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沖縄の蒸留酒「泡盛」を入れる容器で、ナナゴウタワカサー(七合二升徳利)ともウニヌテイ(鬼の腕)とも呼ばれる。東京 (汐留)、金沢(安江町)、長崎(万才町)などで出土例があり、江戸時代から一部の富裕層に泡盛が流通していたか、あるいは琉球王国から将軍家への献上と ともに本土にもたらされた可能性がある。また、この種の瓶は、茶道では花生として取り入れられている。 :琉球・壺屋窯 / 19世紀
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沖縄八重山地方の新城島はパナリ島と呼ばれ、この地で19世紀まで製作された土器をパナリ焼と呼んでいる。粒状の土が固 まったかのような独特の質感と素朴な味わいがあり、本作のような丸形の器は代表的なものである。底部には小さな穴があけられており、骨壺として転用されて いた可能性がある。 :琉球・八重山諸島 / 17世紀~18世紀
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1710年、ヨーロッパで初めて東洋の磁器と同質の硬質磁器を焼成することに成功し開窯したマイセン窯では、中国・日本 の磁器の模倣をさかんに行なった。とりわけ上質で優美な柿右衛門様式の製品はヨーロッパ市場で好まれたせいか、マイセンに端を発し、その後新しく開窯した 磁器窯でも模倣された。この作品は柿右衛門様式の色絵葡萄栗鼠文の製品を模倣したもの。 :ドイツ・マイセン窯 / 18世紀~19世紀・18世紀初期
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糸切(いときり)細工(ざいく)成形による変形皿の場合、普通は高台内に圏線を引くことはないが、1640年代頃の初期 の作品に限って1本の染付線を引いたものがある。見込文様のうち、雲の赤地に点々を打った表現は初期色絵にだけみられる。(柴田夫妻コレクション 7-60) :肥前・有田 / 1640~50年代
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濁手(にごしで)とよばれる乳白色のやわらかな釉調であり、精巧な成形による素地(きじ)である。文様は余白を充分とり で赤、青、緑などの明るい絵の具により、外面には梅(うめ)に鶯(うぐいす)、竹、内面には雁(かり)、蓼(たで)を繊細に描く。いわゆる柿右衛門様式の 鉢であるが、胴部をくびれさせた珍しい器形である。この形に類似した土型が、酒井田家に伝世している。(柴田夫妻コレクション7-442) :肥前・有田 / 1670~90年代
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新しい成形法として1640~50年代に始まる糸切(いときり)細工(ざいく)の初期の作例。高台を平面長方形に貼り付 けるが、さらに仕切のように1本の桁(けた)を作る。この底部の作りは、この時期に限ってみられる。内面は画面を二分し、上半に天地を無視して主文を描 き、下半に幾何学(きかがく)地文中心の文様を表すのは、中国・祥瑞(しょんずい)の影響による。(柴田夫妻コレクション7-44) :肥前・有田 / 1640~50年代
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見込には山々に囲まれた湖で、船上から投網をする唐人(中国人)と船の櫓を漕ぐ唐人の図を描く。四隅には白抜きの文字で 「引網者」「不得魚」「思有意」「暗浮□」と記す。(柴田夫妻コレクション8-455) :肥前・有田 / 1800~40年代
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素朴(そぼく)なデザインの唐草(からくさ)を呉須(ごす)で外面に描き、その部分に瑠璃(るり)釉(ゆう)という藍色 の釉薬を掛けている。内面には透明釉を施すが、高台は露胎(ろたい)である。有田磁器草創期の製品でありながら5客揃って伝世した貴重な作品である。同品 の陶片が有田町西部の天神森(てんじんもり)窯跡から出土している。(柴田夫妻コレクション7-1) :肥前・有田 / 1610~30年代
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高台を高く削り出し、口縁部下を指押しによりくぼませた白磁素地(きじ)は有田町山(やん)辺田(べた)窯の製品であ る。手跡も残る汚い素地の見込を濃い絵の具で塗りつぶして文様を表す。青手(あおで)様式盛行期の前半に白地を多く残した青手が作られた。(柴田夫妻コレ クション7-70) :肥前・有田 / 1640~50年代
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氷が割れたときのヒビが模様になった「氷裂文(ひょうれつもん)」は、青磁の釉表にあらわれるヒビ=貫入(かんにゅう) に似ている。中国清朝時代に流行し、その影響で有田でも描かれた。(柴田夫妻コレクション8-495) :肥前・有田 / 1820~60年代
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このような円筒形の器はオランダの需要によって生産されたものと考えられている。用途は薬入れであり、このような器形は アルバレロとも呼ばれる。15世紀以降ヨーロッパの窯でさかんに作られるようになったが、もともとの器形のオリジナリティーは中近東にある。海外輸出時代 をむかえて、外国の需要に適応した早い時期の製品例である。(柴田夫妻コレクション7-139) :肥前・有田 / 1640~60年代
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合子(ごうす)は17世紀、特に後半に多く作られた。この時期の合子(ごうす)はインドネシアを中心として東南アジアに 沢山輸出された。インドネシアなどでは古くからキンマの葉にビンロウの実と石灰(せっかい)を包んでかむ習慣があり、この石灰入れに合子を用いたという。 そのためか、1684年以降、肥前磁器の東南アジア輸出が頭打ちになると、肥前での合子生産は消える。(柴田夫妻コレクション7-327) :肥前・有田 / 1660~70年代
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赤、緑、金、黄、青などで琴を弾く人物や花唐草文が描かれる。これらの上絵具は、18世紀末頃に中国清朝磁器の影響を受 けて用いられるようになった新しい絵具であり、この時代の中国磁器の影響を示す作品といえる。(柴田夫妻コレクション8-314) :肥前・有田 / 1790~1830年代
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陶板を寄せ合わせて角皿を作り、海老を意匠した把手をさし渡している。見込には牡丹花や草の間を群れ遊ぶ4羽の鷺を白抜 きであらわす。背景は濃(だ)み筆の塗り跡を残しながら、青く塗りこめる。(柴田夫妻コレクション8-427) :肥前・有田 / 1800~40年代
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「柴の庵」の銘をもつ水指の名品である。鉄分の多い黒褐色を呈する土を用い叩き成形で作られている。全体に薄くかかる木 灰釉が熔けきっていないのかマット状の質感をもち、そのせいか光沢がおさえられ、渋みと存在感のある製品となっている。底部は逆L字の凸部分があり、これ は、敷板に刻まれた彫り文様が底部に写し出されたものである。伊万里市甕屋の谷窯の製品と考えられ、ほかに同類の水指「福の神」(唐津市重要文化財)が存 在することが知られる。 :肥前 松浦系 / 1590~1610年代
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本作には「明和二酉(1765)肥州八代喜楽九十四歳製」の銘が象嵌であらわされており、製作年代と製作者が判明する稀 有の資料である。喜楽とは、八代系の平山窯で活躍した三代渡辺太郎介の号であり、白土象嵌の技法を完成させた人物とされる。 :肥後・八代窯 平山窯 喜楽 / 明和二年(1765)
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水指の形自体が竹をあらわし、さらに文様で竹梅と虎をあらわす。竹と梅が呉須で描かれ、その発色は淡くにじみ、まるで水 墨画のようである。虎は貼り付け陽刻で表現され、竹林から踊り出るような勢いを感じさせる。高台の作りなどそれまでの唐津焼とは異なり、京焼を意識して作 られた、いわゆる京焼風陶器と呼ばれる肥前産の製品である。 :肥前 唐津系 / 1660~90年代
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口縁は平縁で、そこに唐草文をめぐらしている。器の見込はやや深めであり、見込にすっきりと松の木および梅文が描かれて いる。その右に「香□洗□并参佰参拾壹瓶壹□ 單宗」の字句が記されている。有田の天神森窯で同様の字句が入った陶片が出土しており、この製品も同じ窯の 作と考えられている。 :肥前・有田 天神森7号窯 / 1610~40年代
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肥前の色絵は1640年代に始まったが、1650年代には上質で色数の多い五彩手の製品が作られるようになる。本作はご く白い上手の素地に、赤、黄、緑、青などの色絵具で葡萄栗鼠の文様を描いている。それぞれの色の発色は初期の色絵らしくそれぞれ濃厚でやや暗い。同様の瓢 形瓶は白磁や仁清手の色絵をほどこした例が知られるが、本作は形と文様の配置も巧みな優品である。 :肥前・有田 / 1650年代
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口縁部を18弁の波縁形に作った大皿。見込には松下の崖に座して釣をする唐人が赤、黄、緑の色絵で描かれている。周囲の 四方には木瓜形の窓を設け、松、梅、椿などの花文が色絵で描かれている。またそれらの間には、色絵で三つ葉の花を描いた丸文を配している。背景の地文は染 付で青海波、七宝繋ぎ、毘沙門亀甲、そして四方襷で埋め、周囲は白抜きの唐草文を廻らす。外面の中ほどには四方襷の帯が描かれ、染付と色絵で彩られてい る。高台内に染付銘「福」。初期色絵の大作である。(柴田夫妻コレクション7-68) :肥前・有田 / 1640~50年代
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この青磁の貝形皿が収納されていた箱には「青磁□□皿 廿」と側面に記され、底面には「享保四年 亥極月三日 茶屋 □□」とあります。そこから、この製品が享保四年(1719年)頃に製作され、使われていたことがわかります。このように、年号の記された箱をともなって 伝わっている貴重な資料もあります。(柴田夫妻コレクション8-177) :肥前・有田 / 1700~20年代
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一風変わった口作りをした大皿。口縁部の三方を稜花形に作り、その間を弧状に切り欠いている。見込には山水楼閣をあらわ し、周囲四方に如意頭状の窓を設け、そこに簡略な花弁文を描いている。背景はびっしりと七宝繋ぎ文を描き、呉須を塗り込めている。外周は二方に蔓草を配し ている。高台内ハリ目跡1個。17世紀中頃の力強い染付作品の優品である。(柴田夫妻コレクション7-130) :肥前・有田 / 1655~60年代
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1670~90年代に技術的に完成期を迎えた有田では、画一化された意匠の絵付を省力化して表す方法が考案される。型紙 (かたがみ)摺(すり)、次いでコンニャク印判である。これは両者の方法を併用した作品。(柴田夫妻コレクション8-47) :肥前・有田 / 1680~1710年代
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腰部がふくらみ、口縁を端反りにした碗形の鉢。外面は八方に金で縁どった染付の捻り文様帯を配し、唐花唐草文そして菊花 文を交互に描いている。見込には染付で草花文を描く。高台内に染付銘「太明年製」。(柴田夫妻コレクション8-409) :肥前・有田 / 1800~60年代
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初期色絵の作品であり、見込(みこ)みには色絵で桐、周辺には唐草文様が描かれ口縁部には口銹(口紅)を施している。裏 文様は折(お)れ松葉(まつば)が染付で描かれており、高台内には二重枠内に「福」字が書かれている。隅入の型打(かたうち)成形(せいけい)で、高台は 貼付(はりつけ)高台(こうだい)である。桐は高貴な文様とされていることから、菊とともに皇室の文様とされた。また、公家や武将は下賜されることにより 家紋として使われている。(柴田夫妻コレクション7-75) :肥前・有田 / 1650年代
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このような形の手付の水注はヨーロッパ向けに輸出されたワイン注器である。オランダのデルフト窯やドイツ、イタリアの窯 などの製品に同類のワイン注器がある。把手の上方に穴があけられているが、これは金属製(銀や錫(すず)など)の蓋をとりつけるための固定用の穴である。 蓋は親指で押して開閉できる仕組みとなる。有田の長吉谷(ちょうきちだに)窯などからの出土品がある。(柴田夫妻コレクション7-314) :肥前・有田 / 1655~70年代
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糸切(いときり)細工(ざいく)によって牡丹の花にとまる蝶を型どった染付の皿である。裏文様は、折枝(おりえだ)牡丹 (ぼたん)文で、高台は高く作り、一種のハート繋(つな)ぎ文を描く。この作品も成形に優れ、絵付けも線描き、点描、濃(だ)みなどが繊細に行なわれてい る。小さいことを感じさせない優品である。(柴田夫妻コレクション7-282) :肥前・有田 / 1660~80年代
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鍋島藩窯で製作された染付のいわゆる尺皿。染付の鍋島製品の中でも優品といえよう。天に伸び行く銀杏とそこにたなびく霞 を描いている。葉は濃み塗の濃淡で表現され、その強弱は見込の中でリズムを生み出している。枝や幹と葉が複雑に重なりあう様子が表現されているが、煩雑で はなく巧みに曲線で皿の丸い円の中で調和している。 :肥前・鍋島藩窯 / 1700~30年代
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染付線を用いず色絵のみで山水の文様を描いている。こうした明るい色絵の色調はこの時代の特徴でもある。本来蓋付であっ たものであるが、蓋は失われている。このような蓋付壺はヨーロッパ市場で受け入れられ、王侯貴族によって複数個で宮殿を飾るための調度品として求められ た。 :肥前・有田 / 1660~70年代
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初期色絵の作品であり、見込みには柘榴と雲が描かれ、周辺には色絵で如意頭を廻らしている。また、捻輪花の型打成形で、 口縁部には口銹を施している。高台内には色絵で二重枠内に「福」字が書かれている。柘榴の実は吉祥果(縁起のよいもの)とされ、魔除けや子孫繁栄の象徴と して数多く描かれている。柘榴の起源はイラン周辺で、日本へは中国を経て平安時代以前には伝来していたと考えられている。薬用としても昔から広く栽培さ れ、江戸中期には一般にも広く普及していたようである。(柴田夫妻コレクション7-83) :肥前・有田 / 1650~60年代
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オランダ東インド会社の注文により、中国で生産されたものです。中央には紋章、周囲には「CONCORDIA・RES・ RARVAE・CRESCUNT・1728」と入っています。ラテン語で「一つにまとまって小さなものを大きくしよう」という意で、会社のモットーのよう なもの。中央のライオンが持っているのは、本来7本の矢で、オランダの7つの地方を象徴したもので、その下には社章であるVOCが記されています。この文 様は同社が東洋貿易用に1728年に鋳造した銀貨からきたものです。(柴田夫妻コレクション8-178) :中国 / 1728年
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緑・黄・紫の濃い三色の絵の具で、見込いっぱいに牡丹及びそこにとまる二羽の鳥を描いている。文様帯で区切られた口縁付 近にも牡丹が描かれるが、背景は白く、塗り残されている。裏面は、雲気(うんき)文をいっぱいに描き、高台内とともに緑で塗り埋める。高台内に「太明(た いみん)」銘を書く。いわゆる青手(あおで)と呼ばれる有田の初期色絵の中でも1650年代の中期型式で、豪快な作品である。(柴田夫妻コレクション 7-71) :肥前・有田 / 1650年代頃
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染付の型紙(かたがみ)摺(すり)は1670年代頃に始まり、1730年代頃までの間、流行した。本例のようにその後も いくらか行われたが、違いは黒ずんだ青色顔料(呉須)で地を塗りつぶしている点である。(柴田夫妻コレクション8-61) :肥前・有田 / 1740~70年代
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江戸後期の鍋島の製品であり、水上に建てられた楼閣と遠景の山々が情感ある風情をかもしだしている。呉須の発色、文様と もに派手さは控えめで上品である。この文様の隅入りの角皿は、安永三年(1774)に「将軍お好みの品」12通りの中に記載された「山水絵中角皿」に該当 するものと推定される。この将軍お好みの品12種類のうちから例年2、3品が鍋島藩からの献上品に含められ、幕末まで繰り返し製作されることとなった。本 製品は鍋島藩の重臣であった中野家に伝わったとされる。(西 幾多氏寄贈) :肥前・鍋島藩窯 / 1810~40年代
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江戸後期の鍋島の尺皿。複雑に枝を伸ばした梅樹のみが描かれ、静謐感のただよう余韻ある構図となっている。蕾が枝先に描 かれ、わずかに開花した梅も表現されている。この白梅を描いた大皿は、安永三年(1774)に「将軍お好みの品」12通りの中に記載された「梅絵大肴鉢」 に該当するものと推定される。この将軍お好みの品12種類のうちから例年2、3品が鍋島藩からの献上品に含められ、幕末まで繰り返し製作されることとなっ た。本製品は鍋島藩の重臣であった中野家に伝わったとされる。(西 幾多氏寄贈) :肥前・鍋島藩窯 / 1790~1840年代
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江戸後期の鍋島の製品例。2匹の金魚と水藻があしらわれた意匠で、皿の形は楕円で左右の端が立ち上がる形態をなしてい る。余白を活かし、あっさりとした印象の製品であるが線描きも濃み塗りも丁寧な作行である。この金魚文の楕円の皿は、安永三年(1774)に「将軍お好み の品」12通りの中に記載された「金魚絵船形皿」に該当するものと推定される。この将軍お好みの品12種類のうちから例年2、3品が鍋島藩からの献上品に 含められ、幕末まで繰り返し製作されることとなった。(西 幾多氏寄贈) :肥前・鍋島藩窯 / 1790~1820年代
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見込には5匹の金魚、側面には沢瀉(おもだか)を描く。盃洗は、宴席などで盃を回す際に、盃を洗うために水をたくわえて おく器で江戸後期にはさかんに製作されるようになる。水をたくわえるという用途から、水にまつわる意匠がとりいれられたのであろう。製作地は鍋島藩窯が あった大川内山の可能性が高い。(西 幾多氏寄贈) :肥前 / 1850~90年代
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裏に元禄年間の紀年銘をともない、「柿」と入れる一群の作例があることが知られ、これらは「元禄柿(げんろくかき)」と 通称されている。元禄柿の製品は総じて上質で、染付の青を伴い、濃厚な赤絵具が使用されているものが多い。この作例は「元禄八乙亥 柿」と高台内に記され ていることから、元禄八年(1695年)に製作された柿右衛門一統の製品であると考えられる。精巧なつくりは、当時技術的に優れた陶工によって作られたこ とをしのばせる。(工藤吉郎氏寄贈) :肥前・有田 / 元禄八年(1695)
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初期伊万里の水指の中でも優品である。胴部を三段に締めた形態をなし、上段に花唐草文を二方にほどこし、中段に山水文、 下段に松と梅が描く。筆致はのびやかで、呉須の発色も良い。口縁を外反させ口唇部は内側に広がりそのまま蓋受け部を作る。蓋受け部に釉薬がかかり、共蓋で はなかったことがわかる。(佐賀県重要文化財) :肥前・有田 / 1610~30年代
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1640年代に中国の技術を導入して色絵焼成が始まった。5色くらいの色絵具を使った五彩手に対して、これは赤・緑・黄 の明るい3色の絵具で絵付をした祥瑞手の色絵。(柴田夫妻コレクション8-5) :肥前・有田 / 1640年代
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1650年代の技術革新を経て、次第に素地は薄くシャープになっていく。特に1670年代頃には完成された素地に、細く 繊細な線書きで表した精緻な表現の染付が作られた。これは瓢箪を連ね優れた意匠の作品。(柴田夫妻コレクション8-23) :肥前・有田 / 1660~70年代
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1610年代頃に始まる有田磁器草創期の珍しい壺。焼く時、底部に下の製品との間に砂状の小さな団子(砂目)をはさんだ 跡が残る。これは朝鮮の技術であり、草創期にだけみられる。(柴田夫妻コレクション8-1) :肥前・有田 / 1610~30年代
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輪花型の大皿に、牡丹の花をくわえた獅子を躍動感あふれた構図で細密に描いている。周縁にはボカシ濃(だ)みと呼ばれる 濃淡をつけた絵付け技法が使われている。確かな技術に裏づけられた優品である。(柴田夫妻コレクション8-24) :肥前・有田 / 1660~70年代
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有田の南川原山では1670年代頃になると精緻な成形に加えて釉に青みのない濁手(にごしで)と呼ばれる白磁素地ができ るようになる。それに明るく繊細な色絵を施したものが典型的な柿右衛門様式である。1670~90年代に国内外で高い評価を得た。(柴田夫妻コレクション 8-37) :肥前・有田 / 1690~1720年代
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蓋と身の六方に、赤地に茄子文様を白く抜いてあらわした蓋物。蓋の中央に金彩された小さな摘(つま)みがつく。茄子の蔕 (へた)の部分には紫と緑の上絵具を塗る。高台は蓮弁文様帯をめぐらす。(柴田夫妻コレクション8-417) :肥前・有田 / 1780~1840年代
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磁器製の三段重箱。正面の窓絵内に撫子(なでしこ)を描き、背後に白抜きで満月を表現している。撫子と月で、秋を表現し た日本的な作品である。このような段重は18世紀末~19世紀前半に多くなるもので、早い作品例としても貴重である。(柴田夫妻コレクション8-173) :肥前・有田 / 1700~50年代
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氷が割れたときのヒビが模様になった「氷裂文(ひょうれつもん)」は、青磁の釉表にあらわれるヒビ=貫入(かんにゅう) に似ている。中国清朝時代に流行し、その影響で有田でも描かれた。(柴田夫妻コレクション8-494) :肥前・有田 / 1780~1840年代
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器の形を十六弁の菊の形につくり、中に陽刻の菊花をあしらい、大輪の菊の中に小菊が散らされたような意匠で全体を構成し ています。この皿はヨーロッパにも輸出され、イギリスのウースター窯の模倣製品があります。模倣製品のほうにも、裏面と同じ銘が記されていますが、文字が 判読できなかったせいか、間違った文字が記されています。(柴田夫妻コレクション8-109) :肥前・有田 / 1700~30年代
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18世紀後半から19世紀にかけて作られた異国趣味の器。阿蘭陀人の描かれた皿や碗などは多いが、珍しく30センチをこ す大鉢には、地球の海を半周してきた帆船の勇姿が描かれている。外側には、外国船をながめるように帆掛舟が波間に漂う。(柴田夫妻コレクション 8-501) :肥前・有田 / 1820~60年代
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