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呉羽化学工業の水銀法食塩電解プロセスについて、創業から水銀法が廃止されるまでの全電解槽が、試作機も含めて図示され、また工場組織が、末端のオペレーターに至るまで人名を含めて記録されるなど、同社の水銀法電解の歴史の全貌が研究開発の過程を含めて明らかにされている貴重な資料である。
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独Franz Brawn社が熱可塑性樹脂成形用として1933年に開発した“Isoma”という射出成形機である。射出能力は30gに過ぎないが、加熱シリンダーを装備し、電動機で駆動する横型射出成形機で、今日用いられている横型射出成形機の原型をなすものといえる。1943年日本窒素肥料が購入し、レーダー部品の成形に使用された。第二次大戦中に独からUボードで日本へ運ばれた。
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旭有機材工業(株)は、1957年以来、射出成形による塩ビ製バルブを生産していたが、1971年には、当時、世界最大の3300tの射出成形機を設置、大型のバルブの生産を開始した。さらに1992年に、世界最大の5000tの射出成形機を導入し、現在稼働中である。この成形機によって、口径600mm、肉厚140mmの大型バルブが成形可能となり、また市場ニーズに応えた超大型製品の開発が出来るようになった。
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旭有機材工業(株)は、1957年以来、射出成形による塩ビ製バルブを生産していたが、次第に大型のバルブの成形が求められるようになった。そのため、1971年には、当時、世界最大(3300t)の射出成形機を設置した。この成形機は現在も稼働中である。それまでは、熱可塑性樹脂での厚肉成形は困難とされていたが、技術革新により60mmまでの厚肉品の成形が可能となった事から口径350mmの大型塩ビ製バルブが成形できるようになった。
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旭有機材工業(株)は、1957年、日本で初めて射出成形による塩ビ製バルブの生産を開始した。このカタログは、草創期のカタログであり、当時、どのような製品が製産されていたかを伝える貴重な資料である。
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旭有機材工業(株)は、1950年代前半より金属バルブに代るプラスチック製バルブの開発を手掛け1952年塩ビ製バルブの上市を行った。当時の生産は圧縮成形によるものであったが、1957年日本で初めて射出成形による塩ビ製バルブの生産を開始したものである。最初の製品は耐酸性、耐蝕性を目的に旭化成(株)延岡にて使用された。このバルブは、旭化成(株)で2001年まで使用されていたものである。
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1951年9月13日、東亜合成化学名古屋工場で、イギリスの押出機メーカー、ウィンザー社の技師長E・G・フィッシャー氏の指導で、日本で初めて、硬質塩ビパイプの押出しに成功した時の記念写真である。
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1951年9月13日、東亞合成化学工業の名古屋工場で、イギリスの押出機メーカーのウィンザー社の技師長、E・G・フィッシャー氏の指導で、日本で初めて硬質塩ビパイプの試作に成功した。このサンプルはその一部である。当時、色は白色であり、高価なこともあって「象牙パイプ」と呼ばれた。尚、押出機はウィンザー社製のRC-65型機であった。
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寺岡製作所(現・アロン化成)は、戦後、射出成形機の開発に取り組み、1950年代の前半には2オンス、3オンスの成形機を完成、1954年には6オンスの射出成形機を完成させた。本設計図は、この6オンスの成形機の図面であり、初期の射出成形機の状況を伝える貴重な資料である。
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寺岡製作所(現アロン化成)は、戦後、射出成形機の開発に取り組み、1950年代前半には2オンス、3オンス、6オンスの射出成形を完成させた。特に塩ビは、流れが悪いため高い成形圧力が必要であるが、当時のポンプでは140kg/cm2程度が限界であり、塩ビの射出成形は困難であった。寺岡製作所は、特殊なポンプを考案して210kg/cm2を実現した。本アルバムには、こうした初期の成形機やポンプの写真が揃っている。1973年に撮影されたもの。
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