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元は後藤象二郎邸であったが、明治8年5月に岩崎彌之助の名義で土地建物を購入している。明治26・27年頃改築されているが、明治25年のコンドルの図面が残るのみで、改築がコンドルの手になるものかどうかは判然としない。図面からは、1階が接客用、2階が居住用に計画されていたことが判る。
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岩崎茅町本邸は、和・洋館が並列する典型的な明治期の大邸宅であり、コンドルの代表的な住宅建築である。現存する洋館は、木造2階建・地下室付、建築面積約160坪で、様式はジャコビアン様式を基調にルネサンスやサラセン風などが折衷されている。外観は下見板張りペンキ塗り仕上げ、屋根は天然スレート葺で、玄関上部が塔屋、庭園側には2層のベランダが設けられている。内部は1階が接客用、2階にプライベートな居室を配している。また、敷地内にはコンドル設計による撞球場が建設されている。19世紀に米国で流行した別荘建築のスタイルの木造建築で、洋館と地下道でつながっている。
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図面には1894(明治27)年3月の日付が記されており、この頃から岩崎茅町本邸の計画がコンドルによって進められていたことが判る図面である。しかし、この図面はそのまま実施されたものではなく、3月以降に大幅な設計変更がなされ、現在の茅町本邸が建設されたと考えられる。
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大正4年に岩崎久彌の要請によってコンドルが作成した岩崎茅町本邸の建替計画図である。1915(大正4)年2月と記されたもので、実現していれば、建坪348坪、鉄筋コンクリート造の大規模なものであった。和洋並列の形は取らず、洋館の中でのレベル差により、1階が接客用、2階にプライベートな居室、3階に女中室を配している。しかし、この計画が実施されることはなかった。
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この住宅は、湯島三組町に明治33年5月に竣工したが、写真が残っていないため、図面どおりに建設されたかは不明である。図面からは、ルネサンス様式で、鉄骨造のベランダが特徴となっていることが判る。また、今日残されているコンドル設計の図面には暖房関係のものが多いが、これは高田商会が金属製品の輸入や暖房設備を取り扱っていたからである。高田商会はわが国における欧州の機械輸入の最大商社であった時期があり、海外にも支店を持ち、機械製造も行っていたが、大正14年に休業に至った。
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仙台坂は通りの名前で、番地は麻布竹谷町である。煉瓦造2階建の建物で、明治38年6月に竣工した。平面図を見ると、畳敷きの部屋が2室設けられている。畳導入の早い例である。現在、この地は大韓民国大使館になっている。昭和52年頃まで存在していたハーフティンバーの建物は建て直されたものと考えられる。
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明治38年11月に竣工した、ルネサンス様式の煉瓦造2階建である。昭和7年に建物と敷地共にイタリア大使館の所有となったが、昭和20年5月に爆撃によって焼失した。
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赤星彌之助は、一代で巨万の富を築いた人物である。しかし、明治40年3月にこの大磯別邸が竣工した時、彼は既に他界していた。立面図と建設された建物の写真を比べると、随所に違いが見られる。
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煉瓦造石貼2階建・一部3階建で、建築面積約444坪、コンドルの住宅作品の中でも有栖川邸に次ぐ大邸宅である。外観はジャコビアン洋式を基調としている。和・洋館を併置したスタイルではなく、あくまで洋館を中心とした配置計画がなされている。単なる洋風住宅ではなく、迎賓館的な性格の強い建築である。玄関側(西側)はシンメトリーに構成され、庭園側(東・南側)はベランダを張り出し、円筒形の階段室を突出させるなど立面に変化を持たせたピクチュアレスな表現である。本館内部は1階は接客用、2階は居住用にと、コンドルの定式による計画がなされている。付属屋の一角には、「蓋しわが国に於ける唯一のもの」と言われたトルコ風呂が付設されていた。
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