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この車は、フランスのDELAHAYE社によって明治42年(1909)に生産された。この車は、オツトーサイクルエン ジン(排気量1800cc、出力14PS)、木製輪枠、空気入リタイヤ等ガ用いられており、前席一席のみシートが直されている以外は何も改修はされておら ず、走行できる状態である。この時代の自動車は、「馬車」にエンジンを付けたという感しであり、この車のように「馬車」の面影が残っている。 年代:1909
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この工場は、ライオン歯麿会社の要請により東京市浅草区に会属瓶口、擢類等を製造する会社としてスタートした。当時、全 部輸入にたよっていた歯磨きチューフの国産化を初めて実現した工場である。当時の工場通覧によれば、職工数男子12名女子2名、使用動力2機種・7馬力の 中堅企業であった。かば材張りの床も当時のまま復元している。 年代:1907
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この工場は、明治40年に東京市芝区三田に創業し、65年間にわたって東京の下町にあった典型的な町工場の見本である。 創業当時は原動力として瓦斯機関をつかい大正5年には電動機に切換えるなど動力源の変遷を経験した工場である。はじめは8尺旋盤と6尺旋盤の2台であった が、次々機械を増設した。機槻部品の加工を主とした工場で、復元に際しては、見学者の安全等を考えて、実際の工場より天井を高くし、また若干の機械削減し た。 年代:1914
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明治中~後期(1880年)頃開発された靴下編機。ゴム部と本体(脚、踵、足、爪先)部を別々に編み、縫い合わせるか、編目をつなげていた当時の編機。保存機は昭和初期に製造されたもので、アーガイル(ダイヤ柄)靴下を生産した。 年代:1925
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明治中~後期(1880年)頃開発されたゴム編機。ゴム部と本体(脚、踵、足、爪先)部を別々に編み、縫い合わせるか、編目をつなげていた当時の編機。保存機は昭和初期に製造されたもので、アーガイル靴下のゴム編み部を生産した。 年代:1925
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大正9年(1920年)、(株)ナイガイが米国から輸入した口ゴム編機。筒状のゴム編地(1×1リブ)を専門に編むものでブリントンと呼ばれていた。 年代:1920
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昭和9年(1934年)、(株)ナイガイが米国スタンダード社から輸入した柄(ボスネック柄)編機。ボス柄糸(地編地と色の異なる柄糸)の色数が多く、刺繍状に美しい配列と立体的に柄を表現できる編機。靴下の代表的な柄の1つである。 年代:1934
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光圀公が履いたと云われている靴下の複製品。常陸太田にある水戸家墓所・瑞龍山で水戸光圀時代の長持ちが発見され、その中にあった靴下の複製品。海外からの贈り物?造り方・編み方は今でも解明不明の高い技術。 この製品に似たものが米国ワシントン州にある国立博物館に所蔵されている。
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大正末期の靴下。(株)ナイガイ創設(大正9年)初期に生産されたもの。当時の靴下はゴム編み部と本体部(脚部・踵・足・爪先)を別々に編んだ後、編目をつなぎ合わせるか、ミシンで縫い合わせていた。足の甲側と足底を異なった糸や色で編むことのできるバンナー編機で生産されたもので、甲側は薄く吸湿性を、底側は厚く保湿性を求めたものである。編機は米国のヘンフィル社から輸入された。 年代:1924
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昭和初期(1928年頃)睡眠時に足を暖める為に開発されたもの。暖まると簡単に脱げるように丈が短く足首までである。編地は、超高級素材のカシミヤ、更に二重編みの裏側を起毛、暖かさと肌触りを工夫した試作品。 年代:1928
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昭和初期(1929年頃)子供靴下が稀で、更に編み柄されたもの。レーヨン糸と綿糸の光沢感・質感の違いを任意に配列させ柄を表現したシンカー柄が特徴。そのシンカー柄の編み方は、想像のつかない優れたもので、柄靴下の歴史上貴重な資料である。子供靴下が稀な時代、実際に生産された物か不明。 年代:1929
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昭和初期(1930年頃)を代表するオシャレな紳士靴下。ゴム糸が無い時代、ガーター(ゴムテープに靴下の上部をつまむ留め具を付けたもの)で靴下を吊って、ズレ落ちを防いだ。ガーターとは、イギリスのガーター騎士団の装飾装身具の総称で、左足のひざ下に付ける留め具。 年代:1930
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昭和初期(1930年頃)の輸入品。サイズは、6インチ半(約17cm)の子供靴下。三越百貨店(値札50銭)で販売されていたもの。足首丈で二ツ折りにして履いていた。折り返し部はセーター編機、足首から爪先は靴下編機で編まれている。縫い合わせ部を隠す様に二ツ折りにして履いたオシャレな子供靴下。 年代:1930
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昭和初期(1931年頃)のフルファッション式の畦編み靴下。イギリスのダービー州に住むジュデデイア・ストラット氏が開発したリブ編機で、ダービー編機と呼んだ。同機は国内に現存してなく、靴下の外観から特殊な形態をした編機が想像出来る貴重品。 年代:1931
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昭和7年(1932年)頃、ゴム糸が開発される前のゴム入り靴下。ゴム糸を何処から入手したのか。靴下にゴム糸を編む夢を実現する為、思考錯誤した初期品。『セルフィックス』と命名し商標権を取得した。今の編み方と少し異なるが、当時の開発者達にとっては、ゴム糸を編み『ズレ落ち』を防ぐ目的は達成された逸品。今の形になったのはずっと後の戦後から。 年代:1932
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昭和7年(1932年)頃、ふくらはぎ部の編地を円形状に切り開き、その上部をV字状に引き上げ膝下で留めたもの。ガ-ターで吊って履くのが普通の時代、ガーターなしで簡単に履くことのできるアイデアソックス。 年代:1932
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昭和初期(1934年頃)の柄靴下、編み柄が希少な時代にジャカード柄編機をイギリスのウイルト社から(株)ナイガイが輸入し生産したもの、2色の糸を任意に組合せ柄を表現する編み方、靴下に限らずニット編地のセーター等、現在を代表する柄の1つである。ウイルト編機は東京農工大学(東京都小金井市)の科学博物館に展示、紹介されている。 年代:1934
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昭和10年(1935年)頃、足首部に手刺繍されたオシャレな『フルレングス』スタイルの靴下。ゴム糸が無い時代、ガーター(ゴムテープに留め具を付けたもの)で吊って履いた靴下を『フルレングス』と呼び、やや長めの丈が特徴。刺繍加工は手作業で編目1つを1ブロックとし、刺繍糸をブロック毎にかがりつけ、柄を表現した。靴下専門に加工する熟練者が携わり、編み柄では表現できない刺繍ならではの繊細な柄靴下。 年代:1935
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昭和初期(1936年頃)のフートカバー。着用する時は、靴の中に隠れる様短く曲線状に裁断、縫製した造り方は今とほぼ同じ。いつ、誰が、どの様な時に履いたのか興味深い逸品。 年代:1936
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第2次世界大戦時の軍足。陸軍用は踵が無く、棒状に編まれている。 素材は天然素材100%。棒状の理由は、(1)踵の位置を固定せず、暗闇でどの向きからも履ける、(2)小物入れにも利用出来るからである。 年代:1940
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第2次世界大戦時の軍足。海軍用は足の形状に合わせ踵が編まれている。 素材は天然素材100%。陸軍用と異なり、履き心地が良くオシャレに造られている。 年代:1940
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昭和23年(1948年)頃のゴム糸の入った靴下。休止していたゴム入り靴下の開発を再開し、同時に靴下専用ゴム糸(断面は丸く、細く、長い。)が開発された。ガ-タで吊っていた時代が終わり、靴下にゴム糸を編む画期的なもので、脚部丈が短い。現在形の始まり。 年代:1948
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唯一国内で開発された合成繊維『ビニロン(ポリビニールアルコール)』で作られた靴下。、天然素材一辺倒から開発まもない合成繊維の適性が試された。狙いは天然素材の代替になるかの試作品。 年代:1951
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昭和27年(1952年)、洗濯しても小さくならないウ-ル100%靴下。洗濯で縮むのが当たり前の時代、(株)ナイガイは米国(ショーラーブラザーズ社)の技術を使い、独自に研究・開発を進め、昭和28年に他社に先駆けて、洗濯で縮まない防縮加工靴下の開発に成功、好評を得た。 年代:1952
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昭和27年(1952年)、国産ナイロン(東レ(株))遣いの初期品。天然素材と比較し、耐久性・伸縮性・熱セット性のある合成繊維が、靴下素材として注目され始めた。 年代:1952
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昭和28年(1953年)のウーリーナイロン糸100%靴下。ナイロンにバルキー性・ストレッチ性を加えたウーリーナイロン糸の靴下。天然素材と違い、耐久性と伸縮性に富み、シワ・タルミを解消した画期的なもの。後にナイロン100%靴下全盛期を迎え、戦後強くなった物の代名詞となった。 年代:1953
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昭和30年(1955年)頃のフートカバー。当時はフートソックスと云い、フルファッションストッキングの保護を目的とした。二重履きに、また素足に履く際には靴ズレ予防としていた。ナイロントリコット生地を裁断・縫製で作られている。 年代:1955
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昭和32年(1957年)頃、パイル編み靴下の初期品。パイルの編み方の基本形が完成。クッション性・保温性からスポーツソックスの主役になった。 年代:1957
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昭和34年(1959年)に開発されたF&H(フィット&ヘルシー)靴下。ニットの三原組織は、平編・畦編・パール編で、それぞれの特徴を活かした設計がF&H。横方向に伸びる畦編みは『ふくらはぎ』に、縦方向に伸びるパール編みは『甲側』に使用して編んでいる。当時の姿のままの超長寿靴下として、現在も生産している。 年代:1959
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昭和35年(1960年)頃の代表的な柄靴下。正式には『ボスネック』柄と云い、異なる色の柄糸を地編みの上に添え、編成するもの。刺繍状に構成された為別名『刺繍柄』と呼び、リブボス柄・リンクスボス柄靴下は、時代を代表する靴下になった。 年代:1960
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昭和初期(昭和4年)に生産・販売されたシルク・ストッキング。平面状(太ももから爪先までを切開いた形)に編成した後、足の形状に合わせ円筒形に縫製した。後側の縫製線が特徴。後にその縫製線のないシ-ムレスストッキングが登場する昭和36年頃までの間、婦人靴下の主役を務めたフルファッションストッキング(FFストッキング)である。 年代:1929
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昭和14年(1939年)頃、靴下編機の綿100%ストッキング。伸縮性の無い、綿100%使いのストッキングで、着用性能より素材感・質感を優先したもの。横浜元町で当時2円75銭/1足で販売され、神奈川県繊維価格査定委員会の証紙が付いている。 年代:1939
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昭和28(1953年)、ナイロン使いのフルファッション・ストッキング。高価なシルクから開発まもないナイロン製ストッキングの初期品。昭和28年頃、米国からナイロンストッキングが輸入販売され、¥1000-/1足と高価であった。ストッキングが貴重品の時代、穴あきの修理屋が登場し、活躍した。 年代:1953
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トリコット生地を裁断・縫製したストッキング。昭和30年(1955年)頃、急速に普及したストッキング。安い・強い・伝線しないことをキャッチフレーズに大量に生産された。 年代:1955
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昭和34年のシームレス・ストッキング(後側に縫製線のないもの)。昭和36年、初任給が約¥14000-の時代、シームレス・ストッキングは¥500/1足と高価だった。穴あき・破損に対応する為に修理屋が登場し、伝線(穴あき)を5~8円で修理した。 年代:1959
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昭和38年(1963年)、穴あきが拡大しないストッキング。高価なストッキング。穴あき・破損を解決してくれたのがこの『ノンラン』ストッキング。肌ざわりにやや難があるものの、1つの時代を築いた。 年代:1963
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4~5世紀の手編み靴下で、エジプト・アンチーノの墳墓から発掘された。足の形状に合わせ編み巾を変えた二股の指付き靴下。イギリスのレスター美術博物館に保存されている。 年代:4~5世紀
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1560年、モンテーグ婦人から贈られたもの。今まで経験した事の無い絹製の編み物で、履き心地に優れ、大変気に入られた。イギリスのハットフィールド博物館に保存されている。 年代:1560
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イギリスの牧師補・ウイリアム・リーは、世界で最初に靴下編機を開発した(1589年)。当時盛んであった手編み靴下を作る妻を眺め、開発を決意したと云われている。絵画はA・エルモアが描いたもので、ノッチンガム博物館に保存されている。 年代:1589
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ウィリアム・リーが開発した編機。独創的で、手編みと違い、靴下を編む早さは驚異的で、奇跡の発明と云われた。これを機に、イギリスを中心に開発が進み、ヨーロッパ各地でメリヤス産業が大きく成長した。開発機の面影を残すものが、東京農工大学(東京都小金井市)の科学博物館に展示されている。 年代:1589
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下級武士のメリヤス手編み図。江戸時代の中期以後になると、下級武士の内職が盛んになり、各地に特産品・名産品が生まれ育った。メリヤス編みも武士の内職で、手袋・足袋・紐・袋等が編まれていた。 年代:江戸中~後期
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明治初期の靴下編機のパンフレット。明治時代になって、陸軍の軍服・軍帽・軍靴化が進み、その大半が輸入で賄われていた。軍靴の需要が急激に進み、靴下の開発が急がれ、1870年(明治3年)に手動式の靴下編機が輸入された。この翌年の明治4年に靴下を生産する工場が東京築地に完成し、工業化された。 年代:明治初期
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四挺の「杼」(ひ)を搭載できる「杼箱」を左側に搭載した自動織機。「杼」とは、布のヨコ糸をタテ糸の間に通す道具のことで、この織機には4本の「杼」が搭載され、格子柄(チェックのサロン柄)を織ることができた。また、複雑なヨコ縞の柄をプログラムする「カード」節約装置も搭載していた。 年代:1955年代
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1911年に創業者鈴木道雄が発明した「杼箱上下器」は現存するものがなく、実用新案の登録書類のみが残っていた。この織機は、その登録書類をもとに「杼箱上下器」の原理を裏付けるために復元した「足踏織機」である。ベースとなる足踏織機は「浜松市博物館」所蔵の織機を参考とした。 年代:1910年代
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当館に保管されている「鈴木式織機」で最も古い自動織機。搭載できる「杼」が1本だけのタテ縞の布を織るための織機だが、44インチ(約112cm)幅の布を織ることができた。当社発展の原動力となった四挺杼自動織機(サロン織機)の先駆けのモデル。 年代:1930年代
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洋装文化の影響で鈴木式織機にも、今まで以上に幅の広い布を織る織機が登場する。この織機では60インチ(約152cm)幅の格子柄を織ることができた。この時代は、戦争の影響で織機以外の軍需品の生産をすることもあったが、焼け野原の中で迎えた終戦を機に、本来の織機製作へと復帰していった。 年代:1940年代
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ジャカードとは、模様をプログラムした「紋紙」でタテ糸の動きを自動制御するシステムのことで、ジャカード織機は、複雑な模様を自動で織り込むことができた。紋紙には穴が空いており、この穴の数と位置によって模様をプログラムした。ジャカード織機は、フランス人のジョセフ・マリー・ジャカールが発明したもので、1801年にパリの産業博覧会で発表された。 年代:1950年
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この四挺杼織機には、鈴木式織機製の「ドビー」という装置が付いている。ドビーとは、タテ糸を上下に開口させる開口装置の一種で、この装置付きの織機で織られた生地には、生地そのものに立体感や風合いが生まれる。ジャカードに比べると、比較的単純ではあるが、規則正しく連続した幾何学模様を織り出すことが得意な織機だった。 年代:1950年
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