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第1ドック(ロシア軍艦入渠中)(写真)

長崎造船所の最初の乾ドックである立神地区の第1ドックは、明治3年(1870)に長崎造船所長、平野富次郎により建 設着工されたが翌年、工部省所管になり平野富次郎が辞職したため工事が中断。明治7年、フランス人技師ワンサン・フロランの指導のもとに工事再開し明治 12年竣工。長さ140m、7000総トンの船が修理可能な、当時、東洋最大のドック。左方、煙突のある建物はポンプ室。 年代:1880

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工部省長崎造船局拝借願

明治17年(1884)7月7日、郵便汽船三菱会社(三菱本社の前身)は政府より工部省所管の長崎造船局を借受け、長崎 造船所と改称して造船事業への展開を開始した。三菱重工業は、長崎造船所の経営を始めたこの日を創立日としている。拝借願は明治17年6月12日に提出さ れ、同年6月24日付で7月7日から25年間の貸渡しが認められたが、借用期間中の明治20年6月7日に払下げが承認され三菱社の所有となった。 年 代:1884

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長崎造船所御払下願

明治20年(1887)4月25日、三菱社(郵便汽船三菱会社を改称)は、明治17年以来拝借中の長崎造船所を価格45 万9千円、50年賦で払下げ願いたいとの願い書を政府に提出した。これに対して政府は同年6月7日、この申し出を承認し、長崎造船所は三菱社の所有となっ た。年代:1887

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三菱工業予備学校設立沙汰書

明治32年(1899)、長崎造船所第二代所長 荘田平五郎によって三菱工業予備学校が設立された。日本の最初期の職工 学校で、設立当時は、4年間の義務教育を終了した10歳からの生徒をここで5年間教育し、技能とともに英語、数学、製図、造船工学、機械工学といった知識 を習得させ、工場のキーマンとして育成した。 年代:1899

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明治18年(1885)の飽の浦造機工場(写真)

三菱が経営を始めた頃の長崎造船所、50トン起重機(右端)や機械工場が新設されている。 年代:1885

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貨客船「夕顔丸」進水(写真)

第4番船「夕顔丸」は三菱高島炭坑社向け貨客船で、明治20年(1887)5月に竣工した。長崎造船所で建造した最初の 鉄製汽船で、日本初の軟鋼製ボイラを装備、 長崎大浦の三菱炭坑社と高島・端島間の連絡船として75年間もの長期間就航した。昭和37年(1962)3月最終航。解体時、船体外板の過半と船室の内外 および機関の一部などが建造当時のままであったことは、工事の確実、入念さを証明するものであった。206総トン、水線長28m、330馬力、8ノット、 乗客定員514名。起工:明治18年11月、進水:明治20年2月。 年代:1887

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貨客船「夕顔丸」操舵輪

第4番船「夕顔丸」は人力操舵であったため直径約1.4mの大型の操舵輪が装備されていた。 年代:1887

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貨客船「常陸丸」(写真)

第99番船「常陸丸」は日本郵船向け貨客船で、欧州航路に就役した。大きさ、速力、機関出力等すべての面で、日本の造船 史上画期的な船で、日本の造船技術の進歩を世界に示したものであった。この船の建造で設計技術、工作技術及び建造設備が飛躍的に充実した。日露戦争で陸軍 御用船となり、明治37年(1904)6月、玄海灘でロシア艦隊の攻撃を受けて戦没した。6,172総トン、水線長136m、3,847馬力、14.2 ノット。起工:明治29年12月、進水:明治31年4月、竣工:明治31年8月。 年代:1898

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貨客船「常陸丸」用3連成往復動式蒸気機関(写真)

第99番船「常陸丸」には国産最大級の往復動蒸気機関2台が搭載され、合計出力3,847馬力。 年代:1898

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第3ドック(客船「地洋丸」入渠中)(竣工の頃の写真)

明治38年(1905)3月に竣工した第3ドックは、長さ220mで30,000重量トンまでの船が入渠できる当時東 洋最大のドック。昭和30年代に拡張されて、長さ277m、95,000重量トンまでの船が入渠可能となり現在も稼動中。入渠しているのは第191番船 「地洋丸」、明治41年竣工の客船。 年代:明治末期

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客船「天洋丸」(写真)

第190番船「天洋丸」は東洋汽船向けの豪華客船で、サンフランシスコ航路に就航した。主機に日本初の蒸気タービンを搭 載し、また、燃料に初めて重油を使用した。当時のあらゆる新機軸をおり込んだ優秀客船であり、日本の造船技術が世界水準に達したことを示した。客室設備は 豪華を極め、当時流行のヌーボー様式を基調に日本的モチーフも採用しており、壁面パネルに日本特産の絹織物を使用した華麗な意匠は、重厚な落ち着きを見せ た。13,454総トン、水線長168m、19,000馬力、20.6ノット。起工:明治38年6月、進水:明治40年9月、竣工:明治41年4月。 年代:1908

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日本初の船型試験場(写真)

明治41年(1908)5月、長崎造船所に日本初の船型試験場が完成した。試験水槽の長さ131m、幅6.1m、深さ 3.7m。 年代:1908

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明治末期の造船設計風景(写真)

軍艦課の設計風景。ネクタイにベストを着用した設計者の姿も見られる。製図用鉛筆はドイツ・ハバリア製及びアメリカ・ ニューヨーク製を使用した。 年代:明治末期

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150トン・ハンマーヘッドクレーン(竣工当時の写真)

明治42年(1909)12月、飽の浦艤装岸壁に設置された、日本最初期のハンマーヘッドクレーン。英国製で吊上能力 150トン、全高62m、ジブ長さ73m。平成15年に登録有形文化財に指定され、現在も稼働中。昭和36年に約150m移設されている。画像は完成検査 で125%の荷重試験を実施中のもの。 年代:1909

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巡洋戦艦「霧島」(写真)

第225番船、巡洋戦艦「霧島」は民間造船所で建造された最初の主力艦である。竣工当時、世界で最も強力な巡洋戦艦とし て注目を集めた優秀艦。その後2回にわたって大改装を行い艦種も戦艦に変更されて32,000排水トン、30ノットとなった。竣工時は、27,500排水 トン、水線長211m、78,000馬力、27.5ノット。起工:明治44年(1911)7月、進水:大正2年(1913)12月、竣工:大正4年4月。 年代:1915

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戦艦「日向」(写真)

第241番船、戦艦「日向」は、長崎造船所で建造した最初の戦艦で、当時世界最大級。31,260排水トン、水線長 208m、56,000馬力、23ノット。起工:大正4年(1915)1月、進水:大正6年1月、竣工:大正7年4月。 年代:1918

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昭和初期の電気溶接(写真)

長崎造船所は大正3年(1914)、スウェーデンの会社より電気溶接の特許権を獲得し、それ以降、日本の溶接技術をリー ドしてきた。大正9年には、日本初でかつ世界で2番目となる全電気溶接船「諏訪丸」(第340番船、長崎造船所内の送迎船、421総トン、水線長34m、 8ノット)を完成させた。 年代:昭和初期

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貨客船「浅間丸」(写真)

第450番船「浅間丸」は、日本郵船向けの豪華貨客船でサンフランシスコ航路に就役した。太平洋の女王と称された日本を 代表する豪華貨客船で、日本の造船技術の粋を結集して建造したもの。当時ディーゼル機関搭載用大型客船としては世界でも屈指の船であった。 乗客の安全輸 送に関する諸設備をはじめ、船内施設は当時の世界最高水準を行くもので、船室の豪華な船を「優秀船」という流行語は、本船によって生じたことからも察せら れる。16,947総トン、水線長171m、16,000馬力(4、000馬力ディーゼル機関4台搭載で4軸)、20.7ノット。起工:昭和2年 (1927)9月、進水:昭和3年10月、竣工:昭和4年9月。 年代:1929

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貨客船「新田丸」(写真)

第750番船「新田丸」は、日本郵船向けの当時日本最大の豪華貨客船で太平洋航路に就航した。1・2等客室・公室に冷暖 房装置を施し、艤装品には国産の優秀製品を採用。船内装飾においても日本調を多く採り入れている。第751番船「八幡丸」、第752番船「春日丸」と同型 の三姉妹船。クインメリーやノルマンディーにも劣らない豪華船として斯界の注目を浴びたが、就役後間もなく海軍に徴用され特設空母に改装された。 17,150総トン、水線長168m、25,200馬力、22.5ノット。起工:昭和13年(1938)5月、進水:昭和14年5月、竣工:昭和15年3 月。 年代:1940

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戦艦「武蔵」建造に使用した大型鋲締機

戦艦「武蔵」の建造に使用した特大型鋲打ハンマー及びジャムリベッター。戦前、通常の艦船で使用する鋲は最大径15ミ リで、稀に28ミリ程度であったが、武蔵では弾火薬庫床甲板・舷側甲板などに36から40ミリ径の鋲が多く使用され、しかも材質は高張力鋼であった。この 大型鋲締機を使用した鋲打作業は、4人がかりで行われた。「武蔵」に使用された鋲の総本数は650万本に上った。 年代:1942

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戦艦「武蔵」(油絵)

第800番船、戦艦「武蔵」は軍艦建造技術の粋を集めて建造された、世界最大、最強の戦艦で、呉海軍工廠で建造された 「大和」と同型艦である。「大和」のドック建造に対して「武蔵」は船台建造であったため進水を大いに研究した。秘密裏に建造され、船台のガントリークレー ンには棕櫚縄の簾が取り付けられ内部を遮蔽した。レイテ海戦で昭和19年(1944)10月24日に戦没。「武蔵」絵画は藤瀬韶国画伯作。69,100排 水トン、水線長256m、150,000馬力、27ノット。起工:昭和13年3月、進水:昭和15年11月、竣工:昭和17年8月。 年代:1942

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戦艦「武蔵」建造に使用した37斤(22kg)ハンマー

37斤つづみハンマーは、長崎造船所内立神鉄工場のぎょう鉄山形係の炉内で、灼熱した厚鋼鉄板の、水圧機で加工出来な い部分の加圧細工に使用された。このハンマーを用いる作業者には、腕力・腰力・脚力に優れた用力工を特に試験のうえ採用した。

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戦艦「武蔵」の進水支綱切断の斧

戦前の海軍艦艇の進水では、支綱切断は進水作業の一環として造船所長が行うのが慣例であり、「武蔵」の場合は当時の小川 長崎造船所長により行われた。昭和15年(1940)11月1日進水。 年代:1940

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護衛艦「はるかぜ」(写真)

第1444番船、護衛艦「はるかぜ」は戦後初めて建造された護衛艦である。上部構造に軽合金を採用、また高張力鋼を大幅 に採用している。基準排水量1,700トン、水線長106m、30,000馬力、30ノット。起工:昭和29年(1954)12月、進水:昭和30年9 月、竣工:昭和31年4月。 年代:1956

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護衛艦「あまつかぜ」(写真)

第1580番船、護衛艦「あまつかぜ」は、日本初の対空ミサイル装置を搭載した護衛艦である。高度な電子機器を搭載、特 に対空戦における即応性が強化されている。基準排水量3,050トン、水線長131m、60,000馬力、33ノット。起工:昭和37年(1962)11 月、進水:昭和38年10月、竣工:昭和40年2月。 年代:1965

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護衛艦「はたかぜ」(写真)

第1910番船、護衛艦「はたかぜ」は、対空ミサイル発射装置を前方に配置、後部にヘリコプターの発着甲板を備えている のが特徴である。主機関は異機種ガスタービンによるCOGAG方式が日本で初めて採用されている。基準排水量4,600トン、水線長150m、 72,000馬力、30ノット。起工:昭和58年(1983)5月、進水:昭和59年11月、竣工:昭和61年3月。 年代:1986

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護衛艦「こんごう」(写真)

第2030番船、護衛艦「こんごう」はイージス武器システムを搭載した日本初の護衛艦である。また、乗員の居住性、長期 滞洋性についても向上対策が織り込まれる等あらゆる面で新機軸が採用され飛躍的に性能向上が図られている。基準排水量7,250トン、水線長161m、 100,000馬力、30ノット。起工:平成2年(1990)5月、進水:平成3年9月、竣工:平成5年3月。 年代:1993

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構内徽章と構内腕章

所属、職務により記章の形、色が異なった。

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永年勤続(工員)記章

勤続10年~25年の永年勤続記章は昭和初期まで贈られていた。勤続10年(黄)、15年(緑)、20年(青)、25年 (赤)。

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三菱病院(昭和31年撮影)(写真)

三菱病院は明治30年(1897)に開設され、大正7年(1918)に当時西日本随一といわれた煉瓦造りの病院が完成 し、医事関係者の参観が相次いだ。同じ場所に、昭和50年(1975)にコンクリート造りの病院に建て直された。 年代:1918

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三菱会館(写真)

福祉施設の一環として昭和13年(1938)5月、長崎市出島町に2000名収容の三菱会館が完成、当時、西日本では数 少ない規模の大きい豪華な劇場で、演劇、映画、演奏会、講演会などが催された。 年代:1938

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三菱工業予備学校教室風景(写真)

三菱工業予備学校は、明治32年(1899)設立された長崎造船所内の学校である。入学希望者が多く、入学試験を実施し た。 年代:1909

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立神30万トンドック(竣工当時の写真)

昭和40年(1965)、立神地区に30万トンドックが2基完成。 左側は新造船用の第1ドック(長さ375m、幅 56m、深さ14m)、右側は修繕船用の第2ドック(長さ350m、幅56m、深さ14m)、現在稼動中。 年代:1965

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東京電力袖ヶ浦発電所向け2号機(1,000MW)用超 臨界圧ボイラ(写真)

世界最大のLNG専焼ボイラ、3,100T/H。昭和50年(1975)竣工。 年代:1975

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九州電力八丁原発電所(写真)

八丁原発電所のタービンは、世界初のダブルフラッシュサイクル方式地熱発電用タービン、55MW。昭和52年 (1977)竣工。 年代:1977

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三菱方城炭坑向けネスドラム式ボイラ(写真)

明治42年(1909)ネスドラム社との契約後、最初に製造したボイラ。明治44年完成。 年代:1911

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北陸電力七尾大田火力発電所向け1号機(500MW)用 蒸気タービン(写真)

蒸気条件として246kg/cm2g×566℃×593℃を採用した高効率プラ ント。平成7年(1995)運転開始。 年代:1995

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貨物船「ドーニャ・アリシア」(写真)

第1410番船「ドーニャ・アリシア」はナショナル・ディベロップメント社向け貨物船で、戦後の長崎造船所輸出第1 船。船内装飾は戦前の豪華貨客船「新田丸」と同じグレード。長崎造船所開発のMS型ディーゼル機関(5,250馬力x2台)搭載。9,476重量トン、水 線長142m、10,500馬力、19.1ノット。起工:昭和24年(1949)4月、進水:昭和25年1月、竣工昭和25年10月。 年代:1950

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タンカー「スタンバック・ジャパン」(写真)

第1431番船「スタンバック・ジャパン」はスタンダード・バキューム社向けオイルタンカーで、戦後、長崎造船所の技 術の優秀さを世界に示した画期的な大型タンカー。これ以降、輸出向けタンカーの建造が本格化していった。26,503重量トン、水線長183m、 13,750馬力、17.3ノット。起工:昭和26年(1951)12月、進水:昭和27年9月、竣工:昭和28年3月。 年代:1953

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LNG船「播州丸」(写真)

第1870番船「播州丸」は、日本郵船、川崎汽船、大阪商船三井船舶向けの長崎造船所初のLNG船。モス方式アルミ球形 タンク5個を装備、LNG(-163℃の液化天然ガス)を輸送する。積載容量12,500立方メートル、水線長269m、40,000馬力、20.8ノッ ト。起工:昭和56年(1981)6月、進水:昭和56年12月、竣工:昭和58年10月。 年代:1983

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上五島石油備蓄タンク(写真)

第2001~2005番船の石油備蓄バージ「上五島1号~5号」の5隻は上五島石油備蓄向け原油貯蔵タンクで、タンク1 基の要目は、長さ390m、幅97m、深さ27.6m、容量88万キロリットル。開発から製作まで約10年間をかけたこの貯蔵タンク5基は、最大440万 klの原油を備蓄できる。5タンク合計の大きさは東京ドームの内部容積の約4倍である。753,000重量トン/隻、非自航。竣工:昭和63年 (1988)4月 年代:1988

情報所有館 : 三菱重工長崎造船所史料館 


貨客船「あるぜんちな丸」(写真)

第734番船「あるぜんちな丸」は大阪商船向けの豪華貨客船で、南米航路に就役した。姉妹船「ぶらじる丸」と共に当時の 日本の最高水準をいく優秀船で、ノーキャンバーを採用し、室内装飾も高度に日本調を採り入れた。長崎造船所開発のディーゼル機関11MS72/125型2 台を搭載し、22ノットに近い高速で、神戸-ブラジル・サントス間のそれまでの所要日数46日を36日に短縮した。太平洋戦争中に特設空母「海鷹」に改装 された。12,755総トン、水線長155m、16,500馬力、21.5ノット。起工:昭和13年(1938)2月、進水:昭和13年12月、竣工:昭 和14年5月。 年代:1939

情報所有館 : 三菱重工長崎造船所史料館 


客船「クリスタル・ハーモニー」(写真)

第2100番船「クリスタル・ハーモニー」は、竣工当時、世界で十指に入る、日本初の本格的な大型豪華客船で、長崎造 船所で50年振りに建造した客船。航路は、夏はアラスカ、冬は南太平洋~豪州など世界中を航海する。客室の殆どは海に面し、半数近い客室がベランダ付きと ハイグレードである。また電気推進方式を採用し、振動・騒音が少なく、快適な船旅が楽しめる。平成18年、日本市場向けに改装されて「飛鳥II」として再 デビューした。竣工時は48,621総トン、水線長205m、32,600馬力、22ノット。起工:平成元年(1989)4月、進水:平成元年9月、竣 工:平成2年6月。 年代:1990

情報所有館 : 三菱重工長崎造船所史料館 


普通旋盤

大正8年名古屋陸軍工廠より米国PRATT & WHITNEY社製旋盤の図面を支給され製造されたもので、送りをク イックチェンジギヤにより6変速でき自動停止装置がついている。大隈鉄工所製、ベッド上の振り403mm、センタ間距離810mm 年代:1928

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


切落とし旋盤

大正12(1923)年から製造が開始されたもので、昭和5年(1930)年に8年間の製造を終え、次のOG形へと変化 している。後にLS形へと変わっていくが、このLS形は現代まで製造されている旋盤である。大隈鉄工所製、ベッド上の振り432mm、センタ間距離 1230mm 年代:1929

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


普通旋盤

昭和10(1935)年~31(1956)年まで生産、戦中の生産台数は不明戦後は166台生産販売された。ドイツの シュレージンガー(Schlesinger)博士の研究を基礎として完成したVDF旋盤をモデルにしている。機械をユニット化して、軍の多様な要請に応 え、標準旋盤、単能旋盤、正面旋盤、ターレット旋盤、特殊旋盤の量産を可能にした。当時としては、精度、能率(重切削)、耐久性のいずれにおいても、革命 的な技術を採り入れていた。戦後の近代工作機械の基礎となった。池貝鉄工所製、ベッド上の振り460mm、センタ間距離1000mm 年代:1937

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


普通旋盤

歯車によって駆動せず独立軸受で支えられた調車によって直接に回転したこと、主軸上のフェース・ギヤ(減速用)も、その 軸受は主軸に支えられず、駆動フェーズ・ギヤ直接に行わず、歯車の悪影響を完全に防止した。池貝鉄工所製、ベッド上の振り350mm、センタ間距離 700mm 年代:1919

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


普通旋盤

世界を代表する旋盤であった米国LODGE & SHIPLEY社の旋盤をモデルにしており、駆動装置の一部をユニット として主軸台に組み込み、主軸を含めわずか3本の軸構成で12種、32-970rpmの広範囲な速度が得られる主軸台となっていた。東洋機械製、ベッド上 の振り470mm、センタ間距離760mm 年代:1940

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


車輪旋盤

鉄道車両の車輪の踏面やフランジ部を加工する機械。削正される形状にあわせた総形バイトを、左右2台の刃物台にそれぞれ 装着して作業を行い、動力は、動力源からベルトを介して伝達され、歯車の掛け替えにより2通りの面板の回転数を得ている。CRAVEN BROTHERS 製、面盤の直径1115mm、両面盤間の距離3510mm 年代:1905

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


二番取り旋盤

独国ライネッカー者製品をモデルとして設計されたもので、昭和12年に製造され、昭和15年までの4年間製造された。大 隈鉄工所製、ベッド上の振り480mm、センタ間距離800mm 年代:1937

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 


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