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たま 貨物車〔ガソリン〕

セダンのたま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)に、たま貨物車も東京電気自動車からデビューを果たします。セダン、トラックともに電気自動車とガソリン車を設定していました。セダンは4名定員でしたが、トラックである貨物車は多くの荷物を載せるカーゴスペースがあるぶん、キャビンは2人乗りです。このガソリン車は、直列4気筒の760ccエンジンを搭載。ちなみに、電気自動車の方は一充電当たり65kmの走行が可能で、現在の電気自動車と遜色のない航続距離を誇りました。大きなフロントライトが目を惹く愛くるしいフロントマスクは、セダンと同じです。年代:1947

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ダットサンスポーツ

このダットサンスポーツが登場する前年、1951年(昭和26年)5月に、直列4気筒860cc・20馬力の新エンジンを積んだ新型乗用車(DB-2型)と新型トラックが発売されました。そして、翌1952年1月、DB-2型と同じ強力なパワーユニットを搭載したシャシーに、太田祐一氏のデザインした斬新なボディを載せたダットサンスポーツ(DC-3型)をリリース。スマートなエクステリアのデザインと、最高速80km/hを誇る軽快な走りが好評を博しましたが、1954年(昭和29年)までの50台という限定生産でしたので、希少価値の高いスポーツモデルです。後のフェアレディ、フェアレディZへと続く、ダットサン(ニッサン…年代:1952

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ダットサン デラックスセダン

戦後初の乗用車であるダットサン・スタンダードセダン(DA型)のバトンを受け、1948年(昭和23年)3月に登場したデラックセダン(DB型)です。スタンダードセダン(DA型)は、シャシーやエンジンは戦前の設計を引き継ぎ、ボディのみ生産しやすいように直線基調のデザインに変更していました。このデラックスセダン(DB型)は、シャシーこそDA型からのキャリーオーバーですが、ボディをアメリカ的で斬新な流線型スタイルに一新しています。デビュー当初は、エンジンもDA型と同じ722ccでしたが、1950年(昭和25年)9月登場のDB-2型になると、シャシーを補強し、860cc・20馬力に排気量を拡大。さらに、…年代:1953

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オースチンA40 サマーセットサルーン

1952年(昭和27年)に日産自動車は、イギリス、オースチン社と技術提携を結びます。戦後はGHQにより乗用車生産が制限されていましたが、1949年(昭和24年)10月に乗用車生産が解禁され、国の日本の自動車産業をもり立てていこうという意図もありました。また、ダットサンは小型車であったため、ひとまわり大きい乗用車を生産する必要もありました。そして、1953年(昭和28年)4月からA40サマーセットサルーンのノックダウン生産を開始。オースチン社を提携相手に選んだ理由は、当時アメリカ市場で輸入車ナンバーワンだったからでした。4月4日に鶴見オースチン工場で1号車がオフライン、5月8日には都内で通産大…年代:1953

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プリンス セダン デラックス

日産自動車は1966年(昭和41年)にプリンス自動車工業と合併しますが、プリンス自動車工業の富士精密工業時代に発売されたのが、プリンスセダンデラックスです。1952年(昭和27年)3月に発表されました。明仁親王殿下の立太子礼にちなんで“プリンス”と命名され、その後“プリンス”は社名、ブランド名、そして自動車販売店(ディーラー)名として残っていきます。1954年(昭和29年)、東京日比谷で開かれた第1回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)で当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)の目にとまります。記念車はその皇太子殿下がご愛用されたとても貴重な車両です。最高出力は45馬力、最大トルクは10…年代:1954

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ダットサン セダン

ダットサンセダン(110型)は、日産自動車が戦後初めての新設計を行い、1955年(昭和30年)1月に発表した4人乗り乗用車です。搭載エンジンは、サイドバルブ式という動弁機構をもった、直列4気筒・860ccのD10型で最高出力は24馬力。これにフロアシフトタイプの4速トランスミッションを組み合わせ、最高速度は85km/hでした。ボディサイズは、全長3860×全幅1466×全高1540mmですが、車体幅は現在の軽自動車とほぼ同一値です。外装はすべてのボディパネルをプレス成形することで、これまでにないモダンなものとなり、同年11月に実施されたマイナーチェンジで型式を112型としたモデルでは、ハーモ…年代:1956

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スカイライン デラックス

日本のモータリゼーションの成長とともに歩み、後にモータースポーツの世界でも数々の栄光を勝ち取った、名車スカイラインの初代モデルは、100円硬貨が生まれた1957年(昭和32年)の4月に登場しました。このモデルは、プリンスセダンの後継車として開発され、いまでいうプレミアムカーのジャンルに属します。また、東京・日比谷の宝塚劇場で、これまでにない盛大な発表会を催して、お披露目されたことも大きな話題になりました。フロントグリルやボディサイドにメッキを多用するなどして、存在感の高いデザインとしたボディに搭載されるGA30型エンジンは、直列4気筒OHVの1484ccで最高出力は60馬力。最高速度は当時の…年代:1957

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ダットサン 富士号

好評を博したダットサン(110型系)の後継車として、1957年(昭和32年)11月に登場したダットサン(210型)は、日産初のOHVという動弁機構を採用した直列4気筒988cc、34馬力の新エンジンを搭載。海外への輸出も意識して、フロントウインドウにカーブしたガラスを採用して、外国の高速走行にも対応させるなどしていました。その性能を広くアピールするために、1958年(昭和33年)8月20日-9月7日に開催された、オーストラリア一周ラリー「モービルガス・トライアル」に、2台の210型が挑みました。日産自動車は、このラリーが国際競技への初挑戦でしたが、この富士号は、19日間/1万6000kmを…年代:1958

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ダットサン 桜号

1958年(昭和33年)に行われたオーストラリア一周ラリー。富士号とともに、出場したもう1台の210型がダットサン桜号です。こちらも国際ラリーに初挑戦ながらAクラス4位に入賞。富士号とともに、海外へダットサンの名を知らしめるきかっけをつくり、その躍進ぶりはアメリカへもとどろき、同年3月には210型の北米への輸出が開始されます。大型車が主流の国で小さなダットサンが大きな注目を集めると同時に、対米進出の基礎をつくりあげました。ちなみに、2台が出走した豪州ラリーは、広大なオーストラリア大陸を右まわりに一周するもので、設定されたコース長1万6000kmは、当時の世界最長でした。しかし、あまりにも過…年代:1958

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ダットサン1000デラックス

走る実験室といえるオーストラリア一周ラリーで、大活躍を果たしたダットサン(210型)はその経験を活かし、またアメリカ市場でのニーズにも応えるべく、カラーテレビが登場した1958年(昭和33年)の10月にマイナーチェンジを実施して211型へと進化を遂げました。外観上はフロントグリルのデザインやウィンカーランプの形状、サイドモールの延長、リヤウインドウの面積拡大などが210型との主な相違点になります。また、211型では「世界水準をゆく乗用車」と、当時のカタログにも記されているように、走行性能を大幅に向上させているのも特徴的で、カーブでの走行安定性をアップさせるフロントスタビライザーの採用や、ステ…年代:1959

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ダットサン1000デラックス

日産自動車の海外ラリー初優勝をもたらし、世界の日産へとはばたくきっかけをもたらしたダットサン1000(210型)。そのモデルに改良を加えられたのがダットサン1000の211型です。駆動系の強化やドアロックの改良なども施され、経済的で安定した走行性能をもつ、信頼性の高い乗用車として多くの方に愛され、開業医などが往診されるときのお伴として選ばれることでも評判になりました。また、このクルマは後に誕生するブルーバードの基礎となり、そのプラットフォーム(車体)を使用して、ダットサンS211型という日本初の本格的オープン型スポーツカー(現在のフェアレディZの実質的なルーツ)も生まれました。年代:1959

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オースチンA50 ケンブリッジサルーン

戦後、乗用車の生産が全面的に解除されたのは1949年(昭和24年)10月でした。時間的にはわずか4年の中断とはいえ、日本の自動車産業にとっては大きな痛手となりました。そこで、政府は将来を見据えて海外メーカーとの技術提携を結び、生産や設備に関する技術やノウハウを吸収することを奨励しました。日産自動車では1952年(昭和27年)に、当時アメリカの輸入車市場でナンバーワンであった、英国のオースチン社と提携しました。その内容は、年間2000台分のオースチン社の乗用車部品を輸入して、日産の工場で組み立てることから始まり、徐々にその部品を国産化するというものです。翌年から日産の鶴見工場(神奈川県)で、…年代:1959

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オースチンA50 ケンブリッジサルーン

英国のオースチン社との技術提携によって、日産自動車が生産したオースチンA50ケンブリッジサルーンです。当初は5人乗りのセダンでしたが、1957年(昭和32年)7月発売のモデルから定員が6名となり、1H型と呼ばれる直列4気筒1489cc、動弁機構をOHVとしたエンジンの最高出力は57馬力に向上しました。乗り心地や後方視界に関する改良も施されています。この6年あまりにおよぶ経験は、ダットサン(210型系)や、後に誕生する高級乗用車セドリックにも反映されることになりました。なお本車両は、高松宮様ご自身が実際に運転をされていたものです。年代:1959

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スカイウェイ

スカイラインは、高性能セダンとクーペ。というイメージがすっかり定着していますが、過去のモデルにおいては、ステーションワゴンやハッチバックといった、たくさんの荷物が積めるモデルも存在していました。1959年(昭和34年)に誕生したスカイウェイは、初代スカイラインの高級コマーシャルカー(商用車)としてラインアップされていたモデルです。直列4気筒1484cc・OHVを採用したGA4型エンジン(のちに60馬力から70馬力にアップ)、ダブルウィッシュボーン式のフロントサスペンションなど、基本的なメカニズムはセダンと同一ですが、荷物積載を考慮してリヤサスペンションは、半楕円のリーフスプリング式に変更され…年代:1960

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ブルーバード 1200デラックス

ラリーで鍛えられ、海外へも輸出されたダットサン(210型系)の後継車として、1959年(昭和34年)8月にダットサン310型が誕生しました。このクルマから初めておなじみの「ブルーバード」という愛称がつけられます。このモデルは、1960年製(昭和35年)のE1型1189ccエンジン(55馬力)を搭載。車体の横には、たくさんの文字が記されています。皇太子様と美智子様のご成婚を記念して1963年(昭和38年)に建設中だった、「こどもの国(神奈川県)」に全国の花を届けるという、朝日新聞社と46都道府県主催のイベントのため、親善大使「フラワーカー」として起用されたためです。当時は国道といえども未舗装…年代:1960

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ブルーバード 1200デラックス

メーテルリンクの童話「青い鳥」にちなんで名前をさずかった、初代ブルーバードは、マイカー時代に「幸せを運ぶ青い鳥」というキャッチコピーとともにデビュー。1959年(昭和34年)8月の誕生当初は4人乗りでしたが、その2か月後に後席の幅を拡大して、国産小型乗用車初の5人乗りセダンとなりました。エンジンは1000cc・38馬力と、1200cc・43馬力を搭載していましたが、翌年10月にマイナーチェンジ。型式名が311型となると同時に、それぞれ45馬力と55馬力にパワーアップしました。また、前身であるダットサン1000よりも、ひとまわり大きいボディサイズながら、全体で30kgもの軽量化実現。1961…年代:1961

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ブルーバード 1200デラックス

ダットサン310型は、は、1959年(昭和34年)8月に排気量を意味する1000・1200シリーズとして登場しました。当時としてはまだ珍しい独立懸架サスペンションをフロントサスペンションに採用することで、快適な乗り心地を実現。凝ったメカニズムとパワフルなエンジン、広い車内空間など、小型車のお手本的存在として注目を集めました。1960年(昭和34年)10月に登場したダットサン311型は、エンジンパワーがアップし、1000は、38馬力から45馬力に、1200は43馬力から55馬力に向上しています。1200の最高速度120km/hは、当時の国産小型車の中では最速を誇りました。発売後1か月で8000…年代:1961

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セドリック カスタム

日産自動車と英国オースチンとの技術提携は、1952年(昭和27年)にオースチンA40サマーセットサルーンのノックダウン生産から始まりました。その過程で習得した生産技術を活かして開発されたのが初代セドリック(30型)です。1960年(昭和35年)にオースチンとの技術提携が終了するのを受けて、期待の中型車として1960年(昭和35年)4月に1500ccがデビュー。エクステリアで目を惹くのは、縦型の4灯式を備えたフロントマスクで、重厚感も感じさせるモダンなフォルムが人気を集めました。搭載エンジンは、直列4気筒OHVの1883ccで、88馬力と日産自動車の新世代サルーンにふさわしい動力性能を備えて…年代:1961

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スカイライン スポーツ

1962年(昭和37年)4月に登場したスカイラインスポーツは、ひと目見て従来のセダンとは一線を画す流麗なフォルム、特徴的なフロントマスクを備えていました。デザインはイタリアの著名デザイナー、ジョバンニ・ミケロッティが手がけたもので、デザイン先進国のイタリアでは市販前にショーデビューを果たします。1960年のトリノ国際自動車ショーで話題になるなど、発売前から期待を集めて登場します。この流麗なボディは、イタリアから職人を招聘し、技術提携をしながら手作業でのボディ制作という凝ったものでした。エンジンとシャシーはグロリア用を流用。1862ccの直列4気筒は94馬力を発生。価格はクーペ185万円、…年代:1962

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ブルーバード 1200デラックス

1959年(昭和34年)の発表会で12万人もの人出を集めた初代ブルーバード(310型)は、翌年3月には累計2万台を出荷、対米輸出も始まりました。そして、翌1960年(昭和35年)10月にトランスミッションをフルシンクロに進化させた311型が登場。そして1961年9月にはテールランプを大型化した312型がデビューしました。このブルーバード1200デラックス(312型)は、初代ブルーバードですが、2度のマイナーチェンジを受け、フロントグリル、フロントライトの意匠を丸型に変更するなど、イメージを一新しています。インテリアではメーターパネルのデザインを変更、トランクの開閉がキー操作で可能になり、…年代:1962

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フェアレディ1500

1961年(昭和36年)秋に開催された東京モーターショーで、話題をさらったのが、SP310と呼ばれたフェアレディ1500です。ダットサン310型(初代ブルーバード)のシャシーとセドリックのエンジンをベースにしたものですが、スポーツカーらしいフォルムをまとっています。エンジンはもちろん1500cc(1488cc)で、最高出力は71馬力、最大トルクは11.5kg-mを誇りました。海外にも輸出されたフェアレディ1500は、ツインキャブレターを採用することで80馬力にまでパワーアップされていました。この記念車は、日本の近代モータースポーツの幕開けとなった「第1回日本GPレース」(1963年・鈴鹿)の…年代:1962

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グロリア スーパー6

1962年(昭和37年)にデビューした初代グロリア(BLSIP型)は、スカイラインとボディを共用していました。初代グロリアは早くも翌年9月にフルモデルチェンジを受け、2代目(S40型)に移行します。そして、翌1963年(昭和38年)には、国産初のOHCエンジンを搭載したスーパー6を追加。ネーミングどおり直列6気筒の「G7型」エンジンを搭載し、1988ccから100馬力オーバーとなる105馬力を発生。国産の量産車としては初となるSOHCを採用し、スポーティな走りが注目を浴びます。当然のごとく、モータースポーツでも活躍し、1964年(昭和39年)に行われた第2回日本GP(T-VIレース)で1位…年代:1964

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セドリック カスタム

1960年(昭和35年)デビューした初代セドリック(30型)は、日産自動車初となるモノコックボディを採用しました。エクステリアでは縦目4灯式ヘッドランプのデザインが特徴的でした。初代グロリアの登場と同じ1962年にマイナーチェンジを受けたこの31型は、H型・88馬力エンジンを搭載。中型車として必要十分なパワーを誇りました。外観で目を引くのは、30型よりも低く安定感のある横目4灯式ヘッドライトです。この横目4灯式は、後の高級車にも影響を与えた斬新なデザインで、話題を集めます。インテリアでは、ホイールベースが初代よりも60mm伸びて2690mmとなり、国産の中型車では最長クラスを誇り、高い評価を…年代:1964

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スカイライン 2000GT

1964年(昭和39年)に行われた、第2回日本グランプリに出場するために生まれたマシンです。レースでの勝利が販売につながると考えたプリンスは、スカイラインにグロリアに積まれていたG7型エンジンを搭載した2000GTを制作。レースでの活躍が拡販につながり、技術力の向上も果たすという考えは現在では珍しくありませんが、当時の日本では先進的な哲学といえます。1964年2月に市販され、日本GP出場のため、公認に必要な100台だけ生産されました。レース結果はポルシェ904の勝利でしたが、スカイライン2000GTは2~6位を独占。最高出力105馬力の1988cc、直列6気筒SOHCエンジンに、オーバードラ…年代:1964

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セドリック スペシャル

東京オリンピックを前後して、日本は高度経済成長を遂げます。まだ多くの人にとって自動車は憧れの対象でしたが、モータリゼーションが着実に高まりつつあったのが、1960年代です。そんな時期に登場したのがセドリックです。このスペシャルは、1962年(昭和37年)にリリースされた国産初の本格的な大型乗用車です。デビュー前の第9回全日本自動車ショーで話題を集めました。2825ccの直列6気筒OHVエンジン(K型)は115馬力で、大型乗用車にふさわしい動力性能を誇りました。ボディも堂々たるサイズで、とくにホイールベースの2835mmは、メルセデス・ベンツ220Sと同クラスで広々した車内空間を確保。本車両…年代:1964

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ダットサン トラック1200デラックス

ダットサントラックは、ブルーバードのモデルチェンジのタイミングに合わせて新しくなってきました。戦後の日本経済を陰で支えた立役者であるだけでなく、アメリカにも輸出され人気を博します。1961年(昭和36年)8月にリリースされたダットサントラック1200(320型)は、ブルーバード風のフロントマスクと広い室内が特徴です。その名のとおり、1200ccエンジンを搭載し、トラックでありながら、トーションバー式の独立懸架サスペンションを採用。走行性能、とくに乗り心地が向上しました。居住性、積載性に優れるロングボディも登場しました。1963年(昭和38年)に410型に、1965年(昭和40年)5月のフルモ…年代:1964

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キャブライト 1150

1964年(昭和39年)3月に3代目にフルモデルチェンジしたキャブライトは、1064ccから1136ccに排気量をアップするなどして商品力を向上させていました。この記念車は、1966年にマイナーチェンジを受けた同じ3代目のA221型です。キャブライトは1958年(昭和33年)の初代登場以来、車名どおりの小型商用車としてダットサントラックとともに親しまれました。1961年(昭和36年)には2代目のA120型になり、3代目まで続きました。なお、1968年(昭和43年)に、キャブスターという車名に変更されることになります。年代:1966

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ブルーバード 1300SS

1963年(昭和38年)9月に登場した2代目ブルーバード(410型)に、翌年3月スポーツモデルの1200SS(スポーツ・セダン)が追加されます。ブルーバードといえば、SSやSSSというスポーツセダンを思い浮かべる方も多いと思いますが、1200SSがブルーバード最初のスポーツモデルです。1200ccにツインキャブレターを搭載したE型エンジンは65馬力と必要十分なパワーでしたが、1964年(昭和39年)には2ドアを追加、翌年5月に411型に移行。そして、J型エンジン搭載の1300SSに変わります。最高速は1200SSの120km/hから140km/hにアップするなど、動力性能を向上させています。…年代:1966

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シルビア

1964年(昭和39年)の東京モーターショーでデビューし、翌年3月にリリースされたのが、初代シルビア(CSP311型)です。車名はギリシャ神話の美しい女神である、シルビアから由来します。その名にふさわしい流麗なエクステリアが特徴です。フェアレディ1600(SP311型)のエンジンとシャシーをベースに、豪華な革内装のインテリアなど、セミカスタムメイドで仕上げられました。そのため、生産期間は1965年(昭和40年)3月から1968年(昭和43)6月までの約3年間と短く、生産台数は554台とあまり多くはありません。価格は120万円ですから、若者が憧れる高嶺のスポーティモデルでした。元祖2ドアクー…年代:1966

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ブルーバード 1300SS

アフリカ・サファリラリー挑戦4年目になる1966年(昭和41年)の第14回大会で、日本初のサファリラリークラス優勝を果たしたマシンです。この年はひどいウエットコンディションで、完走したのはわずか9台でしたが、ブルーバード(411型)が2台完走、クラス優勝した6号車は急きょ空輸で日本に運ばれ銀座に展示されました。この時の日産チームの活躍を『栄光への5000キロ』という本にまとめたのが、当時の実験部長の笠原剛三でした。後に石原裕次郎主演で映画化されています。2代目になるブルーバード(ダットサン410型)は、1963年(昭和38年)9月に発売されました。翌年3月にはSUキャブ・62馬力・デュアル…年代:1966

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サニー1000 デラックス

1966年(昭和41年)4月に登場した初代サニー(B10型)により、ついに本格的なマイカー時代が到来します。988ccエンジンは最高出力56馬力で、軽快な走りが人気を集めました。車両サイズは全長3770mm、全幅1445mmと全長は現在のコンパクトカー並で、全幅は一回り小さいくらいですが、大人4人もしくは、大人2人と子ども2人という組み合わせにはジャストサイズでした。発売前の車名公募やティーザーキャンペーンも話題を集め、車名は850万通の中から選ばれています。デラックス46万円、スタンダード41万円という庶民にも手が届く価格も好評で、発売後5か月で販売累計3万台を突破するベストセラーに躍進。…年代:1966

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サニー 1000 スポーツデラックス

1966年(昭和41年)4月に誕生した初代サニー。当初はダットサン・ブランドとしてリリースされました。開発主査を務めた園田善三をはじめ、若手が開発の中心を担いました。搭載されたOHVのA型エンジンは988ccから56馬力を到達し、直線基調のスポーティなスタイル、SS1/4マイル20.6秒、最高速度135km/hの高性能が幅広いユーザーを獲得します。翌1967年4月には、4ドアセダン発売し、4速マニュアル・フロアシフトのスポーツ・シリーズとクラス初の3速オートマチック車が追加されました。エクステリアでは、グリルデザインの意匠変更が特徴です。また、クーペやセダンのほかにライトバンやトラックなど…年代:1967

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プリンスR380-I

スカイラインGTを擁し、1964年(昭和39年)の第2回日本グランプリに出場したプリンス自動車工業。ポルシェを1周パスするも、レースでは惜敗した悔しさをはらすため、プリンスが総力を挙げて開発した日本初の本格的レーシングカー。開発を指揮したのは、スカイラインの生みの親である桜井真一郎。ブラバム社のシャーシーにアルミ製ボディを載せ、プリンス・グロリア用のG7型直列6気筒をベースとしながらも、専用設計といえるGR8型2000ccエンジンを搭載しました。1965年(昭和40年)の日本GPが中止になったため、レースデビューは1966年(昭和41年)の第3回日本GP(富士スピードウェイ)。この記念車は、…年代:1966

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ニッサンR380-II

プロトタイプのレーシングカーとして誕生したR380は、レースでの華々しい活躍だけでなく、当時の最高速記録にもチャレンジしています。最初の挑戦は、日本グランプリが中止になった1965年(昭和40年)10月。ドライバーの横山達により、R380-IIは5つの世界記録を樹立します。R380-IIでチャレンジした2回目は、日本グランプリで勝利を上げた翌年の1967年(昭和42)年10月8日。記念車はそのR380-IIで、茨城県谷田部のコースで国際記録を達成しました。50km/50マイル/100km/100マイル/200km、200マイル/1時間という距離と時間別に7つの記録が打ち立てられました。年代:1967

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ニッサンR381

1968年(昭和43年)の日本グランプリで優勝したニッサンR381は、ユニークなエアロスタビライザーというウイングを装着しています。これは、コーナリング中にイン側のグリップを強化するため、走行中にブレーキ、リヤサスペンションと連動し、左右が独立して角度変化すると従来にも先にもない発想によって作られました。エアロスタビライザーと命名されたこの特徴的なウイングを持つR381は、「怪鳥」という異名を取りました。エンジンは、日本GPに合わせて日産が大幅に手を入れたシボレー製5.5LV8エンジンを搭載。レースには3台が投入され、R381がレースを終止リードします。記念車は、北野元選手がドライブした…年代:1968

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ブルーバード1300

1963年(昭和38年)9月に発売されたブルーバード410型の最終モデルです。メキシコオリンピックで公式車として日本選手団に提供されたため、選手のサインが残されています。メキシコ日産のクエルナバカ工場で生産されたため、左ハンドルになります。この410型は、1966年(昭和41年)4月マイナーチェンジで、リヤエンドなどのスタイルを変更しています。スポーティな「1300SS」と「1600SSS」は、専用フロントグリルに前輪ディスクブレーキを装備していました。なお、メキシコ五輪では男子体操、レスリング、重量挙げなどで大健闘を見せ、金11、銀7、銅7のメダルを獲得。中でも男子サッカーの銅メダルは、…年代:1968

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ローレル 1800デラックスB

初代ローレル(C30型)は、1968年(昭和43)4月にデビュー。「ハイオーナーカー」の先駆けとして、ブルーバードとセドリックの間を埋める車種として開発されました。セダンが単に排気量やボディサイズだけで分類される時代から、ライフスタイルやボディスタイル、コンセプトなどで差別化する時代の扉を開いたモデルです。直列4気筒SOHCの1815ccエンジンは、グロリアやスカイラインなどでも積まれたプリンス系のG18型です。サスペンションはブルーバードと同様で、前がストラット、後がセミトレーリングアームを搭載。2年後の1970年(昭和45)6月には、日産初のピラーレスハードトップである2ドアハードトップ…年代:1968

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ブルーバード 1600SSS

初代(310型系)、2代目(410型系)に続き、1967年(昭和42年)8月、ブルーバードは3代目となる510型にフルモデルチェンジを果たしました。このモデルも先代たちと同様に、国際ラリーでそのポテンシャルの高さを実証し、過酷な走行シーンの連続の中で鍛えていく道を選びました。そして、1970年(昭和45年)の第18回東アフリカサファリラリーにおいて、1600SSSをベースにしたラリーマシン(直列4気筒1595cc・130馬力)が、総合/クラス/チームの各部門を征し、国産車として初の3冠完全制覇を達成。日産自動車が同ラリーに初挑戦してから、8年目にしての快挙となりました。ブルーバード(510型…年代:1970

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スカイライン 2000GT-R

高性能なクルマであり続けるために、スカイラインはサーキットを周回するレースで、常に勝つことを鍛錬の場に選びました。その情熱を具体的な形としたのが、3代目スカイライン(C10型系)に設定されたスカイラインGT-Rという特別なモデルです。その初代は、4ドアセダンのボディにレース専用マシン・R380の心臓であるGR8型と基本設計を同じとする、直列6気筒DOHC・2000ccのS20型(160馬力)を搭載。これに5速マニュアルトランスミッションを組み合わせ、レース仕様に改変しない状態でありながら、停止状態から400mの距離を全力疾走する加速タイムは16.1秒。最高速度は200km/hをマークする、当…年代:1969

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ニッサンR382

1969年(昭和44年)に開催された、日本グランプリに勝つために開発されたプロトタイプのレーシングカーです。その実戦で見事に優勝を果たしました。エンジンは新たに開発されたV型12気筒DOHCで、5054ccという大排気量をもち、600馬力以上を発揮するGRX-3型を搭載。日本グランプリは、この年で最後の開催となりましたが、ライバルたちを退けて、トップでチェッカーフラッグを受けました。そして、もう1台のR382が2位に入り、1-2フィニッシュを飾り、その強さを多くの観衆の目に焼き付けました。この日本グランプリ優勝車は、歴史上貴重なモータースポーツ資産を後世に伝える目的で、他のR380シリーズと…年代:1969

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ブルーバード1600デラックス

リカちゃん人形が発売された1967年(昭和42年)の8月に、3代目ブルーバード(510型系)が誕生しました。このクルマはいまもなお、多くのファンの方々から「ゴーイチマル」という型式名で親しまれ、名車と賞賛されています。直線を基調としたスタイルが特徴的で、運転席と助手席のガラス部分に三角窓がない伸びやかなデザインは、超音速機とハイスピード時代の到来をイメージして、「スーパーソニックライン」と名付けました。このモデルは、直列4気筒・1595ccのL16型エンジン(92馬力)を搭載した1969年(44年)式の4ドアセダン・1600デラックスという仕様です。ファミリーカーでありながら当時としては贅沢…年代:1969

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サニー 1200 2ドアGL

マイカーブームの幕を開け、大衆車というジャンルを確立した初代モデルの好評を受け、2代目サニー(B110型系)は1970年(昭和45年)にデビューします。従来のスピード感あふれるファミリーカーのイメージを引き継ぎながら、時代を象徴する「豊かさ」を盛り込みました。ボディサイズを拡大して、ダイナミックでスピード感のあるスタイリングを実現しました。また、CMではライバル車よりも豊かなクルマであることをアピールする、「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチフレーズを採用して注目を集めます。その室内空間は、当時の大衆車クラス最大の広さを誇り、メーターやスイッチ類、シートなどの細部にも、豊かさやおおら…年代:1971

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ニッサンR383

1968年(昭和43年)にR381、その翌年にR382で日本グランプリを制覇した日産自動車は、1970年(昭和45年)の同レース3連覇を目指し、新たなレーシングカーの開発を進めていました。それがニッサンR383です。エンジンはR382と同型式のV型12気筒DOHC・5954cc、GRX-3型ですが、100馬力アップして最高出力は700馬力以上という破格のスペックになるよう計画していました(アメリカのレースに出場することを想定した、ターボチャージャー付き仕様は900馬力)。しかし、1970年の日本グランプリは、社会情勢の変化などの理由で中止。以後打ち切りとなり、R383はその実力をサーキットで…年代:1970

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サニー 1200 4ドアデラックス スポーツ

「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチフレーズとともに、豊かなファミリーカーとして、1970年(昭和45年)1月にデビューした2代目サニー(B110型系)。当初から、2ドア/4ドアセダン・14機種、2ドアクーペ・4機種、コマーシャルカー(商用車)のバン・4機種というワイドバリーエションを誇っていました。その中でも4ドアセダンは、当時のクラス最大の室内空間を誇り、サニーを代表するモデルとして、多くの方々から愛されました。搭載エンジンのA12型は、直列4気筒OHV・1171ccで最高出力68馬力を発揮。前輪にストラット式、後輪に二重防振機構付きのサスペンションを採用して、上級車に匹敵する操…年代:1970

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フェアレディ240Z

アポロ11号が月へ着陸した1969年(昭和44年)の11月、オープンスポーツカーであるフェアレディの後継車として、フェアレディZがデビューを果たしました。そのスタイルや高性能な走りは日米を中心に、世界中の多くの方々の支持を集めました。日本国内仕様は当初、直列6気筒・2000ccエンジン車のみの発売でしたが、1971年(昭和46年)11月に北米仕様に設定されていた、直列6気筒・2497ccエンジンを搭載した240Zシリーズを追加しました。この記念車は、これをベースにしたレーシング仕様のテストカーですが、独特の長いボンネットの下に、排気量2870cc、ソレックスというキャブレターやクロスフローと…年代:1973

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フェアレディ240Z

スポーツカーであるフェアレディZは、その性能の高さを実証する意味も込めて、過酷なモータースポーツとして知られるラリーの世界へも挑戦しました。このマシンは、1970年(昭和45年)の第18回サファリラリーで総合優勝を果たし、「ラリーの日産」を強く印象付けたブルーバード(510型系)の後を引き継いだモデルです。翌年の第19回同ラリーに初出場ながら、見事に総合優勝を獲得しました。また、2位にもフェアレディ240Zが入り、日産のサファリラリー2年連続制覇を1-2フィニッシュで飾りました。エンジンは、直列6気筒OHC・2497ccのL24型を215馬力にチューンナップしたものを搭載していました。年代:1971

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フェアレディ240Z

フェアレディ240Zは、アフリカの大地を疾走するサファリのほかに、雪と氷の上を舞台にした1972年(昭和47年)の第41回モンテカルロラリーにも参戦しました。総合3位を獲得して、世界中のラリー関係者を驚かせました。それは、フェアレディZが車両前部にエンジンを搭載して、その力を後輪に伝えるFR(フロントエンジン・リヤドライブ)駆動方式を採用していたからです。このFR方式は氷雪路では不利である、と出場前からもっぱらささやかれていましたが、これを見事にはねのける結果をもぎ取ったからなのです。そして、このモンテカルロラリーやサファリラリーでの活躍により、当時国内で行われていたラリーに、フェアレディZ…年代:1971

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サニー エクセレントクーペ

1971年(昭和46年)4月、2代目サニー(B110型系)にエクセレントシリーズという1400ccのOHCエンジンを搭載した上級モデルが2ドアクーペと4ドアセダンに設定されました。そのレース仕様は、排気量を1598ccに拡大し、4バルブDOHC化とEGI(電子制御燃料噴射装置)などで200馬力にチューンナップ。型式名をLZ14型とした、レース専用のエンジンが与えられました。このマシン(記念車)は、デビューレースとなった同年の日本グランプリ(TSクラス)で優勝を果たしました。2位と3位にも同型のマシンが入賞し、表彰台を独占。圧倒的な勝利を飾りました年代:1973

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サニー1200クーペGX-5

2代目サニー(B110型系)では、1200ccシリーズもモータースポーツで活躍しました。このマシンは、山陽新幹線が新大阪-岡山間に開業した1972年(昭和47年)の8月に追加設定された2ドアクーペ1200GX-5(ファイブ)です。グレード名の最後にある「5」とは、このクルマが5速フロアシフトのマニュアルトランスミッションを搭載したスポーティモデルであることを意味しています。実戦では、145馬力にチューンナップしたA12型エンジンを搭載。オーバーフェンダー内にワイドタイヤを装着して、富士スピードウェイを舞台とした「TSレース」カテゴリーに参戦。1971-74年、77年、79年-80年、82年…年代:1972

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チェリー 2ドアデラックス

チェリーは1970年(昭和45年)10月に、「超えてるクルマ」というキャッチフレーズとともにデビューしました。日産自動車初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)という駆動方式を採用しているのが特徴です。車体前部にエンジンがあり、前輪に進む力を与えるFFは、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)方式に比べて部品点数が少なく、室内を広くしやすいという長所があります。チェリーの場合は、当時のスカイライン1500(S50型系)と同等の車内空間を誇りました。このFF方式は今日、軽自動車からミニバン、セダンをはじめ多くのクルマに用いられています。発売当初は、この2ドアセダンのほかに4ドアセダンを設…年代:1972

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