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建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。建築金物の田村商会の製品・キングレヂスターは東京都内で広く使われていたもの。
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建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。建築設備器具の大手、須賀商会取り扱いの衛生器具一覧。及び須賀式便所の説明。
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計5枚。ジョサイア・コンドルに代わって教鞭を取り、近代日本の建築界の基礎を築いた人物の卒業制作。様式の扱いはやや生硬だが、堅実にまとめられている。イスラム風の開口部に、コンドルの建築からの影響が見られる。その後の代表作に、日本銀行本店(1896)や東京駅(1914)などがある。
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計6枚。片山東熊は宮廷建築家として活躍し、各地の離宮・宮邸・華族邸・博物館を手がけた。現在、迎賓館として用いられている東宮御所(1909)はその代表作。フランス・バロック様式で設計し、室内には和風やイスラム風の要素も取り入れている。習熟した様式の扱いから、「明治建築の卒業制作」と称されることもある。その人物の卒業制作。
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計5枚。工部大学校第一期卒業生4名の中で、最もデザイン能力が優れていたのが曾禰達蔵である。洒脱なバランス感覚を、卒業制作からもうかがうことができる。卒業後、丸の内の銀座煉瓦街の建築をジョサイア・コンドルと共に担当。1906年には曾禰建築事務所(1908年より曾禰中條建築事務所)を開設した。戦前における最大の建築事務所として、質・量ともに優れた作品を残している。
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計6枚。佐立七次郎は、工部大学校第一期卒業生として、輝かしい未来が約束されていたにもかかわらず、明治中期より公的な場所から身を引いてしまった。憲政記念館の日本水準原点標庫(1891)は、同窓生中の現存最古のものとして残る。作品には他に、旧日本郵船小樽支店(1906)などがある。
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計3枚。福沢諭吉の甥にあたる人物で、日本人建築家としての初めての作品・文部省(1881)を完成させた。明治会堂(1884)・箱根離宮(1886)などを手がけるが、病を得て1891年に夭折した。
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計3枚。海軍技師として、建築部門の基礎を築いた。工場建築にいち早く鉄骨構造の導入を図った。そうした技術的先駆性の一方で、前田侯爵邸(1907)など邸宅建築にも才を発揮。開業時の帝国ホテル(1890)は、海軍技師就任以前の設計作品である。
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計5枚。坂本復經は工部省・内務省を経て、清水方(現・清水建設)の初代技師長に就任。大学出の技術者として期待されていたが、病を得て1888年に夭折した。
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計6枚。文部省において学校建築を手がけ、旧制第五高等中学校(1889、現「熊本大学五高記念館」)は、国の重要文化財となっている。早くから日本建築にも興味を示し、1893年のシカゴ万博において、平等院鳳凰堂を模した「鳳凰殿」を設計した。
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