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タレット旋盤

大正9年(1920)から製造が開始され、この形は昭和元年(1926)までの6年間製造され、後にTC-2、TW-4 へと形を変えていった。自動自動チャック能力1吋、3段段車、プレーンヘッド、バーチャックは押出し形である。大隈鉄工所製、ベッド上の振り350mm、 主軸とタレット面間最大距離400mm 年代:1920

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タレット旋盤

モーター軸を中空にしてそのなかに主軸を通すビルトインモーター方式を採用した。さらに、ギヤーミッションを組合せて、 巾広い速度レンジの速度変換機能をもたせ、最適な切削速度の選択を可能にした。国産精機製、ベッド上の振り460mm、主軸とタレット面間最大距離 730mm 年代:1941

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自動旋盤

使いやすく、少しぐらいの誤った操作をしても壊れない機械との評判を博し、14年間に約2,000台を製作・販売した。 販売先は国内ばかりでなく、アメリカをはじめとして世界数十カ国へも輸出されている。津上製作所製、工作物最大直径25mm 年代:1967

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ジグ中ぐり盤

昭和6(1931)年に生産が始まったもので、輸入代理店である海外通商株式会社を通じて、この型としては日本で最初に 輸入されたものである。機械の主要な仕様は、主軸穴テーパモールステーパ2番、モータ出力1Hpである。SIP社製、テ-ブル寸法380x525mm、テ -ブル移動量450mm、主軸直径57.15mm 年代:1937

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ジグ中ぐり盤

昭和13(1938)年から終戦まで220台を生産販売し、スイスのSIPがモデルとなっている。外国機に依存していた 頃、日本の高精密機械のマザーマシンとして、精密機械工業発展に大きな役割を果たした。三井精機工業製、テ-ブル寸法492x715mm、テ-ブル移動量 600mm、主軸直径57.15mm 年代:1943

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横フライス盤

アメリカのCINCINNATI MILLING MACHNE社のM形を忠実にモデルとして、独自の経験を基に材料の 選択と購入品の品質を最高のものに絞って採用し、機械の保全に万全を期した。東京瓦斯電気工業社製、テ-ブル寸法1340x265mm 年代:1940

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ねじ研削盤

ヨーロッパではあたかもマイクロメータのねじ専用機のように使われていたねじ研削盤で、日本でこれを導入したのは三豊が 初めてだった。マルティプルの砥石による、焼き入れ後のグラインディングが可能で、能率的であると同時に精度も高い量産機械だった。MATRIX社製、セ ンタ間距離120mm、最大加工寸法直径12.7mm、最大加工寸法長さ100mm、といし直径300mm 年代:1966

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平歯車研削盤

同社の創業者・岡本覚三郎氏が「日本で今までに製作されていない歯車関係の機械を製作する」という理念に基づいて開発し た、国産初の歯車研削盤である。機械要素の中でも最重要部品である歯車の精密加工に大いに貢献した。岡本専用工作機械製作所製、工作軸センタ間距離 220mm、最大加工ピッチ円直径500mm・歯幅220mm・最大加工モジュ-ル8、といし直径200mm 年代:1930

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立て削り盤

大正年間の後半はSR形9吋立て削盤のみであったが昭和3(1928)年に12吋および16吋のものを製作した。昭和5 年にはMSR形12吋強力立て削盤を大阪陸軍造兵廠での発注によって製作した。大隈鉄工所製、ラム行程300mm、テ-ブル直径500mm 年代:1930

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マシニングセンタ

東芝機械株式会社が、KEARNEY & TRECKER社と技術提携を行い製造し、日本のマシニングセンタ開発の発端 となった機械で株式会社ツガミにおいて最初に設計された、横型のマシニングセンタである。東芝機械株式会社・KEARNEY & TRECKER社製、テ -ブル寸法406x660mm、X・Y・Z軸移動距離610x406x406mm 年代:1970

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放電加工機

日本の工場設備機械として不可欠なもので、とくに金型工作法には革命的な影響をあたえ、マスプロをおこなうためにの基礎 技術に大きな力となっている。当時、ヘッド上部につけられた赤い作動ランプと緑色に塗られた雨蛙そっくりの容姿は“Tree Frog”のあだ名で呼ばれ ていた。日本放電加工研究所製、加工最大電流15A、テ-ブル寸法300x260mm 年代:1954

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クランクプレス

コニカルカップ絞り性試験に用いられたプレス機械。この試験方法は、試験結果と加工状況とが比較的よく一致するため、と くに自動車会社などで採用されていたが、当時一般ではまだこの方法に関する認識はそれ程深いものではなかった。会田鉄工所製、最大出力100ton 年代:1955

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津田式半木製力織機

明治後期から大正前期にかけて使用されていて、開口装置に特徴があり、一般型の力織機の場合には、ボトムシャフトに取り 付けられた2枚のタペットを回転させ、直接トレドルに伝達させているが、本機ではトレドルロッド等を使用して、間接的にトレドルに伝達させている。津田米 次郎製作/日本工業大学複製、筬幅550mm、間長2300mm 年代:1910

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手廻し動力装置

人力で大きな力を得るための一つの方法として「はづみ車」の利用が考えられた。古くは鋳物屋の送風機などを動かしてい る。池貝鉄工所が創業時からしばらくの間使用したもので発生馬力は、回転を両側2人で約60rpmで0.35馬力が得られた。日本工業大学複製、直径 2000mm 年代:1890

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石油機関

小型(3~8馬力)石油エンジンの主力機種で特に、着火装置に特徴がありトーチランプによって熱せられた焼玉の突起に燃 料を滴下し気化させ、それを焼玉内に圧縮して点火するもので、焼玉方式と呼ばれている。池貝工場/日本工業大学複製、ボア直径152mm、ストロ-ク 184mm 年代:1903

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ガスエンジン

石炭ガス・天然ガスを燃料としたピストンクランク機構を用いて動力を発生する内燃機関の一種で蒸気機関の次に発明され、 実用化された内燃機関として最初の熱機関であり、1801年にルボン(フランス、1767~1804)により提案された。NATIONAL  CAMPANY社製/日本工業大学複製、ボア直径110mm 年代:1902

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レヒートガスタービン

ム-ンライト計画により開発・製造されたサイクル圧力比55、高圧タービン入口ガス温度1300度℃であり、いづれの点 でも世界最高のガスタ-ビンである。燃料制御器なども最先端技術が適用されたものであり、多くの未来技術の芽がふくまれている。高効率ガスタ-ビン技術研 究組合製、出力100MW、複合プラント効率50%、空気流量220kg/s、回転数(高中・低圧)8500・3000rpm 年代:1987

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ターボファンエンジン

通産省工業技術院の大型プロジェクトの一環として1971年から始められた“航空機用ジェットエンジンの研究開発”の成 果として実現したもので、 “飛鳥”で飛行することにより航空棟用ジェットエンジンとしての成果を示した。石川島播磨重工業・川崎重工業・三菱重工業製、 推力5ton 年代:1975

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円筒研削盤

大正7(1918)年陸軍工廠より図面を支給されて、製作が開始されたものである。形は米国ノルトン社形で、砥石軸は上 下に調整でき、テーブルはコラムの周囲に回転しテーブル長手送りは手動または自動で、テーブル上部はテーパ作業用に旋回する。大隈鉄工所製、テ-ブル上の 振り200mm、センタ間距離450mm、といし直径250mm 年代:1928

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蒸気機関車

日本で鉄道局の汽車監察方をしていたイギリスのリチャ-ド・フランシス・トレビシックが日本仕様に設計し、明台24年 (1891)にイギリスのタブス社(文久3年(1863)ヘンリ-・タブスにより創設)で製造され、日本に輸入さた蒸気機関車である。当時としては、大馬 力てあり、設計・性能共に優れていたため、急勾配用・貨物用や山岳線の客貨物両用に使用されました。その後は、各地の幹線に重用され、昭和30年代まて活 躍するという長寿ぶりを示した。DUBS社製、車輪直径1245mm、重量39.5ton 年代:1891

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自動車

この車は、フランスのDELAHAYE社によって明治42年(1909)に生産された。この車は、オツトーサイクルエン ジン(排気量1800cc、出力14PS)、木製輪枠、空気入リタイヤ等ガ用いられており、前席一席のみシートが直されている以外は何も改修はされておら ず、走行できる状態である。この時代の自動車は、「馬車」にエンジンを付けたという感しであり、この車のように「馬車」の面影が残っている。 年代:1909

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山本工場

この工場は、ライオン歯麿会社の要請により東京市浅草区に会属瓶口、擢類等を製造する会社としてスタートした。当時、全 部輸入にたよっていた歯磨きチューフの国産化を初めて実現した工場である。当時の工場通覧によれば、職工数男子12名女子2名、使用動力2機種・7馬力の 中堅企業であった。かば材張りの床も当時のまま復元している。 年代:1907

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植原鉄工所

この工場は、明治40年に東京市芝区三田に創業し、65年間にわたって東京の下町にあった典型的な町工場の見本である。 創業当時は原動力として瓦斯機関をつかい大正5年には電動機に切換えるなど動力源の変遷を経験した工場である。はじめは8尺旋盤と6尺旋盤の2台であった が、次々機械を増設した。機槻部品の加工を主とした工場で、復元に際しては、見学者の安全等を考えて、実際の工場より天井を高くし、また若干の機械削減し た。 年代:1914

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半自動靴下編機

明治中~後期(1880年)頃開発された靴下編機。ゴム部と本体(脚、踵、足、爪先)部を別々に編み、縫い合わせるか、編目をつなげていた当時の編機。保存機は昭和初期に製造されたもので、アーガイル(ダイヤ柄)靴下を生産した。 年代:1925

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


半自動ゴム編機

明治中~後期(1880年)頃開発されたゴム編機。ゴム部と本体(脚、踵、足、爪先)部を別々に編み、縫い合わせるか、編目をつなげていた当時の編機。保存機は昭和初期に製造されたもので、アーガイル靴下のゴム編み部を生産した。 年代:1925

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


B式自動靴下編機

昭和4年(1929年)頃の靴下編機B5式(今泉式)と云い、脚、踵、足、爪先を連続して自動的に編む画期的なもの。 年代:1929

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靴下用ゴム編機

大正9年(1920年)、(株)ナイガイが米国から輸入した口ゴム編機。筒状のゴム編地(1×1リブ)を専門に編むものでブリントンと呼ばれていた。 年代:1920

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スタンダード式柄編機(スタンダード・トランプ)

昭和9年(1934年)、(株)ナイガイが米国スタンダード社から輸入した柄(ボスネック柄)編機。ボス柄糸(地編地と色の異なる柄糸)の色数が多く、刺繍状に美しい配列と立体的に柄を表現できる編機。靴下の代表的な柄の1つである。 年代:1934

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複製靴下

光圀公が履いたと云われている靴下の複製品。常陸太田にある水戸家墓所・瑞龍山で水戸光圀時代の長持ちが発見され、その中にあった靴下の複製品。海外からの贈り物?造り方・編み方は今でも解明不明の高い技術。 この製品に似たものが米国ワシントン州にある国立博物館に所蔵されている。

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バンナー靴下

大正末期の靴下。(株)ナイガイ創設(大正9年)初期に生産されたもの。当時の靴下はゴム編み部と本体部(脚部・踵・足・爪先)を別々に編んだ後、編目をつなぎ合わせるか、ミシンで縫い合わせていた。足の甲側と足底を異なった糸や色で編むことのできるバンナー編機で生産されたもので、甲側は薄く吸湿性を、底側は厚く保湿性を求めたものである。編機は米国のヘンフィル社から輸入された。 年代:1924

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ベットソックス

昭和初期(1928年頃)睡眠時に足を暖める為に開発されたもの。暖まると簡単に脱げるように丈が短く足首までである。編地は、超高級素材のカシミヤ、更に二重編みの裏側を起毛、暖かさと肌触りを工夫した試作品。 年代:1928

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子供長靴下

昭和初期(1929年頃)子供靴下が稀で、更に編み柄されたもの。レーヨン糸と綿糸の光沢感・質感の違いを任意に配列させ柄を表現したシンカー柄が特徴。そのシンカー柄の編み方は、想像のつかない優れたもので、柄靴下の歴史上貴重な資料である。子供靴下が稀な時代、実際に生産された物か不明。 年代:1929

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ガーター付き靴下

昭和初期(1930年頃)を代表するオシャレな紳士靴下。ゴム糸が無い時代、ガーター(ゴムテープに靴下の上部をつまむ留め具を付けたもの)で靴下を吊って、ズレ落ちを防いだ。ガーターとは、イギリスのガーター騎士団の装飾装身具の総称で、左足のひざ下に付ける留め具。 年代:1930

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二つ折り子供靴下

昭和初期(1930年頃)の輸入品。サイズは、6インチ半(約17cm)の子供靴下。三越百貨店(値札50銭)で販売されていたもの。足首丈で二ツ折りにして履いていた。折り返し部はセーター編機、足首から爪先は靴下編機で編まれている。縫い合わせ部を隠す様に二ツ折りにして履いたオシャレな子供靴下。 年代:1930

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ダービー靴下

昭和初期(1931年頃)のフルファッション式の畦編み靴下。イギリスのダービー州に住むジュデデイア・ストラット氏が開発したリブ編機で、ダービー編機と呼んだ。同機は国内に現存してなく、靴下の外観から特殊な形態をした編機が想像出来る貴重品。 年代:1931

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ゴム入り靴下

昭和7年(1932年)頃、ゴム糸が開発される前のゴム入り靴下。ゴム糸を何処から入手したのか。靴下にゴム糸を編む夢を実現する為、思考錯誤した初期品。『セルフィックス』と命名し商標権を取得した。今の編み方と少し異なるが、当時の開発者達にとっては、ゴム糸を編み『ズレ落ち』を防ぐ目的は達成された逸品。今の形になったのはずっと後の戦後から。 年代:1932

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特殊形態ハイソックス

昭和7年(1932年)頃、ふくらはぎ部の編地を円形状に切り開き、その上部をV字状に引き上げ膝下で留めたもの。ガ-ターで吊って履くのが普通の時代、ガーターなしで簡単に履くことのできるアイデアソックス。 年代:1932

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ジャカード靴下

昭和初期(1934年頃)の柄靴下、編み柄が希少な時代にジャカード柄編機をイギリスのウイルト社から(株)ナイガイが輸入し生産したもの、2色の糸を任意に組合せ柄を表現する編み方、靴下に限らずニット編地のセーター等、現在を代表する柄の1つである。ウイルト編機は東京農工大学(東京都小金井市)の科学博物館に展示、紹介されている。 年代:1934

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手刺繍柄靴下

昭和10年(1935年)頃、足首部に手刺繍されたオシャレな『フルレングス』スタイルの靴下。ゴム糸が無い時代、ガーター(ゴムテープに留め具を付けたもの)で吊って履いた靴下を『フルレングス』と呼び、やや長めの丈が特徴。刺繍加工は手作業で編目1つを1ブロックとし、刺繍糸をブロック毎にかがりつけ、柄を表現した。靴下専門に加工する熟練者が携わり、編み柄では表現できない刺繍ならではの繊細な柄靴下。 年代:1935

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フートカバー

昭和初期(1936年頃)のフートカバー。着用する時は、靴の中に隠れる様短く曲線状に裁断、縫製した造り方は今とほぼ同じ。いつ、誰が、どの様な時に履いたのか興味深い逸品。 年代:1936

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軍足(陸軍用)

第2次世界大戦時の軍足。陸軍用は踵が無く、棒状に編まれている。 素材は天然素材100%。棒状の理由は、(1)踵の位置を固定せず、暗闇でどの向きからも履ける、(2)小物入れにも利用出来るからである。 年代:1940

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軍足(海軍用)

第2次世界大戦時の軍足。海軍用は足の形状に合わせ踵が編まれている。  素材は天然素材100%。陸軍用と異なり、履き心地が良くオシャレに造られている。 年代:1940

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ゴム入り靴下

昭和23年(1948年)頃のゴム糸の入った靴下。休止していたゴム入り靴下の開発を再開し、同時に靴下専用ゴム糸(断面は丸く、細く、長い。)が開発された。ガ-タで吊っていた時代が終わり、靴下にゴム糸を編む画期的なもので、脚部丈が短い。現在形の始まり。 年代:1948

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ビニロン製の靴下

唯一国内で開発された合成繊維『ビニロン(ポリビニールアルコール)』で作られた靴下。、天然素材一辺倒から開発まもない合成繊維の適性が試された。狙いは天然素材の代替になるかの試作品。 年代:1951

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防縮靴下

昭和27年(1952年)、洗濯しても小さくならないウ-ル100%靴下。洗濯で縮むのが当たり前の時代、(株)ナイガイは米国(ショーラーブラザーズ社)の技術を使い、独自に研究・開発を進め、昭和28年に他社に先駆けて、洗濯で縮まない防縮加工靴下の開発に成功、好評を得た。 年代:1952

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ナイロン製靴下

昭和27年(1952年)、国産ナイロン(東レ(株))遣いの初期品。天然素材と比較し、耐久性・伸縮性・熱セット性のある合成繊維が、靴下素材として注目され始めた。 年代:1952

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ウーリーナイロン100%靴下

昭和28年(1953年)のウーリーナイロン糸100%靴下。ナイロンにバルキー性・ストレッチ性を加えたウーリーナイロン糸の靴下。天然素材と違い、耐久性と伸縮性に富み、シワ・タルミを解消した画期的なもの。後にナイロン100%靴下全盛期を迎え、戦後強くなった物の代名詞となった。 年代:1953

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トリコットカバー

昭和30年(1955年)頃のフートカバー。当時はフートソックスと云い、フルファッションストッキングの保護を目的とした。二重履きに、また素足に履く際には靴ズレ予防としていた。ナイロントリコット生地を裁断・縫製で作られている。 年代:1955

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パイル靴下

昭和32年(1957年)頃、パイル編み靴下の初期品。パイルの編み方の基本形が完成。クッション性・保温性からスポーツソックスの主役になった。 年代:1957

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F&H靴下

昭和34年(1959年)に開発されたF&H(フィット&ヘルシー)靴下。ニットの三原組織は、平編・畦編・パール編で、それぞれの特徴を活かした設計がF&H。横方向に伸びる畦編みは『ふくらはぎ』に、縦方向に伸びるパール編みは『甲側』に使用して編んでいる。当時の姿のままの超長寿靴下として、現在も生産している。 年代:1959

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