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「オリエント」パッケージ

専売局が初めて発売したトルコ巻(トルコ、ギリシャ産のオリエント葉を原料とする紙巻き煙草)の高級品。箱は10本を一列に並べた平型で、エジプトのたばこを模倣したような図柄の隣に菊、というデザインになっている。明治38年発売、昭和8年製造中止。

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「はぎ」パッケージ石版

銅版の「はぎ」と同様のデザインだが、記載の価格から大正6年から同8年8月までのものと考えられる。

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「はぎ」パッケージ

「はぎ」は明治38年に専売局が最初に発売した細刻みたばこの1つで、発売以来大正8年まで販売実績1位の銘柄だった。パッケージは白地にセピアの一色刷りだが、葉を塗りつぶしと細線の塗り分けで二色に見せている。「はぎ」石版と「はぎ」銅版は、価格こそ違うが、おなじデザインのもの。

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「はぎ」パッケージ銅版

石版の「はぎ」と同様のデザインだが、価格から大正8年8月以降のものとわかる。

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観光たばこ

日本各地の名勝や祭礼をデザインした、ご当地たばこパッケージ。特定の地域で販売されて地元団体にも評判がよく、昭和42年から平成6年まで続いた。地域性やデザインの面白さからコレクションとして人気を博した。

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記念たばこ

記念たばこは、大正4年から平成6年まで、国や地方のさまざまな行事や催しにちなんで特別にデザインされたたばこで、期間限定で販売された。博覧会や展覧会用にあわせたものや、東京オリンピック仕様など、時代を反映したデザインが並ぶ。

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手刻み道具一式

たばこの日本伝来以降、江戸時代を通して細刻みをきせるで吸うという、日本特有の喫煙形態が発展した。髪の毛ほどの細さにたばこを刻む技術は、職人の手刻みで完成された。江戸後期には機械も開発され明治37年(1904)に専売制が施行されるまで各地で使用された。手刻みでは、箒で葉たばこについた砂を掃き、葉脈を取ったあと数種類の葉を組み合わせて重ね、四つ折にした巻き葉を押さえ板で押さえながらたばこ包丁で刻んだ。手作業なので、それほど効率はよくなく、普通の人で3キロくらい、熟練者で3.75キロ程度だった。

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〆台

かんな刻み機で刻むために葉たばこを重ねて圧搾し板のように固める機械。〆台で圧搾する際に油を使うため、かんな刻みのたばこは品質が悪いとされた。しかし、火付きはよく、野外作業に従事する際の喫煙には適していた。

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かんな刻み機

寛政12年(1800)に阿波池田の中村武右衛門が北海道の昆布刻器を耳にし、現品を取り寄せて土地の工匠と共に制作したとされる。〆台で圧搾された葉をセットし、かんなで削るようにして刻みたばこを作った。手刻みよりも効率がよく、一人で一日3~5貫目(11~19キロ)を刻むことができた。しかし、葉たばこの間に油を塗るため品質が悪く、主に下級品の製造に使われた。

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ぜんまい刻み機

弘化(1844~1848)頃に発明されたとされる。1~4個の歯車を巧に使い、包丁の上下運動と葉たばこの送り出しを同時に行なえる機構を備えていた。座作業のため能率はさほどよくなく、一人一日3.75kg程度だったが、製品の質は高く、上級製品の製造に使われた。また、ぜんまい刻み機は江戸時代の産業用機械としては緻密な機構を持ち、明治以降の刻み機械につながる基本的な機構となった。

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水車刻みの図

水車を動力とした刻み機。ぜんまい刻み機は簡単な操作で良質のたばこを生産できたが効率は悪く、足踏みぜんまい刻み機などが考案された。さらに動力の導入が検討され、明治10年代以降は水力や蒸気機関といった動力を用いたぜんまい刻み機が普及した。神奈川県秦野地方ではこうした動力を利用したたばこ製造業者が多く存在し、水車ぜんまい機械の増加届といった文書も残されている。年代:明治期

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木村商店製たばこの販売用荷車

木村商店は米国産シガレット「ホーク」「ゴールドコイン」や、英国産シガレット「ハート」「キング」の輸入販売、製造販売を行った明治のたばこ商。両切たばこを主力とするため同業の村井兄弟商会と衝突することが多かった。村井の「ヒーロー」に対抗して「ハーロー」を出して商標権争いも起こしたが、明治33年には村井に買収され、その一販売店となった。写真の荷車には木村商店の銘柄が記されており、民営時代の小売の様子を伝えている。年代:明治期

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たばこの自動販売機

たばこの自動販売機は明治期から繰り返し試作された。実際に普及するには時間を要し、昭和8年に上野駅に設置されたほか、一部の地域で使われるようになった。この資料は昭和10年頃の三裕社製で、「朝日」「みのり」「ゴールデンバット」などを販売し、硬貨を入れて押し棒を押し込むとたばこと釣り銭が出るという仕組みになっている。

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たばこの自動販売機

昭和50年から51年まで制作されていたクボタ製「CM-DW2」。平成15年まで山梨で稼働していた。

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火付道具

鋼鉄製の火打金と石英の火打石を打ち合わせることで火花を出し、火口に火を移した。火口から付け木、さらに炭に移すなどして火を保管した。火打石や火打金は、蓋付の火口入れがついたの火打箱にまとめられた。

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火打袋

火打石、火打金などの火付道具を携帯用にまとめたもの。袋の端に組み込まれた金と火打石を打ち合わせて使う。鎌倉時代頃には風俗画や物語にも描写があり、たばこ入れよりも以前から腰に提げて使う袋物として利用されていた。江戸時代にはたばこ入れを腰から提げるようになり、火打袋の使用頻度は減少したとされるが、たばこ入れに収納できる形態のものも見られる。

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弁吉式ライター

加賀のからくり師大野弁吉が発明したといわれる発火具。真鍮製の俵形で4センチにみたない本体は、蓋をあけると左半分に発火機構が仕込まれており、火口をつめる窪みと鉄の突起がある。右には火打石を付けた鉄の腕があり、火口の側に倒れ込んでいる鉄の首をもちあげ、ボタンを押すとバネと連動した火打石のセットされた鉄の首のストッパーが外れて前方に倒れ込む。このとき火口上部にある鉄の突起と火打石がぶつかって火花が飛び、火花が火口に飛び移る、という仕組みで従来の火付け道具よりも容易に火をつけることが出来た。年代:19世紀

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「朝日」木版

口付たばこ「朝日」の包かの板木。背景部と文字部の2枚だが、もう1枚桜柄の板木が必要と思われる。大正6~7年頃まで用いられたもの。

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羅宇車

羅宇きせるを修理、掃除する羅宇屋の仕事道具を積んだリヤカー。羅宇屋は、きせるの中継部分である、羅宇のすげ替えや、雁首・吸口部分の掃除など、きせるの修理を請負った。江戸時代の羅宇屋は背負子もしくは棒手振で修理道具を持ち歩いたが、この羅宇車は自転車で牽引できるようにリヤカーを改造している。東京最後の羅宇屋中島留四郎氏が使用していたもの。年代:昭和20年頃

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羅宇車の釜

羅宇車に載せられている釜。羅宇竹のすげ替えには雁首部分を加熱して緩める必要があり、その熱源として釜でお湯を沸かした。お湯が沸くと、釜上部にある小笛を鳴らして客に知らせる役割もあった。年代:昭和20年頃

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きせる修理道具

羅宇屋で使われていた修理道具。火皿と雁首にたまったヤニを取り除く「かきだし」、新しくすげ替える羅宇の節を抜く「きり」、羅宇の太さを調節する「らうじめ」、作業中何かと固定するのに使う「まんりき」、火皿にこびりついたヤニや羅宇の両端を削るのに使う「小刀」。羅宇屋は、こうした道具と新しい羅宇を載せた羅宇車を押して路地を廻り、きせるの修理にあたった。年代:昭和20年頃

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小型たばこ刻み機

ぜんまい刻み機の取っ手を手回しに換えたような仕組みのたばこ刻み機。専売法違反の疑いで昭和25年1月16日に栃木県で押収された旨を記した札がついている。札には同時に押収されたものとして、葉たばこ、刻みたばこ、たばこ圧搾幾と表記されており、たばこ製造に必要な道具を一通り揃えていた事が分かる。

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きせる制作道具

東京のきせる職人吉田省吾氏が使用していた道具。作業台で、台上面の金具に雁首を固定し、厚さ1~1.2mmの地金(銅、真鍮)をたたいてきせる本体や雁首、吸口を成形する。火皿や継ぎ目は、るつぼで溶かした亜鉛で接合した。最後に羅宇をすげて完成となる。

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たばこ巻き器

手動のたばこ巻き器。ローラーの間に薄いライスペーパーを挟み、刻んだたばこの葉をのせる。ローラーをまわして巻き上げ、貼り合わせるとシガレットの形状になる。第二次世界大戦末期から戦後にかけて、紙巻きたばこの配給本数が制限される中、イタドリなどを混入した刻みと手巻き用の紙が販売され、手巻きたばこを作るために広く使われた。

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紙巻たばこ製造器具

右側の半円形をした2本1組の黄銅製の管は、口付きたばこの製造器具で、刻みたばこを巻紙に挿入するのに使用した。このやり方は俗に「クダマキ法」と呼ばれた。左は両切たばこの製造器具で、布を張った巻台に刻みたばこを置き、手回し棒の回転により、糊付した巻紙に刻みたばこを巻き込むという仕組みのもの。

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「実用煙草編」

佐々木善次郎著、大正14年刊行の技術書。掲載されているのは、明治30年代に実用化されていた足踏式充填機。明治32年に岡本市蔵の名義で特許が取られていたが、明治34年にその特許を岩谷商会が買い取った。第五回内国勧業博覧会に出品された岩谷商会の機械はこれを発展させたものと言われる。

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「少年工芸文庫第19編煙草之巻」

当時の工業製品の製造工程について、歴史的背景を含めて子どもに分かりやすく解説した読物。「第19編煙草之巻」では、取材をもとに挿絵を加えて解説しており、岩谷商会工場内部の様子や導入していた製造機械について知ることが出来る。

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教草 第十六 煙草一覧

当時の工業製品の製造工程について、歴史的背景を含めて子どもに分かりやすく解説した読物。「第19編煙草之巻」では、取材をもとに挿絵を加えて解説しており、岩谷商会工場内部の様子や導入していた製造機械について知ることが出来る。年代:明治37年

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千葉商店工場記念写真帖

ウィーン万博への参加準備段階で、各都道府県から提出された諸産物の図説を元に、博物局がその製造過程を中心に図解したもの。34枚が制作され、「第十六 煙草一覧」として葉たばこ耕作から細刻みたばこ製造までの過程が説明される。年代:明治6年

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巻紙用鋼版(URUMA)

たばこの巻紙に銘柄やマークを印刷するための鋼版。アメリカ占領下の沖縄では日本の専売制度とは異なり、琉球煙草株式会社などにより「沖縄らしい」独自のたばこ産業が発展した。「うるま」はそうした銘柄のひとつであり、本土復帰に伴い専売制となった後も「うるま」は引き継がれた。

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巻紙用鋼版(VIOLET)

たばこの巻紙に銘柄やマークを印刷するための鋼版。アメリカ占領下の沖縄では日本の専売制度とは異なり、琉球煙草株式会社などにより「沖縄らしい」独自のたばこ産業が発展した。「VIOLET」はそうした銘柄のひとつであり、本土復帰に伴い専売制となった後も「VIOLET」は引き継がれた。

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たばこ屋店先

当館開館年である昭和53年のたばこ屋店先を想定復元したもの。店先の陳列ケース部分は、昭和初期から平成まで実際に東京世田谷区奥沢で使用されていたものを移築している。

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煙草税則一覧表

たばこへの課税のための税則。当初たばこ税は、営業税と印紙税という二種類の方法で徴収されていた。明治9年以来数回に渡って改正されたが、印紙をきれいに貼る必要が生じたため、従来の杜撰な包装に変わってきちんとした包装が施されるようになった。この資料は漢字にルビがふられ、さらに印紙の貼り方を分かりやすく図解していることから、たばこ商たちに配布されたものと考えられる。年代:明治9年

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たばこ印紙

明治維新後の税収入の手段としてたばこも課税対象となり、明治9年からは印紙税としてパッケージに印紙が貼られるようになった。たばこの定価に応じて税額が決められたが、当初は印紙の貼付が徹底せず、見込んだ税収を上げられなかったため、税制改則が繰り返された。年代:明治15年頃

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たばこ屋番付

東京都内の有名なたばこ屋を番付に仕立てたもので、東の関脇には千葉松兵衛の店「松葉屋」の名前も見られる。年代:明治期

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きせる屋番付

東京都内の有名なきせる屋を番付に仕立てたもの。江戸以来、きせるの名店として知られた村田の名前が複数箇所に見られ、都内に多くの支店を持っていた様子が伺われる。紙巻きたばこの伝来以降も、きせるでの喫煙は愛好され、大正年間まで刻みたばこの消費量は紙巻きの消費量を上回っていた。年代:明治期

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色会御刻煙草(国分)

刻たばこ(国分)の実物。細きざみは日本特有の喫煙法で、毛髪よりも細く0.1mmくらいにまで刻んだ。箱書「薩摩生産町野上橋中程 林徳二郎製 色会御刻煙草」から産地と製造人が分かる。箱がガラスをはめた層との二重構造になっており、何らかの展示会に出品されたと思われる。国分は鹿児島を発祥に、関東、東北南部でも栽培された在来種で刻たばこを代表する銘柄。

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たばこ配送用荷車(河瀬商店)

村井兄弟商会の広告キャラクターやパッケージが描かれたたばこ配送用荷車。明治期を代表するたばこ商の村井兄弟商会と岩谷商会とは派手な宣伝活動での競合が知られる。この配送用荷車からは当時のたばこ販売の業態ばかりでなく、宣伝活動の様相が垣間見える。年代:明治30年代後半

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たばこ配送用荷車(金岡商店)

たばこが専売化された明治37年当時の図柄が描かれた配送用荷車。専売以前には派手に繰り広げられた宣伝活動であったが、専売制度導入に際して大蔵省は本格的な広告宣伝活動を行っていなかった。そうした中で、パッケージデザインを描いたこの荷車は、広告媒体としての利用が伺える貴重な資料といえる。年代:明治37年頃

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摂津服部たばこ詰合

刻たばこ(服部)を包装したもの。箱書きはないが、同封の断簡「百四拾四番摂津国服部 上」と包装から何らかの展覧会に出品されたと思われる。服部は摂津を発祥とする銘柄で、江戸時代には国分に次ぐ銘葉とされた。

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岩谷商会発行内国勧業博覧会場内案内図

大阪で開催された第五回内国勧業博覧会は、イルミネーションで会場をライトアップし夜間開場も行う、娯楽性の高いものでもあった。村井兄弟商会はサーチライトつきの高塔を会場正面に建てて話題を呼んだ。岩谷商会は休憩所に高塔を設置したほか機械館に設置した当時最新鋭の口付たばこ製造機での実演を行った。岩谷発行の案内図には、「休憩所」と口付たばこ製造機の設置場所などが図示されている。年代:明治36年

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鋼版定価表「忠勇」

村井兄弟商会の口付たばこ「忠勇」の定価表の銅版。10本入りから50本入りまでの価格が記される。描かれているのは忠勇のなかでも「貳號」と位置づけられる製品のパッケージ。

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「日の出刻煙草」売出広告

埼玉県熊谷のたばこ商小此木商店の広告。新商品「日の出刻煙草」の売出広告だが、目覚まし時計や蝙蝠傘がたばこの景品となっておりその豪華さが目を引く。熊谷のたばこ商の広告だが、長野のたばこ商松葉屋の名前が見られ、印刷は群馬県高崎の会社が請負っているという、当時のたばこ流通のネットワークが垣間見られる資料である。

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元売捌人廃止記念写真帖

明治37年の専売制施行以来、専売局と小売人の中間機関として機能していた元売捌人が、昭和6年に廃止となった。その廃止記念に出された写真帖で、群馬県高崎製造所やその支局、元売捌き人の顔写真が収められている。

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土田安五郎賞状

日本で最初の紙巻きたばこは明治2年に製造され、同5年に販売されたとされる。製造者は土田安五郎で、明治14年の第2回内国勧業博覧会では有功賞三等を受けた。

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紙巻たばこのできるまで

現在流通している紙巻たばこの製造工程を紹介したもの。収穫、熟成させた葉を銘柄ごとにブレンドし、巻紙で長細い筒状に形成する。この筒をたばこ1本分の長さに切った2本の間にフィルターをはさみ、口紙でたばことフィルターを接続する。その中央で切断するとフィルター付たばこが2本できる。

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ウィーン万博に出品された煙草関係資料(古写真)

明治6年にオーストリアで開催されたウィーン万国博覧会に出品された、たばこ関係資料の写真。ぜんまい刻み器のほか、細刻みの見本、きせる、たばこ盆などが見られる。

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たばこカード

本来は脆弱な包装の補強のために入れられたカードだったが、女優や美人の図柄が好評で、補強の必要がなくなってからもコレクションの対象として人気を博した。1880年代にアメリカのシガレットメーカーが始め、日本では村井兄弟商会が販売促進グッズとして活用した。当初はアメリカから輸入していたが、印刷技術の発達と関税自主権回復に伴い、国内で製造するようになった。

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ヒーロー原画

村井兄弟商会の「ヒーロー」ポスターと同じ構図の絵。明治・大正期には美人画ポスタ?が流行し、たばこポスターにもしばしば美人が描かれるようになった。年代:明治期

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ヒーローポスター

村井兄弟商会の「ヒーロー」ポスター。西洋の石版印刷は、砂目のような石版特有の表現技法を確立したのに対し、日本の石版印刷は絵画の複製手段として発達した。原画を忠実に再現することを旨とし、また、額装された上で、長期間屋内に掲示されるという掲示条件も手伝って、「絵画的で小判」という日本のポスターの特性が生まれた。年代:明治27年

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