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輸出用金属カトラリー

高度経済成長を支えた輸出品産業として新潟県燕市の金属製洋食器は典型的な事例だった。ヨーロッパ市場向けマーク入デザート・ナイフ、デザート・スプーン(沖縄向け/米国市場向け/オーストラリア・南アメリカ市場向け)、デザート・フォーク(オーストラリア・南アメリカ市場向け)、フォーク(オーストラリア・南アメリカ市場向け)、テーブル・フォーク(カナダ市場向け)を収蔵。 赤羽工業株式会社 1964年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


第18回オリンピック20競技シンボル付スプーン

亜鉛銀メッキ。日本橋高島屋にて購入。1964年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


ディナー・セット

佐賀県有田の精磁会社や愛知県名古屋市の森村商会など、明治期に入ると洋食器を生産し海外に輸出しようという試みが始まったが、素地原料調合の問題などから器種によっては生産が困難なものがあった(特にオーバルの大皿)。そのため、本格的な洋食器のディナーセットの生産体制が整ったのは第2次大戦後のことであった。三郷陶器株式会社製 1959年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


ガラス漆器 胴張形小皿製造工程

本来漆とガラスの相性は悪く密着性に難があったため、漆で絵柄をつける開発が本格化したのは1980年代からとなる。本品はそれ以前における貴重な開発例だが、ガラスの裏面から色漆で彩色、皿の底面となる側に下地をして漆を塗り重ねるしくみとなっており、現在のガラス漆器のように器の表面に漆をほどこしたものではない。漆の剥落をふせぐ苦肉の策ではある。1959年収集 

情報所有館 : 明治大学博物館 


クリスタルガラス 花器

高度成長初期における各務クリスタル(現カガミクリスタル)社製の製品。家庭経済の上昇にともない、各家庭に高級食器・調度類が受入れられ始めた時期のものである。同社はドイツで製造技術を学んだ各務鑛三によって昭和9年(1934年)に設立され、日本初のクリスタルガラスを製造した我が国を代表するガラス食器製造メーカーである。各務クリスタル(現カガミクリスタル) 1962年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


琉球ガラス水瓶

琉球ガラスは泡盛を飲む酒器としての知名度を得て、現在では沖縄県の工芸として定着した。これは、まだ駐留米軍が排出する廃ビンを再利用していた時期の製品。1966年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


加茂縞 着尺地

新潟県加茂市域では、江戸後期には農間に自家用の縞木綿が織られていた。明治に入り企業化し、産業として成長する。大正期には動力織機も導入され、同12年には177万反を織り出した(『加茂市史』)。本品は合成染料ナフトール染による和服が日常衣料として健在だった頃のもの。新潟県加茂市(製造者不明) 1954年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


博多織 名古屋帯

高度経済成長下においても女性の衣料として和服は地位を保っていた。普段着・仕事着としての木綿絣が廃れた後も、絹織物は晴れ着や訪問着としての需要を保つことになる。1959年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


伊予絣 着尺地

久留米絣、備後絣とならび西日本の三大木綿絣の産地と言われた伊予絣の製品。高度経済成長下においても中高年女性の日常衣料として和服は地位を保っていたが、普段着・仕事着としての木綿絣の需要は確実に減少していった。この後、愛媛県地方においては、タオル産業が発展することになる。1961年収集

情報所有館 : 明治大学博物館 


長崎錦 しおり

江戸時代の鹿島綴を受け継いだ佐賀錦から第2二次大戦後に技術を導入して長崎手芸協会の会員が製織した。ハンドバッグ、ネクタイ、帯〆等の小物類が製造されていた。長崎手芸協会 1961年収集 他に帯〆を3点収蔵

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