「」 に対する検索結果 : 26350

前の50件 (7251-7300/26350)    次の50件

吉井源太日記

吉井源太は、明治17年から39年までの日記を多数残している。日記には、紙の受注・納入記録、各地への訪問記録、各種博覧会への出品計画、紙や原料に関する実験記録や、紙の下書きなどが記されており、当時の紙漉きの状況がわかる歴史的にも非常に貴重な資料である。また、書画や俳句を嗜んでいた源太らしく、挿絵や句が登場するなど、人柄をうかがい知ることもできる。この遺品類は、いの町に寄贈され文化財として紙の博物館が収蔵している。年代:1884~1906

情報所有館 : いの町紙の博物館 


簀あみ作りの道具

紙漉きの道具、簀桁に使う「簀」を編む道具。細い竹ひごや萱ひごを生糸で編む。対になった糸を、一定間隔で前後からひごにかけて編んでいく。糸は、しまり具合を均一にするため、等しい重さのつちのこ(小槌)に巻いてある。糸には、強靭な渋引の絹糸が使われる。ひごの太さに応じて編み糸の太さも変える。一枚の簀ができあがるには約10日を要する。(井上 昇氏の使用していたもの)

情報所有館 : いの町紙の博物館 


首里花倉織

国の重要無形文化財「首里の織物」の保持者宮平初子(人間国宝)の作品。首里織物は7種あるが、花倉織は絽織と花織りを併用した複雑な紋絽の一種で、かっては王家一門にしか着用を許されなかった最上の夏織物です。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


線彫魚文大皿

国の重要無形文化財「琉球陶器」の保持者金城次郎(人間国宝)の作品。好んで描いた魚文や海老文の表現力は、濱田庄司氏に魚や海老を笑わす事が出来る名人と言わしめた。この作品の魚も力強さと躍動感あふれた作品。年代:1986

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


芭蕉布地紅型両面染め

国の重要無形文化財「琉球紅型」の保持者玉那覇有公(人間国宝)の作品。伝統的紅型に現代感覚を取り入れた。この作品は芭蕉布地に紅型の両面染めで糸巻きと糸車の文様で技術の熟度が高い作品。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


月桃色彩花瓶

琉球ガラス工芸の第一人者のひとりである桃原正男(現代の名工)の作品。沖縄県内に自生する月桃の葉を粉末にして発酵させ、ガラスに混ぜたものであめ色が大きな特徴で抗菌性もあるといわれている。年代:1999

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


厨子甕(ずしがめ)

洗骨後に骨を入れる骨壷。華麗な装飾が施され、士族や富裕な人が使用した。一般に普及したのは明治以降。白骨化した遺骸を血縁の女性が洗い清め甕に納め墓所に入れます。この甕は御殿方で両端に鯱、真ん中にシーサーが配置されてます。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


ルクジュウー

紅型の型紙を彫る際に紙の下に充てる型切り台として使用。沖縄の1月、2月の時期に木綿豆腐を陰干しにして乾燥させた物で適度な硬さと復元力があり、型切り台として最適な道具である。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


一筆泡壺

琉球ガラス工芸の現代の名工稲嶺盛吉の作品。琉球ガラスの加飾技法の「泡ガラス」で作られています。ガラスの中に気泡を入れる技法でガラスの中に温かみが増す装飾法です。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


三彩平チューカー

戦後の壺屋焼の復興に先駆けとして着手した、島袋常恵の作品。3個の盃が付いた三彩平チューカーの酒器セットは、平たい形状の容器の取ってと注ぎ口が竹模様の手びねりで作られている。色合いもアメ釉と緑釉が帯状に塗られ、全体的に民芸調の用途美のある作品である。年代:1970年代

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


赤絵草花文茶碗

仁王窯2代目小橋川永昌の作品。赤土に白土を化粧掛けし透明釉をかけたもので、温かさと素朴さが人の心をなごませるものである。その温かい白色の地に沖縄で産出する顔料で季節にとらわれることなく草花文様の赤絵を描いたもので、高台は竹しぶが施され調和のとれた味わいのある作品である。年代:1960年代

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


絹白茶地緯花織袋帯

人間国宝宮平初子の作品。首里の織物の技法の一つである、首里花織の技法で織られている。4枚綜絖を使用した緯浮花織の手法。着用する人の幸を祈り、四葉のクローバーをモチーフとした作品。全通柄で袋帯仕立てである。年代:2002年

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


藍地泊手縞着尺

製作者、浦崎康賢の作品。手縞は杢糸を用いた多彩な格子柄の中に緯絣が配されたもの、かつては上流、士族の衣服として着用されていた。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


黒漆菊紋螺鈿文箱

琉球漆器の技法のひとつ螺鈿は、夜光貝を加工し文様に切り、貼って漆を塗り研ぎ出して仕上げます。貝は薄くなる程美しい七色の妖しい色を呈します。接着の違いで薄貝の技法は沖縄の気候で可能となりました。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


朱漆山水堆錦東道盆

現代の名工嘉手納並祐の作品。沖縄独自の加飾法、堆錦でできた東道盆である。琉球漆器の代表的な形式のひとつで、正月や祝事の際に料理を盛る盆のこと。かつては、宮中で行われる宴会などで使われ、もちろん王侯貴族だけが使える、豪華で贅沢な漆器だった。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


朱漆食籠菊七宝繋沈金

技能保持者の金城唯喜の作品。沈金は塗り上った面に刀やのみで文様を彫り、漆を擦り込んで金箔を押し込み、文様以外の金箔を拭きとって仕上げる技法です。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


型紙

描いた下絵を渋紙に貼り、細かい文様から彫っていく。この時「ルクジュウー」を紙の下にあてがい、下絵に沿ってシーグ(小刀)で突彫りします。この技法は、手彫のあたたかさを感じさせ、さらには立体感を与えるという紅型の特徴でもあります。また紗を張ることで型紙を強くします。型染の多くは一枚の型紙を使い、模様を繰返し染めていきます。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


小刀(シーグ)・打抜き錐

型紙の下にルクジューをあてがい、下絵にそってシーグ(小刀)で突彫りします。この技法は、手彫のあたたかさを感じさせ、さらには立体感を与えるという紅型の特徴でもあります。打抜き錐(きり)は染地型の地など施される「アラレ」(霰)と呼ばれる小乳を彫る際に使用する道具で丸型と四角がある。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


摺込筆

摺込み用の刷毛は頭髪を使って作られている。よく乾燥した山原竹(琉球竹)の中に10cm以上の頭髪を糸で二つ折りにして、竹の穴に引っ張り込み、固定し、毛先を5mmほど残して切った上で、軽く火であぶって揃える。刷毛の大きさも、竹の大きさに合わせ、大、中、小と作る。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


糊袋(ヌイブクロ)

糊袋(ヌイブクロ)は、筒引きや糊伏せに使う道具である。厚手の木綿を二枚合わせにして袋縫いしたもので、筒先に竹口か金口を固定して取り付ける。筒引きは、風呂敷(両面)や、舞台幕などを主に描いたが、線の強弱をつけるため、筒口を、大・中・小と用意して取り替えて使う。竹の先を焼いた炭で、生地に大まかに下絵を描き、布の四方を竹で張り、筒引きする。型よりも制約が少ないので、職人の絵心や感性が最も如実に表れる。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


荒巻龍巻壺

伝統工芸士新垣栄用の作品。荒焼とは焼締めの陶器のことを言います。この作品はタックワサァー(盛付)という技法を使い龍が盛り付けられている。この龍は厳しい表情で威嚇している作品に仕上げられている。

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


銀箔壺

琉球ガラス工芸の現代名工の大城孝栄の作品。緑の色ガラスを元玉に使い、銀箔を巻き付けたあと窯の中で波柄を描き透明ガラスを巻き付けた花器です。飾り花器として堂々たる品格を漂わせています

情報所有館 : 那覇市伝統工芸館 


ノースアメリカンT‐6G

1934(昭和9)年にアメリカのノースアメリカン社によって設計され、世界33ヶ国で15,117機も使用された中間練習機のベストセラーである。古い設計の機体だが、機体や操作装置の改良、新型電子機器の搭載などによって、頑丈で信頼度の高い中間練習機に生まれ変わっている。日本には1955(昭和30)年に輸入され、自衛隊で10年間にわたってパイロット養成に使用された。練習機としての役割を終えた機体は、救難捜索機として活躍していたが、1969(昭和44)年に全機とも現役から退いている。展示されている機体は、かつて航空自衛隊で活躍していた“T‐6G”のうちの1機である。自衛隊からの貸与。年代:1949

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


シコルスキーH‐19

世界で初めてシングルローターヘリコプターの飛行を成功させたイゴール・シコルスキーが製作した中型実用ヘリコプター。1949(昭和24)年に原型機が初飛行し、本格的な実用多用途ヘリコプターとして15年間に1,281機製作されて、軍用、民間用として世界中で活躍した。日本では三菱重工業(株)によってライセンス生産され、運送用、航空・海上救難用として自衛隊に66機導入された。これにより、ヘリコプターによる災害派遣、離島・僻地からの緊急患者輸送などが本格化することになった。また、全日空などが民間機として旅客・貨物輸送用に使用するなど、初期のヘリコプターとしては最も成功した機種となった。自衛隊からの貸与。年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


バートルV‐44

1959(昭和34)年、陸上自衛隊が研究用としてアメリカのパイアセッキ社(のちのバートル社)から購入した大型輸送ヘリコプター。原型機は1952(昭和27)年に初飛行に成功している。日本最初の大型ヘリコプターとして、主に航空救難活動に使用され、その年に東海地方を襲った伊勢湾台風では、災害派遣に大活躍した。その時、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が、皇室としては初めて本格的にヘリコプターに搭乗し、災害地の状況を空中から視察された。展示機は、当時使用された“V‐44”の1機である。航空自衛隊にも10機の“H‐21B”(“V‐44”の軍用型)が導入され、航空救難用として使用された。自衛隊からの貸与。年代:1959

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


スチンソンL‐5

自衛隊の前身、保安隊で使用されていた連絡機。1941(昭和16)年に設計され、第2次大戦末までに3,282機つくられた。第2次大戦では、アメリカ陸軍の連絡・観測機として第1線部隊で使用された。最前線近くの狭い飛行場でも離着陸することができたため、前線部隊の貴重な空からの目として活躍した。主翼は木製羽布張り、胴体は銅管溶接羽布張りと旧式の機体であるが、頑丈で操縦性に優れていた。日本には1953(昭和28)年にアメリカから35機供与され、パイロットの養成に使用された。戦後の航空部隊の再建に活躍したが、老朽化のため1956(昭和31)年に使用が打ち切られた。自衛隊からの貸与。年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ヒューズOH‐6J(ヒューズ500)

1960(昭和35)年に米陸軍が行った最初のLOH(軽観測ヘリコプター)の審査に合格し、1965(昭和40)年から量産された小型タービンヘリコプターの傑作、“ヒューズOH‐6”を、川崎重工業(株)がライセンス生産した機体である。LOHには、従来の固定翼の複座連絡機と小型観測ヘリコプターが持っていた全ての任務を果たすことが要求されたため、小型・軽量の機体ながら、高い機体強度、卓越した飛行性能、大きな搭載量、敵火器による損害の軽減などを実現している。また整備性等にも優れた機体である。日本でのライセンス生産は1968(昭和43)年に始まり、計170機が自衛隊および民間で使用された。自衛隊からの貸与。年代:1969

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


川崎KAL‐II

川崎航空機の岐阜工場で組み立てられた戦後初の本格的国産機、“KAL‐I”を改良した連絡機で、1954(昭和29)年11月に初飛行した。全金属製の機体に前輪式引込脚をそなえた、近代的な飛行機だった。防衛庁の連絡機採用に応じて製作されたが、審査で“ビーチクラフトT‐34メンター”の改造型、“LM‐1”に破れたため、2機試作されただけで量産はされなかった。この試作機は、航空自衛隊と海上自衛隊に1機ずつ所属し、連絡機として使用されていた。実用的には未完成で、決して成功したとはいえない飛行機だが、後の航空産業の復興に大きな役割を果たした、意義深い機体である。自衛隊からの貸与。年代:1954

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ビーチクラフトT‐34メンター

初期の自衛隊で活躍していた初級練習機で、原型機は1948(昭和23)年12月に初飛行した。構造は従来の練習機に比べて高級で、前輪式引込脚や定速プロペラをそなえた全金属製低翼単葉機である。計器飛行に必要な装備も搭載しているため、初級の計器飛行訓練も可能であった。自衛隊には、1954(昭和29)年に輸入された20機と、富士重工業によってライセンス生産された126機の計146機が導入され、当時不足していたパイロットの教育に大活躍した。また、ライセンス生産を通して学んだアメリカ式生産技術の手法は、戦後の航空再建の原点となった。自衛隊からの貸与。年代:1954

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


HU‐1B(ベル204B)

1956(昭和31)年に初飛行した中型タービンヘリコプターの傑作、“ベル204型”を改良した機種で、1961(昭和36)年から量産された。あらゆる用途に対応できるように設計されており、戦場での軽武装攻撃、補給品の輸送、患者護送、遭難者の捜索・救助などが可能であった。1962(昭和37)年には陸上自衛隊でも採用が決定したため、富士重工業(株)がライセンス生産を開始し、1972(昭和47)年までに91機生産した。展示機はこの時つくられた機体で、災害派遣などで活躍していた。この後も改良を重ねながら生産され続け、ライセンス生産機、民間機を含め1万機以上が世界中で活躍している。自衛隊からの貸与。年代:1961

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


パイパーL‐21

1930(昭和5)年から改良を重ねながら生産されていた実用軽飛行機“スーパーカブ”を軍用化して誕生した連絡機で、1951(昭和26)年に初飛行した。木製羽布張りの主翼と、銅管溶接羽布張りの胴体をもつシンプルな機体ながら、操縦安全性にすぐれ整備等も容易であった。1953(昭和28)年に日本に保安隊航空が創設されると同時に、アメリカから62機供与され、おもにパイロット養成のための基本操縦訓練機として使用された。また狭い飛行場でも容易に離着陸できるため、連絡機としても活用された。1965(昭和40)年には19機が日本赤十字社に払い下げられ、血液の緊急輸送などの赤十字活動で活躍した。自衛隊からの貸与。年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


会式一号飛行機(復元レプリカ)

所沢で飛んだ日本初の国産軍用機である。∥1911(明治44)年、徳川好敏陸軍大尉の設計・製作により日本で初めて作られた軍用機。この前年に東京・代々木練兵場で日本での初飛行に成功した“アンリ・ファルマン機”を参考にして、より高い性能を持つ飛行機を作る事を目的として、所沢飛行場内で製作された。明治44年10月13日所沢飛行場で、徳川大尉自身の操縦によって初飛行に成功した。主に操縦訓練や空中偵察教育に使われた。本機体は1993(平成5)年に所沢航空発祥記念館のシンボル展示として製作されたレプリカである。産業考古学会から「推薦産業遺産」の認定を受けた。年代:1911

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ニューポール81E2(甲式一型練習機)(復元レプリカ)

第1次世界大戦後、日本陸軍が招いたフランス航空教育団が持ち込んだ機体で初級操縦訓練に使用された。後に三菱で国産化され57機が生産された。この機体は陸軍から民間に払い下げられたもので、埼玉県比企郡出身の岩田正夫操縦士が、1926(大正15)年に郷土訪問飛行に使用したが事故により飛行できなくなったため菩提寺に寄贈されたものである。実物は長い年月を経て胴体部の骨組みだけが現存していたが当館開館(1993年)に当たりレプリカが製作された。年代:1919

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


T310Qスカイナイト

1990年に本田航空(株)から埼玉県へ寄贈されたものである。年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


陸軍九一式戦闘機

九一式戦闘機は日本陸軍が1931年に制式採用した機体で、最大速度が300km/hを超えた国産戦闘機が欧米航空先進国の水準に近づいた最初の機体でもありアルミニウム合金の金属製応力外皮構造の胴体という特徴を有していた。当機は中島飛行機が1933年に製造した二型で国産エンジンを搭載していた。後に陸軍から宮城県在住の個人に払い下げられ、更に千葉県在住の個人を経て1994年、当館が購入したものである。日本航空協会から「重要航空遺産」の、経済産業省から「近代化遺産群」の認定を受けた。年代:1934

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


富士T‐1B

航空自衛隊がジェット機時代にふさわしい中間練習機として開発した戦後最初の国産ジェット練習機であり、富士重工業が生産した。当初計画では国産のJ3エンジンを搭載するはずであったが開発が遅れたため、イギリス製の「オーフュース」エンジンを装備したT‐1Aが46機納入された。J3エンジン装備の機体は1960年に初飛行し試験飛行の後に採用が決定された。同エンジンを搭載したT‐1Bは20機が生産された。T‐1A及びBは2006年3月末に全機退役し、愛知県小牧基地の第5術科学校で航空交通管制及び要撃管制の学生教育の目標機として使用されていた1機が当館へ寄贈された。自衛隊からの貸与。年代:1963

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ハンググライダー

1993年の当館開館に当たり、埼玉県が取得したものである。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


グライダー 霧ヶ峰式 はとK‐14型

型式:プライマリー∥登録番号:JA‐0148∥1958年6月30日登録∥日本学生航空連盟の初級訓練用として、工学院大学が長野県の霧ヶ峰高原その他の滑空場で使用した。1989年2月に埼玉県が個人から取得したものである。年代:1958

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ウルトラライトプレーン

1993年の当館開館に当たり、埼玉県が取得したものである。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


YS‐11型機

戦後、日本で開発生産され、外国にも輸出された双発ターボプロップ輸送機である。安全性、短距離離着陸性、低騒音、低燃費等の点が優れていた。本機はYS‐11A‐500R機で、全日空所有、エアーニッポンが路線運航していたが1997年の大島‐東京便を最後に現役を退き、同年に全日空から埼玉県に寄贈されたものである。年代:1969

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


石川島播磨 J3‐IHI‐7B

型式:軸流式ターボジェット・エンジン∥日本ジェットエンジン(株)が、国産初のジェット練習機T‐1用に開発した国産初のジェットエンジンである。エンジンの開発はその後、石川島播磨に引き継がれ、推力向上型が「J3‐IHI‐7B」であり、「富士T‐1B」がこれを搭載した。自衛隊からの貸与。年代:1963

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


コンチネンタル TSIO‐520‐BB

型式:レシプロ・エンジン空冷式水平対向(オポスト)6気筒∥コンチネンタル社の空冷式水平対向エンジンとしては、最も大型のエンジンであり、ベストセラーとなったO‐470(当記念館展示エンジン)のシリンダー径を、1/4インチ(6.2mm)増やして、気筒容積を増加したエンジンである。高性能軽飛行機用レシプロ・エンジンとして好評であった。このエンジンは、当記念館の展示機セスナT310Qスカイ・ナイトに装備されていた。∥製造会社:コンチネンタル・モータース・カンパニー(アメリカ)(現・テレダイン・コンチネンタル・カンパニー)年代:1953

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ライト R‐1820‐103

型式:レシプロ・エンジン空冷式星型(ラジアル)9気筒∥諸元:気筒容積1,823立方インチ(29,874cc)ギヤ駆動2速過給機(スーパーチャージャー)付∥1930年代に開発され、カーチス・ライト社の中馬力発動機として、最高作の名が高い9気筒発動機で、実用の星型発動機中では、出力当たりの重量が最も軽く、ヘリコプター用としても重用された。通称は、「ライト・サイクロン9」という。展示発動機は、バートルV‐44Aヘリコプターに装備されていたものである。自衛隊からの貸与。年代:1959

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ジェネラル・エレクトリック CT58‐IHI‐110‐1

型式:軸流式ターボシャフト・エンジン∥ジェネラル・エレクトリック社が、1955年(昭和30)に開発を始めた中馬力フリー・タービン・エンジンで、アメリカ空軍・陸軍のヘリコプター用として採用された。CT58は、1959年(昭和34)に型式承認を受けた民間型で、CT58‐110‐1は、軍用型のT58‐GE‐8Bに相当する。∥展示エンジンは、ボーイング・バートル/川崎KV‐107‐2ヘリコプター用に、石川島播磨重工業でライセンス生産されたものである。∥排気管は、90度偏向型で、機体の取り付け位置に応じて、左右、下向きのいずれにも取り付け可能である。自衛隊からの貸与。年代:1970

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ジェネラル・エレクトリック CT58‐IHI‐110‐1(カットモデルエンジン)

型式:軸流式ターボシャフト・エンジン∥ジェネラル エレクトリック社が、1955年(昭和30)に開発を始めた中馬力フリー・タービン・エンジンで、アメリカ空軍・陸軍のヘリコプター用として採用された。CT58は、1959年(昭和34)に型式承認を受けた民間型で、CT58‐110‐1は、軍用型のT58‐GE‐8Bに相当する。∥展示エンジンは、ボーイング・バートル/川崎KV‐107‐2ヘリコプター用に、石川島播磨重工業でライセンス生産されたものである。∥排気管は、90度偏向型で、機体の取り付け位置に応じて、左右、下向きのいずれにも取り付け可能である。本エンジンはIHIでカットモデル化したものである。年代:1970

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ライカミング T53‐L‐11‐A(KT5311A)

型式:軸流・遠心式ターボシャフト/ターボプロップ・エンジン∥アブコ・ライカミング社が、1952年(昭和27)に、アメリカ陸軍と空軍から契約を受けて開発した、中馬力フリー・タービン・エンジンで、ターボプロップ型とはシャフトと減速ギヤの異なるヘリコプター用ターボシャフト・エンジンを開発したが、ヘリコプター用が主力となって量産された。∥本エンジンは、陸上自衛隊のベルHU‐1B(204B)ヘリコプター用に川崎重工業でライセンス生産されたエンジンで、エンジンの銘板が同社におけるこのエンジンの型式をあらわす「KT5311A」となっており、1970年(昭和45)11月に製造されている。自衛隊からの貸与。年代:1970

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


コンチネンタル O‐470‐11:E‐1

型式:レシプロ・エンジン空冷式水平対向(オポスト)6気筒∥第二次大戦中に、コンチネンタル・モータース社が、アメリカ陸軍の設計管理を受けて開発・生産したE‐125、E‐225から発展した、標準的な200馬力級空冷レシプロ発動機として、戦後にベストセラーとなり、系列型を含めて、多くの単発/双発軽飛行機(軍用・民間)に採用された。∥本エンジンは、陸上自衛隊が、1954年(昭和29)6月から1980年代の初めまでの間、129機を使用したセスナL‐19A/E連絡機に搭載されていたエンジンであり、‐11というシリーズ番号は、アメリカ陸軍・空軍用(奇数)を示す。自衛隊からの貸与。年代:1954

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ロールス・ロイス RB.41 ニーン

型式:遠心式ターボジェット・エンジン(1944年(昭和19)10月に開発が始められた初期のジェット・エンジン)∥製造会社 :ロールス・ロイス(イギリス…United Kingdom)∥諸元:各部の寸法等不詳∥圧縮機:遠心式1段∥離陸推力:2,200kg~2,359kg(ニーン 103)∥1993年当館の開館に当たり日本大学より寄贈された。

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


ロールス・ロイス RB.53 ダート Mk.543‐10

型式:遠心式ターボプロップ・エンジン∥製造会社 :ロールス・ロイス(イギリス…United Kingdom)∥装備機 :日本航空機製造(株)YS‐11∥1946年(昭和21)から開発が行われたターボプロップ・エンジンである。ダートにはいくつかのシリーズがあるが、本エンジンは、YS‐11用として開発されたものであり、排気温度制限の異なるMk.542‐10、10J、10Kのサブ・シリーズがある。本来のエンジン型式は、Mk.542であるが、このエンジンは、緊急時の出力向上型(離陸時等の緊急事態では、最大出力の時間制限がない)であるので、Mk.543となっている。年代:1958

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


アリソン CT63‐M‐5A(250‐C‐18A)

型式:軸流・遠心式ターボシャフト・エンジン∥1958年(昭和33)6月、アメリカ陸軍からの契約を受けて、250馬力クラスの軽ヘリコプター用として開発された軽量、小型のフリー・タービン・ターボシャフト・エンジンである。民間型の会社モデル番号は、250(当初の計画離陸出力が250shpクラス)であり、民間機に搭載された場合は、会社のモデル番号である「250‐B(C)××」(Bはターボプロップ型、Cはターボシャフト型)と表示される。本エンジンは陸上自衛隊のヒューズOH‐6Jヘリコプター用に三菱重工業でライセンス生産されたもので、メーカーを示す記号が三菱の頭文字「M」となっている。自衛隊からの貸与。年代:1958

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 


前の50件 (7251-7300/26350)    次の50件