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東京瓦斯燈市街埋簡図絵

横浜、東京のガス事業を立ち上げた、フランス人技術者であるアンリ・プレグラン直筆の図面。1874年(明治7)3月の日付とプレグラン直筆サインの入る、芝金杉橋から京橋、日本橋を経由し、浅草橋、万代橋までのガス街路燈とガス管の敷設図で、東京でのガス事業創業時に作成された図面。年代:1874年

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東京瓦斯二十五周年写真帳

東京ガス株式会社創業25周年を記念して、1910年(明治43)に会社設備、作業風景の他、当時のガス利用先の様子を記録した写真帳。当時の社内外の活動記録がまとめられている。年代:1910年

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横浜瓦斯史沿革編

日本のガス事業発祥の地にある、横浜市瓦斯局が創業時から明治30年までの資料を「沿革編」としてまとめたものである。ガス事業創業時のことを知る上での基準となる資料である。年代:1943年

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舎密開宗

幕末の蘭学者宇田川榕菴により翻訳された、全21巻からなる日本初の化学書で、二巻第二十八章で石炭からガスを採取する方法を紹介している。年代:1837年

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百工製作新書

宮崎柳条著全三巻からなり、中巻では石炭を乾留してガスを造ることを紹介している。年代:1877年

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横浜名勝競伊勢山下瓦斯本局雪中の一覧

歌川国松作1872年(明治5)に建設された日本初のガス会社を描いた錦絵。手前の川に架かる橋は「瓦斯橋」と呼ばれ、1874年(明治7)に架橋された。年代:1880年

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東京名勝図会金杉橋より芝浦の鉄道

歌川広重(三代)作古川に架かる金杉橋より下流を望み、蒸気機関車の走る姿と合わせ、1874年(明治7)創業の東京のガス会社描いている。現在では蒸気機関車の走る辺りは新幹線が走り、ガス会社の描かれている場所には、東京ガス(株)の本社がある。年代:明治10年代

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東京名所図会銀座通り煉瓦造

歌川広重(三代)作京橋近くの銀座煉瓦街前に立つガス燈へ、点火夫が点灯する様子を描いている。当時のガス燈点火の様子を見てとれる作品である。年代:1879年

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東京府瓦斯局写真

1878年(明治11)に撮影された東京府瓦斯局の全景写真。写真右下余白に、横浜東京のガス事業を立ち上げた技術者である、アンリ・プレグランのサインあり。年代:1878年

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計量器室社章

1912年(明治45)建設の、東京ガス千住工場計量器室の正面入口上に掲げられていた社章。建物は当館に移設復元される1973年(昭和48)まで、工場社屋として使用されていた。年代:1912年

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計量器室正面図面

1912年(明治45)建設の、東京ガス千住工場計量器室の設計図。年代:1912年

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英国ブラドック社製A型ガスメーター

明治時代のイギリスから輸入されたガスメーター。ガス事業が始まった当初より、1904年(明治37)に国産品が登場するまで、すべて海外から輸入していた。年代:1911年

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5灯BY型ガスメーター

B型メーターは1922年(大正11)に登場し、それまで使われていたA型メーターに較べ、耐久性と能力を改良した製品であった。しかし形状はA型メーターと大きくは変わりなく、錫メッキ板を四角く組立、半田付けし、本体上部にガス量をカウントする表示板がついていた。明治以来ガスメーターの形状、構造には大きく変化はなかったが、1961年(昭和36)にH型メーターが、1963年(昭和38)にT型メーターが登場すると、取って代わられた。年代:1959年

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C型3灯ガスメーター

アパートや下宿先などの少人数宅に設置するために、より小型のガスメーターとしてC型メーターが1932年(昭和7)に開発された。製造:品川製作所年代:1934年

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BAMAG型湿式基メートル

東京ガス芝工場にて1945年(昭和20)まで使用していた基メーター(2700立方m/h)。製造:金門商会年代:1937年

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ガス燈用ガス栓

天井に設置したガス栓とガス燈をゴム管で接続し、左右の鎖を上下することでガスの開閉を行い、ガス燈点灯を行った。年代:明治時代

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ガス栓

壁に設置したガス栓と床下を配管したガス管を結び、ストーブなどのガス器具とをゴム管で接続し、コックを開閉して使用した。同潤会代官山アパートに設置されていたもの。年代:昭和初期

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ストッパー付ガス栓

1933年(昭和8)に実用新案を得た、コックに付いたストッパーを解除することで操作する、誤作動防止機能の付いたガス栓。川上製作所製のガス栓で、1934年(昭和9)から昭和30年代にかけて全国のガス会社で採用され、ガス漏洩防止安全対策が最初に採用された製品。年代:1934年

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フレッチャラッセル裸火ガスストーブ

魚火型の裸火による、大変古い形をしたイギリス製ガスストーブ。暖をとるとともに、ガラス越しに炎の様子を視覚的に楽しむことも出来た。1902年(明治35)頃海外留学先より帰国の際携えていたもの。年代:1900年頃

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籐製ガス火鉢

1914年(大正3)にガス会社より独立した元社員が、開発、デザインした製品。国産オリジナルデザインのガス暖房器具で、年代制作者などが分かる初期の資料である。年代:1914年

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45号A薪型ストーブ

薪の形状をしたスケルトン(耐火粘土)を、四角い柵をかたどったストーブの中心に配置して、内部より赤熱させて使用するストーブ。改造して囲炉裏に仕込んで使用する活用例もあった。製造:太陽社価格:37円80銭年代:1935年

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英国製OJストーブ

イギリス製の鋳鉄製ホーロー引きのストーブ。上部のカバーを取り外すことで、配置してあるコンロを使用することが出来る。価格:24円年代:1912年

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英国製サロンストーブ

薪を使用した暖炉を、ガスストーブへ改造するときなどに設置された。暖炉の中に設置してもデザイン的に釣り合うよう、大きく重厚な形をしたイギリス製のストーブ。価格:70円年代:1912年

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米国製ハンフレー65号ストーブ

棒状のスケルトン(耐火粘土)を並べ、おのおの下部よりバーナーで赤熱させて室内を暖めるストーブ。キューブ状のスケルトンを使用したストーブより、効率よくガスを燃焼させることが出来、上部にはヤカンをのせる置き台が備わっていた。後に全く同じデザインの模倣品が国内で製造販売された。価格:130円年代:1925年

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英国製マーシャル2号ストーブ

キューブ状のスケルトン(耐火粘土)をカゴのなかに積み上げ、下部よりガスの炎で赤熱させて使用するイギリス製のストーブ。価格:85円年代:1920年

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米国製ハンフレー湯沸器

鋳物製の重厚なつくりの大型湯沸器。下の扉の中にあるバーナーで、上の扉内にある、銅製のらせん管内を通る水を加熱してお湯を沸かしている。ホテルやビルディングなどの人が多く集まる場所で使用されていた。年代:昭和初期

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はやわき釜

1931年(昭和6)に開発された風呂釜で、木桶の風呂桶に組み込んで使用した。それまでの風呂釜に比べ、効率よくガスの燃焼熱で風呂のお湯を沸かし、以後、バランス釜が登場するまで主力製品となった。この資料は同潤会江戸川アパートに1934年(昭和9)建築当初に設置された年代が特定できる最古の風呂内釜。製造:日本瓦斯風呂商會年代:1934年

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富士1号ガス湯沸器

銅製の円筒型の形状をした湯沸器で、内部は二重円筒の隙間に下部より水が入り、上部の熱交換器部で下部に設置したガスバーナーの燃焼熱で水が暖められ、溝を伝って上部から蛇口へお湯を導く構造になっている。本体は銅板を半田付けして作る手作り製品であった。製造:磯村合名会社価格:18円年代:1934年

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エンゼル3号ガス湯沸器

現在の四角い形をした小型湯沸器と形状が異なる、円筒型の形をした湯沸器。水を加熱する機構はそれまでの製品と変わらないが、空だきを防止するため、ガスと水のコックが連動する、関連コックという機構を備えていた。昭和30年代まで全国各地で使われていた。製造:北辰瓦斯器具(株)価格:12,600円年代:1955年

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ガスターバランス型風呂釜S

1965年(昭和40)に開発された風呂釜で、密閉された製品内に水を引きこみ、吸気と排気を外気で行い、浴室内の空気を利用することなくガスの炎でお湯を沸かした。不完全燃焼が起きず安全な風呂釜として全国の公団住宅で採用された。内風呂の普及と、この製品から採用されたシャワー機能は、生活に大きな変化をもたらした。製造:関東ガス器具(株)価格:49,800円年代:1967年

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コロンビア二口七輪

イギリスからの輸入品で、1904年(明治37)発行のカタログに掲載されている。当時国内で実際に使用された初期の調理器具で、現在のガステーブルコンロの原型。価格:40円年代:1904年

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英国フレチャラッセル社製ガスレンジ

1902年(明治35)にガスを使用する台所を備えた、大隈重信邸のガスレンジと同型といわれている。大隈邸の台所の評判に併せ、当時国内に輸入されて使用されていたイギリス製の製品である。年代:明治30年代

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4升ガスかまど

ガスかまどは1902年(明治35)に、ガス会社により開発された日本における最初のガス器具特許品で、この製品はその改良品のガスかまど。1908年(明治41)のカタログに登場し、昭和40年代までガス会社によって販売されていた。現在でも料亭などで使用しているところがあり、新品を購入することも出来る。年代:大正時代

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食パン焼き器(四面式)

ガス七輪の上に乗せ、パンを四面に立て掛けて焼くトースター。七輪のガスの炎は円形のため、内側より均等にあたり、同時に4枚焼くことができる。但し、片面が焼き上がると、手で裏返さなければならず、四つ切りパンが焼き上がる時間には5分ほどかかった。価格:87銭年代:1929年

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タカラ陶製七輪

第二次大戦中に、鋳物製ガス七輪の代用品として製造された製品。鋳物製の製品と遜色なく使用できたが、陶製のために破損しやすかった。年代:1939~1945

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英国ホンスビー社製3馬力ガスエンジン

イギリスのホンスビー社製3馬力ガスエンジン。本体に付属している銘板より、1911年(明治44)6月に横浜の貿易商社であるヒーリング社に販売された記録が確認できる製品である。本体並びに付属品の両方に、ヒーリング社の銘板も残っている。年代:1911年

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和製ガスアイロン

国産初期のガスアイロンで、取っ手が熱くならないようアイロン本体とのあいだに遮熱板が取り付けられている。東京ガスが考案したもので、太陽社などのガス器具製造会社が製造し、納入された後、ガス会社で販売した。価格:3円50銭年代:1913年

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東神アイロン

昭和初期の不況期に、電気アイロンの運用コスト高を解消するため、新型のアイロン開発に乗り出した複数の会社があり、東神アイロン製作所はそのうちの一つであった。1931年(昭和6)に各社が開発したガスアイロンの販売に合わせ、ガス会社では各社と協力して大宣伝販売を打ち出し、業務用、家庭用向けにガスアイロンが広く普及するきっかけになった。製造:東神アイロン製作所年代:昭和初期

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石炭塊

北海道夕張産の石炭の塊で、大きさが1立方メートル、重量1.3トンある。この石炭を乾留すると、270立方メートル(5,500Kcal/立方メートル)のガスが発生し、現在の一般家庭1軒で使用する、約3ヶ月のガスを得ることができる。年代:1950年代

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コークスガイド車

1930年(昭和5)の東京ガス鶴見工場建設時に設置された、コッパース炉で使用していた。コークスガイド車は、炉から赤化したコークスを炉下の貨車に導くために使用した。1971年(昭和46)まで使用されていた。年代:1930年

情報所有館 : GAS MUSEUMがす資料館 


コッパース炉模型

東京ガス末広工場に、1936年(昭和11)に建設されたコッパース式複式コークス炉をモデルに製作された、1/30の大きさの模型。その後製作された東京ガスのコークス炉は、この炉をモデルに改良を加え、独自に設計して建設された。

情報所有館 : GAS MUSEUMがす資料館 


ダットサン12型フェートン

ダットサンとは、1914年(大正3年)に快進社が「ダット1号車」を製造したことから由来します。DAT(ダット)は快進社の出資者3人のイニシャルから取られ、その後、DATの「息子」を意味する「DATSON」になります。しかし、「SON」は「損」を連想させるため、発音が同じで太陽を意味する「DATSUN(ダットサン)」になりました。ダットサンは日産自動車の主に小型車に使われ、日本のみならず、海外でも親しまれるブランド名になりました。ダットサン12型フェートンは、記念車庫の中でももっとも古いモデルです。フェートンとは、折りたたみ式の幌を持つ4人乗りのオープンカーで、サイドウインドウを持たないクルマ…年代:1933

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 


ダットサン14型ロードスター

現在の日産自動車は、1933年(昭和8年)12月に設立された「自動車製造株式会社」などを経て、翌1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社と改称した時点でスタートします。いよいよ本格的なベルトコンベアによる自動車の生産に取り組みます。横浜市に設立された新工場において、1935年(昭和10年)に最初に生産されたのがこのダットサン14型ロードスターです。日産自動車による大量生産のスタートという画期的なモデルである14型には、722cc・15馬力の新エンジンが搭載されています。2人乗りのロードスターボディのデザインを手がけたのは、自動車の名エンジニアとして名を馳せた富谷龍一氏です。グリルの上に置か…年代:1935

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 


ダットサン15型フェートン

1936年(昭和11年)5月に登場したダットサン15型フェートンです。フェートンとは、4人乗りセダンを幌付きにした4人乗り仕様です。搭載エンジンは1935年に登場した14型と同じ722cc(7型)で、排気量こそ同じですが、圧縮比を5.2から5.4に上げることで、16馬力と1馬力向上させています。現在でこそクルマにとって1馬力は大きなパワーアップには感じられないかもしれませんが、当時では着実な進化といえるものです。エクステリアでは、ラジエーターグリルの左上に四角いバッヂが付いたのが15型の特徴です。さらに、ボンネット真横にあるルーバーのデザインも14型のシンプルな縦縞のものから、5つ連なるよう…年代:1936

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ダットサン15型ロードスター

1936年(昭和11年)にデビューした15型ロードスターは、後席のない2人の乗りのロードスターであるため、リヤエンドが丸く落ち込んだフォルムが特徴です。搭載するエンジンの排気量は、14型と同じ722ccで、15型フェートンと同様に圧縮比が5.2から5.4に引き上げられ、最高出力が14型の15馬力から16馬力に1馬力向上しています。15型フェートンと同様に、ラジエーターグリルの四角いバッヂとボンネットの開閉式のように見える真横のルーバーが特徴的です。また、法律が改正されたことにより、この15型からスペアタイヤがトランクの外に固定できるようになり、積載量の向上が図られました。年代:1936

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ダットサン16型セダン

1937年(昭和12年)4月に登場した16型セダンです。後席を備えるため、2人乗りロードスターよりもボクシーなフォルムなのが特徴です。そのため、全長もロードスターよりも長く、居住性の高さが外観からもうかがえます。ラジエーターグリルがより繊細なデザインになり、サイドルーバーのメッキモールの付く位置が、中心付近から上下の縁に囲まれたものに変わっています。また、フード先端のマスコットとダットサンのエンブレムもデザインが変更されました。搭載するエンジンは、15型フェートンやロードスターなどと同じ722ccの7型で、最高出力も同値の16馬力です。1937年は日中事変を受けて、軍需からトラックの増産が増…年代:1937

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ダットサン17型セダン

日中戦争下の1938年(昭和13年)にデビューを果たしたダットサン17型セダンは、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。純綿や純毛が不足していた時代背景もあり、インテリアはシンプルに仕上げられています。搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつ…年代:1938

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ニッサン乗用車

1937年(昭和12年)3月に、「ニッサン」ブランドの生産が始まりました。ニッサン70型乗用車は、その記念すべき最初のモデルです。このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。自動車先進国のアメリカの技術を吸収し、日本の自動車産業を自立させようという意図も込められています。このセダンは5人乗りと7人乗りがあり、さらに、幌屋根のフェートンもバリエーション展開されていました。ニッサン70型乗用車の登場により、小型車は「ダットサン」、大型車は「ニッサン」と、2つブランド名が使い分けられることになります。年代:1938

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ニッサン バン

1937年(昭和12年)3月に、70型から「ニッサン」ブランドの生産が始まりました。当時、自動車先進国であったアメリカのグラハム・ページ社から設備などの譲渡を受けてスタート。ニッサンバンも、「ニッサン」ブランドの最初の1台に入ります。この車両は「三越」の文字からも分かるように、商品搬送用として三越が使用していました。驚くことに、1939年(昭和14年)から、1965年(昭和40年)頃まで現役で活躍していました。タフな作りと実用性の高さを証明しています。搭載されていたエンジンは、3670cc・85馬力の直列6気筒で、必要十分なパワーを誇りました。また、日本初のセミキャブオーバースタイルも好評…年代:1939

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たま 電気自動車

「たま」の名は、戦前の立川飛行機が開発した電気自動車にまでさかのぼります。地名から採用された車名(ブランド名)は、たま電気自動車、たま自動車、そしてプリンス自動車工業へいう変遷を経て、日産自動車に移ります。たま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)は、戦後直後だけに物資や食料だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていました。しかし、電力供給過剰ぎみといえるほど余裕があるため、政府は電気自動車の生産を奨励します。こうした時代に誕生したたま電気自動車は、第1回電気自動車性能試験でカタログ性能を上回る航続距離96.3km、最高速度35.2km/hを記録し、高く評価されました。1950年(昭和2…年代:1947

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