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スカイライン 4ドアH/TGTS ツインカム24Vターボ

1985年(昭和60年)8月にフルモデルチェンジして登場したHR31型のスカイラインは、7代目となるため「セブンス」という愛称で呼ばれることもあるモデルで、スカイラインの父として知られる櫻井慎一郎氏が病床に臥せるまで開発を指揮したことでも知られています。「技術のニッサン」らしく、上級グレードには世界初の4輪操舵システム「HICAS(ハイキャス)」やDOHC24バルブヘッドを搭載した直6エンジン、RB20DE(165馬力)、そのターボ版であるRB20DET(210馬力)が搭載されていました。デビュー1年後の1986年(昭和61年)には、ワゴンとともに多くのファンに熱望されていた2ドア・クーペが…年代:1985

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スカイラインR34GT-R MOTUL PITWORK #22

2002年(平成14年)の半ばに投入された、V6エンジン搭載のGT-Rで戦うことになった2003年(平成15年)シーズンのニスモ・チーム。モチュールピットワークGT-R(BNR34型)は、影山正美とリチャード・ライアンがドライブを担当しました。翌シーズンからは、GT500用のマシーンとしてフェアレディZが投入されることが決定していたため、全日本GT選手権の発足当初から続いてきたスカイラインGT-Rによる参戦は最後となっています。モチュールピットワークGT-Rは、第2戦の富士スピードウェイで勝利を飾り、チャンピオンシップでも3位に入りました。ニスモ・チームのもう一台、ザナヴィニスモGT-Rは最…年代:2002

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ダットサントラック 6147型

ピックアップトラックのダットサントラックは、1935年(昭和10年)登場の初代10T型から端を発しました。2代目は1946年(昭和21年)デビューの1121型を経て、1951年(昭和26年)登場の6147型へと移行します。小型車のダットサンをブランド名に冠しているとおり小型トラックで、記念車の6147型は最高速70km/h、最大積載量は600kgでした。年代:1951

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2004年 JGTC #1ザナヴィニスモZ

GT500用マシーンとしてフェアレディZ(Z33型)がデビューした2004年(平成16年)。チャンピオンナンバーであるゼッケン「1」をつけたザナヴィニスモZをドライブしたのが、本山哲、リチャード・ライアンのコンビでした。VQエンジンとトランスアクスルなどのメカニズムはスカイラインGT-R譲りで、スタイリングは日産自動車が期間限定で販売したTypeEと呼ばれる前後のバンパーが延長されたバージョンがベースになっています。直線の速さのみならず、コーナーリングも優れたマシーンに仕上がっていました。シーズン前のテストから好調だったザナヴィニスモZは、デビューレースとなった第1戦TIサーキット英田で優…年代:2004

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2004年 JGTC #1ザナヴィニスモZ レプリカ(#22モチュールピットワークZベース)

フェアレディZ(Z33型)がGT500用マシンに仕立てられ、デビューした2004年(平成16年)に、ゼッケン「22」のモチュールピットワークZをドライブしたのが影山正美/ミハエル・クルム組です。開幕戦は9位に終わりましたが、第4戦の十勝スピードウェイでは優勝を果たしました。この車両はレプリカですが、実戦用マシンはチャンピオンカーのゼッケン「1」と同じもので、VQエンジンとトランスアクスルなどのメカニズムは、スカイラインGT-R譲りです。デザインはアグレッシブなフロントマスクを持ち、日産自動車が期間限定で販売したTypeEと呼ばれる前後のバンパーが延長されたロングバージョンがベースで…年代:2004

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2005年 SUPER GT GT500 #1ザナヴィニスモZ

1993年(平成5年)にスタートをきった全日本GT選手権が、日本国内のシリーズから環太平洋を中心にしたインターナショナルシリーズになり、2005年(平成17年)から名称が「スーパーGT」へと変更されました。前年のチャンピオン・マシンであるザナヴィニスモZ(Z33型)は、この年も本山哲、リチャード・ライアンのコンビで継続参戦を果たしています。2005型のZは、前年型をベースに改良が加えられたモデルで、前後のフェンダーがより空力的に優れたものに変更され、安全性を向上させつつ若干の軽量化も達成しています。レースでは、第3戦マレーシアでの優勝など、全8戦でポイントを獲得し、ドライバーズランキングで3…年代:2005

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ブルーバード2000G6EF RG811型

ブルーバードといえば直列4気筒エンジンのイメージが強い方も多いでしょう。記念車のブルーバード2000G6EFは、直列6気筒の2000ccエンジンを搭載した珍しいモデルです。5代目のブルーバードの型式は810ですが、1978年(昭和53年)9月のマイナーチェンジを境にして811型へと進化しています。2000G6EFシリーズは、本来4気筒用のエンジンルームの中に長い6気筒エンジンを収めるため、ホイールベースを150mm延長したほか、フロントオーバーハングも55mm延長しています。またリヤの足まわりは、ベーシックグレードがリジッドリーフなのに対し、スポーティなSSS(スーパー・スポーツ・セダン)は…年代:1978

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スカイライン4ドアセダン DOHC TURBO RS DR30型

アメリカ人俳優、ポール・ニューマンをCMキャラクターとして起用したため「ニューマン・スカイライン」の愛称で親しまれたR30型スカイラインです。6代目スカイラインとなるこのモデルは、1981年(昭和56年)にデビューし、2年後の1983年(昭和58年)にマイナーチェンジが施され、前後バンパーなどがよりモダンなデザインに変更されています。2000RSターボは、4バルブヘッドを持った自然吸気のFJ20E型にターボチャージャーを組み合わせたFJ20ET型エンジンを搭載したもので、190馬力という高出力によって「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーがつけられていました。また、マイナーチェンジに…年代:1983

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フェアレディZ ロードスター Z33

4代目となるZ32型が2000年(平成12年)8月に生産を終えて以来、約2年の間をおき2002年(平成14年)の7月に登場したのが、5代目となるZ33型フェアレディZです。フェアレディの時代からオープンモデルとして知られたスポーツカーだけに、Z33型にもオープンカーであるロードスターが、2003年(平成15年)10月に追加されました。屋根は2000年代に入り流行しつつあるメタルトップではなく、伝統的なソフトトップ(幌)を採用。もちろん電動開閉式で、約20秒間という短時間で完了します。搭載エンジンは、V型6気筒DOHCの3500cc(VQ35DE)で、ターボはなくNA(自然吸気)のみの設定。記…年代:2002

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Z33 ラリー車

2005年(平成17年)の全日本ラリー選手権「2・駆動部門C」にエントリーしたラリーマシンです。モータージャーナリストとしても活躍するラリードライバー三好秀・昌選手と市野諮選手がハンドルを握りました。デビュー戦の「ツール・ド・九州in七山」、第2戦の「MACラリー」では残念ながらリタイヤに終わりました。そして、第3戦の「シンフォニーラリー2005inひよし」では、初の5位入賞を果たしましたが、第4戦以降は不参加、不成立があり、年間11位に終わりました。年代:2005

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ニッサン・ガゼールRS-X DOHC TURBO US12

シルビアの兄弟車としてリリースされたガゼールは、1979年(昭和54年)の3月に初代がデビュー。記念車は1983年(昭和58年)に登場した2代目です。初代と同じようにクーペとハッチバックモデルを用意し、直線を基調としたボクシーなデザインが若者の心をつかみました。搭載エンジンは、直列4気筒1800ccのNAエンジンのほかに、1800ccターボ、2000ccターボなど4機種を用意していました。シルビアと基本構造は同じで、外観上ではフロントグリル、リヤコンビランプのデザインが差別化されています。装備面の充実もトピックスで、世界初となるパワーウーファー、日本初となるチルトアップ機構付電動ガラス…年代:1979

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セフィーロワゴン WA32

マキシマからバトンを受け継ぐかたちで生まれたセフィーロは、1994年(平成6年)登場の2代目で唯一ワゴンモデルが設定されました。1996年(平成8年)6月にデビューしたWA32型のセフィーロワゴンは、北米など海外には輸出されずに国際専用モデルとしてリリースされました。セダンと同様に2000cc、2500cc、3000ccのVQエンジンを搭載し、トランスミッションは4速ATです。駆動方式はFF(フロントエンジン・フロントドライブ)を採用。ボディの前半部分はセダンと同じで、ルーフ(リヤオーバーハング)を延長し、ワゴン用のラゲッジルームを追加しています。リヤゲートにはガラスハッチを備え、小さな荷物…年代:1994

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スカイラインR33GT-R

1995年(平成7年)から全日本GT選手権に導入されたBCNR33型のスカイラインGT-Rは、市販車とは違ってサスペンション形式がダブルウィッシュボーンに、駆動方式はFR(フロントエンジン・リヤドライブ)に変更され、ほぼレーシングカーといえるものです。1998年(平成10年)シーズンは、R33型にとっての最後の年となり、RB26DETTエンジンがさらに低く、しかもエンジンルームの後方に下げられるなどの改良が施されていました。ゼッケン「23」のGT-Rは、アメリカのオイルメーカー、ペンズオイルのイメージカラーであるイエローに塗られており、ドライバーはエリック・コマスとこの年からニスモ・チームに…年代:1995

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スカイラインR32STPタイサンGT-R

記念車のスカイラインR32STPタイサンGT-Rは、日本レース界を牽引してきた高橋国光選手と、人気者で実力者の「ドリキン」こと土屋圭一選手が駆ったR32GT-Rです。舞台は全日本ツーリングカー選手権。同年は長谷見昌広/福山英郎組のユニシアジェックススカイライン、星野一義/影山正彦組のカルソニックスカイラインなど、R32スカイラインGT-R同士がデッドヒートを繰り広げました。R32GT-Rは、国内ツーリングカー選手権のグループAにおいて29連勝という金字塔を打ち立てましたが、GT-R同士の熱い戦いが繰り広げられていたわけです。年代:1993

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スカイラインR31GTS-Rリーボック

1985年(昭和60年)にデビューしたR31スカイラインには、数多くのバリエーションが存在しました。中でも最強の1台といえるのが、1987年(昭和62年)にグループAのホモロゲーションを獲得するために、800台限定で生産されたGTS-Rです。このエボリューション・モデルをベースとしたマシンによって、1989年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)で3勝を挙げ、シリーズタイトルを獲得したのが、長谷見昌弘のドライブしたリーボック・スカイライン(R31型)でした。白いボディにリーボックの象徴でもあるイギリス国旗がペイントされたリーボック・スカイラインの人気は高く、1990年(平成2年)に登場し、早…年代:1989

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シルビアTURB R-L H/B S12型

1965年(昭和40年)に初代が登場したパーソナル・クーペがシルビアです。その4代目となるシルビア(S12型)は、1983年(昭和58年)3月に「全新白い稲妻」というキャッチコピーとともにデビューしました。スーパーカーブームの影響を感じさせる直線的なスタイリングとリトラクタブルヘッドランプが、クルマ好きの若者の心をガッチリとつかまえました。また、メカニズムも相応に進化しており、足まわりがセミトレーリングアーム式の4輪独立型となっていました。ターボR-Lは、CA18型のDOHCターボ・エンジン(1809cc)を搭載したS12シルビアの中堅モデルで、最高出力は145馬力を誇りました。グリルやラ…年代:1984

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レパードJフェリー JYP32型

3代目レパードは、1992年(平成4)にリリースされました。この3代目(JPY32型)からレパードJフリーと改名。1991年(平成3年)に登場したセドリック/グロリア(Y32型)をベースにした高級セダンです。とくにインテリアの質感とデザインは英国車を彷彿とさせる仕上がりで、個性のある高級車として注目を浴びました。2代目がクーペだったのに対し、3代目は4ドアハードトップのみのラインナップでした。エクステリアでは、いわゆる尻下がりのリヤビューなど、北米など海外で絶賛された日本車離れしたスタイルが目を惹きましたが、日本では賛否両論を呼んだのも事実です。V型6気筒の3000ccとシーマにも搭載されて…年代:1992

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2006年 SUPERGT GT500 #22 MOTUL AUTECHZ

GT500マシンとしてデビュー3年目となったフェアレディZ(Z33型)は、2006年(平成18年)の「スーパーGT」に5台がエントリーしました。前年1勝に終わったこともあり、2006モデルのZにはさらなるチューンが施され、特にエンジンの内部にはスペックに表れないような、細かな改良が多数施されていました。モチュールオーテックZは、シーズン開幕当初はミハエル・クルム、山本左近のペアでしたが、第4戦以降は山本選手がF1に参戦するために抜け、その穴をリチャード・ライアンが埋める形で戦いました。レースでは、ライアンが加入した直後の第4戦マレーシア、そして第6戦鈴鹿で優勝を果たし、ドライバーズランキング…年代:2006

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フィガロ キャンバストップ FK10

1989年(平成元年)の東京モーターショーに参考出品され、好評を博したため、2年後の1991年(平成3年)にデビューすることが決まった2ドアのパーソナル・クーペがフィガロ(FK10型)です。Be-1、パオに続く日産の「パイクカー」シリーズの3作目となったフィガロは、「東京ヌーベルバーグ」というコンセプトとともに、このモデルをフィーチャーした3部作の短編映画まで製作されるなど、異色の広告展開が行なわれました。ベースモデルとなったのは初代マーチですが、専用のオープントップ機構や、樹脂製のボディパネル、白い本革内装など、あらゆる部分が作り込まれています。トランスミッションはATのみ、ボディカラーは…年代:1991

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ブルーバード 810

ダットサン時代から受け継がれてきたブルーバード。1976年(昭和51年)に登場した810型は、その5代目になります。3代目の510型でスポーティなイメージに磨きをかけ、4代目となる610型で1970年代の新しいセダン像を作り上げたブルーバードでしたが、この810型が登場した1970年代の半ばは、オイルショックや排気ガス規制などの問題が勃発し、クルマにとっては受難の時代でした。そのためモデル末期の610型の排ガス対策などに時間が費やされてしまった結果、810型の登場は遅れ、また後継の910型のデビューが早まったことで、3年5か月という短めのライフサイクルでした。1978年(昭和53年)のマイナ…年代:1976

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パオ キャンパストップ PK10

バブル景気の勢いに乗って、プレミア価格がつくほどの高い人気を誇った1987年(昭和62年)デビューのBe-1に続き、1989年(平成元年)にリリースしたパイクカーがパオ(PK10型)です。1987年(昭和62年)の東京モーターショーに展示された時から話題となり、Be-1の時と同様に予約が殺到しました。初代マーチのコンポーネンツを流用していますが、現代のクルマにはほとんど使われなくなってしまった平面ガラスやヒンジが剥き出しになっているドアなど、1950-1960年代の素朴なヨーロッパ車を思い起こさせるスタイリングは、非常に斬新なものでした。パオをモチーフにしたアパレルやグッズも販売され、こちら…年代:1989

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スカイライン2ドア HT2000GT-R KPGC10

「ハコスカ」の愛称で親しまれ、国内のツーリングカー・レースにおいて無敵の強さを誇ったスカイラインGT-R(C10型)。それまで4ドアモデルのPGC10型に加え、1970年(昭和46年)になると、ホイールベースを短縮し、2ドアハードトップ・ボディを与えられたKPGC10型が登場しました。ボディをコンパクトにすることで20kg以上の軽量化に成功し、またリヤには黒いオーバーフェンダーが純正装着され、HT2000GT-Rのスタイリングは、「ハコスカ」といえば誰もが思い浮かべる定番として愛されてきました。レーシング直系の2000cc直6DOHC4バルブのS20エンジンと、1000ccのガソリン・タンク…年代:1970

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ラシーン

1993年(平成5年)の東京モーターショーに出展され、翌1994年(平成6年)より市販化されたコンパクトRVがラシーンです。B13型サニーの4輪駆動モデルをベースに、ボクシーなスタイルのボディに組み込んでいるラシーンは、本格的なオフロード走行を目的とした4輪駆動モデルではありませんが、手軽でタフなシティコミューターとして、2000年に生産が終了した後でも高い人気があります。エンジンは1500cc直4のGA15DE型を搭載していましたが、1997年(平成9年)にはマイナーチェンジが施された際に、1800ccのSR18DE型に替わっています。また1998年(平成10年)にはスポーティ・グレードの…年代:1994

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マーチ2ドア i-z-f K11

日本のみならず、世界的なシェアを誇るコンパクトカー、日産マーチ。その2代目のK11型は、1992年(平成4年)にリリースされました。全体的に角張っていた初代の角を落とし、少し膨らませたようなやさしいエクステリアのデザインは、CADコンピューターからはじき出されたもので、コンパクトなボディにプレミアム感を与えています。ボディは、先代同様に3ドアと5ドアがあり、エンジンは1,000ccと1,300ccが用意されていました。5-7年程度でフルモデルチェンジしてしまうことが多い日本車の中にあって、初代が9年、2代目は10年とモデルライフが長いこともマーチのデザインやメカニズムが秀作である証といえるでしょ…年代:1992

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スカイラインGTS25 4ドアセダン R32

8代目となるR32型スカイラインは、1989年5月(平成元年)に「超感覚スカイライン」のキャッチコピーとともに登場しました。R32型の最大の話題は、16年ぶりにGT-Rのネーミングが復活したことでしたが、そのほかのシリーズ・モデルにおいてもスタイリングから足まわりなどの機構部分にいたるまで、完全に刷新され、サイズ的にも若干小さく、スポーティになったことで多くのファンの心をつかみました。ボディ形式は、ピラードハードトップの4ドアセダンと2ドア・クーペの2つです。1991年(平成3年)にはマイナーチェンジが施され、その際に新開発となる2500ccのRB25型エンジンを搭載するGTS25が追加され…年代:1989

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レパード4ドアH/T XR

レパードは、1980年(昭和55年)にブルーバードから派生することで登場したパーソナルセダンです。1996年(平成8年)にフルモデルチェンジが行なわれてデビューした記念車の4代目は、Y33型のセドリック/グロリアの基本構造やデザインを多く流用した標準的なセダンになっていました。搭載エンジンは、V型6気筒の160馬力のSOHCVG30E型と、V型6気筒DOHCのVQ型で、220馬力の2987ccのVQ30DE型、270馬力のターボ付VQ30DET型の3タイプが用意されました。マイナーチェンジでVG30EとVQ30DE型が廃止されましたが、230馬力の直噴VQ30DD型、235馬力で4WD…年代:1980

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SUPER GT 08 GT-R

市販車の発売とともにサーキットにも姿をあらわしたスポーツカーファン注目の1台、ニッサンGT-R(CBA-R35型)。市販車では、4WDのメカニズムを持つGT-Rですが、スーパーGT用のマシンではFR(フロントエンジン・リヤドライブ)というレイアウトを採用しており、かつてのスカイラインGT-Rに共通したものになっています。エンジンは前年フェアレディZに搭載され、開発が進められてきた自然吸気の4500ccのV8エンジン、VK45DE型で、トランスアクスル化されている6速シーケンシャルギアボックスもまた、前年までの「スーパーGT」のフェアレディZで熟成されたものを搭載しています。デビューシーズンと…年代:2008

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2007年 SUPERGT GT500 ザナヴィニスモ Z #23

翌年にGT-Rのデビューを控え、2007年(平成19年)はフェアレディZ(Z33型)にとって最後のシーズンとなりました。2007モデルのフェアレディZのトピックはエンジンで、2006年(平成18年)シーズンの最終戦で先行投入された4,500ccのV8、VK45DE型が搭載されました。この自然吸気ユニットはターボに比べトルクは少なくなりますが、ターボラグがないためコーナーでのドライバビリティに優れ、またインタークーラーに空気を送るエアインテークが必要なくなり、空力性能が向上するなどの特徴があります。本山哲とリチャード・ライアンというチャンピオン・コンビが復活したザナヴィニスモZは、開幕戦で2位、…年代:2007

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セドリック ブロアム VIP PY32

8代目になるセドリック(PY32型)は、1991年にデビューしました。5代目(430型)以来受け継がれてきた直線基調のエクステリアは、ボクシーなスタイルでありながら、抑揚の効いた曲線を採り入れたデザインにイメージチェンジしています。また、角型ヘッドライトが目を惹く記念車の「ブロアム」をラグジュアリーな豪華モデルとし、もう一方の「グランツーリスモ」は丸目4灯ライトを採用し、スポーティイメージを牽引しました。プラットフォーム(車体)は、新世代となるLLクラス用を採用しています。搭載エンジンは、2,000ccのVG20E型、PY31型から受け継がれた3,000ccのVG30E型、3,000ccのV型6気筒…年代:1999

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NISSAN GT-R

1999年(平成11年)1月登場のR34型スカイラインGT-R以来、途絶えていた「GT-R」は、スカイラインの冠をはずし、ニッサンGT-Rとして2007年(平成19年)12月より販売がスタートしました。発売前から注目度は非常に高かったのが、新世代GT-Rの特徴です。日産のみならず、日本を代表するスポーツカー、量産車として世界最高レベルのスポーツカーを目指すという哲学を貫き、送り出されました。2001年(平成13年)秋の東京モーターショーでまず、「GT-Rコンセプト」が出展され、2003年(平成15年)秋の同ショーでは、カルロス・ゴーン社長が「GT-R」の復活を高らかに宣言し、2007年(平成…年代:2007

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SUPER GT2008 #23 XANAVI NISMO GT-R

市販車の発売とともにサーキットにも姿をあらわしたスポーツカーファン注目の1台、ニッサンGT-R(CBA-R35型)。市販車では、4WDのメカニズムを持つGT-Rですが、スーパーGT用のマシンではFR(フロントエンジン・リヤドライブ)というレイアウトを採用しており、かつてのスカイラインGT-Rに共通したものになっています。エンジンは前年フェアレディZに搭載され、開発が進められてきた自然吸気の4500ccのV8エンジン、VK45DE型で、トランスアクスル化されている6速シーケンシャルギアボックスもまた、前年までの「スーパーGT」のフェアレディZで熟成されたものを搭載しています。デビューシーズンと…年代:2008

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アーレンス‐フォックス消防ポンプ自動車

1924(大正13)年にアメリカから輸入され、丸の内分署(現在の丸の内消防署)に配置されました。アーレンス‐フォックスの名前の由来は、設立者である蒸気ポンプ製造者と市消防局の副署長の名前をあわせたものです。エンジン前方にポンプを抱えたスタイルはこのメーカー独特のものです。1946(昭和21)年まで活躍しました。□出力:85馬力□最高速度:72km/h□放水量:2700L/min年代:1924

情報所有館 : 消防博物館 


スタッツ消防ポンプ自動車

1924(大正13)年、関東大震災の傷あとも治らない頃、アーレンス‐フォックス消防ポンプ自動車と前後してアメリカから輸入され、第五消防署(現在の上野消防署)に配置されました。ノーザン・ポンプ社のロータリー・ポンプが、運転シート下の車体中央に設置されています。消防車にしておくには惜しいほどの見事なプロポーションは、当時の人々の目を引きました。1953(昭和28)年まで活躍し、走行距離は3万kmに及びます。□出力:140馬力□最高速度:80km/h□放水量:2000L/min年代:1924

情報所有館 : 消防博物館 


いすゞ・メッツ梯子自動車

1925(大正14)年にドイツから輸入され、第一消防署(現在の日本橋消防署)に配置されたものです。1959(昭和34)年にシャシが老朽化したため、いすゞ社製のバスシャシにカールメッツ社製の梯子を載せかえました。路面が傾斜していても梯子を水平に伸ばせる制御装置が組みこまれており、当時から安全への工夫がされていました。また、梯子の操作はすべて機械式で、現場に到着後ただちに梯子を伸ばせる速さは、現在の油圧式に勝るとも言われています。1971(昭和46)年まで活躍しました。□  出力:135馬力□最高速度:75km/h□全伸長:24m年代:1925

情報所有館 : 消防博物館 


マキシム消防ポンプ自動車

1929(昭和4)年に輸入され、神田消防署に配置されました。小回りがきくことから、狭い脇道でも使え、大いに重宝がられて、1953(昭和28)年まで、20年以上第一線で活躍しました。ノーザン・ポンプ社のロータリー・ポンプを搭載し、当時としては、強力な放水量を誇りました。□ 出力:100馬力□最高速度:80km/h□放水量:2800L/min年代:1929

情報所有館 : 消防博物館 


ベンツ・メッツ梯子自動車

メルセデス・ベンツのシャシにカールメッツ社の梯子を載せた車です。1955(昭和30)年5月に丸の内消防署に配置され、1975(昭和50)年の池袋消防署を最後に引退するまで、20年間活躍しました。その間の出場件数は4000件を越え、中でも引退直前の、池袋におけるビル火災で猛火の中から5人を救助したことは印象に残ります。機械式の梯子自動車としては最後のものです。□出力:125馬力□最高速度:70km/h□全伸長:32m    年代:1955

情報所有館 : 消防博物館 


ニッサン180型消防ポンプ自動車

本格的な国産消防ポンプ自動車の第1号といわれています。1941(昭和16)年に蒲田消防署に配置されました。戦時中は、空襲火災の消火活動で大きな力を発揮しました。戦後も都民の安全を守り続け、1964(昭和39)年までの23年間活躍しました。□出力:80馬力□最高速度:100km/h□放水量:1700L/min年代:1941

情報所有館 : 消防博物館 


トヨタ救急自動車

旧来のボンネット型からストレッチャーの積載等の装備の充実のため開発され、高規格救急車が導入される1991(平成3)年まで、標準的な救急車として活躍していた救急自動車です。この車は1988(昭和63)年に赤羽消防署に配置となり、1996(平成8)年まで救急の最前線で活躍した車両です。ちなみに、救急車のサイレン音がいわゆる「ピーポー音」に変更になったのは、1970(昭和45)年7月からで、1972(昭和47)年6月までに切り替えられました。□出力:88馬力(65kW)□排気量:1,998L□乗車定員8名□トランスミッション:4AT年代:1988

情報所有館 : 消防博物館 


イベコ・マギルス梯子自動車

イベコ社のシャシにマギルス社の梯子(鋼製4連油圧式30mバスケット付)を載せた車です。1983(昭和58)年に志村消防署に配置されました。バスケット内で操作が可能で、起伏角が水平下まで対応できます。引退する2000(平成12)年まで高所からの人命救助や消火活動に活躍しました。□出力:256馬力(188kW)□起伏角度:75°~-15°□先端許容荷重:バスケット+180kg年代:1983

情報所有館 : 消防博物館 


アエロスパシャルアルウェット3型

1972(昭和47)年、東京消防庁航空隊に第3号機として配置され、「かもめ」と命名されました。以後16年間、災害や救急患者の搬送に活躍し、その運航時間は4957時間50分に及びます。□出力550馬力□最高速度210km/h□搭乗人員7名年代:1972

情報所有館 : 消防博物館 


シュド・アビエーションアルウェット3型

東京消防庁に航空隊が設置されたのは、1966(昭和41)年11月です。その翌年に、フランスのシュド・アビエーション社から1号機として購入し、「ちどり」と命名して、1967(昭和42)年4月から運行を開始しました。航空隊は、空からの人命救助、消火活動、人員・資器材の搬送、現場の映像伝送、更に島しょ地域の救急患者の搬送など、広い範囲に活躍します。また、地上の活動が制限される大震災時などには、その活躍が大いに期待されています。□出力:550馬力□最高速度:210km/h□搭乗人員:7名年代:1967

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アエロスパシャルSA365N型ドーファン2

アエロスパシャルSA365N型ドーファン2は、消防ヘリコプターちどり1号の後継機で、東京消防庁がドーファー型ヘリコプターとして初めて採用した機種です。1982(昭和57)年4月から1997(平成9)年3月の15年間、空の消防隊として都民の安全を守るために活躍、この間に875件もの災害に出場し、合計526名の人々をこの機体で運びました。1983(昭和58)年の三宅島噴火災害、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災などの災害に出場しました。□機体全長13.46m重量4,000kg□最高速度315km/min□航続時間2時間45分□航続距離715km年代:1982

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二輪消防車(赤バイ)

交通渋滞が著しいことを背景に、1969(昭和44)年、暫定的に運用を開始し、2年後には3台のオートバイを購入して日本橋、牛込、小岩の各消防署で正式に運用を始め、1976(昭和51)年まで活躍しました。展示品は、その後配置換えになった八王子消防署のものです。年代:1969

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馬牽き蒸気ポンプ

消防用蒸気ポンプがイギリスで普及したのは、1860年代のことです。わが国は、1870(明治3)年に、早くも最初の蒸気ポンプを購入しています。その後、輸入したり国内で造られたりした蒸気ポンプは、全部で15台に達します。この展示車は、1899(明治32)年に製造された国産車です。石炭で火をおこしてから、放水に必要な蒸気圧力が得られるまで約20分を要しました。■出力:20馬力(1時間に22kgの石炭をたいた場合)□最大加圧:17kg/平方cm□放水量:1000L/min□放水距離:45m年代:1899

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龍吐水

放水するところが龍が水を吐く姿に似ていることから、この名前が付けられました。1754(宝暦4)年に、長崎で発明されたという説や、享保年間(1716~1736)に、オランダから渡来したという説があります。年代:江戸時代

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水鉄砲

江戸時代に玩具として子供に人気のあった水鉄砲を大きくしたもので、龍吐水の補助として使用されました。1798(寛政10)年には、江戸幕府から江戸の町々に対し、飛火防御用として水鉄砲を備えるよう指示されました。年代:江戸時代

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大刺又

戸や柱、壁などを打ち破って、家屋を押し倒すときに使いました。長さはおよそ5mほどですが、他にさまざまな長さのものがありました。年代:江戸時代

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鳶口

火事場で、天井や屋根を破壊するのに使用されたもので、棒の先端の鉤の形が、鳶の嘴に似ていることから、この名前が付けられたといわれます。鳶頭は、柄の長さが60cmほどの指揮鳶、平人足は170cmほどの長鳶を使ったと言われています。年代:江戸時代

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高 札

1771(正徳元)年に出された町触れを知らせる高札です。放火犯や火事場泥棒をかくまうだけでも重罪になることなどが記されています。年代:1711

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車長持

保険制度がなかった江戸時代、火事になると大切なものは長持ちに入れて運び出し、自分で守るしかありませんでした。しかし車長持は逃げ道をふさぎ、かえって被害を大きくすることが多く、1683(天和3)年以降禁止されました。年代:1683

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