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スカイライン GT-R

1995年(平成7年)と翌年の2年の間、ニスモチームがル・マン24時間レースに参戦しました。このマシンは、スカイラインGT-R(BCNR33型)をベースにしたGTカー「NISMOGT-RLM」です。市販のスカイラインGT-RはアテーサE-TSを搭載した4WDの駆動方式ですが、NISMOGT-RLMは重量的に有利な2WD(駆動方式:FR)に改造されているのが特徴です。22号車と23号車の2台がエントリーし、1995年は22号車(福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦組)が総合10位・クラス5位となりました。搭載のRB26DETTエンジンは400馬力以上の最高出力となったグループN仕様です。年代:1995

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ザウルスJr.

1987年(昭和62年)の東京モーターショーに参考出品され、1989年(平成元年)にはワンメイクレースのザウルス・カップも開催されました。また、その後は若手ドライバーの育成のために、入門編としてザウルスJr.が投入されました。約120台が製作され、日産レーシングスクールのスクールカーとして活躍しました。エンジンはプリメーラなどでおなじみの1800ccのSR18DE型で、最高出力は150馬力です。年代:1998

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Be-1

K10型マーチをベースにした「パイクカー」シリーズの第1弾として、1987年(昭和62年)1月の発売されたBe-1。発売を前に、抽選で購入予約者を決定するという、異例の人気ぶりでした。この記念車は、発売と同時に、横浜ベイスターズのホームグラウンドである横浜スタジアムで活躍したモデルです。Be-1をベースとしてオープンカーに改造されたリリーフカーがファンの注目を浴びます。丸いヘッドライトの愛らしいフロントマスクはもちろん、赤いボディに日産自動車とBe-1のロゴが入り、助手席を少し高くした仕様が特徴で、約2年間、リリーフ投手を乗せて登場しました。かつて横浜に在籍し、大リーグでも活躍した「大魔神」…年代:1987

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サニーバン 1200DX VB110

1965年(昭和40年)の車名の公募を受け、翌年に産声を上げた初代サニー。初代から4ドアバンが用意され、記念車のバンは1970年(昭和45年)登場の2代目のサニーバン1200DX(BV110型)です。搭載エンジンは、初代の1000ccから排気量がアップし、A12型と呼ぶ直列4気筒OHV1200ccで最高出力は68馬力を発揮しました。ボディも拡大され、テールゲートを跳ね上げ式に変更し、使い勝手が向上されました。グレードはスタンダード、スーパーデラックスAとBの3タイプを設定し、スタンダードとスーパーデラックスAは3速MT、最上級のスーパーデラックスBは、4速MTが採用されています。エンジンの排…年代:1970

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スカイライン GT-R

1993年(平成5年)8月にリリースされた9代目スカイライン(R33型)は、GT-R(BCNR33型)も当然そのラインアップに加わりました。まず、同年秋に開催された第30回東京モーターショーに参考出品され、1年以上の時間を経て1995年(平成7年)1月に発売されました。R32型で16年ぶりに復活を果たしたGT-Rは、モータースポーツ界に一大旋風を巻き起こし、フルモデルチェンジしたR33型にも熱い視線が注がれ、「いつ出るのか」と、ファンをやきもきさせたものです。東京モーターショーで展示されたこのプロトタイプは、市販モデルとはフロントまわりとアルミホイールのデザインが異なります。もちろん、ボディ…年代:1993

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プレーリー JW-G

ミニバンというカテゴリーが国内に存在せず、多人数乗車が可能なモデルがワンボックスワゴンと認知されていた、1982年(昭和57年)8月に初代プレーリー(M10型)が発売されました。駆動方式はFF(フロントエンジン・フロントドライブ)で、センターピラーレスの後席用スライドドアを採用する画期的なもので、優れた乗降性を実現しています。今日のミニバンブームにつながる草分け的な存在だったのです。JW-Gは8人乗りのタイプで、ほかに5人乗りと3/6人乗りのタイプもありました。エンジンは1800ccのCA18型直列4気筒OHCを搭載していました。年代:1984

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グロリア スーパーデラックス

のちにセドリックと兄弟車の関係になるグロリア。初代はプリンス自動車工業の乗用車として誕生しました。3代目となるHA30型は1967年(昭和42年)に発売。日産・プリンス合併後初の新型車として注目を浴びました。エクステリアは、丸型のヘッドランプを縦に並べた4灯式となったフロントマスクが特徴で、直線基調のボディラインは、上級セダンらしさをアピールする均整のとれたプロポーションで、人気を呼びました。スーパーデラックスは、スーパー6をベースにいっそうスポーティに仕上げたグレードです。パワーユニットとして、2000ccで125馬力のL20型直列6気筒OHCエンジンを搭載。インフラ整備がますます促進され…年代:1970

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ダットサン1000

ダットサン1000(L210型)を発売したのは、1957年(昭和32年)11月でした。その頃は自動車そのものが国内ではまだまだ高根の花という、贅沢品を象徴するものでしたが、前年には国民車構想も持ち上がり、自動車の大衆化という機運が高まりつつある頃でもありました。L210型を発売した翌年の1958年(昭和33年)1月には、ロサンゼルス輸入車ショーに出品し、さらに同年の8月-9月の豪州ラリーでダットサン1000「富士号」が優勝したことで話題となり、これが本格的な対米輸出のきっかけとなりました。ちなみに、ダットサン1000の後継車として誕生したのが、初代ブルーバード(310型)です。シルバーボディ…年代:1958

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ニッサン R90CP

日産自動車は、市販車をベースにしたモータースポーツへの参戦に加え、レース専用に開発したマシンで速さを競うジャンルでも数々の成功を収めています。1990年(平成2年)に開催された、全日本スポーツプロトタイプ耐久選手権(JSPC)。「グループC」という規定で造られた車両が出場では、メーカー部門とドライバー部門のダブルタイトルを獲得。レースの世界では前年のチャンピオンマシンであることの証しとして「ゼッケンNo.1」をつけることになっているので、翌1991年(平成3年)に同レースに参戦したこの車両は、ボディサイドには「1」が輝いています。搭載エンジンは、レース専用のVRH35Z型(V型8気筒DOHC…年代:1990

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ニッサンR90CK

フランスで伝統的に開催され、過酷なことでも世界的にも知られる、ル・マン24時間レース。日産自動車は1990年(平成2年)の大会において、日・米・英の3チームから合計5台をエントリーしました。このニッサンR90CKは、その中のアメリカチームから出場した1台です。空気抵抗が少なく、車両重量がわずか900kg程度のボディに、800馬力以上の最高出力をもつYRH35Z型(V型8気筒DOHC・3486cc)を搭載しています。外国人ドライバー3名が交代で長丁場の運転を担当し、予選を25位で通過。そして決勝では17位完走を果たしました。年代:1990

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ダットサン バン1500デラックス

ダットサンバンは、日産自動車の創世記から戦後の高度成長期を中心に、さまざまな物資を運び、暮らしをサポートしました。このモデルは、1965年(昭和40年)5月に誕生した520型バン(1300ccエンジン搭載)の進化形として、1970年(昭和45年)2月に設定された1500ccのJ15型直列4気筒OHVエンジン(最高出力77馬力)を搭載しています。同時に型式名を521型とした変更したモデルです。本格的な高速道路時代を迎えるにあたり、商用車の世界にも、より強力なパワーが必要となってきたために生まれました。乗車定員は最大6名で、3名乗車時の最大積載量は500kgでした。年代:1972

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ニッサン MID 4(II型)

MID4(ミッド・フォー)は技術開発の研究・開発と、その成果を自動車ショーを通じて、皆さんにお伝えすることも役目として加えた実験車両です。エンジンをミッド部(車体中央)に搭載し、駆動方式を4WDとしたスーパースポーツカーに由来して、車名をMID4としました。この車両は、1987年(昭和62年)に開催された東京モーターショー出展車で、エンジンは最高出力330馬力のV型6気筒DOHCツインターボ、VG30DETT型を搭載。サスペンションはフロントにダブルウイッシュボーン式、リヤにHICAS(ハイキャス)という操舵機構を採用したマルチリンク式を採用していました。このモデルは、市販には至りませんでし…年代:1987

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プリメーラ・カミノ

市販車と同様に、レースの世界もデザインやエンジンなどマシンだけでなく、レースそのものが時代に合わせて変化を遂げます。1994年(平成6年)、国内で絶大な人気を誇った全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は、これまで活躍したスカイラインGT-Rなどのスポーツタイプの車両から、2000ccのエンジンを搭載した4ドアセダンのマシンに統一して、速さが競われることになりました。このため日産自動車では、ヨーロッパ市場でも大好評を博していたプリメーラと、サニーを投入しています。このモデルは、プリメーラ・カミノをベースに300馬力にまで最高出力を高めた、4気筒DOHC・1997ccのSR20DE型を搭載。1…年代:1997

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プリメーラ ’98アセアン選手権2位

並みいるヨーロッパ車を凌駕する高性能な走りと、優れたパッケージングのセダンとして高い評価を受けたプリメーラは、1995年(平成7年)に2代目モデル(P11型系)へと移行しました。初代同様にレスポンスに優れるSR20型エンジンを搭載。自慢のマルチリンク式サスペンションにも、さらに磨きをかけました。また、モータースポーツの世界では、国内の全日本ツーリングカー選手権をはじめ、イギリスやヨーロッパ各地でのレースでも大活躍しています。その勢いはアジアにも及びました。このマシンは、アジア各国を転戦する東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジアセアン選手権の1998年シリーズにおいて、2位を獲得した…年代:1998

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ブルーバード 1200デラックス

国内乗用車の保有台数が100万台を突破した昭和38年(1963)の9月、ブルーバードは大好評を博した初代からバトンを受け、初のフルモデルチェンジを実施。2代目のP410型へと進化を遂げました。スポーティな丸型4灯ヘッドライトやヨーロッパ調のスタイリングは、当時の国産車とは異彩を放ち、注目を浴びました。それは、イタリアの名門カーデザイン会社である、ピニンファリーナ社にデザインを委託したからです。メカニカルな面でも革新性を求め、日産初のモノコックボディを採用し、軽量化とボディ剛性の確保を両立しています。発売当初は1000ccと、この記念車が搭載している1200ccエンジン(最高出力55馬力)の2…年代:1964

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ニッサンR391

1999年(平成11年)、それまで日産自動車がチャレンジを続けていたル・マン24時間レースは、車両規則が変更されました。24時間の長丁場を戦い抜き、総合優勝を狙うためにはプロトタイプのマシンのほうが有利になりました。そこで開発されたのが、1人乗りオープンモデルのニッサンR391です。わずか900kg程度の超軽量ボディに、V型8気筒DOHC・4997ccのVRH50A型エンジン(最高出力600馬力以上)を搭載しています。カーボン製ブレーキディスクローターなど、最先端の素材と技術を惜しみなく投入して製作されました。なお、本車両はレース出場車ではなくレプリカモデルです。年代:1999

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ニッサンR391

1999年(平成11年)のル・マン24時間レース必勝を誓い、誕生したニッサンR390は実戦には2台を投入しましたが、決勝前日の予選で1台がクラッシュに見舞われ出走できませんでした。本戦には予選を12位で通過したこの23号車のみで挑みましたが、スタートから7時間後の110周で残念ながらリタイアとなりました。しかし、この悔しさをバネに、同年11月に国内の富士スピードウェイで行われた、1000kmで競われる耐久レースでは、ル・マンに挑戦した同じ3人のドライバーが、チームとともに意地を見せ、見事に優勝を果たしました。本車両はそのときのマシンです。年代:1999

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ニッサンNP35

モータースポーツへの参戦は、速さを追い求めるばかりではなく、新素材・新技術の応用、耐久力の確認など、市販車の信頼性をより高めるための鍛錬の場でもあります。日産自動車が1980年代から1990年代前半にかけて挑んだスポーツプロトタイプカー(Cカー)によるレースは、ターボ関連技術や空気抵抗低減などの幅広い分野で、多くの経験とノウハウを獲得することにも成功しました。しかし、1993年(平成5年)のシーズンからこのCカーではターボチャージャーの使用が車両規則の変更で禁止になります。そこで日産では、自然吸気のV型12気筒DOHC・3499ccの排気量から最高出力630馬力以上を発生するVRT35型を開…年代:1992

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ニッサンR390 GT1

日産自動車とモータースポーツ活動を担うニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)は、1995(平成7年)と翌1996年、ル・マン24時間レースにおいて市販車をベースにしたマシンで挑みましたが、残念ながら満足できる成果をあげることができませんでした。そこで開発されたのがニッサンR390GT1です。当時の車両規則に則って製作された本格的なGTカーのVRH35L型エンジンは、V型8気筒DOHC・3495ccから最高出力650馬力以上、最大トルク72.0kgm以上を発揮。1997年(平成9年)より同車でのチャレンジを開始します。そして、挑戦2年目となる1998年に32号車が、星野一義/…年代:1998

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プリメーラGT *'99年英国ツーリングカー選手権(BTCCシリーズ)優勝車

1992年(平成4年)、ヨーロッパでは2000ccのエンジンを搭載した4ドアセダンによるレースが各国でブームとなりました。イギリスではBTCC(英国ツーリングカー選手権)と銘打ったレースが大人気となり、当時イギリスでも生産されていた初代プリメーラが参戦。続く2代目モデル(P11型)も引き続きサーキットを疾走しました。このマシンは、1999年(平成11年)の同選手権で全26戦中13勝をマーク。製造メーカー部門、ドライバー部門、チーム部門など4冠を征したチャンピオンマシンです。エンジンは300馬力以上にパワーアップされたSR20DE型を搭載しています。年代:1999

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バイオレット H/T 1600SSS-E

1973年(昭和48)1月、大衆車サニーとファミリーカーであるブルーバードUの中間的な車種への要望に応えて、新型バイオレットが誕生しました。乗用車系は、セダンとハードトップを設定しています。いずれもロングノーズ・ファストバックと呼ばれるスポーティなフォルムが与えられ、とくにハードトップモデルのエクステリアの流麗さは大きな話題となりました。この1600SSS-Eは、電子制御燃料噴射装置(ニッサンEGI)を備えたL16E型エンジン(直列4気筒OHC・1595cc、最高出力115馬力)を搭載しています。さらに、4輪独立式のサスペンションを採用し、優れた乗り心地と操縦安定性の高さも好評を得ました。T…年代:1973

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ニッサンR390 GT1 *'98年ル・マン24時間レース出場 総合5位 30号車(クラリオンカラー)実車

日産自動車は1997年(平成9年)に7年ぶりにワークス体制を敷き、GTマシンであるニッサンR390GT1GTを開発。ル・マン24時間レースに復帰しました。エンジンはV型8気筒DOHCツインターボ・3495ccのVRH35L型で、最高出力650馬力以上を誇りました。ル・マン24時間レースの復帰初年は、最高位が総合12位という残念な結果となりましたが、翌1998年(平成10年)には出走した4台すべてが完走を果たし、総合3位、6位、10位の獲得に加えて、ゼッケンNo.30の本車両が予選10位から決勝へ挑み総合5位に食い込み、全車10位以内で完走し、その信頼性の高さを実証しました。年代:1998

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バンテック・テラノラリー車 *2000年第6回ラリーレイド・モンゴル優勝車

市販乗用車をベースにしたマシンで、「ラリーの日産」と称される黄金時代を築くばかりではなく、SUV型の車両で挑むラリーにも日産自動車は積極的に参戦してきました。このテラノは、1995年(平成7年)に誕生した2代目モデル(R50型系)をベースに、2000年(平成12年)に開催された第6回ラリーレイド・モンゴルに参戦。スカイラインGT-Rなどで輝かしいレース成績を誇る、長谷見昌弘選手と息子の長谷見智之の組で出場しました。首都ウランバートルを起点に、3583km以上にもおよぶコースが設定された同大会において、2位のマシンに4時間もの大差をつけて2年連続の総合優勝とTI(市販ガソリン車無改造)クラス優…年代:2000

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ペンズオイルニスモGT-R *'99年JGTCシリーズ優勝車

レースに勝つために生まれたスカイラインGT-Rは、1999年(平成11年)1月に誕生した5代目(R34型)においても、そのポテンシャルの高さをいかんなく発揮しました。本車両は、そのデビューイヤーに開催された全日本GT選手権(JGTC)のシリーズ全6戦において、熟成されたレース仕様のRB26DETTエンジン(最高出力500馬力)や、シャシー性能などを武器に、常に安定したハイポテンシャルを発揮。見事にシリーズチャンピオンの座を射止め、前年に出走していた3代目(R33型)に続き、2年連続の王座を獲得しました。なお、市販仕様の同車はFR(フロントエンジン・リヤドライブ)を基本に、必要に応じて駆動力を…年代:1999

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スカイラインGT-R *'96ル・マン公認用ロードカー

90年を最後に中断していた日産ル・マン挑戦は'95年、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)によって再開され参戦、しかし、スカイラインGT-Rの改造だけでは上位入賞は困難でした。そこで、'96年ル・マンでは、最新だったスカイラインGT-R(R33型)を大幅にモディファイしたル・マン専用GTカー「NISMOGT-RLM」を製作して挑むこととなりました。しかし、ル・マン24時間レースには「GTクラスに出場する車両は一般公道を走行できる車両が存在しなければならない」という規定がありました。このため、ニスモは「NISMOGT-RLM」のベース車となるロードカーを制作、英国で…年代:1996

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ニッサンR390 GT1 *'98年ル・マン公認取得用ロードカー

スカイラインGT-R(R33型)でのル・マン24時間レース参戦は、1995年(平成7年)と翌1996年の2年間に及びましたが、これを引き継ぐマシンとして誕生したニッサンR390GT1も、出走資格である主催団体の公認を取得する必要がありました。そのため、一般公道を走行する際に必要な安全装備を施すなどして、実際に登録を行いホモロゲーション(レース参戦資格)を得る為に作られたのがこの記念車です。一般への販売は行われませんでしたが、もし市販化されたら1億円は下らないだろう、という噂が当時のレースファンの間ではささやかれたモデルでもあります。年代:1998

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ニッサンR390 GT1 ♯32号実車('98年ル・マン24th総合3位)

日産自動車は、1986年(昭和61年)にル・マン24時間レースに初挑戦しましたが、ニッサンR390GT1で参戦した1998年(平成10年)は、ベストな結果を得られた記念すべき年でした。出走した3台すべてが完走を果たし、うち2台が総合5位と10位でチェッカーフラッグを受け、3人の日本人名ドライバーがステアリングを握りました。「元祖・日本一速い男」の星野一義、後にF1ドライバーとなった鈴木亜久里、当時の若手ナンバーワンドライバーであった影山正彦が駆るこの32号車は、予選14番手からスタート。当時1周13km以上のコースを347周して見事総合3位を獲得したのです。本車両は、日産自動車のル・マン24…年代:1998

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セドリック スペシャル6 前期型

日本を代表する高級車として、長きに渡り愛されたセドリック。名プロ野球プレイヤー・長嶋茂雄さんが結婚した1965年(昭和40年)の10月に、2代目モデルとなる130型が誕生しました。ハイウェイ時代、モータリゼーションの本格発展の到来を見据えた、流麗なボディスタイルは、「フローイングライン」と命名されました。これは、大自然の中で空気がつくりだす美しい流れをイメージしたものです。もちろん、高速走行性能はもとより、静粛性や安全性も大きく高められました。本車両のスペシャル6は、直列6気筒OHC・1998ccで最高出力を105馬力としたL20型シングルキャブレター仕様を搭載しています。年代:1966

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ブルーバード 1600SSSクーペ

マイカー時代をぐいぐいと牽引した、通称「ゴーイチマル」こと3代目ブルーバード(510型系)は、1967年(昭和42年)に生まれました。前席サイドウインドウの三角窓を廃し、すっきりとしたフォルムは「スーパーソニックライン」と称され、多くのファンから愛されました。また、セダンのみならず、よりスポーティなクーペもラインナップして当時の若者たちの憧れにもなりました。この1600SSSクーペは、1969年(昭和44年)式です。エンジンは高回転性能にも優れる、最高出力100馬力の直列4気筒OHC・1,595ccのL16型を搭載しています。ブルーバードに設定されたSSSは、スカイラインのGTと同様に、日産の…年代:1969

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マーチ コレット

日産自動車のコンパクトカーとして、愛され続けているマーチ。初代モデルは、1982年(昭和57年)10月に発売されました。経済的で扱いやすいFF(フロントエンジン・フロントドライブ)、1,000ccエンジン、そしてファッショナブルなキャラクターで、行動的な女性を中心に人気を獲得していきました。記念車のコレットは、当時の最上級Gグレードをベースに、よりおしゃれで豪華な装備をプラスしたモデルで、さらに女性ユーザーから支持されることになりました。また、後にパンプス、i・Z(アイ・ズィー)など洗練された装備や仕様を採用した車種が、誕生するきっかけにもなったモデルです。エンジンは当時のリッターカーとしては…年代:1985

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ニッサンR390 GT1 ♯32号車レプリカ('98ル・マン出場車)

世界でも屈指の過酷さを誇るフランスのル・マン24時間レースへの挑戦は、日産車の信頼性や先進性をより高める、価値ある実験の場でもありました。1998年(平成10年)に同レースへ挑み、過去のチャレンジも含めて日産最高位の総合3位を収めたR390GT1の32号車のレプリカモデルです。ベースとなっているのは同じレースで実際に走り、総合6位となった31号車のゼッケンやスポンサーカラーを変更したもので、搭載されているVRH35L型エンジン(V型8気筒DOHC・3,495cc、最高出力650馬力以上)など、メカニズムは同一の仕様となっています。年代:1998

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スカイラインGT-R ペンズオイル・ニスモ( '98年JGTCシリーズ優勝車)

初代モデル(ALSI)から数えて9代目になるR33型は、1993年(平成5年)8月19日に発売されました。このモデルで4ドア/2ドアとも3ナンバーボディとなりエンジンは全て直6のRB系になりました。R33型のGTRは、2年後の1月6日に発売になり、同年4月に鈴鹿で行われた'95年JGTC開幕戦で、このレースをデビューウインで飾りました。本車両は、1998年(平成10年)の同選手権において、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)のワークスマシンとして参戦。エンジンの排気量を2,600ccから2,708ccに拡大し、最高出力は500馬力以上になっています。このマシンはシリーズ…年代:1998

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スカイラインGT-R カストロール・ニスモ

直列6気筒エンジンを搭載した最後のスカイラインGT-RとなるR34型は、1999年(平成11年)1月に販売が開始されます。スカイラインGT-R歴代のモデルが、数々の栄冠を勝ち取り、伝説を打ち立てたレースの世界へも投入されました。本車両は、2000年の全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスに、元F1ドライバーの片山右京選手と、後にテニスプレーヤー・伊達公子さんの夫となる、ミハエル・クルム選手がコンビを組んで参戦した、ニスモのワークスマシンです。駆動方式は市販車の4WDとは異なり、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)を採用しています。年代:2000

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パルサーGTI-R 92年RACラリー出場車

ダットサン、ブルーバード、フェアレディZ、バイオレット、シルビアなどバラエティに富んだマシンを投入し、日産自動車は過酷な海外ラリーに積極的にチャレンジしてきました。1990年(平成2年)に誕生した4代目パルサー(N14型系)の超スポーツモデル・GTI-Rは、1991年(平成3年)と翌年の世界ラリー選手権(WRC)に参戦しました。市販仕様のパルサーGTI-Rは、コンパクトなボディに強力な直列4気筒DOHCターボのSR20DET型エンジンを搭載し、アテーサE-TSという日産独自の4WDシステムを採用していたことなどが、ラリー参戦のために白羽の矢が立てられた理由です。実戦では、エンジンパワーを30…年代:1992

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ニッサンR92CP ♯24YHP

スポーツプロトタイプカー(グループCカー)による、全日本選手権がかかった耐久レースでも、日産車は数々の伝説を生んでいます。このR92CPは、全日本選手権を争う最後の年のレースに挑みましたが、全6戦のすべてでターボ車クラスの優勝を飾り、1991年(平成3年)から続く、製造メーカーとドライバーの両部門を3年連続で制覇するという偉業を達成しました。なお、ニッサンR92CPは、V型8気筒DOHCターボ・3,496cc、最高出力800馬力以上のVRH35Z型エンジンなどの基本的なメカニズムは、その前年のシリーズを戦った、ニッサンR91CPに準じています。年代:1992

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ニッサンP35

ターボエンジンを搭載したマシンで、日産自動車に数々の栄誉とノウハウをもたらせたグループCカーによるレースは、1993年(平成5年)からターボチャージャーの使用が禁止されることになりました。そのため、この規則に合致して、なおかつ勝利を獲得するために、自然吸気エンジンのVRT35型エンジン(V12型DOHC・3,499cc、最高出力630馬力以上)とともに、ニッサンP35を開発しました。このマシンは、世界選手権シリーズにも投入される予定でしたが、同選手権の開催が中止になった事などから、日産はグループCカーによるレース活動を休止することとなり、NP35/P35の開発も打ち切られた。このため、実戦で…年代:1993

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ニッサンP35

ターボエンジンが禁止になった、1993年(平成5年)のグループCカー規定に合わせて開発されたマシンのうちの1台です。国内選手権用に作られたNP35同様、V12・3,500ccの自然吸気エンジンを搭載しています。シャシーの開発を担当した米国NPTI社は、このマシンで同年、米国内で開催されるIMSA選手権を戦う予定でしたが、このマシンも83号車と同様にプロジェクト中止となったため、残念ながら幻のマシンとなりました。年代:1993

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ニッサンR92CP ♯1カルソニック

1991年(平成3年)に国内で開催されたスポーツプロトカー耐久レースで、全7戦中5勝という圧倒的な強さを誇り、ドライバーズチャンピオンとなった星野一義/鈴木利男選手組のマシンです。翌1992年(平成4年)も同じコンビで、全6戦中5勝をあげ、連続王座を見事に堅守しました。日産自動車に、3年連続のダブルタイトル(メーカー部門、ドライバー部門)の栄誉をもたらしました名マシンです。心臓となるVRH35Z型エンジンは、V型8気筒DOHCツインターボで、最高出力は800馬力以上を誇りました。これを搭載した車体の重量は、1トンにも満たない重量でしたので、現在の軽自動車並の軽量マシンといえるでしょう。年代:1992

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スカイライン ハードトップ 2000GT-X

アポロ11号が月面へ着陸した1968年(昭和43年)の7月、スカイラインはフルモデルチェンジを行い、3代目となるC10型系に生まれ変わりました。このクルマは、日産自動車と旧プリンス自動車工業の合併後初の新型スカイラインということで、大きな注目を集めました。発売当初は1,500cc、1,800cc、2,000ccエンジンと、4ドアセダンのみでバリエーションを構成していましたが、2年後の1970年(昭和45年)10月に待望の2ドアハードトップシリーズが登場しました。さらに、翌年9月には、直列6気筒OHC・1,998ccのL20型エンジンに、SUツインキャブを備えた2000GTの上位モデル、GT-X(ハイ…年代:1972

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セドリック カスタム6

セドリックの2代目となる130型は、1965年(昭和40年)10月に発売。キャッチコピーは「高級車を気楽に乗り回すのが新しいやり方・ONTHECEDRIC」でした。1960年登場の初代のアメリカンスタイルとは一変して、イタリアのカロッツェリア「ピニンファリーナ」がデザインを手がけた欧州調スタイルに生まれ変わりました。また1965年は、7月に名神高速道路が全線(小牧-西宮間)開通するなど、高速道路が活性化していた時代です。そうした高速時代に対応するべく、2,000ccの直列6気筒OHCエンジンを採用したことも130型の大きな特徴として挙げられます。1968年9月のマイナーチェンジでは、フロン…年代:1969

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セドリック 4ドアハードトップ ターボ  ブロアム

430型のセドリックは、1979年(昭和54年)6月にフルモデルチェンジを受けた5代目になります。それまでの2ドアハードトップはなくなり、ボディバリエーションは4ドアハードトップ、4ドアセダン、ワゴン/バンの3タイプとなりました。ワゴンは、3代目の230型以来の再登場となりました。この430型セドリックでは、乗用車では日本初となる直列6気筒ディーゼルエンジン(LD28)搭載車の追加や、エンジン集中電子制御システム(ECCS)の日産車初採用など、「初もの」のトピックが数多くありました。とくに注目を浴びたのは、同年12月のマイナーチェンジで日本初のターボエンジン(L20E-T)搭載車が登場したこ…年代:1982

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セドリック グランツーリスモSV

1987年(昭和62年)6月にリリースされた7代目セドリックのY31型は、ドライビングの楽しさを強く追求したモデルでした。その傾向を色濃く現すのが、従来からの「ブロアム」に加えて新設定された「グランツーリスモ」です。スポーティなフロントデザインを備えるだけでなく、エンジンはV型6気筒の3,000cc、3,000ccターボ、2,000ccDOHCターボ、直列6気筒ディーゼル2,280ccなど数多くのバリエーションを誇りました。従来モデルよりもさらに高められた走りの高いクオリティは、当時の多くのユーザーに好評を得ました。記念車に積まれたVG20DETと呼ばれるV型6気筒2,000ccDOHCターボエン…年代:1991

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ブルーバード 4ドアハードトップ 1800ターボSSS-X・Gタイプ

1979年(昭和54年)11月に発売された6代目の910型ブルーバードは、ダットサンの名を冠した最後のブルーバードであり、同モデル史上で最後のFR(フロントエンジン・リヤドライブ)採用車となりました。小型車中心の車種構成に生まれ変わったこと、直線基調のスタイルが好評だったこと、さらにFRでは初搭載の新開発ゼロスクラブフロントサスペンションによるスポーティな走りなどによって、発売されると瞬く間に人気が加速。そして27か月連続して、1,600cc-2,000ccクラスの小型車市場で登録台数第1位を記録するベストセラーカーとなりました。この1800ターボSSS-E・Gは、マルチボイスウォーニングを採用…年代:1982

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サニー 1000 4ドアデラックス

B10型は、1966年(昭和41年)4月にデビューしたサニーの初代モデル。1959年(昭和34年)登場の初代ブルーバード(310型)とともに、日本のファミリーカー時代をリードした名車です。1965年(昭和40年)に日産初の新型車名公募キャンペーンを実施し、翌年2月に約800万通の応募の中から「サニー」の名称が決定しました。発売当初は2ドアセダンとバンのみの設定でしたが、1967年(昭和42年)4月に4ドアセダン、4速フロアシフト車とフロアAT車がリリースされ、1968年(昭和43年)にはファストバックスタイルの2ドアクーペ(KB10型)が追加されました。サニー10004ドアデラックスは、…年代:1967

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パルサー4ドアサルーン スーパーエクセレンス TRENDA

N13型は、1986年(昭和61年)5月にフルモデルチェンジしたパルサーの3代目モデルです。4ドアサルーンに加え、3ドアと5ドアのハッチバックのボディバリエーションがありました。新開発のDOHC(ツインカム)エンジン、日本の量産車では初となるビスカスカップリング式4WDシステムの「フルオート・フルタイム4WD」などが高い評価を受け、1986年-1987年「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。この受賞は日産初のトピックでした。記念車の「TRENDA(トレンダ)」は、1990年(平成2年)1月に発売された高いコストパフォーマンスを誇るモデルで、エアコンやカーステレオなどを標準装備しながら…年代:1990

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レパード ターボ2000SGX

レパードは、スカイラインやローレルに続く上級スペシャリティカーを目指して開発され、1980年(昭和55年)9月に初代モデルが発売されました。4ドアハードトップと2ドアハードトップのボディタイプがあり、エンジンはL20型の2,000ccとL28型の2,800ccを設定。上級グレードには、本革シートやオートクルーズコントロール、燃費計も含まれるマルチ電子メーターなどが標準装備され、また当時では世界初のワイパー付きフェンダーミラーも備わるなど、上質で充実した装備が大きな特徴でした。1982年(昭和57年)9月にはマイナーチェンジが実施され、世界初の光通信ステアリングスイッチが採用されるなど、充実装備…年代:1982

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ブルーバード 4ドアハードトップ V6ターボ マキシマ・ルグラン

ブルーバードの7代目モデルとなるU11型は、1983年(昭和58年)10月に登場。先代の910型までは「ダットサン・ブルーバード」の名称でしたが、このモデルを機に「日産・ブルーバード」の正式名称へ改められました。マキシマは、先々代の810型以来の上級シリーズとして、翌年の1984年(昭和59年)10月に発売されました。日本のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)車では初となるV6エンジンを搭載しており、U11型よりも90mm長い、スラリとしたノーズが特徴でした。そして「ルグラン」は、上級のマキシマの中の最上位のグレードです。国産FF車初のV6エンジン(2,000cc)を搭載し、170馬力…年代:1986

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スカイライン GT-R

8代目スカイラインのR32型は1989年(平成元年)5月に発売されました。それから3か月後の8月には、16年ぶりの復活となった「GT-R」が登場し、大きな話題を呼びました。R32型GT-Rは、名機と謳われたRB26DETT型2,600ccの直列6気筒DOHCツインターボエンジンを搭載し、当時の国産車最強の280馬力の最高出力を発揮。駆動方式には、FRベースながらも高度な電子制御で4輪に自在に駆動力を配分する電子制御トルクスプリット4WDであるアテーサETSを採用。サスペンションには4輪マルチリンクを採用し、セダン派生型のスポーツカーとしては世界トップクラスの運動性能を実現しました。このGT…年代:1989

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スカイライン GT-R Vスペック

GT-RVスペックは、スカイラインGT-Rにオプションパックを装備したハイスペック仕様です。1993年(平成5年)2月に、R32型のGT-Rに初めて設定されました。そのR32型GT-RVスペックは、ブレンボ製ブレーキ、17インチBBSホイールなどが標準装備し、大きな話題となりました。そして、1995年(平成7年)1月発売のR33型GT-Rからは、駆動方式がアテーサPROに進化し、GT-RVスペックはグループNレース用のベース車として活躍しました。この記念車は、1997年(平成9年)2月にデビューした、R33型のGT-RVスペックです。搭載されるエンジンは、通常のGT-Rと同様の26…年代:1997

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グロリア 4ドアセダン カスタムデラックス

セドリックとグロリアは、1971年(昭和46年)2月発売の230型から基本構造を統一した1モデルとして統合され、フードパネル/マスコット、ラジエーターグリル、リヤコンビランプ/フィニッシャーなどが異なるだけの姉妹車となりました。当初のグロリアのボディバリエーションは、2ドアハードトップとセダンの2つのみで、セドリックにはワゴンモデルがありましたが、グロリアには設定されませんでした。ハードトップは、2000ccクラスの乗用車では日本初登場でした。1972年(昭和47年)には、4ドアハードトップが追加され、センターピラーを取り去った4ドアハードトップもまた日本車初の形式でした。このカスタムデラッ…年代:1972

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