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ボス柄靴下

昭和35年(1960年)頃の代表的な柄靴下。正式には『ボスネック』柄と云い、異なる色の柄糸を地編みの上に添え、編成するもの。刺繍状に構成された為別名『刺繍柄』と呼び、リブボス柄・リンクスボス柄靴下は、時代を代表する靴下になった。 年代:1960

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


東京オリンピック記念ソックス

昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックの正式記念靴下。当時、価格は250円/1足で販売されていた。 年代:1964

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シルクストッキング

昭和初期(昭和4年)に生産・販売されたシルク・ストッキング。平面状(太ももから爪先までを切開いた形)に編成した後、足の形状に合わせ円筒形に縫製した。後側の縫製線が特徴。後にその縫製線のないシ-ムレスストッキングが登場する昭和36年頃までの間、婦人靴下の主役を務めたフルファッションストッキング(FFストッキング)である。 年代:1929

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綿100%・ストッキング

昭和14年(1939年)頃、靴下編機の綿100%ストッキング。伸縮性の無い、綿100%使いのストッキングで、着用性能より素材感・質感を優先したもの。横浜元町で当時2円75銭/1足で販売され、神奈川県繊維価格査定委員会の証紙が付いている。 年代:1939

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ナイロン・ストッキング

昭和28(1953年)、ナイロン使いのフルファッション・ストッキング。高価なシルクから開発まもないナイロン製ストッキングの初期品。昭和28年頃、米国からナイロンストッキングが輸入販売され、¥1000-/1足と高価であった。ストッキングが貴重品の時代、穴あきの修理屋が登場し、活躍した。 年代:1953

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ナイロントリコット・ストッキング

トリコット生地を裁断・縫製したストッキング。昭和30年(1955年)頃、急速に普及したストッキング。安い・強い・伝線しないことをキャッチフレーズに大量に生産された。 年代:1955

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シームレス・ストッキング

昭和34年のシームレス・ストッキング(後側に縫製線のないもの)。昭和36年、初任給が約¥14000-の時代、シームレス・ストッキングは¥500/1足と高価だった。穴あき・破損に対応する為に修理屋が登場し、伝線(穴あき)を5~8円で修理した。 年代:1959

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『ノンラン』ストッキング

昭和38年(1963年)、穴あきが拡大しないストッキング。高価なストッキング。穴あき・破損を解決してくれたのがこの『ノンラン』ストッキング。肌ざわりにやや難があるものの、1つの時代を築いた。 年代:1963

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墳墓で発見された子供靴下の写真

4~5世紀の手編み靴下で、エジプト・アンチーノの墳墓から発掘された。足の形状に合わせ編み巾を変えた二股の指付き靴下。イギリスのレスター美術博物館に保存されている。 年代:4~5世紀

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エリザベス女王の絹ストッキングの写真

1560年、モンテーグ婦人から贈られたもの。今まで経験した事の無い絹製の編み物で、履き心地に優れ、大変気に入られた。イギリスのハットフィールド博物館に保存されている。 年代:1560

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妻を見守るウィリアム・リーの写真

イギリスの牧師補・ウイリアム・リーは、世界で最初に靴下編機を開発した(1589年)。当時盛んであった手編み靴下を作る妻を眺め、開発を決意したと云われている。絵画はA・エルモアが描いたもので、ノッチンガム博物館に保存されている。 年代:1589

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17世紀頃の靴下編機の写真

ウィリアム・リーが開発した編機。独創的で、手編みと違い、靴下を編む早さは驚異的で、奇跡の発明と云われた。これを機に、イギリスを中心に開発が進み、ヨーロッパ各地でメリヤス産業が大きく成長した。開発機の面影を残すものが、東京農工大学(東京都小金井市)の科学博物館に展示されている。 年代:1589

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武士の内職図

下級武士のメリヤス手編み図。江戸時代の中期以後になると、下級武士の内職が盛んになり、各地に特産品・名産品が生まれ育った。メリヤス編みも武士の内職で、手袋・足袋・紐・袋等が編まれていた。 年代:江戸中~後期

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明治の靴下編機のパンフレットの写真

明治初期の靴下編機のパンフレット。明治時代になって、陸軍の軍服・軍帽・軍靴化が進み、その大半が輸入で賄われていた。軍靴の需要が急激に進み、靴下の開発が急がれ、1870年(明治3年)に手動式の靴下編機が輸入された。この翌年の明治4年に靴下を生産する工場が東京築地に完成し、工業化された。 年代:明治初期

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A46片側四挺杼

四挺の「杼」(ひ)を搭載できる「杼箱」を左側に搭載した自動織機。「杼」とは、布のヨコ糸をタテ糸の間に通す道具のことで、この織機には4本の「杼」が搭載され、格子柄(チェックのサロン柄)を織ることができた。また、複雑なヨコ縞の柄をプログラムする「カード」節約装置も搭載していた。 年代:1955年代

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杼箱上下器 搭載織機(復元)

1911年に創業者鈴木道雄が発明した「杼箱上下器」は現存するものがなく、実用新案の登録書類のみが残っていた。この織機は、その登録書類をもとに「杼箱上下器」の原理を裏付けるために復元した「足踏織機」である。ベースとなる足踏織機は「浜松市博物館」所蔵の織機を参考とした。 年代:1910年代

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A44一挺杼自動織機

当館に保管されている「鈴木式織機」で最も古い自動織機。搭載できる「杼」が1本だけのタテ縞の布を織るための織機だが、44インチ(約112cm)幅の布を織ることができた。当社発展の原動力となった四挺杼自動織機(サロン織機)の先駆けのモデル。 年代:1930年代

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A60片側四挺杼自動織機

洋装文化の影響で鈴木式織機にも、今まで以上に幅の広い布を織る織機が登場する。この織機では60インチ(約152cm)幅の格子柄を織ることができた。この時代は、戦争の影響で織機以外の軍需品の生産をすることもあったが、焼け野原の中で迎えた終戦を機に、本来の織機製作へと復帰していった。 年代:1940年代

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A66自動織機(ジャカード機)

ジャカードとは、模様をプログラムした「紋紙」でタテ糸の動きを自動制御するシステムのことで、ジャカード織機は、複雑な模様を自動で織り込むことができた。紋紙には穴が空いており、この穴の数と位置によって模様をプログラムした。ジャカード織機は、フランス人のジョセフ・マリー・ジャカールが発明したもので、1801年にパリの産業博覧会で発表された。 年代:1950年

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A44片側四挺杼自動織機

この四挺杼織機には、鈴木式織機製の「ドビー」という装置が付いている。ドビーとは、タテ糸を上下に開口させる開口装置の一種で、この装置付きの織機で織られた生地には、生地そのものに立体感や風合いが生まれる。ジャカードに比べると、比較的単純ではあるが、規則正しく連続した幾何学模様を織り出すことが得意な織機だった。 年代:1950年

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A56片側四挺杼自動織機

この自動織機は「カード節約装置」を搭載しており、複雑な格子柄も必要最低限の「カード」で織ることができた。四挺杼の自動織機は、ヨコ糸が装着されている「杼」を4本搭載でき、4色のヨコ糸で色鮮やかな格子柄を織り込むことができた。 年代:1955年

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クリール

タテ糸を巻いた大量のボビンを棚にセットすることで、タテ糸の柄を順番に合わせて巻き取るための装置。一度に約200本のボビンをセットできるが、これで巻き取れるタテ糸の幅は約5cm分にしかならないため、約120センチの布を織るためのタテ糸を準備するには、同じ作業を24回も繰り返す必要があった。 年代:1930年代

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綾取機

「綾取り」とは、タテ糸が乱れて絡まらないようにするための、糸に「綾」を作って順序を決めるもののこと。この綾取機は、クリールから引き出されたタテ糸に綾を作りながら、効率的に整えて絡まないようにするための機械。 年代:1930年代

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M型部分整経機

「整経機」は、タテ糸を整えるための機械だが、タテ糸の本数や長さを整えるだけでなく、同じ密度と張力を保ちながら、所定の幅で均一に配列された糸を「ビーム」に巻き上げていくことができる。 年代:1930年代

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リーディング経通機

「ビーム」に巻き上げられたタテ糸は、絡まないようにガイドとなる「筬」(おさ)に一本ずつ通さなければいけないが、46インチ(約120cm)幅の布を織るためには、およそ4800本のタテ糸が必要となる。この膨大な作業を効率よく行うための機械がこの「リーディング経通機」である。 年代:1961年

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管捲機

「管」(くだ)とは、ヨコ糸を巻いた筒状の道具のことで、これを「杼」に装着してタテ糸の間に通すことで、布を織り上げることができる。この「管捲機」は、綛(かせ)と呼ばれる糸を巻いたものから管へ糸を巻きとるための機械。

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綛上機

「チーズ」という縁のない筒に巻かれた糸巻きから、綛(かせ)の状態に巻き上げるための機械。綛は昔ながらの糸巻きで、一旦この状態にすることで、様々な機械に対応させることができるようになる。

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ボビン巻返機

綛(かせ)に巻かれた糸を「ボビン」に巻き取るための機械。「ボビン」に巻かれた糸は、タテ糸の柄に合わせて「クリール」にセットされ、ビームに巻かれてタテ糸となる。

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穿孔機

ジャカード機に搭載して布の柄をプログラムするための「紋紙」に穴を開ける機械。台におかれた紋紙に自由に「穴」を開けることができ、これによって織る布の模様をプログラムすることができる。 年代:1950年

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パワーフリー E2

ペダルをこぐ自転車に取り付ける補助エンジンにおいて「走行に必要な出力は36ccで十分である」という理論のもとに設計された。ペダルも楽に使えるようにフリー装置やダブル・スプロケット・ホイルなど、独自の技術を組み込み、1954年の「E3型」まで進化。この成功は以後スズキの発展の基となった。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・36cc 年代:1952年

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ダイヤモンドフリー DF

当時の原付自転車のフルサイズとして登場。ダブル・スプロケット・ホイル駆動によるパワーで、たちまち月産4,000台を記録。さらに第1回富士登山レース優勝や、札幌-鹿児島間の約3,000km、18日間におよぶ「日本縦断テスト」の成功など話題を集め、月産6,000台まで達した。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・58cc 年代:1953年

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コレダCO

スズキの二輪車に初めて4サイクルOHV単気筒90ccを搭載したコレダCO。7Lの燃料が入るティアドロップ型のタンクをはじめ、車体まわりはより洗練された。自動進角装置の付いたフライホイールマグネット点火を採用。国産量販車としてはじめて「スピードメーター」を装備したマシン。■エンジン型式:空冷・4サイクル・単気筒・90cc 年代:1954年

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ミニフリー MF-1

補助エンジン付自転車の根強いニーズに応えた「パワーフリー」のモデルチェンジ版。エンジン位置が低く、中央にあるため、その操縦性の良さに定評があり、出力がこれまでの2倍となってさらに人気を集めた。燃料タンクはリアキャリア下、後輪脇に設置した。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・50cc 年代:1954年

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ダイヤモンドフリー(アジア~ヨーロッパ巡走車)

1956年3月1日、高橋昭治氏・雄次氏 兄弟の冒険家が「世界一周無銭旅行」のため、神戸港を出発。バンコクをスタートし、世界32カ国を訪問してフランス パリまで全行程47,000kmを2年で走破するという快挙を成し遂げた。館内にはその実車を展示。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・58cc 年代:1956年

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コレダCOX

道路交通法改正による第2種原付(51~125cc)への需要に答え、「CO」に対して排気量をアップして生まれたのが「COX」(愛称コックス)。■エンジン型式:空冷・4サイクル・OHV単気筒・123cc 年代:1955年

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コレダ250TT

コレダ250TTは、大きなナセルが付いた巨大なヘッドライトが斬新で、流線型のウィンカーボディー、フィン形状のリアウィンカーなど、四輪車の「アメ車」のイメージが盛り込まれていたため、「モーターサイクルのキャデラック」と称された。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・247.3cc 年代:1956年

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コレダST-3

コレダST-3型は、その後のスズキ二輪車の特徴となる「コレダTT」と同じ馬蹄型のヘッドライトを採用。エンジンも2型の5.5psから7psにパワーアップし、フロントサスペンションはテレスコピック、リアにはプランジャー方式を採用していた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・123cc 年代:1957年

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コレダTM

チャンネルフレームにプランジャー型リヤサスペンションの採用で、「ST-3」(125cc)と近いスタイル。エンジンは「コレダTP」と同型の54mmスクエア2サイクルツイン。ビジネスモデルらしくサドルタイプのシートに大型リアキャリアを装備していた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・247cc 年代:1958年

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コレダST-6A

コレダST-6Aは、「ジェットライン」と呼ばれたオリジナルデザインで、当時高い評価を受け、五角形型のタンクやツールボックス、サドルの形が新しいデザインだった。また、社章のSが初めてフューエルタンクを飾ったモデルでもある。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・123cc 年代:1959年

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コレダセルツインSB

1958年のモーターショーで発表された、世界初の2サイクルツインのセル付モデル。42×45mmのロングストロークで、力があり速い事で定評を得た。ジェットラインボディーに、フロントサスペンションにはテレスコピック(外観はボトムリンク)を採用していた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・125cc 年代:1959年

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コレダ250TB

コレダ250TBは、「250TA」のスポーツタイプ。ダブルシート、バーハンドル、メッキのフロントフェンダー、後端を絞ったテーパーカットマフラー等を採用したことが大きな特長だった。エンジンにはチューンを加え、20psの高出力を実現。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・246cc 年代:1961年

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コレダ250TA

前後連動油圧式ドラムブレーキシステムを搭載した実用車。フレームはプレスによるバックボーンタイプ。前輪懸架は、ボトムリンク風、リアサスペンションはスイングアームに加え2本ショックを採用。好評を得て、1961年にはスポーツモデルとしてアレンジされた「250TB」を発表した。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・246cc 年代:1960年

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スクランブラーTC250

「250TB」の後継車。バックボーンフレームに搭載するエンジンはTBから受け継ぐもので、最高出力・最大トルクもにTBと同値。タンク、サイドカバーのデザインはジェットラインから離れ、それぞれ独立したスクエアなデザインを採用。厚いダブルシートと大型キャリアを採用していた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・247cc 年代:1967年

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コレダ125SK

コレダ125SKは、2シリンダー・2キャブ。パイプハンドルを採用。このコレダ125SKを「スクランブラー」に改造した車両は、各地のクラブマンレースで大活躍した。■エンジン型式:空冷・2サイクル・2気筒・125cc 年代:1962年

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スズモペットSM-1

スズモペットSM-1は、プレスバックボーンフレームに「ミニフリー」のエンジンを搭載した「日本のモペットの草分け」ともいえるマシン。タンクがシート前に移設され、サスペンションもフロントはボトムリンク、リアはスイングアームに加え2本ショックを採用していた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・50cc 年代:1958年

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セルペットMA-1

セルペットMA-1は、世界初の4速ロータリーチェンジにセルモーターを装備した高性能車。このエンジンは、後に50ccレーサーに採用され、マン島TTレース優勝の原動力となった。バックボーンフレームに新設計エンジンを搭載し、レッグシールドを標準装備していた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・50cc 年代:1960年

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セルペットMD

セルペットMDは、1960年に発売された「セルペットMA」をモーターサイクル型としたモデルで、バックボーンフレームを採用していた。この車両はキック式だったが、キック比が大きいため、始動がスムーズに行えることも大きな特長だった。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・50cc 年代:1961年

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セルペット80K10

セルペット80K10は、1961年に発売された「セルペットMD」を80ccにスケールアップしたモデル。6.5馬力のハイパワーと軽い車体により、抜群の高性能を発揮。このモデルによって、市場のニーズに応えた“機種多様化”時代の幕が開いた。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・80cc 年代:1962年

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セルペット50M30

セルペット50M30は、ショックを二重に防止する自動遠心クラッチを持つ、「セルペットME」の後継モデル。当時このクラスでは初めてロータリー式トランスミッションを採用。タンクをシートの下に移してスタイルを一新した、滑らかな乗り心地のモペットだった。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・50cc 年代:1963年

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B100

「B100」という名前がついているが、排気量は118cc。そのため、余裕あるエンジン性能とゆったりとした乗り心地で、扱いやすい車両と好評を得た。また、アルミシリンダーの採用により耐久性が向上。車体の軽さも加わり、経済性の高い車両となった。■エンジン型式:空冷・2サイクル・単気筒・118cc 年代:1965年

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