「」 に対する検索結果 : 26836件

前の50件 (7201-7250/26836)    次の50件

テンゴオケ

臭水(くそうず)を汲む際に使用した手桶。胎内市塩谷地域で使用されたもの。高さ30cm、幅21.5cm。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


臭水殺虫用竹筒(小)

臭水(原油)を入れて、水田の中で振り回し、殺虫剤として使用した道具。胎内市塩谷地域で使用されたもの。桶に臭水(原油)を入れて、底部付近の栓から水を抜くように出来ている。長さ34cm、幅8cm。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


臭水殺虫用竹筒(大)

臭水(原油)を入れて、水田の中で振り回し、殺虫剤として使用した道具。胎内市塩谷地域で使用されたもの。桶に臭水(原油)を入れて、底部付近の栓から水を抜くように出来ている。長さ76cm、幅8cm。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


臭水行商用の枡

臭水(くそうず)を行商する際に使用した枡。胎内市塩谷地域で使用されたもの。枡の大きさ・大は44cm、小は17cm。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


カグマ

胎内市塩谷地区では古くから食用にされないシダ類を「かぐま」と呼ぶ。このカグマを束ねて乾燥させ、60度の湯で湯通ししたものを昔からくそうず採油の道具としている。水面に湧いた原油をこの「カグマ」で浸した後、絞りとる。長さ1m。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


製油装置

臭水(くそうず)を蒸留し、精製する鉄釜。高さ85cm、幅78cm。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


臭水用大甕

採油した臭水(くそうず)を溜めておく甕。陶製で400リットル入れることができる。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


坑井柱状図面(箱入)

黒川油田開発時に試掘坑を入れた際の柱状図。年代: 昭和10年代

情報所有館 : シンクルトン記念館 


油井戸の滑車

竪井戸の採掘時に使用した木製の滑車。年代: 大正~ 昭和

情報所有館 : シンクルトン記念館 


採油装置の模型

昭和初期の黒川油田が最盛期だった頃の機械掘りの模型。年代:昭和初期

情報所有館 : シンクルトン記念館 


御墨付(写し)

元和7年(1621年)に村上藩主堀直寄が蔵王権現別当に草水(くそうず:原油)を寄進したことを記したもの。年代:元和7年(1621年)

情報所有館 : シンクルトン記念館 


日本油田地質測量書(レプリカ)

アメリカ人ライマンはハーバード大学を卒業後フランス、ドイツで地質・鉱山学を学び、その後インドでの油田調査を行った後、明治 6年(1873)に明治政府から開拓使に招聘され来日した。明治9年にライマンは新潟県胎内市(旧黒川村)にも訪れ、黒川油田の調査を行った。 年代:明治9年

情報所有館 : シンクルトン記念館 


黒川油田最盛期の写真

黒川油田は昭和になってから盛んになり、帝国石油、大同石油などの会社が採油し、昭和17年頃最盛期を迎えた。年代:昭和17年

情報所有館 : シンクルトン記念館 


シンクルトンの指導で掘った井戸

明治6年にイギリス人の医師で技師でもあるシンクルトンがこの地を訪れ、手掘り井戸に木の枠をはめて掘る方法を教えた。これにより黒川で採油が盛んになった。年代:明治6年

情報所有館 : シンクルトン記念館 


Fiat Abarth 1000SP

アバルト1000SP バルケッタ チュボラーレ。スポーツプロトタイプのGr.4カーである。年代:1966

情報所有館 : 四国自動車博物館 


ABARTH RECORD MONZA LM /Bialbero

’61年のル・マンに参戦。 850ccのLMはクラス優勝を果たし、総合14位を達成した。また、この展示車は、’59年のモンツァ12時間レースにゼッケン66で出場。みごと、ポールポジションを獲得した。ル・マンに挑んだレコルト・モンツァは総生産台数5台。現存するのは推定わずか3台という超レアな車である。年代:1958

情報所有館 : 四国自動車博物館 


FIAT ABARTH 131 RALLY

1976年 ジュネーブ・ショーでの発表後、Fiat Abarth 131 Rallyの製作はベルトーネが担当し、グループ4のホモロゲーションに必要な400台が生産される。一方、レース仕様のCorsaでは、スポイラーのFRP化などによる875kgまでの軽量化と、230HP/7500rpm×23kg-m/5600rpmまでのチューンがなされた。年代:1976

情報所有館 : 四国自動車博物館 


ALFA ROMEO Giulia TZ1

レーシングカーが市販スポーツカーとして混在していた1960年代前半、アルファロメオの直列4気筒エンジンと高剛性鋼管フレームに、カロッツェリア・ザガードの流麗なアルミボディが与えられたマシンが誕生した。それがアルファロメオ・ジウリア TZ である。年代:1962

情報所有館 : 四国自動車博物館 


ALFA ROMEO Giulietta Spider VELOCE

チャーミングで朗らかなイタリア娘、アルファ・ロメオ・ジウリエッタ。そのロマンチックな名前は、シェークスピアの”ロミオとジュリエット”からのネーミング。ジウリエッタ・スパイダー・ヴェローチェは、ピニン・ファリーナのデザインによる小柄なモノコック・ボディに、 ツインカム、ツインキャブ・エンジンを搭載した魅力的なマシンであった。年代:1956

情報所有館 : 四国自動車博物館 


Dino 246GTS targatop

1960年代、フェラーリの全車種がV12エンジンをフロントに搭載していた頃、「小さなミッドシップ・フェラーリ」が誕生した。その洗練された優美なフォルムは、ピニンファリーナの最高傑作と謳われている。年代:1972

情報所有館 : 四国自動車博物館 


Lamborghini Countach LP400

1971年ジュネーブショーにてランボルギーニ社(ヌオーヴァ アウトモービリ フェルッチオ ランボルギーニ SpA)のチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニを中心とし、数々のスーパー・カーを世に送り出したカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナー マルチェロ・ガンディーニのデザインによって黄色のカウンタックLP500(V型12気筒5000cc)が登場した。年代:1974

情報所有館 : 四国自動車博物館 


LANCIA STRATOS 

ランチアはフルビアの後、WRCで勝利するためのマシンが必要だった為ベルトーネと共同開発することになり 1972年に幾多の改良を行いプロトタイプとしてWRC(ツール・ド・コルス)に初参戦した。年代:1974

情報所有館 : 四国自動車博物館 


TOYOTA 2000GT (前期モデル)

トヨタが世界に誇る本格的なグランツーリスモとして、1965年の東京モーターショーでデビューした。ロングノーズ/ショートデッキの魅力的なスタイリングもさることながら、バックボーンフレーム構造や6気筒ツインカムエンジン、4輪ディスクブレーキ、マグネシウム・ホイールなどメカニズムにおいても高く評価されている。年代:1965

情報所有館 : 四国自動車博物館 


トヨペットクラウン 1900 デラックスRS31型

日本のモータリゼーションはこの車から始まったといっても過言ではない。 当時の日本のメーカーは、米国車などのノックダウン生産から自動車技術を学ぼうとしたが、トヨタは自社独自の技術開発でこのモデルを設計した。年代:1955

情報所有館 : 四国自動車博物館 


TOYOTA SPORTS 800

1962年のモーターショーで発表されたパブリカ・スポーツのプロトモデルをベースに、トヨタ系列のボディメーカー、関東自動車が企画して量産した2シーター・ライトウェイトカーである。年代:1965

情報所有館 : 四国自動車博物館 


TOYOTA CELICA TWINCAM TURBO TA64

トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)のグループBカー、ワークスセリカは、’84年からの3連覇(ハットトリック)を収めた。しかもそのうち、1985年は1位、2位、4位と3台が上位入賞、’86年は1位、2位でゴールイン。2年連続で1位2位を独占し、いわゆる、”1-2フィニッシュ”を飾った。年代:1983

情報所有館 : 四国自動車博物館 


TOYOTA DENSO 88C

1989年6月11日ル・マン参戦。ドライバーは星野薫、鈴木恵一、Didier Artzet。 予選は27位で通過したものの、決勝では残念ながらリタイア。1992年以降のトヨタの快進撃が始まる夜明け前の1台であった。年代:1988

情報所有館 : 四国自動車博物館 


トヨタ パブリカ

トヨタ初の大衆車。「パブリカ」のネーミングは、発売に先行したキャンペーンとして車名公募が行われ、108万通の応募作のなかから選ばれた。パブリック・カーからの造語で、大衆車の慕開け時代を象徴するにふさわしいネーミングである。年代:1961

情報所有館 : 四国自動車博物館 


HONDA CR93 STREET

125ccワークスマシンのRC145同様に4バルブDOHC並列2気筒カムギヤトレーン駆動エンジンを搭載、最大出力は21.5ps/13,500rpmを誇る。タンクから続くシングルシート、足元を引き締めるマグネシウム製ドラムブレーキ、’60年代のホンダワークスマシンそのままのツインカムエンジン。すべてにおいて極限まで性能と軽量化を追求し、形作られた機能美あふれる造形である。年代:1962

情報所有館 : 四国自動車博物館 


HONDA ドリーム CB750 four K0

1968年の東京モーターショーでデビュー。発表まもなく世界中のライダーから賛美を浴び、発売を待たずしてキング・オブ・ロードマシンの称号を与えられた。日本製オートバイの歴史の中で、もっとも大きな足跡を残した1台といえるであろう。年代:1969

情報所有館 : 四国自動車博物館 


HONDA RCB

8つのヨーロッパ耐久ロードレースで7つの栄冠を獲得して凱旋したバイク。排気量941cc/最高出力115hp年代:1976

情報所有館 : 四国自動車博物館 


ブルーバードMC型

昭和20年代から30年代にかけて、高知市の鴨部に山崎内燃機関研究所というバイクメーカーがあった。小さな工場から生み出されるバイクの性能は、当時の国内バイクの標準レベルを越えていた。昭和20年代の初めにエンジンを全て自社製としたその技術自体も評価されるものであろう。年代:1953

情報所有館 : 四国自動車博物館 


富士重工業(スバル) ラビット S-48 II

国産初のスクーターS-1を生み出した旧中島飛行機(現在の富士重工業)は、群馬県太田と東京三鷹にあった工場で生産をおこなっていた。

情報所有館 : 四国自動車博物館 


スバル360

1955年5月に発表された「国民車育成要綱案」に基づき、富士重工業が軽自動車の枠の中で実現させたのがこのスバル360である。年代:1961

情報所有館 : 四国自動車博物館 


U字ケルシマ

ブラウン管の電子銃の電極を支持する絶縁部品。ブラウン管の電子銃はテレビの性能を左右する最も重要な部品であったが、その組立工程はグリッドなどの金属部品を加熱軟化したガラスに差し込んで固定することで進められた。国産テレビの初期はケルシマ管と呼ばれるU字形のフォルステライト管に粉末ガラスを詰め、溶融した部品が使用されたが、当時輸入に頼っていたこの部品を国産化したものである。年代:1959

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


カソードチューブ

ブラウン管の電子銃の組み立てに使用された絶縁管。肉厚が0.2ミリと薄く、外径公差が厳しく、純アルミナを要求する難しい製品仕様であった。成形が困難な上に、純アルミナは耐熱性が高く、従来フォルステライトを焼成した炉では焼結しないため、Mo線を発熱体にした水素雰囲気炉を組み立て、焼結できるようにした。年代:1959

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


アルミナ基板

マイクロモジュールに使われるアルミナ基板。マイクロモジュールは1958年頃に米・RCA社で開発された集積回路の前ぶれとも呼ぶべき小型回路で、7.8ミリ角のセラミック基板にトランジスタや抵抗、コイルを組み込み、これを立体的に重ねることで高密度化したものである。米・IBM社が開発したSLT回路用の基板として、これを使った同社の戦略商品であった「システム/360」シリーズに使われた。年代:1966

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


抵抗芯体

皮膜抵抗の基板や芯体として利用されたフォルステライト部品。フォルステライトは電気絶縁材料として優れた特性を持つほか、焼成した焼き肌が滑らかになるため、皮膜抵抗の基板や芯体としてよく利用された。当時一般的であった磁器芯体に比べて抵抗値の安定性が高く、これを用いた固定抵抗器が各種家電製品や通信機器用途を中心に多く生産された。年代:1959

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


マルチフォームガラス

テレビが量産化されるようになるにしたがって、国産化当初に使われた、ブラウン管の電子銃の支持部品であるU字ケルシマに代替して使われるようになったガラス製絶縁部品。硬質の硼珪酸ガラスの粉末を棒状に成形して焼結させたものであるが、ガラス棒の一部を過熱したときに熱ショックで破壊しないように、熱膨張係数の小さいガラスを使い、また、クラックの進行を止めるために独立気孔をたくさん残して焼結させることが特徴である。1961年以降2004年まで息長く生産された。年代:1961

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


セラミック真空管

1950から60年代に能動部品の花形であった真空管は真空容器の絶縁体としてガラスを利用していたが、アルミナやフォルステライトなどの絶縁特性と強度に優れたセラミックスに代替することによって、より小型、強靭で、長寿命化、高信頼性化が実現された。新幹線などに使われる電力用シリコン整流器の外囲器や電子レンジ用のマグネトロンの外囲器などに始まり、後年にはクライストロンなどの送信管や粒子加速器など大型真空装置にもセラミックスが使われるようになった。年代:1967

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


製紙機械用セラミック部品

製紙用の大型長網抄紙機では、ゴムロールに支えられたプラスチック製の細かいネットが90~300m/秒の速度で走る上にパルプのスラリーが流され、ロールとネットの間の表面張力による負圧が主な吸引力となって脱水が進む。このゴムロールの代わりに断面楔形のアルミナ製のフォーミングボード、ハイドロフォイルを置くと、ネットの裏側から滲み出た水がこれらによりかきとられる。セラミックフォイルを用いることにより脱水速度を早くすることが可能となり、磨耗も少ないことから紙質が向上した。セラミック部品の抄紙機への応用によって紙がより薄くなるとともに表裏差もなくなって、新聞紙の両面カラー印刷が可能となったのである。年代:1965

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


磁気ヘッドスライダ

大型コンピュータ用のディスクメモリなどに使われる磁気ヘッド用のセラミック摺動部品。表面を平滑に仕上げた記録ディスクに対し、セラミックスライダとフェライトコアを組み合わせた磁気ヘッドを用いて信号を読み書きするが、セラミックスライダには加工精度1μmの公差が指定され、当時としては常識はずれの精度で、原料調整から最終加工まで非常に厳しい管理が要求された。その後も磁気ディスクの進化に応じて、材質の開発、改良や加工技術の向上が進められ、その進歩を支えてきた。年代:1966

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


サーメット工具

セラミックスは高温での強度や硬度が高く、切削工具材料としても優れた特性を持つ。しかし、脆さのために切削抵抗の大きい材料を切削するときや、フライス加工のように衝撃の加わるときにはチッピングを生じやすい。そこで、より強靭で耐摩耗性の高い工具材料を求めて、セラミックスとメタルの複合材料である「サーメット」が開発された。中でも、窒化チタンを添加したものは、耐摩耗性と加工面の美しさで、切削工具の主流である超硬合金を凌いで市場の圧倒的な評価を得た。年代:1976

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


サファイア・インプラント

セラミックスが優れた生体適合性を有することから、当社ではセラミックスの生体材料への応用を企図し、大阪歯科大学と共同でまずセラミックス製人工歯根の開発に着手した。焼結アルミナでも人工歯根として十分な強度を得ることができたが、さらに製品の信頼性を高めるためサファイアを使用することとした。サファイアは曲げ強度で1,300MPaと焼結アルミナの約3倍の強度が得られ、サイズの小さい、生体への適合性の高い人工歯根や補綴材の開発が可能となった。サファイアの加工に際しては研削傷による曲げ強度の低下を防止するために独自の精密加工と表面研磨法を開発することで高強度を実現し、科学技術庁から注目発明の栄誉を受けた。年代:1978

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


セラミック製人工関節

人工股関節は大腿骨の骨髄腔に挿入した金属ステムにテーパー嵌合したセラミックスまたは金属ボール(骨頭)と、腰骨にセメント固定した超高分子量ポリエチレン(PE)カップの組合せで構成される。当社ではまず、アルミナ製の骨頭ボールとPEカップを組み合わせた人工股関節を開発した。アルミナボールと組み合わせたPEカップの磨耗は金属ボールと組み合わせた場合の1/2ないし1/5と大幅に低減され、近年の調査でもセラミック股関節は金属製のものに比べて磨耗や損耗が少ないことが報告されている。セラミック製人工関節はその後、より強度の高いジルコニア製が主流となり、人口膝関節、肩関節、肘関節、足関節などが開発されている。年代:1982

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


ハイデンシティパッケージ

米・フェアチャイルド社からの注文に応じて試作された半導体用パッケージ。同社の方針変更のため量産はされなかったが、後のセラミック製半導体パッケージ急成長の嚆矢となったとも言える製品である。25mm角、厚さ0.6mmのアルミナ基板上に高精細な配線層を作り、これを2層密着させて上下の配線を92個のヴィアホールでつなぎ、外部端子が36本という設計で、上層には8個のICが搭載されるというものであった。テープ成形技術や同時焼成技術の確立、テープ組成と回路印刷用インクの最適な組み合わせなど、多くの技術的課題を克服して完成したエポックメーキングな製品であった。年代:1969

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


1kDRAM用セラミック多層パッケージ

米・インテル社が創業間もない頃に開発した1kDRAMに採用されたセラミック多層パッケージ。このDRAMはICメモリが初めて磁気コアメモリを超えて実用化され、今日の隆盛を予告した記念すべき製品である。パッケージは実装面積22.8×7.6mmの3層構造であるが、下層はLSIを密着させるためのダイアタッチ部メタライズ、上層はコバール蓋をロウ付けするシールリング部メタライズのみで、LSIからワイヤボンドする16個のパッドと外部端子を結ぶ信号配線は中層に形成され、3層が封着ガラスによって一体化されるというものであった。年代:1970

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


タイムベースモジュール

水晶振動子とICを一つにパッケージした世界初の発振器。1978年当時としては小型で画期的な製品であり、基準信号発振用としてAV、家電、信号機など各種機器に組み込まれた。最初の製品は水晶振動子と18段バイナリカウンタCMOSを組み合わせ、TO-8型にパッケージしたもので、12Hz~8.0Hzの任意の発振出力が得られるというものであった。年代:1978

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


セラミックフェルール

光ファイバ同士や光ファイバと機器とを接続するコネクタに使われる部品。ファイバの太さは125μmであるが、光信号が通る部分は中心部のわずか9μmにすぎず、信号を確実に授受するために許されるずれはサブミクロンというきわめて高度な位置決め技術の上に、ワンタッチで着脱可能でなければならないという困難な要求を可能にしたのが高精度加工のセラミックフェルールである。外径2.5mm、センター孔径0.125mm、長さ12.7mmの極細パイプを成形し、研磨加工によって外径、センター孔径、同芯度、同軸度とも全長にわたり許容誤差0.5μm以内に保持するという困難な課題を克服して完成したものであった。年代:1984

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


セラミックディーゼルエンジン

窒化珪素製のシリンダ、ピストン、ヘッドプレートを備えたオールセラミックス製の完全無冷却2.8リットル3気筒エンジン。いすゞ自動車との共同開発で、NHKの1982年の正月特別番組で櫻島の溶岩道路を走る、セラミックエンジンを搭載したいすゞ「ジェミニ」が放映され、日本国内に大反響を巻き起こし、ファインセラミックスブームを喚起した。年代:1981

情報所有館 : 京セラファインセラミック館 


前の50件 (7201-7250/26836)    次の50件