「」 に対する検索結果 : 26350

前の50件 (7301-7350/26350)    次の50件

東北大学グライダー

製造者:アレキサンダーシュライハー社(ドイツ)∥型式:AS‐W15型∥登録番号:JA2150∥初飛行:1973年3月∥総飛行回数:1,583回∥総飛行時間:424時間6分∥東北大学学友会航空部所有のFRP製単座ソアラーで最終飛行の1987年までの14年間、仙台市霞目飛行場をベースに活躍した。主に学生等の記録挑戦のために使用され、50km距離飛行(4回)、5時間滞空(6回)、5,000m及び3,000m高度獲得(各2回)等の記録を作った。1993年頃、東北大学航空部から当館へ寄贈された。年代:1973

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


日本大学人力飛行機「SAKUZO‐4」

1963年から日本大学理工学部の学生は木村秀政教授の指導のもと、人力飛行機の開発に取り組み、1966年に「リネット号」で日本最初の人力飛行に成功した。その後も毎年のように設計・製作を繰り返して改良を重ねた。本機は1994年開催の「鳥人間コンテスト」(読売テレビ主催)において2,371mの大会新記録(当時)で優勝し、その後参加メンバーによって修理され、当館へ寄贈された。年代:1994

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ノースアメリカンF86D

昼間戦闘機F‐86Aセイバーの実用化に引き続いて、これを徹底的に再設計して作り上げた全天候型で、単座全天候戦闘機という画期的な一つの部門を開拓し高度なレーダー電子システムを実用化して、その戦法を確立した点でも特筆すべき機体である。即ち警戒監視レーダーとの連携によって、全天候要撃戦闘の型を完成したことに最大の特色があり、供与を受けた航空自衛隊にとっても、近代的防空先頭を会得できたことは重要であった。自衛隊からの貸与。年代:1958

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ミルMi‐8PA

旧ソ連のミル設計局が開発した大型の輸送ヘリコプターで、1965年からアエロフロートに就航した。旅客型、高官輸送型、救難型、貨物型のほか軍用型もある。本機は1980年に朝日ヘリコプター(現・朝日航洋)が旧ソ連から輸入した機体である。後部にハマグリ型の扉とローディング・レールが付いており吊り下げ能力3トンを活用して重物量輸送に活躍した。日本ではただ1機のみ使用された。1993年の当館の開館と同時に朝日航洋から寄託され、1995年に寄贈された。年代:1961

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


川崎ベル47D

世界最初の大量生産型ヘリコプターに発展したベル47D‐1を川崎重工業が組み立てたものである。本機体は陸上自衛隊が使用していたものである。自衛隊からの貸与。年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


富士ベルHU‐1B

1956(昭和31)年に初飛行した中型タービンヘリコプターの傑作、“ベル204型”を改良した機種で、1961(昭和36)年から量産された。あらゆる用途に対応できるように設計されており、戦場での軽武装攻撃、補給品の輸送、患者護送、遭難者の捜索・救助などが可能であった。1962(昭和37)年には陸上自衛隊でも採用が決定したため、富士重工業(株)がライセンス生産を開始し、1972(昭和47)年までに91機生産した。展示機はこの時つくられた機体で、災害派遣などで活躍していた。この後も改良を重ねながら生産され続け、ライセンス生産機、民間機を含め1万機以上が世界中で活躍している。自衛隊からの貸与。年代:1961

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


川崎バートルKV‐107‐2

バートルV‐44の発展型として、タービン・エンジン化すると共に胴体をまっすぐにして、後部にパイロンを設けて後部ローターを高く取り付け、パイロンの両側にターボ・シャフト・エンジンを各1基取り付けて、キャビンの容積を飛躍的に大きくし、胴体の最後部を貨物の搭載卸下用の傾斜扉として、車両や大型貨物の取り扱いを容易にしている。また水密構造の胴体と燃料タンクを兼ねた後部のスポンソンにより水陸両用の運用を可能にしている。日本では川崎航空機(現・川崎重工業)がライセンス生産した。自衛隊からの貸与。年代:1962

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ヒューズTH‐55J

ヒューズ社は、1955年に単純な構造と簡易な整備性を狙った超小型複座ヘリコプター(ヒューズ269)の開発を始め、翌年9月に初飛行した。このヘリコプターは民間用として販売されたほか、1964年に米陸軍に初級練習ヘリコプターTH‐55Aとして採用された。日本では陸上自衛隊が1972年に採用し、日本飛行機(株)が1976年までに38機を納入した。本機は陸上自衛隊航空学校明野本校に配属されていたものである。自衛隊からの貸与。年代:1972

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


セスナ170B

セスナ・エアクラフト・カンパニー製作の単発機である。本機は日本の民間航空が再開された1957年の翌年4月、日本の民間航空会社が購入し飛行訓練、遊覧、宣伝、撮影等に使用された。1976年に所沢市の国産航空専門学校の所有となり航空整備士養成に使用されていたが1994年12月9日に当館へ寄贈された。年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ウルトラライトプレーン

1994年に当館へ寄贈されたものである。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


パイパーJ3C‐65

パイパー・エアクラフト・コーポレーションの前身のテイラーエアクラフト社が1936年以来生産してきた軽飛行機で、1941年に米陸軍の連絡・観測機としても採用され、大量生産された。本機は1941年製で1983年に福岡市在住の安藤幸男氏が米国の農夫から購入してフロートをカナダから(エド社製)、エンジンをメキシコから取り寄せる等、丸6年の歳月をかけて水上機に改造したものである。1989年に水上飛行機として登録され、愛称は「アルバトロス2世号」であった。1998年11月5日に安藤氏から埼玉県に寄贈された。年代:1989

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


YS‐11胴体部分構造垂直落下試験用供試体

2000年2月に北海道・丘珠空港でオーバーラン事故を起こして用途廃棄となったエアーニッポンのYS‐11機(JA8727)が10月に解体され、胴体部分の一部がJAXAの垂直落下試験の供試体となった。試験終了後の2005年にJAXAから当館へ無償譲渡された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


三菱「火星」(空冷星型14気筒エンジン)

三菱重工業株式会社の製造に.よる代表的な大型強力の航空機用レシプロエンジンである。本エンジンはその特徴から、太平洋戦争期に海軍一式陸上攻撃機に搭載されていたもので神奈川県の厚木基地の土中に埋まっていた状態を掘り出され、後に当館に収蔵された。年代:1941

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


コンチネンタル水平対向6気筒

型式は10‐470‐Mである。1997年に当館へ寄贈された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


プラット&ホイットニーHR‐1340ワスプ

型式:レシプロ・エンジン空冷式星型9気筒∥諸元:気筒容積1,344立方インチ(22,024cc)∥離昇出力:600馬力/毎分2,250回転∥重量:398kg∥使用燃料:91/96オクタン航空ガソリン∥1925年プラットアンド・ホイットニー社が開発したエンジンでシコルスキーS‐55やノースアメリカンT‐6に搭載された。本エンジンはANAの前身である日本ヘリコプター輸送で使用されたヘリコプターから取り下ろされたもので、ANA整備訓練所で保管され、後に当館へ寄贈された。年代:1925

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ライカミングVO‐435‐A1D

ヘリコプター川崎ベル47G‐2Aに搭載されていたもので、2002年に国際航空専門学校から当館へ寄贈された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


フランクリン6V4‐200‐C32

型式:レシプロ・エンジン空冷式垂直対向6気筒∥諸元:気筒容積335立方インチ(5,490cc)∥離昇出力:200馬力/毎分3,100回転∥重量:145kg∥重量比:1.37∥1950年代にヘリコプター・ベル47‐Dに搭載された。本エンジンはANAの前身である日本ヘリコプター輸送で使用されたヘリコプターから取り下ろされたもので、ANA整備訓練所で保管され、後に当館へ寄贈された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ライカミングO‐290‐D2

パイパーPA18パイパーペーサーに搭載されたもので2002年に国際航空専門学校から当館へ寄贈された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ロールス・ロイスRB.53ダートMk.543‐10(カットモデル)

型式:遠心式ターボプロップ・エンジン∥製造会社:ロールス・ロイス(イギリス・・・United Kingdom)∥装備機:日本航空機製造(株)YS‐11∥1946年(昭和21)から開発が行われたターボプロップ・エンジンである。ダートにはいくつかのシリーズがあるが、本エンジンは、YS‐11用として開発されたものであり、排気温度制限の異なるMk.542‐10、10J、10Kのサブ・シリーズがある。本来のエンジン型式は、Mk.542であるが、このエンジンは、緊急時の出力向上型(離陸時等の緊急事態では、最大出力の時間制限がない)であるので、Mk.543となっている。ANAから寄贈された。年代:1958

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


レンジャー6‐390

型式:空冷式倒立直列6気筒∥気筒容積:441立方インチ(7,226.7cc)∥離昇出力:200馬力/2,450rpm(回転/分)∥乾燥重量:170.5kg∥圧縮比:7.51∥出力/重量比:1.17∥レンジャー社が1928年から販売を始めた167~200馬力級のエンジンである。国際航空のJA3016 フェアチャイルドPT‐26に搭載されていたものである。PT‐26はPT‐19のシリーズでJA3016はC/n T43‐4336、登録1953.4.1、登録抹消1960.9.26、解体1960.9.10である。本エンジンは2002年に国際航空専門学校からの寄贈された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


デ・ハビランド ジプシー・クイーン30Mk.2

型式:レシプロ・エンジン空冷式倒立直列6気筒∥気筒容積:10,200cc∥離昇出力:250馬力/毎分2,500回転∥重量:238kg∥出力/重量比:1.05∥使用燃料:91/96オクタン航空ガソリン∥1938年(昭和13年)から1964年(昭和39年)の間に、約6,600台生産された。∥整備性の良いエンジンであったが、設計が古いため出力に比べて重量が大きかった。∥デ・ハビランド(ポーカー・シドレー)DH‐114‐1Bヘロン4発旅客機に装備された。本エンジンはANA整備訓練所で保管され、後に当館へ寄贈された。年代:1964

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


逆噴射実験装置(ロールス・ロイスRB211‐22Bターボファンエンジン)

ロッキードL‐1011トライスター用のエンジンの一部である。同エンジンはロールス・ロイス社製で複合材製ファンを持つ3軸ターボファンエンジンである。東京都立航空工業高等専門学校(当時)から当館へ寄贈された。年代:1974

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


フォッカーD7(レプリカ)

第1次世界大戦におけるドイツ軍の戦闘機で1918年に採用された。1990年3月に埼玉県が取得したものである。年代:1918

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


スパッドS‐13(レプリカ・分解保管)

第1次世界大戦におけるフランスの戦闘機で1917年に採用された。大戦後に来日したフランス航空教育団が訓練用として持参し日本では「丙式一型練習機」と呼ばれた。1990年3月に埼玉県が取得したものである。年代:1917

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ブリキ製牛乳缶(5勺容)

最初牛乳はブリキ缶容器(それ以前は柄杓で秤売)で配達された。始め蓋がなかったが、後に口が細くなり和紙、厚紙、コルク栓を用いるようになったが、ガラス瓶が使用されるようになると法律で禁止された。年代:明治14(1881)年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳ガラス瓶

日本において最初の牛乳瓶といわれ、瓶口の内側につけられた螺旋状凹凸の筋を合わせ回転させて開閉する仕組みが特色である。(90cc 5勺)年代: 明治30年代頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳ガラス瓶

牛乳取締規定により最初使用された長首牛乳瓶で、これは人工吹きの瓶で無色及び有色(青緑色等)のものであった。最初は瓶口に薄紙を捻り押し込み、その後、木栓、コルク栓を用いた。年代:明治36(1903)年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳ガラス瓶

牛乳を殺菌するようになると、瓶口を金具付の機械栓(瀬戸口・ニッケル等)を用いる瓶装になり、瓶には店名・殺菌法・容量等を浮彫にして牛乳の差別化を図った。年代:大正から昭和初期頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳ガラス瓶(黒色)

太平洋戦争中ガラス瓶の資材が欠乏したので、各褐色雑瓶を粉砕した原料で作った黒褐色の広口牛乳瓶(180ミリリットル)である。数少ない非常に稀な瓶である。年代:昭和19(1944)年頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳ガラス瓶

牛乳営業取締規則(昭和8(1933)年)により広口瓶に統一され、キャップの打栓、掛け紙(セロハンからポリフード)で覆う(細菌の二次汚染防止)ように義務づけられた。瓶の形態は、丸瓶、6角瓶、角瓶で、容量は、180、200、900ミリリットル等がある。そして時代の経過により字型、色彩が多様化した。(紫フードは種類別牛乳をさす)。年代:昭和25(1950)年代頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳キャップ

キャップは当初直径4.25センチメートル[写真]から3.41センチメートル(昭和9年)に統一された。文字は左書で、製造曜日、殺菌法、種類別、製造牛乳店などが明記され、時代の変遷により文面は変わったが、限られた紙面で常に牛乳の内容を解説した。年代:昭和3 (1928)年頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳配達の一式

牛乳瓶は180ミリリットル(1合)から200ミリリットル(栄養表示は100グラム単位が便利)に変わり、商品多様化により瓶のデザインも豊富になった。受箱は木製からプラスチック製に変化を見る事が出来る。帽子、集金袋は牛乳配達人の当時の用具である。年代:昭和40(1965)年代頃から

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


世界の牛乳パック

アメリカ・ヨーロッパ・アジア等の牛乳パック(一部瓶を含む)である。種類は牛乳、加工乳、乳飲料、はっ酵乳等。形態は屋根型、レンガ型。内容量は200・500・1000ミリリットル及びガロンのタイプである。各国の食習慣の特徴をみることが出来る。年代:1960年代のものから

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳瓶通箱と牛乳運搬具

アメリカ製の牛乳通箱で6本入れ(4.4リットル単位)である。重量があったので箱の隅は補強金具を装着している。横にあるのは藁で編んだ牛乳瓶(4本入れ)運搬具で農民の知恵を醸しだしている。

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳保存通箱

高温殺菌した牛乳の保存や運搬に使用をした通箱である。特に蓋のアール型が特徴で、横55センチメートル×高さ33センチメートル×幅33センチメートルの木製になっている。当時飛行場に納入したもので通箱を必ず返却するようにと書いてある。年代:昭和19(1944)年頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


やかん

学校給食ミルクは脱脂粉乳を溶解して作った牛乳から始まった。当時、学童のコップに分注するために用いられたアルミ製のやかん。年代:昭和27(1952)年頃

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


デラックスガラスミルカー

三里塚御料牧場で飼育された牛から搾った牛乳はこのガラスミルカー(14リットル容)で衛生的に取り扱われ天皇家に献上された。年代:昭和40(1965)年頃のもの

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


ヨーグルトの甕と皿

ネパールで使用したヨーグルト素焼甕で深さ28センチメートル幅12センチメートルである。前の皿はヨーグルト素焼皿で、ヨ-グルトが白く付着している様子がわかる。素焼であったため、乳酸菌が付着していたことから各農家独自のヨーグルトの味が生まれた。

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


くすくす

牛乳粥をつくる土鍋(インド製)である。容器の色彩及び模様がインド文化を象徴している。

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛乳缶並びに哺乳缶

牛乳缶の型、容量は様々で、缶に所有者の名前が刻印されている。(フィンランド製・(右側))・仔牛に飲ませる牛乳哺乳缶(4リットル容・ブリキであり、ベルギー製のもの・(左側))。年代:1912年頃代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


牛型ケトル及びカバーケトル

お茶や牛乳を沸かすための牛型ケトル。カバーケトル(蓋が湯のみ)に注いでお茶や牛乳を飲んだといわれている。インド農民はこよなく牛を大切にしたという。(インド製)

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


世界の牛乳輸送缶

牛乳輸送缶は使用目的により缶型・容量が定められている(一般的には30~40キログラム)。所有者の名前を刻印をしたり或いは装飾が加えられるなど、世界各地の輸送缶には特色がある。年代:1950年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


ミルカー(自動搾乳器)

当初は手搾りであったが、ミルカーの採用により作業の効率化と衛生的に搾乳が出来るようになり日本では1958年頃から国産化された。種類は左側からサスぺント(懸吊)型及びフロア(床置)型である。年代:昭和35(1960)年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


哺乳瓶(陶器製)

陶器製で赤絵の哺乳瓶である。上流家庭において当初重湯を入れ哺乳に使ったもので、後に牛乳にも用いたといわれている。花模様の焼き物として特色がある。年代:幕末から明治時代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


哺乳瓶(ガラス製)

子供に哺乳する時の横型瓶で、成長に従い牛乳をぬるま湯で希釈して与えたので目盛を必要とした。しかし上流家庭の子供のものであって、一般には中々普及しなかった。年代:大正から昭和(初期)時代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


大角牛(ぺロリコン)

大角牛(ぺロリコン)のリトル(ワイン入)で、ギリシャ初期にミノワ文明の神殿跡(B.C.2500年頃)から出土したものである。本品はギリシャ国家が300点限定許可したレプリカである。牛頭に人間がいるのは古くから人と牛の深いかかわりを示している。年代:B.C.2500年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


クレタの聖牛のリトル

ギリシャのクレタ島で出土した聖牛のリトル(酒入容器)をコピーしたレプリカである。絵柄の色彩及び紋様が鮮やかで、当時の人々が牛を大切にした事がわかる。年代:B.C.1600年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


ホルスタイン種乳牛の標準タイプ

ホルスタイン種の体型は横・上・後ろから見て楔型が搾乳量の多い牛とされている。従って標準タイプの牛を目標に酪農民は飼養管理に専念した。日本ホルスタイン登録協会の推薦(笹野恵三作)によるものである。年代:昭和32(1957)年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


クラリファイヤー(遠心式清浄機)

原乳中に含まれる微細のゴミを高速遠心力により除去する機械である。このことにより牛乳中に異物が混入することなく安全を保つことができる。年代:昭和59(1984)年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


パステライザー(バッチ式牛乳殺菌機)

タンクの内装と外装の間に熱湯(又は蒸気)を投入して温度を上げるパス(釜)の構造になっている。ここに牛乳を入れ攪拌しながら殺菌(63℃30分)する方式である。本器の内装はホーローびきで珍しい。現在はすべてステンレス製である。年代:昭和23(1948)年代

情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館 


前の50件 (7301-7350/26350)    次の50件