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シルビア

1964年(昭和39年)の東京モーターショーでデビューし、翌年3月にリリースされたのが、初代シルビア(CSP311型)です。車名はギリシャ神話の美しい女神である、シルビアから由来します。その名にふさわしい流麗なエクステリアが特徴です。フェアレディ1600(SP311型)のエンジンとシャシーをベースに、豪華な革内装のインテリアなど、セミカスタムメイドで仕上げられました。そのため、生産期間は1965年(昭和40年)3月から1968年(昭和43)6月までの約3年間と短く、生産台数は554台とあまり多くはありません。価格は120万円ですから、若者が憧れる高嶺のスポーティモデルでした。元祖2ドアクー…年代:1966

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ブルーバード 1300SS

アフリカ・サファリラリー挑戦4年目になる1966年(昭和41年)の第14回大会で、日本初のサファリラリークラス優勝を果たしたマシンです。この年はひどいウエットコンディションで、完走したのはわずか9台でしたが、ブルーバード(411型)が2台完走、クラス優勝した6号車は急きょ空輸で日本に運ばれ銀座に展示されました。この時の日産チームの活躍を『栄光への5000キロ』という本にまとめたのが、当時の実験部長の笠原剛三でした。後に石原裕次郎主演で映画化されています。2代目になるブルーバード(ダットサン410型)は、1963年(昭和38年)9月に発売されました。翌年3月にはSUキャブ・62馬力・デュアル…年代:1966

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サニー1000 デラックス

1966年(昭和41年)4月に登場した初代サニー(B10型)により、ついに本格的なマイカー時代が到来します。988ccエンジンは最高出力56馬力で、軽快な走りが人気を集めました。車両サイズは全長3770mm、全幅1445mmと全長は現在のコンパクトカー並で、全幅は一回り小さいくらいですが、大人4人もしくは、大人2人と子ども2人という組み合わせにはジャストサイズでした。発売前の車名公募やティーザーキャンペーンも話題を集め、車名は850万通の中から選ばれています。デラックス46万円、スタンダード41万円という庶民にも手が届く価格も好評で、発売後5か月で販売累計3万台を突破するベストセラーに躍進。…年代:1966

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サニー 1000 スポーツデラックス

1966年(昭和41年)4月に誕生した初代サニー。当初はダットサン・ブランドとしてリリースされました。開発主査を務めた園田善三をはじめ、若手が開発の中心を担いました。搭載されたOHVのA型エンジンは988ccから56馬力を到達し、直線基調のスポーティなスタイル、SS1/4マイル20.6秒、最高速度135km/hの高性能が幅広いユーザーを獲得します。翌1967年4月には、4ドアセダン発売し、4速マニュアル・フロアシフトのスポーツ・シリーズとクラス初の3速オートマチック車が追加されました。エクステリアでは、グリルデザインの意匠変更が特徴です。また、クーペやセダンのほかにライトバンやトラックなど…年代:1967

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プリンスR380-I

スカイラインGTを擁し、1964年(昭和39年)の第2回日本グランプリに出場したプリンス自動車工業。ポルシェを1周パスするも、レースでは惜敗した悔しさをはらすため、プリンスが総力を挙げて開発した日本初の本格的レーシングカー。開発を指揮したのは、スカイラインの生みの親である桜井真一郎。ブラバム社のシャーシーにアルミ製ボディを載せ、プリンス・グロリア用のG7型直列6気筒をベースとしながらも、専用設計といえるGR8型2000ccエンジンを搭載しました。1965年(昭和40年)の日本GPが中止になったため、レースデビューは1966年(昭和41年)の第3回日本GP(富士スピードウェイ)。この記念車は、…年代:1966

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ニッサンR380-II

プロトタイプのレーシングカーとして誕生したR380は、レースでの華々しい活躍だけでなく、当時の最高速記録にもチャレンジしています。最初の挑戦は、日本グランプリが中止になった1965年(昭和40年)10月。ドライバーの横山達により、R380-IIは5つの世界記録を樹立します。R380-IIでチャレンジした2回目は、日本グランプリで勝利を上げた翌年の1967年(昭和42)年10月8日。記念車はそのR380-IIで、茨城県谷田部のコースで国際記録を達成しました。50km/50マイル/100km/100マイル/200km、200マイル/1時間という距離と時間別に7つの記録が打ち立てられました。年代:1967

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ニッサンR381

1968年(昭和43年)の日本グランプリで優勝したニッサンR381は、ユニークなエアロスタビライザーというウイングを装着しています。これは、コーナリング中にイン側のグリップを強化するため、走行中にブレーキ、リヤサスペンションと連動し、左右が独立して角度変化すると従来にも先にもない発想によって作られました。エアロスタビライザーと命名されたこの特徴的なウイングを持つR381は、「怪鳥」という異名を取りました。エンジンは、日本GPに合わせて日産が大幅に手を入れたシボレー製5.5LV8エンジンを搭載。レースには3台が投入され、R381がレースを終止リードします。記念車は、北野元選手がドライブした…年代:1968

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ブルーバード1300

1963年(昭和38年)9月に発売されたブルーバード410型の最終モデルです。メキシコオリンピックで公式車として日本選手団に提供されたため、選手のサインが残されています。メキシコ日産のクエルナバカ工場で生産されたため、左ハンドルになります。この410型は、1966年(昭和41年)4月マイナーチェンジで、リヤエンドなどのスタイルを変更しています。スポーティな「1300SS」と「1600SSS」は、専用フロントグリルに前輪ディスクブレーキを装備していました。なお、メキシコ五輪では男子体操、レスリング、重量挙げなどで大健闘を見せ、金11、銀7、銅7のメダルを獲得。中でも男子サッカーの銅メダルは、…年代:1968

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ローレル 1800デラックスB

初代ローレル(C30型)は、1968年(昭和43)4月にデビュー。「ハイオーナーカー」の先駆けとして、ブルーバードとセドリックの間を埋める車種として開発されました。セダンが単に排気量やボディサイズだけで分類される時代から、ライフスタイルやボディスタイル、コンセプトなどで差別化する時代の扉を開いたモデルです。直列4気筒SOHCの1815ccエンジンは、グロリアやスカイラインなどでも積まれたプリンス系のG18型です。サスペンションはブルーバードと同様で、前がストラット、後がセミトレーリングアームを搭載。2年後の1970年(昭和45)6月には、日産初のピラーレスハードトップである2ドアハードトップ…年代:1968

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ブルーバード 1600SSS

初代(310型系)、2代目(410型系)に続き、1967年(昭和42年)8月、ブルーバードは3代目となる510型にフルモデルチェンジを果たしました。このモデルも先代たちと同様に、国際ラリーでそのポテンシャルの高さを実証し、過酷な走行シーンの連続の中で鍛えていく道を選びました。そして、1970年(昭和45年)の第18回東アフリカサファリラリーにおいて、1600SSSをベースにしたラリーマシン(直列4気筒1595cc・130馬力)が、総合/クラス/チームの各部門を征し、国産車として初の3冠完全制覇を達成。日産自動車が同ラリーに初挑戦してから、8年目にしての快挙となりました。ブルーバード(510型…年代:1970

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スカイライン 2000GT-R

高性能なクルマであり続けるために、スカイラインはサーキットを周回するレースで、常に勝つことを鍛錬の場に選びました。その情熱を具体的な形としたのが、3代目スカイライン(C10型系)に設定されたスカイラインGT-Rという特別なモデルです。その初代は、4ドアセダンのボディにレース専用マシン・R380の心臓であるGR8型と基本設計を同じとする、直列6気筒DOHC・2000ccのS20型(160馬力)を搭載。これに5速マニュアルトランスミッションを組み合わせ、レース仕様に改変しない状態でありながら、停止状態から400mの距離を全力疾走する加速タイムは16.1秒。最高速度は200km/hをマークする、当…年代:1969

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ニッサンR382

1969年(昭和44年)に開催された、日本グランプリに勝つために開発されたプロトタイプのレーシングカーです。その実戦で見事に優勝を果たしました。エンジンは新たに開発されたV型12気筒DOHCで、5054ccという大排気量をもち、600馬力以上を発揮するGRX-3型を搭載。日本グランプリは、この年で最後の開催となりましたが、ライバルたちを退けて、トップでチェッカーフラッグを受けました。そして、もう1台のR382が2位に入り、1-2フィニッシュを飾り、その強さを多くの観衆の目に焼き付けました。この日本グランプリ優勝車は、歴史上貴重なモータースポーツ資産を後世に伝える目的で、他のR380シリーズと…年代:1969

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ブルーバード1600デラックス

リカちゃん人形が発売された1967年(昭和42年)の8月に、3代目ブルーバード(510型系)が誕生しました。このクルマはいまもなお、多くのファンの方々から「ゴーイチマル」という型式名で親しまれ、名車と賞賛されています。直線を基調としたスタイルが特徴的で、運転席と助手席のガラス部分に三角窓がない伸びやかなデザインは、超音速機とハイスピード時代の到来をイメージして、「スーパーソニックライン」と名付けました。このモデルは、直列4気筒・1595ccのL16型エンジン(92馬力)を搭載した1969年(44年)式の4ドアセダン・1600デラックスという仕様です。ファミリーカーでありながら当時としては贅沢…年代:1969

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サニー 1200 2ドアGL

マイカーブームの幕を開け、大衆車というジャンルを確立した初代モデルの好評を受け、2代目サニー(B110型系)は1970年(昭和45年)にデビューします。従来のスピード感あふれるファミリーカーのイメージを引き継ぎながら、時代を象徴する「豊かさ」を盛り込みました。ボディサイズを拡大して、ダイナミックでスピード感のあるスタイリングを実現しました。また、CMではライバル車よりも豊かなクルマであることをアピールする、「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチフレーズを採用して注目を集めます。その室内空間は、当時の大衆車クラス最大の広さを誇り、メーターやスイッチ類、シートなどの細部にも、豊かさやおおら…年代:1971

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ニッサンR383

1968年(昭和43年)にR381、その翌年にR382で日本グランプリを制覇した日産自動車は、1970年(昭和45年)の同レース3連覇を目指し、新たなレーシングカーの開発を進めていました。それがニッサンR383です。エンジンはR382と同型式のV型12気筒DOHC・5954cc、GRX-3型ですが、100馬力アップして最高出力は700馬力以上という破格のスペックになるよう計画していました(アメリカのレースに出場することを想定した、ターボチャージャー付き仕様は900馬力)。しかし、1970年の日本グランプリは、社会情勢の変化などの理由で中止。以後打ち切りとなり、R383はその実力をサーキットで…年代:1970

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サニー 1200 4ドアデラックス スポーツ

「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチフレーズとともに、豊かなファミリーカーとして、1970年(昭和45年)1月にデビューした2代目サニー(B110型系)。当初から、2ドア/4ドアセダン・14機種、2ドアクーペ・4機種、コマーシャルカー(商用車)のバン・4機種というワイドバリーエションを誇っていました。その中でも4ドアセダンは、当時のクラス最大の室内空間を誇り、サニーを代表するモデルとして、多くの方々から愛されました。搭載エンジンのA12型は、直列4気筒OHV・1171ccで最高出力68馬力を発揮。前輪にストラット式、後輪に二重防振機構付きのサスペンションを採用して、上級車に匹敵する操…年代:1970

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フェアレディ240Z

アポロ11号が月へ着陸した1969年(昭和44年)の11月、オープンスポーツカーであるフェアレディの後継車として、フェアレディZがデビューを果たしました。そのスタイルや高性能な走りは日米を中心に、世界中の多くの方々の支持を集めました。日本国内仕様は当初、直列6気筒・2000ccエンジン車のみの発売でしたが、1971年(昭和46年)11月に北米仕様に設定されていた、直列6気筒・2497ccエンジンを搭載した240Zシリーズを追加しました。この記念車は、これをベースにしたレーシング仕様のテストカーですが、独特の長いボンネットの下に、排気量2870cc、ソレックスというキャブレターやクロスフローと…年代:1973

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フェアレディ240Z

スポーツカーであるフェアレディZは、その性能の高さを実証する意味も込めて、過酷なモータースポーツとして知られるラリーの世界へも挑戦しました。このマシンは、1970年(昭和45年)の第18回サファリラリーで総合優勝を果たし、「ラリーの日産」を強く印象付けたブルーバード(510型系)の後を引き継いだモデルです。翌年の第19回同ラリーに初出場ながら、見事に総合優勝を獲得しました。また、2位にもフェアレディ240Zが入り、日産のサファリラリー2年連続制覇を1-2フィニッシュで飾りました。エンジンは、直列6気筒OHC・2497ccのL24型を215馬力にチューンナップしたものを搭載していました。年代:1971

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フェアレディ240Z

フェアレディ240Zは、アフリカの大地を疾走するサファリのほかに、雪と氷の上を舞台にした1972年(昭和47年)の第41回モンテカルロラリーにも参戦しました。総合3位を獲得して、世界中のラリー関係者を驚かせました。それは、フェアレディZが車両前部にエンジンを搭載して、その力を後輪に伝えるFR(フロントエンジン・リヤドライブ)駆動方式を採用していたからです。このFR方式は氷雪路では不利である、と出場前からもっぱらささやかれていましたが、これを見事にはねのける結果をもぎ取ったからなのです。そして、このモンテカルロラリーやサファリラリーでの活躍により、当時国内で行われていたラリーに、フェアレディZ…年代:1971

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サニー エクセレントクーペ

1971年(昭和46年)4月、2代目サニー(B110型系)にエクセレントシリーズという1400ccのOHCエンジンを搭載した上級モデルが2ドアクーペと4ドアセダンに設定されました。そのレース仕様は、排気量を1598ccに拡大し、4バルブDOHC化とEGI(電子制御燃料噴射装置)などで200馬力にチューンナップ。型式名をLZ14型とした、レース専用のエンジンが与えられました。このマシン(記念車)は、デビューレースとなった同年の日本グランプリ(TSクラス)で優勝を果たしました。2位と3位にも同型のマシンが入賞し、表彰台を独占。圧倒的な勝利を飾りました年代:1973

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サニー1200クーペGX-5

2代目サニー(B110型系)では、1200ccシリーズもモータースポーツで活躍しました。このマシンは、山陽新幹線が新大阪-岡山間に開業した1972年(昭和47年)の8月に追加設定された2ドアクーペ1200GX-5(ファイブ)です。グレード名の最後にある「5」とは、このクルマが5速フロアシフトのマニュアルトランスミッションを搭載したスポーティモデルであることを意味しています。実戦では、145馬力にチューンナップしたA12型エンジンを搭載。オーバーフェンダー内にワイドタイヤを装着して、富士スピードウェイを舞台とした「TSレース」カテゴリーに参戦。1971-74年、77年、79年-80年、82年…年代:1972

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チェリー 2ドアデラックス

チェリーは1970年(昭和45年)10月に、「超えてるクルマ」というキャッチフレーズとともにデビューしました。日産自動車初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)という駆動方式を採用しているのが特徴です。車体前部にエンジンがあり、前輪に進む力を与えるFFは、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)方式に比べて部品点数が少なく、室内を広くしやすいという長所があります。チェリーの場合は、当時のスカイライン1500(S50型系)と同等の車内空間を誇りました。このFF方式は今日、軽自動車からミニバン、セダンをはじめ多くのクルマに用いられています。発売当初は、この2ドアセダンのほかに4ドアセダンを設…年代:1972

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チェリークーペX-1

日産自動車初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)車として生まれたチェリーは、1971年(昭和46年)9月に、より若々しくスポーティーなクーペを追加設定しました。その上位モデルであるX-1(エックス・ワン)は、直列4気筒OHV・1298ccのA12型エンジンの燃料供給装置を、SUツインキャブ仕様に変更して80馬力の最高出力を獲得。独特なスタイルは、ジーンズやアメリカンクラッカーといった玩具のブームで沸きかえる若者たちを魅了しました。レースでは、排気量をアップするなどのチューンナップを加え、最高出力を一気に150馬力にまで高め、サニーとともに富士スピードウェイで開催されるシリーズで活躍。…年代:1973

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セドリック 4ドアセダン 2000GL

日産自動車を代表する高級車として、ひとつの時代を築いたセドリックは1971年(昭和46年)2月のフルモデルチェンジにより、3代目となりました。このモデルは、1966年(昭和41年)に日産自動車と合併した旧プリンス自動車工業の高級車・グロリアのフルモデルチェンジ(4代目)と同時に、基本メカニズムやデザインを共有する姉妹関係を結んでいます。そのため、以後この両者を表現する際に「セド/グロ」という愛称がカーマニアの方々を中心に使われるようになりました。記念車の2000GLというモデルには、ラグジュアリーカー向けのエンジンとして、長きにわたり愛された信頼性の高い直列6気筒・OHC・1998ccを搭載…年代:1972

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スカイライン 2000GT-R

3代目スカイライン(C10型系)に設定されたスカイラインGT-Rは、わずか2年10か月の短期間に50勝もの栄冠を獲得。日本のレース史上に燦然と輝く大記録を打ち立てました。そして、1972年(昭和47年)9月、スカイラインはフルモデルチェンジを遂げて4代目(C110型系)に進化。これに伴い、スカイラインGT-Rも翌年1月に、新たな2ドアハードトップのボディに、高い実績を誇る直列6気筒DOHC・1998ccのS20型エンジン(160馬力)を搭載した新型に移行しました。この記念車は、同年の東京モーターショーに参考出品された「GT-Rプロトタイプ」で、1973年より実戦へ投入する意気込みを表すために…年代:1972

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スカイライン H/T 2000GT-R

「ケンとメリーのスカイライン」というキャチフレーズで、大人気となった4代目スカイライン。4代目に設定されたスカイラインGT-Rが、「幻のGT-R」と呼ばれることになったのはレースに出場できなかったことに加え、日産自動車が排気ガス対策に全社的に取り組むことにより、市販仕様車の販売を1973年(昭和48年)1月からわずか4か月という短期間で終了したため、総数で197台しか生産されなかったことも、その理由になっています。このスカイラインGT-Rは、従来のモデルと異なる専用設計のステンレス製エキゾーストマニホールドや吸気側エアダクトなどを装着。後輪にもディスクブレーキを採用して、国産車初の4輪ディス…年代:1973

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スカイライン H/T 2000GT-R

スカイラインGT-Rは「幻のGT-R」、「悲運のGT-R」などと表現されることがありますが、多くのスカイラインファンやレースファンの方々からは、ケンとメリーのスカイラインGT-Rを省略した「ケンメリR」というニックネームでいまも愛され続けています。また、搭載されたS20型エンジンはハイオクガソリン仕様に加え、レギュラーガソリン仕様も用意していたのも、先代モデルとは異なる特徴のひとつです。コクピットは、スパルタンなアルミ製のメーターパネルを採用、ドライバーにエンジン回転数を知らせるタコメーターは、1万回転までスケールを刻んでいました。ボディカラーは、シルバーとホワイト、レッドの計3色が設定され…年代:1973

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ブルーバードU 1800SSS

1971年(昭和46年)1月、より大きくゆったりとしたボディをまとって誕生したブルーバードシリーズの4代目が、ブルーバードU(610型系)です。市販モデルは当初、3代目ブルーバード(510型系)と併売されていましたが、国際ラリーでは先代からバトンを受け、1973年(昭和48年)に開催された、第21回東アフリカサファリラリーに挑戦。この年のサファリで、日産チームはフェアレディ240Zで総合優勝を果たしましたが、ブルーバードUはこれに続き総合2位に入賞、さらにクラス優勝も獲得。「ラリーの日産」を強く世界へ印象付けることに成功しました。年代:1973

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チェリーFIIクーペ

日産自動車初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)車であるチェリーは、1974年(昭和49年)にフルモデルチェンジを行い2代目(F10型系)に進化。車名を「チェリーF-||」としました。このマシンはカタログ掲載用に製作されたもので、ベース車両は最上級かつ最もスポーティなGXツインです(「キャブレターを2連装している」という意味)。エンジンパワーを148馬力にまで高めるなどチューンナップし、当時のTSレースの参加基準に合わせていました。しかし、日産自動車が排気ガス規制対策にその技術を傾注させるため、レース活動を中止していた時期にあり、残念ながら実戦には投入されませんでした。ちなみに、この…年代:1976

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ブルーバードU 1600GL

スポーティーなファミリーカーとして好評を博した、3代目ブルーバード(510型系)。その後を受け継ぐモデルとして、1971年(昭和46年)8月、4代目にあたるブルーバードU(610型系)が生まれました。サイズアップが図られ、ゆったりとした優雅なフォルムを採用しています。サイドウインドウが後方へ向かうに従って、アルファベットの「J」のような美しいラインを描くサイドスタイルが、トレードマークとなりました。エンジンは当初、直列4気筒OHCの1600ccと1800ccをラインアップ。その後、1973年(昭和48年)8月にはスカイライン2000GTと同じ、直列6気筒エンジンを搭載した、200GTが追加さ…年代:1975

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ローレル 2000SGX

1972年(昭和47年)4月にデビューした2代目ローレル(C130型系)は、そのポリシーを継承しつつ、70年代を象徴するにふさわしい、「豪華さと高品質を誇り得るクルマ」として登場しました。エクステリアは、「ノーブルでダイナミックな彫刻美」というテーマでデザインされています。サイズアップによって、堂々とした風格あるスタイリングで個性を放ち、室内も豪華で格調高いムードに仕上げられました。ボディは4ドアセダンと2ドアハードトップを設定。エンジンは直列4気筒OHCの1800ccのG18型、同2000ccのG20型と同型のツインキャブのほかに、直列6気筒OHC・2000ccのL20型があり、2000S…年代:1975

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スカイライン H/T 2000GTX・E

スカイラインH/T2000GTX・E「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチフレーズとともに、1972年(昭和47)年9月に、4代目スカイライン(C110型系)がデビューしました。この頃は、各自動車メーカーともに既存車種、新型車を問わず、社会が求める排気ガス規制というルールに市販車を順次適合させる必要がありました。そこで日産自動車では、当時のスカイラインGT-Rの生産と販売を打ち切り、また一切のレース活動を中止して、その技術力をこの分野に注ぎました。そして、この間にスカイライン2000GTシリーズに搭載される、直列6気筒OHC・排気量1998ccのL20型エンジンの低公害化も進めま…年代:1976

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フェアレディZ-T

初代フェアレディZ(S30型系)は、1969年(昭和44年)10月に発表。翌11月から発売が開始されます。アメリカで大好評を博し、日本を代表する2人乗りポーツカーとしても、当初から高い評価を獲得しました。国内仕様では、北米市場に先行投入されていた、2400ccエンジン搭載モデルの240Zシリーズを1971年(昭和46年)11月に導入。1974年(昭和49年)1月には、ホイールベースを延長して後部に座席を設けた4人乗り仕様の2/2を加わえました。さらに、1976年(昭和51年)7月には、電子制御燃料供給装置・EGIなどで排気ガス規制に適合したS31型へ進化しました。この記念車は、アルミロードホ…年代:1977

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セドリック 2800SGL

高級車・セドリックの4代目として、1975年(昭和50年)6月に330型系が発売されました。重厚な豪華さ表現した4ドアセダンのほかに、2ドアとドアのハードトップも用意されました。このモデルは、直列6気筒OHC・2753ccのL28S型エンジン(最高出力140馬力)を搭載した1977年式(昭和52年)です。型式名はP311型ですが、通常のモデルと少し変わったエクステリアなのは、朝日新聞社が同年、アジアハイウェー1号線(A1ルート)沿線の文化・経済や人々の生活を紹介する連載記事を掲載するための取材車として、海外で使用した車両そのものだからです。トルコのイスタンブールとベトナムのサイゴンを結ぶ、2…年代:1977

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ブルーバード 1800SSS

5代目ブルーバードとなる810型系は、1976年(昭和51年)7月にデビュー。オイルショック後という時代を背景に投入されるニューモデルということで、「省エネ」、「省資源」、「安全」を追求しました。4ドアセダンと2ドアハードトップの2タイプを設定。当初のエンジンラインナップは、直列4気筒OHCの1600ccと1800cc、直列6気筒OHC・2000ccの3基でした。また、俳優で歌手の加山雄三さんをイメージキャラクターに起用し、新しいブルーバード像をアピールしていただきました。この記念車の4ドアセダン1800SSSは、翌1977年(昭和52年)に、朝日新聞社の海外取材車として、アジアハイウェー1…年代:1977

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ブルーバード 1800GL

5代目ブルーバードは、1978年(昭和53年)8月にマイナーチェンジを実施して型式名を811型となりました。その際に、53年排出ガス規制への適合や全車角形4灯式ヘッドライトを採用して、より精悍なフロントマスクなが与えられました。また、キャッチフレーズには「ヘビーデューティーカー(激しい使用を受け止める耐久力があるクルマ、という意味の英語)」を掲げ、逞しさを強調しました。この1800GLというグレードは、Z18S型という4気筒OHCエンジン(105馬力)を搭載していますが、厳しい排気ガス規制に対応するために、ひとつのシリンダーに対して、2つのスパークプラグを備えていることも話題になりました。ま…年代:1978

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バイオレット

初代バイオレットはスポーティーな装いの2ドア/4ドアセダン、2ドアハードトップという、3つのボディスタイルをもち、1973年(昭和48年)1月に登場しました。当初は直列4気筒OHCの1400ccと1600ccエンジンをラインナップ。また、ブルーバードの姉妹車であることから、710型系という型式名が授けられ、海外ラリーにも果敢に挑みました。このマシンは、1977年(昭和52年)にオーストラリアで開催された、第12回サザンクロスラリーにて、輸出仕様名のダットサン160Jでエントリー。エンジンはモータースポーツマシン用に開発され、ラリー用のチューンナップを加えたLZ18型(直列4気筒DOHC・19…年代:1977

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バイオレット

1977年(昭和52年)5月、バイオレットは初のフルモデルチェンジを行い、2代目に進化するとともにブルーバードから独立し、車両型式はA10型系になりました。また、高級志向の「スタンザ」、若々しさを強調した「オースター」という姉妹車も同時に誕生しました。2代目バイオレットには、オープンバックと名づけられた3ドアハッチバックと、4ドアセダンの2つのボディがありましたが、モータースポーツへの挑戦には後者のボディタイプが選ばれました。このマシンは1978年(昭和53年)の第13回サザンクロスラリーで優勝を獲得。前年の同ラリーでは、初代(710型系)が勝利を収めていましたので、2年連続でバイオレットが…年代:1978

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バイオレット

2代目バイオレット(A10型系)は、海外ラリーで並みいる強豪を押さえ込み、数々の栄光をつかみ、「技術の日産」、「ラリーの日産」を世界中にとどろかせました。このマシンは、1981年(昭和56年)にアフリカのケニアで開催された第29回サファリラリーで優勝を収め、同ラリー史上初の3連覇を達成した記念すべき車両です。エンジンは、モータースポーツ専用の直列4気筒DOHC・1952ccで、最高出力215馬力を発揮したLZ20B型を搭載。正式エントリー車名は「バイオレットGT」、グループ4というカテゴリーに属しました。この年の日産チームは、ほかにグループ2仕様のバイオレットとブルーバード、シルビア各1台を…年代:1981

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バイオレット

バイオレットは高い走破性と信頼性の高さをフルに発揮して、1982年(昭和57年)の第30回サファリラリーにおいて、総合優勝をつかみ取りました。この勝利によって、日産自動車は同ラリー史上初の4連覇(1979年-1982年)を達成。このマシンのドライバーであるシェカー・メッタ、ナビゲーターのマイク・ドウティ組が、出場者として同ラリー史上初の4連覇を成し遂げたことも、大きなニュースになりました。このマシンのエンジンは、直列4気筒DOHC・1975ccで、220馬力の最高出力をマークしたグループ4仕様のLZ20B型を搭載していました。年代:1982

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バイオレット

日産自動車は1970年(昭和45年)のサファリラリーで、4代目ブルーバード(510型系)で総合優勝を飾って以来、同ラリーで圧倒的な速さを見せつけました。そして、1979年(昭和54年)に開催の第27回サファリラリーにおいては、この記念車のバイオレット(正式エントリー名はダットサン160J)が総合優勝を獲得。日産チームに通算で4度目の栄冠をもたらせました。エンジンは直列4気筒OHC・1952cc、最高出力190馬力のL20B型を搭載していました。この年の同レースはメルセデス・ベンツ450SLC、プジョー504、アバルト131などの強豪が揃っていましたが、バイオレットは5位、7位、9位にも名を連…年代:1979

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シルビア スーパーシルエット

スペシャリティーカー、シルビアの4代目モデル(S12型)は、リトラクタブル式のヘッドライトを採用した斬新なスタイルで1983年(昭和58年)8月にリリースされました。モータースポーツ活動の一貫として、当時富士スピードウェイで開催されたスーパーシルエットレースに、元祖・日本一速い男として知られる星野一義選手がドライバーでした。スーパーシルエットとは、レース専用のモンスターマシンでありながら、外観は市販車をベースにした当時の国際規定・グループ5に合致した仕様の車両で行われる競技です。このマシンは最高出力570馬力以上というスペックにパワーアップされた直列4気筒DOHCターボ、2082ccのLZ2…年代:1983

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プレジデント ソブリン

プレジデントは、日産自動車がもつ最高の技術と品質を誇る最高級セダンとして、象が踏んでも壊れないCMで有名になった筆入れが発売されました。1965年(昭和40年)の10月に初代モデル(150型系)が誕生。そして、このモデルは1973年(昭和48年)にデビューした2代目モデル(250型系)です。1977年(昭和52年)に53年排ガス規制への適合化を図り、型式名を252型とした車両の1980年(昭和55年)製車です。最上級グレードとして設定された「ソブリン」は、その大きく威厳のあるスタイルに、V型8気筒OHV・4400ccのY44E型エンジン(最高出力200馬力)を搭載。公用車やハイヤーなどとして…年代:1980

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ブルーバード 1800SSS

1979年(昭和54年)11月に登場した6代目ブルーバード(910型系)は、直線基調のクリーンなフォルムをもち、名車として誉れの高い510型系(3代目)の再来といわれました。発売当初から大きな反響を獲得。歌手の沢田研二さんをイメージキャラクターに迎え、「ザ・スーパースター」、「ブルーバード、お前の時代だ。」というキャッチコピーも大好評で、1982年2月まで小型車クラス販売・27カ月連続トップという驚異的なセールスを記録しました。当初のバリエーションは、4ドアセダンと2ドアハードトップの2本立てです。1600/1800の搭載エンジンは、すべて4気筒に統一(この2ドアハードトップ・1800SSS…年代:1979

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バイオレット

1977年(昭和52年)5月に発売された2代目バイオレット(A10型系)は、「ラリーの日産」の伝統を受け継ぎ、その名に恥じない輝かしい戦績を残し、日産自動車のラリー活動の黄金期を築き上げました。このマシンは、200馬力以上にパワーアップされたL20B型エンジンを搭載。1980年(昭和55年)の第28回サファリラリーで、シェカー・メッタ選手がナビゲーターとともに、過酷な路面に挑み、見事に優勝を果たしました。日産チームは前年に続き2年連続総合優勝を収め勢いに乗り、続く1981年(昭和56年)、1982年(昭和57年)も総合優勝という結果を残し、同ラリー史上初の4年連続制覇を成し遂げることとなった…年代:1980

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ガゼール ハッチバック ターボXE

携帯型カセットプレーヤー・ウォークマンが誕生した1979年(昭和54年)、その3月にスペシャルルティーカー、シルビアの3代目(S110型系)がデビュー。同時に姉妹車であるガゼールが「未来から大股でやってきた」というキャッチフレーズを伴って登場しました(ガゼールは、アフリカなどの草原に棲息するカモシカ類の総称、「ガゼル」を車名の由来としています)。ボディタイプは気品ある2ドアハードトップと、流麗なラインで仕上げられたハッチバックの2タイプを設定。角形4灯式ヘッドライトを採用し、鋭い表情をもったマスクや日本初のドライブコンピューターを装備するなど、新しい時代の到来を感じさせてくれました。このモデ…年代:1981

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ローレル 4ドアH/T 2000SGL-E

1977年(昭和52年)1月に発売された3代目ローレル(C230型系)は、豪華なゆとりの充実、静粛さの追求、安定した高品質の維持、省資源への配慮、積極的な安全策という、5つの開発コンセプトを高い次元でバランスさせ生まれました。ボディタイプは端正な4ドアセダン、スポーティーな2ドア・ハードトップ、そして、その双方のよさを融合させた、新設定の4ドア・ハードトップの3タイプとしました。パワーユニットは従来から好評の直列4気筒・1800cc、直列6気筒の2000ccと2800ccの3つをラインナップ。ハイオーナーカーとしての確固たる地位を確立しました。このクルマは、1980年(昭和55年)11月に発…年代:1980

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スカイライン 2000GT

5代目スカイライン(C210型系)は、1977年(昭和52年)にデビュー。「日本の風土が生んだ日本の名車」としての自負をキャッチフレーズに込めた「SKYLINEJAPAN」というメッセージとともに、新たなるグランドツーリングの世界を切り開きました。主力モデルである2000GTシリーズには、1980年(昭和55年)のマイナーチェンジで型式名を211型としたモデルでは、当時としては斬新な角形異形ヘッドライトを採用したフロントマスクが話題に。「夢のスカGターボ」というCMコピーで多くのファンを沸かせた、ターボエンジン搭載車が加わりました。このクルマは、お客様が愛用されていた2000GT(L20型…年代:1980

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ブルーバード スーパーシルエット

6代目ブルーバード(910型系)は、そのクリーンなイメージのスタイルや高性能な走りを武器に、小型車のベストセラーモデルとして高い評価を獲得しました。また、国内のモータースポーツでも活躍。このマシンは市販車のおもかげを残した、スーパーシルエットというモンスターマシンで速さを競うレースに出場しました。搭載エンジンは、直列4気筒DOHC、2082ccの排気量にターボチャージャーをドッキングし、最高出力を570馬力としたレース専用のLZ20B型です。この大パワーは当時のF1をも凌ぐほどでした。実際のレースにおいて、このブルーバードスーパーシルエットは、1980年(昭和55年)と1982年(昭和58…年代:1983

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グロリア 4ドアH/T 200E GL

6代目グロリアにあたる430型系は、1979年6月に登場。同時に姉妹車であるセドリックも、同時にフルモデルチェンジされました。この430型系は、直線を基調とした優雅で気品漂う4ドア・ハードトップと、伝統的な風格をもつ4ドアセダンの2タイプのボディ形態でした。2ドア・ハードトップモデルは廃止されました。当初のエンジンラインナップは直列6気筒OHCの2000ccと2800ccをメインに構成し、のちに、日本初の市販車ターボエンジンとなるL20ET型も加わりました。また、430型系は、より高級車にふさわしい高い静粛性を実現しており、CMのキャッチフレーズに「サイレント・グロリア」を採用。イメージキャ…年代:1980

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