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堀井謄写堂商品カタログ

堀井謄写堂製の製品カタログ。当館では明治40年前後・大正期・昭和3年のものの3種類を保有している。謄写輪転機をは じめ印刷機・ヤスリ・小物から文具まで取扱品目は幅広く、堀井謄写堂は謄写印刷機器だけでなく、総合文具メーカーであった。カタログも豪華であり、表紙は 石版印刷の手の込んだもので、特に昭和3年のカタログの表紙は美術的にも一級品である。 年代:1920年代

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林商店商品カタログ

林商店は昭和初期から戦前戦後を通じて堀井・昭和謄写堂と並んで大手卸売業者でもあった。ホースブランドでの製造・小売 も行っており、この1928(昭和3)年製カタログは全ページ写真入りの石版印刷である。豪華なカタログからその当時の繁栄ぶりが窺える。 年代:1928年

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日本謄写芸術院会員作品

日本謄写芸術院は1930(昭和5)年、宮川 良が興した謄写印刷技術研究・普及団体であり、定期的に新聞・制作見本作 品集を発行した。作品集には草間京平や芥川清巳・岩根豊秀・鈴木藤吉といった名人たちが次々と作品を発表した。当館には1933(昭和8)年前後の同人作 品十数点が保存されている。日本謄写芸術院は太平洋戦争中の1942(昭和17)年、軍部からの圧力によりその活動に終止符を打った。 年代:1935年前後

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草間京平日本謄写芸術院作品

草間京平は日本謄写芸術院の技術顧問を務めており、日本謄写芸術院のために制作した作品が残されている。本名の「佐川義 高」で発表したもので、十数回重ね刷りを行った作品もあり、それらの作品は人間業を超えた美術作品として評価されている。当館には1933(昭和8)年に 制作された「台湾地図」「光と静寂とに恵まれた美術謄写印刷研究家工房」等数点が保存されている。 年代:1933年

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謄写印刷教則本(戦前)

戦前の謄写印刷教則本で当館保有のものは、芥川清巳「ゴシック書体の製版と印刷」野末亀治「謄写印刷の秘法」本山桂川 「謄写印刷の栞」等数冊あり、中でも芥川清巳の教則本は日本謄写芸術院から発行され、内容の素晴らしさは草間京平らから賞賛され、戦前を代表する優れた教 則本としての評価が高い。 年代:1930年代

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昭和10年前後のカフェチラシ

鈴木藤吉の作品。鈴木藤吉は山形県置賜地域で戦前に謄写印刷を営んでおり、日本謄写芸術院会員でもあった。現在約400 枚の謄写印刷チラシが現存しており、特にカフェのチラシは昭和初期当時の世相を反映した内容となっている。宮内町(現南陽市)の「ギンネコ」「キネマ」 「キネヤ」「宮沢」をはじめ、高畠町の「ハトミネ」等数点が現存している。 年代:1930年代

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昭和10年前後のチラシ

鈴木藤吉の作品。鈴木藤吉の作品は現在約400枚の謄写印刷チラシが現存している。靴屋・呉服屋・食堂等これらのチラシ は昭和初期当時の世相を反映した内容となっている。また、技術的にも手書きとは思えないような文字・イラストや、挿絵は技術水準の高さを示したものであ る。 年代:1930年代

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友野康夫作百人一首

友野康夫は岡山県の謄写印刷人である。戦後になって刊行した「孔版 楷体書鑑」は名著として知られる。戦前から名人とし て知られ、代表作がこの百人一首である。わずか名刺大の大きさの紙に百人一首を謄写印刷で筆耕・印刷したもので、米粒のような文字を拡大すると一文字一文 字はっきりと文字が読める人間業を超越した作品となっている。 年代:1930年代

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太平洋戦争中チラシ

鈴木藤吉の作品。太平洋戦争時の印刷物はわずかに2枚だけなのだが、「撃ちてしやまん」「敵性非国民」「戦車も軍艦もわ れわれの貯蓄から」といった内容は戦時中の世相を表し、貴重な資料となっている。 年代:1943年

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昭和謄写堂教則本

昭和謄写堂が刊行した教則本は十数冊あるが、その中でも「初等教本製版編(浅野一郎著)」と「初等教本印刷編(千田規之 著)」「楷書書体教範(三好 進著)」の三部作が著名であり、特に浅野一郎著初等教本製版編は1949(昭和24)年初版から1960年代末まで数十版を 重ねた。表紙は4種類存在している。初等教本についての近年の田中 栞氏の研究(「あうる」第86・87号)が秀逸である。 年代:1949年

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昭和謄写堂月報(全102巻)

昭和謄写堂は戦前の数年間と、戦後は1948(昭和23)年から61(昭和36)年まで延べ102号まで謄写印刷の技術 指標となった機関紙「昭和堂月報」を発行し続けた。幅 弓之助社長を中心として草間京平・千田規之・若山八十氏ら名人たちが寄稿し、製版印刷の大部分を小 針美男が務めた。後年創刊号から101号まで昭和堂に残っていた残部を70組限定で箱に入れて頒布した。当館ではそれに「幻の102号」を加え全巻保存さ れている。 年代:1948-60年

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若山八十氏個人誌「孔版」

若山八十氏の個人雑誌「孔版」は戦前に24冊、戦後1946(昭和21)年から56(昭和31)年まで約90冊が定期的 に刊行された。そのいずれも高度な技術と美術的色彩による作品であり、謄写印刷作品の最高峰の一つとして今も輝きを失っていない。当館では戦後の第6号か ら第88号までの中で52冊が保存されてある。他に若山作品では「魔法の鳥」「妖しい時間」「河童愛情記」等の孔版絵本があり、特に「魔法の鳥」は発泡ス チロールに印刷し、製本された日本一軽い絵本ではないかと思われる不思議な本である。 年代:1940年代

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謄写印刷60周年ポスター

草間京平が1953(昭和28)年に林商店からの依頼で制作した世界最大の鉄筆による謄写印刷物。縦978ミリ横774 ミリ。このポスターを制作するために原紙・ヤスリ・印刷機・ローラーが特注され、全く継ぎ目が無い。謄写印刷作品の一つの頂点を示す作品として貴重であ り、残存枚数もほとんど無い。 年代:1953年

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謄写印刷絵本「花咲く言葉」

1950(昭和25)年、植本浩嗣(十一)本文製版、草間京平挿絵製版による絵画絵本。当時1200部制作され、図書 館・施設等公共施設に1000部寄贈され、残りが謄写印刷研究者らに頒布された。植本浩嗣は楽譜製版名人として名高く、後に全日本謄写印刷業連盟(日謄 連)会長をつとめた。 年代:1950年

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俳優佐藤 慶制作印刷物

俳優、佐藤 慶さんは1928(昭和3)年12月、福島県会津若松市に生まれ、会津若松市役所勤務後、俳優を目指して上 京、俳優座研修生となった。俳優活動だけでは生活できずに、夜間はガリ版の仕事で生計をたてていた。佐藤 慶さんが制作した印刷物は俳優座文書の他に教科 書の準備稿・団体会報・同人誌等多岐に渡っている。 年代:1950年代

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佐藤 慶制作俳優座名簿

俳優、佐藤 慶さんが制作した俳優座関係の印刷物の中でも、1952(昭和27)年くらいの時期に制作された俳優座養成 所の研究生名簿は演劇史上貴重な資料であり、若き日の佐藤 慶、仲代達矢(元久)、小沢昭一、渡邊美佐子、佐藤 允など後年活躍する俳優の名が記されてい る。 年代:1952年頃

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物流現場再現模型「新発田駅の貨物上屋」

新潟県旧国鉄新発田駅の昔の貨物上屋を再現した模型。昭和30年代前半に撮影された写真と、当時新発田駅で働いていた 方の記憶をもとに製作した。雪の多い地方だけあって、貨物上屋の屋根には角材を使った雪留めが施され、また、風雪から貨物を守るために羽目板の壁が張られ ている。手前のガラス窓の事務所は通称「トラバコ」と呼ばれていた。建物の壁に立てかけられているスノコは、仕事が終わったあと、人が入らないようにホー ムの両端の入口に立てかけて仕切りとしたもの。当時、新発田駅では鉄道による米穀輸送が大変盛んで、この模型も秋の新米出荷時の設定。 年代:昭和30年代前半(1950年代後半)

情報所有館 : 物流博物館 


物流現場再現模型「品川宿の問屋場」

江戸時代の品川宿の問屋場の模型。この時代の荷物運搬方法は、宿場ごとに荷物を運ぶ人足や馬を交代し、リレー形式で運ぶ というもので、宿場で人馬を交代する場所を問屋場といった。この模型は、品川歴史館で所蔵している江戸後期の品川宿の問屋場の図面をもとに製作し、人馬や 旅人など街道の様子は浮世絵などを参考にした。 年代:江戸時代

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第一号通運丸復元模型

明治10年に内国通運会社が就航させた蒸気船通運丸の第一号船の復元模型。通運丸は江戸川・利根川・霞ヶ浦・北浦・東京 湾などで乗客や貨物の輸送を行った。大正8年以降は東京通船株式会社が運航した。第一号から五十六号まで確認でき、少なくとも計87船体が建造された。模 型制作に必要となる図面は、実際の第一号通運丸を建造した石川島平野造船所の後身、石川島重工業株式会社(当時)の造船設計部の2名の技術者によって、昭 和32年(1957)にさまざまな資料をもとに推定復元された。内国通運会社の後身である日本通運株式会社では、この成果を用いて日通創立20年周年を記 念し本資料を製作した。 年代:明治10年(1877)

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伝馬朱印状

「この朱印がない場合は、伝馬を出してはならない」との内容で、徳川家康が慶長6年正月に東海道を制定した際に各宿に出 された伝馬朱印状。本史料は東海道桑名宿に宛てたもの。伝馬とは、宿場が用意する輸送用の馬のことで、同じ伝馬朱印の押印された伝馬手形を所持する公用旅 行者は、無料で人馬の提供を受けることができた。 他に老中などの証文によっても無賃となった。また、大名や公家、一部の寺社なども時価の半額ほどで伝馬を利用できた。一般の場合は相対による時価で宿場の 人馬を利用した。:慶長6年(1601)

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石炭のテングドリ荷役のパイスケとガンヅメ

テングドリ荷役とは、九州地方で物を手から手へ渡して運ぶ荷役法のことを言い、かつて汽船の燃料用石炭の積み込み作業 の際などに行われていた。石炭を積んだ艀(はしけ)から本船の舷側にはしご段をかけ、そこにずらりと並んだ仲仕の人々が、10kg位の石炭を入れたパイス ケ(バイスケともいう。バスケットがなまった言葉で、石炭や土砂などを運ぶザルのことをいい、地方によっていろいろな形態がある)を順送りに手渡しして荷 役する。明治時代から昭和30年代まで行われていた。ガンヅメは、パイスケに石炭を入れるときに使用したもの。どちらの資料も、門司港で使用されていた。 年代:昭和30年(1955)頃

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マンボウ

マンボウとは荷役の現場で広く使用されていた道具のひとつで、荷を担ぐ人に棒を1本ずつ手渡し、蔵などに運び込んだ際に それを回収することで、荷をいくつ運んだか確認するために用いられた。 年代:昭和時代

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木炭ガス発生装置(日燃式)

戦時中から戦後にかけて石油燃料が不足した時代には多くの自動車が代燃車に改造された。代燃車とは代用燃料で走る自動車 のことで、木炭や薪などからガスを作って走るものやアセチレンガスを用いて走るものなどがあった。木炭ガス発生装置は木炭を不完全燃焼させて一酸化炭素ガ スと水素ガスを主成分とするガスを発生させ、フィルターで濾過したのち、ガソリン自動車のエンジンにそのまま送りこんで使用した。本資料はトラックに搭載 されたもの。 トラックに用いた実物が現存するのはおそらく本資料のみではないかといわれている。 年代:昭和時代

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手鉤(てかぎ)

俵や叺(かます)などの藁(わら)を用いた梱包や木箱などを取り扱う時には、このような手鉤を用いた。 年代:昭和時代

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未開梱の木箱荷物

文具店の蔵に残っていた、まだ開けられていない荷物。中身は朱墨のビンで、クッションに藁(わら)を入れている。 年代:昭和10年代後半(1940年代前半)

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物流に関する産業映画

1940年代から80年代にかけ多くの企業で産業映画が数多く製作された。当時、日本通運株式会社ではPR・業務研修・ 記録用の映画が多数製作され、これらの作品を含む、 199点の物流に関するフィルム資料を収蔵している。一部の作品は展示室にて視聴可能。主な作品;「荷役近代化への道」(1966年編集)、「物のなが れ」(1949年)、「黄色い車」(1958年)、「こうして米は運ばれる」(1959年)、「300トントレーラー」(1960年)、「オリンピックを 運ぶ」(1964年)、「花開く日本万国博EXPO’70」(1970年)、「国宝の旅立ち」(1980年)。 年代:昭和時代

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1升ビン用の藁ツト(再現)

ビン類の輸送時には、破損を防ぐために藁ツトがクッションとして用いられていた。この資料は、藁ツトの一大生産地であっ た淡路島で生産に携わっていた方が、のちに再現製作したもの。藁は麦藁を用いている。瓶詰めと同様に、洋酒に用いられた方法を日本酒に取り入れたものと考 えられる。 年代:昭和時代

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京都馬借の運搬用具(馬の背で運ぶ道具)

京都の馬借(ばしゃく)が江戸時代に使用したもの。馬借とは馬を使った運送業者のことで、京都周辺で古くから活躍して いた。この道具は馬の鞍の両側に取り付け、人を乗せたほか、荷物も運んだと思われる。必要のないときにはたたむこともできた。 この道具を使用することで、3人が馬に乗ることができたので、「三宝荒神鞍(さんぽうこうじんぐら)」と呼ばれた。 年代:江戸時代

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内国通運会社の半纏

印半纏に内国通運の社章「Eマル通E」のマークが入っている。ちなみに、「Eマル通E」のマークは日本通運株式会社の前 身の内国通運会社および国際通株式会社が明治時代から使用していた社章であり、両脇にあるEの文字を配したのは前島密の発案と伝えられ、このEは ExpressのEであるといわれている。 年代:明治時代

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石炭運搬用のオウコ(天秤棒)とパイスケ

門司港で使用されていた天秤棒とパイスケ。石炭の荷役に使用した。 年代:昭和時代

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車石

京 都・大津間には牛車専用路として車石が敷設され、琵琶湖から大津に陸揚げされた荷物を牛車が運搬していた。花崗岩に車輪の溝が刻まれている石のレールであ る。 年代:江戸~明治初期

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陶磁器の藁荷造り(美濃焼の湯飲み茶碗)

陶磁器の荷造りは、江戸時代以来1970年代頃まで、主に藁を使って行われてきた。藁荷造りでは、同一の複数の器物を 藁でからげたユニット(カラゲなどという)が最小単位となり、このようなカラゲを一つにまとめて荷造りが行われる。また、藁で太い縄を作り、これを甕など に巻きつける荷造り法もある。各産地ごとに形状には違いが見られるが、上記のような2つの方法は共通している。資料は美濃焼の湯飲み茶碗100個入りの梱 包。 年代:昭和時代

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鉄道錦絵「新橋ステンション蒸気車鉄道図」と再現模型

歌川広重(三代)が描いた新橋駅停車場の荷物積卸場の錦絵。内国通運による鉄道貨物の取り扱い光景が描かれている。こ の錦絵の情景をいろいろな資料に基づき模型化した。(蒸気機関車・客車・貨車の色については確かな資料がないため推定により塗色) 年代:明治8年(1875)頃

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菱垣廻船図

菱垣廻船は大坂-江戸間を往来した船で、大坂から多くの日用品などを江戸に運んだ。船体の舷(げん)側の垣立(かきだ つ)に木製の菱垣格子が施されていたことがその名の由来。この資料には菱垣廻船と航路図が描かれている。 年代:江戸時代

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江戸三度飛脚所看板

三度飛脚の看板。民間の町飛脚は、商業の中心地、大坂で江戸時代初期に誕生した。当初、毎月三度大坂・江戸間を往復した ので三度飛脚といわれたが、のちには飛脚仲間の固有名詞のほかに、定期飛脚を意味する言葉としても用いられた。飛脚は書状・為替(かわせ)・金銭・荷物な どを運び、商業の発達とともに成長・発展した。のち、江戸の三度飛脚は定飛脚と称するようになるが、大阪では幕末まで三度飛脚と称した。 年代:江戸時代

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上方下方抜状早遅調

民間の飛脚としては、江戸の定飛脚、京都の順番飛脚、大坂の三度飛脚が有名であるが、この三者は飛脚仲間として相互協力 をしていた。本史料は定飛脚が東海道筋の関所や川を効率良く通過するための走行予定表と思われる。3日から12日まで、所要日数に応じた各地点の通過予定 時刻が、上り・下りに分けて記されている。 年代:江戸時代

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500トントレーラー模型

昭和46年(1971)に開発された日本通運株式会社の重量物運搬用のトレーラー。当時は世界最大の力持ちのトレーラー といわれ、変電所で使う大型の変圧器を運んだ。トレーラーとは台車の部分のことで、エンジンのついている車両をトラクタという。このトレーラーは一般の道 路を走行でき、時速は最高で5km。前後に運転席があるのはスイッチバックを可能とするためで、台車が独立しているため曲がりくねった路でも通ることがで きる。こうした形式のトレーラーは今日でも使われており、500トントレーラーの台車の一部は現在でも使用されている。 年代:昭和46年(1971)

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ねずみ短けい(陶製)

ねずみ型の燃料タンクをもつ灯火具で、柱に取りつけられた皿内の油に点灯する。点灯中に皿の油が少なくなると、ねずみの 口から自動的に油が皿に垂れ落ち、補給する。空気の力を利用した自動給油装置つき灯火具。淡路焼。

情報所有館 : 日本のあかり博物館 


ねずみ短けい(銅製)

ねずみ型の燃料タンクをもつ灯火具で、柱に取りつけられた皿内の油に点灯する。点灯中に皿の油が少なくなると、ねずみの 口から自動的に油が皿に垂れ落ち、補給する。空気の力を利用した自動給油装置つき灯火具。

情報所有館 : 日本のあかり博物館 


無尽灯(田中久重)

灯明からランプへの移行期に登場した植物油を燃料とする灯火具。田中久重(からくり儀右衛門)が天保年間に考案したもの で、下部の燃料タンクのふたを上下させることでできる圧搾空気を利用して、タンク内の油を点灯部まで持ち上げ、火を灯した。

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無尽灯(大隅源助商店)

植物油を燃料とする灯火具で、大隅源助商店作のもの。長時間点灯し続けられるように、燃料タンクの底が手動で上げられる 工夫がなされている。

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枕あんどん

旅道具。箱枕の中にろうそくや眼鏡、筆と硯などといった旅に必要な小道具が寸分のすきまもなく収められたもので、箱の横 板を引き抜くと、小型のぼんぼりが組み込まれている。

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下むきランプ

「灯台下暗し」を改善するために、火口を下向きにしたもの。主に作業用として医院や養蚕農家などで使われた。また集魚灯 としても使われた。

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横むきランプ

バーナーが斜め横向きについている珍しい石油ランプ。完全な姿で残っているものは極めて少ない。

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ひょうそく

ふたのついた器の中に油を入れ、急須の注ぎ口状の先から芯を出して火を灯した灯火具。真鍮製。

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法隆寺灯台

柱に付けた丸い板の前に火皿を取り付け、中に油を入れて火を灯した灯火具。丸い板をつけることによって、光が後ろにもれ ないよう工夫されている。法隆寺に同形のものがあることからこの名がついた。また、丸い板に3人の童子が描かれ、その内の1人が眠っていることから「眠り 灯台」とも呼ばれる。

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結び灯台

3本の木を組んで台にした上に皿をのせた灯火具。皿の中に油を入れて火を灯した。

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瓦灯

瓦 でできたあんどん。風のない日や、強いあかりが欲しいときには、油を入れた皿を頂部にのせて火を灯した。風の強い日やわずかなあかりでよいときは、火皿を 内部に入れて火を灯した。

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有明あんどん

ふた付きのあんどん。座敷で使うさいには、ふたを台として、その上に火袋をのせた。持ち運びのさいや、弱いあかりでよい ときは、火袋の上に台をかぶせて使用した。火を弱めて使うと、有明の月がでるころまで使うことができたということから、この名がついた。

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書見あんどん

レンズをつけたあんどん。レンズ部は可動式で、レンズを光源の位置にあわせると、集中したより強いあかりを得ることがで きた。大隅源助商店の引札に見られる形。

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