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箔着せ道具・ナツメ

箔着せ(はくきせ)とは丸薬を朱や錫、銀、金などで包む(覆う)作業。湿気やカビ防止のためだけでなく、綺麗に見せる・効き目がよいと思わせる、というような効果をもたらした。箔着せに使う道具は丸薬の量によって違ったが、少量の時には茶道具のナツメを使った。ナツメに丸薬と必要量の染料を匙で入れ、蓋をして、振り混ぜて色付けをした。

情報所有館 : 中冨記念くすり博物館 


医業免許(平山宗山)

1874年(明治7)、『医制』の発布。この年より、医師・薬剤師の医療行為には、国家資格である免許が必要となる。こちらの『医師免許状』は医制が整った初年度発布の免許状で、平野宗山氏(福岡県筑後で江戸時代より続いている医家:平野家の二代目)のもの。平野宗山は、幕末、大阪や江戸の著名な医家のもとで修行していた記録が残っている。

情報所有館 : 中冨記念くすり博物館 


初期の化学天秤5号NR形

初期[昭和5年(1935)]の化学天秤では、試料を片側のさらに載せ、もう片側に微量分銅をピンセットで細心の注意を払いながら載せていきます。天秤がバランスすれば読み取りを行うのですが、その際には、数回にわたるさおの左右の揺れ幅を目盛板で確認し、振動法で静止点を算出していました。ひとつの試料の測定にはベテランの方でも何分もかかり、質量測定は経験がものを言う大変精密で手間のかかる作業でした。(引用:島津製作所サイト)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


直示天秤NL-200TPA形

昭和33年(1958)頃。ダイヤルを操作し、ダイヤルの数字と、投影目盛を読み取るだけで、質量を知ることができます。「測定時間はわずか1分以内」というのが当時のキャッチコピーで、今まで何分もかかっていた測定時間が一挙に約1/3以下に短縮できました。当時の購入価格は20万円(価格は化学天びんの約3倍)したので大学などでは専ら教授や助手が主体で使用し、一般の学生はなかなか触らせてもらえない超高級品でした。(引用:島津製作所サイト)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


大型漏斗

大型の漏斗(ろうと)は現在から50年以上前に化学分析に使用されていたものです。大きさの違いは、当時の分析の「感度」の差を反映したものと言えるでしょう。大型の漏斗のサイズ:直径48cm×63.5cm現在の漏斗のサイズ:直径6.5cm×11cm

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


機械式計算機(手廻し式計算機):アイディアル計算機

わが国では、明治34年(1901)に矢頭良一が国産第一号の”自動算盤”を製造販売するが、次に作製されたのがこの計算機である。この機械は大正7年(1918)にマーチャント計算機のコピーとして日本事務機製造株式会社で作製され、大正8年(1919)に日本橋の丸善で販売された。(引用:東京理科大学)当時の購入価格は240円。

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


機械式計算機(手廻し式計算機):タイガー計算機

大正12年(1923)に、ブルンスビガ計算機のコピーとして大本寅次郎が製作した計算機で、わが国では矢頭良一の”自動算盤”、丸善が販売した”アイディアル計算機に次ぐ、第3番目の実用計算機。(引用:東京理科大学)昭和15年(1940)頃(販売価格155円)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


機械式計算機(手廻し式計算機)

タイガー計算機昭和24年(1949)頃(販売価格28,400円)(引用:タイガー手廻計算機資料館サイト)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


機械式計算機(手廻し式計算機)

タイガー計算機昭和35年(1960)頃(販売価格35,000円)(引用:タイガー手廻計算機資料館サイト)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


機械式計算機(手廻し式計算機)

タイガー計算機昭和45年(1970)頃(販売価格35,000円)(引用:タイガー手廻計算機資料館サイト)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


化学天秤

(株)長計算器製伯所製

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


蚕体解剖模型

養蚕が盛んな当時、学生の教材として使用されていたもの(市販品)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


蚕蛾雄解剖模型

養蚕が盛んな当時、学生の教材として使用されていたもの(市販品)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


蚕蛾雌解剖模型

養蚕が盛んな当時、学生の教材として使用されていたもの(市販品)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


桑の雄花模型

養蚕が盛んな当時、学生の教材として使用されていたもの(市販品)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


桑の雌花模型

養蚕が盛んな当時、学生の教材として使用されていたもの(市販品)

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


木製農具:鋤(復元品)

柄長70cm、鋤先40×16.5cm

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


木製農具:平鍬(復元品)

柄長83cm、鍬先32×19.5cm

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


木製農具:ナスビ形股鍬(復元品)

柄長89cm、鍬先45×16.5cm

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


木製農具:六本備中鍬(復元品)

柄長83cm、鍬先25×27cm

情報所有館 : 宮崎大学農学部附属農業博物館 


笙 銘 節摺 日本

鳳凰が翼を立てて休んでいる姿に見立てて、鳳笙とも呼ばれる。中国で鳳凰は、龍とともに縁起のいい生き物として好まれ、楽器の形状や名称などにも、数多く取り入れられている。この楽器は、竹の節を削って滑らかにしてあるところから「節摺」の銘をもち、頭には塩見政誠による笹の葉の金蒔絵が全面に施されている。天王寺方楽人、太秦姓林家に代々伝わる名器であり、天明元年(1781)に林日向守太秦宿祢広猶によって書かれた付属資料によると、節摺の銘は後に伏見宮邦永親王(1676~1726)によって描かれたものであるとされている。年代:鎌倉時代

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


竜笛と高麗笛 銘 月見丸 日本

ともに雅楽で使われる横笛で、竜笛は一般的な雅楽曲である唐楽のほか、催馬楽・久米歌などで用いられる。高麗笛は、主に高麗楽で用いられ、竜笛よりも管の径は細くて短い。雅楽とともに大陸から輸入されたが、日本の湿潤な気候や四季に適合するために、管の外側を樺巻したり、内側を漆で塗るようになった。両者を同納できる合筒には、全体に竜や雲が描かれた金蒔絵が施されている。合筒の下絵は狩野栄川院典信、蒔絵は飯塚桃葉、金具は吉岡因幡介宗次によるものといわれている。年代:1770年頃(江戸中期)

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


篳篥 綾小路有長作 日本

雅楽で主旋律を奏でる楽器。18cmの小さな外見からは想像できないほど、その音量は豊かで大きい。この楽器は、付属資料によると、天保年間、綾小路有長(1792~1873)の作であるといわれている。綾小路家は、代々、雅楽歌いもの(神楽歌、朗詠、新年恒例の歌会始めなど)の師範を継承している家系として知られ、有長は孝明天皇の歌いものの師範であった。螺鈿で竹の図柄と文字をあしらった黒檀製の上品な管箱からは、その高貴な出自が窺われる。年代:1830~43年頃(天保年間)

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


楽琵琶 日本

雅楽で用いられる琵琶のことで、平家琵琶や、盲僧琵琶など他種の琵琶と区別する意味で楽琵琶(雅楽琵琶)と呼ばれている。区別の必要がない場合には、単に琵琶という。また、楽器の寸法が三尺五寸であったことから、別称を「三五」ともいう。その歴史は大変古く、奈良時代直前に中国から伝来したと考えられているが、後に日本的な発展を遂げた琵琶楽(盲僧、平家、筑前、薩摩)の礎ともいえる存在である。尚、これは明和7年の作で、付属資料によると名古屋市中区正覚寺の寺宝であったといわれている。年代:1770年(明和7年)

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箏 畑盛次作 日本

琵琶湖湖畔の近江八景(中国の洞庭湖畔の瀟湘八景になぞらえたもの)の景観が、箏側面に金蒔絵で描かれている大変華やかな飾り箏である。近年では、よい音色を求めて、装飾をあまり施さないシンプルな楽器を用いるが、歴史的には、箏が貴族や上流階級で愛用されていたこともあって、象牙や鼈甲、蝶貝などの象嵌、螺鈿などを贅沢に施した「飾り箏」が多く作られた。付属の柱には、一つずつすべて異なった絵柄の四季の風物が金銀赤の彩色で描かれている。年代:1915年(大正4年)

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三味線 銘 知豊歳 日本

胴四面それぞれに四季の草花が描かれている優美な三味線である。蒔絵は京都の蒔画師春翠によるもので、春の面には、すみれ・れんげ・土筆・杉菜・蕨・たんぽぽ、夏の面には、おもだか・葦・千鳥があり、秋の面には、すすき・桔梗・女郎花・萩・藤袴の秋の七草が描かれている。そして、胴下方の冬の面には南天、水仙、梅が描かれている。この楽器の棹と胴には「幸栄」という刻印が見られ、江戸時代から代々受け継がれる三味線作りの名匠、石村近江家の十二代目石村近江幸栄忠継(?~1874)の作品と推測される。

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胡弓 日本

伝統邦楽器の中で唯一の弓奏楽器である胡弓は、本体の2倍ほどの(123cm)もある長さの弓を用いるが、これほどの弓長の楽器は世界でも他に類をみない。また、本体を貫通する棹の末端(中子先)は、チェロのエンドピンのような役割をもち、これを膝に挟むか立てるかして支点にし、弓の角度は変えず、本体を僅かに回転させて各弦を奏する。胡弓には独奏曲もあるが、主に三味線、箏と演奏する三曲合奏の楽器として使われてきた。しかし、音量が弱いため、近年は胡弓に変えて尺八を利用することが多くなっているが、その哀愁を帯びた音色は、曲種によっては代えがたい楽器となっている。

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小鼓 日本

能楽や三味線音楽などで用いられる小鼓は、大鼓や締太鼓、横笛などと共に用いられることが多い。鼓胴の表面は、黒漆に華麗な蒔絵が描かれることが多く、この楽器には笙が描かれている。一般的に鼓胴の装飾は、立体的な高蒔絵や螺鈿などを避け、梨地や平蒔絵などが好まれる傾向があるが、これは演奏の際、手触りに違和感のないようにという配慮であると思われる。尚、付属の箱には八橋と菖蒲の図柄が施され、池に渡された橋には螺鈿が埋め込まれている江戸期の傑作である。年代:1800年頃(江戸中期)

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一弦琴 日本

一枚の板に一本の弦を張っただけの簡素な琴である。音程を示す勘所は、千鳥などを模した螺鈿の装飾で表されている。在原行平が須磨の地に流された折、浜辺に流れ着いた木片から琴を作ったというエピソードが残されており、別名を「須磨琴」とも言うが、史実かどうかは疑わしいとされている。現在の一弦琴は、江戸時代に中国より伝えられたものと考えられ、弦数の多い十三弦箏よりも後に誕生しているという点は非常に興味深い。通常、弦数や音量の豊かさを求める結果、時代と共により複雑なものへと発展する楽器が多い中で、むしろ余分なものをそぎ落とし、必要なものだけを残すという精神は、俳句にも通じる日本人独特の感性であろう。

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


ソウ(筒磬)前田仁作 日本

打つと金属的な高い音がカーンと鳴ることから「カンカン石」とよばれる讃岐地方特産の石「サヌカイト」の音響的特性を活かし、前田仁氏の創意と工夫によって創り出された全く新しいタイプの楽器。サヌカイト原石を直径68mm程の円筒状に加工し、石筒底部から内周を5mm程の溝でくり抜いている石筒チャイムで、非常に長い余韻と、控えめに深く柔らかく響く倍音構成に特徴がある。このソウの澄んだ音色は、開演を知らせるホール・チャイムとして、学園内4つのコンサート・ホールで静かに響きわたっている。年代:1986年(昭和61年)

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アップライトピアノ(ナポレオン帽子型) イギリス

1853年6月、フランス皇帝ナポレオン3世とウージェーニー妃との結婚に際し、イギリスのヴィクトリア女王が贈った祝品のピアノである。外形はナポレオン3世の叔父にあたる皇帝ナポレオン・ボナパルトの愛用した帽子を模し、全体に美しい木目の胡桃材の化粧板が張られ、脚部にはバラの花やいちじくの実が木彫りであしらわれている。当時のイギリスは、世界に君臨する大英帝国としてイギリスが最も輝いていた時代であり、フランスはパリの優雅な景観に代表されるフランス近代文化が開花した時代であった。このピアノは、そのような最盛期の両国間の贈品にふさわしい、高貴で重厚な品格を備えている。年代:1853年

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ヴァージナル アルベルトゥス作 イタリア

バロック時代、チェンバロはさまざまな音楽の場で使用され、その形も多様であった。その中で、主に16世紀から17世紀にかけて使われ、弦が鍵盤と平行に張られているチェンバロをヴァージナルと呼ぶ。特に1700年前後のイギリスでは、ヴァージナルという名称がチェンバロの総称で用いられ、ヴァージナル音楽が人々の間で流行した。「私は国家と結婚した」という有名な言葉を残し、生涯を独身で過ごしたエリザベス1世は、この楽器を愛用したといわれる。ヴァージナルという名称が、エリザベス1世の処女性にあやかるという逸話は、当時の人々のこの楽器への愛着の表れといえるのかもしれない。年代:1568年

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キリンピアノ ゾイフェルト作 オーストリア

1800年頃からウィーンを中心に製作された縦型ピアノで、その形態に因んで「キリンピアノ」と呼ばれる。この楽器は、グランドピアノの構造をそのまま忠実に縦置きにしたことから、弦が鍵盤部分から上に位置する。そのため低弦側の高さが2mを超え、左右のバランスが悪く視覚的にも不安定であった。キリンピアノは次第に生産が減少し、のちのアップライトピアノへと発展していったが、平行弦のフレームが作り出す優美なハープの形態が、当時の上流階級の人々に好まれ、一時、サロン用楽器として愛用された。年代:1820年頃

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クラヴィコード 南ヨーロッパ

クラヴィコードは13~14世紀頃、音律研究用の発音具、モノコードに鍵盤を取り付けることで誕生した。この楽器は真鍮の棒(タンジェント)を取り付けた鍵盤を押し下げて、タンジェントを弦に触れさせることで発音する。そのため音量が著しく小さく、多くの人に聞かせるための楽器というよりは、静かな室内で家族や友人と数人で楽しむ楽器ということができる。クラヴィコードはドイツで家庭用楽器として広く愛用され、Jバッハも、息子のE.バッハも好んで演奏した。年代:18世紀

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グランドピアノ グロトリアン・ヘルフェリッヒ・シュルツ社作 ドイツ

このコンサート・グランドは、世界最高峰のピアノ・メーカー、スタインウェイの母体、シュタインヴェーグ社の後継会社によって作られた。開祖シュタインヴェーグはドイツからアメリカに移住し、社名を英語読みにスタインウェイと改めたが、当初、長男のテオドールはドイツで事業を引き継ぎグロトリアンと提携した。その後、テオドールもニューヨークに渡ると、グロトリアンはヘルフェリッヒ、及びシュルツと提携し会社を起こし、シュタインヴェーグの後継会社であることを明記した。このピアノは、その後継会社によりRシューマンの夫人で、高名なクララ・シューマンに献呈されたものである。年代:1871年

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移調装置付スクエアピアノ シュマール作 ドイツ

テーブルに載せて演奏するこの小型ピアノは、簡素な突き上げ式アクションを備え、そのアクション全体を小さなレバーで奥にスライドさせることによって、半音高い調での演奏が可能になっている。また、正面のボタンの操作により、フェルトを弦に触れさせ、音色を変えることができる。18世紀頃、ドイツ語圏を中心にこのような小型のテーブルピアノが数多く製作され、「パンタロン」あるいは「パンタレオン」とも呼ばれた。年代:1770年頃

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フォルテピアノ マーティ作 ドイツ

1526年、ハンガリーを支配下に治めたオスマン・トルコは、破竹の勢いで隣国オーストリアに対峙し、その後トルコ軍は2世紀にわたりウィーンを包囲した。結局、オスマン・トルコのオーストリア征服は実現しなかったが、この戦いで、トルコ軍の新鋭部隊イェニチェリと、その軍楽隊「メヘテルハーネ」の名はヨーロッパ全土に知れ渡った。そして18世紀になると、勇壮なトルコ風趣味の音楽がヨーロッパで流行し、イェニチェリの名に因んで「ヤニチャーレン・ムジーク」と呼ばれた。写真のピアノは、この音楽の演奏をより際立たせるように、ベルなどの効果音を鳴らす特殊なペダルを備えている。年代:1800年頃

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


グランドピアノ プレイエル作  フランス

19世紀、フランスのピアノ製作の双璧はエラール社とプレイエル社であり、独創的な発明により開発を進めたエラールに対し、プレイエルは広く有名なピアニストの意見を取り入れての製作に特色があった。1830年以来、プレイエル・ホールは数多くの音楽家の楽壇デビューの登竜門として重責を果たしてきた。ショパンもその一人で、パリ楽壇に登場以来、生涯を通じてプレイエル・ピアノで作曲し演奏した。年代:1866年

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


アップライトピアノ(自動演奏装置付) ハーグ社作

紙ロールによる自動演奏ピアノは19世紀後半に考案され、往年の名演奏家のピアノ演奏を再現できる装置として、欧米で流行した。特に1910年から1930年にかけてさまざまなタイプのものが製作され、テンポや強弱の変化をすべて自動で行うリプロデューシング・ピアノや、曲想を手動で自由に表現できるプレイヤー・ピアノなどが作られた。写真の楽器は、ニューマチック・システムという、全ての動作をふいごの開閉により行うタイプで、ピアノに加え木琴と「ハープ」と呼ばれる金属片が弦を叩く機能がついている。

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ヤンコピアノ フランケ作 ドイツ

ピアノやオルガンの鍵盤は、12平均律における幹音(白鍵)と派生音(黒鍵)を視覚的・感覚的に直観できる点で、ヨーロッパ人が開発した楽器システムの中でも、最も理想的なもののひとつといえよう。しかし、ハンガリーのヤンコは、1882年に新型の鍵盤を考案し、この鍵盤システムにあえて改良を試みた。この鍵盤は6列で構成され、横の列は全音に、斜めの列は半音に配列されている。その結果、奏者はどの調へも同じ指使いで移調ができ、常に自然な手の形を維持できる。しかし、演奏のためには新たな演奏技術の習得が必要なことから普及には至らなかった。年代:1887年

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ヴィオラ・ダモーレ ヨーロッパ

17~18世紀に好まれた、「愛のヴィオラ」という名の弓奏楽器。ヴァイオリンと同様の構えで演奏される。当時のヨーロッパでは、東方貿易の降盛と共に、東洋文化への関心が高まった。この楽器に見られる様々な特徴、すなわち伝統的なヴィオールの形態とインドの楽器に多用される共鳴弦の使用、中世から愛の象徴とされる盲目の天使の彫刻とイスラムのシンボルである炎の剣型の響孔、それらはまさに西洋と東洋の融合であり、往時のオリエンタリスム(東方への憧憬)を垣間見ることができる。なおこの楽器は本学楽器博物館所蔵第一号。

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ギター イーヴ作 フランス

アラベスク模様や幾何学的模様の象嵌が施された優美なバロック・ギター。弦は当初5コース10弦であったものが、後年6コース6弦に改造されている。初期のギターは複弦の使用が一般的であったが、その後開発された巻線の使用によって、豊かな音量がもたらされ、もはやオクターヴ重複により上音を補強する複弦の必要はなくなった。年代:1643年

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ペダル・ハープ エラール社作 フランス

その起源は大古の狩の弓とまで言われるハープだが、華麗なグリッサンドが演奏できるようになったのは近年のことで、1811年、セバスチャン・エラールの2段階の半音変化を可能とする装置(ダブルアクション・システム)の考案以後のことである。太陽神アポロ、ダビデ王等古代から親しまれてきたハープだが、19世紀になって貴婦人達の間でも広く嗜(たしな)まれるようになり、写真の楽器からも窺うことができる典雅な装飾と美しい音色は、サロンに潤いと彩を添えたことだろう。年代:19世紀後半

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トロンバ・マリーナ フランス

「船乗りのラッパ」という名称のこの楽器は、中世後期から18世紀にかけて使用された、西ヨーロッパで最も古い弓奏弦楽器のひとつ。奏者は床に立て、糸巻部分のすぐ下を弓奏し、左手親指で弦の勘所を軽く触れることにより、自然ハーモニックスを演奏する。これがナチュラルトランペットの倍音列を彷彿させることから、この名がつけられたと言われる。年代:(左)19世紀中頃(右)18世紀

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木管楽器セット ベックハウト作 オランダ・パランカ作 イタリア

2本のソプラニーノ・リコーダー、及びそれぞれ3本の替管をもつフラウト・トラヴェルソとバロック・オーボエのセット。二人の名工によるこれらの楽器は黄楊材で、ジョイント部分や吹口は象牙で作られ、見事な装飾を施された革張りのケースに収められている。18世紀頃の音楽を愛好した上流社会の人々の間では、木管楽器セットで所有することが流行した。金箔などで贅(ぜい)をこらしたケースからは、この楽器を所有した人の華やかな暮らし振りが偲ばれ、興味深い。年代:1775年頃

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コルネット ハイアム作 イギリス

19世紀初頭、ヴァルヴシステムの導入により、管楽器は飛躍的な進歩を遂げるが、同時に新しい楽器の開発も行われた。コルネットは1820年代のフランスで、ポストホルンにヴァルヴをつけることで誕生し、その明るく柔らかな音色が人々に好まれ、現代でもバンドなどで活躍している。さらにこのヴァルヴシステムは、単に管長を変え、音程を作るだけにとどまらず、管楽器に特殊な管を加え、音色の変化を狙う工夫にも応用された。写真下の楽器は、ヴァルヴ操作により、先細りの管からミュートをつけた音がでる仕組で、エコー効果を楽しむことができる。年代:1880年頃

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シャルマイ VEBブラスファブリック製 ドイツ

1925年にドイツのマルティンが考案したことから、マルティン・トロンペーテとも呼ばれる。吹口から吹き込まれた息は、ピストン操作により、調律されたリードを付け根にもつ各ラッパへ送られる。そのため二つ以上の管を同時に鳴らすことはできない。その荒く鋭い音色から、もっぱら屋外で様々な組み合わせのバンドにより演奏される。東欧では「共産党のシャルマイ楽団」として脚光を浴びたこともあったが、今日では、主に学校の野外バンドとして利用されている。年代:1966年

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


セルパン キー作 イギリス

その形態に因み、ヨーロッパ各国で「蛇(セルパン)」と呼ばれた低音域用吹奏楽器。全体を革で覆った木製で、2mを超える長さからこの形が考案された。16世紀のフランスに登場し、当初は教会で聖歌の伴奏に使われた。声によく融け込み、響きに深みと豊かさを与える楽器として好まれたが、19世紀に入り室内楽や軍楽などに幅広く用いられるようになると、狭い音域や不安定な音程などから、やがてテューバの台頭に席を譲った。年代:1810年頃

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


サウン・ガウ ミャンマー

名称のサウンはハープを、ガウは曲がっていることを意味するミャンマー(旧ビルマ)の伝統楽器で、ネックの先端にみられる菩提樹の葉を模した装飾や、共鳴胴に施された精緻な彫金にかつての華やかな宮廷の趣味を伺うことができる。安座した右膝の上に乗せ、左手で音高を変化させながら右手で絹の弦をはじく。独奏から合奏、歌の伴奏等、幅広い分野で用いられ、今日でも主要な楽器となっている。日本では竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」で、水島上等兵が「埴生の宿」を奏でた楽器としてよく知られている。

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


チャランゴ 南アメリカ

アンデス地方の歌の伴奏に欠くことのできないチャランゴは、インディオがアルマジロ(ヨロイネズミ)の甲羅を共鳴胴に利用して作ったギター系の楽器で、キルキンチョ(ケチュア語でアルマジロの意)とも呼ばれる。民族楽器の多くが、身近な入手しやすい素材で作られるように、私達にとっては珍獣アルマジロも、アンデス地方では食用に飼育された、ありふれた動物であった。しかし近年、種の保存のためにアルマジロが保護獣になり、現在チャランゴは木製胴のものだけが製作されている。

情報所有館 : 武蔵野音楽大学楽器博物館 


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