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羅宇屋で使われていた修理道具。火皿と雁首にたまったヤニを取り除く「かきだし」、新しくすげ替える羅宇の節を抜く「きり」、羅宇の太さを調節する「らうじめ」、作業中何かと固定するのに使う「まんりき」、火皿にこびりついたヤニや羅宇の両端を削るのに使う「小刀」。羅宇屋は、こうした道具と新しい羅宇を載せた羅宇車を押して路地を廻り、きせるの修理にあたった。年代:昭和20年頃
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ぜんまい刻み機の取っ手を手回しに換えたような仕組みのたばこ刻み機。専売法違反の疑いで昭和25年1月16日に栃木県で押収された旨を記した札がついている。札には同時に押収されたものとして、葉たばこ、刻みたばこ、たばこ圧搾幾と表記されており、たばこ製造に必要な道具を一通り揃えていた事が分かる。
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東京のきせる職人吉田省吾氏が使用していた道具。作業台で、台上面の金具に雁首を固定し、厚さ1~1.2mmの地金(銅、真鍮)をたたいてきせる本体や雁首、吸口を成形する。火皿や継ぎ目は、るつぼで溶かした亜鉛で接合した。最後に羅宇をすげて完成となる。
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手動のたばこ巻き器。ローラーの間に薄いライスペーパーを挟み、刻んだたばこの葉をのせる。ローラーをまわして巻き上げ、貼り合わせるとシガレットの形状になる。第二次世界大戦末期から戦後にかけて、紙巻きたばこの配給本数が制限される中、イタドリなどを混入した刻みと手巻き用の紙が販売され、手巻きたばこを作るために広く使われた。
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右側の半円形をした2本1組の黄銅製の管は、口付きたばこの製造器具で、刻みたばこを巻紙に挿入するのに使用した。このやり方は俗に「クダマキ法」と呼ばれた。左は両切たばこの製造器具で、布を張った巻台に刻みたばこを置き、手回し棒の回転により、糊付した巻紙に刻みたばこを巻き込むという仕組みのもの。
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佐々木善次郎著、大正14年刊行の技術書。掲載されているのは、明治30年代に実用化されていた足踏式充填機。明治32年に岡本市蔵の名義で特許が取られていたが、明治34年にその特許を岩谷商会が買い取った。第五回内国勧業博覧会に出品された岩谷商会の機械はこれを発展させたものと言われる。
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当時の工業製品の製造工程について、歴史的背景を含めて子どもに分かりやすく解説した読物。「第19編煙草之巻」では、取材をもとに挿絵を加えて解説しており、岩谷商会工場内部の様子や導入していた製造機械について知ることが出来る。
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当時の工業製品の製造工程について、歴史的背景を含めて子どもに分かりやすく解説した読物。「第19編煙草之巻」では、取材をもとに挿絵を加えて解説しており、岩谷商会工場内部の様子や導入していた製造機械について知ることが出来る。年代:明治37年
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ウィーン万博への参加準備段階で、各都道府県から提出された諸産物の図説を元に、博物局がその製造過程を中心に図解したもの。34枚が制作され、「第十六 煙草一覧」として葉たばこ耕作から細刻みたばこ製造までの過程が説明される。年代:明治6年
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たばこの巻紙に銘柄やマークを印刷するための鋼版。アメリカ占領下の沖縄では日本の専売制度とは異なり、琉球煙草株式会社などにより「沖縄らしい」独自のたばこ産業が発展した。「うるま」はそうした銘柄のひとつであり、本土復帰に伴い専売制となった後も「うるま」は引き継がれた。
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たばこの巻紙に銘柄やマークを印刷するための鋼版。アメリカ占領下の沖縄では日本の専売制度とは異なり、琉球煙草株式会社などにより「沖縄らしい」独自のたばこ産業が発展した。「VIOLET」はそうした銘柄のひとつであり、本土復帰に伴い専売制となった後も「VIOLET」は引き継がれた。
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当館開館年である昭和53年のたばこ屋店先を想定復元したもの。店先の陳列ケース部分は、昭和初期から平成まで実際に東京世田谷区奥沢で使用されていたものを移築している。
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たばこへの課税のための税則。当初たばこ税は、営業税と印紙税という二種類の方法で徴収されていた。明治9年以来数回に渡って改正されたが、印紙をきれいに貼る必要が生じたため、従来の杜撰な包装に変わってきちんとした包装が施されるようになった。この資料は漢字にルビがふられ、さらに印紙の貼り方を分かりやすく図解していることから、たばこ商たちに配布されたものと考えられる。年代:明治9年
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明治維新後の税収入の手段としてたばこも課税対象となり、明治9年からは印紙税としてパッケージに印紙が貼られるようになった。たばこの定価に応じて税額が決められたが、当初は印紙の貼付が徹底せず、見込んだ税収を上げられなかったため、税制改則が繰り返された。年代:明治15年頃
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東京都内の有名なきせる屋を番付に仕立てたもの。江戸以来、きせるの名店として知られた村田の名前が複数箇所に見られ、都内に多くの支店を持っていた様子が伺われる。紙巻きたばこの伝来以降も、きせるでの喫煙は愛好され、大正年間まで刻みたばこの消費量は紙巻きの消費量を上回っていた。年代:明治期
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刻たばこ(国分)の実物。細きざみは日本特有の喫煙法で、毛髪よりも細く0.1mmくらいにまで刻んだ。箱書「薩摩生産町野上橋中程 林徳二郎製 色会御刻煙草」から産地と製造人が分かる。箱がガラスをはめた層との二重構造になっており、何らかの展示会に出品されたと思われる。国分は鹿児島を発祥に、関東、東北南部でも栽培された在来種で刻たばこを代表する銘柄。
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村井兄弟商会の広告キャラクターやパッケージが描かれたたばこ配送用荷車。明治期を代表するたばこ商の村井兄弟商会と岩谷商会とは派手な宣伝活動での競合が知られる。この配送用荷車からは当時のたばこ販売の業態ばかりでなく、宣伝活動の様相が垣間見える。年代:明治30年代後半
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たばこが専売化された明治37年当時の図柄が描かれた配送用荷車。専売以前には派手に繰り広げられた宣伝活動であったが、専売制度導入に際して大蔵省は本格的な広告宣伝活動を行っていなかった。そうした中で、パッケージデザインを描いたこの荷車は、広告媒体としての利用が伺える貴重な資料といえる。年代:明治37年頃
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刻たばこ(服部)を包装したもの。箱書きはないが、同封の断簡「百四拾四番摂津国服部 上」と包装から何らかの展覧会に出品されたと思われる。服部は摂津を発祥とする銘柄で、江戸時代には国分に次ぐ銘葉とされた。
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大阪で開催された第五回内国勧業博覧会は、イルミネーションで会場をライトアップし夜間開場も行う、娯楽性の高いものでもあった。村井兄弟商会はサーチライトつきの高塔を会場正面に建てて話題を呼んだ。岩谷商会は休憩所に高塔を設置したほか機械館に設置した当時最新鋭の口付たばこ製造機での実演を行った。岩谷発行の案内図には、「休憩所」と口付たばこ製造機の設置場所などが図示されている。年代:明治36年
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村井兄弟商会の口付たばこ「忠勇」の定価表の銅版。10本入りから50本入りまでの価格が記される。描かれているのは忠勇のなかでも「貳號」と位置づけられる製品のパッケージ。
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埼玉県熊谷のたばこ商小此木商店の広告。新商品「日の出刻煙草」の売出広告だが、目覚まし時計や蝙蝠傘がたばこの景品となっておりその豪華さが目を引く。熊谷のたばこ商の広告だが、長野のたばこ商松葉屋の名前が見られ、印刷は群馬県高崎の会社が請負っているという、当時のたばこ流通のネットワークが垣間見られる資料である。
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明治37年の専売制施行以来、専売局と小売人の中間機関として機能していた元売捌人が、昭和6年に廃止となった。その廃止記念に出された写真帖で、群馬県高崎製造所やその支局、元売捌き人の顔写真が収められている。
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日本で最初の紙巻きたばこは明治2年に製造され、同5年に販売されたとされる。製造者は土田安五郎で、明治14年の第2回内国勧業博覧会では有功賞三等を受けた。
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現在流通している紙巻たばこの製造工程を紹介したもの。収穫、熟成させた葉を銘柄ごとにブレンドし、巻紙で長細い筒状に形成する。この筒をたばこ1本分の長さに切った2本の間にフィルターをはさみ、口紙でたばことフィルターを接続する。その中央で切断するとフィルター付たばこが2本できる。
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明治6年にオーストリアで開催されたウィーン万国博覧会に出品された、たばこ関係資料の写真。ぜんまい刻み器のほか、細刻みの見本、きせる、たばこ盆などが見られる。
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本来は脆弱な包装の補強のために入れられたカードだったが、女優や美人の図柄が好評で、補強の必要がなくなってからもコレクションの対象として人気を博した。1880年代にアメリカのシガレットメーカーが始め、日本では村井兄弟商会が販売促進グッズとして活用した。当初はアメリカから輸入していたが、印刷技術の発達と関税自主権回復に伴い、国内で製造するようになった。
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村井兄弟商会の「ヒーロー」ポスターと同じ構図の絵。明治・大正期には美人画ポスタ?が流行し、たばこポスターにもしばしば美人が描かれるようになった。年代:明治期
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村井兄弟商会の「ヒーロー」ポスター。西洋の石版印刷は、砂目のような石版特有の表現技法を確立したのに対し、日本の石版印刷は絵画の複製手段として発達した。原画を忠実に再現することを旨とし、また、額装された上で、長期間屋内に掲示されるという掲示条件も手伝って、「絵画的で小判」という日本のポスターの特性が生まれた。年代:明治27年
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村井兄弟商会のたばこ「武徳」のポスター原画。明治を代表するたばこ商村井兄弟商会は、東洋印刷株式会社を設立し、趣向に富んだパッケージやポスターで岩谷商会と宣伝合戦を繰り広げた。水彩画で、右下の白く塗られた部分はたばこパッケージ用のスペースとなっている。この原画は同寸法の石版に転写され印刷された。年代:明治35年
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村井兄弟商会のたばこ「武徳」のポスター。石版印刷で作成されており、原画に忠実な仕上がりとなっている。原画で白く塗られていた部分にパッケージが描かれている。明治を代表するたばこ商村井兄弟商会は、東洋印刷株式会社を設立し、趣向に富んだパッケージやポスターで岩谷商会と宣伝合戦を繰り広げた。年代:明治35年
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明治を代表するたばこ商岩谷商会の看板。岩谷は自社商品に「天狗」と名付けたため、看板には天狗煙草と表記されている。販売中の銘柄に並んで「勿驚税金三百万圓/慈善職工三十万人」といった文句が記されているが、岩谷はその隆盛を示すため、税額や職工人数を年々増やしていった。
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明治を代表するたばこ商村井兄弟商会の看板。看板の人形は会社のマスコット的存在で、人形の身体部分は自社のパッケージで作られている。アメリカのたばこ会社と提携関係にあった村井兄弟商会らしく、銘柄には横文字が多くみられる。
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海水を濃縮した、かん水を煮詰めるための釜。直径180cm、深さ30cm、重さ160kg。昭和初期から昭和58年(1983)までの約60年間能登で使われていたもの。
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明治38年の塩専売制施行により塩の包装も俵から叺に変更された。昭和30年に専売公社が試験的に導入した紙袋包装が定着し、昭和40年頃に藁製の塩用叺も自然と廃止された。当館で所蔵しているのは、当時の職人が当時の叺織機をもって平成年間に制作したもので、農林物資規格法(昭和25年)に基づき規格化された40kg入となっている。
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瀬戸内地方の入浜式製塩のジオラマ。入浜式製塩は、潮の干満を利用して海水を自動的に塩浜へ導入する製塩法で、干満差の大きい内海や干潟の発達した場所に多く見られた。江戸時代初期には大規模な「入浜式塩田」が瀬戸内海沿岸に築造されて日本の製塩の主流となった。昭和30年頃まで日本独特の製塩法として盛んに行われた。
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流下式塩田は昭和20年代後半から入浜式塩田に替わって導入され、昭和46年まで行われた。表面に粘土を張り、ゆるい傾斜をつけた流下版のうえに海水を流し、太陽熱で水分を蒸発させる。次に竹の枝を組んだ枝条架の上から滴下させ、風力によって蒸発させて鹹水をとる方法。大量の砂を動かす重労働がなくなり、年間の稼働日数も多くとれるため入浜式製塩に比して生産量は2.5-3倍と大幅に増加した。
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明治中期以降、欧米の塩釜にならってさまざまな洋式の鉄釜が考案され、石釜に替わって導入された。大正末期には「十州塩田」のほとんどが鉄製の塩釜となった。浅い角型の開放釜で、総称して平釜と呼ばれた。煙の熱を呼び熱に利用している分、在来の塩釜より燃料効率が改善されているが、蒸気の熱は利用されずに逃げる構造であった。
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平釜では、鹹水を煮詰める際に発生する蒸気は、大気中に拡散してしまっていたが、この蒸気を逃さず、その熱も鹹水の加熱に有効利用するようにしたのが蒸気利用式塩釜である。平釜に比して石炭使用量は半減し、大量生産が可能になった。昭和初期から30年代にかけて広く使われた。
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塩を高温加熱して塩化マグネシウムを酸化させたものを焼塩という。これは吸湿性を低下させ運搬をたやすくしたもので、その際に用いた湯呑み程度の大きさの壷が焼塩壷である。焼塩は進物として用いられたらしく、箱書きには「泉州 堺」とあるものも見られる。これは瀬戸内沿岸で製造された塩が堺を経由して各地に運ばれていったためだが、ブランドとして表記された可能性も否定できず、必ずしも産地を特定するものではない。
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1872年にニューヨークで売り出された足踏みエンジンはむし歯の治療、歯の清掃・研磨、歯科技工の作業などに用いられた。それ以前にも個人的には使われていたが、公表はされなかった。日本にも明治初期(明治12・3年頃)輸入され、盛んに使用し、国産でも作られるようになった。日本では歯科技工用を含めると、1955(昭和30)年頃まで使われていた。展示品の本体は1900年頃のものと思われる。狭い口腔内で作業をするので、歯科医が把持する部分の機器は交換が可能になっている。その交換部品(ハンドピース)のうち当館には1890年特許のS.S.ホワイト社ライトアングル及びコントラアングルなどがある。 年代:共に1900年頃
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1900年頃の治療室は歯科用椅子にうがいをした水を吐く“唾吐き”が付いており、足踏みエンジンが置いてある程度だった。その頃アメリカのリッター社はDistributing Panelを発売した。これは歯科治療に必要な電機系を板上にまとめた歯科用ユニットの原形である。また、その頃の建物の壁面には電気の配線はされていなかった。当博物館にはDistributing Panelが展示してある。それ以後これを基として歯科用ユニットが開発された。このPanelは非常に数少なく珍しいものである。エアーコンプレッサーと連結され、温度調節可能なエアーシリンジ、電気焼灼器、照射ランプ、時計などが備えられている。年代:1900年頃
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歯科用設備はアメリカで発達した。当博物館にはアメリカのS.S.ホワイト社、1915(大正4)年に発売された歯科用ユニットが展示してある。スピットン(唾吐き)は排水管と連結され、電燈、電気エンジン、ブラケットなどが組み込まれている。年代:1915年
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昭和中期のユニットで日本のモリタ社。1957(昭和32)年製。エアータービンはまだ付属していない。戦後の日本の技術力を示したものであった。年代:1957年
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足踏みエンジンに代わってモーターの回転を利用して歯や骨を切削出来るセットが発売された。これは世界中の歯科医により使われるようになった。回転数は12000回転くらいまで上がった。当館のスタンド型の電気エンジンは初期のものでリッター社、4000回転。1918(大正7)年に特許を取っている。大正7~8年頃の製品である。他にユニットに取り付けたもの数個ある。年代:1920年頃
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W.C.レントゲンによりレントゲン線が発見されたのは1895(明治28)年である。当博物館にある装置は1921(大正10)年製のもので装置として初期のものである。高圧電流が流れる線が露出しているタイプである。アメリカ、リッター社製。年代:1921年
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歯科の治療用の専用の椅子が普及したのは1800年代の後半のことである。当博物館には大正時代に製造されたアメリカ・リッター社製の歯科用椅子が展示してある。それ以外の歯科用椅子も展示してある。年代:1910年頃
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