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陶器の土を使って成形し、外面に白い化粧土を塗り、その上に呉須で文様を描き、透明釉をかけて焼くと、胎土と釉の収縮率 の差などから釉に貫入が走り、独特の風雅を醸し出す。本例は、釉下に白化粧土による刷毛目を表した地に、岩に梅樹・飛雲・飛鳥(ひちょう)を表す。 1670年代以降は茶陶でない陶胎染付が多くなり、18世紀前半には波佐見町百貫窯をはじめ広く陶胎染付の日常食器碗が作られた。 :肥前・有田 / 1660~90年代
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中国・景徳鎮窯は14世紀から染付を中心に生産する磁器窯として発展する。16世紀からポルトガルやオランダ船によって 多くの中国磁器がヨーロッパに運ばれた。その代表的製品が日本で芙蓉手と呼ぶ染付皿であり、ヨーロッパではカラックウェアと呼ばれる。内側面を区画割し、 その間を花卉文や宝文などで繁縟なまでに埋めるのが特徴である。のちに中国に代わって肥前磁器がこの写しを焼いて海外輸出した。 :中国・景徳鎮窯 / 1590~1630年代
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大振りの牡丹が器面に描かれている。羽を大きく広げて岩に舞い降りる鳳凰と、岩に留まる鳳凰が対の面に表されている。土 坡や枝などは染付による太い線描きで大胆に表されているが、色絵は入念で緻密に描かれている。概して色絵の発色も残りも良い。1695年(1697年説も ある)に完成したとされるベルリン北郊外のオラニエンブルク城の天井画にこの作品と類字文様の八角蓋付壺が描かれていることで知られる。 :肥前・有田 / 1690~1730年代
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2面に窓を設け、なかに赤い雲文を描く。雲文の線は細く、また赤の色が濃い。口部には雷文がめぐる。窓絵の背景には、七 宝繋文が地文として描かれている。七宝繋文は染付で線書きされ、そのうえから黄と緑が施されている。器壁は比較的厚く作られている。三足は畳付まで施釉さ れているため、底部の低く削り出した台部で支えて焼成されている。 :肥前・鍋島藩窯 / 1690~1720年代
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皿の形が瓜に見立てられており、さらに瓜の文様が見込に描かれている。器の内外に渦状の刷毛目文が白化粧土で施されてい る。皿の口部には褐色の素地がみえる。瓜の縦すじは鉄絵具で描かれている。見込の瓜文は白い化粧土で彩色され、葉には銅緑釉が施されている。褐色の素地に 渦状の刷毛目、縦すじの太い枠どり、さらに多彩な瓜文が加わり複雑な装飾効果をあげている。 :肥前・・現川窯 / 1690~1740年代
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菊花に大小の蝶がとまり、全体として簪の形を模した熨押えである。菊の花弁は細かな彫刻で表され、わずかに淡黄緑色が かった透明釉がかけられている。蝶は菊花の上に貼り付けられ、褐釉および褐釉に呉須を加えたような暗灰色の釉で彩色される。蝶の触角も精巧に作られ、釉を 変えて透明釉が施されている。透明釉・瑠璃釉・褐釉の3色による釉彩は三川内焼には多いが、これほど精巧な作りの物は稀である。(竹田恒夫氏寄贈) :肥前・三川内窯 / 19世紀前半
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唐子が遊ぶ姿を表した2体の人形。髪型や服装からして中国の子供の特徴がよく表現されている。なかは空洞ではないため、 型押し成形ではなく、手びねりによる。文様は染付で描かれているが、髪や目隠しの部分は透明釉をかけずに黒く仕上げている。唐子の歯の部分も無釉であり、 表現上の細かな配慮がなされている。(竹田恒夫氏寄贈) :肥前・三川内窯 / 19世紀
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片口は注ぎ口をもった鉢である。胴部には、一方に唐草文、他方に笹とみられる植物を描き、透明の釉薬を施す。器表には細 かい貫入がみられ、内面には大きな鉄斑がみられる。唐草文の蔓と葉は、伊万里市の市ノ瀬高麗神窯跡出土の陶片などに類例がみられる。胴部下位は外側に張り だしており、類例の少ない形態である。高台およびその周辺は露胎である。鉄絵の文様と背景の貫入がうまく調和している。(竹田恒夫氏寄贈) :肥前 / 1590~1610年代
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口縁部は外側に反り、端部は、丸味をもっている。高台は高く、露胎になっており、高台内は篦削りの痕が残っている。内面 及び外面下位まで鉄釉を施した後に、体部に白釉の盛り上がった線で連続したエル字状の文様を描き、瀟洒な作品に仕上げている。この技法はイッチンとも呼ば れているが、語源は明らかでない。このような技法を使った類例が、武雄市黒牟田窯跡出土品にみられる。(竹田恒夫氏寄贈) :肥前 / 1600~40年代
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轆轤で成形した丸皿を、生乾きの時に型に合わせて角切の角皿にしている。全体に薄作りであり、形態や高台の削りは、磁器 製品の影響と考えられる。皿の片身には、打ち刷毛目の技法で白い化粧土の連続文様を施す。対面には藤花文が描かれている。藤は線書きを鉄絵具で行ない、葉 には銅緑釉、藤花には化粧土の白が施されている。裏面には全体に刷毛目文がある。(竹田恒夫氏寄贈) :肥前・現川窯 / 1690~1740年代
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口縁部を外から篦で押さえて輪花形に作り、薄く灰釉をかけた上に濃い藁灰釉を流し、黄褐色の地に踊る軽妙な白を一種の文 様とする。刺身皿としたものか、器に花形の猪口に茎か切り株のようなものを貼り付けており、盆石の風情をかもしだす。胎土はきめ細かな赤褐色で、平底の底 部は無釉であり、大きな「の」字状の彫りが見られる。(笹倉一男氏寄贈) :肥後・小代窯 / 19世紀
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大皿の内面を同心円状に5段に区画し、蓮弁文・唐草文・よろけ縞文・襷文・花文を押印し、その上から白化粧をし、余分な 化粧土をふきとり、透明釉を施している。この技法を利用した製品は、武雄市の唐津系窯跡などから出土している。見込には砂目跡が8ヶ所に残り、製品を砂・ 胎土目積みによって重ね積みしたことがわかる。外面中位から底部まで鉄漿を塗布するが、畳付は露胎である。 :肥前 / 17世紀後半
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轆轤による成形の後、型にかぶせて口縁部を捻輪花にしており、口縁部内面には布目跡が残っている。口縁端部には鉄銹を施 す。見込には竹林から睨みをきかす1頭の虎を描いている。このような意匠を持つ中皿の類例は多い。口縁部外面の1ヶ所には蔓草が描かれ、高台外側に圏線を 引く。高台内には圏線と二重方形枠内に「福」字銘を書いている。また、高台は断面鋭角の三角形で内傾し、高台内にはハリ目跡が3ヶ所に残っている。 :肥前・有田 / 1650~60年代
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肥後・八代焼の代表的な装飾「象嵌」を、輸出向け沈香壺に似た大振りな壺の全体に施す。灰白色の精選された素地に文様を 刻み、白土を埋め、表面を拭うと細かな文様が現れる。「暦手」は伊豆の三島神社で作られた細字仮名書きの「三島暦」に由来し、よろけ縞状の文様が連なった もの。15~16世紀頃に朝鮮で行われた同様の技法の陶器を「三島手」と呼び、その技術が九州に伝わった。高台畳付に8ヶ所、高台内に3ヶ所貝目痕が残 る。 :肥後・八代窯 平山窯 / 18世紀
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初期の鍋島に準ずるような作行(さくゆき)であることから、小城藩(佐賀藩の支藩)の御用窯と考えられた松ヶ谷窯の製品 と推測されて、松ヶ谷手の名で分類されたもの。有田の猿川窯でこの種の素焼状態の素地が出土し、松ヶ谷窯製品でないことが明らかになった。特徴は、丁寧に 貼り付けられた高台畳付を同程度の幅で3面削ること、高台内の素地に記号様の文字を陰刻したものが多いこと、外面は無文の変形の小皿が多いことなどがあげ られる。 :肥前・有田 岩谷川内藩窯 / 1650~60年代
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意識的に口部を変形させ、胴下部をくびれさせた「沓形」の茶碗。茶褐色の陶胎にかけた透明感のある土灰釉の飴色と藁灰釉 の斑白(まだらじろ)は、織部好みの茶碗にみる掛け分けの装飾法を表す。胴には轆轤目の段を残し、高台は低く削る。伝世の箱には「まだら唐津沓鉢」とある が、慶長19年(1614)から寛永元年(1624)に焼かれた内ヶ磯窯跡から、同様な沓形茶碗が出土している。 :筑前・高取窯 内ケ磯窯 / 1610~20年代
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古九谷様式中期から後期の特徴をもつ。こうした高い高台をもつ皿は有田の山辺田4号窯などで色絵素地が出土している。裏 文様の密な唐草文は色絵山水木目文大皿(所蔵番号3261)に似通っている。内側面は型打成形によって菱花形に表され、それに流水文を描く。高台内の銘は 明末・中国の祥瑞の銘の一種(「禄」という)の影響を受け、1640年代頃から肥前磁器が用い、1660年代頃まで例をみることができる。口唇部には銹釉 を施す。 :肥前・有田 / 1650年代頃
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中近東からヨーロッパでコーヒーや茶の飲用に、こうした碗と受皿のセットがさかんに求められるようになると、有田や景徳 鎮で作られ輸出された。外側面に金銹色をした褐釉がかけられ、他は透明釉であり、高台内には二重圏線と花卉文の装飾銘はこの頃の景徳鎮や有田でしばしば用 いられた。内外に赤・緑・黄・紫で花卉文が描かれ、見込には牡丹・菊と蝶が表される。(山崎隆生氏寄贈) :中国‐景徳鎮窯 / 1680~1740年代
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内面を印花文と透彫で装飾した皿である。皿の内面を二重圏線で区画し、その間に透彫にされた雲と印花による鶴を、交互に 5ヶ所ずつ配置している。さらに、その区画の外側(見込側)に如意頭文をめぐらしている。鶴と如意頭、二重圏線の内側にみられる小花文は、押印した後に黒 土により象嵌されている。器表の透明釉には細かい貫入がみられる。唐津市唐人町に設けられた唐津藩の御用窯で焼かれた献上唐津と考えられる。 :肥前 / 19世紀前半
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黒田藩の城下、福岡市西新町には高取焼・東皿山窯が享保元年(1716)に築かれ、御用窯として茶陶を焼成し、江戸時代 後半には贈答用としての陶器を製作した。明治4年(1871)の廃藩置県により御用窯は閉ざされた。堅く軽く焼締まったきめ細かな胎土で、太鼓をかたど り、天地には太鼓革を張る鋲をめぐらし飾りとする。薄くかけた土灰釉の飴色に、藁灰釉の白と青みを含んだ濃い茶褐色の釉調がけしきとなる。底部は平底で無 釉。 :筑前・高取窯 東皿山窯 / 18世紀後半~19世紀前半
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長方形の粘土塊を削りだして形造った硯である。表は墨をする「おか」と墨をためる「うみ」の高低をつけ、裏面底部は深く 彫り込んでいる。白土象嵌で青海波文と魚文を配し、全体にかけた透明釉は灰色に発色しているが、おかの中央部は丸く釉がぬぐわれて胎土の褐色をみせてい る。この無釉褐色の部分は使用により磨られたため一種の光沢を帯びている。 :肥後・八代窯 / 17世紀~18世紀前半
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皿の内側に呉須で蜘蛛巣を描いた後、呉須による薄濃みを巣の外側に施す。また、口縁部外面に蜘蛛巣の一部を描き、高台畳 付を除く全体に薄濃みを施し透明釉をかけている。高台径は広く、高台内に楷書で「延寶年製」と記され、ハリ目跡が6ヶ所に残っている。中国には、蜘蛛巣と 蜘蛛を描き「喜従天降」とする図案があり、吉兆の意とされる。 :肥前・有田 / 延宝年間(1673~81)
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明末のこのような色絵は南京赤絵と呼ばれる。側面を型で菱花形に作り、文様の一部を染付で表した素地を本焼きする。口唇 部に銹釉を施し、高台内に染付で一重圏線と「天下太平」の銘を表すのもこの段階に行う。あらかじめ用意されたこの素地に黒線・赤線で輪郭を引き、赤・緑・ 青・黄の絵具で竹に雲・唐人物・太湖石などを描き、低い温度で焼き付ける。こうした中国の色絵の技術が1640年代頃に有田に伝わって日本の色絵磁器が始 まった。 :中国・景徳鎮窯 / 1620~40年代
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口縁部は三方に窓を配置し松・竹・梅を描き、窓と窓の間には毘沙門亀甲文を地文としている。その内側は二重圏線で区画さ れ、2種類の果木が描かれる。見込には、竹林を背景に2頭の虎が飛び跳ねる様を描き、静的な画面の中に2頭の虎が浮かび上がってみえる。外面にはアヤメ科 の植物などとともに水鳥が1羽描かれる。高台外面には櫛歯文、高台内の二重圏縁内に「寿福」を崩したと思われる銘を書いている。また、ハリ目跡が6ヶ所に 残る。 :肥前・有田 / 1650~60年代
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柿右衛門様式の代表的な作品である板作りによる色絵六角壺を模倣した作品。残念ながら蓋は残っていない。焼成原因してい るのか、腰部がへたっている。文様は忠実に写しながらも、曲線を強調する画工のくせがみられ、オリジナルにはない金彩を多用している。底部は平底無釉で、 中央に押印による錨(いかり)の窯印が貼り付けられている。この窯印はチェルシーのなかでも1750年から1753年まで用いられたものという。 :イギリス・チェルシー窯 / 18世紀中葉
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高台内に享保8年(1723)の銘があり、平戸・三川内焼の歴史を知る上で貴重な資料である。釉面はしっとりとしていて 光沢があまりない。銘は染付で「奉納肥前平戸 松浦肥前守内玉置山牧山氏廷林 享保八年卯」と記されている。見込に描かれた菊と桔梗の文様は繊細な表現で あり、17世紀末の柿右衛門様式に通じるものがある。裏面には渦状の蔓をともなう唐草文がめぐっている。高台内にハリ支え跡が1個みられる。 :肥前・三川内窯 / 享保八年(1723)
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中央にオランダ東インド会社の頭文字「VOC」を組み合わせた社章をあらわしている。この社章はオランダ東インド会社に 帰属するもののサインであり、所有物である倉庫、大砲、旗印などに入れられた。このVOC銘のはいった磁器製品は、各地の商館などで使われるために注文生 産されたものと考えられている。長崎出島の発掘調査で、多くの類品が出土している。 :肥前・有田 / 1690~1710年代
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外側面に唐花唐草文、内面には水草文が描かれている。釉はわずかに青みを帯び柔らかな印象を与える。呉須の発色がよい が、亀山焼の染付の上手のものはこのような色調が多い。また特徴のある唐草文も亀山焼にはよくみられる。内面の水草文には魚が描かれていないが、金魚を泳 がせるための配慮であろうか。裏面には獣面の三足がつき、高台内にはハリ支え跡が5個みられる。 :肥前・亀山窯 / 19世紀前半
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口縁部は鍔縁状を呈し、幅広の圏線が二重にめぐる。その内側に如意頭の繋文、櫛歯状の斜線、圏線が三重にめぐる。見込 は、川辺に岩・笹が描かれ、雲間に建物が2軒見え隠れしている。遠景には帆掛舟が2艘みえる。裏面は染付で、口縁下に圏線、三方に三つ星文を入れ、高台内 には「ひせ(肥前)の中の人○○一 くろ仁た(黒仁田)○○衛☆」と記される。高台内には焼成時に道具の上に敷いた砂が多く熔着している。 :肥前・有田 / 1610~30年代
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口縁部や区画の文様は、元来、明末の景徳鎮の染付鉢にみられた意匠から変化したものである。肥前・有田産で高台内に「元 禄年製」銘をもつ同様の意匠の皿がある。元禄(1688~1704)頃から金襴手様式の色絵を作るなかでうまれたものとみられる。外面の細かい花唐草文も この頃の有田磁器にみられ、おそらく有田の輸出色絵の写しを景徳鎮で行った例の一つと思われる。染付素地に、赤・緑・黄・金などの色絵具で文様を表す。 :中国・景徳鎮窯 / 1700~40年代
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轆轤による成形の後、型にかぶせて変形させ、口縁部を波状にしている。口縁部外面は、一方を四方襷文で埋め、他方は梅の 折り枝を2ヶ所に描いている。見込は、二重圏線内に深山幽谷を背景に雲水らしき中国の人物を描き、人物の傍には鳥籠が描かれている。文人画的な趣味が窺わ れる。口縁部外面には梅花と宝珠が、それぞれ2ヶ所に描かれている。高台内は圏線がめぐり、二重円内に「福」字かと思われる変形銘が書かれている。 :肥前・有田 / 1650~60年代
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素焼素地に低火度彩を施した珍しい作。伝世品にもほとんどこのような作例はみられない。有田の赤絵町遺跡からこのような 素焼素地に直接色絵を施した深皿の陶片が出土している。黒・赤茶・青の線描きで文様を描いたあと、低火度の透明釉を全面に施す。その上に緑・紫の絵具で内 面の龍や外側面を塗り埋めている。見込中央の薔薇文の花は赤い線描きに沿って剥離がみられる。高台内には一重圏線にオランダ東インド会社の社章である VOC銘が記されている。 :肥前・有田 / 1700~40年代
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見込に2匹の相対峙する龍、その周りに16匹の龍を表している。とりわけ内側面の龍は絡みあうかのように曲がった姿態を とっているので、グロテスクな印象を与える。この16匹の龍は相対峙する4匹の龍を途切れさせることなく巧妙に四方に描いたものである。裏文様は七宝・宝 珠文が三方に配されている。高台内にはハリ目跡が2個残り、二重圏線がめぐらされる。有田町赤絵町遺跡から同類品の陶片が出土している。 :肥前・有田 / 1690~1730年代
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「宋胡録手」は東南アジア、タイの旧都スワンカローク産の鉄絵陶器を手本としたと考えられたもの。白い胎土の上に鉄分の 多い呉須で描くため茶褐色に発色し、鉄絵のようにみえる。胴部は区画したなかをいろいろな幾何学文様で埋める。現在の鹿児島市内にある竪野窯などで宋胡録 手の陶器が焼かれた。この大形の徳利は、表面には透明釉がかかり卵黄色を呈し光沢がある。 :薩摩・竪野窯 / 18世紀後半~19世紀前半
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小振りな磁器の蓋付壺全面に、染付で氷の割れた様、氷裂文を描き梅花を散らしている。清朝磁器の影響で、肥前・有田など で用いられた意匠である。幕府領にある高浜焼(天草郡天草町)は、18世紀に九州各地で開窯する磁器窯のひとつで、地元天草の陶石を使い宝暦12年 (1762)に始まる。窯の名を示す染付銘「東肥天艸(草)」が、高台内に記されている。 :肥後・天草 高浜窯 / 19世紀前半
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18世紀以降、天草陶石が磁器の原料として流通するとともに、九州各地に磁器窯が誕生した。鹿児島を代表する磁器窯、平 佐焼もこの頃に創始された。 ややずんぐりした砧形の平底徳利は、平佐焼に多くみられる器形である。染付で描かれているのは、作法にのっとり料理儀式の定 める俎板(まないた)、包丁、箸、烏帽子、釣竿と魚。無釉の底部には、漆で「吉平」の二文字が記されている。 :薩摩・平佐窯 / 19世紀前半
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柿右衛門様式の広口瓶を模倣したもの。色鮮やかで明快な絵付が施され、色絵の発色の中で黄色は本歌のそえりょりも明度が 高く、めだっている。高台は畳付付近を一段削り込んでおり、この部分の釉はふき取ったかのように薄い。また、畳付には付着物がみられるのでこうした高台の つくりは台座をつけるなどの細工のためと考えられる。高台内には赤でホルンの窯印が入れられている。 :フランス・シャンティイ窯 / 1725~1800頃
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有田の古伊万里(金襴手)様式の皿を写したもの。マイセン窯では柿右衛門様式のコピー以外にも古伊万里(金襴手)様式の 模倣もおこなった。意匠は裏文様まで忠実に写されている。金彩が濃く、金属的な輝きが強い。釉は透明感が強く、下絵の染付はにじみ、深い面にあるかのよう にみえる。裏面には三方に菊の折り枝文が配されている。高台内には二重圏線内にマイセンの交差剣の窯印が入れられ、「22」と活字による刻印がある。 :ドイツ・マイセン窯 / 18世紀中葉(1740年代前後)
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柴垣と牡丹を右方、唐獅子を左方に描く。牡丹花の一部と桜花文に金彩が施されている。口縁部には雷文と紗綾形文が描か れ、間に桜花文が配されている。この桜花文は1個と2個が交互にくりかえされている。素地は乳白色で口部に銹釉が塗られている。裏面は無文であり、高台内 に5個のハリ支え跡がある。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代
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糸切り細工による変形皿で、高台は角のゆるい菱形。波縁の変形のなかに、丸窓を二つ上下に並べてはみ出さすという特異な 形である。七宝文が地文として描かれているが、線を重ねて面にしている点に特徴がある。この七宝文の描かれた陶片が、大川内山の日峰社下窯跡から出土して いる。上絵は赤の線書きに黄と緑の絵具を施す。裏面二方に染付で菊唐草文、二方に唐草文、高台に剣先文が描かれている。 :肥前・鍋島藩窯 日峰社下窯 / 1660~80年代
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白化粧土を用いた装飾の多い現川焼において、三彩の製品は珍しい。実際は黒褐色・黄褐色・緑色・淡紫色・白色の5色の釉 彩を施す。成形は型打ち成形による。技術的には磁器の成型法がとり入れられたと考えられる。裏面全体に黄褐色の釉がかけられ、表の塗り分けにも用いられて いる。素地が陶胎であるため、三彩の色調が落ち着いたものとなっている。 :肥前・現川窯 / 1690~1740年代
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呉須(コバルト顔料)で山水や人家を描き、透明釉を施しており、器表全体に貫入がみられる。高台は露胎で、高台外側面は 面取りがなされている。高台内中央部は浅く円刻されており、その外側に「清水」と押印されている。京焼風陶器と呼ばれるもので、それまでの唐津系陶器とは 異なり、胎土が精選され、高台を丁寧に小さく削り出し、このように印銘を伴っていることが多い。唐津焼が京焼の影響と受けたものと考えられる。 :肥前 / 17世紀後半
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見込の右下には楼閣風の家屋とその中に座す人物を描いている。後方には松の木、左手には山並みが続き、人物に向かい合う ように三日月が描かれている。また、見込に「倣夏筆意■」と記しているが、もとは「倣夏珪筆意」で、夏珪(南宋の画家)の筆使いにならうという意味。この ような書き方は明代の「八種画譜」など絵手本にみられる。「倣■筆意」と記した陶片は、有田町天神森窯跡などで出土し、17世紀前半頃にみられる。 :肥前・有田 / 1610~30年代
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網田焼(宇土市網田)は、肥後藩が幕府献上の磁器生産をはかり、肥前国中尾山(長崎県波佐見町)の陶工を招いて寛政5年 (1793)頃に開窯し、大正8年(1919)まで上質な磁器を焼いた。口縁部が垂直に立ち上がった大皿には、鮮明な呉須の青で尾の長い花喰い鳥が描かれ ている。高台内には染付銘(宇土郡網田山)と記し、ハリ目跡が6個残る。 :肥後・網田窯 / 18世紀末~19世紀前半
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染付で裏文様や圏線を施した素地に、赤・緑・黄などの色絵具で内面に菊蝶文を描いた台付皿。托台のように見込中央を深く 凹ませ、そこに鋸歯状の蓮弁文をめぐらす。台の成形は1640~50年代以降の特徴を示しており、1660年代以降の貼り付けて台を作るのとは異なる。台 の1ヶ所を切り欠いているが、高台に切欠きを作る例も初期伊万里の時代にみられる。外側面には独特の牡丹唐草文を描き、台部には蓮弁文と草文を描く。 :肥前・有田 / 1640~50年代
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陶胎染付はわが国の茶の世界の需要からか、1650~60年代頃、茶碗や水指にこの方法を駆使したものが有田で現われ る。寛文2年(1662)銘の小香炉が伝世するが、如意雲文を描く点でも本例と共通する。小香炉には「大樽山」という有田の窯場の一つの名も記されてい る。本例は高台内の釉を蛇ノ目状に剥ぎ、そこにチャツと呼ぶ皿形の耐火粘土製道具を当てて窯詰めした跡がみられる。この方法は17世紀後半の青磁の皿・鉢 が主に行った。 :肥前・有田 / 1650~60年代
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伊万里市大川内山の日峰社下窯跡から同じ染付文様をもつ陶片が出土し、この作品が色鍋島の初期的な特徴を示していると考 えられるようになった。染付で唐花を描き、薄瑠璃を背景にかけている。さらに緑と黄の上絵付がなされている。裏面には三方に唐花唐草文が配されているが、 表から薄瑠璃が流れ、三方文の一つを覆っている。色絵の輪郭を染付線で表すが、盛期の鍋島のに比べて太く明瞭である。 :肥前・鍋島藩窯 日峰社下窯 / 1660~80年代
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皿の口縁部4ヶ所に格子目文と波文を描いて天地をおさえ、皿の見込全体を画布に見立て、穂を垂らしたイネ科の植物を描い ている。口縁部と見込の境には段を有している。鉄絵の上から透明の釉薬が施されるが、裏面は中位から高台にかけて露胎であり、この部分は暗褐色を呈してい る。比較的に高台は低く、高台内は削りこんで兜巾(ときん)を残す。焼成は甘く、胎土には細かい砂粒を含んでいる。 :肥前 / 1590~1610年代
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内面全体に白化粧を施した後、刷毛で中心部に星形の文様、その外側に2種類の波状の文様、口縁部には細かい格子目状の文 様を描いている。その後、内面に褐釉と緑釉を向かい合うようにかけている。これらの文様は皿の内面に生命感を与えているようである。口縁部外面は白化粧に よる刷毛目を施す。外面下半と高台は露胎で赤褐色を呈している。外面には墨書で「吉右エ門」、高台内は墨書で「百」と記されている。 :肥前 / 17世紀中葉~後半
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丸味をもった胴部に染付で山水画を描いた水指である。山水画は、器面に連続して描かれており、水牛の手綱をとる人物や滝 の水を汲む人物の背景には松・家屋・竹などが見える。また、遠景に旗や鳥の群れを描いている。絵巻風であり器面全体に動きが感じられる。透明釉は白味を帯 び、外面は高台畳付を除き全面に施釉されている。高台内には手跡が残っている。蓋受部および内面は露胎であり、本来共蓋があったものと思われる。 :肥前・有田 / 1610~30年代
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