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染付銹釉 縞文 蓋物

ロクロを使って描く銹釉と染付の横縞に、染付で四方襷(よもだすき)文をめぐらす。一見段重のようだが、筒形の器と蓋の 組み合わせである。器内部も施釉。(柴田夫妻コレクション9-203) :肥前・有田 / 1810~60年代

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青磁染付 花唐草文 小皿

口縁部を平たく帽子の鍔(つば)のように作った小皿。その鍔状の口縁部には、染付で8個の小さな五弁花を配置して、それ らを唐草文でつないでいる。皿の見込部分には青磁釉を施す。口縁部と見込の境目には低い突帯がめぐっている。(柴田夫妻コレクション9-62) :肥前・有田 / 1690~1710年代

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染付 鷺沢瀉透彫輪繋文 小皿

側面の輪繋文を透彫りで表す皿は延宝(1673~1681)頃に現れ、有田南川原山中心に作られた。18世紀前半には ヨーロッパ輸出向けの金襴手の例がある。本例のように18世紀後半の例は珍しい。底裏銘からも南川原山産といえる。(柴田夫妻コレクション9-113) :肥前・有田 / 1750~70年代

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染付 山水龍鶴文 六角植木鉢

鋭角的な六角形の植木鉢には、中国の南画風の山水文と吉祥文である鶴と龍を交互に描いている。蘭を愛でる「蘭鉢」として も使えそうな端正な造形である。内側に布目跡が残り、底部に三足がつく。(柴田夫妻コレクション9-189) :肥前・有田 / 1800~60年代

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染付 楼閣山水人物文 菱形皿

内側面の四方の区画文の間に、唐花文を型打ち成形で陽刻した皿。こうした菱形皿は、17世紀後半にはロクロを使わない糸 切細工によって高台を貼り付けて作ることが多かったが、18世紀後半以降はロクロで高台を削り出して作るのがふつうとなる。(柴田夫妻コレクション 9-108) :肥前・有田 / 1740~60年代

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染付 唐人文 軍配形小皿

土型を用いて成形した軍配形の皿。見込の絵文様は、文様を切り抜いた型紙を器面にのせ、その上から刷毛で呉須を刷り込む 「型紙摺りの技法」であらわす。口縁部周囲には銹釉を塗って、額縁のように絵文様を引き締める。高台外側面には雷文をめぐらす。(柴田夫妻コレクション 9-77) :肥前・有田 / 1700~40年代

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色絵 竹形台付花生

台の上に、大小3本の竹と1本の竹の子をのせた意匠。型を用いて成形した花生。台は三方を如意頭形に切り欠いて、三脚に 作る。台の全面には小花、ハート繋ぎ、牡丹等をあらわし、赤、黄、緑、紫、金などの色絵で彩る。竹には瑠璃釉、青磁釉を施し、所々を金彩で彩る。(柴田夫 妻コレクション9-73) :肥前・有田 / 1690~1730年代

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染付 龍宝珠透彫輪繋文 皿

透し彫りによる輪繋文様を周囲にめぐらす皿で、酒井田柿右衛門家に菓子鉢として注文された類似品の絵形が伝世している。 本資料は見込に龍文を描き、その周囲に雷文及び龍と宝珠文を組み合わせた文様を配し、外側は連続した梅文が描かれている。底部は18世紀後半以降一般的と なった「蛇の目凹形高台」で底垂れを防ぐため「チャツ」や「ハマ」で支えて焼成されたことがわかる。(柴田夫妻コレクション9-220) :肥前・有田 / 1820~60年代

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染付 百合文 八角蓋物

藍地に白く浮かび上がる百合の花が、20世紀初頭のアールヌーボー・デザインのように斬新な蓋物だが、蓋の中央には「文 化年製(1804~18)」の染付銘がある。これは、藩の進物方を通じて、紀州徳川家より注文を受けた鉢に指示されて入れた銘と同じである。この作品の水 準の高さがわかる。(柴田夫妻コレクション9-193) :肥前・有田 / 文化年間(1804~18)

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潜水具「泳気鐘」

英国製の潜水具で、英語名はDIVING BELL、オランダ名はドイケスクロク。寛政5年(1793)将軍徳川家斉の 命により出島オランダ商館に注文されたが、ナポレオン戦争等の影響で、天保5年(1834)にやっと長崎に到着した。高さ約1.6m、肉厚5~8cm、重 さ4.5トンの鋳鉄製、バケツをひっくり返したような形状で底板はない。加圧空気がパイプを通じて上部の穴から、また光は上部の10個のガラス丸窓から採 り入れ、内部に人が入って底部から海底を眺めた。長崎造船所の最初の工場である江戸幕府の長崎製鉄所の建設に際して、修理船接岸用の岸壁の築造水中工事に 使用された。 年代:1834

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日本最古の工作機械「竪削盤」

長崎造船所の最初の工場である江戸幕府の長崎製鉄所の建設時に、機械加工工場(轆轤盤細工所)に設置するためにオランダ から輸入された工作機械の一つ。金属を縦方向に切削する機械で、英語名はSLOTTER。オランダ・ロッテルダムのNSBM社で1856年に製造されたも ので、日本最古の工作機械として平成9年に国の重要文化財に指定された。長崎造船所で稼動した後、大正3年(1914)に彦島造船所(現在の下関造船所) の設立とともに下関へ移され、通算約100年間稼動した。高さ約3.1m。 年代:1856

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国産初の陸用蒸気タービン

英国パーソンス社と技術提携して、明治41年(1908)に製造した国産初の陸用蒸気タービンで、長崎造船所内の中央発 電所の発電用タービンとして大正9年(1920)まで使用された。型式:パーソンズ式反動タービン、出力500kW、2400rpm、蒸気圧力 10.53kg/cm2、蒸気温度186℃。 年代:1908

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明治初期の鋳鉄柱

明治初期に長崎造船所の工場支柱として使用したもので、明治44年(1911)竣工の鋳物工場の支柱に転用された。英国 製で、高さ6.6m、円柱径基部29cm、円柱径上部19cm。 年代:明治初期

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ディーゼル実験機関「6UEV30/40」

2サイクルユニフローUEV30/40ディーゼル機関開発のため、昭和35年(1960)完成した実験機関で、当時、 世界最高の過給度を持っていた。その実用機12UEV30/40機関は昭和38年に完成し、護衛艦用主機として多数採用され、マルチプルギャート機関の基 礎をつくった。この大型機関の開発は、過給法を含む性能・構造等広汎に亘る技術分野で多くの基礎実験にも活用され、UEディーゼル機関の発展の基礎を作っ た。 年代:1960

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オープンサイクルガスタービン試作機

舶用ガスタービンに要求される急速起動と小型軽量とを目指し、昭和39年(1964)に完成した防衛庁向ガスタービン。 当時としては小型軽量の点で航空転用型に次ぐ世界的記録品。出力6,000PS、低圧タービン回転数7,200rpm、圧力比7.5、タービン入口温度 800℃、全備乾燥重量(減速機を含む)5,400kg。 年代:1964

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曳船「白鷹丸」の主機(往復式蒸気機関)

第454番船「白鷹丸」は長崎造船所の曳船(タグボート)で、昭和3年(1928)竣工から55年間の長期間活躍し た。本機は「白鷹丸」の2台の主機の1台(右舷機)で、昭和3年に長崎造船所で製造したもの。往復式蒸気機関は長い間、船舶推進機関の王座にあったが、明 治末に蒸気タービンが、また大正末にはディーゼル機関が実用化され、次第にその姿を消した。しかし、一部小型船舶用としては、太平洋戦争中まで製作されて いた。本機関は長崎造船所製作の往復式蒸気機関としては末期に属する製品である。450馬力、155rpm、三連成式でシリンダー径11インチ、 18.25インチ、30インチ。ピストン行程18インチ。年代:1928

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スペイン向タービンローター破片

大型タービン輸出の初号機として、スペインENDESA社向け33万kWタービン用に製造された低圧ローターであるが、 昭和45年(1970)過速度試験中に破裂し、ローターがほぼ4等分に割れて飛散するタービン史上に残る事故が発生した。本破片はその内の一つで、破裂の 起点を含み、破壊の原因解明の基礎となったものであり、この事故により日本のローター製造技術は飛躍的に改善された。長崎造船所の大型タービンの輸出はこ れよりスタートし、今日の全世界への輸出拡大をもたらした。ローター全重量50トン、展示破片重量9トン。 年代:1970

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練習船「北斗丸」のガスタービン

日本初の実用ガスタービンとして長崎造船所で開発され、昭和29年(1954)に運輸航海訓練所の練習船「北斗丸」に搭 載され、実用試験が行われたもの。日本のガスタービン技術発展の基礎を築いたもので、機関出力500馬力。展示物は高圧タービン、空気圧縮機及び燃焼器で ある。 年代:1954

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関西電力尼崎第一発電所向け1号タービン

昭和8年(1933)完成の本機は、蒸気温度(430℃)、出力(53,000kW)、共に当時東洋最大の記録機であ り、日本の産業技術史上記念すべきタービンである。41年間の永きにわたり稼動した。型式:三菱ツェリー式2汽筒複流型。運転開始:昭和8年12月、廃 止:昭和49年9月 年代:1933

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三菱製紙高砂工場向け1号タービン

昭和11年(1936)完成の本機は、三菱ツェリー式で初の単気筒2段抽気復水タービンであり、当時の2段抽気復水ター ビンとしては日本最大容量機である。53年有余の永きにわたり三菱製紙株式会社高砂工場の自家用発電設備として活躍した。出力3,000kW。運転開始: 昭和11年9月、廃止:平成2年(1990)4月。 年代:1936

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九州電力知名風力発電所向け風力発電設備の翼

上側の風車翼は昭和57年(1982)鹿児島県沖永良部島知名町に建設された風力発電設備のもので、翼は翼根部の固定 翼と先端部の可動翼からなり、可動翼にヘリコプターの中古翼を使用することによって、開発期間の短縮とコスト低減を計った。定格出力300kWは当時日本 最大で、風力発電の実用化に先駆的役割を果たした。展示品は、使用された翼3本中の1本で、翼の長さ16.1mである。運転開始:昭和57年11月、運転 終了:平成4年(1992)2月。なお、下側の風車翼は出力250kW用量産タイプのもので、全体がFRP製で翼の長さ14mである。また、手前の展示品 は250kWタイプのナセル部分で翼は3枚である。 年代:1982

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立神第2船台ガントリークレーンの鉄骨柱

長崎造船所立神船台に一部残っていた第2船台のガントリークレーンは、平成16年4月に大部分解体された。昭和11年 (1936)に設置されて以来、戦艦武蔵を始め数々の名船、名艦を建造し、とくに戦後は昭和31年から51年までに長崎造船所が通算で15回年間進水量世 界一となったことに貢献し、造船所のシンボルでもあった。展示品はそのガントリークレーンの一部である。 年代:1936

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史料館(旧木型場)

三菱重工業(株)長崎造船所史料館は、長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、昭和60年 (1985)10月に開設。史料館に利用されている赤煉瓦の建物は明治31年(1898)7月、三菱合資会社三菱造船所の鋳物工場に併設の木型場として建 設されたもので、三菱重工業株式会社発祥の地長崎造船所に現存する最古の建物である。 年代:1898

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ハルデス煉瓦(こんにゃく煉瓦)

長崎鎔鉄所の建物・煙突・塀などに使用した赤煉瓦。安政4年(1857)頃、向島地区の窯で製造された日本最初期の赤煉 瓦。年代:1857年頃

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竣工間近い長崎製鉄所(銅版画の写真)

ポンペ著「日本における5年間」に掲載された、万延元年(1860)の長崎製鉄所の工場建設中の銅版画の写真。 この 翌年に長崎製鉄所が竣工した。 年代:1860

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創業100年を迎えた昭和32年(1957)の長崎造船 所(写真)

長崎造船所は、創業100年となる昭和32年(1957)、前年に続いて進水量世界一と なった。その後は昭和36年及び昭和40~51年と通算15回、進水量世界一となった。 年代:1957

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工部省時代の鬼瓦

明治12年(1879)に完成した第1ドックのポンプ小屋の鬼瓦で、工部省の「工」の字が入っている。長崎造船所は明治 4年から17年まで工部省所管であり、この頃は官営長崎製鉄所と言われた。 年代:1880年頃

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三菱マークの鬼瓦

三菱経営に移ってからの鬼瓦は、最初は細長い菱形を三つ組み合わせた三菱マークから、次第に正三角形を2つ合わせた菱形 になり、現在の三菱マークへと変化していった。 年代:明治中期

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文久元年(1861)頃の長崎製鉄所鍛冶職の人たち(写 真)

長身のオランダ人指導員(左端)と日本の鍛冶職人達の写真。長崎製鉄所の最初の工場が完成した頃 の写真で、日本人は全員チョンマゲを結っている。 年代:1861年頃

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明治初年の長崎製鉄所(写真)

官営長崎製鉄所と呼ばれた明治初年の写真で、海岸には修理船を接岸する岸壁があり、起重機が据え付けられている。 年代:明治初年

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第1ドック(ロシア軍艦入渠中)(写真)

長崎造船所の最初の乾ドックである立神地区の第1ドックは、明治3年(1870)に長崎造船所長、平野富次郎により建 設着工されたが翌年、工部省所管になり平野富次郎が辞職したため工事が中断。明治7年、フランス人技師ワンサン・フロランの指導のもとに工事再開し明治 12年竣工。長さ140m、7000総トンの船が修理可能な、当時、東洋最大のドック。左方、煙突のある建物はポンプ室。 年代:1880

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工部省長崎造船局拝借願

明治17年(1884)7月7日、郵便汽船三菱会社(三菱本社の前身)は政府より工部省所管の長崎造船局を借受け、長崎 造船所と改称して造船事業への展開を開始した。三菱重工業は、長崎造船所の経営を始めたこの日を創立日としている。拝借願は明治17年6月12日に提出さ れ、同年6月24日付で7月7日から25年間の貸渡しが認められたが、借用期間中の明治20年6月7日に払下げが承認され三菱社の所有となった。 年 代:1884

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長崎造船所御払下願

明治20年(1887)4月25日、三菱社(郵便汽船三菱会社を改称)は、明治17年以来拝借中の長崎造船所を価格45 万9千円、50年賦で払下げ願いたいとの願い書を政府に提出した。これに対して政府は同年6月7日、この申し出を承認し、長崎造船所は三菱社の所有となっ た。年代:1887

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三菱工業予備学校設立沙汰書

明治32年(1899)、長崎造船所第二代所長 荘田平五郎によって三菱工業予備学校が設立された。日本の最初期の職工 学校で、設立当時は、4年間の義務教育を終了した10歳からの生徒をここで5年間教育し、技能とともに英語、数学、製図、造船工学、機械工学といった知識 を習得させ、工場のキーマンとして育成した。 年代:1899

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明治18年(1885)の飽の浦造機工場(写真)

三菱が経営を始めた頃の長崎造船所、50トン起重機(右端)や機械工場が新設されている。 年代:1885

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貨客船「夕顔丸」進水(写真)

第4番船「夕顔丸」は三菱高島炭坑社向け貨客船で、明治20年(1887)5月に竣工した。長崎造船所で建造した最初の 鉄製汽船で、日本初の軟鋼製ボイラを装備、 長崎大浦の三菱炭坑社と高島・端島間の連絡船として75年間もの長期間就航した。昭和37年(1962)3月最終航。解体時、船体外板の過半と船室の内外 および機関の一部などが建造当時のままであったことは、工事の確実、入念さを証明するものであった。206総トン、水線長28m、330馬力、8ノット、 乗客定員514名。起工:明治18年11月、進水:明治20年2月。 年代:1887

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貨客船「夕顔丸」操舵輪

第4番船「夕顔丸」は人力操舵であったため直径約1.4mの大型の操舵輪が装備されていた。 年代:1887

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貨客船「常陸丸」(写真)

第99番船「常陸丸」は日本郵船向け貨客船で、欧州航路に就役した。大きさ、速力、機関出力等すべての面で、日本の造船 史上画期的な船で、日本の造船技術の進歩を世界に示したものであった。この船の建造で設計技術、工作技術及び建造設備が飛躍的に充実した。日露戦争で陸軍 御用船となり、明治37年(1904)6月、玄海灘でロシア艦隊の攻撃を受けて戦没した。6,172総トン、水線長136m、3,847馬力、14.2 ノット。起工:明治29年12月、進水:明治31年4月、竣工:明治31年8月。 年代:1898

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貨客船「常陸丸」用3連成往復動式蒸気機関(写真)

第99番船「常陸丸」には国産最大級の往復動蒸気機関2台が搭載され、合計出力3,847馬力。 年代:1898

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第3ドック(客船「地洋丸」入渠中)(竣工の頃の写真)

明治38年(1905)3月に竣工した第3ドックは、長さ220mで30,000重量トンまでの船が入渠できる当時東 洋最大のドック。昭和30年代に拡張されて、長さ277m、95,000重量トンまでの船が入渠可能となり現在も稼動中。入渠しているのは第191番船 「地洋丸」、明治41年竣工の客船。 年代:明治末期

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客船「天洋丸」(写真)

第190番船「天洋丸」は東洋汽船向けの豪華客船で、サンフランシスコ航路に就航した。主機に日本初の蒸気タービンを搭 載し、また、燃料に初めて重油を使用した。当時のあらゆる新機軸をおり込んだ優秀客船であり、日本の造船技術が世界水準に達したことを示した。客室設備は 豪華を極め、当時流行のヌーボー様式を基調に日本的モチーフも採用しており、壁面パネルに日本特産の絹織物を使用した華麗な意匠は、重厚な落ち着きを見せ た。13,454総トン、水線長168m、19,000馬力、20.6ノット。起工:明治38年6月、進水:明治40年9月、竣工:明治41年4月。 年代:1908

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日本初の船型試験場(写真)

明治41年(1908)5月、長崎造船所に日本初の船型試験場が完成した。試験水槽の長さ131m、幅6.1m、深さ 3.7m。 年代:1908

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明治末期の造船設計風景(写真)

軍艦課の設計風景。ネクタイにベストを着用した設計者の姿も見られる。製図用鉛筆はドイツ・ハバリア製及びアメリカ・ ニューヨーク製を使用した。 年代:明治末期

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150トン・ハンマーヘッドクレーン(竣工当時の写真)

明治42年(1909)12月、飽の浦艤装岸壁に設置された、日本最初期のハンマーヘッドクレーン。英国製で吊上能力 150トン、全高62m、ジブ長さ73m。平成15年に登録有形文化財に指定され、現在も稼働中。昭和36年に約150m移設されている。画像は完成検査 で125%の荷重試験を実施中のもの。 年代:1909

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巡洋戦艦「霧島」(写真)

第225番船、巡洋戦艦「霧島」は民間造船所で建造された最初の主力艦である。竣工当時、世界で最も強力な巡洋戦艦とし て注目を集めた優秀艦。その後2回にわたって大改装を行い艦種も戦艦に変更されて32,000排水トン、30ノットとなった。竣工時は、27,500排水 トン、水線長211m、78,000馬力、27.5ノット。起工:明治44年(1911)7月、進水:大正2年(1913)12月、竣工:大正4年4月。 年代:1915

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戦艦「日向」(写真)

第241番船、戦艦「日向」は、長崎造船所で建造した最初の戦艦で、当時世界最大級。31,260排水トン、水線長 208m、56,000馬力、23ノット。起工:大正4年(1915)1月、進水:大正6年1月、竣工:大正7年4月。 年代:1918

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昭和初期の電気溶接(写真)

長崎造船所は大正3年(1914)、スウェーデンの会社より電気溶接の特許権を獲得し、それ以降、日本の溶接技術をリー ドしてきた。大正9年には、日本初でかつ世界で2番目となる全電気溶接船「諏訪丸」(第340番船、長崎造船所内の送迎船、421総トン、水線長34m、 8ノット)を完成させた。 年代:昭和初期

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貨客船「浅間丸」(写真)

第450番船「浅間丸」は、日本郵船向けの豪華貨客船でサンフランシスコ航路に就役した。太平洋の女王と称された日本を 代表する豪華貨客船で、日本の造船技術の粋を結集して建造したもの。当時ディーゼル機関搭載用大型客船としては世界でも屈指の船であった。 乗客の安全輸 送に関する諸設備をはじめ、船内施設は当時の世界最高水準を行くもので、船室の豪華な船を「優秀船」という流行語は、本船によって生じたことからも察せら れる。16,947総トン、水線長171m、16,000馬力(4、000馬力ディーゼル機関4台搭載で4軸)、20.7ノット。起工:昭和2年 (1927)9月、進水:昭和3年10月、竣工:昭和4年9月。 年代:1929

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貨客船「新田丸」(写真)

第750番船「新田丸」は、日本郵船向けの当時日本最大の豪華貨客船で太平洋航路に就航した。1・2等客室・公室に冷暖 房装置を施し、艤装品には国産の優秀製品を採用。船内装飾においても日本調を多く採り入れている。第751番船「八幡丸」、第752番船「春日丸」と同型 の三姉妹船。クインメリーやノルマンディーにも劣らない豪華船として斯界の注目を浴びたが、就役後間もなく海軍に徴用され特設空母に改装された。 17,150総トン、水線長168m、25,200馬力、22.5ノット。起工:昭和13年(1938)5月、進水:昭和14年5月、竣工:昭和15年3 月。 年代:1940

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戦艦「武蔵」建造に使用した大型鋲締機

戦艦「武蔵」の建造に使用した特大型鋲打ハンマー及びジャムリベッター。戦前、通常の艦船で使用する鋲は最大径15ミ リで、稀に28ミリ程度であったが、武蔵では弾火薬庫床甲板・舷側甲板などに36から40ミリ径の鋲が多く使用され、しかも材質は高張力鋼であった。この 大型鋲締機を使用した鋲打作業は、4人がかりで行われた。「武蔵」に使用された鋲の総本数は650万本に上った。 年代:1942

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