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竪坑とは、従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行いました。1906年から1981年の閉山まで75年間、鉱山の大動脈として活躍しました。
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第一竪坑内のケージの昇降のための設備で1929年に完成し、1981年の閉山まで稼働していました。中央のドラムを回転させることにより、ワイヤーの先につながったケージの上げ下げを行いました。本設備は使用されていた当時のままの姿で保存されており、このような状態で残っているのは全国でも本館だけです。
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日立鉱山開業当時、創業者・久原房之助が居住し、幹部たちと労苦をともにした場所です。公害問題解決のために大煙突の建設を決意したのも、この本部の一室でのことでした。現在は茨城県文化財に指定されています。(茨城県文化財(産業史跡第1号)指定)
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「十三号」と名付けられ、明治末期より1960年まで約50年間、専用電気鉄道および製錬所内の輸送用に活躍しました。(株式会社日立製作所水戸工場に保存展示されていたものを同社のご厚意により借用)
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大雄院製錬所が建設された名刹「大雄院」跡地の一角に自生し、「千年杉」と呼ばれた巨大な杉を用いて建設された持仏堂(仏像を安置する建物)です。もともとは久原の神戸の自邸に建てられていたものですが、1985年の日鉱記念館の開設にあたって久原家から寄贈され、日立に移築されました。
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かつて銅製錬によって発生する亜硫酸ガスが、周辺の山林や農作物を枯らしていました。この煙害について、科学的知見も防止技術も未成熟だった時代に日立鉱山と地域住民は共に苦しみ、また互いに誠意をもって激化する煙害問題の克服に取り組みました。試行錯誤の末、1915年、当時世界一の155.7メートルもの大煙突を完成させました。その後煙害は激減し、何年にもわたる植林により自然環境は順調に回復していきました。工業都市日立市の発展を見守り続けてきた大煙突。企業と地域住民が共存共栄を目指し共に煙害問題の克服と自然環境の回復に取り組んできた歴史が今も大煙突に生き続けています。
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1916年8月15日に孫文から久原へ上海から送られた手紙です。内容は孫文が日本に亡命中、久原から受けた援助に対するお礼と、自分が今権力の座にないため期待に応えることができない状況にあること、一方、中国における鉱山開発のために調査員を派遣して欲しいことなどが記されています。
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当時の採掘環境を感じられる模擬坑道の中に、手ハンマーや矢木切り(※)などを復元展示しています。(※)落盤、落石、土砂の崩落などを防止するため、丸太を組み合わせた支保(支柱)を作るための道具。
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