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銀秤(皿象牙製 東京守随製)

江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。皿象牙製。江戸時代には、貨幣制度として大判、小判、分金、朱金、分銀、朱銀及び文銭(銅又は鉄貨)などの定量貨幣の他に丁及び豆板銀と称するひょう量貨幣(不定量貨)があった。ある商品の価格が「銀何匁」という場合、このひょう量貨幣をはかりに掛け、その目方に調整するという方法が行われていた。(丁銀は大小各種の板、豆板銀は大小各種の粒で合わせる)このひょう量銀貨の、ひょう量用に使うはかりを、銀ぴょうと称していた。(製作:東京守随製作所)

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銀秤(元禄時・骨製棒はかり)

江戸はかり座の4代目、守隋彦太郎正徳が寛文10年(1670年)から元禄4年(1691年)の間に製造したもの。附属する「おもり」はそのおもり重8匁5分のものと定められている。年代:江戸時代

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銀秤(皿、ケースに極の核印)

江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。江戸時代には、貨幣制度として大判、小判、分金、朱金、分銀、朱銀及び文銭(銅又は鉄貨)などの定量貨幣の他に丁及び豆板銀と称するひょう量貨幣(不定量貨)があった。このひょう量銀貨のひょう量用に使うはかりを銀ぴょうと称していた。附属の木箱はふたの上面に、墨書で「極」及び焼印で「極」印が附されている。箱の本体裏側には「丑五月改」及び「布新・布禅七持」とそれぞれ墨書で文字が附されている。

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銀秤 改印(ケースに改印)

江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。銀貨は重さが異なる秤量貨幣だったため、売手と買手、それぞれ自前の秤で銀貨の重さを調べた上で取引していた。少量の物をはかるのに便利なことから、医師や薬屋を営んでいた旧家では、薬の調合に使っていた。

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銀秤(秤量 上四十匁、元二百匁)

江戸時代に主に銀の計量に使われていた棒はかり。銀貨は重さが異なる秤量貨幣だったため、売手と買手、それぞれ自前の秤で銀貨の重さを調べた上で取引していた。少量の物をはかるのに便利なことから、医師や薬屋を営んでいた旧家では、薬の調合に使っていた。年代:昭和35年

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輸出用バネ式指示はかり

戦後の連合軍占領下、輸出用として製造したはかり(1目量50g、秤量10kg、1目量20L、秤量20LB)

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木製バネ式指示はかり

第二次世界大戦の金属不足の時期に、製作された木製の秤。また、陶磁器製の分銅も作られている。(1目量5匁、秤量2貫、1目量20g、秤量7kg、製造No.3032)年代:昭和16~20年頃

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コットランド式はかり

傾斜てこを使用した不等間隔目盛の指示はかりで振り子式はかりの一つ。生糸の太さや稲穂の計量に用いられた。(1目量5Gr秤量50Gr)

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バネ式指示はかり(郵便)

郵便用のはかり。バネの弾性ひずみによる変位値によって重さを示す。

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豆腐用棹はかり 320 秤量800g

豆腐用棹はかり320秤量800g

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バネばかり(複式) 吊り下げパイプ式400匁1.5kg・2貫7.5kg

ばねの弾力を利用したはかりで荷重とつりあわせる力としては最も簡単なものである。弾性体(ばね)に作用させた外力の大きさと変形(伸び)が正比例することを利用したはかり。この外力と変形が比例する関係を英国のロバート・フックが1678年に初めて公式として表したものでその名をとって「フックの法則」と称した。

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キログラム原器(模型)

キログラム原器とは、国際単位系(SI)における質量の基準量と定められたもの。最初は質量普遍性の立場から、水1立方デシメ-トルの質量が考えられた。キログラム原器は、白金約90%、イリジュウム約10%の合金で作られている。形状は、直径約39ミリメ-トル及び高さ約39ミリメ-トルの円柱形。原器は、1879年製作され、フランスの国際度量衡局に保管されている。メ-トル条約加盟国の日本国には同じ材料で作られたNo.6の原器が1890年4月配布された。現在、茨城県つくば市にある「独立行政法人産業技術総合研究所」に保管されている。

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定期検査用天秤 二段さお No.6175 秤量90g

定期検査に使用する基準手動天びんで、分銅やおもりの検査に使用する。※商取引などに使用されるはかりの使用者は、2年に1回(平成5年以前は区市1年に1回、区市以外3年に1回)定期検査を受けなければならない。定期検査は、一定の地域ごとの小学校や公民館などに集め検査(集合検査)を行う。このため、検査場所が常に変わるので、性能が劣化しないよう分解し、移動に適した構造になっている。年代:昭和36年

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目盛用穴あけ道具(ロクロ)棒はかりの目盛付用キリ

はかりの作成時に使用する目盛用の穴あけ(ロクロ)道具。戦時中まで使用していた。現在は、電動キリを使っている。

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検位衡の測定おもり 繭糸係

検器で測った一定の長さの糸の重量を測り、糸の太さ(繊度の綿密度)をデニールであらわせるようにした試験機。綿密度はデニールという単位で表された。“デニール”は、東洋の絹が、ローマのデナリウス銀貨の重さで、取り引きされたことに由来する。東京都蚕系試験所寄贈。

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検位衡(繊度計)No.10364 秤量170D

検器で測った一定の長さの糸の重量を測り、糸の太さ(繊度の綿密度)をデニールであらわせるようにした試験機。綿密度はデニールという単位で表された。“デニール”は、東洋の絹が、ローマのデナリウス銀貨の重さで、取り引きされたことに由来する。東京都蚕系試験所寄贈。

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間縄 木製ボックス付 ハンドル付 No.4

一間ごとに目盛をつけた測量用、検地用の縄、間(けん間)とは尺貫法による長さの計量単位の一つで、建物の柱と柱の間の長さを表したものである。約1.818メートル

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目盛付グラス MEASUREMENT FESTA 100 0.25リットル

1991年(平成3年)に計量制度100周年を記念して開催した「とうきょう計量フェスタ100」(開催場所:(都庁新庁舎前コンコース)を記念して作成した目盛付きグラス

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一級角度直尺用角度基準(通産省)No.6

一級角度直尺用角度基準器は角度直尺の検定に用いられるもので、通商産業省中央計量検定所で検定を行っていた。1951年6月に計量法が公布されたことに伴い、角度直尺の検定権限が都道府県知事に移譲され、東京都は1952年8月に検定を開始し、その際に、通商産業省から基準器として借用され、角度直尺が検定除外となる1960年代まで用いられました。1級は行政検定用及び計量器製造事業者用として用いられたもの。この基準器は、(株)黒田扶範製作所が、1950年3月に製造したもの。年代:1950年

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メートル原器(複製)

1790年フランスの政治家・外交官のタレーランは、天然物によって度量衡の標準を定めるべきであると提案し、これを受けたフランス政府はアカデミー・フランセーズにその立案を委嘱した。アカデミー・フランセーズは、新しい長さの基準を子午線に求め、1795年にパリを通過する北極から赤道までの子午線の1千万分の1を1mと定義した。子午線の実測はダンケルクからパリを通りバルセロナまでの間を測量し、その結果からこの間に暫定的に標準としたメートル・デ・アルシーブの原器に最も近い1本を国際メートル原器に指定した。

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浮ひょう型比重計、濃度計

比重計の目盛の単位であるボーメ度を付した浮ひょう。ボーメ度は、フランス人ボーメ氏によって考案されたもので軽い液体に使用する軽液用と比重の大きい液体に使用する場合の重液用があり、メッキ工場で使用されるメッキ液の比重や冷蔵庫の冷媒等の比重測定など、工場の生産部門や試験研究用に用いられる。

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圧力計検査装置 No.208

基準圧力計として用いられている。ラム・シリンダーで構成され圧力媒体は油である。、通常はラムの断面積は1m2のものが多い。ラムの上部に1kgの分銅を乗せ釣り合せると1kgf/m2の圧力となる。また、ラムの断面積を半分にすると2倍の圧力となる。断面積が小さい方がより高圧になる。(株)東京計器製作所製。年代:昭和22年

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パスカルの水圧実験器

パスカルの原理が分かる水圧実験器。東京前川化学製。

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尺貫単位で表示する水道メーター

(KIMMONMETERWORKS10000KOKUPATENTWATERMETER)。推測式および実測式の水道メータ。株式会社金門製作所製。推測式とは、入口から流れ込んだ流体の衝撃で「はね車」(翼車)を回し、その回転を積算してはかる方式であり、実測式とは、一定の要請期の回転子が回転しながら積算する方式である。

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乾式ガスメーター CUBIC FEET 0.111 C、F PER REV、

流動するガスの量をはかる機器として、1815年(文化12年)にイギリスで発明され、日本では、明治37年(1904年)から作られるようになった。現在、一般需要家用としては「膜式」が主流で、これは膜で仕切られた一対の計量室に、ガスが交互に流入・排出を繰り返し、それによる膜の動きをとらえて連続的に積算する実測型の機構になっている。検定は大正5年(1916年)から開始された。年代:大正14年

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携帯用乾式ガスメーター CUBIC METER FOR1、Light1.416 LITRES PER REVOLUTION

流動するガスの量をはかる機器として、1815年(文化12年)にイギリスで発明され、日本では、明治37年(1904年)から作られるようになった。株式会社金門製作所製。年代:昭和9年

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物茂郷著 度量衡考 上下巻

物茂郷(荻生徂徠:寛文6年(1661)~享保13年(1728)儒者)による

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アースマン通風乾湿球温度計

ドイツ人アースマンの考案した湿度計。携帯に便利にできている。水の蒸発を利用して計るもので、ぜんまい仕掛けの通風装置によって金属製二重円筒で囲まれた球部(円筒状のガラス製水銀二重管温度計)のまわりに2.5m/s程度で通風する。同様なものに気象庁形通風乾湿球湿度計、振り回し式乾湿球湿度計などがあり、製造年月と製造者は不明だが、1958年5月気象業務法の規定により気象測定器名ガラス製温度計として検定を受けている。

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全乳用ゲルベル乳脂計 Themis Genuine Butyrometer

乳脂計は、牛乳、練乳の脂肪分を検査するもので、試薬を混ぜて、遠心分離器にかけ、分離した脂肪の重量パーセントを目盛りで読む。

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質量計 手動はかり 棒はかり無錘式棹はかり(鉄製) 15kg、4貫

棹の中に内蔵された鉄棒の伸縮により重さを計る。(茶畑で茶葉を収穫量を計るため、携帯性を考えたもの。

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チンドンヤさんの写真

発売当時、テレビやラジオがない中で、「味の素」の宣伝方法はいろいろと工夫されました。地面(道)に石灰で印字したり、新聞広告を行なったりしていましたが、チンドン屋は、人々が注目する宣伝活動の一つでした。当時は社長が陣頭指揮に立ち、誰も知らない商品「味の素」を、お客様に一生懸命PRしたそうです。年代:1910

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グルタミン酸の製造に関する池田菊苗博士の特許証

明治40(1908)年、東京帝国大学(現在の東京大学)の池田菊苗博士は湯豆腐に使われている昆布のだしのうま味に注目し、その成分がグルタミン酸であることを発見しました。池田博士はそれまで知られていた4味(甘味、塩味、酸味、苦味)だけでは表せない、第5の基本味「うま味」を発見したのです。これに基づき、池田博士は「グルタミン酸塩を主要成分とせる調味料製造法」を発明、明治41(1909)年に出願し許可されました。この製造方法の確立は、日本10大発明の1つとして特許庁に認められています。今では世界中で「UMAMI」とよばれ、広く各国で利用されています。また近年では栄養生理学的有用性も確認されています年代:1908

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池田菊苗博士が昆布から抽出した、第1号グルタミン酸

明治41年、化学者の池田菊苗博士は昆布に含まれているアミノ酸のひとつであるグルタミン酸の抽出に成功し、グルタミン酸が、おいしさを生む「うま味」の素であることを発見しました。今では知られるこの「うま味」は甘、酸、鹹(鹹は「かん」と読み、からい、しおからいの意味です)、苦、この4つの味と並ぶ基本味です。この写真は昆布から抽出に成功した第一号のグルタミン酸です。ビンのラベルは「具留多味酸」と当て字になっています。また池田博士はこれを「味精」と名づけましたが、薬品を連想させるなどの理由から、「味の素」と名づけられました。「味の素」の生産にあたっては、原料は昆布ではなく、小麦粉を使いました。年代:1908

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戦前の「味の素」

1909年発売から戦前までの「味の素」の保存品です。昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われてグラム制が採用されて以来、昭和13年までにおける包装種類は、小瓶(15g)、特小缶(50g)、小缶(100g)、中缶(200g)、大缶(400g)、特大缶(800g)、金色缶(1125g)、10銭瓶(6.5g)、食卓容器(35g)でした。なお、10銭瓶は、景品用や購買力の低い地方での需要創造など新規市場の開拓のために作られたものでした。年代:1909-1935

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戦前の食卓瓶

昭和6年の食卓瓶です。昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われてグラム制が採用されて以来、昭和13年までにおける包装種類は、小瓶(15g)、特小缶(50g)、小缶(100g)、中缶(200g)、大缶(400g)、特大缶(800g)、金色缶(1125g)、10銭瓶(6.5g)、食卓容器(35g)でした。年代:1931

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道明寺甕

道明寺甕は、初期の「味の素」の製造に使われていました。愛知県常滑町で作られている常滑焼で塩酸に強く、明治末頃に「味の素」が小麦蛋白の分解により製造する際、使用していました。高さ約85センチ、開口部の直径70センチで、土中に埋め込む形で使われていました。現在では、「味の素」はさとうきびの糖蜜を原料に、発酵法により最新の技術と設備でつくられており、うま味調味料の代表的な商品となっています。年代:1909

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発売当時の看板

発売当時の看板で明治期のものです。横長のものは研虎商店から寄贈されたもので、特約店三好寅吉と入っています。文明的調味料の「文明」とは、当時は西洋文化を指したとのことです。発売当時、「味の素」の宣伝方法は、チンドン屋や新聞広告、パンフレットに看板とたくさんあったそうで、これはその中のひとつでした。「味の素」の名は明治42年11月8日に特許局に出願され、12月24日に商標登録されました。池田博士は当初「味の素」のことを「味精」と名付けていましたが、「味精」では薬品を連想してしまうということから、創業者鈴木三郎助の家族会議でネーミングが考えられ、最終的に「味の素」という名前になりました。年代:1910

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琺瑯看板

「お椀マーク」の看板は昭和10年頃の最初の軒吊りホーロー看板です。「お椀マーク」は明治42年の商標登録以来、現在でも使われているお馴染みのものです。お椀型のほか短冊型柱掛け、横書き、五色看板、矢入り吊り看板など多種類ありました。中でも好評だったのは短冊型町名番地入りの看板だったということです。鈴木商店(のちの味の素社)は大正11年に、特約店から小売店まで全国すべての取扱店に「味の素」の看板を掲げるとの方針を立て、サイドカーに乗って全国くまなく巡回して看板を設置して回ったということです。この看板は昭和期のものです。年代:1930

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エスサン澱粉看板

「エスサン」は鈴木商店のS(エス)と社長・三郎助の三(サン)からとった登録商標です。でん粉は「味の素」の副生品であり、原料の小麦粉をたんぱく質(麩質)とでん粉に分解する最初の粗製工程で取り出されます。綿布など織布の糊付け用として大正初年から主に紡績業界向けに販売していました。

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消費者向けハガキ

「味の素」美人画は当時至るところに、宣伝素材としてロゴマークのように使われていました。これはハガキとして印刷されたもの2点で、浮世絵風のデザインのもので4色刷です。

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発売広告第1号(東京朝日新聞コピー)

明治42年5月26日付東京朝日新聞掲載の発売広告第1号で、4段20行でした。文案、意匠はすべて初代社長の鈴木三郎助が考えました。「理想的調味料」、「食料界の大革新」という白抜きの縦2本の見出しに「理学博士池田菊苗先生発明」という横見出しを立てたもので、美人印の登録商標をカットに使って、「味の素」の性質や特徴を説明していました。2009年5月20日で味の素社は創業100周年を迎えましたが、その日の朝日新聞の天声人語で100年前の東京朝日新聞で「味の素」の広告第一号が出稿されたことに触れ、日本人の偉大な「うま味」の発見が称えられました。年代:1909

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「味の素」漫画広告

昭和3年5月5日付東京日日新聞の広告です。「うまい物が力をつける」「値を聞いてかみしめる」「たよりをそへて味の素」などのコメントが書かれており、当時の庶民生活が生き生きとマンガに描かれていて楽しい広告になっています。池田某画伯作となっています。年代:1928

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大正期のポスター

商品の外観をストレートに打ち出した大正期のポスターです。女性が割烹着を着ている図柄は、「美人印」といわれる「味の素」の登録商標(明治41年登録)で、新富町の芸者をモデルにしたと伝えられています。昭和48年まで使われていました。年代:1920

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戦後第1号ポスター

このポスターは昭和25年頃の戦後第1号のポスターで、モデルは津島恵子さんでした。戦後の宣伝広告は「味の素」が輸出が始まったのに対応して、まず海外向 けの広告からスタートしました。国内向けの広告は昭和24年11月の家庭希望配給のとき有力一般誌と東京、大阪の業界紙に掲載されたのが戦後最初で、自由 販売になってからは全国の有力紙に月決めで出稿するようになりました。戦後新たに広告媒体として登場したものに電波がありました。昭和26年9月に民間放 送が開始されたのを機に「味の素」もこの時から番組を提供するようになっていきました。 年代:1950

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進物箱店頭販促用ポスター

昭和10年の贈答用化粧箱入り新製品のお中元用販売促進用ポスターです。明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充され、昭 和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われ商品も充実してきました。明治42年の発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、 各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。 年代:1935

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「味の素」戦後初のCMソング

味の素テーマソング「赤い小箱」収録SPレコード(25cm)です。作詞は藤浦洸氏、作曲は馬渡誠一氏、唄は中村メイコとダークダックスで、演奏はブルーコーツです。表裏両面に味の素のタイトルが印刷されています。 年代:1960頃

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電車内欄間広告

電車(主に京都などの市街電車)の欄間(天井と窓の間)に掲げられた広告です。「味の素」の発売から間もない明治末ごろから大正時代にかけて盛んに利用され ました。新聞広告が白黒のモノトーンであるのに対し、欄間広告はカラー印刷で、淡い水彩画風の色使いを中心に季節感、高級感を打ち出そうとしているのが特 徴的です。 年代:1910-1930

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「味の素」定価表

大正時代と昭和時代の味の素の定価表です。大正時代のものは、赤いおわんの色鮮やかなポスター仕様になっています。 大正時代は、かけそば一杯8~10銭の時に、「味の素」の一番小さい小瓶が38銭 、昭和時代(戦前)は、かけそば一杯15銭の時に、「味の素」の一番小さい小缶が1円でした。戦前まで「味の素」はとても高価な調味料でした。 年代:19201938

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消費者向け料理本

「味の素」を発売した当初は、「味の素」のことを誰も知りません。そこで、どうやって使うかを理解してもらうため、料理教室を実施したり、消費者向けの料理本を数多く配布し、「味の素」の普及活動に努めました。 年代:1910-1938

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抽籤券・開函券

大正11年(1922)1月から、鈴木商店が始めたものに「開函券制度」がありました。その目的は、「味の素」の流通経路を全国的に正確に把握しようという ものでした。その方法は「味の素」の瓶入、缶入各種の木箱の表面に、当該年度の初めから順を追った番号を刷り込み、同じ番号を印刷したハガキの開函通知票 (券)を木箱の中に入れておくというもので、小売店が、用紙に記入し本舗宛てに返送するというものです。本舗では台帳に記入し、引換えに抽選券を送り、一 定の時期に抽選を行い相当額の報奨金を出すというものでした。その時の抽籤券と開函券のハガキです。 年代:1922

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