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市販軽自動車初のハイブリッドシステム搭載車と、ガソリンエンジン搭載車を設定。国産軽自動車としては最小サイズの車体を採用しながら2シーターとしたことで、室内は広く実用的に使え、また、ハイブリッド車で10・15モード燃費34km/Lの超低燃費と、ガソリン車で低価格49万円の高い経済性も実現させ話題となった。■エンジン型式:水冷・4サイクル・3気筒+モーター・658cc 年代:2003年
情報所有館 : スズキ歴史館SUZUKI PLAZA
スイフトは「見て力強さを感じ、乗って力強く走るダイナミックコンパクト」をコンセプトに開発。力強い走りをイメージさせる安定感のある外観と、スポーティーで広がり感のある上質な内装が特長。走りのフラッグシップとして、「スポーツ」のDNAを追求するスイフトスポーツも追加設定した。■エンジン形式:水冷・直列4気筒・DOHC16バルブVVT・1,490cc 年代:2004年
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「D40」は1965年に発売開始した「D55」(6ps)に続いて発売されたスズキでは2番目の船外機。当時としては珍しく耐摩耗性に優れたシリンダー・クロムメッキが施され、プロペラ軸は増波抵抗を減らすために下向きに傾斜していた。■エンジン型式:水冷・2サイクル・単気筒・70cc 年代:1966年
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スズキ初の船外機。世界で実証された2サイクル・エンジンを搭載した。下向傾斜のプロペラ軸を採用し、パワフルな走りを実現。またプロペラに藻がからまないウィードレスタイプを採用。二・四輪車開発の経験から、エンジンの始動にも工夫を凝らした。■エンジン型式:水冷・2サイクル・単気筒・100cc 年代:1965年
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DT25は、ハンドルから手を離さずにエンジンを停止できる「スロットルグリップ」や、急発進を防ぐ「セーフティーシステム」など、安全性に配慮したメカニズムを採用。エンジン出力は25馬力。■エンジン形式:水冷・2サイクル・2気筒・447cc 年代:1981年
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2006年のEPA排ガス規制値をクリアーした低燃費・低騒音・低振動が特徴の船外機。4サイクル船外機として初めて電子制御燃料噴射装置を採用するなどの技術が評価され、1997年のシカゴボートショーでIMTEC INNOVATION AWARD(革新的な技術に対する賞)を受賞した。■エンジン型式:水冷・4サイクル・4気筒・1,298cc 年代:1998年
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当時、スズキ最大の2.7リッターV6エンジンを搭載した船外機。コンピューターでコントロールされる燃料噴射システム(EPI)を国産船外機で初めて採用し、低燃費、優れた始動性、スムーズなアクセラレーションを誇る高性能エンジン。■エンジン型式:水冷・2サイクル・V型6気筒・2,693cc 年代:1997年
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スズキは1974年、「Z600」で電動車椅子の分野に進出。このZ602は初期のモデルとして大変貴重なモデル。現在のように車輪を直接駆動するのではなく、大型のローラーを使って車輪を間接駆動するタイプだった。■モーター(最大出力):24V 125W×2・ローラ圧着駆動方式 年代:1978年
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このセニアカーET―11は、ハンドルタイプを採用した、日本で初めて高齢者向けの電動車椅子として、1985年10月発売された。展示車は、JIS規格に合わせ最高速度が6km/hに改良されたモデル。■モーター(最大出力):24V 200W×1unit 年代:1985年
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1979年11月に「MC10型」を発売。当時の厚生省が、障害者への補装具給付項目に電動車椅子を採用し、電動車椅子を無償で給付できるようになったことが普及の足がかりとなった。その後、JIS規格の改正に合わせ88年に発売した。 年代:1988年
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ALT125Dは、ATV(All Terrain Vehicle=バギー車)というジャンルの一人乗りのオフロード車。様々な地形での走破性に優れ、ハンティングやトレールライディングなどのレジャーや、農業用実用車として現在でも使用されている。■エンジン排気量:124cc(輸出仕様車) 年代:1983年
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四輪タイプのATVは、1982年にスズキが初めて開発、販売を開始。スズキのATVは84年、北米で3万台以上が販売され、ロサンゼルスオリンピックにも使用された。現在でも、最大のマーケットである北米をはじめ、大洋州、欧州向けに輸出している。■エンジン排気量:124cc(輸出仕様車) 年代:1983年
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250ccのエンジンを搭載しながら、後輪のサスペンションにフルフローター・サスペンションを採用するなど、路面の起伏に対する追従性能の向上とショックの吸収力を高めたスポーツ走行に適したモデル。また、トリプルディスクブレーキの採用により、優れた制動力を発揮した。■エンジン型式:水冷・2サイクル・単気筒・246.8cc 年代:1987年
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LT50Jは、軽量かつコンパクトで、持ち運びも楽にできるレジャーバギー。ギヤの切替えが不要なオートマチック操作となっているので簡単に乗ることが出来る。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・49cc(輸出仕様車) 年代:1988年
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スズキでは自転車の販売は、72年から開始されました。74年には三輪サイクルの「リンクル」を開発し、三輪サイクルのパイオニアとして人気を集めた。ついで「バンクル」「ヤンクル」などが発売され、オートバイ技術を取り入れたわが国初のオフロードサイクルとして話題になった。また併せてスポーツ車を開発。展示車は細部にまでスズキのマークをあしらったスポーツモデル。 年代:1970年代
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燃料タンクを樹脂性にするなど軽量設計とし、コンパクトで手軽に持ち運びができ、新開発の90cc4サイクルOHVエンジンを搭載。静粛性が高く、従来製品と比較し排ガス中の炭化水素、窒素化合物の合計値を約1/10に改善した。■エンジン型式:空冷・4サイクル・OHV単気筒・90cc 年代:1999年
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スズキバンクルは、スズキの伝統的なオートバイ開発技術が生み出した三輪自転車「スズキリンクル」に次ぐオリジナルモデルとして1975年に発売。軽くて丈夫なフレームを採用したシンプルなスタイルが特長で、後輪には信頼性の高いドラムブレーキを採用。サイクルモトクロスやサイクルトライアルなど、乗り手の体力やテクニックに応じて様々な楽しみ方ができる「本格的なスポーツサイクル」。 年代:1975年
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臭水(くそうず)を用いた家庭用燈明器具で、台所などに使用。鉄瓶に臭水(原油)を入れて火を灯し、冬にわらじ作りなどをする際の燈明などに使用された。胎内市塩谷地域で使用されたもの。全長80.3cm。年代: 大正~ 昭和
情報所有館 : シンクルトン記念館
採取した臭水(くそうず)を溜めた桶。桶に臭水(原油)を入れて、底部付近の栓から水を抜くように出来ている。胎内市塩谷地域で使用されたもの。高さ46.8cm、幅43.5cm。年代: 大正~ 昭和
情報所有館 : シンクルトン記念館
臭水(くそうず)を行商する際に使用した桶。桶に臭水を入れて、天秤棒にぶら下げて運搬した。胎内市塩谷地域で使用されたもの。桶の全長44cm。天秤棒の長さは166cm。年代: 大正~ 昭和
情報所有館 : シンクルトン記念館
臭水(原油)を入れて、水田の中で振り回し、殺虫剤として使用した道具。胎内市塩谷地域で使用されたもの。桶に臭水(原油)を入れて、底部付近の栓から水を抜くように出来ている。長さ34cm、幅8cm。年代: 大正~ 昭和
情報所有館 : シンクルトン記念館
臭水(原油)を入れて、水田の中で振り回し、殺虫剤として使用した道具。胎内市塩谷地域で使用されたもの。桶に臭水(原油)を入れて、底部付近の栓から水を抜くように出来ている。長さ76cm、幅8cm。年代: 大正~ 昭和
情報所有館 : シンクルトン記念館
胎内市塩谷地区では古くから食用にされないシダ類を「かぐま」と呼ぶ。このカグマを束ねて乾燥させ、60度の湯で湯通ししたものを昔からくそうず採油の道具としている。水面に湧いた原油をこの「カグマ」で浸した後、絞りとる。長さ1m。年代: 大正~ 昭和
情報所有館 : シンクルトン記念館
アメリカ人ライマンはハーバード大学を卒業後フランス、ドイツで地質・鉱山学を学び、その後インドでの油田調査を行った後、明治 6年(1873)に明治政府から開拓使に招聘され来日した。明治9年にライマンは新潟県胎内市(旧黒川村)にも訪れ、黒川油田の調査を行った。 年代:明治9年
情報所有館 : シンクルトン記念館
明治6年にイギリス人の医師で技師でもあるシンクルトンがこの地を訪れ、手掘り井戸に木の枠をはめて掘る方法を教えた。これにより黒川で採油が盛んになった。年代:明治6年
情報所有館 : シンクルトン記念館
’61年のル・マンに参戦。 850ccのLMはクラス優勝を果たし、総合14位を達成した。また、この展示車は、’59年のモンツァ12時間レースにゼッケン66で出場。みごと、ポールポジションを獲得した。ル・マンに挑んだレコルト・モンツァは総生産台数5台。現存するのは推定わずか3台という超レアな車である。年代:1958
情報所有館 : 四国自動車博物館
1976年 ジュネーブ・ショーでの発表後、Fiat Abarth 131 Rallyの製作はベルトーネが担当し、グループ4のホモロゲーションに必要な400台が生産される。一方、レース仕様のCorsaでは、スポイラーのFRP化などによる875kgまでの軽量化と、230HP/7500rpm×23kg-m/5600rpmまでのチューンがなされた。年代:1976
情報所有館 : 四国自動車博物館
レーシングカーが市販スポーツカーとして混在していた1960年代前半、アルファロメオの直列4気筒エンジンと高剛性鋼管フレームに、カロッツェリア・ザガードの流麗なアルミボディが与えられたマシンが誕生した。それがアルファロメオ・ジウリア TZ である。年代:1962
情報所有館 : 四国自動車博物館
チャーミングで朗らかなイタリア娘、アルファ・ロメオ・ジウリエッタ。そのロマンチックな名前は、シェークスピアの”ロミオとジュリエット”からのネーミング。ジウリエッタ・スパイダー・ヴェローチェは、ピニン・ファリーナのデザインによる小柄なモノコック・ボディに、 ツインカム、ツインキャブ・エンジンを搭載した魅力的なマシンであった。年代:1956
情報所有館 : 四国自動車博物館
1960年代、フェラーリの全車種がV12エンジンをフロントに搭載していた頃、「小さなミッドシップ・フェラーリ」が誕生した。その洗練された優美なフォルムは、ピニンファリーナの最高傑作と謳われている。年代:1972
情報所有館 : 四国自動車博物館
1971年ジュネーブショーにてランボルギーニ社(ヌオーヴァ アウトモービリ フェルッチオ ランボルギーニ SpA)のチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニを中心とし、数々のスーパー・カーを世に送り出したカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナー マルチェロ・ガンディーニのデザインによって黄色のカウンタックLP500(V型12気筒5000cc)が登場した。年代:1974
情報所有館 : 四国自動車博物館
ランチアはフルビアの後、WRCで勝利するためのマシンが必要だった為ベルトーネと共同開発することになり 1972年に幾多の改良を行いプロトタイプとしてWRC(ツール・ド・コルス)に初参戦した。年代:1974
情報所有館 : 四国自動車博物館
トヨタが世界に誇る本格的なグランツーリスモとして、1965年の東京モーターショーでデビューした。ロングノーズ/ショートデッキの魅力的なスタイリングもさることながら、バックボーンフレーム構造や6気筒ツインカムエンジン、4輪ディスクブレーキ、マグネシウム・ホイールなどメカニズムにおいても高く評価されている。年代:1965
情報所有館 : 四国自動車博物館
日本のモータリゼーションはこの車から始まったといっても過言ではない。 当時の日本のメーカーは、米国車などのノックダウン生産から自動車技術を学ぼうとしたが、トヨタは自社独自の技術開発でこのモデルを設計した。年代:1955
情報所有館 : 四国自動車博物館
1962年のモーターショーで発表されたパブリカ・スポーツのプロトモデルをベースに、トヨタ系列のボディメーカー、関東自動車が企画して量産した2シーター・ライトウェイトカーである。年代:1965
情報所有館 : 四国自動車博物館
トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)のグループBカー、ワークスセリカは、’84年からの3連覇(ハットトリック)を収めた。しかもそのうち、1985年は1位、2位、4位と3台が上位入賞、’86年は1位、2位でゴールイン。2年連続で1位2位を独占し、いわゆる、”1-2フィニッシュ”を飾った。年代:1983
情報所有館 : 四国自動車博物館
1989年6月11日ル・マン参戦。ドライバーは星野薫、鈴木恵一、Didier Artzet。 予選は27位で通過したものの、決勝では残念ながらリタイア。1992年以降のトヨタの快進撃が始まる夜明け前の1台であった。年代:1988
情報所有館 : 四国自動車博物館
トヨタ初の大衆車。「パブリカ」のネーミングは、発売に先行したキャンペーンとして車名公募が行われ、108万通の応募作のなかから選ばれた。パブリック・カーからの造語で、大衆車の慕開け時代を象徴するにふさわしいネーミングである。年代:1961
情報所有館 : 四国自動車博物館
125ccワークスマシンのRC145同様に4バルブDOHC並列2気筒カムギヤトレーン駆動エンジンを搭載、最大出力は21.5ps/13,500rpmを誇る。タンクから続くシングルシート、足元を引き締めるマグネシウム製ドラムブレーキ、’60年代のホンダワークスマシンそのままのツインカムエンジン。すべてにおいて極限まで性能と軽量化を追求し、形作られた機能美あふれる造形である。年代:1962
情報所有館 : 四国自動車博物館
1968年の東京モーターショーでデビュー。発表まもなく世界中のライダーから賛美を浴び、発売を待たずしてキング・オブ・ロードマシンの称号を与えられた。日本製オートバイの歴史の中で、もっとも大きな足跡を残した1台といえるであろう。年代:1969
情報所有館 : 四国自動車博物館