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1号機は三岐鉄道富田駅構内の有蓋貨車入換え作業に使用されていましたが、袋詰めセメント輸送が廃止になり長らく富田駅 構内で放置されていました。2号機は太平洋セメント藤原工場内の入換え作業に使用されていましたが、こちらも不要となりました。その後、保々工場で整備の 上、貨物鉄道博物館で収蔵車輌入換えに活躍しています。■製造所:アント工業(株) ■貸与:三岐鉄道(株)
情報所有館 : 貨物鉄道博物館 ![]()

貨物鉄道博物館は、元日本通運丹生川営業所の倉庫を再利用しているのですが、その日通営業所時代に貨車荷役に活躍した 「フォークリフト」です。■製造所:小松製作所
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ホームで手押車を牽引して荷物を運搬する電動車であり、それ自体にも荷台があって荷物を積載できます。倉庫や市場等で現 在でも用いられますが、内燃機関車が多く「バタバタ」等と呼ばれています。初期の標準的な規格性能は自重1600kg、牽引力2000kg、最高速度 7km/hでした。
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駅 構内において貨物の輸送に使用する2輪の輸送具です。車輪は一般に鋳鉄製ですが、ゴムタイヤを付けたものも存在しました。貨物鉄道博物館に保存されている 手車は、JR篠ノ井線稲荷山駅に残されていたもので、2004(平成16)年に収蔵されました。
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収蔵品は広島県温品村大上の甲斐出氏により製作された一台で、広島県内で使用された後保管されていたものです。小型の標 準品で、リヤカーの普及までは国鉄でも同系が使用されていました。(通運業者による小運送にはより大型のものが主に用いられていました。) 年代:1949年
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■りんご箱:オリジナルは昭和40年頃青森県碇ヶ関の佐々木操商店がりんご(国光)の出荷に用いていたもので、収蔵品は ラベル、ステンシルともにオリジナルを忠実に復元したレプリカです。当時の標準的なりんご輸送容器で、青森県などのりんご産地では現在も同じ規格の物が近 距離の出荷に使用されています。■叺(かます):藁製の筵(むしろ)を二つ折りにして縫い合わせ、袋状にした容器で、昭和30年代頃まで農水産物や肥料、 鉱産物などさまざまな品物の輸送に用いられました。収蔵品は藁製品製造業者によるレプリカです。
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駅構内において貨車を移動するために使用する機械の内、最も簡易なもので、動力式の貨車移動機が配置されていない駅で使 用されました。貨車の車輪とレールの間にくさび状の先端部を差し込み、テコの原理を応用して隙間をこじ開けるように貨車を起動します。多くの場合、起動し た後は貨車を直接手で押して移動させます。現場では「動車テコ」「テコ棒」などと呼ばれました。
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入換中の貨車が過走するのを防ぐために使用する装置です。走ってきた貨車の前部車輪が進路上に置かれたヘムシューの板部 分に乗り上げると、ヘムシューはレール上を摺動し、摩擦によって貨車を減速・停止させます。ハンプ式操車場で多く使用されました。
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人 力による荷役作業時に使用する補助具です。掴みにくい荷物をこれで引っ掛けて持ち上げ、そのまま担ぐなどして運んでいました。段ボール箱等の現在の梱包材 には不適のため使用されないが、魚市場等では現在も使用されています。
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貨 物列車を運行するために欠かすことの出来ないもので、貨車の記号番号、発着駅、積荷の品名・重量などの重要な情報が記載されていて、それぞれの貨車の両側 面に挿して使用されます。
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天体観測用の器具です。江戸の忠敬宅に据置いて観測したもの。据え付けにはもっと大規模な架台を必要としましたが、現在 は残っていません。目盛にはダイヤゴナル目盛りを利用し、最小1分まで観測可能です。本体最大長185センチ
情報所有館 : 伊能忠敬記念館 ![]()

天体観測用の器具です。全国測量に持ち運び観測したもの。実際の使用にあたっては、もっと大規模な架台を必要とします。 現地で天体観測を行う場合には、約10坪ほどの場所を用意させて、夜中に観測を行いました。目盛はダイヤゴナル目盛りを利用し、最小1分まで観測可能。本 体最大長121.3センチ。
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測量の時、坂道などの角度を測るのに用いた器具です。求めた角度と測量した斜辺をつかい、水平距離を求めました。最小 20分まで観測可能。本体最大長41.1センチ。
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忠敬が経度測量に用いた器具です。錘の力で振り子を動かし、1日およそ59000カウントして日食や月食の時刻を測った 振り子式の時計です。台座部に、寛政8年戸田東三郎作と書かれた貼紙があります。本体最大長29.1センチ 年代:1796
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距離をはかる器具です。本体を引き下部の車輪が回り、内部の歯車が回りその距離を示すように作られています。しかし、誤 差が大きくあまり使用しませんでした。最大長23.6センチ
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忠敬の孫忠誨が使った器具です。天体観測した星の位置から、そのときの季節や時刻が読み取れる星座図です。箱書きに文政 7年とあります。最大長45.5センチ 年代:1824
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基準尺として用いられたと伝えられますが、大谷亮吉は『伊能忠敬』の中で圭表儀の部品と述べています。遊尺があり、板バ ネとねじで止められるようになっています。(大)の裏面には田中丹柳作の刻銘があります。最大長36センチ
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忠敬の孫忠誨が使った器具です。錘の力で振り子を動かす振り子式の時計です。裏面には大野規行(大野弥三郎)の刻銘があ ります。最大長33.7センチ 年代:1825
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日本で古くから使われていた手織機の1つ。家内工業として木綿、絹、麻等を原料とする衣料の製造に用いられたが、明治20年(1887年)頃から自動織機の急速な発展によって次第に衰退し、今では特殊な民芸品を作るほかには、ほとんど使われなくなった。
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明治21年(1888年)に書かれた下村紡績所への伝習生(実習生)志願書。クラボウは日本では珍しく全てリング精紡機からスタートをしており、ミュール精紡機に加えてリング精紡機も設備していた下村紡績所に、伝習生の受け入れを要請した。長期間の実習を終えたこの伝習生たちはクラボウの新鋭紡機の運転にあたり、中核となって貢献し、その後、リング精紡機の使用と優れた技術力を持つ従業員の協力により、国内から品質面で高い評価を受けた。
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クラボウの登録商標「三馬」。明治28年(1895年)中国向け綿糸の輸出を開始する際、品質の責任を明らかにするためにクラボウ独自の商標として、3頭の奔馬をあしらった商標「三馬」を制作した。デザインは倉敷出身で、数年間、中国に留学した画家である衣笠豪谷氏に依頼。「三」は古来中国では縁起が良い数として好まれ、「奔馬」は驀進、勇勢を表すことからモチーフに採用された。この後、クラボウの輸出綿糸も奔馬が天を翔けるような勢いで中国各地へ広がった。
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創立時の第1号株券。創立総会は明治21年(1888年)に社名を有限責任倉敷紡績所とし、倉敷村誓願寺で行われた。すでに大原孝四郎を頭取(社長)に内定した旨を早々に発表していたため、大原頭取による紡績所設立を知り、クラボウの貧村救済という創設の理念に共鳴し、創立者の熱意にほだされた倉敷及び岡山県下の人々から多数の株式引受の申込があった。
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明治30年(1897年)にイギリスから輸入した消防用蒸気ポンプ。綿などのワタを扱う紡績工場では、火災は会社の死活を左右し、なによりも工場で作業する従業員の生命にかかわる重大な問題だった。しかし明治時代には龍吐水・手押ポンプなど極めて貧弱な消防器具しか国内にはなかったため、クラボウは消防用蒸気ポンプを海外から購入し、またそれ以外に消防用具の整備、防火壁・防火扉の新設改修、高架水槽の設置、火災保険の契約を行い、防火体制を固めた。
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クラボウの社章で、社訓「謙受」の精神をシンボライズ。人々はとかく一番になると、慢心して心が緩み退歩するので、たとえ一番になったときでも、常に二番・三番にいる気持ちで、真の一番を目指すつもりで努力せよ、という訓戒をカタチにしている。
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意味は「満足して驕り高ぶる者は損なわれ、謙虚に努力する者は利益を受ける」で経典「書経」の一節「満招損、謙受益、時乃天道」に由来する。この言葉は、初代社長の大原家が代々家訓として伝えていた言葉で、慢心を諫め絶え間ない努力こそが会社経営の根本精神だと、社員達に説いた。
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