などに使用されていました。この展示物は、胴体後部を切り離し、操縦席に着席できるものです。(収蔵中のため見学できません)∥BELL MODEL 47G-2 HELICOPTER(寄贈 エースヘリコプター)
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この機種は、アメリカのベル社が1967年(昭和42年)から生産した5人乗りヘリコプターです。この機体は、鹿児島国際航空で農薬散布などに使用されていました。この展示物は、胴体のみです。(収蔵中のため見学できません)∥BELL MODEL 206B HELICOPTER(寄贈 鹿児島国際航空)
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この機体は、萩原製H-22グライダーの機体に自動車用のエンジンを取り付け、1967年(昭和32年)に初飛行した1人乗り軽飛行機です。改造した大西氏自らの操縦により、茅ヶ崎から大島へ自作航空機として日本初の洋上飛行に成功しました。この機体は、現在館林市立 向井千晶記念子ども科学館に長期貸与、展示されています。∥OHNISHI OG-2 SUBARU PLANE(寄贈 大西勇一氏) 年代:1967年
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この機種は、アメリカのホーベィ社が1970年(昭和45年)から開発した一人乗り複葉の自作航空機です。この機体は、日本自作航空機協会の伊牟田氏が、図面から製作したもので、地上滑走に成功しました。(収蔵中のため見学できません)∥IMUTA-CONSTRUCTED WD-2 ULTRA-LIGHT-BIPLANE(寄贈 伊牟田氏)
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この機種は、リトアニア製の1992年(平成4年)頃に生産していた一人乗り入門用グライダーです。この機体は、日本航空協会に見本として輸入されましたが、日本の航空機として登録されませんでした。(収蔵中のため見学できません)∥FACTORY SPORTINE AVIACIJA LAK-1(寄贈 日本航空協会)
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この機種は、日本の萩原工業が生産していた二人乗り訓練用グライダーです。この機体は、千葉工業大学の航空部に所属していたものです。(収蔵中のため見学できません)∥HAGIWARA H-22C SECONDARY GLIDER(寄贈 千葉工業大学)
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この機種は、日本の軽飛行機開発が1970年(昭和45年)から生産した一人乗り木製グライダーです。この機体は日本航空協会の所有機で、訓練や競技飛行などに使用され、「青エス」と呼ばれていました。(収蔵中のため見学できません)∥LADCO LSS-02B SOARER GLIDER(寄贈 日本航空協会)
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この機種は、ドイツのシャイベ社が1970年(昭和45年)から生産した一人乗り木製グライダーです。この機体は日本航空協会の所有機で、訓練や競技飛行などに使用されていました。(収蔵中のため見学できません)∥SCHEIBE VERGFALKE II/55 SOARER GLIDER(寄贈 日本航空協会) 年代:1951年
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この機種は、1956年(昭和31年)に日本の三田が開発した二人乗りグライダーを、軽飛行機開発が1966年(昭和41年)に改良したグライダーです。この機体は、東京大学運動会航空部として最初の所有機で、訓練や記録飛行などに使用されていました。(収蔵中のため見学できません)∥LADCO MITA Ⅲkai-1 SOARER GLIDER(寄贈 東京大学グライダー部)
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この機種は、二宮忠八氏が1892年(明治25年)、ライト兄弟以前に製作を開始した玉虫型飛行器ですが、実機は未完成で、飛行には至りませんでした。この模型は、現存する小型模型を参考に拡大した実物大模型で、二宮氏の生誕地である愛媛県八幡浜工業高校で製作されたものです。(収蔵中のため見学できません)∥C.NINOMIYA INSECT TYPE FLYING MACHINE(寄贈 愛媛県八幡浜市)
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アメリカ人のライト兄弟は、軽量化したエンジンを搭載した操縦可能な飛行機の開発に挑戦し、1903年(明治36年)に努力が実り初飛行に成功しました。この模型は、世界で初めて飛行機の初飛行に成功した機体を80%に縮小したものです。(収蔵中のため見学できません)∥WRIGHT FLYER BIPLANE 80% SCALED MODEL (寄贈 佐賀県立宇宙科学館)
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この機種は、フランスのアンリ・ファルマン氏が1910年(明治10年)から生産した2人乗り飛行機です。この機体は、明治45年12月17日に、徳川好敏氏が代々木で日本最初の公式飛行を行ったものを精確に再現した実物大復元模型です。(収蔵中のため見学できません)∥HENRI FARMAN TYPE 1910 BIPLANE(REPLICA)
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この機種は、ドイツのハンス・グラーデ氏が1910年(明治43年)から生産した一人乗り飛行機です。この機体は、明治43年12月17日に、日野熊蔵氏が代々木で日本最初の公式飛行を行ったものを80%に縮小した模型です。この模型は、日本の初飛行から100年となる2010年を記念して新たに製作したものです。(収蔵中のため見学できません)∥HANS GRADE 1910 MONOPLANE(80% SCALED MODEL)
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