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早川と須雲川の合流する三角州の一帯に煉瓦造2階建の洋館と付属して日本館を設けた。洋館は木部の仕上げは素地のままで、装飾も簡素なものであった。施主の彌之助は、現場を訪れて工事についても指示を与えるなど、竣工を楽しみにしていたようであるが、完工する前に死去してしまった。今日、旅館吉池として、庭園と和館の一部が明治期のまま残されている。
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明治43年3月、岩崎彌之助の三回忌に落成した。西欧の霊廟を模しながら、正面の青銅の扉には二十四孝の彫刻が施され、純白の大理石と、緑青に包まれたドームをもつ洋式納骨堂である。内部は床・壁・天井ともに大理石貼である。現存する建築は、竣工当初の姿をとどめている。
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アルウィンは三井物産や台湾製糖設立に貢献し、日本人のハワイ移住の道を開いた人物である。この住宅は明治44年、上2番町に木造2階建が竣工し、当初、それに付随する和館もあった。
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父(彌之助)の莫大な遺産を受け継いだ鉄馬は、素封家として、様々な分野で活躍した人物である。彼は、明治45年6月赤坂台に屋敷を完成させた。しかし、コンドルの設計である煉瓦造2階建・一部木造の建物図面以外にも、別の図面が存在するため、実際に建設された建物がどのようなものであったのか定かではない。
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諸戸家は三菱岩崎家と事業を通じて接触があり、コンドルに邸宅の設計を依頼したのも岩崎家を介したものであろう。この洋館は装飾の少ない簡素な構成で、特に室内意匠は軽快なものとなっている。外観は、東北隅の円形平面、4階建の塔屋や庭園側に突き出したバルコニーによって比較的変化に富んでいる。当初は洋館の西側には木造平屋の和館も接続していた。
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建設地は当時の荏原郡目黒六ヶ村下目黒157で、岩永家の敷地は20000坪を超える広大なものであった。そこに、桂離宮を模した数奇屋風書院造りの和館が連なり、さらにコンドルによる西洋館が増築された。その後、昭和6年に目黒雅叙園となり、戦時中は洋館が陸軍の病院となっていた。現在は、岩永邸の2間が目黒雅叙園の中に中華料理の宴会場となって移築復元されている。
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園田孝吉は外交官としてイギリスに15年滞在し、ロンドンの日本総領事、帰国後は横浜正金銀行の頭取、東京倶楽部の理事などを歴任した人物で、コンドルをはじめ、英国人の知己が多かった。明治45年5月に芝白金三光町に木造2階建ての洋館を既存の和館に増築したものである。
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石造2階建て、49坪の洋館で、岩崎邸の建物の中では非常に簡素な造りである。関東大震災で崩壊した。震災後建物は再建され、10万坪にも及ぶ広大な敷地内にはゴルフ場も設けられた。現在、旧ゴルフ場は成蹊学園の鍛錬場、その他は小田急山のホテルとなり、受け継がれている。
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薩摩の島津本家の邸宅として建設された。円弧状に張り出したベランダに建つ柱は2本ずつペアになっており、バロック的手法が窺える。ステンドグラスには薩摩の紋が入っており、邸宅の主を示している。設計図には3段階の案が残されており、平面図の決定プロセスが窺える。建物は、戦後、清泉女子大学の施設となって現存している。
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図面に「Country Villa at Kita Shitaura」と記されているものの、誰のために計画された別荘であるのか定かでない。大正6年とはコンドルの最晩年に当たる時代で、図面上では近代的な優れた建物である。建設されたと考えれらる現在の北下浦地区(津久井・長沢・野比)は、当時、真に交通の不便な所であった。
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