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天水釜式蒸溜機(復元品)

明治30年、北見地方において最初に使用された蒸溜機である。冷却装置を頭部に置いて沢の水を引いて使用した。

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箱蒸蘢型蒸溜機

大正10年以降より利用された機械で、蒸溜槽の製作が容易であった反面、蒸気の散逸が多く短命に終わった。

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ホクレン式A型蒸溜機

昭和30年から50年代にかけて使用された。従来の蒸溜機が木製であり、熱源が薪であったため、更に時間の短縮が求められ、大型化が求められるようになり田中式の後継機として登場した。

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冷却器

蒸溜槽より送られてくる油と水の混合気を冷却する器。この器の中に通す蛇管の材質の改良が蒸溜機全体の技術の中で最も難しい部分であった。

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陶製分水器

最も初期に使用された、油と水を分離させる器

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真鍮製分水器

田中式に代表される分水器で油の抽出は総て手作業だった。

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杉本式分水器

従来の器が手作業によるものだったが、この器より自動的に油の抽出ができるようになった。

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蛇管

初期の材質は加工が容易な銅を使用した。しかし、取卸油のある成分が銅の錆と反応して質の低下が見られるため、材質が真鍮、ステンレスへと変わっていった。

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油濾器

取卸油のゴミを除去する器具。作業時期が冬季のため、油が結晶化しないように温水を使用したので内部が複雑になっている。

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蒸溜槽巻上げ機

取卸(蒸溜作業)を終えた後、蒸滓を取出すため銅を持ち上げる器具。大きい輪の径が160cm、中心のロープを絡ませる棒の径が16cm、10分の1の力で桶を持上げることができた。

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遠心分離機

取卸油を冷却した後、脳(結晶)と油を分離する機械。

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脳分検定架台

取卸油の価格を決めるための装置。取卸油の脳分含有量が価格を左右するため、国の検定が必要になった。

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ガスクロマトグラフィ

キヤリヤーガスを使うことにより取卸油中に含まれている成分の種類とその量を計測した。

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オートマチック・シーマ

精脳と白油を入れた缶に蓋を取付ける機械で大阪より取入れた。

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結晶缶と精油缶

それぞれが5ポンド(2.2kg)の脳と油がつめられた。このデザインは昭和43年まで使用された。昭和10年、脳1缶は19,500円で西欧に引取られていった。

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シール

包装の封印として使用した。

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ハッカ製品のいろいろ

脳(l-メントール)に局所麻酔作用、抗菌作用、脱臭作用、抗炎症作用、保湿作用、鎮静作用等、様々な薬効を持つため、多岐にわたる分野で商品化された。

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ハッカに関する資料

薄荷再製工場設計画書。北海道ノ特用作物ニ関する調査。加賀操文献。小川啓介文献。

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テーラー刈取機

昭和31年、ホクレンが四国から取寄せた薄荷専用の刈取機。テーラー(耕運機)の前に取付ける装置。

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台秤

180㎏用の台秤で薄荷工場では主に取卸油の計測に使った。

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丸時計

昭和10年、薄荷工場の研究室として建てられた事務所にアメリカより取寄せた。

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北見ハッカ記念館

昭和10年ホクレン薄荷工場の研究室として建てられ、昭和58年、工場解体時に北見市に寄付され、昭和61年北見ハッカ記念館として現在に至る。平成19年「近代化産業遺産」に認定される。

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北見薄荷蒸溜館

明治より昭和にかけて使用された蒸溜機5種を常時展示。かつて農家が共同で行なっていたハッカ蒸溜の実演が体験できる。

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ビクター ビクトローラ クレデンザ 8-30型

シリアルNO.30963(1925年から1931年頃まで67,000台余り製造された中期のもの)、本体外寸:高さ118 横800 奥行き560mm。1925年(大正14年)11月発売。蓄音器の黄金時代を作った名器。金属部分は、すべて金メッキ。サウンドボックス、12インチターンテーブル、オートストッパー、スピードインジケーター、4本ゼンマイ、蓋についた2本のステーはポンプで空気を押し出すエアーサポート式。ホーンは金属と木製で2分され水平、上下に2度折り曲げられて4分割され開口部へいたる典型的なリエントラント(折り曲げ)型で、9フィート(2.7m)あるといわれる。

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H.M.V. 194型

本体外寸:高さ1130 横615 奥行き550mm。英国製。1927~30年(昭和2~5年)に製作された。H.M.V.の上級機。1930年の価格は、52ポンド10シリング。金属部は金メッキ。サウンドボックスはNO,5(金沢蓄音器館はNO.5 A)12インチターンテーブルに4本ゼンマイの34型モーター。ラッパ全体が亜鉛板のリエントラントホーンで、形状はHMV193A型と同一。キャビネットはマホガニー材。

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ブランズウイック バレンシア

シリアルNO.149454。製造は大正末期。米国製。本体外寸:高さ970、横910、奥行き540mm。ブランズウイック社は当時からビリヤード台、ボーリング場の製造と設備の最大メーカー。アイオア州ビュークにおいて1916年(大正5年)より蓄音器を製造。そのためかホーンは木製で、スプルス材の合板で正目の綺麗なものである。スタイルも優雅で安定感がある。自社レコード製造販売は1920年頃から開始。クロームメッキの新型トーンアームは独特のS字型であり、ビクター、HMVとは逆の曲がりになっている。ジュラルミン振動板のサウンドボックス、12インチターンテーブル、2本ゼンマイ。

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E.M.G.エキスパート・シニア

シリアルNO.460。英国製。製造は昭和10年頃。ラッパの口径は横500、縦600mmの縦長である。本体の外寸:高さ275、横475、奥行き560mm。紙製ラッパで、ロンドンの電話帳という説、日本の和紙を貼った説もある。音が大きいこと、歌手は手前に演奏は奥の方にと立体的に聞こえること、さらに針のスクラッチノイズが少ないという特長がある。さらに、サウンドボックスは真鍮製のボデ―にアルミの振動板が張られ、一つ一つが手作りである。サウンドボックスは4本バネのナイフエッジ型。ラッパはニス仕上げ、スロート部分は垂直に立ち上げている。コロラ社製12インチターンテーブル、電気モーターを使用。

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ビクター ビクトローラ 1-81卓上型蓄音器(日本製)

シリアルNO.3993。製造は昭和9年。昭和12年カタログより、価格は85円。ホーンはリエントラント(折り曲げ方式)になっており、長くすることで卓上型でありながら低音再生、音量も大きくさせた。胡桃色仕上げ、オルソフォニックラッパ、褐色フェルトテーブル、金属部分は古赤銅色。オルソフォニックとは、振動盤(ダイアフラム)がジュラルミンの場合使用した。以前はマイカ(雲母板)だった。当時の蓄音器は、普及品は2~30円、電蓄は200~300円が標準的な値段だった。外寸:高さ365、横490、奥行き440mm。

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エジソン アンベロール30型 縦振動蓄音器(米国製)

シリアルNO.SM127933。アンべロールは明治41年から製造、アンべロール30は大正初期。外寸:縦320、横315、奥行き405、ラッパの口径は縦165、横215mmの横長。ゼンマイの動きは、皮のベルトではなく歯車で伝達される。歯車の回転ノイズは極めて少ない。ろう管レコードは色が青いことから「ブルー・アンベロール」と呼ばれ、1912~29年まで販売。材質はセルロイドかプラスチック管で内部は石膏。

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ビクター ビクトローラ1-90 卓上型蓄音器

昭和4年発売、日本ビクター製、価格は150円。ホーンとキャビネットは日本製の半国産だった。(すべてアメリカ製のものは295円)ホーンはリエントラント(折り曲げ方式)になっており、長くすることで卓上型でありながら低音再生、音量も大きくさせた。ビクトローラとは、朝顔型のラッパをキャビネットの中に収めた蓄音器のこと。(ビクター50年誌より)オルソフォニックとは、振動盤(ダイアフラム)がジュラルミンの場合使用した名称。 蓄音器の国産普通品は2~30円、電器蓄音器(電蓄)は200~300円くらいの値段だった。外寸:高さ360 横500 奥行き460mm シリアルNO,8504。

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コロムビア NO.133A 蓄音器

外寸:高さ990 横510 奥行き530mm。昭和5年製造。Aはオートストップ(自動停止機構)付きを表す。当時のコロムビア大型蓄音器では、一番高いもの(NO,925で550円、NO,133Eで310円、NO,200で300円)から4番目だった。高級機に入る。ラッパは金属製でメリハリのある音色が特長。

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国産ターボプロップ旅客機 YS-11旅客機 (試作1号機) JA8611

この機種は、日本の日本航空機製造が1962年(昭和37年)から生産した66人乗りプロペラ旅客機です。この機体は試作第1号機で、日本航空機製造の社有機として各種の試験飛行に使用されていました。この展示物は、試験飛行時の機内の状況を再現しています。∥NAMC YS-11 PROTOTYPE(寄贈 日本航空機製造) 年代:1962年初飛行

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国産ビジネス機 MU-2 (三菱重工社有機) JA8628

この機種は、日本の三菱重工が1963年(昭和38年)から762機生産した7人乗りビジネス飛行機です。この機体は、三菱重工の社有機として各種の試験飛行に使用され、B型からF型に改造されました。この展示物は、成田国際空港展望デッキに展示されていたことがあります。∥MITSUBISHI MU-2B/F(寄贈 三菱重工) 年代:1963年初飛行

情報所有館 : 航空科学博物館 


国産レシプロ・双発ビジネス機 FA-300 (富士重工社有機) JA5258

この機種は、日本の富士重工が1975年(昭和50年)から46機生産した6人乗りビジネス飛行機です。この機体は試作1号機で、富士重工の社有機として各種の試験飛行や、デモ飛行などに使用されていました。∥FUJI FA-300/ROCKWELL COMMANDER 700(寄贈 富士重工) 年代:1975年初飛行

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リアジェット ビジネスジェット機 (エンジン運転体験機) N25MB

この機種は、1952年(昭和27年)にスイスで開発開始、アメリカで1963年(昭和38年)から2,000機近く生産した、ビジネスジェット機というカテゴリーを確立した航空機です。この機体は、アメリカ企業が社有機として使用していたもので、展示にあたり成田空港まで最終フライトしました。この展示物は、ジェット機エンジン運転体験機として搭乗可能です。∥LEAR JET 25B(寄贈 成田空港美整社) 年代:1952年初飛行

情報所有館 : 航空科学博物館 


ボナンザ単発訓練機 (エンジン運転体験機) JA3440

この機種は、アメリカのビーチクラフト社が1959年(昭和34年)から生産した5人乗り軽飛行機です。この機体は、宮崎県にある運輸省航空局の航空大学校で、学生の事業用免許の訓練に使用されていました。この展示物は、エンジン運転体験機として搭乗可能です。∥BEECHCRAFT C35/E33 BONANZA 年代:1959年初飛行

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ムーニー単発軽飛行機 (エンジン運転体験機) JA4177

この機種は、アメリカのムーニー社が1955年(昭和30年)から1万機以上生産した、高速性能に優れた4人乗りの軽飛行機です。この機体は、個人所有の高級機で、レジャー、訓練飛行などに使用され、展示にあたり成田空港まで最終フライトしました。この展示物は、エンジン運転体験機として搭乗可能です。∥MOONEY M20M TLS(寄贈 個人) 年代:1955年初飛行

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セスナ195単発軽飛行機 (朝日新聞社 神風) JA3007

この機種は、アメリカのセスナ社が1947年(昭和22年)から生産した5人乗り軽飛行機です。この機体は、航空再開直後に導入され、朝日新聞社の取材機「朝風」号として活躍していました。この展示物は、大阪伊丹国際空港展望デッキに展示されていたもので、当館のボランティアの手により原型に近い状態に復元されました。∥CESSNA MODEL 195 ASAHI NEWS "ASAKAZE" (寄贈 関西空港ビルディング) 年代:1947年初飛行

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国産レシプロ軽飛行機 FA-200単発軽飛行機 JA3848

この機種は、富士重工がアクロバット飛行に適するように設計し、1965年(昭和40年)生産を開始した4人乗りで、日本の軽飛行機の代表です。この機体は、MASフライング・クラブの所有機で、レジャー、訓練飛行などに使用されていました。∥FUJI FA-200 AEROSUBARU(寄贈 MASフライング・クラブ) 年代:1965年生産開始

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国産軽飛行機 FA-200 カットモデル (富士重工社有機) JA3528

この機種は、富士重工がアクロバット飛行に適するように設計し、1965年(昭和40年)生産を開始した4人乗りで、日本の軽飛行機の代表です。この機体は、富士重工の社有機で、デモンストレーション飛行などに使用されていました。この展示物は、胴体及び主翼左側の外板を取り外してあり、機体の構造を理解できます。(収蔵中のため見学できません)∥FUJI FA-200 AEROSUBARU(寄贈富士重工) 年代:1965生産開始

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ヤンキー単発軽飛行機 (京葉航空) JA3613

この機種は、アメリカのビード社の設計、原型は1963年(昭和38年)に初飛行、456機生産された2人乗りの軽飛行機です。この機体は、千葉県茂原市にあった真名飛行場をベースとする京葉航空の所有機で、日本への輸入は1機のみです。この展示物は、当館のボランティアの手により原型に近い状態に復元されました。∥AMERICAN AVIATION AA-1 YANKEE 年代:1963年初飛行

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セスナ172単発軽飛行機 搭乗体験装置 JA3944

この機種は、アメリカのセスナ社が1956年(昭和31年)から生産した4人乗り軽飛行機です。この機体は、大西飛行場にあった大洋航空の所有機で操縦訓練、空中からの放送飛行、写真撮影などに使用、その後新中央航空で活躍しました。この展示物は、エンジンをモーターに換装してあり、有料で機内に搭乗できるプロペラ作動体験機です。∥CESSNA MODEL 172P SKYHAWK 年代:1956年初飛行

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セスナ172単発軽飛行機 JA3316

この機種は、アメリカのセスナ社が1956年(昭和31年)から生産した4人乗り軽飛行機で、性能を向上させるためにエンジンを交換しています。この機体は、新中央航空の所有機で、操縦訓練、遊覧飛行、写真撮影などに使用されていました。この展示物は、胴体部分のみで、機内に着席できるものです。(収蔵中のため見学できません)∥CESSNA MODEL 172G RAM 年代:1956年初飛行

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セスナ175単発軽飛行機 JA3136

この機種は、アメリカのセスナ社が1959年(昭和34年)から生産した4人乗り軽飛行機です。この機体は、減速ギア付きのエンジンを搭載していることが特長で、操縦訓練、遊覧飛行、写真撮影などに使用されていました。この展示物は、プロペラ作動体験機として使用していました。(収蔵中のため見学できません)∥CESSNA MODEL 175A(寄贈 個人) 年代:1959年初飛行

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セスナ411双発軽飛行機 (中日新聞社おおたか) JA5151

この機種は、アメリカのセスナ社が1962年(昭和37年)から生産した8人乗りビジネス飛行機です。この機体は、中日新聞社で取材に使用されていたもので、「おおたか」号と呼ばれていました。この展示物は、双発エンジン運転体験機として使用していました。∥CESSNA MODEL 411A(寄贈 中日新聞社) 年代:1962年初飛行

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セスナ421双発軽飛行機 (毎日新聞社 金星Ⅱ) JA5151

この機種は、アメリカのセスナ社が1965年(昭和40年)から生産した10人乗りビジネス飛行機です。この機体は、毎日新聞社で取材に使用されていたもので、「金星Ⅱ」号と呼ばれていました。∥CESSNA 421 MAINICHI NEWS the "KINSEI Ⅱ"(寄贈 毎日新聞社) 年代:1965年生産開始

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セスナ150 前部胴体 (操縦席着席可能) JA3420

この機種は、アメリカのセスナ社が1957年(昭和32年)から生産した2人乗り軽飛行機です。この機体は、操縦訓練や遊覧飛行などに使用されていたものです。この展示物は、胴体後部を切り離し、操縦席に着席できるものです。(収蔵中のため見学できません)∥CESSNA MODEL 150H 年代:1957年生産開始

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ターボ・バロン双発軽飛行機 (毎日新聞社 明星) JA5159

この機種は、アメリカのビーチ社が1967年(昭和42年)から生産した6人乗りビジネス飛行機です。この機体は、毎日新聞社で取材に使用されていたもので、「明星」号と呼ばれていました。この展示物は、双発エンジン運転機として使用していました。∥BEECHCRAFT TURBO BARON MAINICHI NEWS "MYOJO"(寄贈 毎日新聞社) 年代:1967年生産開始

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エアロコマンダー双発軽飛行機 (アジア航測) JA5074

この機種は、アメリカのアエロ社が1952年(昭和27年)から生産した7人乗りビジネス飛行機です。この機体は、地図を作るため地上の写真を撮影する航空測量に使用され、無事故で活躍しました。この展示物は、エンジンをモーターに換装してあり、有料で機内に搭乗できる双発プロペラ作動体験機です。∥AERO COMMANDER 680E ASIA AIR SURVE(寄贈 アジア航測) 年代:1952年生産開始

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スーパーカブ単発軽飛行機 (日本学生航空連盟) JA3117

この機種は、アメリカのパイパー社が1949年(昭和24年)から生産した2人乗り軽飛行機です。この機体は、日本学生航空連盟でグライダーの曳航などに使用され、北九州市交通科学館に展示されていました。この展示物は、オープンハウスの際にエンジン運転体験機として使用しており、常設展示物ではありません。∥PIPER PA-18 SUPER CUB(寄贈 北九州市) 年代:1949年生産開始

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