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雅楽で主旋律を奏でる楽器。18cmの小さな外見からは想像できないほど、その音量は豊かで大きい。この楽器は、付属資料によると、天保年間、綾小路有長(1792~1873)の作であるといわれている。綾小路家は、代々、雅楽歌いもの(神楽歌、朗詠、新年恒例の歌会始めなど)の師範を継承している家系として知られ、有長は孝明天皇の歌いものの師範であった。螺鈿で竹の図柄と文字をあしらった黒檀製の上品な管箱からは、その高貴な出自が窺われる。年代:1830~43年頃(天保年間)
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雅楽で用いられる琵琶のことで、平家琵琶や、盲僧琵琶など他種の琵琶と区別する意味で楽琵琶(雅楽琵琶)と呼ばれている。区別の必要がない場合には、単に琵琶という。また、楽器の寸法が三尺五寸であったことから、別称を「三五」ともいう。その歴史は大変古く、奈良時代直前に中国から伝来したと考えられているが、後に日本的な発展を遂げた琵琶楽(盲僧、平家、筑前、薩摩)の礎ともいえる存在である。尚、これは明和7年の作で、付属資料によると名古屋市中区正覚寺の寺宝であったといわれている。年代:1770年(明和7年)
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琵琶湖湖畔の近江八景(中国の洞庭湖畔の瀟湘八景になぞらえたもの)の景観が、箏側面に金蒔絵で描かれている大変華やかな飾り箏である。近年では、よい音色を求めて、装飾をあまり施さないシンプルな楽器を用いるが、歴史的には、箏が貴族や上流階級で愛用されていたこともあって、象牙や鼈甲、蝶貝などの象嵌、螺鈿などを贅沢に施した「飾り箏」が多く作られた。付属の柱には、一つずつすべて異なった絵柄の四季の風物が金銀赤の彩色で描かれている。年代:1915年(大正4年)
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胴四面それぞれに四季の草花が描かれている優美な三味線である。蒔絵は京都の蒔画師春翠によるもので、春の面には、すみれ・れんげ・土筆・杉菜・蕨・たんぽぽ、夏の面には、おもだか・葦・千鳥があり、秋の面には、すすき・桔梗・女郎花・萩・藤袴の秋の七草が描かれている。そして、胴下方の冬の面には南天、水仙、梅が描かれている。この楽器の棹と胴には「幸栄」という刻印が見られ、江戸時代から代々受け継がれる三味線作りの名匠、石村近江家の十二代目石村近江幸栄忠継(?~1874)の作品と推測される。
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伝統邦楽器の中で唯一の弓奏楽器である胡弓は、本体の2倍ほどの(123cm)もある長さの弓を用いるが、これほどの弓長の楽器は世界でも他に類をみない。また、本体を貫通する棹の末端(中子先)は、チェロのエンドピンのような役割をもち、これを膝に挟むか立てるかして支点にし、弓の角度は変えず、本体を僅かに回転させて各弦を奏する。胡弓には独奏曲もあるが、主に三味線、箏と演奏する三曲合奏の楽器として使われてきた。しかし、音量が弱いため、近年は胡弓に変えて尺八を利用することが多くなっているが、その哀愁を帯びた音色は、曲種によっては代えがたい楽器となっている。
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能楽や三味線音楽などで用いられる小鼓は、大鼓や締太鼓、横笛などと共に用いられることが多い。鼓胴の表面は、黒漆に華麗な蒔絵が描かれることが多く、この楽器には笙が描かれている。一般的に鼓胴の装飾は、立体的な高蒔絵や螺鈿などを避け、梨地や平蒔絵などが好まれる傾向があるが、これは演奏の際、手触りに違和感のないようにという配慮であると思われる。尚、付属の箱には八橋と菖蒲の図柄が施され、池に渡された橋には螺鈿が埋め込まれている江戸期の傑作である。年代:1800年頃(江戸中期)
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一枚の板に一本の弦を張っただけの簡素な琴である。音程を示す勘所は、千鳥などを模した螺鈿の装飾で表されている。在原行平が須磨の地に流された折、浜辺に流れ着いた木片から琴を作ったというエピソードが残されており、別名を「須磨琴」とも言うが、史実かどうかは疑わしいとされている。現在の一弦琴は、江戸時代に中国より伝えられたものと考えられ、弦数の多い十三弦箏よりも後に誕生しているという点は非常に興味深い。通常、弦数や音量の豊かさを求める結果、時代と共により複雑なものへと発展する楽器が多い中で、むしろ余分なものをそぎ落とし、必要なものだけを残すという精神は、俳句にも通じる日本人独特の感性であろう。
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打つと金属的な高い音がカーンと鳴ることから「カンカン石」とよばれる讃岐地方特産の石「サヌカイト」の音響的特性を活かし、前田仁氏の創意と工夫によって創り出された全く新しいタイプの楽器。サヌカイト原石を直径68mm程の円筒状に加工し、石筒底部から内周を5mm程の溝でくり抜いている石筒チャイムで、非常に長い余韻と、控えめに深く柔らかく響く倍音構成に特徴がある。このソウの澄んだ音色は、開演を知らせるホール・チャイムとして、学園内4つのコンサート・ホールで静かに響きわたっている。年代:1986年(昭和61年)
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1853年6月、フランス皇帝ナポレオン3世とウージェーニー妃との結婚に際し、イギリスのヴィクトリア女王が贈った祝品のピアノである。外形はナポレオン3世の叔父にあたる皇帝ナポレオン・ボナパルトの愛用した帽子を模し、全体に美しい木目の胡桃材の化粧板が張られ、脚部にはバラの花やいちじくの実が木彫りであしらわれている。当時のイギリスは、世界に君臨する大英帝国としてイギリスが最も輝いていた時代であり、フランスはパリの優雅な景観に代表されるフランス近代文化が開花した時代であった。このピアノは、そのような最盛期の両国間の贈品にふさわしい、高貴で重厚な品格を備えている。年代:1853年
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バロック時代、チェンバロはさまざまな音楽の場で使用され、その形も多様であった。その中で、主に16世紀から17世紀にかけて使われ、弦が鍵盤と平行に張られているチェンバロをヴァージナルと呼ぶ。特に1700年前後のイギリスでは、ヴァージナルという名称がチェンバロの総称で用いられ、ヴァージナル音楽が人々の間で流行した。「私は国家と結婚した」という有名な言葉を残し、生涯を独身で過ごしたエリザベス1世は、この楽器を愛用したといわれる。ヴァージナルという名称が、エリザベス1世の処女性にあやかるという逸話は、当時の人々のこの楽器への愛着の表れといえるのかもしれない。年代:1568年
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1800年頃からウィーンを中心に製作された縦型ピアノで、その形態に因んで「キリンピアノ」と呼ばれる。この楽器は、グランドピアノの構造をそのまま忠実に縦置きにしたことから、弦が鍵盤部分から上に位置する。そのため低弦側の高さが2mを超え、左右のバランスが悪く視覚的にも不安定であった。キリンピアノは次第に生産が減少し、のちのアップライトピアノへと発展していったが、平行弦のフレームが作り出す優美なハープの形態が、当時の上流階級の人々に好まれ、一時、サロン用楽器として愛用された。年代:1820年頃
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クラヴィコードは13~14世紀頃、音律研究用の発音具、モノコードに鍵盤を取り付けることで誕生した。この楽器は真鍮の棒(タンジェント)を取り付けた鍵盤を押し下げて、タンジェントを弦に触れさせることで発音する。そのため音量が著しく小さく、多くの人に聞かせるための楽器というよりは、静かな室内で家族や友人と数人で楽しむ楽器ということができる。クラヴィコードはドイツで家庭用楽器として広く愛用され、Jバッハも、息子のE.バッハも好んで演奏した。年代:18世紀
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このコンサート・グランドは、世界最高峰のピアノ・メーカー、スタインウェイの母体、シュタインヴェーグ社の後継会社によって作られた。開祖シュタインヴェーグはドイツからアメリカに移住し、社名を英語読みにスタインウェイと改めたが、当初、長男のテオドールはドイツで事業を引き継ぎグロトリアンと提携した。その後、テオドールもニューヨークに渡ると、グロトリアンはヘルフェリッヒ、及びシュルツと提携し会社を起こし、シュタインヴェーグの後継会社であることを明記した。このピアノは、その後継会社によりRシューマンの夫人で、高名なクララ・シューマンに献呈されたものである。年代:1871年
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テーブルに載せて演奏するこの小型ピアノは、簡素な突き上げ式アクションを備え、そのアクション全体を小さなレバーで奥にスライドさせることによって、半音高い調での演奏が可能になっている。また、正面のボタンの操作により、フェルトを弦に触れさせ、音色を変えることができる。18世紀頃、ドイツ語圏を中心にこのような小型のテーブルピアノが数多く製作され、「パンタロン」あるいは「パンタレオン」とも呼ばれた。年代:1770年頃
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1526年、ハンガリーを支配下に治めたオスマン・トルコは、破竹の勢いで隣国オーストリアに対峙し、その後トルコ軍は2世紀にわたりウィーンを包囲した。結局、オスマン・トルコのオーストリア征服は実現しなかったが、この戦いで、トルコ軍の新鋭部隊イェニチェリと、その軍楽隊「メヘテルハーネ」の名はヨーロッパ全土に知れ渡った。そして18世紀になると、勇壮なトルコ風趣味の音楽がヨーロッパで流行し、イェニチェリの名に因んで「ヤニチャーレン・ムジーク」と呼ばれた。写真のピアノは、この音楽の演奏をより際立たせるように、ベルなどの効果音を鳴らす特殊なペダルを備えている。年代:1800年頃
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19世紀、フランスのピアノ製作の双璧はエラール社とプレイエル社であり、独創的な発明により開発を進めたエラールに対し、プレイエルは広く有名なピアニストの意見を取り入れての製作に特色があった。1830年以来、プレイエル・ホールは数多くの音楽家の楽壇デビューの登竜門として重責を果たしてきた。ショパンもその一人で、パリ楽壇に登場以来、生涯を通じてプレイエル・ピアノで作曲し演奏した。年代:1866年
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紙ロールによる自動演奏ピアノは19世紀後半に考案され、往年の名演奏家のピアノ演奏を再現できる装置として、欧米で流行した。特に1910年から1930年にかけてさまざまなタイプのものが製作され、テンポや強弱の変化をすべて自動で行うリプロデューシング・ピアノや、曲想を手動で自由に表現できるプレイヤー・ピアノなどが作られた。写真の楽器は、ニューマチック・システムという、全ての動作をふいごの開閉により行うタイプで、ピアノに加え木琴と「ハープ」と呼ばれる金属片が弦を叩く機能がついている。
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ピアノやオルガンの鍵盤は、12平均律における幹音(白鍵)と派生音(黒鍵)を視覚的・感覚的に直観できる点で、ヨーロッパ人が開発した楽器システムの中でも、最も理想的なもののひとつといえよう。しかし、ハンガリーのヤンコは、1882年に新型の鍵盤を考案し、この鍵盤システムにあえて改良を試みた。この鍵盤は6列で構成され、横の列は全音に、斜めの列は半音に配列されている。その結果、奏者はどの調へも同じ指使いで移調ができ、常に自然な手の形を維持できる。しかし、演奏のためには新たな演奏技術の習得が必要なことから普及には至らなかった。年代:1887年
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17~18世紀に好まれた、「愛のヴィオラ」という名の弓奏楽器。ヴァイオリンと同様の構えで演奏される。当時のヨーロッパでは、東方貿易の降盛と共に、東洋文化への関心が高まった。この楽器に見られる様々な特徴、すなわち伝統的なヴィオールの形態とインドの楽器に多用される共鳴弦の使用、中世から愛の象徴とされる盲目の天使の彫刻とイスラムのシンボルである炎の剣型の響孔、それらはまさに西洋と東洋の融合であり、往時のオリエンタリスム(東方への憧憬)を垣間見ることができる。なおこの楽器は本学楽器博物館所蔵第一号。
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アラベスク模様や幾何学的模様の象嵌が施された優美なバロック・ギター。弦は当初5コース10弦であったものが、後年6コース6弦に改造されている。初期のギターは複弦の使用が一般的であったが、その後開発された巻線の使用によって、豊かな音量がもたらされ、もはやオクターヴ重複により上音を補強する複弦の必要はなくなった。年代:1643年
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その起源は大古の狩の弓とまで言われるハープだが、華麗なグリッサンドが演奏できるようになったのは近年のことで、1811年、セバスチャン・エラールの2段階の半音変化を可能とする装置(ダブルアクション・システム)の考案以後のことである。太陽神アポロ、ダビデ王等古代から親しまれてきたハープだが、19世紀になって貴婦人達の間でも広く嗜(たしな)まれるようになり、写真の楽器からも窺うことができる典雅な装飾と美しい音色は、サロンに潤いと彩を添えたことだろう。年代:19世紀後半
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「船乗りのラッパ」という名称のこの楽器は、中世後期から18世紀にかけて使用された、西ヨーロッパで最も古い弓奏弦楽器のひとつ。奏者は床に立て、糸巻部分のすぐ下を弓奏し、左手親指で弦の勘所を軽く触れることにより、自然ハーモニックスを演奏する。これがナチュラルトランペットの倍音列を彷彿させることから、この名がつけられたと言われる。年代:(左)19世紀中頃(右)18世紀
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2本のソプラニーノ・リコーダー、及びそれぞれ3本の替管をもつフラウト・トラヴェルソとバロック・オーボエのセット。二人の名工によるこれらの楽器は黄楊材で、ジョイント部分や吹口は象牙で作られ、見事な装飾を施された革張りのケースに収められている。18世紀頃の音楽を愛好した上流社会の人々の間では、木管楽器セットで所有することが流行した。金箔などで贅(ぜい)をこらしたケースからは、この楽器を所有した人の華やかな暮らし振りが偲ばれ、興味深い。年代:1775年頃
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19世紀初頭、ヴァルヴシステムの導入により、管楽器は飛躍的な進歩を遂げるが、同時に新しい楽器の開発も行われた。コルネットは1820年代のフランスで、ポストホルンにヴァルヴをつけることで誕生し、その明るく柔らかな音色が人々に好まれ、現代でもバンドなどで活躍している。さらにこのヴァルヴシステムは、単に管長を変え、音程を作るだけにとどまらず、管楽器に特殊な管を加え、音色の変化を狙う工夫にも応用された。写真下の楽器は、ヴァルヴ操作により、先細りの管からミュートをつけた音がでる仕組で、エコー効果を楽しむことができる。年代:1880年頃
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1925年にドイツのマルティンが考案したことから、マルティン・トロンペーテとも呼ばれる。吹口から吹き込まれた息は、ピストン操作により、調律されたリードを付け根にもつ各ラッパへ送られる。そのため二つ以上の管を同時に鳴らすことはできない。その荒く鋭い音色から、もっぱら屋外で様々な組み合わせのバンドにより演奏される。東欧では「共産党のシャルマイ楽団」として脚光を浴びたこともあったが、今日では、主に学校の野外バンドとして利用されている。年代:1966年
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その形態に因み、ヨーロッパ各国で「蛇(セルパン)」と呼ばれた低音域用吹奏楽器。全体を革で覆った木製で、2mを超える長さからこの形が考案された。16世紀のフランスに登場し、当初は教会で聖歌の伴奏に使われた。声によく融け込み、響きに深みと豊かさを与える楽器として好まれたが、19世紀に入り室内楽や軍楽などに幅広く用いられるようになると、狭い音域や不安定な音程などから、やがてテューバの台頭に席を譲った。年代:1810年頃
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名称のサウンはハープを、ガウは曲がっていることを意味するミャンマー(旧ビルマ)の伝統楽器で、ネックの先端にみられる菩提樹の葉を模した装飾や、共鳴胴に施された精緻な彫金にかつての華やかな宮廷の趣味を伺うことができる。安座した右膝の上に乗せ、左手で音高を変化させながら右手で絹の弦をはじく。独奏から合奏、歌の伴奏等、幅広い分野で用いられ、今日でも主要な楽器となっている。日本では竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」で、水島上等兵が「埴生の宿」を奏でた楽器としてよく知られている。
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アンデス地方の歌の伴奏に欠くことのできないチャランゴは、インディオがアルマジロ(ヨロイネズミ)の甲羅を共鳴胴に利用して作ったギター系の楽器で、キルキンチョ(ケチュア語でアルマジロの意)とも呼ばれる。民族楽器の多くが、身近な入手しやすい素材で作られるように、私達にとっては珍獣アルマジロも、アンデス地方では食用に飼育された、ありふれた動物であった。しかし近年、種の保存のためにアルマジロが保護獣になり、現在チャランゴは木製胴のものだけが製作されている。
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江戸時代に近江今津で嫁入用に用いられた箪笥で、都箪笥(京箪笥)と呼ばれる形態のものである。抽斗は桐で、他は樅。表面は朱に塗られ、小ぶりの角形の錠前に蛭手形の引手金具が取り付けられている。小抽斗裏に「嘉永四(1851)亥年夏吉日新調細工人森村糸屋清兵衛」の墨書がある。間口921×奥行410×高さ1058mm。
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18世紀中ごろから幕末まで江戸で流行した二つ重ね上開き式の衣裳箪笥。総桐製で、上台の観音扉に花菱の紋を線彫した丸い大きな鉄製錠前が取り付けられており、その内部には二杯の抽斗が設けられている。下台下段の抽斗は、綿入れなどの厚い衣類が収納できるように特に深くなっている。間口950×奥行420×高さ1040mm。
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福井県武生の上置き付きの車箪笥で、裏板に『明治五(1872)年七月新調武生町櫻千葉久平』の墨書がある。細身で赤味の強い木地呂塗りに角手形の引手など、武生の箪笥の特徴をよく表している。本体は角材で枠組みして板を嵌め込んだ框組造りで、抽斗の前板は欅で、抽斗内は桐、他は杉が用いられている。間口455×奥行385×高さ770mm。
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船箪笥の中でも半櫃(はんがい)と呼ばれる衣裳入れ。正面は欅の玉杢を用いた倹飩蓋で、内部は二段に仕切られている。上段は大抽斗、下段は三つ割りで、それぞれに欅の倹飩蓋が付き、奥に桐の箱が仕込まれている。江戸時代、佐渡小木で製作されたものと思われる。間口810×奥行441×高さ445mm。
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明治時代に大阪や京都など関西地方で広く用いられた帳箪笥。材料は抽斗が桐で、他は樅と杉が使われており、下部の引違い戸の召し合せ部分に小さな隠し抽斗が設けられている。また、底板裏に「大工三浦佐助六十才」の墨書がある。間口880×奥行405×高さ955mm。
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手紙、証文、印判、金銭、櫛、煙管など、貴重品から身の回りの小物などを納めた小ぶりの箪笥。総桐製で、山形県庄内地方(鶴岡)特有の塗りや金具が施されている。なお、抽斗に『明治三拾九(1906)年旧十二月買請代八円五拾銭阿部久次郎』の墨書がある。間口635×奥行355×高さ635mm。
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左右合わせて81個の抽斗を設けた開閉式の薬箪笥で、数多くの漢方薬を分別収納するとともに、運搬しやすくしたものである。抽斗の前板、側板、先板が桐で、他は杉。また、棚板だけで各々の抽斗に仕切りがない構造になっているが、これは日本の薬箪笥特有のものである。江戸時代。間口455×奥行385×高さ770mm。
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ヴィクトリアン・ロココ様式の肘掛椅子を模倣し、フレームを黒漆塗り金蒔絵で仕上げた和洋折衷の肘掛椅子。座枠裏に「明治二十一年(1888)四月製之洋家具商安田□□蒔画師熊沢半蔵」の朱書がある。なお、座は後年の張り替えである。間口630×奥行770×高さ1000(座高490)mm。
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型而工房の昭和11年(1936)ごろの作品。フレームは、2×5cmの伍平材(ごひらざい:輸出用建材として製材されたナラ材)を用い、堅牢な三角構造で組み立てられている。なお、この椅子は、型而工房のメンバーであった手塚敬三氏の寄贈資料である。間口420×奥行515×高さ850(座高405)mm。
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進駐軍兵士のカードゲーム用の椅子として、昭和21~24年にかけて生産された折り畳み椅子。アメリカ軍がもたらしたものを元に工芸指導所で設計され、全国の家具業社によって受注生産された。なお、この椅子は、茅ヶ崎製作所製である。ナラ材、合板。間口435×奥行510×高さ775(座高420)mm。
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1780~1820年ごろにイギリスで流行したウィンザーチェアで、背板にホィール(車輪)の透かし彫りがあることからこの名で呼ばれる。弓状に湾曲した背枠やカウホーン型(牛角型)と呼ばれる脚貫など、バランスよく成形されている。間口560×奥行595×高さ1015(座高440)mm。
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このロールトップデスク(巻き込み式の蓋の付いた机)は、病院の診察室で長年使用されていたものである。蓋は小幅の細長い木片を布地に張り付け、その両端を溝に沿わしている。なお、抽斗裏に「昭和四年(1929)拾弐月新調」の墨書がある。材はナラ、サクラ、欅、合板。間口1225×奥行790×高さ1177(甲板面高737)mm。
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1872年(明治5)に日本最初のガス事業が始まった横浜で、実際に使用された灯柱を移築したもの。設置当時のように、裸火のガスの炎が灯すことができるように再現されている。年代:1872年
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鹿鳴館で使われていた、ガスマントルを使用する室内ガス燈。1940年(昭和15)に建物解体の際、他のガス燈や電燈とともに譲り受けた。年代:1882年
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マントルは、1886年(明治19)にオーストリアのウェルスバッハが発明した、綿糸や人造絹糸で編んだ発光剤トリウム、セリウムを吸収させたもの。ガスの炎の上にかぶせて熱することで、ガス燈はガスの炎のあかりに対して青白く五倍明るい照明として利用できるようになった。日本では1896年(明治29)に初めて輸入され、1899年(明治32)には国産化もされた。年代:明治後期
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笠が付いた、金線の入る若草色のエナメル仕上げの下向ガス燈。種火を付けておき、左右のクサリを介してガスを開閉し、マントルを使用して灯すガス燈。1915年(大正4)の東京瓦斯電気工業(株)のカタログに掲載されている。年代:1915年
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天井へ配管設置されたガス燈より、照明としてガスを利用するだけでなく、調理などの熱源としても同時に出来るよう、ガス管が接続出来るガス燈。ガスの利用方法が明かりから熱源へと変化する過渡期に登場した製品。年代:明治30年代
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半孤の腕をもったマントルを使用する、大正時代から続くガス器具メーカーである二葉製作所による国産のガス燈。1935年に3円40銭で販売。年代:1935年
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戦後、昭和20年代の停電が多かった時期に、ガス供給の安定性が見直され、一時復活して販売されたガス燈。1956年に1,525円で販売。年代:1956年
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1912年(明治45)の東京ガス手彩器具カタログに掲載されており、1925年(大正14)から1927年(昭和2)のカタログにも掲載されていた。1927年(昭和2)建築の建物に設置されており、設置年、販売年とも確認できるガス燈である。価格:5円50銭。年代:1927年
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世界最初のガス会社で初代化学者を務めたフレデリック・アッカムによる、ガス事業創成期にまとめられた石炭ガス製造の技術書。石炭ガスの製造設備から供給、ガス器具、副産物、各種製品の価格まで、ガス事業全般について網羅されている。年代:1820年
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