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航空科学博物館オリジナル 世界最初の超音速機 X-1・コクピット 操縦席着席体験装置

このコクピットは当館のオリジナルで、世界で初めて音速マッハ1を越えたベルX-1の操縦席の模型です。実物のコクピットを精確に再現しており、是非ご着席下さい。∥MACH BREAKER X-1 COCKPIT SET

情報所有館 : 航空科学博物館 


航空科学博物館オリジナル 零戦・コクピット 操縦席着席体験装置

このコクピットは当館のオリジナルで、日本の飛行機として世界的に有名な日本海軍零式戦闘機の操縦席の模型です。実物のコクピットを精確に再現しており、是非ご着席下さい。∥TYPE 0 FIGHTER COCKPIT SET

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産管制機器 航空管制用管制卓 実際に使用されていた装置

この管制卓は、成田国際空港、所沢航空交通管制部、航空保安大学校で実際に使用されていたものです。旅客機の運航に不可欠な航空管制官の業務の一端に触れてみましょう。∥AIT TRAFFIC CONTOROLLER TABLE(寄贈 国土交通省、成田国際空港)

情報所有館 : 航空科学博物館 


航空機牽引車 クラークター

この車種は、アメリカのクラークター社が1940年から製造した航空機牽引用の車両です。この車両は民間航空再開後、全日空で使用されていたものです。∥Clarktor-6 Mill-50 TRACTOR(寄贈 都立航空工業高等専門学校)

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産管制機器 レーダー用アンテナ 航空路監視ARTS用

これは、空港周辺の航空機を管制官が誘導するターミナル・レーダー管制システム(ARTS)を構成するASR・レーダーアンテナです。航空機の位置や高度を捜索する電波を送受信する装置で、空港に設置されています。このレーダーアンテナは、鹿児島県にある鹿児島空港で昭和63年まで使用していたものです。∥ASR RADAR ANTENA for ARTS(寄贈 国土交通省航空局)

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産ラジコン機 ボーイング777R/C機 世界最大級の無線誘導機

この機種は、アメリカのボーイング社が1995年(昭和60年)から生産した大型ジェット旅客機です。このラジコン機は、電波実験社がラジコン飛行機の普及のためにサガミ堂に製作を依頼したもので、2回飛行しました。∥BOEING 777-200 SCALED RADIO CONTROLLED PLANE(寄贈 電波実験社)

情報所有館 : 航空科学博物館 


日本の航空にまつわる神社 航空神社 伊藤音次郎ゆかり

伊藤音次郎氏は、民間航空草創期に飛行機にとりつかれ、奈良原氏の元で白戸氏と操縦を習い、その後自ら飛行機を設計、製造しました。稲毛や鷺沼の飛行場で散華した後輩のために航空神社を建立しました。現在、航空科学博物館の敷地内に社がたたずんでいます。∥KOKU-JINJA by OTOJIRO ITO

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産航空機器 航空路灯台

これは航空路が電波によって確立されるまで、日本の航空路の位置を電灯で表示していた灯台です。この灯台は、日本光機が製作した昭和16年製の乙─3型で、焼津か谷名に設置されていました。∥AERIAL BEACON LIGHT for ENROUTE (寄贈 航空灯器)

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産航空機器 飛行場灯台

これは、日本の航空灯器が製造した飛行場に設置されて運用状況を知らせるための灯台です。この灯台は、成田空港の臨空開発ビルに設置されていたもので、色で成田空港を表しています。∥AIRPORT BEACON LIGHT(寄贈 成田国際空港会社) ASMPh-078.jp

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産航空機部品 ジェット旅客機用タイヤ

これは、日本のブリジストン社が製造したジェット旅客機に使用されているタイヤです。このタイヤは、エアバスA380、ボーイング747、ボーイング787に使用されています。∥MAIN TIRES of MAIN GEAR of JETLINER(寄贈 ブリジストン)

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産航空機部品 ボーイング757用 エレベーター

この機種は、アメリカのボーイング社が1983(昭和58)年から就航を開始した双発ジェット旅客機です。この航空機部品は、水平尾翼の後縁に取り付けられた機首を上下させるための動翼で、複合材でできています。∥ELEVATOR of BOING757(寄贈 日本飛行機)

情報所有館 : 航空科学博物館 


旧集成館機械工場

慶応元(1865)年に竣工した日本最初の本格的洋式石造建築物。別名ストンホーム。建設に関しては、長崎にて西洋建築物を見た者が作ったようであり、外観や内部の基本構造は西洋式である。しかし、西洋の建築者が作ったとは思えない梁などが存在している。また、レンガの代わりに幕末薩摩藩の建築物でよく見られる溶結凝灰岩が使用されているのも大きな特徴である。重要文化財。

情報所有館 : 尚古集成館 


形削盤

シカーフバングともいう。1836年に発明された、刃が水平に移動し器物を削る機械。本体に「NSBM FYENOOD 1863」の銘があり、1863年に製造されたことがわかる。尚古集成館所蔵のものは形状がシンプルで古いタイプであり、欧米でもあまり残っていないため非常に貴重なものである。重要文化財。

情報所有館 : 尚古集成館 


フライパン式焙煎器

【焙煎】 エチオピア (20世紀~現代)∥コーヒーの原産国はエチオピア。モカという名前で飲み親しまれている。∥淡い黄緑色したコーヒーの生豆(なままめ)は、焙煎(ばいせん)すると芳しい香りが生まれる。∥このフライパン式の焙煎器は、今日のエチオピアでも使用されている。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


ぜんまい式焙煎機

【焙煎】 フランス (20世紀初期)∥1900年頃、フランスで開発されたぜんまい式の家庭用焙煎機。∥ぜんまいを巻くとローター部が自動的に回り、コーヒー生豆をセットした小型のドラムが回転する仕組み。メリットは、焙煎中、人の手を介すことなく、コーヒー豆が炒り上がること。熱源はガス。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


トルコ式コーヒーミル

【挽く】 トルコ (19~20世紀)∥コーヒーを抽出するには、コーヒー豆を細かく挽いてから行う。このトルコ式ミルは、もともとは香辛料を挽くミルをコーヒー用に転用したもの。∥トルコ式ミルの特徴は、コーヒー豆をパウダー状に細かく挽くことができる。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


トルコ式コーヒー抽出器具

【抽出】 トルコ (10世紀初頭~現代)∥ジャズベ(CEZVE) または、イブリック(IBRIK)と呼ばれる金属製(真鍮/銅など)の小さな「ひしゃく型」の抽出器具を用い、パウダー状に細かく挽いたコーヒーの粉を『煮出して抽出』する。コーヒーの粉を濾さずに、小ぶりのカップへ注ぎ、コーヒーの粉が沈むのを待ってから上澄みをすすって飲む。現代においても中近東を中心に広い地域で使用されている抽出器具である。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


フランス式ドリップポット

【抽出】 フランス (19世紀初期)∥1800年頃、フランスでドゥ・ベロワによって初めて『ドリップポット』が考案された。ドリップポットの登場によって、従前の『煮出して抽出』する方法から、『濾して抽出』する方法が誕生し、コーヒーの風味に一大変革をもたらした。上下2段の構造からなるこの抽出器具は、上部底の小さな穴でコーヒーの粉を濾し、下部のポットにコーヒー液が落ちる仕組み。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


ナーピア式サイフォン

【抽出】 イギリス (19世紀後半頃)∥サイフォンは、1840年代イギリスの造船技師ロバート・ナーピアによって考案された。当初はガラスや磁器を用いたが、時代と共に、銀細工師による装飾性の高い銀製の抽出器具へと展開して行く。抽出方法は、カップ型の器にコーヒーの粉と少量の湯を馴染ませる。フラスコ型の器に湯をセットし、アルコールランプで温めると、管を通じて湯がコップ型の容器に移動し、コーヒーの粉が湯に浸され、アルコールランプを消すと、管先の濾過器でコーヒーの粉を濾して、抽出されたコーヒーがフラスコ型の容器に戻ってくる仕組み。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


天秤式サイフォン

【抽出】 フランス (19世紀後半頃)∥日本の喫茶店でのサイフォンは、上部のロートと下部のフラスコから成るスタイルが一般的だが、これは左右に配列された天秤式のサイフォンである。∥ガラスの器にコーヒーの粉と少量の湯を馴染ませる。磁器の器に湯をセットし、熱源であるアルコールランプで温めると、管を通じて、湯がガラスの器に移動。ガラスの器の中で、コーヒーの粉が湯に浸される。アルコールランプを消すと、ガラス側の管先に付随した濾過器でコーヒーの粉を濾し、抽出されたコーヒーが磁器の器に戻ってくる仕組み。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


エスプレッソマシーン(レプリカ)

【抽出】 イタリア (20世紀初期)∥エスプレッソコーヒーとは、極細挽きのコーヒーの粉に蒸気圧をかけて抽出したもので、その始まりは19世紀後半になってからのこと。この抽出器具は、1906年イタリア・ミラノ市で開催された万国博覧会に出品されたマシーンをモデルに1975年に製造。鷲が威風堂々と翼を広げた飾りやアラビア風のコーヒーポットも施され、ひと目を引く優美さを兼ね備えた器具である。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


黄地色絵金彩港景図八角 カップ&ソーサー

【器】 マイセン (1740年頃)∥マイセンは、1709年ヨーロッパで初めて白色磁器の焼成に成功した。カップのボディーには“窓”とよばれる枠の中に、入江の風景が描かれ、水彩画のようなタッチで描かれた雲の様子など、豊かな描写を描き出している。∥マイセン窯初期の美術監督ヨハン・グレゴール・ヘロルト(1696-1775)の手によって開発された高度な絵付けの技術は、250年以上が経過した今でも色あせることなく、マイセン独自の色彩世界を現代に伝えている。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


色絵金彩天使図 カップ&ソーサー

【器】 マイセン (1760~1765年)∥神話を題材に愛くるしい天使たちが描かれている。天空を想わせる鮮やかな青で描かれた文様は、日本の伝統的な図柄「青海波」を手本にしたとされ、ヨーロッパでは「鱗文」と呼ばれている。∥色の濃淡が描き出す色調に日本の美を彷彿しながら、東洋と西洋の息吹が香ってきそうな風合いを醸しだすコーヒーカップ。

情報所有館 : UCCコーヒー博物館 


スパイキ

ロープ作成時に使う道具(縄をさす道具)。現在はステンレスのものが多いが、これはカジキの吻を削って作られている。作業時には滑りやすくするためにオイルを塗って使用する(遠洋まぐろ延縄漁船員などが使用していたもの)。191×18。年代:昭和初期~

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


和船を漕ぐ道具で、焼津沖(沿岸)で漁をするために使われていた。木製。5640×140。年代:昭和初期~

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


六分儀

太陽や月その他の天体の高度測定により、漁船の位置を測定する航海計器。GPSの普及によりあまり利用されなくなった。布張り木箱入り。金属製。英国製。ケースたて267×横279×高さ141。年代:昭和39年11月

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


鮪用サルカンの見本

鮪延縄漁業の仕掛けに使用する漁具で、縄の撚りをとる。95種類。ハコ型サルカン、シルバーハコ型サルカン、ヘビーサルカン、鉛錘サルカン、ステンレスヘビーサルカン、ビン長用サルカン、ヨートルフタバサルカン、フタバサルカン、フタバサルカン強力型、ブランチハンガーSBL付、ナスカン、メガネサルカン、SBLサルカンなど。ケース入り。ケース1205×930×50。年代:昭和後期

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


鮪延縄用疑似餌の見本

イカに似せたもの。ゴム製品。51ケ。鮪延縄漁業で餌の代わりに餌に似せた擬似餌を付けて操業した。疑似餌は、色やにおい、きらきらしたものをつけたりとして工夫している。漁民は、長い海の暮らしの中からこうした疑似餌が生きた餌以上に魚の食欲を誘うことを発見したのである。現在はあまり使用されていない。ケース入り。ケース1300×932×65。年代:昭和中期

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


テン放射能サーベイメーター

いわゆるガイガーカウンターとよばれるもの。ビニール製ショルダーバッグ入り。90×363×194。年代:昭和中期

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


放射能測定装置GMサーベイメーター

Aloka JRC 放射能測定装置。TGS-101B型。100×210×146。年代:昭和37年3月

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


ビン玉の網すき台

杉製。ビン玉(漁具の浮き玉)の包む網を作る台座。昔は荒縄を使い、ビン玉を作った。長さ905×幅150×高さ420。

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


櫓船

沿岸漁船で主に地引き網、刺し網漁業などに使用した。昭和30年代まで使用していた。本体杉。舵カシ他。櫓3本使用。ワキロ2本、トモロ1本。舳6100×223×1245。艫880。

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


スクリュープロペラ

銅鋳物。昭和7年2月建造の鰹漁船(135トン)のプロペラ。羽3枚。幅1290×高1230×1150、羽 1枚:720×360、中心195。年代:昭和初期

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


箱めがね

磯であわびやさざえを捕るとき、あるいは見突き漁で魚やたこを突くときに用いる。これは小船から海底を覗き、ヒラメを突くときに用いた。底にガラス板が張ってあり、波を避けて、海底の状況がよく見えるようになっている。木製。角形。450×400。年代:昭和後期

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


水中めがね

鯖棒受網漁業操業の際に鯖の魚群が網の上に集泳してるかどうかを覗いて確かめるために使う道具。片手桶のような形をしている。下面にガラスが張ってある。木製。最大直径335×高さ980。

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


土佐本鍛釣針の見本

鈎針14種類。全124本。ひき縄二本釣。ひき縄一本釣。丸ながし釣。トンボ竿釣。大鰹釣。カノ一。しいら縄釣。むつ釣。鯛玉付釣。シャークフック。撚取環付。大漁釣。鮪縄釣(2種類)。ケース入り。ケース1225×900×70。

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


旋網漁船第三十一和光丸の模型

大中型まき網漁業用の漁船の模型。正確な縮尺は不明だが、45分の1程度と思われる。ケース302×1100×600。進水年月日昭和61年12月2日。総トン数135トン。全長45.60m。年代:昭和61年

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


まぐろはえなわ・旋網・トロール漁船大洋丸の模型

まぐろはえなわ・旋網・トロール漁業用の漁船の模型。3漁種が操業できる漁船として計画されたが造船されなかった。縮尺30分の1。ケース400×1335×736。総トン数130トン。全長33.55m

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


八丁櫓の模型

焼津の典型的な鰹船で、櫓が八丁ある。江戸時代から明治時代の動力化に至るまで使用したと思われる。木製。縮尺10分の1。1830×573×583。櫓730。年代:昭和54年

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


結索ロープの見本

ロープの結索の標本。クラブビッチ(まき結び)。ツウハーフビッチ(ふた結び)。フィッシャーマンズベント(いかり結び)。ティンバービッチ(ねじり結び)。スクエアノット(ほん結び)。シートベント(ひとえつなぎ)。ダブルシートベント(ふたえつなぎ)。フィッシャーマンズノット(てぐす結び)。ダブルフィッシャーマンズノット(二重てぐす結び)。ホーサーベント(こずなつなぎ)。プラチカルホーサーベント。マンハーネスノット(砲兵結び)。 ボーラインノット(もやい結び)。ボーラインベント(もやいつなぎ)。オーバーキャリックベントなど17種類。ケース入り。ケース1203×900×99。

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


鮪延縄漁船焼津丸の模型

まぐろ浮きはえなわ漁業用の漁船の模型。正確な縮尺は不明だが、50分の1程度と思われる。ケース長さ908×幅393×高さ540。総トン数239.91トン。全長41.815m。モデルとなった漁船は昭和37年1月進水。年代:昭和後期

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


磁気羅針儀

練習船(調査船)に据え付けられていたコンパス(羅針盤)用の台。木製。直径375×高さ1420、最大幅860。年代:昭和2年3月

情報所有館 : 焼津漁業資料館 


「新聞博物館」(熊本日日新聞社)

熊日創立45周年を記念し、1987(昭和62)年10月1日に開館した日本初の新聞博物館。鉛活字時代の製作機器をはじめ、世界初の活版印刷機「グーテンベルクの印刷機」(複製)、「マリノニ型輪転機」、「ワープロ国産1号機」など珍しい機械を展示。また、新聞の歩みや熊本が生んだ新聞界の先駆者の遺品や遺墨、過去に発行された号外なども展示している。

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


グーテンベルクの印刷機(レプリカ)

ドイツ人グーテンベルクによって1445年頃に発明された活版印刷機の複製(ドイツにある実物の80%大)。グーテンベルクの活版印刷は、以下の3項目を合わせて活版印刷の発明とされる。(1)ブドウ搾り機にヒントを得て、プレス部を改良した印刷機を製作。(2)鉛活字の鋳造方法を確立し使用。(3)油性ワニスを原料にした金属活字用のインキを製造使用するなどの印刷工程。

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


42行聖書(複製)

グーテンベルクが、グーテンベルク印刷機を使って、最初に印刷したといわれる初の印刷聖書で、170冊程度印刷された。冒頭の9ページが40行、10ページ目が41行、11ページ目以降はすべて42行であるために、「42行聖書」と呼ばれている。

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


「マリノニ型輪転機」

マリノニ輪転機は1890(明治23)年、東京朝日新聞がフランスのマリノニ社から輸入し、国内で初めて稼働した輪転機。明治30年代末以降、マリノニ輪転機を参考にした国産の「マリノニ型輪転機」を数社が開発。各新聞社に盛んに導入され、以後約50年間、主力機として稼働した。日本の新聞用紙のサイズは、マリノニ輪転機で印刷された新聞の寸法(546mm×406.5mm)をもとに決められた。1949(昭和24)年 谷口精機製作所製昭和50年代まで「新聞之新聞社」で稼働

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


ワープロ国産1号機 JW-10

1978(昭和53)年に東芝が開発し、翌年2月に630万円で発売した、初の業務用日本語ワードプロセッサ。当時、コンピュータで取り扱える日本語の文字は、カタカナが当たり前で、漢字を含む日本語が利用できるワードプロセッサが望まれていた。しかし、技術の進歩はめざましく、JW-10は発売から十数年で姿を消してしまった。 ㈱東芝より寄贈

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


万年活字鋳造機

林栄社が米国製トムソン自動活字鋳造機を研究し、1926(大正15)年に完成させた硬質活字鋳造機。翌年、大阪毎日新聞がこの鋳造機6台を導入。普通の鉛活字の鋳造に使い、順調に稼働した。また、価格もトムソン鋳造機の約2割と非常に安かったため、広く普及した。

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


文選台(活字棚)

文選とは、活版の工程の一つで、原稿を読みながら、約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると、1分間に40字ほど拾うことが出来た。なお、本文用活字は、1回のみの使用のため、使った分は活字鋳造機で作り直して、補充した。1933(昭和8)年 林栄社製(熊日で昭和57年まで使用)

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


文選作業(昭和40年代)

文選とは、活版の工程の一つで、原稿を読みながら、約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると、1分間に40字ほど拾うことが出来た。なお、本文用活字は、1回のみの使用のため、使った分は活字鋳造機で作り直して、補充した。1933(昭和8)年 林栄社製(熊日で昭和57年まで使用)

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


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