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スタンドアロン型電算写植機(サプトン)

スタンドアロン型電算写植機(サプトン)は、ミニコンピューターを内蔵し、入力されるデータ(本文、番組表、相場欄の 数字など)の各種組版処理を行います。必要な文字を、高速で回転する文字円盤から選択して印字します。 使用期間:昭和55(1980)年~平成 11(1999)年 メーカー:写研 使用:名古屋タイムズ印刷

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CTS用さん孔機

CTS用さん孔機は、主に製作部門の専用オペレーターが使う端末で、部首別または音訓別に配列された文字盤を選択して入 力する機械です。入力した文字や記号は、画面上に表示しました。 使用期間:昭和63(1988)年~平成8(1996)年 メーカー:東芝 使用:朝日 新聞東京本社

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無線電送車(エコーII)

事件・事故・災害などニュースの発生現場には、新聞社の無線電送車が急行し、取材した記事と写真を、発行本社の編集局に 電送します。過酷な取材に耐える重装備に改造された車輌が使われ、無線機器、写真電送機などの通信設備や写真暗室設備を備えています。ニュース現場に何日 も留まり、取材基地、前線本部としての役割も持っています。この無線電送車は朝日新聞社で使用されたもので、「水俣病裁判判決」の取材を皮切りに、平成 2(1990)年7月の熊本県阿蘇の「一の宮水害」取材まで前出同回数67回、11年半にわたって活躍しました。 メーカー:福岡トヨタ自動車 使用:朝 日新聞西部本社

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携帯形写真電送送信機

事件、事故などの取材先から写真を送るのに使用しました。キャビネ版の写真1枚を、約5分で送信していました。 メー カ:東方電気 使用:京都新聞社

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電子スチール・カメラ(マビカ)

マビカは、新聞社で初めて使われた電子スチール・カメラです。昭和59(1984)年のロサンゼルス・オリンピックで現 地取材用に使用されました。CCD(Charge-Couppled Device、電荷結合素子)で画像を電子化し、組み込まれたフロッピーディスク (FD)に記録しました。撮影してすぐに映像を送ることができました。 使用期間:1984(昭和59)年~平成元(1989)年 メーカー:ソニー 使 用:朝日新聞東京本社

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フィルム電送機(NT-1000)

写真電送機は、取材現場から撮影した写真を送る際に、ネガフィルムから印画紙に現像したものを送信する必要がありまし た。フィルム電送機の登場により、ネガフィルムを直接電送することができるようになり、現像する作業が不要になりました。その結果、装置と時間が大きく節 約されることになりました。 使用期間:昭和59(1984)年~昭和63(1988)年 メーカー:ニコン

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カラー写真電送機(203D/A)

カラー写真電送機は、カラー写真を色分解して、カラー印刷に必要な「黄(イエロー)」「赤紫(マゼンダ)」「青(シア ン)」「黒(スミ)」の4つの版を、画像信号に置きかえ、順次送信します。 使用期間:昭和61(1986)年8月~平成4(1992)年6月 メー カー:松下電送 使用:毎日新聞東京本社

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インマルサット通信装置

インマルサットは、国際海事衛星機構が運用する海上用の衛星通信システムです。1980年代後半から陸上通信の使用が認 められました。報道機関は、電話回線が確保できない紛争地域や、山岳地域などでニュースや写真の速報に利用を始めました。 メーカー:日本無線(インマル サット端末設備) MTI社(米国 インマルサットA型端末) 使用:読売新聞東京本社

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ジェット取材機「はやて」

1976年、朝日新聞社が報道機関として初めてジェット機を導入しました。「はやて」の性能は、全長13.26m全幅 13.38m全高4.37m最大速度毎時840km巡航速度毎時640km最高高度12.400m航続距離2.700km。セスナ式500型。 メー カー:セスナ社(米国) 使用:朝日新聞東京本社

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官版 バタヒヤ新聞

文久2年1月(1862年2月)、蕃書調所が編集、江戸の老皀館萬屋兵四郎が出版・発売した新聞。バタビヤ(現インドネ シアのジャカルタ)のオランダ総督府機関紙「ヤバッシェ・クーラント」(Javasche Courant)を翻訳したもので、諸外国とオランダ国内の重 要ニュースを掲載しました。「バタヒヤ新聞」とは、バタビヤからのニュースという意味。江戸幕府が海外情勢を知らせるために発行した日本語初の新聞で全 23巻。

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海外新聞

元治2年3月(1865年)、ジョセフ・ヒコ(本名・浜田彦蔵 播州(兵庫県)の漂流民で米国籍)が横浜で創刊した新 聞。日本人による最初の民間新聞で、毎月2回横浜に入港する英国船のもたらす新聞を翻訳して国別に編集して掲載しました。慶応2年9月(1867年)の 26号まで発行(月2回刊)、発行部数は100部程度。

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横浜毎日新聞

明治3年12月8日(1871年1月28日)に横浜で創刊した日本初の日刊新聞。神奈川県令(知事)・井関盛艮が新聞の 力を国民の開化発展に利用すべきと考え、横浜の貿易商らに説き資金面の協力を得て創刊しました。近代活版印刷の祖・本木昌造の弟子が製作にあたり、元幕府 横浜洋書検閲官の子安峻(後の読売新聞初代社長)とともに発行。和紙木版刷りの全盛時に、鉛活字を使用し、洋紙1枚・両面に刷られた刊行物は、これまでと は違う近代型新聞の誕生を告げる画期的なものでした。明治12(1879)年11月東京に進出、「東京横浜毎日新聞」「毎日新聞」「東京毎日新聞」と改題 したのち、昭和15(1940)年11月30日付で廃刊。

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東京日日新聞

明治5年2月21日(1872年3月29日)、東京で創刊した現存最古の日刊新聞。条野伝平(戯作者)、西田伝助(貸本 屋の番頭)、落合芳幾(浮世絵師)らが発行しました。明治44(1911)年3月1日に「大阪毎日新聞」と合併、昭和18(1943)年1月1日に「毎日 新聞」に題号を統一し、現在に至っています。

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青磁染付雷文皿

染付と青磁による爽やかな色調の作品である。鍔状の口縁に青磁釉が少し盛り上がりぎみにのっており、端は釉が薄いため素 地の白さがみえている。皿の内面には藍地に薄瑠璃色の雷文を表すが、よく見ると薄瑠璃色の縁にはすべて墨弾きによる白抜き線を伴っている。裏面は染付で六 つ玉の七宝結び文を三方に配し、高台には長めの櫛目文をめぐらす。 :肥前・鍋島藩窯 / 1730~40年代

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色絵碁盤童子置物(柿右衛門様式)

碁盤と童子の組み合わせで関連することと言えば、男の子が5歳になると成長を祝って行う髪削(深曽木)の儀式がある。ま た江戸時代の座敷芸に、人形を碁盤の上で操って踊らせる碁盤人形というのがある。この作品もこうした儀式や遊芸にちなんだ題材と考えられる。童子の背中に は横長の赤い四角い布をさげたような絵付けがなされている。童子も碁盤も内部は中空であり、碁盤の方は内部に4本の柱で箱を支えている。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代

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象嵌牡丹文角水指

粘土の板をよせて方形に作った角水指は、前後に大きな牡丹文、両側面に小振りの牡丹文を彫り、白土を埋めた象嵌技法で意 匠をきわだたせている。平底の底部を除き、全面に施された薄い透明釉の面は、茶褐色の胎土が抹茶色を呈している。共通点の多い作である象嵌牡丹文四方形香 炉は、底部に「宝暦六丙子(1756)…」の彫り銘をもつ。本品は佐賀の旧家に伝世し、茶席に使われたという。 :肥後・八代窯 平山窯 / 18世紀中葉

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三彩皿

無釉のまま高火度で焼成したあと、低火度焼成の藍釉・緑釉・黄釉・透明釉が掛け分けられ、焼成時に熔融し合うことによっ て複雑な色調が生まれている。焼成が不足すると熔け合わず、焼成が過ぎると混じりすぎて色調が不鮮明になる。この製品はもっとも良好な焼き上がりといえ る。素地は白い磁胎であり、透明釉をかけた部分が白くみえる。 :肥前・長与窯 / 1790~1820年代

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青磁染付紫陽花文皿

雨後の紫陽花を彷彿とさせる作品である。染付による紫陽花文に、しっとりとした青磁釉が垂れ込めている。釉の境には画す る線もなく、曲線を描きながら柔らかに融け合っている。紫陽花は一見すると写実的であるが、花弁や葉の描き方などパターン化され、個々の基本単位を巧みに 組み合わせて表現されている。裏面には雲形の葉に八つの花弁をもつ花唐草文を三方に描く。高台は長めの櫛目文をめぐらす。 :肥前・鍋島藩窯 / 1690~1730年代

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青磁染付桃文皿

桃図の背景に青磁釉を施す。円形の画面いっぱいに文様を配すのは、鍋島には多くみられる構図である。左手の白い桃は、染 付の線書きだけで表されている。もっとも大きい文様を、もっとも単純な手法で表現している。右手の桃は墨弾きによる白抜き文を全面に描く緻密な表現であ る。大きくて単純な桃と、小さくて濃密な桃の対比がおもしろい。裏面の三方には、雲形の葉を持つ唐花唐草文を描く。高台には櫛目文をめぐらす。 :肥前・鍋島藩窯 / 1690~1730年代

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刷毛目文水指

蓋には宝珠状の紐(つまみ)がつき、表面には白化粧土を用い打刷毛目を施す。裏面は周縁部に刷毛目を施し、中央部は露胎 で赤褐色を呈している。身には蓋受けがあり、この上面は白化粧土が残っている。胴部は、器表全体に薄い白化粧土による刷毛目、さらに打刷毛目を3段に施 し、暗褐色の地に白化粧が映えてみえる。蓋・身の内面と高台畳付を除く全体に透明釉が施されている。打刷毛目は武雄市庭木窯跡などの出土品に類例がみられ る。 :肥前 / 1690~1740年代

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灰釉簾文水指

水指に仕立てた広口瓶である。肩と胴部を区切るように2条の線文をめぐらし、肩には鋸歯文の山形、胴には簾状の破線文を 篦で描いている。器形と文様は、阿蘭陀水指のアルバレロ形壺を意識したものではあるまいか。器内外には土灰釉を薄く掛け、さらに口縁部から流した藁灰釉が 灰褐色の器面に白く、けしきを添えている。内底には三足付ハマの熔着痕がみられる。底部は無釉であり、高台内には「小代」の丸印と「牝小路(ひんこう じ)」の角印がみられる。 :肥後・小代窯 牝小路窯 / 18世紀末~19世紀前半

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三彩茶碗

上野皿山本窯は田川郡赤池町上野で寛永2年(1625)に開窯し、細川藩政から小笠原藩政を経て、明治4年(1871) の廃藩置県とともに御用窯としての性格を失う。「上野三彩」は江戸後期の新しい技法で、碗の内外に紫蘇釉(しそゆう)と呼ぶ黒に近い暗紫色や黒に発色する 釉を施し、その上に黄釉・銅緑釉・白釉をイッチン掛けの手法で流し散らす。椀形の茶碗は、胴部を指で凹ませ、高台は裾広がりに削り出す。 :豊前・上野窯 上野皿山本窯 / 18世紀

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染付雲龍麒麟文耳付花生

精密な細工による龍耳をつけた広口の花生。染付で胴の上方に龍、下方には麒麟を描く。背面には頭を後方に向けた同様の龍 と麒麟を配す。19世紀の三川内焼は染付の描写と白磁のひねり細工が精巧を極め、しばしば両者を組み合わせた製品が作られている。絵書きと細工は分業であ るため別人であるが、いずれもおとらぬ技術力を有している。口縁部のリンボウと呼ばれる連続文は、三川内焼の碗や花生などに多用された特徴ある文様であ る。 :平戸・三川内窯 / 19世紀

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染付若松遊馬文水指

若松の間に群れ遊ぶ9匹の馬が描かれ、蓋には白磁の馬形のつまみがつけられている。白く精良な素地に明るい呉須で染付さ れ、余白のとり方も軽快でバランスがよい。水指の肩下には段がつけられ、形を引き締めている。口縁部の連続文は、丸文をはさんだ瑶珞ふうの文様で、成形、 絵付ともに技術的に優れ、19世紀の三川内焼の水準の高さがうかがえる。 :平戸・三川内窯 / 18世紀後半~19世紀前半

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藁灰釉小壺

藁灰釉を厚く掛け流した小壺には、豊かに張った胴から腰にかけて、轆轤による篦削りの跡が意識的に残されている。このた め施釉部分は、白の微妙な陰影が線条文を生みだし、さらに茶褐色に発色した口縁部と無釉の底部から高台にかけての荒削りな素地の暗褐色が器の天地をまとめ て、水指の風格を生む。かつては「斑唐津」とされたが、福岡県直方市の内ヶ磯窯跡の発掘調査により、筑前・高取焼の初期の伝世品と考えられるようになっ た。 :筑前・高取窯 内ケ磯窯 / 1610~20年代

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鉄絵萩文壺(絵唐津)

口縁部は短く立ち上がり、口唇部は露胎になっている。胴部には、一方に萩とみられる植物、他方に薄とみられる植物を描 き、秋の野辺を思わせる風情である。胴部内外面には半透明の釉薬が施され、細かい貫入がみられる。底部は露胎になっており、明瞭な高台を形成せず、浅い刳 り底になっている。萩文は武雄市小山路窯跡、伊万里市道園窯跡などの出土陶片に類例がみられる。 :肥前 / 1590~1610年代

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色絵三果文皿(柿右衛門様式)

内面に3種類の果実(柘榴(ざくろ)・桃・仏手柑(ぶっしゅかん))を描いた皿である。呉須で果木や果実の外形を描いた のち黄色・赤色・青緑で上絵付を施す。口縁部内面は、圏線の間に赤色で龍が描かれ、部分的に黄色を施している。口縁外面は、1本の茎をもつ唐草文が描かれ る。高台内には圏線がめぐり、二重方形枠内に草書体をさらに崩した「福」字銘を書き、ハリ目跡が5ヶ所に残る。俗に“柿鍋”と称され、類例に「延寶年製」 の銘を持つものがある。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代

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染付草花文瓶(フッカ瓶)

瓶の口部を杯状に成形した珍しい器形である。なかに水を入れ、火皿と吸い口をとりつけて喫煙用の水パイプに使用するもの である。胴には八方に輸出品にしばしばみられる図案化された花文が表されている。この花文をもち肩部に穴のあいた玉子形の水パイプ瓶がハンブルク美術工芸 博物館に所蔵されている。盃状の口部、頸部、胴部の花文の上下に唐草文を表す。底部は碁笥底風に削り込まれ、畳付のみ無釉とする。 :肥前・有田 / 1670~90年代

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色絵布袋文水注(ケンディ)

長い頸と乳首型の注口に特徴のあるこのような器形の水瓶はケンディ(Kendi)と呼ばれる。水飲み用の容器で、水は容 器を傾けて注口から口に受けるようにして飲まれる。東南アジアの土器に原形があり、この独特の丸い乳首状の注口のついた器形は、中国陶磁では16世紀末に は作られ、東南アジアなどに輸出されている。このケンディは型押しによって成形されており、両面には布袋が表されている。頸部は緩く面取りされ、高台畳付 は施釉後に削られている。 :肥前・有田 / 1655~70年代

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白磁牡丹花形皿

網田焼は、寛政5年(1793)に開窯し、肥後藩の皿山会所が廃された文政10年(1827)までの間に、とりわけ上手 のものを焼いた。轆轤成形後、型に押しあてて牡丹の花形に作った白磁の深皿は、花弁に走る葉脈まで克明に表現し、器の外面は手彫りで簡潔に仕上げる。高温 で焼成した器には焼ひずみがあるが、淡い青味を帯びた釉調が美しく、牡丹の花をひきたてている。高台内に「肥後宇土郡網田山製」の染付銘を記す。 :肥後・網田窯 / 1790~1820年代

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色絵梅花沢瀉文瓶

細首でらっきょう形の瓶。全体は赤絵具が支配的である。上絵の赤で大きく沢瀉文を描き、地紋は赤・緑・黄による梅花文と 赤の条線で埋める。首部の肩に七宝繋文の帯を、また口縁近くと首の中央部に緑と黄色で連鎖文の帯を入れる。この作品は、かつては古九谷に分類されていた が、1671年銘の銀蓋付きの同様の文様をもつヨーロッパへの輸出品が英国で紹介され、有田製であることが理解されるようになった。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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色絵菊龍文鉢

器体の内外に種々の文様を上絵付で描き込み、全体の地を緑と青で埋めている。外側面には大きく菊花文を描く。枝葉は緑 色、地は青で埋める。この外側面の文様構成は菊花三つを四方に繰り返したもの。内側は見込に雲龍文を表し、六方に滝を描き、間に松・千鳥・梅花・水車・波 涛文などを配している。青色系の濃厚な色調で、華やかで豊麗な印象を与える。高台内には上絵赤で銘を入れている。 :肥前・有田 / 1655~60年代

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色絵唐草花文象置物

有田製の象置物から創意を加えて変化させた作品。有田の象の置物とは背にのせた敷物の柄などは共通するが、高く掲げた長 い鼻、サイのような足、皮膚の表現などは異なる。素地は白いが黒い微粒子が多い。足の裏のみ無釉で、それぞれに小穴があけられている。腹部に赤でシャン ティイ窯の窯印であるホルンが記されている。シャンティイ窯は柿右衛門様式の製品の優れたコピー作品で知られる。 :フランス・シャンティイ窯 / 1725~1800年頃

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灰釉櫛目文三耳付葉茶壺

茶の名産地をひかえた筑後地方の陶器窯では、葉茶壺とよばれる茶の葉貯蔵用の大形の壺が製造された。肩には、口を封じる 木栓に紐を掛けるための耳がつく。叩き成形後、轆轤で仕上げ、表には線条文と波状文を篦で刻む。肩に彫られた窯印の「星」字と、たすき掛けのように左右か ら流された土灰釉が、地方窯らしい簡素で力強い造形に風趣をそえている。内面は無釉である。 :筑後・星野窯 / 18世紀末~19世紀

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灰釉彫文瓶

現在の玉名郡南関町小岱山(しょうだいやま)に開窯した小代焼は、きめの粗い胎土で成形し藁灰釉を掛け流す素朴な作風が 特色で、茶陶も焼くが、生活の器が主流である。平底でずんぐりした安定感のある「船徳利(ふなどっくり)」形の瓶は、無釉の焼締めで、上部に薄く掛けた藁 灰釉がけしきとなっている。胴部には幾何学的な角文と「一番」の文字を彫っている。無釉の底部には輪状の窯詰め痕3ヶ所と、「小代」、「牝小路(ひんこう じ)」の2種の刻印が残る。 :肥後・小代窯 牝小路窯 / 19世紀前半

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染付唐獅子文大皿

口縁部を鍔縁に成形し、口縁部上面の8ヶ所の窓には草花文、内側面には唐草文を描いている。内面には、月明かりの中に2 匹の獅子が見合うように描かれている。中国では、2匹の大小獅子を描いて「太師少師」とする図案があり、高官厚禄の意とされる。口縁下外面には、染付によ る2条の線がめぐっている。高台畳付を除く全面に青味がかった釉薬が施され、器表には細かい貫入が入る。高台付近には手跡が残る。 :肥前・有田 山辺田窯 / 1630~40年代

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色絵三瓢文皿

画面いっぱいに藍と白と緑の瓢箪を描く。白は本来地の色であるから、両側の瓢箪を藍色と緑色に塗り、またそれ以外の地を 青海波文で埋めつくし、初めて白い瓢箪が描かれたことになる。こうした白さを表現の中心においたものとして、染付鷺文三足付皿、染付人参文皿、色絵大根文 皿などがあり、すべて地を塗りつぶすことで白い形を浮かび上がらせている。裏文様は三方に六つ玉の七宝結び文、高台に櫛目文が描かれている。 :肥前・鍋島藩窯 / 1690~1720年代

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色絵梅竹虎文大皿

マイセンでは黄獅子と通称される文様。これは虎をライオンとみたことに由来する。この文様は柿右衛門様式の竹虎文を写し たことから始まり、マイセン窯の初期にあたる1730年代から製作された。この作品は全体的に絵付が堅く、梅の枝ののびかたなどは規則的である。素地は白 く、釉は光沢が強い。高台内にマイセンの交差剣の窯印が入れられ、「57/4」と活字による刻印がある。また、高台の内側面には染付で11、紫で26と記 されている。(旧ドイツ民主共和国寄贈) :ドイツ・マイセン窯 / 1774~1815年頃

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色絵石楠花躑躅文皿

色は染付の藍色に上絵の赤・緑・黄という色鍋島の基本4色からなる。4色でありながら各色の量的なバランス、線と面によ る表現の違い、濃みによるぼかしや濃淡の表現など、手法の組み合せにより実に多彩な美が創出される。花文は赤い線書きのみで表されているが、線の下には染 付の薄い下書きがなされている。裏面は三方に牡丹唐草文、高台に櫛目文を描く。 :肥前・鍋島藩窯 / 1700~20年代

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陰刻龍文水指

口部を端反りにし、胴部の下半にロクロ回転による線刻文を施す。胴部上半には簡略な雨龍文を線刻で二方に描く。雨龍文の 間には「志賀」の文字を二方に分けて一文字づつ記している。文字は茶色にみえるが、高台内には呉須で「志賀」と書かれているため、これも呉須と考えられ る。釉が淡黄色であるため、呉須の色が変化してみえるのである。 :対馬・対州窯 志賀窯 / 18世紀末~19世紀

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藁灰釉茶碗 銘「玄峯」

堂々とした大振りの茶碗は、高く裾広がりの高台をざっくり削った椀形で、いわゆる朝鮮の「奥高麗茶碗」写しである。いく ぶん焼きが甘いために、藁灰釉の流れた釉だまりが十分にとけきらず白く残りけしきとなっている。これを遙かに眺める霊峰に見立て、箱表には「銘 玄峯」と 記されている。また、蓋裏に「龍沢 般若窟」とあり、これは旧藏者、静岡県三島市龍沢寺(宝暦11年(1761)開創)の玄峯老師(昭和)によるものであ る。 :筑前・高取窯 内ケ磯窯 / 1610~20年代

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染付菊形香炉

宝暦年間(1751~64)に現在の粕屋郡須恵町皿山に磁器窯が開かれ、肥前・有田の技術を導入し、「南京焼」が焼かれ た。黒田藩の保護下で上質の白磁や染付を製作した。胴を3段に削りだした菊の花弁で飾り、端正すぎる細工を染付の菊葉で乱した筒形の香炉。全面に施された 青味を帯びた透明釉が、技の巧をひきたてて美しい。高台内に染付銘「スエ」の組文字がみられる。 :筑前・須恵窯 / 18世紀後半

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染付芙蓉手唐人文大皿

芙蓉手の染付大皿。内側面の八方の窓内には4種の異なる花卉文が描き込まれている。縁先でくつろぐ貴人と翳(さしば)を かざした従者と思われる唐人を描き、遠景として松樹・柳に東屋を配す。周縁部の文様など、中国・景徳鎮窯の芙蓉手と比べて日本的要素が加味された文様を描 く。裏面は無文で、高台内にハリ目跡が7個残っている。 :肥前・有田 / 1680~1700年代

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染付楼閣山水文大皿

口縁部を鍔縁に成形し、口縁部上面には如意頭文を描く。内側面は渦文を連続して描いている。内面は、楼閣の背後にある樹 木が見込中央にくるように描かれている。背景の山々はやや雑に配置されているが、筆使いには力強さを感じる。楼閣山水文は、初期伊万里にしばしば用いられ る題材である。高台畳付を除く全面に釉薬が施され、器表には貫入が入る。高台付近に施釉時の手跡が残るのは、生掛け焼成であった初期に通有の特徴である。 :肥前・有田 山辺田窯 / 1630~40年代

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染付雪景山水文四段重

蓋に雪景山水文が描かれ、それに対応して正面にも同様の文様が描かれている。他の3面は左側には桐樹鳥文、右側は波涛雲 龍文、背面に山水人物文が描かれている。成形は板作りであり、焼成によるひずみがほとんどなく、技術の高さがうかがえる。雪景は濃みのぼかしを効果的に使 い、巧みに表現されている。底には一重方形枠を縦線で二分し、右に「亀山」、左に「製」の時を記した銘がある。 :肥前・亀山窯 / 19世紀前半

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浮彫菊散文瓢形瓶

胴部に文様を浮彫状にした瓶である。胴上部には牡丹唐草文を浮き彫りにし、地には刺突文を施している。胴の上部と下部の 繋ぎ目に縄目の文様を施す。胴下部には菊花を浮き彫りにし、地には刺突文を施している。胴下位には縄目の文様がめぐり、高台までの間に蓮弁文が彫り込まれ ている。高台は低く幅広に成形され、高台内は二段に削り込まれる。器表は露胎になっているが、口縁部内面には透明釉が施されている。 :肥前・有田 / 1630~40年代

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染付岩牡丹文大瓶

頸部に芭蕉葉文、その下に七宝繋文、如意頭文の文様帯を持つ。胴部には左右に広がる牡丹が描かれている。高台外側面には 2条の染付の線がめぐる。畳付は台形状で、釉剥ぎされている。T.フォルカーによると、1659年のバタヴィアから長崎宛の文書に、モカ向け注文品として 花文・葉文を描いた約6リットル入りの磁器のフラスコとある。この大瓶の容量は約16リットルあり、同形式の瓶であれば高さ約40cmのものが約6リット ルである。 :肥前・有田 / 1650~60年代

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染付花盆文大蓋物

一見蓋物を受け皿にのせたようにみえるが、広い鍔をもつ蓋付の鉢。ヨーロッパからの注文による製品と考えられる珍しい器 形である。鉢の胴部に広い鍔をつけた形態であり、内側は以外に深い。蓋の上面には花盆文を染付で表すが、つまみが邪魔になるので、枝を曲げて描いている。 鍔には四方にムカデ状の唐草が施されている。また口縁部には七宝文と瑶珞文が表されている。平底の底部は無釉で四角い目跡が8個残っている。 :肥前・有田 / 1690~1730年代

情報所有館 : 佐賀県立九州陶磁文化館 


色絵芙蓉手鳳凰文鉢

いわゆる芙蓉手の鉢。見込に双鳳文を描く。口縁部、高台脇と高台内に染付線を施した素地に、柿右衛門様式の色調の上絵具 で文様を描いている。外まで貫通している貫入を隠すために左の鳳凰に草葉をあしらっている。この草葉は柿右衛門様式にみられない細い黒線に黄緑色で表され ており、後代に施されたものと考えられる。裏面は蔓草でつながれた唐花文がめぐらされ、また高台には赤で輪郭のみの櫛目文を入れる。 :肥前・有田 / 1660~70年代

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刷毛地雪持笹文輪花皿

口縁部を六つの輪花に切り、全体を刷毛目で装飾する。褐色の素地に化粧土の白くて細い刷毛目が映える。中心部に残る刷毛 目の向きから、素地は左まわりに回転し、口縁部から中心部に向けて刷毛を動かしたと考えられる。皿の右方には刷毛目の上から鉄絵具で笹が表されている。裏 面も全体に刷毛目を施し、雪持笹文を描く。 :肥前・現川窯 / 1690~1740年代

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