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エンゼル3号ガス湯沸器

現在の四角い形をした小型湯沸器と形状が異なる、円筒型の形をした湯沸器。水を加熱する機構はそれまでの製品と変わらないが、空だきを防止するため、ガスと水のコックが連動する、関連コックという機構を備えていた。昭和30年代まで全国各地で使われていた。製造:北辰瓦斯器具(株)価格:12,600円年代:1955年

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ガスターバランス型風呂釜S

1965年(昭和40)に開発された風呂釜で、密閉された製品内に水を引きこみ、吸気と排気を外気で行い、浴室内の空気を利用することなくガスの炎でお湯を沸かした。不完全燃焼が起きず安全な風呂釜として全国の公団住宅で採用された。内風呂の普及と、この製品から採用されたシャワー機能は、生活に大きな変化をもたらした。製造:関東ガス器具(株)価格:49,800円年代:1967年

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コロンビア二口七輪

イギリスからの輸入品で、1904年(明治37)発行のカタログに掲載されている。当時国内で実際に使用された初期の調理器具で、現在のガステーブルコンロの原型。価格:40円年代:1904年

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英国フレチャラッセル社製ガスレンジ

1902年(明治35)にガスを使用する台所を備えた、大隈重信邸のガスレンジと同型といわれている。大隈邸の台所の評判に併せ、当時国内に輸入されて使用されていたイギリス製の製品である。年代:明治30年代

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4升ガスかまど

ガスかまどは1902年(明治35)に、ガス会社により開発された日本における最初のガス器具特許品で、この製品はその改良品のガスかまど。1908年(明治41)のカタログに登場し、昭和40年代までガス会社によって販売されていた。現在でも料亭などで使用しているところがあり、新品を購入することも出来る。年代:大正時代

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食パン焼き器(四面式)

ガス七輪の上に乗せ、パンを四面に立て掛けて焼くトースター。七輪のガスの炎は円形のため、内側より均等にあたり、同時に4枚焼くことができる。但し、片面が焼き上がると、手で裏返さなければならず、四つ切りパンが焼き上がる時間には5分ほどかかった。価格:87銭年代:1929年

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タカラ陶製七輪

第二次大戦中に、鋳物製ガス七輪の代用品として製造された製品。鋳物製の製品と遜色なく使用できたが、陶製のために破損しやすかった。年代:1939~1945

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英国ホンスビー社製3馬力ガスエンジン

イギリスのホンスビー社製3馬力ガスエンジン。本体に付属している銘板より、1911年(明治44)6月に横浜の貿易商社であるヒーリング社に販売された記録が確認できる製品である。本体並びに付属品の両方に、ヒーリング社の銘板も残っている。年代:1911年

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和製ガスアイロン

国産初期のガスアイロンで、取っ手が熱くならないようアイロン本体とのあいだに遮熱板が取り付けられている。東京ガスが考案したもので、太陽社などのガス器具製造会社が製造し、納入された後、ガス会社で販売した。価格:3円50銭年代:1913年

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東神アイロン

昭和初期の不況期に、電気アイロンの運用コスト高を解消するため、新型のアイロン開発に乗り出した複数の会社があり、東神アイロン製作所はそのうちの一つであった。1931年(昭和6)に各社が開発したガスアイロンの販売に合わせ、ガス会社では各社と協力して大宣伝販売を打ち出し、業務用、家庭用向けにガスアイロンが広く普及するきっかけになった。製造:東神アイロン製作所年代:昭和初期

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石炭塊

北海道夕張産の石炭の塊で、大きさが1立方メートル、重量1.3トンある。この石炭を乾留すると、270立方メートル(5,500Kcal/立方メートル)のガスが発生し、現在の一般家庭1軒で使用する、約3ヶ月のガスを得ることができる。年代:1950年代

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コークスガイド車

1930年(昭和5)の東京ガス鶴見工場建設時に設置された、コッパース炉で使用していた。コークスガイド車は、炉から赤化したコークスを炉下の貨車に導くために使用した。1971年(昭和46)まで使用されていた。年代:1930年

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コッパース炉模型

東京ガス末広工場に、1936年(昭和11)に建設されたコッパース式複式コークス炉をモデルに製作された、1/30の大きさの模型。その後製作された東京ガスのコークス炉は、この炉をモデルに改良を加え、独自に設計して建設された。

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ダットサン12型フェートン

ダットサンとは、1914年(大正3年)に快進社が「ダット1号車」を製造したことから由来します。DAT(ダット)は快進社の出資者3人のイニシャルから取られ、その後、DATの「息子」を意味する「DATSON」になります。しかし、「SON」は「損」を連想させるため、発音が同じで太陽を意味する「DATSUN(ダットサン)」になりました。ダットサンは日産自動車の主に小型車に使われ、日本のみならず、海外でも親しまれるブランド名になりました。ダットサン12型フェートンは、記念車庫の中でももっとも古いモデルです。フェートンとは、折りたたみ式の幌を持つ4人乗りのオープンカーで、サイドウインドウを持たないクルマ…年代:1933

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ダットサン14型ロードスター

現在の日産自動車は、1933年(昭和8年)12月に設立された「自動車製造株式会社」などを経て、翌1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社と改称した時点でスタートします。いよいよ本格的なベルトコンベアによる自動車の生産に取り組みます。横浜市に設立された新工場において、1935年(昭和10年)に最初に生産されたのがこのダットサン14型ロードスターです。日産自動車による大量生産のスタートという画期的なモデルである14型には、722cc・15馬力の新エンジンが搭載されています。2人乗りのロードスターボディのデザインを手がけたのは、自動車の名エンジニアとして名を馳せた富谷龍一氏です。グリルの上に置か…年代:1935

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ダットサン15型フェートン

1936年(昭和11年)5月に登場したダットサン15型フェートンです。フェートンとは、4人乗りセダンを幌付きにした4人乗り仕様です。搭載エンジンは1935年に登場した14型と同じ722cc(7型)で、排気量こそ同じですが、圧縮比を5.2から5.4に上げることで、16馬力と1馬力向上させています。現在でこそクルマにとって1馬力は大きなパワーアップには感じられないかもしれませんが、当時では着実な進化といえるものです。エクステリアでは、ラジエーターグリルの左上に四角いバッヂが付いたのが15型の特徴です。さらに、ボンネット真横にあるルーバーのデザインも14型のシンプルな縦縞のものから、5つ連なるよう…年代:1936

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ダットサン15型ロードスター

1936年(昭和11年)にデビューした15型ロードスターは、後席のない2人の乗りのロードスターであるため、リヤエンドが丸く落ち込んだフォルムが特徴です。搭載するエンジンの排気量は、14型と同じ722ccで、15型フェートンと同様に圧縮比が5.2から5.4に引き上げられ、最高出力が14型の15馬力から16馬力に1馬力向上しています。15型フェートンと同様に、ラジエーターグリルの四角いバッヂとボンネットの開閉式のように見える真横のルーバーが特徴的です。また、法律が改正されたことにより、この15型からスペアタイヤがトランクの外に固定できるようになり、積載量の向上が図られました。年代:1936

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ダットサン16型セダン

1937年(昭和12年)4月に登場した16型セダンです。後席を備えるため、2人乗りロードスターよりもボクシーなフォルムなのが特徴です。そのため、全長もロードスターよりも長く、居住性の高さが外観からもうかがえます。ラジエーターグリルがより繊細なデザインになり、サイドルーバーのメッキモールの付く位置が、中心付近から上下の縁に囲まれたものに変わっています。また、フード先端のマスコットとダットサンのエンブレムもデザインが変更されました。搭載するエンジンは、15型フェートンやロードスターなどと同じ722ccの7型で、最高出力も同値の16馬力です。1937年は日中事変を受けて、軍需からトラックの増産が増…年代:1937

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ダットサン17型セダン

日中戦争下の1938年(昭和13年)にデビューを果たしたダットサン17型セダンは、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。純綿や純毛が不足していた時代背景もあり、インテリアはシンプルに仕上げられています。搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつ…年代:1938

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ニッサン乗用車

1937年(昭和12年)3月に、「ニッサン」ブランドの生産が始まりました。ニッサン70型乗用車は、その記念すべき最初のモデルです。このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。自動車先進国のアメリカの技術を吸収し、日本の自動車産業を自立させようという意図も込められています。このセダンは5人乗りと7人乗りがあり、さらに、幌屋根のフェートンもバリエーション展開されていました。ニッサン70型乗用車の登場により、小型車は「ダットサン」、大型車は「ニッサン」と、2つブランド名が使い分けられることになります。年代:1938

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ニッサン バン

1937年(昭和12年)3月に、70型から「ニッサン」ブランドの生産が始まりました。当時、自動車先進国であったアメリカのグラハム・ページ社から設備などの譲渡を受けてスタート。ニッサンバンも、「ニッサン」ブランドの最初の1台に入ります。この車両は「三越」の文字からも分かるように、商品搬送用として三越が使用していました。驚くことに、1939年(昭和14年)から、1965年(昭和40年)頃まで現役で活躍していました。タフな作りと実用性の高さを証明しています。搭載されていたエンジンは、3670cc・85馬力の直列6気筒で、必要十分なパワーを誇りました。また、日本初のセミキャブオーバースタイルも好評…年代:1939

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たま 電気自動車

「たま」の名は、戦前の立川飛行機が開発した電気自動車にまでさかのぼります。地名から採用された車名(ブランド名)は、たま電気自動車、たま自動車、そしてプリンス自動車工業へいう変遷を経て、日産自動車に移ります。たま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)は、戦後直後だけに物資や食料だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていました。しかし、電力供給過剰ぎみといえるほど余裕があるため、政府は電気自動車の生産を奨励します。こうした時代に誕生したたま電気自動車は、第1回電気自動車性能試験でカタログ性能を上回る航続距離96.3km、最高速度35.2km/hを記録し、高く評価されました。1950年(昭和2…年代:1947

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たま 貨物車〔ガソリン〕

セダンのたま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)に、たま貨物車も東京電気自動車からデビューを果たします。セダン、トラックともに電気自動車とガソリン車を設定していました。セダンは4名定員でしたが、トラックである貨物車は多くの荷物を載せるカーゴスペースがあるぶん、キャビンは2人乗りです。このガソリン車は、直列4気筒の760ccエンジンを搭載。ちなみに、電気自動車の方は一充電当たり65kmの走行が可能で、現在の電気自動車と遜色のない航続距離を誇りました。大きなフロントライトが目を惹く愛くるしいフロントマスクは、セダンと同じです。年代:1947

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ダットサンスポーツ

このダットサンスポーツが登場する前年、1951年(昭和26年)5月に、直列4気筒860cc・20馬力の新エンジンを積んだ新型乗用車(DB-2型)と新型トラックが発売されました。そして、翌1952年1月、DB-2型と同じ強力なパワーユニットを搭載したシャシーに、太田祐一氏のデザインした斬新なボディを載せたダットサンスポーツ(DC-3型)をリリース。スマートなエクステリアのデザインと、最高速80km/hを誇る軽快な走りが好評を博しましたが、1954年(昭和29年)までの50台という限定生産でしたので、希少価値の高いスポーツモデルです。後のフェアレディ、フェアレディZへと続く、ダットサン(ニッサン…年代:1952

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ダットサン デラックスセダン

戦後初の乗用車であるダットサン・スタンダードセダン(DA型)のバトンを受け、1948年(昭和23年)3月に登場したデラックセダン(DB型)です。スタンダードセダン(DA型)は、シャシーやエンジンは戦前の設計を引き継ぎ、ボディのみ生産しやすいように直線基調のデザインに変更していました。このデラックスセダン(DB型)は、シャシーこそDA型からのキャリーオーバーですが、ボディをアメリカ的で斬新な流線型スタイルに一新しています。デビュー当初は、エンジンもDA型と同じ722ccでしたが、1950年(昭和25年)9月登場のDB-2型になると、シャシーを補強し、860cc・20馬力に排気量を拡大。さらに、…年代:1953

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オースチンA40 サマーセットサルーン

1952年(昭和27年)に日産自動車は、イギリス、オースチン社と技術提携を結びます。戦後はGHQにより乗用車生産が制限されていましたが、1949年(昭和24年)10月に乗用車生産が解禁され、国の日本の自動車産業をもり立てていこうという意図もありました。また、ダットサンは小型車であったため、ひとまわり大きい乗用車を生産する必要もありました。そして、1953年(昭和28年)4月からA40サマーセットサルーンのノックダウン生産を開始。オースチン社を提携相手に選んだ理由は、当時アメリカ市場で輸入車ナンバーワンだったからでした。4月4日に鶴見オースチン工場で1号車がオフライン、5月8日には都内で通産大…年代:1953

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プリンス セダン デラックス

日産自動車は1966年(昭和41年)にプリンス自動車工業と合併しますが、プリンス自動車工業の富士精密工業時代に発売されたのが、プリンスセダンデラックスです。1952年(昭和27年)3月に発表されました。明仁親王殿下の立太子礼にちなんで“プリンス”と命名され、その後“プリンス”は社名、ブランド名、そして自動車販売店(ディーラー)名として残っていきます。1954年(昭和29年)、東京日比谷で開かれた第1回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)で当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)の目にとまります。記念車はその皇太子殿下がご愛用されたとても貴重な車両です。最高出力は45馬力、最大トルクは10…年代:1954

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ダットサン セダン

ダットサンセダン(110型)は、日産自動車が戦後初めての新設計を行い、1955年(昭和30年)1月に発表した4人乗り乗用車です。搭載エンジンは、サイドバルブ式という動弁機構をもった、直列4気筒・860ccのD10型で最高出力は24馬力。これにフロアシフトタイプの4速トランスミッションを組み合わせ、最高速度は85km/hでした。ボディサイズは、全長3860×全幅1466×全高1540mmですが、車体幅は現在の軽自動車とほぼ同一値です。外装はすべてのボディパネルをプレス成形することで、これまでにないモダンなものとなり、同年11月に実施されたマイナーチェンジで型式を112型としたモデルでは、ハーモ…年代:1956

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スカイライン デラックス

日本のモータリゼーションの成長とともに歩み、後にモータースポーツの世界でも数々の栄光を勝ち取った、名車スカイラインの初代モデルは、100円硬貨が生まれた1957年(昭和32年)の4月に登場しました。このモデルは、プリンスセダンの後継車として開発され、いまでいうプレミアムカーのジャンルに属します。また、東京・日比谷の宝塚劇場で、これまでにない盛大な発表会を催して、お披露目されたことも大きな話題になりました。フロントグリルやボディサイドにメッキを多用するなどして、存在感の高いデザインとしたボディに搭載されるGA30型エンジンは、直列4気筒OHVの1484ccで最高出力は60馬力。最高速度は当時の…年代:1957

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ダットサン 富士号

好評を博したダットサン(110型系)の後継車として、1957年(昭和32年)11月に登場したダットサン(210型)は、日産初のOHVという動弁機構を採用した直列4気筒988cc、34馬力の新エンジンを搭載。海外への輸出も意識して、フロントウインドウにカーブしたガラスを採用して、外国の高速走行にも対応させるなどしていました。その性能を広くアピールするために、1958年(昭和33年)8月20日-9月7日に開催された、オーストラリア一周ラリー「モービルガス・トライアル」に、2台の210型が挑みました。日産自動車は、このラリーが国際競技への初挑戦でしたが、この富士号は、19日間/1万6000kmを…年代:1958

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ダットサン 桜号

1958年(昭和33年)に行われたオーストラリア一周ラリー。富士号とともに、出場したもう1台の210型がダットサン桜号です。こちらも国際ラリーに初挑戦ながらAクラス4位に入賞。富士号とともに、海外へダットサンの名を知らしめるきかっけをつくり、その躍進ぶりはアメリカへもとどろき、同年3月には210型の北米への輸出が開始されます。大型車が主流の国で小さなダットサンが大きな注目を集めると同時に、対米進出の基礎をつくりあげました。ちなみに、2台が出走した豪州ラリーは、広大なオーストラリア大陸を右まわりに一周するもので、設定されたコース長1万6000kmは、当時の世界最長でした。しかし、あまりにも過…年代:1958

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ダットサン1000デラックス

走る実験室といえるオーストラリア一周ラリーで、大活躍を果たしたダットサン(210型)はその経験を活かし、またアメリカ市場でのニーズにも応えるべく、カラーテレビが登場した1958年(昭和33年)の10月にマイナーチェンジを実施して211型へと進化を遂げました。外観上はフロントグリルのデザインやウィンカーランプの形状、サイドモールの延長、リヤウインドウの面積拡大などが210型との主な相違点になります。また、211型では「世界水準をゆく乗用車」と、当時のカタログにも記されているように、走行性能を大幅に向上させているのも特徴的で、カーブでの走行安定性をアップさせるフロントスタビライザーの採用や、ステ…年代:1959

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ダットサン1000デラックス

日産自動車の海外ラリー初優勝をもたらし、世界の日産へとはばたくきっかけをもたらしたダットサン1000(210型)。そのモデルに改良を加えられたのがダットサン1000の211型です。駆動系の強化やドアロックの改良なども施され、経済的で安定した走行性能をもつ、信頼性の高い乗用車として多くの方に愛され、開業医などが往診されるときのお伴として選ばれることでも評判になりました。また、このクルマは後に誕生するブルーバードの基礎となり、そのプラットフォーム(車体)を使用して、ダットサンS211型という日本初の本格的オープン型スポーツカー(現在のフェアレディZの実質的なルーツ)も生まれました。年代:1959

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オースチンA50 ケンブリッジサルーン

戦後、乗用車の生産が全面的に解除されたのは1949年(昭和24年)10月でした。時間的にはわずか4年の中断とはいえ、日本の自動車産業にとっては大きな痛手となりました。そこで、政府は将来を見据えて海外メーカーとの技術提携を結び、生産や設備に関する技術やノウハウを吸収することを奨励しました。日産自動車では1952年(昭和27年)に、当時アメリカの輸入車市場でナンバーワンであった、英国のオースチン社と提携しました。その内容は、年間2000台分のオースチン社の乗用車部品を輸入して、日産の工場で組み立てることから始まり、徐々にその部品を国産化するというものです。翌年から日産の鶴見工場(神奈川県)で、…年代:1959

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オースチンA50 ケンブリッジサルーン

英国のオースチン社との技術提携によって、日産自動車が生産したオースチンA50ケンブリッジサルーンです。当初は5人乗りのセダンでしたが、1957年(昭和32年)7月発売のモデルから定員が6名となり、1H型と呼ばれる直列4気筒1489cc、動弁機構をOHVとしたエンジンの最高出力は57馬力に向上しました。乗り心地や後方視界に関する改良も施されています。この6年あまりにおよぶ経験は、ダットサン(210型系)や、後に誕生する高級乗用車セドリックにも反映されることになりました。なお本車両は、高松宮様ご自身が実際に運転をされていたものです。年代:1959

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スカイウェイ

スカイラインは、高性能セダンとクーペ。というイメージがすっかり定着していますが、過去のモデルにおいては、ステーションワゴンやハッチバックといった、たくさんの荷物が積めるモデルも存在していました。1959年(昭和34年)に誕生したスカイウェイは、初代スカイラインの高級コマーシャルカー(商用車)としてラインアップされていたモデルです。直列4気筒1484cc・OHVを採用したGA4型エンジン(のちに60馬力から70馬力にアップ)、ダブルウィッシュボーン式のフロントサスペンションなど、基本的なメカニズムはセダンと同一ですが、荷物積載を考慮してリヤサスペンションは、半楕円のリーフスプリング式に変更され…年代:1960

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ブルーバード 1200デラックス

ラリーで鍛えられ、海外へも輸出されたダットサン(210型系)の後継車として、1959年(昭和34年)8月にダットサン310型が誕生しました。このクルマから初めておなじみの「ブルーバード」という愛称がつけられます。このモデルは、1960年製(昭和35年)のE1型1189ccエンジン(55馬力)を搭載。車体の横には、たくさんの文字が記されています。皇太子様と美智子様のご成婚を記念して1963年(昭和38年)に建設中だった、「こどもの国(神奈川県)」に全国の花を届けるという、朝日新聞社と46都道府県主催のイベントのため、親善大使「フラワーカー」として起用されたためです。当時は国道といえども未舗装…年代:1960

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ブルーバード 1200デラックス

メーテルリンクの童話「青い鳥」にちなんで名前をさずかった、初代ブルーバードは、マイカー時代に「幸せを運ぶ青い鳥」というキャッチコピーとともにデビュー。1959年(昭和34年)8月の誕生当初は4人乗りでしたが、その2か月後に後席の幅を拡大して、国産小型乗用車初の5人乗りセダンとなりました。エンジンは1000cc・38馬力と、1200cc・43馬力を搭載していましたが、翌年10月にマイナーチェンジ。型式名が311型となると同時に、それぞれ45馬力と55馬力にパワーアップしました。また、前身であるダットサン1000よりも、ひとまわり大きいボディサイズながら、全体で30kgもの軽量化実現。1961…年代:1961

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ブルーバード 1200デラックス

ダットサン310型は、は、1959年(昭和34年)8月に排気量を意味する1000・1200シリーズとして登場しました。当時としてはまだ珍しい独立懸架サスペンションをフロントサスペンションに採用することで、快適な乗り心地を実現。凝ったメカニズムとパワフルなエンジン、広い車内空間など、小型車のお手本的存在として注目を集めました。1960年(昭和34年)10月に登場したダットサン311型は、エンジンパワーがアップし、1000は、38馬力から45馬力に、1200は43馬力から55馬力に向上しています。1200の最高速度120km/hは、当時の国産小型車の中では最速を誇りました。発売後1か月で8000…年代:1961

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セドリック カスタム

日産自動車と英国オースチンとの技術提携は、1952年(昭和27年)にオースチンA40サマーセットサルーンのノックダウン生産から始まりました。その過程で習得した生産技術を活かして開発されたのが初代セドリック(30型)です。1960年(昭和35年)にオースチンとの技術提携が終了するのを受けて、期待の中型車として1960年(昭和35年)4月に1500ccがデビュー。エクステリアで目を惹くのは、縦型の4灯式を備えたフロントマスクで、重厚感も感じさせるモダンなフォルムが人気を集めました。搭載エンジンは、直列4気筒OHVの1883ccで、88馬力と日産自動車の新世代サルーンにふさわしい動力性能を備えて…年代:1961

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スカイライン スポーツ

1962年(昭和37年)4月に登場したスカイラインスポーツは、ひと目見て従来のセダンとは一線を画す流麗なフォルム、特徴的なフロントマスクを備えていました。デザインはイタリアの著名デザイナー、ジョバンニ・ミケロッティが手がけたもので、デザイン先進国のイタリアでは市販前にショーデビューを果たします。1960年のトリノ国際自動車ショーで話題になるなど、発売前から期待を集めて登場します。この流麗なボディは、イタリアから職人を招聘し、技術提携をしながら手作業でのボディ制作という凝ったものでした。エンジンとシャシーはグロリア用を流用。1862ccの直列4気筒は94馬力を発生。価格はクーペ185万円、…年代:1962

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ブルーバード 1200デラックス

1959年(昭和34年)の発表会で12万人もの人出を集めた初代ブルーバード(310型)は、翌年3月には累計2万台を出荷、対米輸出も始まりました。そして、翌1960年(昭和35年)10月にトランスミッションをフルシンクロに進化させた311型が登場。そして1961年9月にはテールランプを大型化した312型がデビューしました。このブルーバード1200デラックス(312型)は、初代ブルーバードですが、2度のマイナーチェンジを受け、フロントグリル、フロントライトの意匠を丸型に変更するなど、イメージを一新しています。インテリアではメーターパネルのデザインを変更、トランクの開閉がキー操作で可能になり、…年代:1962

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フェアレディ1500

1961年(昭和36年)秋に開催された東京モーターショーで、話題をさらったのが、SP310と呼ばれたフェアレディ1500です。ダットサン310型(初代ブルーバード)のシャシーとセドリックのエンジンをベースにしたものですが、スポーツカーらしいフォルムをまとっています。エンジンはもちろん1500cc(1488cc)で、最高出力は71馬力、最大トルクは11.5kg-mを誇りました。海外にも輸出されたフェアレディ1500は、ツインキャブレターを採用することで80馬力にまでパワーアップされていました。この記念車は、日本の近代モータースポーツの幕開けとなった「第1回日本GPレース」(1963年・鈴鹿)の…年代:1962

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グロリア スーパー6

1962年(昭和37年)にデビューした初代グロリア(BLSIP型)は、スカイラインとボディを共用していました。初代グロリアは早くも翌年9月にフルモデルチェンジを受け、2代目(S40型)に移行します。そして、翌1963年(昭和38年)には、国産初のOHCエンジンを搭載したスーパー6を追加。ネーミングどおり直列6気筒の「G7型」エンジンを搭載し、1988ccから100馬力オーバーとなる105馬力を発生。国産の量産車としては初となるSOHCを採用し、スポーティな走りが注目を浴びます。当然のごとく、モータースポーツでも活躍し、1964年(昭和39年)に行われた第2回日本GP(T-VIレース)で1位…年代:1964

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セドリック カスタム

1960年(昭和35年)デビューした初代セドリック(30型)は、日産自動車初となるモノコックボディを採用しました。エクステリアでは縦目4灯式ヘッドランプのデザインが特徴的でした。初代グロリアの登場と同じ1962年にマイナーチェンジを受けたこの31型は、H型・88馬力エンジンを搭載。中型車として必要十分なパワーを誇りました。外観で目を引くのは、30型よりも低く安定感のある横目4灯式ヘッドライトです。この横目4灯式は、後の高級車にも影響を与えた斬新なデザインで、話題を集めます。インテリアでは、ホイールベースが初代よりも60mm伸びて2690mmとなり、国産の中型車では最長クラスを誇り、高い評価を…年代:1964

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スカイライン 2000GT

1964年(昭和39年)に行われた、第2回日本グランプリに出場するために生まれたマシンです。レースでの勝利が販売につながると考えたプリンスは、スカイラインにグロリアに積まれていたG7型エンジンを搭載した2000GTを制作。レースでの活躍が拡販につながり、技術力の向上も果たすという考えは現在では珍しくありませんが、当時の日本では先進的な哲学といえます。1964年2月に市販され、日本GP出場のため、公認に必要な100台だけ生産されました。レース結果はポルシェ904の勝利でしたが、スカイライン2000GTは2~6位を独占。最高出力105馬力の1988cc、直列6気筒SOHCエンジンに、オーバードラ…年代:1964

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セドリック スペシャル

東京オリンピックを前後して、日本は高度経済成長を遂げます。まだ多くの人にとって自動車は憧れの対象でしたが、モータリゼーションが着実に高まりつつあったのが、1960年代です。そんな時期に登場したのがセドリックです。このスペシャルは、1962年(昭和37年)にリリースされた国産初の本格的な大型乗用車です。デビュー前の第9回全日本自動車ショーで話題を集めました。2825ccの直列6気筒OHVエンジン(K型)は115馬力で、大型乗用車にふさわしい動力性能を誇りました。ボディも堂々たるサイズで、とくにホイールベースの2835mmは、メルセデス・ベンツ220Sと同クラスで広々した車内空間を確保。本車両…年代:1964

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ダットサン トラック1200デラックス

ダットサントラックは、ブルーバードのモデルチェンジのタイミングに合わせて新しくなってきました。戦後の日本経済を陰で支えた立役者であるだけでなく、アメリカにも輸出され人気を博します。1961年(昭和36年)8月にリリースされたダットサントラック1200(320型)は、ブルーバード風のフロントマスクと広い室内が特徴です。その名のとおり、1200ccエンジンを搭載し、トラックでありながら、トーションバー式の独立懸架サスペンションを採用。走行性能、とくに乗り心地が向上しました。居住性、積載性に優れるロングボディも登場しました。1963年(昭和38年)に410型に、1965年(昭和40年)5月のフルモ…年代:1964

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キャブライト 1150

1964年(昭和39年)3月に3代目にフルモデルチェンジしたキャブライトは、1064ccから1136ccに排気量をアップするなどして商品力を向上させていました。この記念車は、1966年にマイナーチェンジを受けた同じ3代目のA221型です。キャブライトは1958年(昭和33年)の初代登場以来、車名どおりの小型商用車としてダットサントラックとともに親しまれました。1961年(昭和36年)には2代目のA120型になり、3代目まで続きました。なお、1968年(昭和43年)に、キャブスターという車名に変更されることになります。年代:1966

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ブルーバード 1300SS

1963年(昭和38年)9月に登場した2代目ブルーバード(410型)に、翌年3月スポーツモデルの1200SS(スポーツ・セダン)が追加されます。ブルーバードといえば、SSやSSSというスポーツセダンを思い浮かべる方も多いと思いますが、1200SSがブルーバード最初のスポーツモデルです。1200ccにツインキャブレターを搭載したE型エンジンは65馬力と必要十分なパワーでしたが、1964年(昭和39年)には2ドアを追加、翌年5月に411型に移行。そして、J型エンジン搭載の1300SSに変わります。最高速は1200SSの120km/hから140km/hにアップするなど、動力性能を向上させています。…年代:1966

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