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「教会(A)」は現存する建築図面からコンドルによる作品であることが知られているが、名称や設計時期が不明なため、仮称を用いてある。建物は、木造下見板張り、面積は約56坪の簡素で小規模な教会である。
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「教会(B)」は現存する建築図面からコンドルによる作品であることが知られているが、名称や設計時期が不明なため、仮称を用いてある。建物は煉瓦造で、面積約75坪、バシリカ式の教会堂である。
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「教会(C)」は現存する建築図面からコンドルによる作品であることが知られているが、名称や設計時期が不明なため、仮称を用いてある。この教会堂に関する図面は、内陣部の室内装飾に関する図面しか現存していないため、建物全体の様子は、判らない。内陣の図面から、半円形の平面であること、構造は煉瓦造の可能性が強いこと、等が判るのみである。
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「教会(D)」は現存する建築図面からコンドルによる作品であることが知られているが、名称や設計時期が不明なため、仮称を用いてある。建物は木造で面積約10坪のごく小規模な教会堂である。図面から、独立した建物ではなく、増築、或いは付設されたものと考えられる。図面の裏側に「赤城下」と記された墨書があり、赤城下教会である可能性もある。しかし、この墨書がいつ記されたのか明らかでない。赤城下教会とは、地名「赤城下町(牛込区)」に由来するものであり、隣接する同区築地20番に在った聖バルナバ教会を指すものと考えられる。
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「教会(E)」は現存する建築図面からコンドルによる作品であることが知られているが、名称や設計時期が不明なため、仮称を用いてある。建物は木造下見板張りで、隅部に尖塔を建て、正面および側面上部にバラ窓を設けたゴシック風の教会堂である。現存図面は「小笠原教会」と扱われているが、「コンドル博士作物一覧」に掲載された小笠原教会と異なっている。
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御雇外国人として来日したコンドルは明治23年、民間の建築家となる。彼は御雇時代に岩崎家の住宅を手がけていたことから、三菱の建築顧問となり、岩崎家と三菱の建築を手がけることとなる。三菱の仕事として最も重要なのは、丸の内のビジネス街で、明治27年にジャコビアン様式のわが国最初のオフィスビルとして知られる1号館が完成している。このゴシック色の強い棟飾り等一部の部材は、昭和44年の解体にあたり、関東閣に運ばれ保存された。
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明治28年完成のルネサンス系のスタイルで、マンサード屋根と角の釣鐘形のドームが印象的である。当初は2号館全体を明治生命が使用していた。昭和9年の現明治生命館が完成し、2号館は解体された。その際、現明治生命館を設計した岡田信一郎が玄関回りの部材を東京美術大学(当時、岡田は同校の教授であった)へ持ち帰り保存した。
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コンドルの全作品のうち、最もよく知られているのが、鹿鳴館だろう。明治16年に完成、明治20年まで欧米諸国との社交の場としての役割を果たしていた。その後、明治23年に宮内省に移管され、一部を華族会館が使用し、明治27年地震に被災したのを機に土地建物共に華族会館に払い下げられ、明治30年に再びコンドルが改修工事を手がけている。昭和2年に徴兵生命保険に売却され、昭和15年解体された。主要構造は煉瓦と石であったが、軒を下から支える持ち送りは雨が最もかかりにくい部分だからか、木製であった。今井健次郎氏が保存したものである。
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鹿鳴館の昭和15年に行われた解体は世間一般にはほとんど取り上げられることはなかったが、一部建築関係者の間では、部材の保存などを行う者もあった。東京帝大の建築学科は主階段の一部を切り取って、保存している。
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鹿鳴館の土地建物を入手した徴兵生命保険は、昭和15年に建物を解体し、その後、その地を前庭として使用していた。その後、大和生命が昭和57年にビル新築にあたり、地下を掘り返したところ、鹿鳴館時代の松杭が出土した。
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