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シルビア

3代目シルビア(S110型系)は、シャープで未来的なフォルムをもった新時代のスペシャルティーカーとして、1979年(昭和54年)3月にデビュー。のちに1800ccのターボエンジン搭載車や4バルブDOHCエンジンを搭載した2000RSシリーズも加わり、当時の若者たちの憧憬の的になりました。モータースポーツでは、国内のスーパーシルエットレースと海外ラリーへ挑みました。このマシンは、ラリーの王者として数々の実績をあげたバイオレットの後を継ぐかたちで実戦に投入。1982年(昭和57年)に開催されたサファリラリーでは、総合3位を獲得しました。エンジンは直列4気筒DOHC・1975ccで、最高出力215…年代:1982

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スカイライン H/T ターボ2000GT-ES

日本を代表する高性能車として、高い人気を誇るスカイラインは、1981年(昭和56年)8月、6代目(R30型系)へと進化を遂げました。スカイラインは代々、オーナーの方や多くのファンの方々から、その時代ごとにニックネームを授かっていましたが、このモデルでは、米・映画俳優の大御所で、カーマニアでもあるポール・ニューマン氏をイメージキャラクターに起用。このことから「ニューマンスカイライン」と愛称されました。主力となる2000GTの上級モデルに、量産市販車としては世界初となる、足まわりのセッティングを室内のスイッチで選択できるアジャスタブル・ショックアブソーバーなどの革新技術を惜しみなく投入していまし…年代:1981

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スカイライン スーパーシルエット

スカイラインGT-Rの生産終了以来途絶えていた、DOHCエンジンが8年ぶりに復活。レース界にも復帰を果たしたことでも、6代目スカイライン(R30型系)は注目を集めました。直列4気筒4バルブDOHC・2000ccのFJ20E型エンジン(最高出力150馬力)を搭載した2000RSシリーズです。RSとはレーシングスポーツの略で、このエンジンは1983年にターボ仕様のFJ20ET型(190馬力)が加わり、最終的にはインタークーラー付き仕様に進化。最高出力を205馬力にまでアップしました。レースの世界へは、このRSシリーズがもつ基本スタイルに、LZ20B型という2000ccターボ付きのレース専用エンジ…年代:1983

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ブルーバード2000SSS-EX

空前の大ヒットカーとなった6代目ブルーバード(910型系)は1600cc、1800cc、2000ccという3タイプの直列4気筒OHCエンジンをラインナップ。伝統的なスポーティーモデルである、SSSシリーズも、もちろんバリエーションの中心として展開されました。この1981年(昭和56年)式の2000SSS-EXは、1気筒あたり2本のスパークプラグもったZ20Eエンジン(最高出力120馬力)を搭載しています。外観では精悍なハニカム状のフロントグリルを採用。安全面の充実策として、ハロゲンヘッドランプや衝撃吸収ウレタンバンパーなども標準装備。インテリアは、7つの調整機能を持つ7ウェイの運転席を筆頭に…年代:1981

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マーチ

1981年(昭和56年)に開催された第24回東京モーターショーに、1000ccエンジンを搭載したコンパクトカーが参考出品されました。このクルマは後に、一般公募により車名を「マーチ」として、1982年(昭和57年)10月から販売を開始しました。これが日産自動車を代表するコンパクトカー、マーチの誕生ショートストーリーです。マーチといえば小回りが利いて経済的。そして扱いやすい。といった特徴がありますが、これは軽快な運動性能をもっている。ということでもあります。そうしたことから、マーチはモータースポーツへも参戦。全日本ラリー選手権のクラス制覇など、未舗装路でも高いポテンシャルを発揮しました。年代:1982

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マーチ スーパーシルエット

初代マーチは、歌手で俳優の近藤真彦さんをイメージキャラクターに迎え、「マッチのマーチ」や「スーパーアイドル」といったキャッチコピーで、若い女性を中心に高い関心を集め、一躍人気モデルの仲間入りを果たしました。このマシンは、イメージキャラクターの近藤真彦さんのために、当時スカイラインやブルーバード、シルビアなどのモンスターマシンが速さを競い、花形レースとして人気が高かったスーパーシルエット仕様を模した、スペシャルモデルです。エンジンはチューンナップされたE15型(1500cc、最高出力160馬力)を搭載。コンパクトカーとは思えない、迫力のボディは多くの男性の目を釘づけにしました。年代:1982

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サニー1500 SGLエクストラ

誕生以来、日本のマイカー時代をリードし続けてきたサニーは、1981年(昭和56年)11月にフルモデルチェンジを果たし、5代目(B11型系)に進化しました。このモデルの最大の特徴は、省資源・省エネルギー時代の到来にいち早く応えるため、駆動方式をFF(フロントエンジン・フロントドライブ)とし、搭載されるエンジンやサスペンションなどもすべて一新したことです。なめらかで親しみやすいボディに広い室内空間を作りだし、騒音や振動の低減や空調システムの改良なども積極的に実施しました。また、のちに経済性とスポーティーな走りを両立させた、1500ccターボエンジン搭載の「ルプリ」シリーズもラインナップに加わりま…年代:1982

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フェアレディZ 300ZX

日本が生んだ世界のスポーツカー、フェアレディZは、1983年(昭和58年)、3代目となるZ31型に生まれ変わりました。伝統のロングノーズ・ショートデッキスタイルを受け継ぎつつ、鋭さを増したボディが与えられ、エンジンは従来の直列6気筒から、当初は新設計のV型6気筒OHC2000cc/3000ccのターボチャージャー付きエンジンを搭載していました。このマシンは、1985年(昭和60年)全日本ラリー選手権の第3戦から途中参戦し、第6、7戦での連続優勝を筆頭にポイントを重ね、同年のシリーズチャンピオンに輝いた、VG30ET型エンジン(最高出力230馬力)を搭載したラリー仕様の300ZXというモデルで…年代:1983

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パルサーミラノX-1

1980年代に入り、モータリゼーションのさらなる普及とともに、モータースポーツもますます盛んになりました。1978年(昭和53年)に登場した初代パルサー(N10型)は、サニーと並んで人気を博した小型車で、サーキットでのワンメイクレースも行なわれていました。2代目となるパルサーミラノX1(RHN12型)は、1984年(昭和59年)3月に登場。スタイリッシュな2ボックスとして多くの若者の支持を得ました。また、富士フレッシュマンレースなど、ワンメイクレースを行うためのレース車両も同時に供給されました。それが、2ドアハッチバックをベースに、標準車と同じ1500cc・95馬力のエンジンを搭載し、サスペ…年代:1984

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スカイラインGTパサージュ・ツインカム

「7thスカイライン」のキャッチフレーズで親しまれたスカイライン(KRR31型)は、1985年(昭和60年)8月にデビューしました。スカイラインでは伝統の6気筒エンジンを搭載。その誕生は多くのファンを魅了しました。同年秋の東京モーターショーには4ドアをベースに製作されたレーシングカーを出品。レースへの参戦はありませんでしたが、エンジンは2000ccの直列6気筒DOHCターボを搭載し、300馬力以上の最高出力が可能でした。年代:1985

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EVガイド-II (電気自動車)

1986年(昭和61年)の第26回東京モーターショーに参考出品されたEVガイド(II型)は、画期的なワンボックスタイプの6人乗り電気自動車でした。7.5kw(1馬力)を発生する直流直巻モーターを原動機として使用、最高速度は16km/h、1回の充電で約60kmの走行が可能でした。モーターショーののちに屋根付きに改造され、実際に日産自動車の工場施設内で使われました。電気自動車ならではのクリーンな特性を活かし、工場見学に訪れた皇族や国賓の方々を乗せて案内するガイドカーとして長いあいだ大役を務めました。環境保護の重要性から電気自動車は次世代のクルマとしてますます注目されています。日産自動車では、19…年代:1985

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パルサー エクサ コンバーチブル

パルサーエクサは1982年(昭和57年)から4年間製造された、パルサーのクーペモデルです。リトラクタブルヘッドライトを採用したエクステリアは、セダンとは一線を画するものでした。このスタイリッシュなクーペボディが人気となり、また、1500ccのコンパクトなスポーティカーとしてサーキットのワンメイクレースでも大活躍しました。パルサーエクサコンバーチブルは、1985年(昭和60年)に登場した、日産チェリー系販売会社創立15周年記念特別仕様限定車です。全国で100台の限定販売となりました。5速フロアシフト車をベースにしたオープンモデルで、耐候・耐熱性に優れた専用のクロス地を採用したソフトトップには同…年代:1985

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ニッサンR85V

日産自動車が1986年(昭和61年)、ワークスとして初めてフランスのル・マン24時間レースに参戦したグループCカーと呼ばれるプロトタイプのレーシングカーです。ニッサンR86Vニチラ(星野一義/松本恵三/鈴木亜久里組)と、ニッサンR85Vアマダ(長谷見昌弘/和田孝夫/Jウェーバー組)の2台体制で過酷な24時間耐久レースに挑みました。3000ccのV型6気筒DOHCターボエンジンを搭載した680馬力以上のハイパワーマシンの性能を活かし、予選でニッサンR86Vニチラが日本勢トップの25位となりました。しかし、決勝で惜しくもリタイヤしましたが、ニッサンR85Vアマダが総合16位で完走し、当時の話題…年代:1985

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ニッサン GTP ZX-Turbo

1985年(昭和60年)から、米国のIMSA(インターナショナル・モータースポーツ・アソシエーション)のレース、IMSAGT選手権のGTPシリーズに参戦していたマシンです。マシンの開発とレース参戦は米国のエレクトラモーティブ・エンジニアリングが担当。3000ccのV型6気筒SOHCターボエンジンを搭載したプロトタイプのレーシングカーで、1988年(昭和63年)にはドライバーズタイトルを獲得(ジェフ・ブラバム組)。さらに1989年(平成元年)~1991年(平成3年)の3年連続でドライバーとメーカー両方のシリーズタイトルの栄冠に輝きました。年代:1985

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ニッサンR86V

グループCカー(プロトタイプのレーシングカー)によって争われる、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)の、1986年(昭和61年)シーズン向けに作られたレーシングカーです。英国のマーチ製86Gのシャシーに、680馬力以上のVG30ツインターボエンジン(3000ccのV型6気筒)を搭載しています。サイドラジエーター方式を採用して空力性能を向上させているのが特徴でした。1986年のル・マン24時間レースに出場、星野一義/松本恵三/鈴木亜久里組で、予選は日本勢でトップでしたが、決勝では惜しくもリタイヤとなりました。全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権では星野一義/高橋健二組のマシ…年代:1986

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ニッサンR88C

1986年(昭和61年)にル・マン24時間レースに初参戦した日産チームが、1988年(昭和63年)のレースに照準を合わせて新たに開発した、3000ccでV型8気筒DOHCターボのVRH30エンジンを搭載したプロトタイプのレーシングカーです。750馬力以上のハイパワーとなったエンジンのほかに、ホイールベースを長くして操縦安定性を向上させ、日産自動車独自のカウルデザインを採用するなどして進化させました。戦績は、ル・マン24時間レースで総合15位の結果となり、全日本スポーツプロトタイプカー選手権では最高3位の成績を残しています。年代:1988

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シルビア 200SX

1988年(昭和63年)の第36回サファリラリーで総合2位となり、A4クラス(2000cc以上の2WD車)優勝を成し遂げたシルビア(RVS12型)です。ベースは輸出仕様(車種名はダットサン200SX)で、最高出力が250馬力以上となる3000ccのV型6気筒OHCエンジンを搭載していました。ドライバーはマイク・カーランド組です。なお、第36回サファリラリーは、大会前の大雨の影響で完走したマシンが14台という過酷さでしたが、シルビア200SXのほか、A3クラス(排気量1600-2000cc)にエントリーした日産マーチもクラス優勝し、日産チームは2階級制覇の偉業を成し遂げました。年代:1988

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Be-1

1985年(昭和60年)の第26回東京モーターショーに参考出品したBe-1(ビーワン)は、“ノスタルジック・モダン”をデザインテーマに、やすらぎ・安心感を追求したクルマとして登場、会場で大きな話題となりました。車名は、開発記号の「B1」を「Be動詞化」したことから名づけられました。発売されたのは、その翌々年の1987年(昭和62年)1月です。発売前から評判が高く、そのうえ限定生産であったために、購入者を抽選で決定しました。さらに、市場ではプレミアまでつくという人気ぶりでした。1000ccエンジンを搭載したマーチ(K10)がベースとなっており、丸みを持たせた愛くるしいフォルムが特徴です。パオ、…年代:1987

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Be-1 キャンバストップ

第26回東京モーターショーで話題となった「パイクカー」第1弾、Be-1は、1987年(昭和62年)1月にデビューしました。丸型基調となったデザインのランプ類をバランスよくレイアウトしたエクステリアは、個性的であり、多くのファンを魅了しました。インテリアもニットのフルクロスシートの採用や、丸型のベンチレーショングリルなどエクステリアに通じる心地よさと楽しさがその特徴でした。また、リサイクル可能な熱可塑性樹脂も、Be-1が世界に先駆けて採用した技術です。記念車は発売2か月後に追加されたモデルです。開放感とカジュアルな雰囲気が楽しめ、キュートな雰囲気が倍増するこの電動キャンバストップ仕様も大きな話…年代:1987

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ニッサンR88C

1988年(昭和63年)のル・マン24時間レースに照準を合わせて新設計した、3000cc・V型8気筒DOHCターボのVRH30エンジンを搭載したプロトタイプのレーシングカーです。24号車YHPは、1988年-1989年(平成元年)の第2戦まで長谷見昌弘選手が第1ドライバーとして全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)に参戦。1988年は第1戦・富士と、第5戦・鈴鹿でともに3位に入賞。翌年の第1戦・鈴鹿も3位に入賞を果たしています。また、この年に始まった世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)の第1戦・鈴鹿では4位に入りました。年代:1988

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シルビア Q’s

1988年(昭和63年)5月のフルモデルチェンジで登場した5代目シルビア(S13)は、均整のとれたクーペらしい美しいボディラインが受け入れられ、日産自動車を代表する「スペシャリティカー」として、若者を中心に多くのファンを獲得しました。フロントエンジン・リヤドライブの、FRの駆動方式ならではの走りの楽しさから、とくに若い世代に人気が集まりました。エンジンは1800ccのCA18型直列4気筒DOHCを搭載。グレードは3タイプあり、Q’sとJ’sが135馬力のNA(自然吸気)エンジンで、K’sが175馬力のハイパワーなターボを装着しています。ちなみに、シルビアとプラットフォームが共通の180SXも…年代:1988

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ニッサンR90CP

1983年(昭和58年)に始まったグループCカー(プロトタイプカー)によるレース(全日本耐久選手権。のちに全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権という名称に変更)で、日産チームは同シリーズで1990年(平成2年)から3連覇の偉業を成し遂げることになりますが、その初代チャンピオンマシンがニッサンR90PCです(ドライバーは長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組)。3500cc・V型8気筒DOHCターボであるVRH35型エンジンを改良型のVRH35Zとして搭載しています。シャシーは英国ローラ社製を採用していますが、パーツの約70%が日産自動車とNISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナシ…年代:1990

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ニッサンR89C

1989年(平成元年)の日産チームのグループCカーは、R88Cで採用していた英国マーチ製のシャシーからローラ製へと変わり、エンジンも3500ccのVRH35型(V型8気筒DOHC)を採用し、排気量のアップとともに、800馬力を超える最高出力を備えたモンスターマシンへと進化しました。エクステリアは、日産自動車がデザインした美しいカウルとなり、また、本格導入されたテレメトリーシステム(遠隔測定装置)もR89Cの大きな特徴です。23号車のカルソニック(ドライバーは星野一義/鈴木利男組)は、第3戦・富士でデビュー、第5戦・富士では8位でチェッカーフラッグを受けました。年代:1989

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ニッサンR90CK

1990年(平成2年)登場のR90Cは、ローラ製のシャシーを採用するなど、ローラ社と共同開発したグループCカーであるのに対して、R91Cでは100%日産自動車製となりました。黄色い27号車のR90CKは、ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパで製作されました。末尾のCKは世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)仕様のマシンであることを意味しており、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)仕様との違いは、リヤスポイラー形状(リヤに装着したウイング状のスポイラー)で知ることができます。1990年(平成2年)を最後に日産チームは世界選手権参戦を中止しましたが、翌年のJSPCではフ…年代:1990

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S-Cargo

第26回東京モーターショーでデビューしたBe-1に続き、日産自動車では第27回東京モーターショーでも話題作を出品しました。そのひとつがS-Cargo(エスカルゴ)で、翌年の1989年(平成元年)1月に発売されました。車種名のように、どことなくエスカルゴ(カタツムリ)を思わせる、遊び心あふれるエクステリアデザインはもちろん、商用車としての実用性を両立していました。エンジンの排気量は1500ccで、トランスミッションは3速ATとの組み合わせとなりました。標準ルーフのほか、キャンバストップもラインアップされました。本車両は、彫刻から映画監督まで幅広い芸術活動を展開した池田満寿夫氏(故人)によるカラ…年代:1989

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ニッサンR90CK

プロトタイプカーのレースに出場を続けていた日産チームは、英国ローラ社と共同でR90型を開発しました。これには日産自動車の追浜工場で製作されたR90Cと、NME(ニスモ・ヨーロッパ)製作のR90CKの2タイプがありました。外観上での相違点はカウルやリヤスポイラーの形状でした。R90CKは、1990年(平成2年)-1991年(平成3年)にかけてル・マンを含む世界耐久選手権に出場したほか、米国の耐久レースにも参戦しました。83号車は、米国のNPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジーInc.)チームが、1991年のデイトナ24時間耐久レースに出場したマシンです。年代:1990

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ニッサンR90CK改

R30Cのプロトタイプカーは日産自動車と英国ローラ社との共同開発で生まれました。モノコックボディを新たに設計するなど、剛性面はもちろん、中身も大きく進化。安全で速く走れるレーシングカーとなりました。NME(ニスモ・ヨーロッパ)で製作されたR90CKは、ル・マンなどの世界耐久選手権や米国のIMSA(インターナショナル・モータースポーツ・アソシエーション)レース出場。このゼッケン83号車は米国のNPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジーInc.)チームが1992年(平成4年)のデイトナ24時間レースのGTPクラスに出場しました。なお、この記念車は、3000ccのVRH30Zエンジン(V型8…年代:1990

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ニッサンR91CP

日産チームはR91型から100%自社開発のプロトタイプカーでレースに挑みました。シルバーカラーの61号車は、プロトタイプカーのクラスであるグループCカーによる、全日本選手権の最後の年となる1992年(平成4年)のマシンです。チーム・テイクワンがコクヨ・テイクワン・ニッサンの車名で参戦、ドライバーは岡田秀樹/T・ダニエルソン組でした。デビュー2戦目となる富士1000kmレースで堂々の2位入賞を果たしました。それまでの日産チームは、マーチやローラといったイギリス製シャシーに自社製エンジンを搭載して戦ってきましたが、800馬力にも達する高性能なエンジンに見合うバランスのとれたマシンとするため、信頼…年代:1991

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ニッサンR91CP

日産自動車とグループCカー(プロトタイプカー)の歴史は1985年(昭和60年)から始まります。英国のマーチ社やローラ社といった外国製のシャシーに日産のエンジンを積み、WEC(世界耐久選手権)や、国内の耐久シリーズに参戦していましたが、R91型からすべて自社製となったマシンでの参戦となりました。ゼッケン23のR91CPは、1992年(平成4年)のデイトナ24時間レースで長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男組が日本人・日本車として初の総合優勝を飾った記念すべきマシンです。搭載エンジンは3500ccのVRH35Z(V型8気筒DOHCツインターボ)で、参戦当時は800馬力の最高出力にまで到達しています。こ…年代:1991

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スカイライン GT-R

1973年(昭和43年)に登場した4代目スカイライン(GC110)以後、16年の歳月を経て、1989年(平成元年)にスカイラインGT-R(BNR32型)が待望の復活を遂げました。エンジンは280馬力をほこる、名機のRB26DETT(2600ccの直列6気筒DOHCツインターボ)を搭載し、アテーサET-S(4WDシステム)など、先進の装備が光るスーパースポーツモデルとなりました。ワイドボディのスパルタンなエクステリアデザインも相まって、まさしくスポーツカーの王者としてブームの牽引役をも果たしました。それは、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)のグループAでも同様で、連戦連勝を成し遂げ、向か…年代:1991

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パルサーGTI-R

4代目のパルサー(N14)の発売は1990年(平成2年)8月でした。先代のイメージを踏襲する進化で、均整のとれたスタイリッシュさが人気を博しました。一番のスポーティグレードは、230馬力を誇るブルーバードSSS-Rと共通した2000ccの直列4気筒DOHCターボ(SR20DET)を搭載し、アテーサ(フルタイム4WD)を採用したGTI-Rでした。このGTI-RをベースにしたWRカーが1991年(平成3年)のサファリラリーでWRC(世界ラリー選手権)にデビュー、以後2年間WRCで活躍しました。記念車の18号車は、1991年アクロポリスラリーに出場したD・ルウェリン組のマシンです。年代:1991

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PAO キャンバストップ

1987年(昭和62年)1月にデビューしたBe-1に続いて登場した、日産の「パイクカー(遊び心のある、尖った鋭い感覚のクルマ)」の第2弾がこのPAO(パオ)です。1989年(平成元年)1月に限定モデルとして発売されることが正式発表されると、Be-1と同じくまたしても予約が殺到し、再び抽選で購入者を決定しました。ベースはマーチ(K10)で、1000ccのエンジンを搭載しており、3速ATとの組み合わせで扱いやすさを魅力です。エクステリア、インテリアともに思い切りのよいレトロ調なデザインで、いまでも中古車市場では高い人気を保っています。車名は、中国語の包(パオ)から由来し、モンゴルの遊牧民のゲオで…年代:1989

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S-Cargo

1989年(平成元年)1月に、PAO(パオ)と同時期の発売されたS-Cargo(エスカルゴ)は、コマーシャルカーとしては斬新な、カタツムリをイメージさせるエクステリアデザインが大きな特徴で、PAO同様に人気を博しました。カーゴスペースは1230mmの荷室高と高くて実用的で、ルーフはスタンダードのほか、開放感のあるキャンバストップも選べました。コクピットはテーブルタイプのインパネデザインで、インパネの中央部に大型のスピードメーターを配置。ATのセレクトレバーをセンターコンソール上部にレイアウトする斬新なものでした。「パイクカー」シリーズでは唯一の商用車で、現在でも高い人気を保っています。年代:1989

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プリメーラ・カミノ

スポーティセダンとして人気の高かったプリメーラ・カミノ(P11型)は、サーキットでも大活躍しました。ゼッケン23をマシンは1996年(平成8年)の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)を戦ったユニシアジャックス・カミノです。デビューは第3戦で、ドライバーは影山正彦選手でした。このシーズンでは第8戦のミネラウンド(セントラルパークMINEサーキット)で、強豪のコロナエクシヴやシビックフェリオ、BMWなどを抑えて初優勝を飾りました。年代:1996

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サニー

1994年(平成6年)から全日本選手権は、ヨーロッパで主流となっていたスーパーツーリングカーが導入され、4ドア車で2000cc以下のNA(自然吸気)といったレギュレーションを満たす車両でタイトルを争われることになりました。プリメーラに続いてサニー(HB14型)も第11戦・TIから参戦しました。翌年の第10戦・ミネで、飯田章選手がドライブする31号車のザナヴィ・サニーが初優勝を成し遂げます。32号車は、「日本一速い男」こと本山哲選手のドライブでシーズンを戦いました。2.0LのSR20エンジン(直列4気筒DOHC)は、NAながら300馬力以上をマークしていました。年代:1996

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テラノラリー車

日産の本格派オフローダーとして人気が高かったテラノは、初代が1986年(昭和61年)にリリースされました。そして、2代目テラノ(R50)は、1995年(平成7年)9月に登場します。その年の第31回東京モーターショーでは、翌年1月に行なわれたグラナダ~ダカールラリー(通称パリダカ)に出場した、ニッサン・プライベート・ジャポン・チームのこのレプリカマシン(北米仕様ベース。3300ccエンジン搭載)が展示されました。実際のラリーでは石原/斉藤組が60位(T1クラス9位)、武田/杉本組が62位の戦績を残しています。年代:1996

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スカイライン GT-R

1995年(平成7年)、スカイラインGT-R(BCNR33)を使った日産とニスモ・モータースポーツ・インターナショナルによる「ルマン・チャレンジ3年計画」が始まりました。搭載のRB26DETTエンジン(2600cc直列6気筒DOHCツインターボ)は2795ccへと排気量がアップされ、600馬力以上のパワーを誇りました。初年度は2台が出場し、22号車の福山/近藤/粕谷組が、総合10位・クラス5位の結果となりました。記念車の23号車は、1996年(平成8年)に参戦した星野/長谷見/鈴木組のNISMOGT-RLMで、総合15位・クラス10位の戦績を残しています。ちなみに、このプロジェクトは国内…年代:1996

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マーチ スーパーターボ

日本国内にコンパクトカーブームの礎を築いた初代マーチ(K10型)は、1981年(昭和56年)の第24回東京モーターショーでデビューしました。車名を公募するというユニークな試みの結果、マーチと決定。翌年の10月に発売されました。1987年(昭和62年)には「マーチ・リトルダイナマイトカップ・レース」がスタートし、ニスモが製作したマーチスーパーターボがレンタルマシンとして登場しました。搭載エンジンは、全域での過給コントロールを目指したターボ+スーパーチャージャーを組み合わせた画期的な仕様であり、930ccのエンジンで110馬力のハイパワーを誇りました。その翌々年の1989年1月には同じ仕様のスー…年代:1987

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スカイライン2000GT-EL

5代目スカイライン(HGC211型)の発売は、1977年(昭和52年)8月。ストレート基調となったボディデザイン、ハロゲンランプを採用した角型ヘッドランプ、GT系には伝統の丸型テールを踏襲して登場しました。全車が昭和53年度排出ガス規制に適合しているところも話題のひとつとなりました。グレードは、2000ccで直列6気筒のGT系がGT、GT-L、GT-EL、GT-EX、GT-ESで、同時に直列4気筒のTI-EXも新設されました。1979年(昭和54年)のマイナーチェンジでは、フロントマスクが変更され、GT系にターボのGT-Eが追加ラインアップされています。ちなみに、GT-Rの設定はありませんで…年代:1980

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セドリック スペシャル6

わが国が高度経済成長期の真っただ中にあった1965年(昭和40年)に、セドリックは2代目のH130型へとフルモデルチェンジを遂げました。スペシャル6はその最上級グレードで、イタリアのピニンファリーナ社のデザインによるスタイリングは、欧州の流れを汲むもので、高級セダンの華やかな風格と同時にスタイリッシュさも身につけていました。ボディの全長は中型車最大の長さ(2690mm)を誇り、ロングホイールベースがもたらす快適な乗り心地を実現していたのも特徴のひとつです。スペシャル6に搭載されたエンジンは、新開発のL20型(OHC)で、以後の日産車の中核を担う直列6気筒エンジンの採用となりました。年次改良を…年代:1969

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セドリック カスタム6

1965年(昭和40年)に登場した2代目セドリック(H130型)は、イタリアのピニンファリーナ社が手がけたデザインとなりました。この2代目セドリックの誕生は、その後20年もの長きにわたり日産車の中核を担った名機、直列6気筒のL型エンジンが誕生する記念すべき出来事でもありました。1965年に発売され、1971年(昭和46年)に3代目が登場するまで、セドリックは毎年秋にマイナーチェンジ(部分改良)を受けました。1968年(昭和43年)9月には、スタイリングとインテリアが大きく変わっています。セドリックカスタム6は、2000ccのL20型直列6気筒OHCシングルキャブを搭載、105馬力の最高出力で…年代:1969

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ローレル 4ドアセダン グランドエクストラ

ミドルクラスの4ドアセダンとして初代より人気を博したローレルの5代目(C32型)は、1984年(昭和59)10月にデビューしました。その開発コンセプトは「人間の感性に訴える最高級オーナーサルーン」で、世界初の電動カラードドアミラー/オートレフレックスミラー、日本初のヘッドライトレベライザー、メモリー付きスウィングアップチルトハンドルといった先進の装備で彩られたクルマでもありました。エンジンは、メダリストに搭載されたパワフルで余裕の走りが楽しめるV型6気筒2000ccのDOHCターボを筆頭に、直列6気筒2000cc、高性能な1800cc、経済的な2800ccディーゼルと、多彩なエンジンバリエー…年代:1985

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ザウルス

1987年(昭和62年)の第27回東京モーターショーで参考出品されたのち、ザウルスはレース界にデビューを果たしました。エンジンは、マーチなどでお馴染みの1000cc、直列4気筒OHCのMA10E型を搭載。シフトレバーが右配置なのも特徴で、トランスミッションはクロスミッション化されています。1989年(平成元年)から始まったワンメイクレースのザウルス・カップのマシンとして活躍し、また、日産レーシングスクールのスクールカーとして、レーシングドライバーを数多く輩出しました。現在もザウルス・カップを経験したプロレーシングドライバーたちが第一線で活躍しています。ちなみに1991年(平成3年)には、カッ…年代:1991

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フェアレディ240Z

ロングノーズ&ショートデッキという、スポーツカーらしいスタイリングで、北米での人気はもとより、日本国内にも旋風を巻き起こしたS30型フェアレディZが発売されたのは、1969年(昭和44年)です。当初は2000ccモデルの2000シリーズが発売となり、2年後の1971年(昭和46年)には、L24型エンジンを搭載した、通称240Zと呼ばれる北米仕様と同じ2400ccモデルが追加されました。直列6気筒OHCのL24型エンジンは225馬力というハイパワーを誇りました。240Zは海外ラリーでも活躍し、1971年と1973年(昭和48年)のサファリラリーでは総合優勝を飾っています。車高が高く、スパルタン…年代:1973

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スカイライン 1500 デラックス

スカイラインは名実ともに国産を代表する乗用車のひとつです。その2代目(S50型)が発売されたのは、1963年(昭和38年)11月でした。初代のアメリカ的な大柄なイメージとは打って変わり、軽快感のある機能的なスタイリングが大好評となり、人気を呼び起こしました。ボディはモノコックを採用し、4ドアセダンだけでなく、ステーションワゴンも用意されました。また、搭載された1500ccの直列4気筒OHVエンジンは、4万kmまたは2年間のメンテナンスフリーを謳った「封印エンジン」として、コマーシャルで話題となりました。年代:1965

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フェアレディZ 300ZX

1989年(平成元年)に登場した、4代目となるZ32型フェアレディZは先代のイメージを踏襲しつつ、ロー&ワイドのスタイリングが特徴です。グラマラスなルックスは大きな話題となり、上級のスポーティカーとして人気を博しました。フェアレディZは、2000年(平成12年)をもっていったん生産が中止されましたが、5代目のZ33型が2002年(平成14年)に発売されるまで、Z32型は、長い間多くのファンを魅了し続けてきました。エンジンは3000ccのV型6気筒DOHC(VG30型)のみで、280馬力のターボと、230馬力のノンターボという2機種のラインアップでした。また、ボディタイプは2シーターと、2/2…年代:1989

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ブルーバード 1200デラックス

2代目ブルーバード(P410型)は、1963年(昭和38年)9月にリリースされました。イタリアのピニンファリーナがデザインしたヨーロッパ調のスタイリングで、モノコックボディの採用が当時の話題となりました。軽量・高剛性となったボディに搭載されたエンジンは、1200ccと1000ccが用意され、1965年(昭和40年)には型式がP411になります。J型エンジンを搭載して1300ccモデルとして多くのユーザーから支持を得ました。また、スタイリングは、発売翌年の10月にラジエーターグリルが変更され、特徴的なバンパーのオーバーライダーも細身へと変更されました。記念車の1200デラックスは1200cc(…年代:1965

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ニッサンサファリ4WD

サファリは、ニッサンパロールを受け継ぐモデルです。初代の160型は1980年(昭和55年)にデビューし、海外ではパトロールの車名で、砂漠など過酷な環境下で活躍しています。160系の搭載エンジンは、95馬力を発揮する3200cc直列6気筒OHVのSD33型ディーゼルエンジンと4000ccのガソリンP40F型、セドリック、グロリアに積まれていた2800ccガソリンのL28型を用意していました。また、海外向けのパトロールには、上下開きのリヤゲートドアやピックアップトラックを設定し、後に日本仕様にも追加されます。1982年(昭和57年)には、フロントグリル中央に日産のマークを移動するなどの小変…年代:1980

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シルビア

1998年(平成10年)の全日本GT選手権・GT300クラスに参戦していたザナヴィシルビア(ザナヴィ・インフォマティクスがメインスポンサー)のレプリカモデルです。レプリカとはいえ、S14型シルビアをベースにボディ、足まわり、エンジンなどほぼすべてにチューニングが施されています。搭載された2000ccのSR20DETエンジンは、320馬力以上のパワーに到達しました。実際のレースでは、近藤真彦/青木孝行組がザナヴィシルビアのステアリングを握り、第3戦の仙台ハイランドレースウェイでは2位入賞を果たすなど、シリーズランキング6位の戦績を残しています。年代:1998

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ニッサンR390 GT1

1986年(昭和61年)の参戦を機に、日産チームはフランスのル・マン24時間レースに挑みました。1990年(平成2年)の参戦以降、しばらく参戦を取りやめていましたが、1995年(平成7年)と翌年は、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)チームがR33型のスカイラインGT-R(ニスモGT-RLM)で参戦し、1997年(平成9年)以降は再び日産チームとして挑むことになります。このマシンは新たに開発したR390GT1です。かつてのGPマシン・プリンスR380(第3回日本グランプリ総合優勝)にちなんだネーミングが与えられ、650馬力以上となる3500ccのV型8気筒DOHCツイン…年代:1997

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