「」 に対する検索結果 : 26836件

中国・景徳鎮窯は明清の王朝交替に伴う内乱で、一時期生産も海外輸出も停滞したが、統一を果たすと1684年に展海令を 公布して輸出を再開する。この染付大皿はこの時期に作られたとみられ、幅の広い折縁をもつ。内面いっぱいに枝を広げた梅樹、そして岩に竹や霊芝(きのこの 一種)を描き込む。外側面は無文であるが高台内には二重圏線を染付する。 :中国・景徳鎮窯 / 17世紀後半~18世紀初
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

いわゆる古染付であり、わが国の茶人が好んで注文したものと考えられている。比較的厚手に作られ、底面には三足がつけら れている。半開きの扇面形に成形され、扇面部分には松竹梅文を配し、扇の要や骨も染付で表す。美濃焼の織部と器形・装飾などに共通点があり、関わりの深さ が指摘されている。また肥前の初期伊万里様式への影響も強い。 :中国・景徳鎮窯 / 1620~30年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

内外面で釉薬をかけ分けた筒型の茶碗である。口縁部は鉄釉を施し、内面は見込まで白濁した釉薬を施している。外面は体部 下位と高台外側面に白濁した釉薬を施す。胴部は、赤褐色の露胎の上に、意図的に白濁した釉薬と茶褐色の釉薬を交互に振りかけている。高台内は部分的に白濁 した釉薬がみられるが、露胎となっており、篦削りの痕が残っている。斬新な意匠を持つ茶碗である。 :肥前 / 1600~30年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

上野焼・釜ノ口窯は、慶長7年(1602)以降に朝鮮陶工尊楷(そんかい)が開窯し、千利休に茶の湯を学んだ藩主細川忠 興のもとで味わい深い質朴な陶器を焼いた。寛永9年(1632)、藩主の国替にともない肥後へ移窯するまで続いた。全体に薄くかけられた透明な灰釉は、淡 灰色あるいは枇杷色に発色し、胴の上下に2条ずつめぐらした鉄絵の圏線で簡素な筒形の茶碗を引き締めている。高台畳付は釉をぬぐい、高台脇に指痕らしい無 釉の部分が残る。 :豊前・上野窯 釜ノ口窯 / 1600~30年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

矢筈口(やはずぐち)に口部を作り、ひねりをきかせた双耳付の水指に、藁灰釉の白い流れが大胆な景色となっている。上部 を分厚くし4条の横筋をめぐらせ、胴の部分は篦で粗く縦筋を刻み桶形としたか、あるいは正面に短い刻みをつけ曲物の綴目としたものか、陶器で木器を写すと いう茶陶らしい遊び心が感じられる。底部は無釉、浅く削った高台の内には細かな轆轤痕が残る。内ヶ磯窯の製品と思われる。 :筑前・高取窯 / 1610~20年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

全面を覆う細かな花文様が見事である。朝鮮半島の陶磁器は、とりわけ戦国時代の茶人に珍重され、その枯れた美しさがわび 茶にとりいれられた。朝鮮半島の陶磁器は肥前の陶磁器の技術的な源流であり、そこには肥前の陶磁器にみられる焼成技法、装飾技法の多くが見られる。この象 嵌の技法も肥前陶器(唐津)に多く用いられた。(溝上元良・正子夫妻寄贈) :韓国 / 朝鮮王朝時代 15世紀
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

口縁部を鍔縁に成形し、端部は短く立ち上がり、上面には薄く緑釉が施されている。内面は、中心部および三方に鉄絵具で花 付き三つ葵の外形を描き、緑釉を施している。また、三方に型紙を利用し藤と牡丹とみられる花文を、盛り上がった白化粧土で表している。唐津焼では17世紀 前半に行われた例は少ない。高台畳付を除き、全面に透明の釉薬が施される。高台は2ヶ所で切られ、高台周辺に手跡が残っている。 :肥前 / 1610~40年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

全面に緻密な筆致で染付文様が描かれている。また造形も凝っており全体が釣鐘形になっている。底は別に作り釉で熔着さ れ、無釉の底面中央にハリ支え跡が一つある。蓋のつまみには両側に獣面があり、また蓋上部に鳳凰と雲龍が描かれている。胴部は六つの文様帯に分かれ、唐 草・桜花と雲龍・雲龍・松竹梅・蓮弁・唐草の各文様がめぐる。造形、絵付ともに江戸期の技術力の頂点を示している。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

古九谷様式中期から後期の特徴を有する。平らにカットした口唇部に口銹を施し、裏文様に密な唐草文を描く。高台内の福字 銘は中・後期のもの。口縁部を折り曲げ黄色で塗りつぶした例は出光美術館蔵品などがあり、青手のなかでも少し異なるグループを形成する。内側面の木目文は 雲気文かもしれないが、1640年代前後の青磁皿にも多く用いられたものであり、1670年代以降はみられなくなる。 :肥前・有田 / 1650~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

青手古九谷と呼ばれてきたものであるが、青手は2種類に大別でき、本例は高台径の口径に占める割合が小さいこと、口唇部 に口銹を塗らず白地のままにしていることなどが特徴であり、古い方のタイプに属する。古九谷様式中期に位置づけられる。外側面の地文様は唐草文かもしれな いが細かい連続文を表している。高台内が白地の状態であること、底裏の福字銘も中期の特徴を示すものである。 :肥前・有田 / 1650年代頃
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

青手古九谷様式に属し、裏文様なども色絵牡丹文大皿(所蔵番号3263)と同類である。口唇部と高台内に素地の白地を残 す点も青手としては古いタイプにみられる特徴であり、古九谷様式の中期に分類できる。崖の梢に憩う2羽の鳥と、強いうねりを表した波を黄・緑・青・黒線で 描く。高台内には色絵古九谷様式にだけみられる複雑な角銘を黒線と緑絵具で表す。 :肥前・有田 / 1650年代頃
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

底部から口縁部まですっきりと筒形に作った茶碗には、轆轤目が残され、藁灰釉の不透明な白の下から茶褐色の線条文が見え 隠れし、釉全体に細かい貫入が入る。てらいのない率直な作行に、茶碗としての品格がひかる。底部は無釉で、高台際の鋭い削りに対して、高台内は浅く削る。 のちの所蔵者「信榮」は、箱書のなかで大名物の高麗茶碗「挽木鞘(ひきのさや)」の筒形の影響があるとみているが、いかがなものであろうか。 :豊前・上野窯 釜ノ口窯 / 1600~30年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

瓢形の瓶は有田では珍しくないが、形状は時代によって異なるものがある。この瓶のように下半分が豊かにふくらんだ瓢形瓶 は初期に多い。百間窯(佐賀県山内町)出土品に似通っている。底部の中央を浅く削り込み、無釉の畳付は幅を広くとっている。1640年代頃の特徴をもつ素 地に赤と緑の絵具で網目文と折枝花文を表す。有田の色絵が初期伊万里の後期に誕生したことを示唆する作品としても貴重。 :肥前・有田 / 1640年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

いわゆる仁清手の色絵。仁清手とは17世紀後半に陶器の世界で一世を風靡した京焼の名工仁清の影響を受けたとみられる色 絵磁器である。黒の輪郭線を引かずに萌黄のような明るい緑や青などで賦彩するのが特徴であり、それに金・銀・赤などを加えて上品で繊細な装飾に仕上げたも の。有田で金銀焼付けが行われた1650年代後半から70年代にかけて、この仁清手の色絵も作られた。口縁部は竹をかたどっている。 :肥前・有田 / 1655~70年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

元禄元年(1688)頃に川原一族が開窯した姶良郡の龍門司窯は、「黒もの(民陶)」が生産の主流で、現在も続いてい る。褐色の精選された胎土で作られた瓢形の大振りな徳利には、黒釉に青味を帯びた灰釉を掛けている。房飾りをつけて伝世した。高台内に「芳光」の刻印があ り、万延年間(1860~61)頃の陶工、川原芳光、一説には川原源助の作と伝えられる。 :薩摩・龍門司窯 川原芳光作 / 19世紀後半
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

成形や焼成が技術的に進歩したこの時期の製品らしく、器は薄く軽い。平らにカットした口唇部に口銹を施し、青手タイプの 後期の特徴を有している。勢いのある波文を黄色であらわし、その前に立つ樹木を描いたシンプルな構図。周辺部の文様は木目をあらわした文様とされ、緑色は 暗めの発色にあがり、濃密な印象を与える。 :肥前・有田 / 1650~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

口径40センチを超える堂々とした大皿。口縁には口銹がほどこされている。黄色の背景は雲気文で埋められ、山や木々は緑 や青で表現される。色絵の発色は濃厚で、黄色と緑のコントラストが美しい。このような色彩感は金碧障壁画からの影響であるともいわれている。 :肥前・有田 / 1650~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

見込みに蛇籠(じゃかご)と水葵(みずあおい)、流水が描かれており、いずれも水と水辺に関係した文様が描かれている。 蛇籠は護岸や水制などに用いられる道具であり、それに守られるように水葵が描かれている。この水葵も以前は水辺や水田で見られたが、現在では絶滅危惧種と なっておりほとんど見られなくなっている。(柴田夫妻コレクション7-168) :肥前・有田 / 1650~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

このような西洋の風景が描かれたものは、輸出用の特別注文品である。また、このような風景画は、オランダの風景画家であ るフレデリック・ファン・フライトム(1632-1701)によって手本が描かれたと考えられていることから、「フライトムスタイル」と通称されている。 同様の作品は、中国やオランダの窯でも作られている。(柴田夫妻コレクション7-545) :肥前・有田 / 1650年代頃
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

見込には欄干のついた道をゆく大人と子供の唐人が描かれている。その道には太湖石、草花、松樹が据えられている。周囲に は6枚の色紙が散りばめられていて、太湖石に松竹梅の図や四方(よも)襷(だすき)文などが描かれている。背景にはこの時代特有の牡丹唐草文が描かれ、口 縁部には花唐草文様帯が廻らされている。外面の八方に小花をもつ独特の唐草文が描かれている。十六方に小花文が配置されている。高台内染付銘「福」。高台 内ハリ目跡11個。白磁胎には細かい貫入(かんにゅう)が発達している。(柴田夫妻コレクション7-301) :肥前・有田 / 1660~70年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

内側面に陽刻の瓢箪形(ひさごがた)の窓を均等に5個配置し、それぞれに鳳凰(ほうおう)を描いている。これらの間も羽 を広げた鳳凰と唐草文により埋められているが、中央の見込(みこ)みは白抜きである。 ロクロ型打ち成形により精巧に作られた染付皿で、口縁部は口銹(く ちさび)が施されている。成形、意匠、絵付など、いずれも高度で優れた技術によって作られた、17世紀後半の有田磁器の到達点の一つを示す名品であ る。(柴田夫妻コレクション7-310) :肥前・有田 / 1660~80年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

富士山の絵が描かれた扇を六面配置し、扇の間を波の文様(青海波(せいがいは)文)で埋めています。また、口縁部にも波 頭文が一周しています。中央には風景の文様が描かれていますが、うねる波と遠景に四隻の帆かけ舟が描かれていることから、浜辺の情景であると思われま す。(柴田夫妻コレクション8-126) :肥前・有田 / 1690~1710年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

首が比較的長く、肩をはらず胴部が丸い形状をなす1630~40年代の特徴をもった壺である。高台をつくらず底部を削り こみ、底部内の一部は無釉(むゆう)である。肩には5つの縦耳(うち2つのみ残存)をもち、鎬(しのぎ)状の浅いヘラ彫りがめぐらされている。窓の中には 花卉(かき)文を描き、地文様(じもんよう)は渦(うず)文、雲気(うんき)文、七宝(しっぽう)繋(つなぎ)文をほどこしている。いずれも同時代の皿な どの製品にも多用された文様である。(柴田夫妻コレクション7-8) :肥前・有田 / 1630~40年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

大皿の名品であり、見込みには獅子と牡丹、葡萄唐草が繊細な筆致で描かれている。周辺部には捻りの白抜きにより区画さ れ、七宝繋に桜花散と菊花散、菱文様に梅樹と変化に富んだ脇文様が見られる。高台内には染付で二重枠内に「福」字が書かれている。見込みに描かれた獅子と 牡丹は、取り合わせのよいものの例えとして古くから画題に用いられている。また、牡丹は「花王(かおう)」「富貴草(ふうきぐさ)」の異称を持ち、簡略化 したものから写実的なものまで数多く描かれている。(柴田夫妻コレクション7-302) :肥前・有田 / 1660~70年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

見込み中央に団龍文を描き四方に唐花文を配す。内側面には丸窓に囲った植物や花鳥と唐花文を交互に配置する。染付と濃い 赤、金の上絵付けを組み合わせ、豪華に器面を装飾する元禄様式の作品である。(柴田夫妻コレクション8-139) :肥前・有田 / 1690~1710年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

江戸末期の貿易商「田代屋」田代紋左衛門の商標「大日本肥せつ山信甫製」のある大瓶一対。東洋趣味を過剰にアピールした 輸出用。窓絵の表は中国の騎馬武者と貴婦人、裏には凧遊びの唐子が愛らしい。(柴田夫妻コレクション8-518) :肥前・有田 / 1850~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

口縁部には〇×文の連続文様、胴部には染付(そめつけ)と上絵(うわえ)の赤による唐花文と鳥の羽状の地文様(じもんよ う)と花文様が施されている。赤による施文のない、同文様の染付の小碗がトルコのイスタンブールにあるトプカプ宮殿に所蔵されている。この製品も、かつて コーヒーカップとして中近東方面に輸出されたものが日本に里帰りしたものかもしれない(柴田夫妻コレクション7-343) :肥前・有田 / 1680~1700年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

見込みには野山を背景にして、冠を被って歩く主人と、それに従う若者の二人の唐人が描かれている。周囲六方に如意頭状の 窓を設け、そこに宝文と草花文が交互に描かれている。背景にはびっしりと四方(よも)襷(だすき)文が描かれ、呉須(ごす)を塗り込めている。外周二方に は簡略な土坡(どは)が描かれている。高台内染付銘「福」。高台内ハリ目跡2個。(柴田夫妻コレクション7-132) :肥前・有田 / 1650~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

輸出向けの瓶の形態であり、口が二重の凸帯となっている部分など、細かい注文があったことを想像させる。底面にはI.C というアルファベットとそれを囲むリースのような文様があらわされている。I.Cとは、出島の商館長を務めたヨハンネス・カムファイスのイニシャルに由来 するものといわれる。インドネシアに伝世したものと伝えられる。(山口幸雄・悦子氏寄贈) :肥前・有田 / 1680~1700年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

内容を示す文字「JAPANSCH ZOYA(日本の醤油)」と記されており、日本から輸出する醤油容器として作られ た瓶であることがわかる。口づくりにも注文があったと考えられ、凸帯となっている。インドネシアに伝世したものと伝えられる。(山口幸雄・悦子氏寄贈) :肥前・有田 / 1800~40年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

独特の形に作られたこのタイプの製品はアンピン(安平)壺と呼ばれている。中国からの輸出品の容器として大量に生産され たと考えられる壺であるが、内容物については不詳。白磁とするが釉は青みを帯び、ふつう無文である。しかし、これは胴部に「魯文」と記されている珍しい例 だが意味は不明である。インドネシアに伝世したものと伝えられる。(山口幸雄・悦子氏寄贈) :中国・福建 / 16世紀末~17世紀
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

口部が垂直に立ち、丸くふっくらとした胴をもち、高台を外反させて作った小振りの壺。胴の前後に竹の小枝に止まる鳥と、 飛翔する鳥を生き生きとした筆致で描いている。口部には雷文、肩には鋸歯(くしば)文を線描きして、その上に呉須(ごす)を濃(だ)みている。高台の周り には濃(だ)みた帯を廻らす。竹の葉が太めに描かれているのが特徴的である。(柴田夫妻コレクション7-127) :肥前・有田 / 1650~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

やや灰色を帯び細かい貫入(かんにゅう)の多い独特の素地(きじ)、高台径の割に大きい「福」字銘、見込の十字形に表し た珍しい文様などの特徴が山内町ダンバギリ窯出土品と一致する。内面文様は1650年代の技術革新期にあって、旧来の初期伊万里の色を強く残した文様であ る。(柴田夫妻コレクション7-116) :肥前・有田 / 1650年代頃
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

首は比較的短く、肩が張り、高台(こうだい)脇(わき)を削り段をつけている。この壺のような形態は、古伊万里の壺の一 般的な形式である。1660年代以降、プロポーションを少しずつ変化しながら幕末まで継続していく。首から肩にかけて連続文様をめぐらし、三方に窓をつく り、窓の間は唐花(からはな)文をほどこす。高台脇には圏線(けんせん)をめぐらし無文の空間を設ける文様構成は1670~90年代に多い。同様な文様構 成の色絵製品も同時代と考えられている。(柴田夫妻コレクション7-431) :肥前・有田 / 1670~90年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

このような背の高い三足つきの容器は金属製の蛇口をとりつけて、液体を飲料用のカップに取り分けるためのものです。コー ヒーなどを飲むために使われたものと考えられています。胴部には花見を楽しむ七福神(恵比寿・大黒・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人)があらわさ れています。当時ヨーロッパではこのような東洋的な異国情緒のある製品が喜ばれたものと想像されます。(柴田夫妻コレクション8-178) :肥前・有田 / 1730~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

靴下のような不思議な形は「烏帽子(えぼし)」という頭にかぶるもの。もともとカラスの羽のように黒い袋形のものが、白 磁と染付のあざやかなコントラストの器に大変身。(柴田夫妻コレクション8-493) :肥前・有田 / 1810~50年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

陰陽(おんよう)の八卦と暦の十二支を組み合わせたデザインの器。木製の曲げ物をお手本に作られ、鋲(びょう)にみたて た外側の突起がおもしろい。(柴田夫妻コレクション8-503) :肥前・有田 / 1820~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

奈良茶飯は薄く入れた煎茶でたいた塩味の飯に、濃く入れた茶をかけて食べるもの。この奈良茶飯に用いたところから蓋付の 飯茶碗は「奈良茶碗」ともいう。しかし19世紀になり新たにこうした器形の蓋付の飯茶碗が現れ、ふつう「茶漬茶碗」と呼ばれた。(柴田夫妻コレクション 8-446) :肥前・有田 / 1810~40年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

氷が割れたときのヒビが模様になった「氷裂文(ひょうれつもん)」は、青磁の釉表にあらわれるヒビ=貫入(かんにゅう) に似ている。中国清朝時代に流行し、その影響で有田でも描かれた。(柴田夫妻コレクション8-496) :肥前・有田 / 1820~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

鉢形に成形したあと、意識的に楕円形状にひずませている。いわゆる沓形(くつがた)茶碗。見込みには鉄絵で七曜文を二ヶ 所に描く。薄く掛かった透明に近い灰釉が底部に流れており、その景色がきめの細かい暗褐色の胎土に映え、趣のある茶碗となっている。甕屋の谷窯(伊万里 市)の伝世品といわれる。 :肥前 伝甕屋の谷窯 / 1590~1610年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

染付で文様を描いた上に、銹色がかった赤、不透明な緑など初期色絵の特徴的な色調を呈した色絵をほどこし、厚手で平たい 銅鑼鉢(どらばち)形に近い皿である。中国の古染付の影響を強く受けた皿で、茶人の好みを反映し、口縁部を意識的にひずませるという特殊な器形をなしてい る。同文様で同器形の染付製品もある。 :肥前・有田 / 1640~50年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

本来片口として作られたものであるが、水指に転用されて伝世している。胴部の両面には2つづ草花と思われる文様があっさ りと描かれ、厚くかかった釉薬はむらに発色し、柔和な雰囲気をかもしだす。底部の方の釉薬は粒状にちぢれており、いわゆる梅花皮(かいらぎ)状である。絵 唐津の魅力が充分あらわれた素朴で力強い製品である。 :肥前・岸岳系 / 1590~1610年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

口縁部には雷文をめぐらし、胴部には全面に波の文様が彫刻的にほどこされている。首部は細く、その左右には波濤形の耳が つけられており、胴部の文様と一致させ意匠に統一感が生れている。三川内で焼成された平戸藩の磁器は平戸焼と呼ばれ、本作のような広口の花生は平戸焼の典 型的なものとされる。端正な優品である。 :肥前・三川内窯 / 19世紀前半
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

きわめて薄手で端正な形をしている。胴のおよそ中心部に一条の沈線が彫られ、その上方にかけてはロクロ目をめだたせ変化 をつけている。黄みを帯びた灰釉の上に褐色の鉄釉をほどこし、その一部が流れて景色をつくる。作行や内面に釉をかけていないことから、「綺麗寂び」をしめ す小堀遠州の指導をうけた、白旗窯かと考えられる茶入である。底部の糸切痕は左巻である。 :筑前・高取窯 白旗窯 / 17世紀前半
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

もともと手焙として作られたものであるが、水指として転用され塗蓋とともに伝世している。共蓋の意匠は瓢箪文で、蔓と葉 は染付で描かれ、瓢箪の部分はその形に透かし彫りであらわされている。暖気が瓢箪の透かしからあがってくるという洒脱な遊び心が感じられる。胴部の絵付け は精緻で、なめらかな曲面をあらわす器肌に、見事な楼閣山水の風景がほどこされている。高台内の中央には染付銘で「須恵」と記されている。 :筑前・須恵窯 / 19世紀前半
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

ユーモラスな表情の兎を象った手焙。丸い兎の姿が温かみを連想させる。背面には尻尾が線彫りで表現され、可愛らしい。背 面に丸く口があけられ、そこから灰と炭を入れられる容器となっている。成形は型を用いたと推測され、胴部には継ぎ目らしい痕跡がみとめられる。無釉の底に 三ヶ所穴があけられているが、台に取り付けるためであろう。 :肥前 松浦系(椎ノ峰窯) / 18世紀後半~19世紀前半
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

赤褐色の素地に肩から胴にかけて刷毛で白化粧し、その白土を削ることで唐草文をほどこしている。唐花唐草文は、花はスタ ンプによる印刻、唐草文は線彫りされている。肩には耳を四個つけ、胴部まで緑色に発色する銅緑釉をかけ、下半分は鉄泥を塗る。中国、明代後半にみられる緑 や黄色などで彩色された壺を模した製品。 :肥前 武雄系 / 1630年代~60年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

乳白色の素地(濁手)の製品で、見込みには二羽の鶴が精緻に描き込まれている。二羽の鶴は互いに向き合い、一羽は地上か ら見上げ、もう一羽は飛来しようとする様であり、緊張感のある構図に仕上がっている。この文様に似た染付陶片が、柿右衛門古窯跡出土品にみられる。口縁部 には細かな花唐草文が一周し、口唇には口銹がほどこされる。 :肥前・有田 / 1670~80年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

魚(鯉)に乗った仙人が染付で描かれ、内側面には六方向に赤玉と瓔珞文が配されている。外側面は交互に青地と赤地の文様 を配置し、それぞれにみごとな唐花唐草文をほどこしている。厚めの器体に精緻な線と濃み塗りで複雑な文様が構築されており、当時の技術を結集した、最上級 の製品である。 :肥前・有田 / 1690~1720年代
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()

みごとな鯱(しゃちほこ)で飾る御殿の形をなした堂々たる蔵骨器。沖縄では厨子甕(ずしがめ)とよばれる。正面に無釉部 分があり、ここには骨を納めた年月日と人名が記される。人名は消失しているが、紀年銘は清朝の乾隆54年(1789年)・嘉慶3年(1798年)がかろう じて読め、この厨子甕がこのころに製作されたものであることがわかる。浄土を象徴する蓮の表現も力強く、鯱や屋根瓦、棟の細部も丁寧に彫刻され、大物製品 の意気込みが感じられる。 :琉球・壺屋窯 / 18世紀後半
情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 ![]()