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(KIMMONMETERWORKS10000KOKUPATENTWATERMETER)。推測式および実測式の水道メータ。株式会社金門製作所製。推測式とは、入口から流れ込んだ流体の衝撃で「はね車」(翼車)を回し、その回転を積算してはかる方式であり、実測式とは、一定の要請期の回転子が回転しながら積算する方式である。
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流動するガスの量をはかる機器として、1815年(文化12年)にイギリスで発明され、日本では、明治37年(1904年)から作られるようになった。現在、一般需要家用としては「膜式」が主流で、これは膜で仕切られた一対の計量室に、ガスが交互に流入・排出を繰り返し、それによる膜の動きをとらえて連続的に積算する実測型の機構になっている。検定は大正5年(1916年)から開始された。年代:大正14年
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流動するガスの量をはかる機器として、1815年(文化12年)にイギリスで発明され、日本では、明治37年(1904年)から作られるようになった。株式会社金門製作所製。年代:昭和9年
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ドイツ人アースマンの考案した湿度計。携帯に便利にできている。水の蒸発を利用して計るもので、ぜんまい仕掛けの通風装置によって金属製二重円筒で囲まれた球部(円筒状のガラス製水銀二重管温度計)のまわりに2.5m/s程度で通風する。同様なものに気象庁形通風乾湿球湿度計、振り回し式乾湿球湿度計などがあり、製造年月と製造者は不明だが、1958年5月気象業務法の規定により気象測定器名ガラス製温度計として検定を受けている。
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乳脂計は、牛乳、練乳の脂肪分を検査するもので、試薬を混ぜて、遠心分離器にかけ、分離した脂肪の重量パーセントを目盛りで読む。
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棹の中に内蔵された鉄棒の伸縮により重さを計る。(茶畑で茶葉を収穫量を計るため、携帯性を考えたもの。
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発売当時、テレビやラジオがない中で、「味の素」の宣伝方法はいろいろと工夫されました。地面(道)に石灰で印字したり、新聞広告を行なったりしていましたが、チンドン屋は、人々が注目する宣伝活動の一つでした。当時は社長が陣頭指揮に立ち、誰も知らない商品「味の素」を、お客様に一生懸命PRしたそうです。年代:1910
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明治40(1908)年、東京帝国大学(現在の東京大学)の池田菊苗博士は湯豆腐に使われている昆布のだしのうま味に注目し、その成分がグルタミン酸であることを発見しました。池田博士はそれまで知られていた4味(甘味、塩味、酸味、苦味)だけでは表せない、第5の基本味「うま味」を発見したのです。これに基づき、池田博士は「グルタミン酸塩を主要成分とせる調味料製造法」を発明、明治41(1909)年に出願し許可されました。この製造方法の確立は、日本10大発明の1つとして特許庁に認められています。今では世界中で「UMAMI」とよばれ、広く各国で利用されています。また近年では栄養生理学的有用性も確認されています年代:1908
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明治41年、化学者の池田菊苗博士は昆布に含まれているアミノ酸のひとつであるグルタミン酸の抽出に成功し、グルタミン酸が、おいしさを生む「うま味」の素であることを発見しました。今では知られるこの「うま味」は甘、酸、鹹(鹹は「かん」と読み、からい、しおからいの意味です)、苦、この4つの味と並ぶ基本味です。この写真は昆布から抽出に成功した第一号のグルタミン酸です。ビンのラベルは「具留多味酸」と当て字になっています。また池田博士はこれを「味精」と名づけましたが、薬品を連想させるなどの理由から、「味の素」と名づけられました。「味の素」の生産にあたっては、原料は昆布ではなく、小麦粉を使いました。年代:1908
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1909年発売から戦前までの「味の素」の保存品です。昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われてグラム制が採用されて以来、昭和13年までにおける包装種類は、小瓶(15g)、特小缶(50g)、小缶(100g)、中缶(200g)、大缶(400g)、特大缶(800g)、金色缶(1125g)、10銭瓶(6.5g)、食卓容器(35g)でした。なお、10銭瓶は、景品用や購買力の低い地方での需要創造など新規市場の開拓のために作られたものでした。年代:1909-1935
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昭和6年の食卓瓶です。昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われてグラム制が採用されて以来、昭和13年までにおける包装種類は、小瓶(15g)、特小缶(50g)、小缶(100g)、中缶(200g)、大缶(400g)、特大缶(800g)、金色缶(1125g)、10銭瓶(6.5g)、食卓容器(35g)でした。年代:1931
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道明寺甕は、初期の「味の素」の製造に使われていました。愛知県常滑町で作られている常滑焼で塩酸に強く、明治末頃に「味の素」が小麦蛋白の分解により製造する際、使用していました。高さ約85センチ、開口部の直径70センチで、土中に埋め込む形で使われていました。現在では、「味の素」はさとうきびの糖蜜を原料に、発酵法により最新の技術と設備でつくられており、うま味調味料の代表的な商品となっています。年代:1909
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発売当時の看板で明治期のものです。横長のものは研虎商店から寄贈されたもので、特約店三好寅吉と入っています。文明的調味料の「文明」とは、当時は西洋文化を指したとのことです。発売当時、「味の素」の宣伝方法は、チンドン屋や新聞広告、パンフレットに看板とたくさんあったそうで、これはその中のひとつでした。「味の素」の名は明治42年11月8日に特許局に出願され、12月24日に商標登録されました。池田博士は当初「味の素」のことを「味精」と名付けていましたが、「味精」では薬品を連想してしまうということから、創業者鈴木三郎助の家族会議でネーミングが考えられ、最終的に「味の素」という名前になりました。年代:1910
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「お椀マーク」の看板は昭和10年頃の最初の軒吊りホーロー看板です。「お椀マーク」は明治42年の商標登録以来、現在でも使われているお馴染みのものです。お椀型のほか短冊型柱掛け、横書き、五色看板、矢入り吊り看板など多種類ありました。中でも好評だったのは短冊型町名番地入りの看板だったということです。鈴木商店(のちの味の素社)は大正11年に、特約店から小売店まで全国すべての取扱店に「味の素」の看板を掲げるとの方針を立て、サイドカーに乗って全国くまなく巡回して看板を設置して回ったということです。この看板は昭和期のものです。年代:1930
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「エスサン」は鈴木商店のS(エス)と社長・三郎助の三(サン)からとった登録商標です。でん粉は「味の素」の副生品であり、原料の小麦粉をたんぱく質(麩質)とでん粉に分解する最初の粗製工程で取り出されます。綿布など織布の糊付け用として大正初年から主に紡績業界向けに販売していました。
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「味の素」美人画は当時至るところに、宣伝素材としてロゴマークのように使われていました。これはハガキとして印刷されたもの2点で、浮世絵風のデザインのもので4色刷です。
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明治42年5月26日付東京朝日新聞掲載の発売広告第1号で、4段20行でした。文案、意匠はすべて初代社長の鈴木三郎助が考えました。「理想的調味料」、「食料界の大革新」という白抜きの縦2本の見出しに「理学博士池田菊苗先生発明」という横見出しを立てたもので、美人印の登録商標をカットに使って、「味の素」の性質や特徴を説明していました。2009年5月20日で味の素社は創業100周年を迎えましたが、その日の朝日新聞の天声人語で100年前の東京朝日新聞で「味の素」の広告第一号が出稿されたことに触れ、日本人の偉大な「うま味」の発見が称えられました。年代:1909
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昭和3年5月5日付東京日日新聞の広告です。「うまい物が力をつける」「値を聞いてかみしめる」「たよりをそへて味の素」などのコメントが書かれており、当時の庶民生活が生き生きとマンガに描かれていて楽しい広告になっています。池田某画伯作となっています。年代:1928
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商品の外観をストレートに打ち出した大正期のポスターです。女性が割烹着を着ている図柄は、「美人印」といわれる「味の素」の登録商標(明治41年登録)で、新富町の芸者をモデルにしたと伝えられています。昭和48年まで使われていました。年代:1920
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このポスターは昭和25年頃の戦後第1号のポスターで、モデルは津島恵子さんでした。戦後の宣伝広告は「味の素」が輸出が始まったのに対応して、まず海外向 けの広告からスタートしました。国内向けの広告は昭和24年11月の家庭希望配給のとき有力一般誌と東京、大阪の業界紙に掲載されたのが戦後最初で、自由 販売になってからは全国の有力紙に月決めで出稿するようになりました。戦後新たに広告媒体として登場したものに電波がありました。昭和26年9月に民間放 送が開始されたのを機に「味の素」もこの時から番組を提供するようになっていきました。 年代:1950
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昭和10年の贈答用化粧箱入り新製品のお中元用販売促進用ポスターです。明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充され、昭 和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われ商品も充実してきました。明治42年の発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、 各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。 年代:1935
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味の素テーマソング「赤い小箱」収録SPレコード(25cm)です。作詞は藤浦洸氏、作曲は馬渡誠一氏、唄は中村メイコとダークダックスで、演奏はブルーコーツです。表裏両面に味の素のタイトルが印刷されています。 年代:1960頃
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電車(主に京都などの市街電車)の欄間(天井と窓の間)に掲げられた広告です。「味の素」の発売から間もない明治末ごろから大正時代にかけて盛んに利用され ました。新聞広告が白黒のモノトーンであるのに対し、欄間広告はカラー印刷で、淡い水彩画風の色使いを中心に季節感、高級感を打ち出そうとしているのが特 徴的です。 年代:1910-1930
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大正時代と昭和時代の味の素の定価表です。大正時代のものは、赤いおわんの色鮮やかなポスター仕様になっています。 大正時代は、かけそば一杯8~10銭の時に、「味の素」の一番小さい小瓶が38銭 、昭和時代(戦前)は、かけそば一杯15銭の時に、「味の素」の一番小さい小缶が1円でした。戦前まで「味の素」はとても高価な調味料でした。 年代:19201938
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「味の素」を発売した当初は、「味の素」のことを誰も知りません。そこで、どうやって使うかを理解してもらうため、料理教室を実施したり、消費者向けの料理本を数多く配布し、「味の素」の普及活動に努めました。 年代:1910-1938
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大正11年(1922)1月から、鈴木商店が始めたものに「開函券制度」がありました。その目的は、「味の素」の流通経路を全国的に正確に把握しようという ものでした。その方法は「味の素」の瓶入、缶入各種の木箱の表面に、当該年度の初めから順を追った番号を刷り込み、同じ番号を印刷したハガキの開函通知票 (券)を木箱の中に入れておくというもので、小売店が、用紙に記入し本舗宛てに返送するというものです。本舗では台帳に記入し、引換えに抽選券を送り、一 定の時期に抽選を行い相当額の報奨金を出すというものでした。その時の抽籤券と開函券のハガキです。 年代:1922
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宮内省出入りの門鑑は木製手形で、昭和初期の通行許可制度でした。初めて皇族の工場視察があったのは大正15年(1926)5月13日で、昭和2年 (1927)4月11日に「味の素」は宮内省のお買上品に指定されました。このことにより、元旦、紀元節(建国記念日)、天長節(天皇誕生日)の年3回、 「味の素」を上納することになりました。 年代:1927
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「味の素」が世に出てから10年ほど経ち、世間での認知度も高まると、「味の王」「食の元」「味の都」「味乃素」「味の光」「味の力」などと銘打った類似品、 模倣品が出回りはじめ、大正15年には35銘柄を数えたといいます。当時、味の素は大正12年に特許権の期限切れの問題を抱えていましたが、6年間の期間 延長許可を得るのと並行して、これらの類似品メーカーを特許権侵害で訴え、開発者としての権利の保全と確立に努めました。その当時の調査書類です。なお、 昭和17年大審院で「味の素」の特許の有効性が確定しました。 年代:1925
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明治41年の池田博士の研究資料で大小の抽出物の瓶や研究ノートなどが展示されています。東京大学理学部所蔵のものです。池田博士は特許を取得する前年春 に、約10貫目(33kg)の昆布から浸出液を造り、「うま味」を分離しようとしましたが良い結果を得ることができませんでした。しかし明治41年に三宅 秀氏の「食物と消化」と題する講演記録を参考に実験した結果、短期間で「うま味」の分離に成功しました。 年代:1908-1925
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昭和25年から30年にかけて発売された「味の素」商品です。「味の素」と「ハイミー」の16種20点が展示されています。昔からの缶詰めや瓶詰めのほか に、当時新しく出たパック詰も展示されており、同封されている使用説明書1部も展示されています。昭和25年(1950)8月の自由販売再開当初の「味の 素」は、15g小瓶、50gボール缶、500g丸缶の3種でした。品種は増えて戦前なみになりましたが、販売の主力は家庭用小包装品でした。中でもヒット 商品は、昭和26年11月に発売された30g入りのふりかけ式食卓瓶でした。 年代:1950-1955
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当時の分解法によるグルタミン酸ソーダの製造技術では、「味の素」の約20倍の澱粉が副生され、主に紡績業界に販売していました。しかしながら、昭和に入り 澱粉販売が不振となり、昭和4年に販売したのが配合浮粉でした。浮粉とは小麦粉からつくられた純良な澱粉で、かまぼこのつなぎ材料として使用されますが、 純正な澱粉は高価格になるため、甘藷澱粉を加えた配合浮粉を「金玲浮粉」「銀玲浮粉」として従来の「エスサン浮粉」と合わせて3種類を販売しました。また 「味の素」の原料を小麦から脱脂大豆に転換するため、脱脂大豆を自給する宝製油株式会社を昭和10年に設立しました。その当時の澱粉のラベル2種類と食用 油のラベル1種類です。 年代:19291935
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ヨー ド製造時に、海草のかじめを粉にするときに使用していました。御影石で出来ていて、明治30年~明治40年頃に使用されていました。明治20年頃、大日本 製薬会社の技師をしていた村田氏は葉山の海岸に豊富にある「かじめ」に注目して、これを焼いてヨードを作ることを鈴木ナカ氏(「味の素」初代社長の母)に 薦めました。「かじめ」は1メートル半ほどの黄褐色の海草で、当時は肥料に使われるのがせいぜいでしたが、明治20年代からこれを焼いてヨードの原料(ケ ルプ)を製造することが普及していきました。 年代:1890頃
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当時特約店だった玉島町の柚ノ木商店のものです。当時、看板を利用した普及宣伝活動は積極的に行われていて、特約店から小売店まで全国すべての取扱店に「味 の素」の看板を掲げるとの方針を立て、サイドカーに乗って全国くまなく巡回して看板を設置して回ったということです。お椀型のほか短冊型柱掛け、横書き、 五色看板、矢入り釣り看板など多種類ありました。中でも好評だったのは短冊型町名番地入りの看板だったということです。
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昭和13年国家総動員法発令後、さまざまな生活関連物資の販売が制限されました。「味の素」(グルタミン酸ソーダ)は14年秋に割当制になり、16年夏には 切符制も始まりました。市の発行する購入券と引き換えに「味の素」を配給するもので、切符は15人に1枚の割合だったそうです。昭和15年、「味の素」は 奢侈品(ぜいたく品)に分類されたこともあって、原料調達が制限される一方、生産についても、輸出・移出を除く生産は中止し、アミノ酸醤油、肥料等の生産 を主とするよう勧告を受けました。この販売統制は戦後もしばらく維持され、自由販売に復したのは昭和25年でした。この看板には、「家庭配給 味の素荷捌 所」とあります。 年代:1939
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明治42年に「味の素」発売にあたり、「味の素」をそのまま売るのは包装費や広告費にコストがかかっている上、問屋や小売店の手数料が加わるので高く、原料 用には不向きであった為に作られたのが「醤素」でした。大口需要家の開拓を目的に、「醤油界の大福音」とするハガキを醤油醸造家あてに出しました。「理学 博士池田菊苗先生発明」や「専売特許14805号」という記述が入っています。 年代:1909
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販売店向けPR誌で、定期刊行雑誌「味」です。サイズ262×190mm、32ページ、1色刷りで、創刊号のみ表紙2色刷りになっています。こうした定期刊行のPR誌や宣伝パンフレットを発行し、「味の素」は戦前から広告・宣伝に力を入れてきました。戦争により発行できなくなっていたPR誌「味」も昭和34年11月に復刊されました。年代:1935
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「味の素」の初代社長は、新聞広告に力をいれていました。明治42年の発売当時「東京朝日新聞」だけ数えても1年間に13回、翌43年になると月3、4回は掲載されていました。大正6年頃は1ヶ月で合計すると新聞1ページ分くらい、年間で12ページ相当でしたが、11年頃からは掲載紙の種類も大幅に増やしたほか、回数、スペースも増加されたということです。この広告は右が明治45年、左が大正11年のものです。年代:19121922
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明治43年(1910)の発売当時の店頭広告用POPです。缶入り、瓶入り2種類の商品外観の図柄と合わせて、右上にピエロを象った珍しい飾り物を付け、洋風のハイカラさや珍しさを印象付けようとしています。「味の素」の販売に先立ち食料品の包装について明治屋に相談したところ、包装は赤、黒、黄、群青、金、銀の6色に限るとアドバイスされたということです。年代:1910
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大正初期に始まった中国市場開拓に使われたポスターです。中国での販売は大正3年ごろ開始され、同7年上海出張所を開設して本格的な市場開拓に乗り出しました。南京、蘇州、杭州などに特約店を配置、また、上海の大卒者を採用してさらに奥地の重慶、雲南にまで派遣しました。こうした努力により「味の素」は老牌「鈴木味の素」として中国人大衆の間に浸透し、「仁丹」と並んで日本の代表的商品として知られるようになりました。年代:1915頃
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このポスターは昭和10年頃の贈答用化粧箱入り製品の販売促進用消費者向けポスターです。明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充され、昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われ商品も充実してきました。明治42年の発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。年代:1935
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このCMソング「味の素音頭」は、戦前に作成されたものです。25cmSPシェラック盤、日本エヂソンレコード株式会社調整と印刷された紙袋があり、収録曲の表は「味の素音頭」で、唄は藤丸で、裏は「味の素行進曲」で、唄は味喜夫、素子となっています。味の素音頭振付の解説(写真および説明文)が付属しているものです。このレコード「味の素音頭」は、昭和5(1930)年に宣伝広告用品の一つとして作成されたものです。昭和10(1935)年前後に流行した音頭・小唄にのせてレコードを作製し、踊りの振り付けをつけて宣伝に利用した他、営業活動の宴席で賑やかに唄われました。年代:1930
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「味の素」発売当時のチラシです。「かつをいらず、こぶいらず」のキャッチフレーズで、「味の素は、鰹節や昆布よりも手数がかからず、値段も安く、おいしい。主成分はタンパク質なので、滋養に富んでいる。腐敗、変質しないので、旅行家などにも必要品。」などの記述があり、明治41年11月17日に登録された「美人印商標」も入っています。当時の値段は、大缶4円60銭、小缶2円45銭でした。年代:1909
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A3判大のカラーポスターです。「味の素」初代社長鈴木三郎助は、宣伝をする上で「者がつく人」の重要性に気がついたということです。「者のつく人」といえば、芸者、役者、医者、新聞記者などがありますが、当時はテレビもなく、映画もまだ盛んになる前の時代において芸者は、その土地で人気の的でした。「味の素」の「美人印商標」もまたモデルになったのは芸者でした。年代:1910頃
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昭和2年当時の記念品の手帳です。この時期の日本は、昭和2年3月に金融恐慌の勃発があり景気は低迷を続けていました。食生活においても多くの変化が見られるようになりました。例えば中華料理などが普及し始めたのは昭和に入ってからでした。現在、横浜の中華街は料理店も多く有名ですが、大正末期までは南京街と呼ばれており、中華料理店はわずか7軒に過ぎなかったということです。年代:1927
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新家庭日誌は昭和4年と昭和6年の2冊が保存されています。黒皮目紙装丁の日記帳で、1冊で1年分になっています。B5サイズで、1日1種のレシピが印刷されています。当時の日本は、井上緊縮財政のもとで昭和初期以来の不況が続いており、二代目三郎助氏が死去後、忠治氏があとを継いだ昭和6年(1931)も、日本は不景気と失業のなかにありました。街には「いやじゃありませんか」という自嘲的、ニヒリスティックな言葉が流行していました。年代:1930頃
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明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充されました。発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。写真の進物箱は大正初期のもの、大正期のもの、昭和10年のものの3種類です。年代:1950-1935
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焼印は、大正末期から昭和初期にかけて使われた「味の素」ロゴの鉄製焼きゴテです。活字印は、鈴木商店の社名印です。「味の素」の製造にあたってそれまでのヨード事業の時の社名「鈴木製薬所」から「鈴木商店」と改名し、「味の素」事業を「味精部」、ヨード事業を「製薬部」と呼んでいました。社名美人マーク活字印は、社名と美人マークの入った社名印です。「美人印商標」の登録は明治41年11月17日でした。美人印は東京新富町の芸者をモデルに描いたもので、割烹着に「味の素」の字を配したものでした。テレビもなく、映画もまだ盛んになる前の当時の社会において、芸者はその土地の人気の的でした。年代:1925
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創業者鈴木三郎助は、「味の素」を発売する前、「味の素」が安全なものかどうか、衛生試験所に持ち込み、検査を行い、無害の証明書を得ました。口に入る食品が、安心安全なものであるかどうか、味の素社は創業当時から、厳しくチェックをしていました。年代:1908
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