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染付人物山水文皿

轆轤による成形の後、型にかぶせて変形させ、口縁部を波状にしている。口縁部外面は、一方を四方襷文で埋め、他方は梅の 折り枝を2ヶ所に描いている。見込は、二重圏線内に深山幽谷を背景に雲水らしき中国の人物を描き、人物の傍には鳥籠が描かれている。文人画的な趣味が窺わ れる。口縁部外面には梅花と宝珠が、それぞれ2ヶ所に描かれている。高台内は圏線がめぐり、二重円内に「福」字かと思われる変形銘が書かれている。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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色絵雲龍文大皿(低火度焼成)

素焼素地に低火度彩を施した珍しい作。伝世品にもほとんどこのような作例はみられない。有田の赤絵町遺跡からこのような 素焼素地に直接色絵を施した深皿の陶片が出土している。黒・赤茶・青の線描きで文様を描いたあと、低火度の透明釉を全面に施す。その上に緑・紫の絵具で内 面の龍や外側面を塗り埋めている。見込中央の薔薇文の花は赤い線描きに沿って剥離がみられる。高台内には一重圏線にオランダ東インド会社の社章である VOC銘が記されている。 :肥前・有田 / 1700~40年代

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色絵龍文大皿

見込に2匹の相対峙する龍、その周りに16匹の龍を表している。とりわけ内側面の龍は絡みあうかのように曲がった姿態を とっているので、グロテスクな印象を与える。この16匹の龍は相対峙する4匹の龍を途切れさせることなく巧妙に四方に描いたものである。裏文様は七宝・宝 珠文が三方に配されている。高台内にはハリ目跡が2個残り、二重圏線がめぐらされる。有田町赤絵町遺跡から同類品の陶片が出土している。 :肥前・有田 / 1690~1730年代

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呉須絵幾何学文瓶(宋胡録手)

「宋胡録手」は東南アジア、タイの旧都スワンカローク産の鉄絵陶器を手本としたと考えられたもの。白い胎土の上に鉄分の 多い呉須で描くため茶褐色に発色し、鉄絵のようにみえる。胴部は区画したなかをいろいろな幾何学文様で埋める。現在の鹿児島市内にある竪野窯などで宋胡録 手の陶器が焼かれた。この大形の徳利は、表面には透明釉がかかり卵黄色を呈し光沢がある。 :薩摩・竪野窯 / 18世紀後半~19世紀前半

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染付梅花氷裂文壺

小振りな磁器の蓋付壺全面に、染付で氷の割れた様、氷裂文を描き梅花を散らしている。清朝磁器の影響で、肥前・有田など で用いられた意匠である。幕府領にある高浜焼(天草郡天草町)は、18世紀に九州各地で開窯する磁器窯のひとつで、地元天草の陶石を使い宝暦12年 (1762)に始まる。窯の名を示す染付銘「東肥天艸(草)」が、高台内に記されている。 :肥後・天草 高浜窯 / 19世紀前半

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染付料理文瓶

18世紀以降、天草陶石が磁器の原料として流通するとともに、九州各地に磁器窯が誕生した。鹿児島を代表する磁器窯、平 佐焼もこの頃に創始された。 ややずんぐりした砧形の平底徳利は、平佐焼に多くみられる器形である。染付で描かれているのは、作法にのっとり料理儀式の定 める俎板(まないた)、包丁、箸、烏帽子、釣竿と魚。無釉の底部には、漆で「吉平」の二文字が記されている。 :薩摩・平佐窯 / 19世紀前半

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色絵花鳥文広口大瓶

柿右衛門様式の広口瓶を模倣したもの。色鮮やかで明快な絵付が施され、色絵の発色の中で黄色は本歌のそえりょりも明度が 高く、めだっている。高台は畳付付近を一段削り込んでおり、この部分の釉はふき取ったかのように薄い。また、畳付には付着物がみられるのでこうした高台の つくりは台座をつけるなどの細工のためと考えられる。高台内には赤でホルンの窯印が入れられている。 :フランス・シャンティイ窯 / 1725~1800頃

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色絵花盆文八角皿

有田の古伊万里(金襴手)様式の皿を写したもの。マイセン窯では柿右衛門様式のコピー以外にも古伊万里(金襴手)様式の 模倣もおこなった。意匠は裏文様まで忠実に写されている。金彩が濃く、金属的な輝きが強い。釉は透明感が強く、下絵の染付はにじみ、深い面にあるかのよう にみえる。裏面には三方に菊の折り枝文が配されている。高台内には二重圏線内にマイセンの交差剣の窯印が入れられ、「22」と活字による刻印がある。 :ドイツ・マイセン窯 / 18世紀中葉(1740年代前後)

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色絵唐獅子牡丹文十角皿

柴垣と牡丹を右方、唐獅子を左方に描く。牡丹花の一部と桜花文に金彩が施されている。口縁部には雷文と紗綾形文が描か れ、間に桜花文が配されている。この桜花文は1個と2個が交互にくりかえされている。素地は乳白色で口部に銹釉が塗られている。裏面は無文であり、高台内 に5個のハリ支え跡がある。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代

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色絵唐花文変形皿

糸切り細工による変形皿で、高台は角のゆるい菱形。波縁の変形のなかに、丸窓を二つ上下に並べてはみ出さすという特異な 形である。七宝文が地文として描かれているが、線を重ねて面にしている点に特徴がある。この七宝文の描かれた陶片が、大川内山の日峰社下窯跡から出土して いる。上絵は赤の線書きに黄と緑の絵具を施す。裏面二方に染付で菊唐草文、二方に唐草文、高台に剣先文が描かれている。 :肥前・鍋島藩窯 日峰社下窯 / 1660~80年代

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三彩輪花皿

白化粧土を用いた装飾の多い現川焼において、三彩の製品は珍しい。実際は黒褐色・黄褐色・緑色・淡紫色・白色の5色の釉 彩を施す。成形は型打ち成形による。技術的には磁器の成型法がとり入れられたと考えられる。裏面全体に黄褐色の釉がかけられ、表の塗り分けにも用いられて いる。素地が陶胎であるため、三彩の色調が落ち着いたものとなっている。 :肥前・現川窯 / 1690~1740年代

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呉須絵山水文瓶(京焼風陶器)

呉須(コバルト顔料)で山水や人家を描き、透明釉を施しており、器表全体に貫入がみられる。高台は露胎で、高台外側面は 面取りがなされている。高台内中央部は浅く円刻されており、その外側に「清水」と押印されている。京焼風陶器と呼ばれるもので、それまでの唐津系陶器とは 異なり、胎土が精選され、高台を丁寧に小さく削り出し、このように印銘を伴っていることが多い。唐津焼が京焼の影響と受けたものと考えられる。 :肥前 / 17世紀後半

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染付楼閣人物文皿

見込の右下には楼閣風の家屋とその中に座す人物を描いている。後方には松の木、左手には山並みが続き、人物に向かい合う ように三日月が描かれている。また、見込に「倣夏筆意■」と記しているが、もとは「倣夏珪筆意」で、夏珪(南宋の画家)の筆使いにならうという意味。この ような書き方は明代の「八種画譜」など絵手本にみられる。「倣■筆意」と記した陶片は、有田町天神森窯跡などで出土し、17世紀前半頃にみられる。 :肥前・有田 / 1610~30年代

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染付椿鳥文大皿

網田焼(宇土市網田)は、肥後藩が幕府献上の磁器生産をはかり、肥前国中尾山(長崎県波佐見町)の陶工を招いて寛政5年 (1793)頃に開窯し、大正8年(1919)まで上質な磁器を焼いた。口縁部が垂直に立ち上がった大皿には、鮮明な呉須の青で尾の長い花喰い鳥が描かれ ている。高台内には染付銘(宇土郡網田山)と記し、ハリ目跡が6個残る。 :肥後・網田窯 / 18世紀末~19世紀前半

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色絵菊蝶文台付皿

染付で裏文様や圏線を施した素地に、赤・緑・黄などの色絵具で内面に菊蝶文を描いた台付皿。托台のように見込中央を深く 凹ませ、そこに鋸歯状の蓮弁文をめぐらす。台の成形は1640~50年代以降の特徴を示しており、1660年代以降の貼り付けて台を作るのとは異なる。台 の1ヶ所を切り欠いているが、高台に切欠きを作る例も初期伊万里の時代にみられる。外側面には独特の牡丹唐草文を描き、台部には蓮弁文と草文を描く。 :肥前・有田 / 1640~50年代

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陶胎染付山水文水指

陶胎染付はわが国の茶の世界の需要からか、1650~60年代頃、茶碗や水指にこの方法を駆使したものが有田で現われ る。寛文2年(1662)銘の小香炉が伝世するが、如意雲文を描く点でも本例と共通する。小香炉には「大樽山」という有田の窯場の一つの名も記されてい る。本例は高台内の釉を蛇ノ目状に剥ぎ、そこにチャツと呼ぶ皿形の耐火粘土製道具を当てて窯詰めした跡がみられる。この方法は17世紀後半の青磁の皿・鉢 が主に行った。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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色絵薄瑠璃唐花文皿

伊万里市大川内山の日峰社下窯跡から同じ染付文様をもつ陶片が出土し、この作品が色鍋島の初期的な特徴を示していると考 えられるようになった。染付で唐花を描き、薄瑠璃を背景にかけている。さらに緑と黄の上絵付がなされている。裏面には三方に唐花唐草文が配されているが、 表から薄瑠璃が流れ、三方文の一つを覆っている。色絵の輪郭を染付線で表すが、盛期の鍋島のに比べて太く明瞭である。 :肥前・鍋島藩窯 日峰社下窯 / 1660~80年代

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鉄絵芦文大皿(絵唐津)

皿の口縁部4ヶ所に格子目文と波文を描いて天地をおさえ、皿の見込全体を画布に見立て、穂を垂らしたイネ科の植物を描い ている。口縁部と見込の境には段を有している。鉄絵の上から透明の釉薬が施されるが、裏面は中位から高台にかけて露胎であり、この部分は暗褐色を呈してい る。比較的に高台は低く、高台内は削りこんで兜巾(ときん)を残す。焼成は甘く、胎土には細かい砂粒を含んでいる。 :肥前 / 1590~1610年代

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櫛刷毛目文大皿(二彩手)

内面全体に白化粧を施した後、刷毛で中心部に星形の文様、その外側に2種類の波状の文様、口縁部には細かい格子目状の文 様を描いている。その後、内面に褐釉と緑釉を向かい合うようにかけている。これらの文様は皿の内面に生命感を与えているようである。口縁部外面は白化粧に よる刷毛目を施す。外面下半と高台は露胎で赤褐色を呈している。外面には墨書で「吉右エ門」、高台内は墨書で「百」と記されている。 :肥前 / 17世紀中葉~後半

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染付牛人物文水指

丸味をもった胴部に染付で山水画を描いた水指である。山水画は、器面に連続して描かれており、水牛の手綱をとる人物や滝 の水を汲む人物の背景には松・家屋・竹などが見える。また、遠景に旗や鳥の群れを描いている。絵巻風であり器面全体に動きが感じられる。透明釉は白味を帯 び、外面は高台畳付を除き全面に施釉されている。高台内には手跡が残っている。蓋受部および内面は露胎であり、本来共蓋があったものと思われる。 :肥前・有田 / 1610~30年代

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染付梅竹霊芝文大皿

中国・景徳鎮窯は明清の王朝交替に伴う内乱で、一時期生産も海外輸出も停滞したが、統一を果たすと1684年に展海令を 公布して輸出を再開する。この染付大皿はこの時期に作られたとみられ、幅の広い折縁をもつ。内面いっぱいに枝を広げた梅樹、そして岩に竹や霊芝(きのこの 一種)を描き込む。外側面は無文であるが高台内には二重圏線を染付する。 :中国・景徳鎮窯 / 17世紀後半~18世紀初

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染付松竹梅文扇面形向付(古染付)

いわゆる古染付であり、わが国の茶人が好んで注文したものと考えられている。比較的厚手に作られ、底面には三足がつけら れている。半開きの扇面形に成形され、扇面部分には松竹梅文を配し、扇の要や骨も染付で表す。美濃焼の織部と器形・装飾などに共通点があり、関わりの深さ が指摘されている。また肥前の初期伊万里様式への影響も強い。 :中国・景徳鎮窯 / 1620~30年代

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灰釉鉄釉振掛茶碗

内外面で釉薬をかけ分けた筒型の茶碗である。口縁部は鉄釉を施し、内面は見込まで白濁した釉薬を施している。外面は体部 下位と高台外側面に白濁した釉薬を施す。胴部は、赤褐色の露胎の上に、意図的に白濁した釉薬と茶褐色の釉薬を交互に振りかけている。高台内は部分的に白濁 した釉薬がみられるが、露胎となっており、篦削りの痕が残っている。斬新な意匠を持つ茶碗である。 :肥前 / 1600~30年代

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鉄絵筒茶碗

上野焼・釜ノ口窯は、慶長7年(1602)以降に朝鮮陶工尊楷(そんかい)が開窯し、千利休に茶の湯を学んだ藩主細川忠 興のもとで味わい深い質朴な陶器を焼いた。寛永9年(1632)、藩主の国替にともない肥後へ移窯するまで続いた。全体に薄くかけられた透明な灰釉は、淡 灰色あるいは枇杷色に発色し、胴の上下に2条ずつめぐらした鉄絵の圏線で簡素な筒形の茶碗を引き締めている。高台畳付は釉をぬぐい、高台脇に指痕らしい無 釉の部分が残る。 :豊前・上野窯 釜ノ口窯 / 1600~30年代

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藁灰釉流耳付水指

矢筈口(やはずぐち)に口部を作り、ひねりをきかせた双耳付の水指に、藁灰釉の白い流れが大胆な景色となっている。上部 を分厚くし4条の横筋をめぐらせ、胴の部分は篦で粗く縦筋を刻み桶形としたか、あるいは正面に短い刻みをつけ曲物の綴目としたものか、陶器で木器を写すと いう茶陶らしい遊び心が感じられる。底部は無釉、浅く削った高台の内には細かな轆轤痕が残る。内ヶ磯窯の製品と思われる。 :筑前・高取窯 / 1610~20年代

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象嵌花文碗(花三島)

全面を覆う細かな花文様が見事である。朝鮮半島の陶磁器は、とりわけ戦国時代の茶人に珍重され、その枯れた美しさがわび 茶にとりいれられた。朝鮮半島の陶磁器は肥前の陶磁器の技術的な源流であり、そこには肥前の陶磁器にみられる焼成技法、装飾技法の多くが見られる。この象 嵌の技法も肥前陶器(唐津)に多く用いられた。(溝上元良・正子夫妻寄贈) :韓国 / 朝鮮王朝時代 15世紀

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型紙摺唐花唐草文大皿(二彩手)

口縁部を鍔縁に成形し、端部は短く立ち上がり、上面には薄く緑釉が施されている。内面は、中心部および三方に鉄絵具で花 付き三つ葵の外形を描き、緑釉を施している。また、三方に型紙を利用し藤と牡丹とみられる花文を、盛り上がった白化粧土で表している。唐津焼では17世紀 前半に行われた例は少ない。高台畳付を除き、全面に透明の釉薬が施される。高台は2ヶ所で切られ、高台周辺に手跡が残っている。 :肥前 / 1610~40年代

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染付龍鳳凰文釣鐘形水指

全面に緻密な筆致で染付文様が描かれている。また造形も凝っており全体が釣鐘形になっている。底は別に作り釉で熔着さ れ、無釉の底面中央にハリ支え跡が一つある。蓋のつまみには両側に獣面があり、また蓋上部に鳳凰と雲龍が描かれている。胴部は六つの文様帯に分かれ、唐 草・桜花と雲龍・雲龍・松竹梅・蓮弁・唐草の各文様がめぐる。造形、絵付ともに江戸期の技術力の頂点を示している。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代

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色絵山水木目文大皿(青手)

古九谷様式中期から後期の特徴を有する。平らにカットした口唇部に口銹を施し、裏文様に密な唐草文を描く。高台内の福字 銘は中・後期のもの。口縁部を折り曲げ黄色で塗りつぶした例は出光美術館蔵品などがあり、青手のなかでも少し異なるグループを形成する。内側面の木目文は 雲気文かもしれないが、1640年代前後の青磁皿にも多く用いられたものであり、1670年代以降はみられなくなる。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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色絵牡丹文大皿(青手)

青手古九谷と呼ばれてきたものであるが、青手は2種類に大別でき、本例は高台径の口径に占める割合が小さいこと、口唇部 に口銹を塗らず白地のままにしていることなどが特徴であり、古い方のタイプに属する。古九谷様式中期に位置づけられる。外側面の地文様は唐草文かもしれな いが細かい連続文を表している。高台内が白地の状態であること、底裏の福字銘も中期の特徴を示すものである。 :肥前・有田 / 1650年代頃

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色絵樹鳥波文大皿(青手)

青手古九谷様式に属し、裏文様なども色絵牡丹文大皿(所蔵番号3263)と同類である。口唇部と高台内に素地の白地を残 す点も青手としては古いタイプにみられる特徴であり、古九谷様式の中期に分類できる。崖の梢に憩う2羽の鳥と、強いうねりを表した波を黄・緑・青・黒線で 描く。高台内には色絵古九谷様式にだけみられる複雑な角銘を黒線と緑絵具で表す。 :肥前・有田 / 1650年代頃

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藁灰釉筒茶碗

底部から口縁部まですっきりと筒形に作った茶碗には、轆轤目が残され、藁灰釉の不透明な白の下から茶褐色の線条文が見え 隠れし、釉全体に細かい貫入が入る。てらいのない率直な作行に、茶碗としての品格がひかる。底部は無釉で、高台際の鋭い削りに対して、高台内は浅く削る。 のちの所蔵者「信榮」は、箱書のなかで大名物の高麗茶碗「挽木鞘(ひきのさや)」の筒形の影響があるとみているが、いかがなものであろうか。 :豊前・上野窯 釜ノ口窯 / 1600~30年代

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色絵網目花文瓢形瓶

瓢形の瓶は有田では珍しくないが、形状は時代によって異なるものがある。この瓶のように下半分が豊かにふくらんだ瓢形瓶 は初期に多い。百間窯(佐賀県山内町)出土品に似通っている。底部の中央を浅く削り込み、無釉の畳付は幅を広くとっている。1640年代頃の特徴をもつ素 地に赤と緑の絵具で網目文と折枝花文を表す。有田の色絵が初期伊万里の後期に誕生したことを示唆する作品としても貴重。 :肥前・有田 / 1640年代

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色絵桜花文瓢形瓶(仁清手)

いわゆる仁清手の色絵。仁清手とは17世紀後半に陶器の世界で一世を風靡した京焼の名工仁清の影響を受けたとみられる色 絵磁器である。黒の輪郭線を引かずに萌黄のような明るい緑や青などで賦彩するのが特徴であり、それに金・銀・赤などを加えて上品で繊細な装飾に仕上げたも の。有田で金銀焼付けが行われた1650年代後半から70年代にかけて、この仁清手の色絵も作られた。口縁部は竹をかたどっている。 :肥前・有田 / 1655~70年代

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黒釉藁灰釉流瓢形瓶

元禄元年(1688)頃に川原一族が開窯した姶良郡の龍門司窯は、「黒もの(民陶)」が生産の主流で、現在も続いてい る。褐色の精選された胎土で作られた瓢形の大振りな徳利には、黒釉に青味を帯びた灰釉を掛けている。房飾りをつけて伝世した。高台内に「芳光」の刻印があ り、万延年間(1860~61)頃の陶工、川原芳光、一説には川原源助の作と伝えられる。 :薩摩・龍門司窯 川原芳光作 / 19世紀後半

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色絵樹木文大皿(青手)

成形や焼成が技術的に進歩したこの時期の製品らしく、器は薄く軽い。平らにカットした口唇部に口銹を施し、青手タイプの 後期の特徴を有している。勢いのある波文を黄色であらわし、その前に立つ樹木を描いたシンプルな構図。周辺部の文様は木目をあらわした文様とされ、緑色は 暗めの発色にあがり、濃密な印象を与える。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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色絵山水文大皿(青手)

口径40センチを超える堂々とした大皿。口縁には口銹がほどこされている。黄色の背景は雲気文で埋められ、山や木々は緑 や青で表現される。色絵の発色は濃厚で、黄色と緑のコントラストが美しい。このような色彩感は金碧障壁画からの影響であるともいわれている。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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染付 蛇籠水葵文 皿

見込みに蛇籠(じゃかご)と水葵(みずあおい)、流水が描かれており、いずれも水と水辺に関係した文様が描かれている。 蛇籠は護岸や水制などに用いられる道具であり、それに守られるように水葵が描かれている。この水葵も以前は水辺や水田で見られたが、現在では絶滅危惧種と なっておりほとんど見られなくなっている。(柴田夫妻コレクション7-168) :肥前・有田 / 1650~60年代

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色絵 瓢箪唐子文 変形小皿

このような西洋の風景が描かれたものは、輸出用の特別注文品である。また、このような風景画は、オランダの風景画家であ るフレデリック・ファン・フライトム(1632-1701)によって手本が描かれたと考えられていることから、「フライトムスタイル」と通称されている。 同様の作品は、中国やオランダの窯でも作られている。(柴田夫妻コレクション7-545) :肥前・有田 / 1650年代頃

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染付 岩松唐人牡丹唐草文 大皿

見込には欄干のついた道をゆく大人と子供の唐人が描かれている。その道には太湖石、草花、松樹が据えられている。周囲に は6枚の色紙が散りばめられていて、太湖石に松竹梅の図や四方(よも)襷(だすき)文などが描かれている。背景にはこの時代特有の牡丹唐草文が描かれ、口 縁部には花唐草文様帯が廻らされている。外面の八方に小花をもつ独特の唐草文が描かれている。十六方に小花文が配置されている。高台内染付銘「福」。高台 内ハリ目跡11個。白磁胎には細かい貫入(かんにゅう)が発達している。(柴田夫妻コレクション7-301) :肥前・有田 / 1660~70年代

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染付 瓢箪鳳凰文 輪花皿

内側面に陽刻の瓢箪形(ひさごがた)の窓を均等に5個配置し、それぞれに鳳凰(ほうおう)を描いている。これらの間も羽 を広げた鳳凰と唐草文により埋められているが、中央の見込(みこ)みは白抜きである。 ロクロ型打ち成形により精巧に作られた染付皿で、口縁部は口銹(く ちさび)が施されている。成形、意匠、絵付など、いずれも高度で優れた技術によって作られた、17世紀後半の有田磁器の到達点の一つを示す名品であ る。(柴田夫妻コレクション7-310) :肥前・有田 / 1660~80年代

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染付 山水扇波文 輪花大皿

富士山の絵が描かれた扇を六面配置し、扇の間を波の文様(青海波(せいがいは)文)で埋めています。また、口縁部にも波 頭文が一周しています。中央には風景の文様が描かれていますが、うねる波と遠景に四隻の帆かけ舟が描かれていることから、浜辺の情景であると思われま す。(柴田夫妻コレクション8-126) :肥前・有田 / 1690~1710年代

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染付 梅雲気七宝文 耳付壺

首が比較的長く、肩をはらず胴部が丸い形状をなす1630~40年代の特徴をもった壺である。高台をつくらず底部を削り こみ、底部内の一部は無釉(むゆう)である。肩には5つの縦耳(うち2つのみ残存)をもち、鎬(しのぎ)状の浅いヘラ彫りがめぐらされている。窓の中には 花卉(かき)文を描き、地文様(じもんよう)は渦(うず)文、雲気(うんき)文、七宝(しっぽう)繋(つなぎ)文をほどこしている。いずれも同時代の皿な どの製品にも多用された文様である。(柴田夫妻コレクション7-8) :肥前・有田 / 1630~40年代

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染付 獅子牡丹桜花菊花梅文 大皿

大皿の名品であり、見込みには獅子と牡丹、葡萄唐草が繊細な筆致で描かれている。周辺部には捻りの白抜きにより区画さ れ、七宝繋に桜花散と菊花散、菱文様に梅樹と変化に富んだ脇文様が見られる。高台内には染付で二重枠内に「福」字が書かれている。見込みに描かれた獅子と 牡丹は、取り合わせのよいものの例えとして古くから画題に用いられている。また、牡丹は「花王(かおう)」「富貴草(ふうきぐさ)」の異称を持ち、簡略化 したものから写実的なものまで数多く描かれている。(柴田夫妻コレクション7-302) :肥前・有田 / 1660~70年代

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色絵 龍花鳥栗芭蕉文 八角皿

見込み中央に団龍文を描き四方に唐花文を配す。内側面には丸窓に囲った植物や花鳥と唐花文を交互に配置する。染付と濃い 赤、金の上絵付けを組み合わせ、豪華に器面を装飾する元禄様式の作品である。(柴田夫妻コレクション8-139) :肥前・有田 / 1690~1710年代

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色絵 馬唐人梅文 大瓶

江戸末期の貿易商「田代屋」田代紋左衛門の商標「大日本肥せつ山信甫製」のある大瓶一対。東洋趣味を過剰にアピールした 輸出用。窓絵の表は中国の騎馬武者と貴婦人、裏には凧遊びの唐子が愛らしい。(柴田夫妻コレクション8-518) :肥前・有田 / 1850~60年代

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色絵 草花花弁文 小碗

口縁部には〇×文の連続文様、胴部には染付(そめつけ)と上絵(うわえ)の赤による唐花文と鳥の羽状の地文様(じもんよ う)と花文様が施されている。赤による施文のない、同文様の染付の小碗がトルコのイスタンブールにあるトプカプ宮殿に所蔵されている。この製品も、かつて コーヒーカップとして中近東方面に輸出されたものが日本に里帰りしたものかもしれない(柴田夫妻コレクション7-343) :肥前・有田 / 1680~1700年代

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染付 唐人宝草花文 大皿

見込みには野山を背景にして、冠を被って歩く主人と、それに従う若者の二人の唐人が描かれている。周囲六方に如意頭状の 窓を設け、そこに宝文と草花文が交互に描かれている。背景にはびっしりと四方(よも)襷(だすき)文が描かれ、呉須(ごす)を塗り込めている。外周二方に は簡略な土坡(どは)が描かれている。高台内染付銘「福」。高台内ハリ目跡2個。(柴田夫妻コレクション7-132) :肥前・有田 / 1650~60年代

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白磁文字文瓶:I.C

輸出向けの瓶の形態であり、口が二重の凸帯となっている部分など、細かい注文があったことを想像させる。底面にはI.C というアルファベットとそれを囲むリースのような文様があらわされている。I.Cとは、出島の商館長を務めたヨハンネス・カムファイスのイニシャルに由来 するものといわれる。インドネシアに伝世したものと伝えられる。(山口幸雄・悦子氏寄贈) :肥前・有田 / 1680~1700年代

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染付コンプラ瓶 JAPANSCH ZOYA

内容を示す文字「JAPANSCH ZOYA(日本の醤油)」と記されており、日本から輸出する醤油容器として作られ た瓶であることがわかる。口づくりにも注文があったと考えられ、凸帯となっている。インドネシアに伝世したものと伝えられる。(山口幸雄・悦子氏寄贈) :肥前・有田 / 1800~40年代

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