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長岡鉄管(株)が明治25~31年(1892~1898年)に敷設したラインパイプの一部である。東山油田地帯の浦瀬小豆平から長岡市の中嶋製油所までの幹線と腐澤~地獄谷間の支線に使用されたもので、昭和50年(1975年)代に採取され「パイプのミニ博物館」に寄贈されたものである。
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明治39年(1906年)に軽井沢~横川間の線路に沿って敷設されていた石油輸送用のラインパイプである。外径4インチのソケットつきと、ストレートの継目無鋼管で、今日の継目無鋼管に比較しても遜色ないものである。パイプは内面がアスファルト被覆、外面はアスファルト・タールを染み込ませたジュート・アスファルトの3層被覆の耐防蝕構造となっていた。
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明治44年(1911年)に建てられた明治の各建築の一つであり、旧内閣文庫の書庫棟に使用されていた鋳鉄管柱である。内閣総理大臣官房より寄贈されたものである。
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猪苗代湖の豊富な水量を利用して、遠距離高圧送電の時代に入るきっかけを作ったのが猪苗代第一発電所で、明治45~大正4年(1912~1915年)にかけて建設された。展示の水圧鉄管はこの発電所の励磁用直流発電機の駆動用で、ドイツのティッセン社製の重ね合わせ鍛造鋼管である。昭和37年(1962年)に撤去されたが、アンカーブロックのコンクリート中に残されていた部分が昭和56年(1981年)に発掘された。
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横浜市の水道は近代式水道を日本で最初に創設以来、拡張を続けている。この管は大正4年(1915年)の第2回拡張工事時に布設されたドイツのマンネスマン社製全面塗覆装-重ね合わせ鍛接鋼管(スピゴット・アンド・ソケット継ぎ手)である。当時の水道管は錆・腐食に強い鋳鉄管を使用することが常識であったが、導水管が長大におよぶ工事では鉄管のコストが嵩むため、低廉な塗覆装鋼鉄管が採用された。
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横浜市の水道は明治20年(1887年)に近代式水道を日本で最初に創設以来、増え続ける市住民と工業の発展に伴い拡張を続けている。この管は昭和6年(1931年)の第3回拡張時に、日本で初めて水道用鋼管として用いられたアーク溶接鋼管(鉛パッキング入りフランジ継手)である。
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大正4年(1915年)に木樋を布設し、黒部渓谷の黒薙温泉を約9km下流の愛本村まで引き湯して温泉旅館が開かれたが、湯温が低下して結局は失敗に終わった。大正13年(1924年)東洋アルミナム(株)の山田 胖氏が内圧に耐える針金を巻き、木管を使って流速を増し黒薙から宇奈月までの引き湯工事に初めて成功した。その後、昭和24年(1949年)くり貫き木管で布設換えされたが、展示の木管はこの時のものである。
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